"東洲斎写楽"の記事一覧

写楽外伝 7 七軒丁と地蔵橋

(承前 「武鑑」には斎藤十郎兵衛という能役者の名前は見当たりません)  文久二年に発刊された「八丁堀細見図」を復刻した地図を下に載せましたが、地蔵橋と七軒丁(ななけんちょう)は確かに「近く」ではありますが、決して「斎藤宅」が在った所と「同じ」ではありません。また、この細見図では1862年の時点において斎藤与右衛門の住まいが地蔵橋近くの…

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写楽外伝 6 二人の与右衛門?

(承前)  そこで浮上するのが「与右衛門二人説」とでも言うべき解釈です。つまり、江戸期を通して武鑑に名前が登録されている「斎藤与右衛門」と、阿波御両国分限帳に記載されている「江戸詰、斎藤與右衛門」は別人なのではないか、という推理が成り立つのではないかと謂う訳です。  上の表(註・旧ホームページのみ掲載してあります)で背景の色を青く変…

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写楽外伝 5 謎が謎を生む?

(承前 「武鑑」には斎藤十郎兵衛の名前が一切記載されていない)  但し、この疑問点は『重修猿楽伝記』(天保14年、1843)という能楽の資料に「与右衛門、52歳。十郎兵衛、24歳」とあり、また阿波藩の『無足以下分限帳・寛政年度版』(寛政四年、1792)にも「十郎兵衛」「與右衛門」が揃って記録されているので『武鑑』との「違い」だけで『十…

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