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幻の戦闘機 震電について

ミリタリー | 特撮285閲覧

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回答(4件)

局地戦闘機【震電】試験飛行 全3回の試験飛行は、海軍から九州飛行機に入った宮石操縦士が担当。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9C%87%E9%9B%BB 【動画】局地戦闘機「震電」のテスト飛行。 https://www.bing.com/videos/riverview/relatedvideo?&q=%e5%b1%80%e5%9c%b0%e6%88%a6%e9%97%98%e6%a9%9f%e3%80%90%e9%9c%87%e9%9b%bb%e3%80%91&&mid=99C9C4C0E424319D3EE499C9C4C0E424319D3EE4&&FORM=VRDGAR

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あのグーグルAI回答なんで当てにできないけど??? 震電のテストパイロットは、海軍から九州飛行機に入った宮石操縦士と山本重久大尉です。 震電は、日本海軍が主導して九州飛行機が研究開発を行った局地戦闘機で、1945年8月3日に初飛行に成功しました。テスト飛行は全3回行われ、宮石操縦士はエンジンを全開にせず降着装置を出したままの状態でしたが、水平飛行中に最大速度293.5 km/hを記録しています。山本重久大尉は、空技廠の推進(プロペラ)部の技術大尉との間で大激論になり、プロペラを吹き飛ばす技術が開発されました まず各人物を考察するなら 宮石操縦士 この方はまじなく、事実テストパイロットだったことが判明しました。 本名のフルネーム不明で詳細分からずやはり残念です。 山本重久 紫電改のテストパイロットまでは確認しております。しかし他ソースがないのでAIの誤解回答説が濃厚、しかし後半のは理にかなっている可能性はあります。 鶴野正大尉 開発者な上やはりこの方が初となる。しかしそれならわざわざテストパイロット言わず、開発者と名乗るのが筋です。 かなり調べた上結論言うと あなたの曽祖父は宮石操縦士となる確率が増えました。戦争の混乱で資料など紛失などは十分にありますので、文献のったソース判断となります。

Wikipediaに記載されていますが設計者の鶴野正大尉が初飛行を試みたもののプロペラを地面に擦って中止となり、以降に震電を飛行させたのは九州飛行機の宮石操縦士のみです

残念ですがネット記事は昔の記事を全てサルベージしている訳ではありません。アニメ&特撮関係に絞ってもまだ色々あります。だから深掘りする同人誌も色々ある訳で 一応記事になったのなら、その記事を探すのが一番確実です。新聞だったら図書館にいって新聞のアーカイブを見て回るしかない。しかし新聞は見ていたけど…そんな記事見たことはない(軍事関係の話は機密だから…戦後に秘話として載せた記事があったのか?)から雑誌になるのかもしれません。5ちゃんねるの戦記スレとかでそんな記事がどの雑誌にあったのかROM(Read Of Member…まず読み込む)って辺りをつけてから訪ねるコトバを絞るのがいいです、ここは戦記実話に特化した人がいません