写楽と浮世絵類考 4 笹屋は菱川の縁者

(承前)浮世絵の研究家は、大田南畝が自身で調べた作家たちに関わる情報を寛政十年頃『浮世絵考証』として一まとめにし、それに日本橋本銀町一丁目の縫箔師笹屋新七が「付録」として『浮世絵始系』と題し、絵師たちの子弟関係を詳しく調べた系譜を書き加えたと説明してますが、大田と笹屋の間柄あるいは南畝が依頼しての事だったのかなどに触れてはいません。この…

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ふくんぎゃ考 15 中也、帰郷望むが

(承前)健康面で大きな不安を抱えていた詩人の中原中也は、家族や友人たちの勧めもあって、住み慣れた都を去り、故郷の山口湯田の実家に転居することを計画していた。二冊目の詩集『在りし日の歌』の清書原稿を小林秀雄に託し、いざ帰郷という時、昭和十二年十月、病魔に倒れた。第二詩集の末尾にある作品は『蛙声』と題されている。   その声は、空より来り…

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聖徳太子一族 2 何故「厩戸」なのか

(承前)  『じゃあ、その根拠は一体何なのだ』と正面きって問われると、実のところ、これといった「証拠」も無いのですが、574年と622年の生没年に関しては一つの仮説があります。 それは太子の「誕生伝説」にも関わりの在ることで、既に多くの人々が指摘しています。  ご存知のように、この皇子に何故「厩戸(うまやど)」などという一風変わった…

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