八丁堀同心の「仕事」も色々

「犬も歩けば棒に当たる」は、良くない例を示した言葉だが、資料探しを続けていると、思わぬ処で、予期せぬ収穫にありつける、こともある。斎藤十郎兵衛が実在し、阿波藩の能役者として俸給を得ていた事実は『阿波徳島藩蜂須賀家家臣 無足以下分限帳』を調べることで明らかになるのだが、文政十二年十二月の奥付がある「同分限帳」の末尾近くには次の記載があ…

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「八丁堀の旦那」長屋の大家になる

時代劇にも登場する、江戸町奉行勤務の同心たちは上の画像でも分かるように、「三十俵二人扶持」が基本給の下級役人だった。「一人扶持」の切米を「五俵」と見積もれば、彼らの年俸は「四十俵」ということになる。米そのものの価格は江戸期を通じて上下しているので、一概には言えないが、彼らの給与が決して「充分」なものだったとは考えられない。また、米価が「…

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シャンプーで秋を知る

体温並みの酷暑が、ようやく退散してくれたお陰で、後期高齢者目前の老人も、何んとか息を吹き返すことができた。この歳になると、何をするのも億劫で、一日の始まりの時刻に、さて、今日は「何々しよう」と予め決めておかないと、その日その日がずるずると、何もせずに終わってしまう。 シャンプー、整髪も、己の生き死にに直接関わらないから、これも「しよう…

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