日刊イオ

月刊イオがおくる日刊編集後記

「カフェと音楽と、」

2015-03-31 09:00:00 | ï¼ˆæ„›ï¼‰ã®ãƒ–ログ
先日、「カフェ」が話題に上った際ひとつのCDを思い出しました。
「カフェと音楽と、」
私が入社して1年目に買ったCDです。

入社して半年が過ぎたころ、私は特別企画をまるまるひとつ任されるようになりました。
その頃は自分なりにデザインをして、誌面を組んで、それだけでいっぱいいっぱいだった記憶があります。
お昼時間も忘れて一生懸命ページを組み、やっと13時過ぎに近場のカフェに昼ご飯を食べにでかけられました。

頭の中はショート寸前。
カフェの中はお昼をすぎたためか人もまばらで、空いている席に座り、ちゃちゃっとランチを頼んでからは、なにをするでもなくボーっとしていました。
その時流れてきたのが、このCDの曲。
店内に流れる優しい曲と歌が、熱々だった頭の中を冷やしてくれて、ぎすぎすした心が次第にまるくなりました。

運ばれてきたカフェラテと食事をとりながら、落ち着いた気持ちになり、知らず知らずのうちに癒されていたのです。
帰り際、「あの、ここで流れている曲名教えてくれませんか!?」と、食いつき気味に店員さんに聞くと、店員さんは困惑しながらも、「カフェと音楽と、」というCDジャケットを見せてくれました。

その後はリフレッシュした気分でまた仕事に打ち込めました。
後日、またあの癒しの気分を味わいたくて、自分で「カフェと音楽と、」を購入しました。

今でも気分をリフレッシュしたいときはこのCDを聞いています。
カフェという場所は本当に不思議な力があると思います。
おいしいコーヒーと、食事と、音楽。
耳に心地よく響く音楽と、コーヒーの芳しい香り。
それだけで、不思議と癒され日々の疲れをリセットできるのです。


5月号の特別企画は「カフェで会いましょう(仮)」。
昨日(瑛)さんとともに、某カフェに取材で伺いました!そこでも居心地のよい空間を堪能できました。

企画の中では同胞が営むカフェを5ヶ所ほど紹介します♪
まだまだ知らない居心地の良い空間がたくさんあるようです♪(愛)





国際人種差別撤廃デー記念集会

2015-03-30 09:00:00 | (相)のブログ
 今月18日、参議院議員会館で開かれた集会「ストップ。レイシズム! ストップ。ヘイト・スピーチ!」に足を運んだ。
 これは、国際人種差別撤廃デー(3月21日)を記念する集会で、人種差別撤廃NGOネットワークが主催したもの。
 集会には一般の参加者、国会議員に加え、アジア、中東、ヨーロッパ、アフリカ、北・中・南米など28ヵ国の駐日大使館関係者も出席。、アイヌ、沖縄、移住労働者、在日朝鮮人などマイノリティのコミュニティの代表らが差別の実態について話した。
 主催者一同を代表して集会の提言を発表した師岡康子弁護士は、日本の人種差別は歴史的、構造的な問題であり、政府の差別的な政策と関係していること、マイノリティに対する差別が深刻な人権侵害を引き起こしているにもかかわらず政府は差別をやめさせ被害を救済する措置をとっていないこと、などを指摘。そのうえで、人種差別撤廃基本法の制定が急務であると述べた
 以下、提言を要約して紹介する。

 これまでのマイノリティ当事者からの報告で、日本の人種差別の深刻な実態の一部が明らかになりました。特に、ここ数年悪化したヘイト・スピーチ、ヘイト・クライムの問題は、マイノリティに属する人々の尊厳を傷つけるだけでなく、社会に差別と暴力を蔓延させ、民主主義を破壊し、ひいては戦争やジェノサイドにも突き進んで、国際社会へも大変な被害をもたらしかねません。
 私たちは、このような日本における人種差別の一番の問題は、国が人種差別問題の存在、あるいはその深刻さを正面から認めることから逃げ、取り組まず、放置していることだと考えます。
 人種差別問題は、歴史的、構造的な問題であり、植民地支配をはじめとして、国の差別的政策に主要な原因があります。また、現在も、朝鮮学校の高校無償化制度からの排除のように、国が公的、制度的に差別を行っています。国が、率先して、自らのこれまでの差別的な政策を反省し、改めなければ、社会から差別がなくなるはずがありません。
 日本は、国連の人種差別撤廃条約に1995年に加盟し、今年で20年になります。よって、国際人権法上、人種差別を撤廃する義務を負っています。
 しかし、それにもかかわらず、日本政府は、国連の人種差別撤廃委員会の3回の審査の中で厳しく指摘されてきたように、人種差別撤廃に真摯に取り組んできませんでした。
 そのため、人種差別撤廃委員会をはじめとして国連の人権条約監視機関から再三指摘されてきたように、国際人権基準の求める、人種差別撤廃法制度がほとんど何もない状態です。人種差別撤廃政策自体が策定されておらず、政府に担当する省庁すらありません。人種差別撤廃法制度の柱である、人種差別禁止法もありません。ヘイト・クライムやヘイト・スピーチを規制する法律もありません。人種差別撤廃のための教育プログラムもありません。人権政策を監視し、推進するための、政府から独立した国内人権機関もありません。個人通報制度も一切受諾していません。国際的に比較してみても、非常に遅れた状態です。
 このような深刻な状態が続いてきましたが、2013年、ヘイト・スピーチがはじめて社会問題化し、日本の国内外から批判が高まりました。それを受けて、2014年4月には、国会で、超党派の「人種差別撤廃基本法を求める議員連盟」ができました。この「人種差別撤廃基本法」とは、まず、国が人種差別撤廃に取り組む責任があることを明確にし、人種差別が違法であることを宣言し、かつ、差別の実態調査を行って人種差別撤廃政策を策定する、一定の独立性がある機関を設置する理念法・組織法です。人種差別撤廃法制度がまったくない現状からすれば、障がい者差別に関する障がい者基本法や、女性差別に関する男女共同参画社会基本法と同様に、基本法という枠組みを作ることは、確実で大きな第一歩です。
 他方、2014年8月には自民党に、翌9月には公明党に、ヘイト・スピーチ問題対策プロジェクト・チームができました。与党もこの問題を具体的に検討し始めたことは評価しますが、これまでのところ、ヘイト・スピーチを人種差別問題として位置づけておらず、表現規制か否かとの問題に切り縮め、人種差別撤廃基本法制定への態度が不明確です。
 しかし、人種差別撤廃委員会などから勧告されているように、小手先の現行法の運用の改善で解決する問題ではなく、国際人権基準に見合うよう、国が責任を持って、人種差別撤廃法制度を整備することが急務です。
 5年後の2020年にオリンピックを控え、国際的にも注目される状況において、最低限の国際人権基準すら満たさず、政府が自らの人種差別政策を改めず、また、人種差別の実態から目を背けていることは許されません。
 私たち人種差別撤廃NGOネットワークに集まったマイノリティの当事者団体とNGOは、政府と国会が一丸となり、直ちに人種差別撤廃基本法を制定することからはじめ、人種差別撤廃法制度を整備することが急務であると強く訴えます。
 (相)

押収物なし、総聯議長宅に不当な強制捜索

2015-03-27 08:39:22 | (淑)のブログ
 既報の通り、昨日午前7時過ぎ、在日本朝鮮人総聯合会中央本部の許宗萬議長と南昇祐副議長をはじめとする総聯活動家たちの自宅に対する、不当な強制捜索が敢行された。
 容疑は「外為法違反」。同日警察当局は、2010年に朝鮮産の松茸を中国産と偽って不正に輸入したとして、東京・台東区の貿易会社社長を含む2名を逮捕した。今回の強制捜索は、この在日朝鮮人個人の会社の外為法違反と全く関係のない総聯議長らを恣意的に関連付けて強行された。明らかな政治的弾圧であることは言うを待たない。
 副議長宅から押収した物は、事件と関係のない記念写真や副議長の妻のノートパソコン等で、議長宅にいたっては一点の押収物も見つからなかった。このことが、今回の強制捜索が事件と全く関連がないことを如実に示している。

 同日午後、総聯中央は記者会見を開き、総聯中央常任委員会声明を発表。今回の強制捜査は、「朝鮮総聯に対する政治弾圧を狙った不当極まりない暴挙、在日朝鮮人に対する人権蹂躙と民族差別そのもの」であり、「今後の朝・日関係に深刻な悪影響を及ぼすであろう。その責任は、すべて日本政府当局が負うべきである」と糾弾した。



 声明全文と、今回の強制捜索についての朝鮮新報の記事は下記の通り。
「不当極まりない暴挙」/総聯中央常任委員会声明発表
警察当局が総聯議長、副議長の自宅を強制捜索/『朝鮮新報』3月26日

 私が、東京杉並区にある許宗萬議長の自宅に到着したのは、午前8時半頃。すでに多数の報道機関が詰めかけていた。
 神奈川県警と京都府警、山口県警、島根県警の合同捜査本部警察隊は、約2時間にわたって議長宅を捜索。午前11時過ぎ、警察らが議長宅から、見るからに軽そうな段ボール箱を2箱運び出す様子が見られた。捜索に立ち会った弁護士によると、自分たちの荷物をわざわざ段ボール箱に詰めて行ったという。政治的パフォーマンス、警察の体面をつくろうためのポーズに他ならない。

 捜索に立ち会った李春熙弁護士は、「2時間の捜索の結果、押収物は一点もなかった。容疑者の会社について議長は何もご存じない。全く関係がないにも関わらず、関連性があるとして捜索が行われた。これは明らかに刑事訴訟法に規定する捜索の要件を満たしていない。令状を発布した裁判所の責任も大きい。今回の警察のやり方は、在日朝鮮人にかけられた容疑に関しては、全て総聯議長に責任があるかのような立場で、明らかに不当で差別的である。捜索に入ることだけが目的、あるいは日朝関係になんらかの影響を与えようという目的でなされた捜索と見ざるを得ない。朝鮮総聯は、朝鮮民主主義人民共和国と日本に国交がない中で、日本における大使館的な役割を担っている。議長はその責任者であるから、本来は大使、外交官として最も尊重されなければならない立場であるにも関わらず捜索の対象となったのは、極めて遺憾だ」と、捜索の不当性について説明した。

 このような在日朝鮮人や朝鮮総聯、傘下団体に対する弾圧は、これまでも執拗に繰り返されてきた。そのほとんどがまったく関係のないことでの強制捜索だ。
 今回のような関連嫌疑という曖昧な口実での強制捜索は、国家権力による重大な人権侵害で、法治国家として決して許されてはならない不当行為である。違法的な捜索の加担者である裁判所もまた、断罪されるべきである。
 また、李弁護士が指摘した通り、日本において朝鮮大使の役割を担う総聯議長への強制捜索は、朝・日関係を大きく阻害するものであり、関係悪化に対する日本政府の責任は免れない。(淑)

在日2世の記憶

2015-03-26 09:00:00 | ï¼ˆç‘›ï¼‰ã®ãƒ–ログ


 40歳を過ぎた頃からだろうか。2世の話に強く惹かれるようになった。それは一世から聞いたトンネのサトゥリだったり、豚や鶏を飼っていたというトンネの原風景の話もある。

 朝鮮に帰国した友人の話や、日本学校に通ったとき、日本人教員にイジメを受けた話には、いつも過ぎ去ったひとつの時代を感じていた。

 私たちの親の世代は、日本の植民地支配の末期に生まれた人も多く、日本の敗戦末期に戦争というものを体験した人も少なくない。

 元野球選手の張本勲さんは自身の被爆体験について以下のように述べている。

 原爆の投下された八月六日のことは鮮明に覚えています。五歳でした。近所の子たちと遊ぼうと思って、三畳一間が連なる長屋の戸をガラッと開けて表に出た途端、ピカーっと光ってドーンと物凄い音がしたんです。気がついた時は真っ赤な色が目の前にありました。よく見るとそれはお袋の血でした。ガラスの破片で胸を切りながらも私と姉(下)を庇って覆い被さってくれていたんです。
 
… 原爆が落とされてから二日後のことです。避難していたぶどう畑に、負傷した上の姉が担架で運ばれて来ました。赤十字の人が「張本さーん、どこですか?」って大きな声で呼ぶから、慌てて家族は立ち上がりました。担架に駆け寄ると、姉は全身がケロイドで覆われて見るも無残な姿でした。顔を見てもこれが姉ちゃんなのかと分からなかったほどで、家族もようやく名札で確認できたと言います。私にとっては自慢の姉でした。色白で背が高くて優しくて、いつも友達から「勲ちゃんはええのう、綺麗なお姉ちゃんがいて」って言われていたものです。
 その姉が痛い、熱いと一晩中……うめいていました。お袋は二晩中泣いていました。
 私が物心ついてから兄貴に、姉は正確にはいつ亡くなったのかと聞くと、運ばれてきた翌朝もの凄く大きな声で……お袋が泣いたらしいですわ……、その時じゃないかと……。
 
 当然のことだが、人は生まれる時代を選べない。

 今日、5月号の特集で33歳の女性の同胞弁護士を取材してきたが、一世の時代に祖母たちは学校にも行かせてもらえなかったし、2世の母の時代に、「女が大学に行ってどうする」と進学を反対される人は多かった。

 1世とともに暮らし、日本社会の差別を生きてきた60代、70代の2世たちはどんな思いでその時々を過ごしてきただろうか。

 張本さんの発言が紹介されている上記サイト「在日2世の記憶」には、25日現在、9人の在日2世の記憶が載っている。
 個人史をひもとくインタビュー集だ。http://shinsho.shueisha.co.jp/column/zainichi2/

 渡日の経緯や家族の暮らし、貧しさと差別に押しつぶされ、命を投げ出すことまで考えた青年期、祖国分断という荒波のなかで翻弄されながらも、自問自答を繰り返し、チャンスをものにするために努力を続け、揺るがぬ価値観を磨きあげたた貴重な人生経験…。一人ひとりの語りは、どれもその人だけの人生を物語っていた。

 かつて、同胞たちは肩を寄せ合って暮らしてきた。このを脱出したい思いを持った人も多かっただろう。ある指揮者の文章には、当時を覆っていた閉塞感を感じつつも、それまでの体験をすべて血肉にせんとする気迫が伝わってきた。

 2世が、この社会を生き抜いた軌跡は、私たちに大切な何かを残してくれている気がする。

 3世の私も、すでに人生の折り返し地点を過ぎた。一人ひとりの体験は2世が見てきた景色をさらに広げてくれる。

 そして、自分自身ももっと何かができそうな気がしてくる。(瑛)

卒業、外登、軍事演習、制裁―3月に思う

2015-03-25 09:00:00 | ï¼ˆK)のブログ


 3月上旬、息子の中級部(中学)卒業式があった。4月には朝鮮学校の高級部(高校)に入学する。
 「無償化」制度スタートから5年。いまだに朝鮮高校は排除されたままだ。この間、この問題に関連したくさん取材してきたし月刊イオでも多くの誌面を割いてきた。5年前は、息子はまだ初級部(小学校)に通っていた。
 息子が高校に入るまでに解決されるだろう、解決していてほしい、と願っていたが、やはりそういうわけにはいかず、4月から直接の当事者となり、金銭的な重荷を背負わされることとなった。



 3月上旬、外国人登録証明書を特別永住者証明書に切り替える手続きをした。くそ面倒くさいのに、市役所へ2度も足を運ばなければならなかった。2012年7月に新しい外国人の在留管理制度がスタートしたことによるものだ。
 特別永住者証明書になって、常時携帯義務はなくなったが提示義務があり、提示義務を拒否したり、転入・転居・世帯変更などの変更事項の届出を14日以内に行わなかった場合の刑事罰はそのまま残されている。また、「みなし再入国許可」制度から「朝鮮籍」が排除されるという新たな差別も生み出した。
 日本の植民地支配により存在する在日朝鮮・韓国人を管理・監視し続けるという日本政府の本質は何も変わっておらず、特別永住者証明書はその象徴としてある。
 特別永住者証明書への切り替えは今年の7月8日までに行わないといけないので、まだの人は忘れないように。

 3月上旬、米韓合同軍事演習の「キー・リゾルブ」と「フォール・イーグル」がスタートした(2日)。
 日本ではしきりに「北朝鮮の脅威」を騒ぎ立てて、朝鮮民主主義人民共和国が危険で「懲らしめるべき相手」であるかのように世論を作り上げているが、朝鮮とアメリカのどちらが圧倒的な軍事力を有しているのかは明らかであり、アメリカとそれに追従する国々は軍事演習を繰り返して朝鮮を脅し経済的な圧迫を続けている。
 今回の米韓合同軍事演習に対して朝鮮中央通信は2日、朝鮮人民軍総参謀部のスポークスマン声明(1日)を伝えている。その一部を引用する。
 「4月24日まで続く今回の「キー・リゾルブ」「フォールイーグル」合同軍事演習は、朝鮮半島有事に米帝侵略軍の迅速な投入と前方展開、「連合軍」武力による不意の先制攻撃とわれわれの首脳部の「除去」「平壌占領」の目標まで達成するための危険極まりない北侵核戦争演習である。事態の重大さは、今回の北侵実戦演習が米帝の戦争の首魁であるオバマが最近、口角泡を飛ばしてわれわれが選択した思想をなくし、われわれが立てた制度を「崩壊」させることがアメリカ合衆国の政策目標であるとはばからず公言したのに続いて行われているところにある。」
 朝鮮の反発は当然のことだ。

 3月中旬、日本のマスコミは、日本政府が4月13日に期限を迎える朝鮮に対する独自の「経済制裁」を2年間延長する方針を示したことを伝えた。朝鮮に対する「経済制裁」は2006年から続けられており、今回延長されれば10回目の延長となり、2013年から期間も2年になった。
 「経済制裁」とは相手に対する宣戦布告と同じようなものである。2年前にもこのブログに「特定秘密保護法とカナリアの朝鮮人」というタイトルで同じような内容のことを書いた。http://blog.goo.ne.jp/gekkan-io/e/9b08721f063e95568e3721ee96e05b16
 2年前と違うところと言えば、2014年5月に朝・日間でストックホルム合意がなされ、朝・日の話し合いが進められいるところだろうか。話し合いをしようとする相手に「経済制裁」を加える。話し合いの意思があるとは、私には思えない。朝鮮の体制崩壊を目的とした米韓合同軍事演習に連動する形で日本の自衛隊も動いている。

 「無償化」からの朝鮮学校排除、外国人に対する在留管理制度、米韓合同軍事演習、朝鮮に対する「経済制裁」…、私にとってこれらすべては、繋がっていると言えば繋がっている問題だ。



 3月中旬、月刊イオ4月号が完成しました(17日)。いつもは、新しい号が完成したらすぐにこのブログで紹介するのですが、今回は遅くなり申し訳ありません。
 4月号の特集は「はなまるソンセンニム」。朝鮮学校のために奮闘するソンセンニム(先生)たちを多彩な企画で紹介しています。授業に定評のある先生、クラブ活動の指導に熱心な先生、いろんなことでユニークな先生などを紹介。また、子弟の関係から現在はともに教員として働く先生の往復書簡、親子3代で教員をつとめる先生のルポ、40年以上を教員として奮闘してきた先生の手記などを掲載しています。
 特集以外には、2月20、21日にかけて行われた「朝鮮学校で学ぶ権利を!! 朝鮮高校裁判支援全国統一行動」の模様を、東京をはじめ日本各地12ヵ所での抗議行動をまとめて掲載しています。また、在日本朝鮮人人権協会が主催したシンポジウム「現代日本の排外主義にどう立ち向かうか~ヘイト・スピーチ、歴史修正主義、民族教育を考える」での3人の報告の内容や、今年結成70周年を迎える留学同京都による総合文化公演「朝鮮の夜明け」の模様を紹介しています。
 今月号も充実した内容でお届けしています。ご愛読ください。(k)

春に行きたいおすすめスポットは…

2015-03-24 09:45:00 | ï¼ˆéº—)のブログ
春は出会いと別れの季節とは言いますが、個人的に今年は特に、それがひしひしと感じる季節でもあります。
ほんのちょっと前まで卒業式のニュースばかりだったのに、来週のどこかでは早くも入学式が行われるのだとか。

昨日、イオで食事会をしたのですが、お店に行く前に地下鉄で見た広告がすごく綺麗だったので、パシャリ。
4月に両親が来るので、花が好きなオモニを連れて行ったら喜ぶだろうなと、いくつか両親と一緒に行きたい候補のひとつに入れておこうと撮ったものです。
個人的にいま乗ってみたいと思っているのが「屋形船」なのですが、東京で他にどこかいいとこはないかな~と模索中です。
スカイツリーや浅草寺などの王道系は制覇しているのですが、「ここはええで!」と思う東京のおすすめスポットがあれば是非教えてください…。笑

食事会の帰り、浅草ではほんの少しですが、桜が咲き始めていました。
いつのまにか気温もあたたかくなり、いよいよ本格的に春到来!の予感ですね。(麗)

木漏れ日

2015-03-23 09:00:00 | ï¼ˆç†ï¼‰ã®ãƒ–ログ
 海外のブログに、「11Untranslatable Words From Other Cultures(翻訳できない異文化の11の言葉)」というタイトルの記事があります。日本語に訳している方がおり、たまたま目にしました。以下がその言葉たち。

1.ドイツ語:Waldeinsamkeit 森の中にひとりぼっちでいる気分
2.イタリア語:Culaccino テーブルについた冷たいグラスの跡
3.イヌイット語:Iktsuarpok 誰か来たかもしれないと思ってついつい外を見に行ってしまう気持ち
4.日本語:Komorebi 森林などの木立ちから太陽の日差しが漏れる光景のこと
5.ロシア語:Pochemuchka あまりにたくさんの質問をするひと
6.スペイン語:Sobremesa 食事を一緒にした相手と話し足りなくて、食後に話し込む時間
7.インドネシア語:Jayus あまりにも面白くないジョークを言うので、ついこちらが大声で笑うしかないような人
8.ハワイ語:Pana Po'o なにかを思い出そうとして思い出せない時に頭をかきむしったりする動作のこと
9.フランス語:Dépaysement なにか自分の国のものではないという雰囲気、感じ
10.ウルドゥー語:Goya いい話だけど信じられないという気持ち
11.スエーデン語:Mångata 月明かりが水面に輝いて道のようになっているさま

 私のお気に入りは6と10です。しかし言語感覚が違うので、どのような使い方をすればいいのか判りません。現地では「ついSobremesaしちゃったね」とか「おぉ…それは…Goya」という風に話されているのでしょうか。外国の人々が「木漏れ日」という言葉を聞くと、自然を切り取る日本語の感性に驚くらしいのですが、私は3や11なんかも相当に瑞々しい発想だと思います。

 大学時代、朝鮮語の原書で出会った文章に衝撃を受けたことがあります。そこには「今でも鮮明に浮かぶのだけれど、決して戻ってはこないということを知っている過去の思い出を振り返って切なくなる気持ち」が綴られていました(本が手元にないため正確に引用できないのが残念です)。私が感じたことのある気持ちと全く同じことを、ウリナラの作家が書いていたことに不思議な感動も覚えました。生活文化や価値観などが大きく違う場所でもやっぱり共通する感覚があるんだな、普遍的なものなんだ―。なんとなく嬉しかったです。

 小さい頃、オモニの地元である東京によく遊びに来ていました。北海道とは比べものにならない程の暑さと人混みの中を、オモニに手を引かれて歩きました。駅のホームにある大きな広告の看板や、車窓の外に広がるビルだらけの景色を見るのが好きでした。ある日は、今まで行ったどの本屋よりも大きな本屋に連れて行ってもらいました。本の多さよりもフロアの多さ、全体が迷路のようなその建物に心を弾ませ、弟とかくれんぼや基地ごっこをして遊びました。

 東京で暮らすようになって早7年。夏の暑さと人混みは嫌なだけだし、大きな看板や都会の景色はどんどん目の前を過ぎていきます。紀伊國屋書店の新宿本店に行っても今では「便利」と思うだけ。当時こういう気持ちだったということを懐かしく思い出しはしても、その時の感情がそのまま甦ることはもうありません。そうして、前述のなんともいえない切なさが残るのです。

 そんな、「今でも鮮明に浮かぶのだけれど、決して戻ってはこないということを知っている過去の思い出を振り返って切なくなる気持ち」。これを表現する言葉は世界のどこかにあるのでしょうか。経験上、少なくとも朝鮮語と日本語にはなさそうですが…。もしくは、かなり妥協して「懐かしい」とか「大人になった」…? それでもやっぱりちょっと違うような。上の一覧を見ると、イヌイット語なんかにはありそうな気もします。(理)

東京「無償化」裁判第5回口頭弁論

2015-03-21 08:00:00 | ï¼ˆç‘›ï¼‰ã®ãƒ–ログ


 日刊イオの読者の皆さん、アンニョンハシムニカ。今日は祝日でブログはお休みの日ですが、先日の東京「無償化」裁判第5回口頭弁論についてお知らせします。

 東京朝鮮中高級学校の高級部生62人が原告となり、日本政府を訴えた「無償化」裁判・第5回口頭弁論が3月18日、東京地裁大法廷で行われました。97席の傍聴席を求めて233人が列をなしました。

 東京中高では3月1日に卒業式が行われ、すべての原告が母校を去りましたが、この日の裁判には20人以上の原告卒業生の姿もありました。

 前回の進行協議では、国に対し、裁判所から2つの宿題が出されていました。

 第1の宿題は、朝高を不指定とした理由として国は、①東京朝高が本件規程13条に適合すると認めるに至らなかったことと、②規定ハを削除したこと―の2つをあげているが、②の理由が①の理由と独立しているのはなぜか、説明すること。

 第2の宿題は、国は不指定処分が違法であっても、原告らの権利侵害とはならないと主張するようであるが、その理由を説明すること。

 これに対し、被告・国側は第3準備書面を提出。6ページの書面をもって反論しました。

 報告集会での伊藤朝日太郎弁護士や金舜植弁護士の解説をもとに、国の主張を記します。

●国側の反論―宿題①への回答「不指定の主たる理由は13条」

 国側は「(東京朝高を)不指定処分にした主な理由は、あくまで「本件規程13条に適合すると認めるに至らなかったことである」(国側準備書面)と述べ、13条が不処分の主な理由だと主張しました。一方、規定ハを削除したのは、「念のため」だと主張。13条を主戦場に戦っていく国の立場が明かされました。

 ※規程13条:指定教育施設は、高等学校等就学支援金の授業料に係る債権の弁済への確実な充当など法令に基づく学校の運営を適切に行わなければいならない

 「本件規程13条に適合すると認めるに至らなかった」―。

 このまどろっこしい文章ですが、確認すべき点は、あくまで国は、「適合しない」とは断言していないことです。審査した結果、少なくとも適合するという結論にはならなかったという、非常にあいまいな表現を使っています。

 なぜ、結論を出さなかったのか―。

 国側は、審査の過程で強制的に立ち入り調査をして書類を押収するなどの権限がなく、指定の基準を満たすかどうかの審査に限界があることを理由としてあげていますが、他の学校にないハードルを朝鮮高校に設け、厳格適用しています。不平等で差別的であることは明白です。

 開廷時、裁判官から国の立場への質問がありましたが、国側のロジックを裁判所にしっかり伝えることが今後の課題といえるでしょう。 

●国側の反論―宿題②への回答「朝高不指定でも、原告の権利侵害にはならない」

 国は、「本件不指定処分が違法であっても原告らの権利または法的利益を何ら侵害しないと主張するものではない」と述べました。

 つまり、「不指定処分は違法でもなく、人権侵害でもない」と言っています。
 
 わかりきったことですが、日本政府は、自分たちの行いが「無償化」法はじめ、法に基づいていると主張しているのです。

●国側の反論―国連勧告を無視

 さらに今回、国は、「国連・人種差別撤廃委員会等の所見をもって本件不指定処分が違法となるものではない」―と国連勧告を真っ向から否定しました。

 「人種差別撤廃委員会等の所見は、わが国の就学支援金制度の仕組みや、支給法、本件省令、本件規程、本件13条の基準を踏まえたものではなく、朝鮮高級学校、北朝鮮及び朝鮮総連に対する具体的な事実調査を行った上でなされたものではない…適正な学校運営がされていないと疑われるような事情等があったことを踏まえてされたものでもない」

 「支給法は…生徒自身や生徒の国籍によって区別しているものではなく、この点からしても、人種差別には当たらない」(以上国側準備書面)

 昨年8月29日、国連人種差別撤廃委員会は、「無償化」からの朝鮮高校排除を「人種差別」と断定し、日本政府に是正を求める勧告を出しました。

 国連は各国の人権状況を調べるうえで、当然、日本政府の言い分を聞いています。

 にも関わらず、「国連は日本の事情や法律をよくわかっていない」と主張する姿は、駄々をこねる幼児のようでした。国連常任理事国入りを望む日本ですが、「人権の国際基準」は、無視してもいいことなのでしょうか。

 以上、国側の主張を整理しましたが、高校「無償化」法は、すべての学ぶ意志のある高校段階の子どもたちを支援する、という趣旨に基づいています。

 弁護団からは、「本来でいえば、高校段階のレベルの学習をしているかどうかが、判断基準だ。そこに、朝鮮学校にだけ、『不当な支配』ということを滑り込ませてきている。朝鮮学校と総連との関係とその学校が高校レベルの教育をしているのかは、まったく関係がないことなのに、話をごまかそうとしている。本筋に立って主張を準備したい」と力強い発言がありました。



 閉廷後、参議院議員会館で報告集会が行われ、弁護団による口頭弁論の解説、東京朝高卒業生や保護者たちによるアピールが続きました。

 東京朝高では3月1日に第65期卒業生が母校を巣立ち、62人の原告全員が卒業しました。集会では、卒業した生徒や教員たちが、「無償化」を勝ち取れなかったことに口惜しさをにじませながら、「無償化」差別に闘ってきた3年間を堂々と振り返っていました。

 男子卒業生は、「制度が始まった時にまだ中学生だった僕たちは、『無償化』差別の何が問題なのか、わからなかった。原告の僕たちが理解してこそと思い、学習会を開き、裁判について知ろう、後輩たちに知恵や思いを伝えようと頑張ってきた。この問題に終止符を打てないまま卒業し、後輩たちが立ち向かっていくことがくやしい」と語り、女子の卒業生は、「卒業した原告は離ればなれになる。長い戦いが続こうとも、勝利に向かって正当性を叫び続け、同級生のみんなと一緒に喜びを分かち合いたい」と決意を語り会場の涙を誘っていました。

 教員として檀上に立ったのは高3を担任した金恵暎さん。「生徒たちを法廷に立たせることがいいことなのか? なぜ今なのか? 教員たちでたくさん話をしました。生徒たちは『無償化』について学ぶ過程で、自分たちが歴史の主体になるんだ、変えていくんだと必死に戦いました。生徒たちは私の同志です」と声を震わせていました。

 卒業していく原告たちの思いはいかばかりだったのでしょう…。

 会場には20人以上の原告の生徒たちが座っていました。前年に卒業した64期生の女学生も、「64期、65期は当事者の気持ちを最後まで引っ張っていく存在。当時の気持ちを忘れずにがんばっていく」と後輩たちを励ましていました。保護者の金栄愛さん(49)は、「『無償化』差別は、私の人生を否定されたのも同じ。人間の尊厳を踏みにじられ、朝鮮学校の存在を脅かす事態で、私たちは当事者としてしっかり監視しなくてはならない。卒業した原告の皆さん、あなたたちは一人じゃない。国を相手に戦った勇気と気迫を忘れない」とエールを送っていました。

 いつものように、支援者からも発言が続きました。

 「無償化連絡会」の長谷川和男さんは、安倍政権が省令を改悪した2月20日、全国一斉行動を成功させたことに触れ、「戦いは確実に広がっている」と手ごたえを語り、毎月20日に東京朝鮮第3初級学校の最寄りの大山駅で街宣活動を続けている「すべての学校に高校無償化を! 練馬の会」の林明雄さんは、「大山は下村文科大臣の地元で2月20日も差別を訴えた。引き続き世論に訴えたい」とアピールしていました。

 原告が卒業した今、「無償化」運動にかけたかれらの思いをどう引き継いでいくかが、今後の課題です。

 第6回口頭弁論は5月20日(水)14時から、東京地裁の大法廷で。次回は、原告側が反論します。(瑛)

料理は愛情

2015-03-20 09:00:00 | ï¼ˆæ„›ï¼‰ã®ãƒ–ログ
先日、連載に使用する写真を撮影するため、ある筆者のご自宅にお伺いしました。
筆者は1児のオンマ。そして自身の姉の同級生でもあるので、旧知の仲でもあります。

子どもがちょっとやんちゃしても子どもに優しく接するオンニはすっかりオンマの顔でとても和みました✨

午前中に伺ってひとしきり育児話しにも花を咲かせた後にお昼をご馳走になったのですが、愛情こもった手作り料理がテーブルいっぱいに乗って、素直にすごい!!と感動しました。と、同時に自分の日頃のレパートリーの少なさを実感し反省しました。
美味しかった「キノコのしぐれ煮」のレシピを教えてもらうついでに、他にも魅力的な献立のレシピを沢山教えてもらいました!
ありがたいことです(*^^*)

早速その週は教えてもらったレシピを見ながら沢山、自宅でも作ってみました。(写真は自宅で作った料理です、サツマイモが焦げましたが(*_*;)
すると、子どもも「おいちー」と言ってくれて、ご飯を沢山食べてくれました。
それからは、教えてもらったレシピを常備菜としてもちょこちょこ作っては、日々の献立に役立ててます♪
レシピを教えてもらい、本当に感謝しています。

最近は、切り干し大根の煮付け等も作ってみました。それを見ると、いまは90歳を越える祖母がよく作ってくれたのを思い出しました。
作ってみて思うのは、きっと孫にバランスのよい食事をと、常々想ってくれたのだろうなとわかりました。
本当に料理は愛情ですね♪(愛)

ユダヤ生まれの妻、ユーディット

2015-03-19 08:58:18 | (淑)のブログ
 東京演劇アンサンブルの、「第三帝国の恐怖と貧困」を観劇しました。
 私は、一人の登場人物にしぼって書きたいと思います。
 ナチス政権下のドイツを舞台とするこの芝居には、30人の登場人物がいて、そのほとんどがドイツ人です。一般庶民や裁判所判事、突撃隊員、科学者など様々な境遇、立場の人々が登場し、ファシズムが急速に勢いを増していった当時のドイツで生きる人々の息苦しさ、侵略戦争に加担させられていく姿が、社会の様々な側面から描かれています。

 劇中、唯一ドイツ人ではない登場人物が、上流階級のドイツ人医師と結婚したユダヤ人の妻・ユーディットです。

 第7場。
 ときはニュルンベルク法(ユダヤ人のドイツ人との結婚、性交渉の禁止。この法律によって明文化された差別は、国家的な虐殺へと進行した)が施行された1935年。フランクフルトで暮らすユーディットは、迫り来る自身と夫への迫害を逃れるため、夫と離別し、単身外国へ旅立つことを決め、知人に別れを告げます。
 受話器を取って次から次へ、友人たちに。そして、最愛の夫に…。
 場面の終盤に夫が登場するまで、暗い壇上にただ一人、延々と長回しの台詞が続きます。

 ユーディットを演じたのは、在日朝鮮人の友人である洪美玉さんです。

 私はこの配役に、特別な意味付与をせずにはいられませんでした。
 現代日本を生きる在日朝鮮人がナチス占領下のユダヤ人を演じることに役者自身、苦しみ、葛藤、孤独はなかったのだろうか―。

 ユーディットが、富裕層であるという設定も重要なファクターの一つです。
 「私は今ほどユダヤ民族主義的だったことはない」という台詞には、何不自由なく育ったユーディットが、迫害されることでユダヤ人としての抵抗精神を覚醒させていったことを表しています。
 美玉さんは、追いやられることでユダヤ主義に目覚めていくユーディットが、演劇を通して日本社会や民族に対する目を開かされていった自分と重なったと話していました。ボロボロ泣きながら練習し、本番はガチガチに緊張したと言います。
 いやが上にもユーディットと自身がシンクロし、演者として、在日朝鮮人として、葛藤があったと想像します。
 ある日本人の劇団員は、「単に声や涙を抑えるという芝居上の表現ではなく、洪が葛藤を経て演じていることを、団員自身にも、観客にも知ってほしい」と話していました。

 美玉さんは今回の演劇に、在日朝鮮人の友人・知人らがたくさん観に来てくれたのがほんとうにうれしいとも話していました。「第三帝国の恐怖と貧困」、上演は22日まで。同胞の皆さんには、美玉さん演じるユーディットをぜひ観てもらいたいと思います。(淑)


思いがけぬ再会~靴の話パート3

2015-03-18 09:00:00 | (相)のブログ
 寒さ厳しい冬を経て、春の訪れも感じられるようになった今日この頃。今回のエントリでは、そんな季節にぴったり(?)な
 http://blog.goo.ne.jp/gekkan-io/e/9f2654e6ccca1c658e0872a3403cde07
 の後日談を書きたい。

 5年ほど履き続けた愛用のRed Wingのブーツを年明けに修理に出した。酷使がたたったのか、靴の状態は「重症」。店側に一旦預かってもらい、見積もりを見たうえで修理か廃棄か最終的に判断すると答えはしたものの、この状態だと修理代もかさむと聞かされたこともあり、正直なところ新品の購入を考えていた。と、ここまでは上記エントリに書いた。
 その約1週間後、店側から電話連絡が入った。当初考えていた予算のギリギリ範囲内で修理が可能という「予想外」の返答を受けて、廃棄から修理へ腹は決まった。
 そして、1ヵ月後に戻ってきた靴がこれ。

 

 どこをどう直したのかというと、ソール(靴底)を全交換した。修理に出す前はレザーソールの土踏まずの部分以外にラバーを貼ったものだったが、前足部のラバーがべろっと剥がれてしまい、踵もだいぶすり減っていたので、全体を強固なビブラムソールに交換。

 

 元のクラシカルな雰囲気はいくらか失われたが、耐久度は増したように思う。汚れを落としてクリームで磨いたら、はい一丁上がり。
 新品、とはいかないまでも見違える姿になったRed Wingに日ごろのストレスもいくらか和らいだ。仕上がりを見た感想は、「うわぁ、何だか別の靴みたい…」。ソールを丸ごと替えたので、実際に半分は別の靴といえるのだが。
 修理代も、想定していた予算の範囲内、とはいっても吉野家の牛丼並48杯分と決して安くはなかった。ただ、ソールの修理は何度でもOKなので、こまめに手入れすれば甲の部分がダメにならない限りあと10年は余裕で履けるだろう。
 さまざまな取材現場をともにした相棒と一度は悲しい別れを覚悟したが、再び出会うことができた。別れと出会いが交錯する春を間近に控え、舞い降りた小さな幸運―。
 オチにならないオチ、失礼しました。(相)

「無償化」裁判、18日は東京、19日は九州

2015-03-17 09:00:00 | ï¼ˆç‘›ï¼‰ã®ãƒ–ログ

明日18日、11時半からは、東京「無償化」裁判第5回口頭弁論の日だ。


(Facebook「オモニ会活動」から転載)

地下鉄霞ヶ関駅B1出口を降りて、地上に登っていくと、東京地裁の前には長谷川和男さんや森本孝子さんら、「無償化」連絡の支援者の方の姿がいつもあり、どんな寒い日も温かい気持ちに包まれる。裁判は、勝ち負けのはっきりする厳しい闘いだけに、支えてくれる人のありがたさが身にしみる。

裁判の取材を始めるようになって、この場で懐かしい友人や知人に会うようになった。

半休を取って列に並ぶ幼馴染から、子どもが中学生に育ったと聞いて月日の流れを実感。

国連に出向き、差別を訴えた群馬出身のオモニは、明け方に電車に飛び乗って上京したそうだ。今春、第1子が朝高に進学という。わが子が証言に立つ姿を最前列で見守る母親、朝鮮学校保護者をとうに卒業した人たちの姿もたくさんいる。列の中には高校進学を控えた中学生もいた。

裁判のたびに、法廷を埋める人たちを見ながら、「ここまでできるだろうか」、と何度思ったかわからない。この闘いが続いてきたのは、原告に寄り添う人たちが、気持ちを「行動」に置き換えてきたからだと感じられるのも法廷の場だ。

閉廷後の報告集会は、毎回熱気に包まれる。

弁護団がずらりと並ぶだけで、「支えられている実感」がわき、原告や保護者が思いを語る場面では、原告の苦悩とあきらめない気持ちに自然と心が重なる。たった数時間だが、裁判の取材を終えると、出発点に立ち返ることができる。

明日は東京、19日は九州「無償化」裁判第5回口頭弁論(14時から、福岡地裁小倉支部)が開かれる。

4、5月にかけて行われる裁判は以下。ぜひ足を運び、原告に力を!(瑛)

◆愛知「無償化」裁判第12回口頭弁論:4月21日(火)14時~、名古屋地裁

◆大阪「無償化」裁判第11回口頭弁論:4月24日(金)11時~、大阪地裁

◆広島「無償化」裁判第7回口頭弁論:5月13日(水)13時半~、広島地裁

◆大阪「補助金」裁判第14回口頭弁論:5月14日(木)11時~、大阪地裁

第三帝国の恐怖と貧困―あのころのドイツといまの日本

2015-03-16 09:00:00 | ï¼ˆK)のブログ


 東京に出てきて良いこと悪いこと、いろいろあるが、良いことのひとつにいろんな文化に触れられることが挙げられる。東京に住むようになって演劇をたくさん観るようになった。仕事で観ることもあるが、個人的に演劇の空間が好きで、友人たちがやっている芝居には必ずと言っていいほど足を運んでいる。

 先週も友人の所属する劇団、東京演劇アンサンブルの公演「第三帝国の恐怖と貧困」を観にいった。劇団創立60周年を記念した公演の第三弾として企画されたものだ。東京演劇アンサンブルは、ドイツの劇作家・詩人であるブレヒトの叙事詩的演劇に共感し社会の矛盾に向き合ってきた劇団で、これまでブレヒトの作品を数多く上演してきた。劇団の小屋も「ブレヒトの芝居小屋」と名前が付けられている。

 公演のパンフレットの中から「第三帝国の恐怖と貧困」という作品について説明すると、この作品は1935年から1938年にかけて書かれたもので、35年にブレヒトはナチスによりドイツ市民権を剥奪されている。「第三帝国」とは、ナチスが自らの政権を指して呼んだ名称で、作品はナチスが台頭し戦争へと向かっていく、当時のドイツ社会を描いている。タイトルが第三帝国の「恐怖」だけでなく「貧困」となっているのが意味深で素晴らしい。

 ブレヒトの原作では、「第三帝国…」は24の場で構成されているそうだが、今回の公演では14の場で構成された作品となった。
 1場は1933年1月30日、ヒトラーが首相となった日が描かれる。そこから、ナチスの思想統制が強まっていき、市民たちがお互いに監視しあうようになり、ユダヤ人や共産主義者への迫害が激しくなり、些細なことで人々は収容所へ送られるようになる…。
 このように書くと単純になってしまうが、ブレヒトは各場を個性豊かに人間を描き構成して芝居にしているのだ(うまく説明できない)。

 演出、演技、舞台装置、ピアノ音楽とどれもが素晴らしい。演出家が、あのころのドイツ社会といまの日本社会を非常に意識的に重ね合わせているところが特筆すべきところだ。
 作品は冒頭、ブレヒトの詩から始まる。

ほんとうにぼくの生きる時代は暗い
無邪気なことばは間がぬける
つややかなひたいは感受性欠乏のしるし
わらう者はおそろしい知らせをまだ受け取らない者だけだ
……

 在日朝鮮人にとって、いまの日本はけっして明るくない。暗い。
 日本人にとってはどうなんだろうか。
 ラストの14場は、1938年3月13日を描く。ナチスがオーストリアを占領した日だ。民衆が大歓声をあげる、その音がラジオから流れてくる。

 「第三帝国の恐怖と貧困」は3月22日まで上演されている(今日16日は休演)。必見の作品。ぜひブレヒトの芝居小屋へ足を運んでいただきたい。一般当日4500円、前売り3800円だが(17日と18日はロープライスデイで2500円)、少なくとも1万円の価値はある。公演のパンフレット(写真、500円)も素晴らしい内容となっている。
 詳しい情報は東京演劇アンサンブルのHPまで。(k)

http://www.tee.co.jp/stage-shoukai-image/daisanteikoku/14daisanteikoku.html


「歳を取る」ことはいけないことか

2015-03-13 09:00:00 | ï¼ˆéº—)のブログ
私は今年の8月で29歳になる。いわゆる「アラサー」だ。
自身の入社当時を知る先輩や上司は、いつまでも「23歳のまま」というイメージがあるらしい。嬉しいやら悲しいやら。

振り返れば周りにはたくさんの後輩がいる。
“こういった言葉にはこう対応する” “こういう場面ではこう対処する”―。
あらゆる場面での処世術と対処法は、社会に出て学ぶことが多い。
年齢を重ねるということは、蓄積されていく経験や知識がその人の「財産」になるし、年々、人間的にも魅力的になる素晴らしいことだと思う。


28歳になってから、あるモヤっとする事柄が起きた。女性の見た目や年齢に対しての「イジリ」「誹謗中傷」である。

特に、年齢に関して女性は敏感だと言われている。確かにそれは否めない。
自身も、地元で友達が経営しているバーに遊びに行った時、客である見ず知らずの20歳くらいの男性に「ババア」と言われショックを受けたことがある。
私は「目の前にいるこの人は、最近になって法律的に酒もたばこも自由に嗜める年齢になったわけだから、他人の心なんてひとつも考えられないほど、いまを最高に楽しんでいるんだろうな」と、見事に酒に呑まれてケラケラ笑うその男を見ながら、ははっとだけ笑い飛ばした。

表面上は笑っていたが、腹の底ではドス黒いものが煮えくり返っていた。
その場に同席していた親友も、同じような暴言をしつこく浴びせられ、誰もいない階段の踊り場でひとり、泣いていた。

さすがに、一回り以上も年が離れている相手に「おばさん」と言われたらぐうの音も出ないが、たいして年の変わらない相手に「おばさん」「ババア」と言われるのは正直、納得がいかない。それも、ただ30代に近づいてきたというだけで、だ。
何よりも、年齢に対してとやかく言われる対象のほとんどが“女性”なのにも「?」のマークが浮かぶ。

何歳からが「おじさん・おばさん」なのかは人それぞれだと思うが、「あぁ、理不尽だな」とやり場のない怒りを感じた。何だか歳を取ることが罪なのかとさえ思えてくる。
逆に、そういうイジリをする男性が、同性の先輩に対して「おっさん」「ジジイ」と言っている場面をあまり見た事がない。(少なくとも私の周りは)

何時ぞやのテレビ番組で「女性はいつから『おばさん』になるのか」というテーマで街角の女性たちにインタビューする企画があった。これもなぜか対象は女性だ。

う~ん、何かおかしい。

自虐的に「アラサーだー」「おばさんだー」と言うのはいいが、他人に言われるとムッとする。相手は冗談で言っているつもりだが、はっきり言ってどこが面白いのか理解出来ない。返ってその「無意識の悪意」にゾッとした。
こういった女性に対する年齢いじりや暴言を吐く人は、自分が歳を取ることに対して「何か得体の知れない恐怖」というものを感じているのだろうか。謎だ。
例え対象である人物が「冗談を言える相手・関係性」だとしても、言われた本人は心の底では傷ついているという可能性を考えないのだろうか。

「男は子供だから仕方がないよ」で片付けられる問題なのだろうか。
言いたい放題言う相手には“言わせておけばいい”のだろうか。
それはどこからどこまでが許されるのか。
そういう事を言いやすい、言われるような容姿や性格をしている女性が悪いのか。
私たちはどれだけ我慢すればいいのか。

決して「すべての男性がそうだ」と言っているのではなく、そういった事を考えなしに言い放つ人がいることに対して、怒りと悲しみを感じている。

このモヤモヤはいまだ解消されていない。(麗)

『ひきだしにテラリウム』

2015-03-12 09:00:40 | ï¼ˆç†ï¼‰ã®ãƒ–ログ
 今日は漫画の紹介でも。



『ひきだしにテラリウム』
作・九井諒子○イースト・プレス

 テラリウムとは、陸上の生物(主に植物や小動物)をガラス容器などで飼育・栽培する技術のこと。

 ひきだしに入るくらい小さくて、しかし一度読んだら忘れられない不思議な世界観のショートショート集。大きさも、色も密度も違う33の「テラリウム」が次々と展開されていきます。

 私はwebで試し読みをして、すぐに購入してしまいました。

 近未来の漫画家が主人公の「すれ違わない」、一人の女性の葛藤を裁判に置き換えた「代理裁判」、サンタクロース派遣業について描いた「夢のある話」など、一つひとつの設定がユニークです。

 読み終えた感想は「あぁー!!」「えっ…。」「はいはいはい」「クスッ」「おぉ~」「わっ!」などさまざまです(笑)。こういう発想はどこから得るんだろう…とその源を知りたくもなりました。

 私のお気に入りは「えぐちみ代このスットコ訪問記~トーワ国編」「恋人カタログ」「ノベルダイブ」「龍の逆鱗」「かわいくなりたい」「春陽」「遠き理想郷」などなど。タイトルだけ見ても、多種多様なジャンルがあるということがわかります。

 賑やかな表紙には各作品の登場人物が絶妙に入り混じり描かれています。読み終えた後にお気に入りのキャラクターを探すのも楽しいです。

 こちらのサイトで試し読みができるので、興味のある方はぜひ。(理)
 
 ひきだしにテラリウム特設ページ→http://matogrosso.jp/terari/terari-36.html