あせり

nittkicho.jpg

小学生の終わりころは、ただ、訳も無く闇雲に大人に成りたいと考えていた。
大人に成って何をするのか、そんな目的意識があったのではなく、
ただただ、子供でなくなる事、そのものが願望だった。

中学校に入り、その年の夏に転校した頃には、
もう、自分では「半分」大人のつもりだった。
常に年上の友人知人たちに着いて行こうと背伸びの生活だった。

それから、既に六十余年。今、自分では気が付かない振りをしていても、
身体の、心の何処かから、いつの間にかしみだしてくる焦りの正体は
一体何なのだろう。
年齢からすれば、あと何年かすれば、この世とは違う世界の住人になる、
それは確かな事実だから私は時間を惜しむのか、不安なのか。
それも、あるのだろうが、
ほぼ日課となった記事の更新をいつまで続けられるか。
書きたい事と、書く意欲がいつまで持続できるか。
そちらへの懸念が「あせり」の源になっている可能性が高い。

この記事へのコメント