というよりも、特に日本などは政治的にアメリカ政府からの外交的圧力があったために、特に戦闘機の生産、完全国産化というのは難しかったのです。もちろん武器の輸出もできませんでした。
日本は戦闘機の開発が政治的にできなかったために、中島飛行機、三菱重工業、川崎航空機などの技術者、技師が日産自動車、トヨタ、本田技研、富士重工、今のスバル、マツダなどに向かい、川崎はオートバイの生産に向かいました。ヤマハも昔はプロペラを生産していました。
ホンダの中村良夫はもともと中島飛行機であり、トヨタの長谷川龍雄は一式戦闘機三型を生産していた立川飛行機でした。スバルも中島飛行機でした。
戦闘機の開発を禁止された航空技術者たちは、その分の能力をスカイラインGT-Rや、F1マシン、WRC用のラリー車の開発に向けたのです。
逆に言えば、ロシア、旧・ソ連の方はそういったアメリカ政府の外交的圧力を無視することができ、また兵器、特に戦闘機などは中国や北朝鮮、北ベトナム、インド、イラク、エジプト、中国、東欧、アフリカ諸国などに輸出できたのです。
ソ連製戦闘機は、海外のユーザーも多く、朝鮮戦争、ベトナム戦争、中東戦争、インドパキスタン戦争、イランイラク戦争などでも多くの戦果を挙げ、評価も得た、つまり西側戦闘機に対する
「市場競争力」
があったのです。今のロシアでもそうです。
日本が自動車やオートバイに向けた能力、才能、資金などを、ソ連、ロシアは戦闘機や戦車の開発に向けたのです。
また日本でも太平洋戦争の戦時中は、民間用の自動車の生産などは行われず、その分の資金や資材は戦闘機の開発に回されたのです。ソ連やロシアなどではその状態がずっと続いていたようなものです。
アメリカも産軍複合体で、軍事、軍需優先の経済が続いた結果、自動車は日本に抜かれ、造船や鉄鋼は中国や日本に抜かれることになったのです。USスチールの買収問題もそうです。