大神神社 4 ご神体は三輪山
(承前)
では、話をもう一度神話に戻しましょう。三輪地方の神様が何故「古い」のか、それがどうして分かるのか?それは大神神社には神様が鎮座するべき本殿がなく、拝殿の奥にある三輪山そのものがご神体になっている、つまり『神社形式以前の祭り』方がなされていることが証となっているのです。
日本には八百万(やおよろず)の神々がいる、と言われていますが、原始信仰の段階では、当然、社殿などの人工の構造物は一切なく、例えば山、そして巨木、巨岩(磐座)などがお祭りの中心であったはずなのです。その意味で、三輪山そのものをご神体として残したままで今日まで来ている大神神社の神様の起源が、かなり古いものであると推察される訳なのです。
また、出雲のカミサマが「出雲大社」という建物の中に祭られたような形にはならず、古代の形式をそのまま残した事実は、この地方のカミサマが、出雲以上に実力のあるカミサマだったことも暗示しています。いままで見てきた古代史の流れの中で考えれば、
オオナムチはオオクニヌシであり、かつオオモノヌシである
という図式的で強引な位置付けが記紀の編集者たちによって示され、そのことが当時の権力構造の実質的な裏づけになっていた、言葉を代えて平たく言えば『われわれが一番偉い神様の直系なのだ』というお墨付きになっていた訳なのですが、地域にはそれぞれ固有のカミサマが存在し、そのカミサマたちの実力(地域の人々との結びつきの強さ、信仰の固さ、加えて軍事力・経済力)によって、それぞれ微妙に異なった形で中央の神体系に組み込まれていった事情があるのでしょう。
また、もっと言えば、当時の政権との位置関係(婚姻なども含む)も、記紀神話の記述の仕方、ひいては神々とのつながりの濃淡となって記述に影響を与えたのではないでしょうか。
いま大神神社の祭神をオオモノヌシと書いてきましたが、正式には「やまとのオオモノヌシくしみかたまのみこと」と言い、この神様がもともと『倭』(やまと)固有の神様であったことを神名に国名を冠することによって伝えています。
(因みに、出雲大社の祭神を『やまとのオオクニヌシ』とは言いませんし、出雲風土記にオオクニヌシという名の神様は登場していません)
(続く)
楽しく歴史や文学に親しみましょう
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