日刊イオ

月刊イオがおくる日刊編集後記

43ヵ月

2009-12-27 15:00:00 | ï¼ˆè’¼ï¼‰ã®ãƒ–ログ
 現在、編集部は創刊から164号目となるイオを作っています。
 私はちょうど10年目を迎えた121号目から携わるようになったので、今回が43号目となります。

 思えば、たくさんのことがありました。

 たとえば、私はずっと今座っている席で仕事をしているのですが、ここから見える風景には変化がありました。いつの間にか、デザインを担当する2人が女性に変わっていたこと。左斜め前の席に、(里)さんが座るようになったこと。
 私がイオに来たときは女性が一人しかいませんでしたが、今は4人。その数は男性を上回り、そして平均年齢もがくんと落ち、いつしか「先輩」と呼ばれるようにもなりました。

 初めての取材は料理の企画で、初めての出張先は静岡県でした。初出張はというのなんだか嬉しくて、その嬉しさのあまりに調子に乗って、問題を起こし、会社に戻ったときに怒られた記憶があります。
 
 これまで何本の記事を書いたかわかりませんが、いくつか思い出に残る記事があります。一つは、北海道朝鮮初中高級学校の寄宿舎に寝泊りしながら、映画「ウリハッキョ」のキン・ミョンジュン監督を取材した記事です。監督と寄宿舎で2、3日一緒にいたせいか、記事は取材ノートを見ることなく書けました。
 二つ目は、埼玉県に住むラリードライバーの金雅志氏の記事です。4ページにわたる企画だったので、それこそ字数を気にせずがっつり書くことができました。反響もありましたので、金氏を取材できて、そして書くことができて本当に良かったと思っています。
 ほかにも、いちボクシングファンとして、現在プロボクサーとして活躍する李冽理選手、尹文絃選手、金智哉選手、金樹延選手の記事が書けたこと。また、結婚や未婚をテーマにした企画は、先方の突っ込んだ話も聞けたので、やや興奮しながら取材をしました。
 朝鮮学校にもたくさん訪れました。それまでは、比較的人数の多かった自分の出身校しか知らなかったこともあり、たとえば人数の少ない学校や、寮のある学校などを訪れ取材していると、一言では表せない、胸の詰まる思いをしたことも何度かありました。
 2008年の7月からは、同胞数の少ない県や地域の同胞社会を紹介する、「アンニョン! ウリトンポ」という企画を担当することになりました。そして青森、秋田、岩手、山形、山梨、和歌山、鳥取、島根、函館(北海道)、富山、石川の地を訪れ、トンポ社会を見て回りました。書きたいことはたくさんありますが、ある過疎地域のトンポの、「過疎地域は先進地域だ」という言葉が今でも心に残っています。

 とはいえもちろん、書いたすべての記事に、愛着を持っていますが。
 

 話しは戻り、現在、イオ編集部には20代が5人もいます(男2女3)。
 実はこの5人、結構仲が良く、仕事以外の時間も一緒にいることが多いのです。
 5人で飲んだことは数知れず、誰かが誰かを泣かせたことも数知れず。
 でも、やっぱり同世代の仲間みたいな感じで、今朝も、昨夜の飲み会が2次会、3次会と続き、結局、朝の5時までファミレスでグダグダしていたくらいです。今日が土曜日ということもあり、みんな眠そうに仕事しています(笑)。
 編集長や、4年近くデスクを横にした女性の先輩記者にもたくさんお世話になりました。ここでは恥ずかしくていちいち書けませんが、とにかく、ずぼらで掃除が嫌いで原稿の締め切りを守らない私と、口うるさくも最後まで温かく接してくれたのですから。

 この文を書いているのは12月26日。
 クリスマスも終わり、2009年もあと5日で終わり、忘年会も一通り終わり、ブログを書くのは今回で最後となりました。そしてこの文章ももう、締めの段階に差し掛かってきました。
 坊主も走るこの時期、公私ともに忙しく、てんやわんやで、いろいろな方にちゃんとあいさつ出来なかったことが心残りです。

 まだ振り返る日は来ませんが、これまでの経験を今後、フルに活かしたいと思っています。
 そして、この場をかりて、イオ編集部員をはじめとした、会社の人たち、そしてお世話になったたくさんの方に。
 コマッスミダ!(蒼) 
 
  
 
 
 
    

 



2010年度1月号ができました 

2009-12-17 10:07:52 | ï¼ˆè’¼ï¼‰ã®ãƒ–ログ

 今日、イオ1月号が仕上がり、今、手元にあります。
 この稿を書く前に、ざーっと見ましたが、09年度とは一味違った感覚がします。
 
 全体として、09年度の企画をそのまま継続させているものもありますが、おそらく半分くらいは新企画になっています。
 なかには、「えっ」と思うのもあるかもしれません。

 たとえば、「Age30~ 恋とか。愛とか」。
 これは、文字通り、30歳以上、つまりイオ世代の男女に、「恋とか愛とか」を語ってもらうもの。
 もちろん、一般論的な話もでると思いますが、やっぱり、30年以上生きてるんですから、「恋とか愛とか」はその人特有の経験、そして事情みたいなものがあって、その「恋とか愛とか」を、結構、人は語りたいのでは、と生意気ながら思っています。
 恋愛を始めた人、失恋した人、結婚するかどうか迷っている人、結婚したくない人、日本人と付き合っている人……いろいろな人の「恋とか愛とか」が、ここで吐露されればと思います(匿名での掲載となりますので、書きたいと思った人は、気軽に編集部に連絡ください)。

 「おしゃれトンポ」という企画も始まりました。
 これは、取材で訪れた地で見つけた、ちょっとお洒落なトンポのスナップ写真です。毎回5、6人ほど登場します。
 「え、全然お洒落じゃねーし」と思う読者もいるかもしれませんが、編集部の独断と偏見で決めているので、文句はなし、でお願いしますね!

 みなさんの手元には、もうあと少しで届くと思います。
 2010年も、イオをよろしくお願いします。(蒼)

 ※写真は、Age30~ の、文字原稿のないゲラです!

来年まであと20日ちょい

2009-12-10 10:22:53 | ï¼ˆè’¼ï¼‰ã®ãƒ–ログ
 今年ももう345日くらい終わって、
 今年は何があっただろうかと考えて、
 今年は結構いろいろあった一年だったなと、
 今年を自慰的に振りかえってみました。

 たとえば、

 25歳から26歳になりました。
 通勤路を意図的に変えてみました。
 ジムに通いました。
 わけのわからない保険に加入してみました。
 
 映画を比較的たくさん観るようにしました。
 本を3日で1冊読むようにしました。
 暇があれば歩くようにしました。
 深夜にドンキホーテに行かないようにしました。

 お金を節約しようと決めました。
 コツコツと貯金を始めました。
 携帯電話の料金プランを変えました。
 定期券を買うようにしました。
 
 車で交通事故を起こして、
 3人の同乗者に迷惑をかけて、
 申し訳ない気持ちになって、
 お詫びにガストでハンバーグ定食をおごりました。

 何かを決意して、
 でもその決意に自信がなくて、
 真壁仁の「峠」という詩を暗記して、
 一人で高尾山に登って、
 頂上で誰にも聴こえないような小声で暗唱しました。

 公私ともに、失敗の連続でした。

 そんなこんなで今年もまた、
 色んなものを棄てて、
 色んなものを失って、
 色んなものを見つけて、
 色んなものを手にしました。

 来年は何か目標を立てようと思って、
 大きな大きな目標を立てようと思って、
 昨年の今頃に立てた目標を思い出して、
 無残に散ったまま今年が終わりそうな今、
 今回の目標は絶対達成しようと、
 達成してやると、
 自発的に能動的に主体的に意欲的に頑張るぞと心に決めて、
 来年まであと20日ちょいも同じように頑張るぞと心に決めて、
 今日は諸事情で朝からかなりテンションがダウンしてるんですが、
 そんなテンションを何とかあげるために書いたこの文、
 今から「アップ」します。(蒼)


嬉々としないけど

2009-12-03 10:03:52 | ï¼ˆè’¼ï¼‰ã®ãƒ–ログ

 昨日の「愛」さんのブログに、僕の痛い過去のことがサクッと書かれていたので、今日はその説明をします。ちなみに「愛」さんのブログには、「昔サンタを裸足で追いかけて行ったという、(蒼)編集部員の話をうらやましく聞いたりしていた」と、書かれていました。

 クリスマスの日でした。仕事から帰ってきた父は、小学校低学年の私と幼稚園に通う弟に「今、そこでサンタと会ったよ。なんかサンタさん、いまちょっと忙しいからっていって、プレゼントを渡してくれてって、頼まれたんだ。玄関に行ってみな。プレゼントがあるから」と言ったので、二つのプレゼントを確認したあと、弟と2人で裸足で家を飛び出して、サンタを探しにいったのです。

 私は、結構ギリギリまで、サンタクロースを信じていました。クリスマスの日は、ちょっとしたパーティーみたいなものを家でやりました。ませた友達は、「サンタなんかいない」と言っていましたが、私は小学校高学年くらいまでいると思っていました。
 
 今はもう大人になってしまったから、12月24、25日が近づいてきたとしても、「クリスマスだ!!」と嬉々とすることはありませんが、その日が近づくと、毎年、弟と2人で探しにいった記憶が思い出されます。

 あの日の私は、サンタに必ず会えるもんだとばかり思っていただろうし、結局見つからず家に帰ってきたとき、父に向かって「知り合いなら紹介してよ」と怒鳴ったのですが、大人になればサンタと知り合いになれるんだろうなとも思っていました。
 
 私も「愛」さんのようにクリスチャンではありません。
 ただ、よく、学校の先生が、「クリスマスなんて、お店が儲かるだけ。日本人はそうやって、クリスマスは祝うけど、でもクリスチャンではないのに……」みたいな事を言っていて、それを聞くたびに、「でたーーー」と思ったものです。

 まあ、上にも書きましたが、私も今は、嬉々としなくなったし、嬉々とできなくなったし、嬉々とすることもないですが、いつか父親になったら、せめて小学生になるまでは、子どもを嬉々とさせたいなと思っています。(蒼)

掃除なんてきらいだー

2009-11-27 09:33:53 | ï¼ˆè’¼ï¼‰ã®ãƒ–ログ

 昨日は、アップができず、他の編集部員に代行してもらいました。
 ので、今日だけ、金曜日にアップさせてもらいます。

 それにしても、昨日の(茂)氏が書いた文を読んでると、私がまるで、ずぼらで嘘つき人間みたいに書かれてありますね。
 まあ、朝から言い訳するつもりも、さらさらありませんが。

 私は、基本的に、もうはっきりいいますが、あまり掃除が好きではありません。
 家でもほとんど掃除はしませんし、会社の机の上も周りに比べると、確かに汚い。
 紙やら缶コーヒーやらボールペンやら何やら。
 イオ編集部員は、私以外、女性が4人、男性が2人います。
 4人の女性のうち、20代の3人は、私の机を見ては、いつも怒りと哀れみを含んだ表情をします。
 ときどき、「掃除したほうがいいですよ」と、指摘することだってある。

 私は別に、掃除をまったくしないわけではなく、しかるべき時期、たとえば仕事がひと段落したときや、体調が優れているとき、あるいはもう汚さが限界に達したときなどは、自ら進んでします。
 何ていうか、タイミングがあるんですね。私なりの。
 それを知らず、顔をみれば「掃除しろ」「掃除しろ」と……、ちくしょう……、ったく、

 どいつも、

 こいつも、

 うるせー、

 やつら☆

 ち~~ん。

 ああ、今日から、みんなのために、みんなが不愉快にならないために、毎日毎日、一生懸命掃除しようと思っています。(蒼)

ピアノ

2009-11-19 13:41:28 | ï¼ˆè’¼ï¼‰ã®ãƒ–ログ
 先日、ピアニストを取材しました。
 実は、これまで色々な習い事をしたのですが、ピアノだけは習ったことがないのです。
 12月号の編集後記にも書いたのですが、私は、ピアノを習いたかったのです。
 初めてそう思ったのは、大学1年生、19歳の頃でした。
 ピアノを弾く友達がやたらかっこよく見えて、それでです。
 ですが大学1年生からピアノを習うとなると、腰がなかなか重くて、重くて、重くて。
 それで結局、それから約10年間、願望に留まっているわけです。

 久々に会った知人が、「やりたい事が見つからない」と言っていました。
 もうこの言葉は、彼以外の知人友人から何回も何十回も聞いた言葉です。
 この言葉を聞くたびに思います。
 「僕はピアノを習いたいんだけど、それくらいのことではなくて、もっと大きなやりたい事を探したいのかな、コイツは」と。
 その知人に、「オレはピアノがいま一番やりたいことかな」と話すと、案の定、こんな答えが返ってきました。
 「オレが言っているのはそういうことじなくて、もっと、何ていうか、人生というか、全部をそこに集中できるというか、とにかく、そういう事を見つけたいんだ」
 率直な感想を言うと、その知人の答えは、わからなくもないのですが、わかりたくもない。
 「だからいくつになってもそういうことしか言えないんだよ」と言うか言わないか迷った末、当然、言いませんでした。

 話しは戻りますが、取材したピアニストにこう言いました。
 「ピアノを習いたいんだけど、この歳になると、なかなか、腰が上がらなくてね…」
 するとそのピアニストは、「今からでも遅くないですよ」と、笑顔で答えてくれました。
 「そうなんだけど、やっぱりもう遅いよ。今からやってもそこまで上手くなれないし、限界があるよ。それに、どうせやるなら、人生というか、全部をそこに集中したいん……」
 ここまで言いかけたとき、知人の顔が浮かんで、知人に対して申し訳ない気持ちになった自分が情けなくなって、暗い気持ちになって、何も言えなくなって、それでも沈黙したままの私を前にまだ笑顔でいる19歳がやたら大きく見えて、ピアノを習いたいと初めて思った19歳のときから10年経ってもいまだに願望に留まっている自分がちっぽけに思えて、知人よりもちっぽけに思えて、不意に、目の前のピアニストが壁に見えたのでした。(蒼)

ないものねだり

2009-11-12 09:32:05 | ï¼ˆè’¼ï¼‰ã®ãƒ–ログ
 寒いのは嫌いだけど、冬は季節の中で一番好きだ。

 今年は忘年会がいくつあるんだろうか。

 毎年、その数は増えていっている気がする。

 理由は、所属するグループが多くなったこと。

 しんどいけど、幸せなことかもしれない。

 誘われるうちが華である、とよく言われるけど、なるほど。

 ないものねだり。



 
 風邪気味です。

 巷ではインフルエンザも流行ってる。

 もし、会社の人全員がインフルエンザにかかったとして、僕だけが唯一かかっていないとしたら、誰かにうつしてもらおっと思っている。

 ないものねだり。

 ……ち~ん。


 
 ……風邪気味なんで、すいません。(蒼)
 

寒い日は感傷的になります・・・ 嗚呼、青春の日々(作詞作曲・北川悠仁)

2009-11-05 09:36:45 | ï¼ˆè’¼ï¼‰ã®ãƒ–ログ
 年下の知人に「始めて買ったCDは何ですか?」と質問されたので、「ゆずの『嗚呼、青春の日々』だよ」と答えた。
 「それ、遅くないですか? 先輩の年っていったら、米米クラブの『君がいるだけで』とかじゃないんですか?」と言われたから、「いや、違うよ。違う違う。ゆずの『嗚呼、青春の日々』だよ」と、もう一度嘘をついた。
 「本当ですか?」としつこく聞いてきたので、「本当だよ、本当。そんなことで、嘘なんかつかないよ」と、顔を真剣にしながら嘘を嘘で固めた。


 初恋のあの人が


 一番最初に買ったCDは、後輩の言うとおり、米米クラブの「君がいるだけで」だった。近所の中古CD屋で100円で買った。中学1年生くらいだった気がする。もう10年以上前のことだ。
 ゆずの「嗚呼、青春の日々」は買ってないし、持ってないし、借りてもない。
 誰かがカラオケで歌っているのを聞いただけ。誰かがカラオケで歌っているのを聞いただけで覚えられる簡単なメロディーと、詩。
 高校生のときに聴いた歌だ。何かと傷つきやすい高校生のときに、聴いた歌だ。

  
 もうすぐ母親になるんだって


 CDを買ったときは、いつも必ず、まず、歌詞を見た。これは本当のことだ。とくに曲数の多いアルバムなんかは、何から聴いていいかわからないので、まずは歌詞を読んで、気に入った順から聴いていた。ただ、僕が気に入る詩は、どちらかと言うと、バラード調の曲が多い。まあ、あんまりうるさい歌は好きじゃないので、ちょうどいいといえばちょうどいい。
 好きな歌は、何度も何度も聴き続ける。これも本当のことだ。寮生活を送った大学生のとき、同じ部屋の友達に「リピーター」とあだ名をつけられたが、それくらい、リピートをし続ける。もちろんその悪癖は今も変わらずあって、一人で運転しているときなんかは、ずっと、同じ歌ばかり聴いている。
 好きな歌はたくさんある。そして、「嗚呼、青春の日々」も、好きな歌のひとつなのだ。


 小さな町(同胞社会)の噂話で耳にしたよ


 なんであのとき嘘をついたんだろう、と思った。どうして、最初に買ったのは米米クラブの「君がいるだけで」だよ、と言わず、「嗚呼、青春に日々」と言ったんだろう、と思った。
 嘘をつかないのは無理だけど、嘘はなるべく少ないほうがいい、とある時をさかいにそう自分に言い聞かせるようになった僕ではあるが、咄嗟の嘘はついてしまう。
 咄嗟の嘘は、そのタチの悪さに自分が嫌になってくる。咄嗟の嘘ほど、情けないものはない。そう、情けないのだ、咄嗟の嘘は。


 嗚呼 嗚呼


 いつからか、新曲というものに敏感ではなくなった。シングルもアルバムも、もう5年くらい自分のお金で買っていない。レンタルもしなくなった。
 遺伝的に、歌を歌うのが苦手で、だからカラオケは嫌いだ。しょうがなく、飲み会の二次会、三次会でカラオケに行くことはあるにしても、新曲がわからず、歌うのは中学生や高校生のときに聴いていた、今はもう昔の古い歌。
 それでも、歌が上手くなりたい、との願望はあった。高校生のときのことだけど。「嗚呼、青春の日々」がオリコンシングルチャートで1位を獲得した時期だけど。
 その頃、よくカラオケに行った。行く前は必ず、家の風呂で練習した。弟に「うるさい」と言われたことはしょっちゅうあったっけ。


 青春の日々よ


 それにしても、良くも悪くも、本当に、狭いな~、同胞社会は。


 嗚呼 嗚呼

 
 ああ、聞かないように、避けるように、やりくりしてたのに。


 青春の~~~~

 
 自然と耳に入ってくるんだからなあ。


 日々よ~~~~


 寒い日は、いつもより感傷的になります……。(蒼)

アップ完了!

2009-10-29 10:09:16 | ï¼ˆè’¼ï¼‰ã®ãƒ–ログ
 ただいま9時18分。
 本来なら、もうアップしなくてはならない時間ですが、ネタがまったく思いつかない。いや、思いつくことは思いつくのだけれど、長くなりそうな気がして、読まれなさそうな気もして、短文を作ろう、短文を作ろう、と思えば思うほど、書けなくなります。

 9時19分。
 5分前に、閃きを求めて煙草を吸いに行きました。わが社は当然、禁煙ですので、喫煙所はベランダというか踊り場というか、そういう場所にあって、風が冷たくなってくるこの時期になると、寒くて、寒くて、震えながら煙草を吸います。何も閃かなかったので、まずい、まずい、と思ったのですが、とにかく、今のこの状況を書こうと決意して帰ってきたのです。

 9時23分。
 かつて、「神、大福もたらさず」というタイトルのブログを書いたときも、似たような感じで書き始めたことを思いだしました。

 9時25分。
 大学生の頃、短文ほど難しい文章はない、と教わりましたが、先生、今ならそれが理解できます。ブログもそうですし、記事なんかはとくに。たとえば2000字の原稿を書くとき、書き終わったあとに字数を計算してみると、2500字くらいあります。やばい、と思って、不必要と思われる箇所を削っていくのですが、自分の文章というのは、なかなかどうして削れない。ぴったし書いた、というときがほとんどない。構成力というのが足りないのかもしれません。

 9月29分。
 いま、ジョージアの「MAX COFFEE」を飲んでいます。ホットです。黄色い缶です。僕は、前にもブログで書いたのですが、コーヒーがあまり好きではありません。ですが毎日2、3杯は使命的に飲んでいます。ただでさえ好きではないコーヒー。ブラックはとくに苦くて、苦くて、飲んでいるだけで悲しくなってきます。だから飲むときは、砂糖とミルクを入れます。

 9時33分。
 ですが、1日に3つの取材があるときは、そのつどコーヒーをすすめられ、そのたびに砂糖、ミルクを入れていると、糖尿病になりそうな気がして、2杯目以降はブラックで飲むようにしています。

 9時35分。
 ……。  

 9時36分。
 いま、携帯電話に、一通のメールが届きました。取材のアポがとれた、という内容でした。ほっとしました。アポがとれない、というのが、一番辛い。締め切り間近になっても取材対象が決まらないときなんかは、本当に眠れなくなります。

 9時41分。
 ほとんど毎日、朝食は食べません。

 9時42分。
 いま一番食べたいのは、お好み焼きです。僕は東京23区外生まれ、東京23区外育ちですが、もんじゃ焼きは好きではありません。邪道、とまでは思いませんが、もんじゃ焼きの意味がよくわかりません。あれがなぜ、お好み焼き屋にあるのか、理解に困ります。

 9時44分。
 そろそろ今年も終わります。

 9時45分。
 イオも2009年度が終わります。2010年度の企画について、編集部一同、頭をひねらせているところです。来年は「韓日併合100周年」になる年です。他方で、6月にはワールドカップがあります。100年という節目ということもありますし、この100年を振り返りつつ、今後を考えていくという意味でも、重要な1年だと思っています。後者に関しては、44年ぶりということもそうですが、やっぱり本家イオや日刊イオの読者さんたちと、みんなで応援したいですね。イオを見れば朝鮮をより情熱的に応援できるようになる、みたいな企画があれば、みんな同じ空間にいなくても、思いを共有できるかもしれませんね。そう願いつつ……。

 9時55分。
 ……。(蒼)


 

   

ボウリングは嫌いなんです

2009-10-22 09:59:40 | ï¼ˆè’¼ï¼‰ã®ãƒ–ログ
 ボウリングはあまり好きじゃない。

 ボールを投げ終わってから席につくまでの、リアクションに困るから。

 ストライクやスペアをとるたびに、拍手を浴びる。

 ガッツポーズをすればいいのか、するなら両手を挙げるのか、片手を挙げるのか、むしろしないほうがいいのか、どっちなのか。

 とにかく、ボウリングは、その「間」がたまらなく嫌なのだ。


 先日、久々にボウリングをやった。

 地元の知人の男女10人ほどで(班モイム)。


 グー・パーでチームを二つにわけて、登録名をあだ名にして、「えー、でも、上手そうだよねー」とか言われ、「いや、オレ、メッチャ下手だし」と答えて、「そういう人は絶対に上手いんだよ」と返され、「ってか、本当に下手だよ」と半ギレして、とにかくそんな雰囲気のなか、ゲームが始まったのです。


 ストライクをとったとき、振り向くと、みんなは最高の笑顔で、拍手をしていて、そんなみんなと、ハイタッチ。

 パチン――。

 そして、思った。

 

 なんだ、この平和な空気は、と。

 これが社会人というものなのか、と

 

 スコアは、2ゲームとも100未満。

 すごい、とも思われない、笑いもとれない、まるで両端に2ピンずつ残った、そんなビミョウな数字。 

 「な、言ったろ? オレ、下手だって」

 言い訳が、何よりも先に口をつく。


 ああ、やっぱり、ボウリングは好きになれないなー。(蒼)

しんどいだけだよ

2009-10-15 09:18:36 | ï¼ˆè’¼ï¼‰ã®ãƒ–ログ

 プロボクサーとして活躍する李冽理さんが、取材中にそう答えました。

 減量に禁欲にプレッシャー、夜もちゃんと寝れず、とにかくしんどい、と。

 それなのにどうして続けているのでしょうか。 また、続けられるのでしょうか。

 来週に発刊するイオ11月号は、現在世界ランカーの李さんが掲載されています(ので是非・・・)。


 ちなみに、彼は筋金入りのブロガーです(http://ameblo.jp/letslee/)。(蒼)

ルポ・台風に遭って

2009-10-08 09:42:08 | ï¼ˆè’¼ï¼‰ã®ãƒ–ログ
ご存知の通り、今日は台風です。

朝、テレビを見ると、各地の被害情報や交通情報を伝えていました。
幸い、私の通勤には朝七時の時点では台風の影響はありませんでしたが、風がどんどん強くなっていくということなので、ほんの少し、いつもより早く家をでました。

地元の駅に到着し、黄色い電車の運行状況を確認したら、運休はもちろん、見合せ、遅延はないとのことでした。ほとんど毎朝遅延するこの黄色い電車は、しかし最大規模の台風と言われる今日みたいな日は通常通り運行してました。

問題は、山手線でした。台風の影響で、この文を書いてるいま現在、内回りも外回りも動いていません。

このとき真っ先に思ったことは、ブログの更新が遅れてしまう、でした。
実は、毎日午前9時にアップ、を原則としていて、もちろん本家イオの締め切り間近なんかはバタバタしており、ちゃんと9時にアップできていませんが、一応はそういう約束事が編集部のなかにあるのです。

つまり、このまま山手線が止まったままだと、約束を守れないばかりか、アップが大幅に遅れる、と思ったわけです。
そこで、こうして携帯電話でメールを打つようにブログを書いているのです。

なんだか、まるで自分の頑張りっぷりを主張しているみたいですね。
でも、何ていうか、完全な理由がある時ほど、人は頑張っちゃうもんです。たとえば私が学生のとき、仮病を使って休もうとしたら、母にこう言われました。「本当に具合悪いときほど学校に行きたくなるよ」。

ああ、オチもひねりもないつまらない文章になってしまいました。
ですがすでに9時ですので、今から編集部の誰かにこのメールを送り、アップしてもらいます。

まだ山手線は動いていません。今すぐ動きそうにも思えますし、もうしばらく動かないような気もします。違う路線で、という選択も頭をよぎりましたが、やっぱり山手線は動きそうです。いや、動く素振りかも知れませんが、どうでしょう。何とも言えません。それに、当然ながら違う電車も止まっていますし。

……人が増えてきました。
みんな、なんだか嬉しそうにしています。(蒼)

なぜ、泣いてしまうのか? について考えること

2009-10-01 11:27:20 | ï¼ˆè’¼ï¼‰ã®ãƒ–ログ
 最近、涙もろい。
 日常生活で悲しいことがあったわけではないのだが、しょっちゅう涙がでる。
 1日1回は、何かの拍子で涙を流している。 
 もともと涙腺は弱いほうだけど、最近はひどい。
 
 たとえば先日、火曜サスペンスを見ながら、つい、涙がでた。
 たまたまそのとき隣に母がいて、「これはまずい」と思って、大きな声であくびを3回ほどして、「あー、ねみー。あー、マジ眠い」と言って、まぎらわした。
 たぶん、バレてるけど。

 僕のなかで、涙を流す基準っていうのがどんどん低くなっている気がする。
 いや、曖昧になっている気がする。
 つまり感動のツボが、ずれていっている。
 
 感動のツボ?

 そういえば友達に、映画「ニューシネマパラダイス」を観て泣かなかった(泣けなかった)のに、「踊る大捜査線~The Move~」を観て号泣した人がいたけど、そういうことか。
 いや、映画「パッチギ」を観て号泣する朝鮮人がいる一方で、まったく意味がわからないと感想する日本人がいるけど、そういうことか。
 いやいや、韓国の映画「光州5・18」を観て号泣する朝鮮人がいる一方で、まったく意味がわからないと感想する朝鮮人がいるけど、そういうことなのか。
    
 学生の頃、ある友達が、休校中に南の映画「シュリ」を観てすごく感動したらしく、僕に勧めてきた。
 その数日後、ある先生が、休校中に「シュリ」を観て、授業中に批判していた。
 それを聞き、友達はへこんだ。
 感動した自分にへこんでいた。

 もちろんその先生も、感動した友達を批判することはないだろうけど。
 う~ん、何でしょうかね。
 責任がとれれば、面白いとかつまんないとか、自由に感動していいと思いますけけど。

 よし、帰りの新幹線で(現在出張中)、「火曜サスペンスで泣いてしまった」(=感動の)責任をとるか。(蒼)

チューペット

2009-09-24 10:26:06 | ï¼ˆè’¼ï¼‰ã®ãƒ–ログ

 連休のある朝(昼)。
 起きたら午後3時で、パンを食べて、シャワーを浴びて、ぼーっとテレビを見ているうちに、「これじゃダメだ」と思い、着替えて、何の目的もなくとりあえず新宿に向かう。地元の駅までは自転車で、駅からは黄色い電車に乗って40分、6時過ぎに新宿に着く。
 相変わらず人が多い、と思う。いろんな人がいて、いろんな目的を持った人がいる。そしてなかには何の目的もなく、ただ、新宿をにぎわせるためだけにうろうろしている人もいる。それはたとえば僕のように。そう思うと、自分という人間が、なんだか量産的かつ間に合わせの存在のように思えて悲しくなってくる。
 「とりあえず何かしなくては」
 との衝動に駆られ思い立ったのは、新宿から家まで歩いて帰ること。道はおおむねわかる。時間は腐るほどある。家に帰ってもやることはない。
  よし、歩くか。

 新宿を出発したのは7時過ぎ。道は、青梅街道だか新青梅街道だか、とにかく片道2車線の道をずっと真っ直ぐ。この日履いていたのは、夏も終わったというのにビーチサンダル。だからしばらく歩くと当然、親指と人差し指のあいだが痛み出す。それでも我慢し歩き続ける。
 何キロあるんだろうか、と思う。どれくらいかかるんだろう。いつでも心が折れてもいいように、黄色い電車に乗れるように、どこらへんの駅付近を歩いているかを随時チェックする。
 中野を過ぎ、荻窪を歩く。飲食店がやたら目立つ。それに比例して人も多い。この日も休みで次の日も休み。みんなすごく楽しそうだ。不意に、秋の肌寒い風が吹く。ロングTシャツ一枚しか着ていなかったから、いささか寒い。鳥肌が立ったと知る。そしてふと思う。また何で歩いてるんだ、オレは、と。
 なんだか淋しくなる。誰かと話したくなる。誰と話すか考える。携帯電話の電話帳を開く。そしてある知人に電話する。
 でない。違う友人に電話する。
  でない。さらに違う友人に電話すると、3度目の正直。ほっとしながらも、他愛もない話を始める。互いの近況報告に始まり、共通の知り合いの消息について。
 そして気付けば1時間30分。充電が切れて、会話は終了する。充電が切れる直前に時間を見ると1時43分。場所は田無、らへん。 

 いよいよ足が限界に達する。指が、ふくらはぎが、太腿が痛い。足が棒になった感覚は残念ながらないけど、力は入らず脱力状態で、ちょうど氷る直前のチューペットのような感じ。やがて腰も痛くなる、そして背中も。
 この時間帯は当然、電車がない。実はずっと、黄色い電車に乗り継ぐタイミングを探していた自分がいて、電話しているときに駅の前まで行ったのにもかかわらず、歩いて帰ろうと決心を固めたあの瞬間を今さらながら後悔する。

 いくつか知っている風景が目に飛び込んでくる。「やっと」的安堵と、「まだ」的失望が同居しては口からはため息ばかりが
出る。とにかく足がやばい。疲労骨折という言葉が頭をよぎったが、バランスを崩してくじけばその瞬間にポキッっと折れそうな感じ。氷る直前のチューペットは、ねじればポキっと折れるのだ。
 ここは確か、と思ったのは、右側の巨大な工場でかつて、アルバイトをしたことがあるから。ヤ○○キパンを作るバイト。仕事が始まって終わるまでの9時間、ずっと同じことばかりやらされた遠い過去を思い出す。バイトが終わり帰路につくとき、2度とやるまいと決心したっけ。
 大学のとき、部活で使うシューズが欲しくて、1日だけここでアルバイトしたことを思い出す。親にねだればよかったのだが、飽きっぽい性格だと自分で知っていたから、自分で働いて買ったという既成事実が欲しかったわけで、もうあれから10年も過ぎたんだと思うと、なんだか切なくなる。
 そんなことを回想しているうちに、左手側には小平霊園。幽霊やお化けといった、およそ迷信と呼ばれるものは何一つ信じないのだが、深夜に一人で霊園の隣を歩いて恐くないと言える人は信用できない。つまり恐い。霊園と僕の歩く歩道のあいだは鉄の柵。鉄と鉄のあいだは狭く、もちろん人が入れるスペースではないのだが、手だったら十分に入るスペース。だから厄介なのだ。


 ……と、もうアップしなければならない時間になったのと、おいしいオチが見つかりそうにないので、途中ですがここで……(泣)。  
 それにしてもしんどかった。この文章も、歩いたことも。家に着いたのは午前4時。新宿界隈で2回ほど道を間違えたのですが、結局、9時間ほど歩いたことに。家でおとなしくDVDでも見れば良かった、と思いました。
 今さっき、近所に住む会社の先輩はかつて、東京駅から12時間かけて家まで歩いたと聞き、上には上がいるんだなと思いました。
 ちなみにこの話、すべて実話です。(蒼)   


 最初の記憶

2009-09-17 09:53:43 | ï¼ˆè’¼ï¼‰ã®ãƒ–ログ

 ある朝気持ちよく目覚めたとき
 鼻をつく匂いのある場所はどこかと考え
 それは陽の光でアタタかくなった雨戸からだと気付いたとき
 不意に遠い昔が思い出されたのです

 楽しみにしていた入園式を控えた朝
 高熱にうなされそれが「川崎病」だと知ったのは病室で
 紺の制服と黄色い帽子が白いガウンに代わったその日
 「泣いている自分」を初めて見ました

 泣きながら「幼稚園に行く」と叫ぶ僕に対して
 怪訝な顔をしながら「ダメ」と言い張った母が
 さながら壁のように思えたものだから
 持っていたスプーンを力いっぱいに投げつけたのです

 痛がるわけでも怒るわけでもなく
 怒るわけでも痛がるわけでもなく
 ハンカチを持って病室を出ていった母の残り香はどこか
 秋の朝の雨戸の匂いに似ていました
 
 
 ……はぁ、早く仲直りしなきゃ。(蒼)