日刊イオ

月刊イオがおくる日刊編集後記

買い物上手になりたい

2012-01-31 10:44:02 | ï¼ˆéº—)のブログ
東京に来ていた先輩と日曜日に都内某所にて買い物をしました。
「雑貨を買いたい」というリクエストに応え、いろいろ連れまわした(された?)結果、私も流れでいろいろ買ってしまいました。

まずひとつは「赤塚不二夫カレンダー」。
赤塚不二夫が生み出したキャラたちが月ごとに登場するカレンダーです。すごく可愛いです♪

そしてもうひとつは「タンブラー」。
“タンブラーってなんぞや”と思っていた人間ですが、
最近めっきり寒いため保温が出来るからこれでも買って温まろう…ということで、
試しに家で飲んでみましたが何故あの手のものは飲み口が異常に小さいのか…。

テイクアウトが出来るお洒落なコーヒー店も飲み口が小さすぎて、
いざコーヒーを飲もうとしても時間をかけないと飲めません(笑)。
というのも猫舌なのでアツアツの飲み物が口に入るがすごく怖いです…。買ってから文句を言うなという話ですが。

先輩は最近ムーミンにハマっているらしく、地元には売っていないグッズを見つけてかなり喜んでいました。
連れまわしてよかったと思った瞬間です。


他にも買おうとしてたくさんカゴに入れたりしていましたが、
“本当にいまこれを必要としていてすぐにでも使いたいものなのか”と考えると別にそうでもなかったり。
そういう場合、頭の中に自分(A、B、C)が出てきて「いるか・いらないか」の話し合いを始めます。(まさに自分会議!)
会議の結果、元にあった棚に戻しました(笑)。

買い物をするぞ!と意気込んで出かけたものの、結局なにも買わずに帰るということもしばしば…。

嗚呼、買い物上手になりたい…。(麗)

丹念に相手の心と向き合う

2012-01-30 09:07:10 | ï¼ˆé‡Œï¼‰ã®ãƒ–ログ
いつも自分は取材を「する」立場ですが、
ふと、「取材される」立場だったらどうなんだろう、と考えることが最近増えました。
というのも最近行なった取材で、「人の本音を引き出すのはそう簡単ではないな」と感じたからです。

私はこの前、東日本大震災後、ふるさとを離れ今も避難生活を送る夫婦に会って、
これまでの暮らしはどうだったか、そしてこれからのことをどう考えているのか、など、
現在の彼らの心情を取材しました。
普段の取材とは違って、少し緊張しながら話を始めました。
取材をどうするか、という緊張ももちろんありますが、それよりも、
いろいろと「失礼」がないようにしなければ…と、気を張っていたのかもしれません。
初対面の場で、「被災」という重く辛い体験について語ってもらう訳なので、
まずどういった質問からすべきなのか、いや、質問よりも相手がしゃべるままにお話を聞くのが先じゃないか?など、
行きの電車の中からぐるぐると考えていたのです。
ただ、必要な話を聞いて終わり…というような、形式的な時間にはしたくはありませんでした。


取材した夫婦は震災から約1年が経とうとしている現在、生活はだいぶ落ち着いたと話していました。
笑顔が素敵な夫婦で、一瞬、避難生活を強いられているという現実を忘れてしまうほど、気丈に話をしてくれました。



その後、ファミリーレストランで食事をしようと、私を外に連れていってくれました。
そこでの席で雑談を交わす中でふと、妻のMさんがつぶやいた言葉に、はっとさせられました。
「ここ1年、大声で笑ったことないなぁ。なーんか一緒に笑い合う友だちもいないから…」
何時間かを共にする中で、たまたま聞けた言葉だと思います。
ただ、その一言から汲み取れる心情は、本当に根深いものだと感じ、思わずノートを再び取り出してメモをとりました。
同時に、ほんの数時間で今の夫婦の心情を取材しようとしたことを、少しだけ恥ずかしく思いました(もちろん、仕事にはすべて時間的制約が当たり前のようにあるのでしょうがないことなのですが)。
丹念に取材する、というか、「丹念に人の心と向き合う」ことが大切だな、と感じたのでした。

取材したことによって、相手の苦悩をすべて知れる訳ではない、
そして、取材で伝えられることは、断片的なものでしかないということを十分に自覚して、
それでも伝えられるだけのことを、ちゃんと、誠実に、伝えなければと思います。(里)

2012年ソルマジ公演

2012-01-29 09:00:00 | ï¼ˆæ„›ï¼‰ã®ãƒ–ログ
1月23日は旧正月でした。
私たちも旧正月は休みとなり、
私たち日本に住むものにとってはいわゆるアツい休日だったわけですが、
その日、朝鮮ではソルマジ公演(学生少年たちの迎春公演)が行われました。

朝鮮新報のネット版に記事が掲載されています。
平壌で迎春公演 「永遠なるおひさま」を胸に
http://jp.korea-np.co.jp/article.php?action=detail&pid=52841

今年のソルマジ公演は年末に金総書記逝去という最も悲痛な出来事があったので、
行われるのかどうかという疑問も個人的によぎったのですが、
通常通り、在日朝鮮学生少年芸術団も温かく迎え入れてくれ、旧正月に行われました。

しかし、朝鮮新報の記事にもある通り、
その内容はやはりいままでとは違って涙なしでは見れないものでした。
私もネットで見ましたが、
始まりから涙がでそうになり、
在日本朝鮮学生少年芸術団の場面でついに我慢していた涙がぽたっと。。。

演目も多種多様で、
金総書記に名前をつけてもらったという朝鮮の子どもたちも出演していたりと
内容的にも感動的なものでした。
やはり一番は感情のこもった子供たちの公演をみて、ですが。

2012年ソルマジ公演は
ネットでは「統一放送」SPTVという南のHPでみることができます。
(SPTVでは平壌放送をみることができます)
http://sptv.co.kr/bbs/board.php?bo_table=01_02&wr_id=8226&sca

子どもたちの純粋な涙に、涙せずにはいられない今年の公演です。(愛)

普天間移設、誰の問題?

2012-01-28 09:00:00 | (淑)のブログ
 「『オキナワ』と聞いて、何を思い浮かべますか?」
 大学2年だか3年のときに、講義の冒頭で先生が話した言葉です。

 昨日の27日、日米の防衛省は米軍普天間飛行場を名護市辺野古沿岸部に移設する日米合意の実現に努力することで一致しました。
 普天間飛行場の名護市辺野古への移転が日米間で合意されたのは1996年。沖縄県では、名護市の住民投票で移設に反対する住民が大多数を占めたり、座り込みやデモなど反対運動を続けてきました。その間にも大学に軍用ヘリが墜落する事故が起こったり、米軍による犯罪が繰り返され、沖縄の人々は苦しめられてきました。にも関わらず、政府は一体どこを見て政を行っているのでしょう。

 昨年、移設先の環境に関する評価書提出を女性への性暴力に例えた沖縄前防衛局長の暴言は、重大な性差別、人権侵害として問題視されました。また、前防衛相は、1995年米兵少女暴行事件に関して「詳しく知らない」と国会の場で公然と話しました。田中防衛相は、沖縄戦の激戦地であった伊江島を「いおうじま」と間違えたり、普天間飛行場に隣接する学校の現状に対しても軽はずみな発言をするなど、防衛相としての資質が問われています。沖縄の歴史と現状に対して無知な人材ばかり責任職に登用する政府からは、沖縄の問題に誠実に対処する姿勢すらうかがえません。こんなあり様では、日常的な危険と隣り合わせにある沖縄県民の不安と苛立ちは募るばかりだと思います。

 沖縄が抱える問題は、「沖縄県の問題」ではなく「日本の問題」であり、自決権に関わる問題です。
 1879年日本帝国が武力を背景に琉球王国を併合し、太平洋戦争では日本で唯一地上戦の戦場となり「捨て石」とされた過去の歴史、戦後67年経った今も米軍機が頻々と頭上を飛び交う今の現状。「占領」はまだ終わっていません。米軍基地は、辺野古に移設するのではなく、かといって日本本土に移設するのではなく、米国に引き取ってもらうべきです。

 フランスの作家ミラン・クンデラは、「権力に対する人間の闘いとは、忘却に対する記憶の闘いにほかならない」と言いました。

 「『オキナワ』と聞いて、何を思い浮かべますか?」
 戦後、日本政府がリゾート観光地としての沖縄のイメージを国民にすり込み、過去の歴史をないがしろにしたゆえつくられてしまった、歴史を軽んじる日本の社会そのものが、問題の解決を阻む大きな要因だと思います。(淑)

東北地方を回りながら

2012-01-27 09:16:09 | (相)のブログ
 今週月曜日(23日)から東北地方を訪れています。
 昨年の東日本大震災から来る3月で丸1年。イオでは、震災から1年が過ぎた被災地の同胞社会の今を探るための企画を準備しています。その企画の担当が私に決まり、宮城、岩手、福島の被災各県を回る旅に出ているわけです。
 昨日まで3泊4日で宮城を訪れました。現地の同胞たちは今何を考え、どのように暮らしているのか、震災被害からの復旧はどれだけ進んでいるのか。仙台、石巻、女川などを回り、さまざまな人びとと会って話を聞きました。
 自分の頭の中で取材した内容をまとめきれていないので、詳細は次回のブログ、そしてイオ3月号で書きたいと思います。

 上の写真は女川町立病院から見た女川町の様子です。津波で町が丸ごと流された女川。今では瓦礫は撤去され、かつて町だった場所はいくつかの建物を除いて一面の更地と化していました。
 女川や石巻、気仙沼など津波の被害を受けた沿岸部の同胞たちの中にはいまだ仮設住宅で暮らす人たちもいます。震災で肉親をなくした人、廃業した人、家をなくした人、お店を再建した人、他県で新たな暮らしを始めた人、結婚した人、子どもが生まれた人など。当然ですが、さまざまな境遇の人々がいて、同胞社会の中でも「被災者」とひとくくりにできるほど単純ではありません。自分が勝手に想像していた被災地同胞社会の姿というものが「裏切られる」場面にも何度か出会いました。
 以前、あるライターの方が話していました。「自らが書こうとした内容と矛盾するようにみえる事実に出会った時こそ、ライターの正念場だと思う」と。
 ジャーナリストの故斉藤茂男氏は著書の中で、取材とは「事実を発見することによって一種の自己変革を起こさせる性質のもの」であり「記者は事実によって鍛えられるしかない」のだと指摘しています。

 今日から岩手県に入ります。明後日からは福島に行きます。東北3県取材も残すところ数日ですが、これからも現場に身を置いて、事実によって鍛えられてこようと思います。(相)

図書館の朝鮮語本

2012-01-26 09:00:00 | ï¼ˆç‘›ï¼‰ã®ãƒ–ログ
 先日、東京都立中央図書館の朝鮮語書籍を見てきました。

 数年前に、所蔵本が増えている事実を知ってから新着図書をチェックするのが楽しみになっています。公園のなかに建つ静かな図書館に足を踏み入れると、前回、南北朝鮮がともに出版した本が陳列されているのを見て、静かに興奮した記憶がよみがえりました。図書館は幼い頃からなじみの深いスポットでしたが、日本の図書館に朝鮮語の書籍がこれほどまでに充実してきたことは本当に嬉しいことです。

 辞典ひとつにしても、朝鮮民主主義人民共和国や韓国で出版されたものや、南と北の言葉をひとつに集めたものなど、種類が豊富で見るだけでもワクワクしました。南北朝鮮は、2000年の6・15北南共同宣言の発表以降、人や資料の行き来が始まり、研究や出版の分野でも共同作業が、それはそれは泉のように湧き出てきました。分断によって遮断されていただけに、この動きをどれほど多くの人が望んでいたでしょう。その共同作業が「本」という形で一般市民に還元されているのです。これって本当にすばらしい!

 それにしても、日本が朝鮮に制裁を課した2006年以降の本は一切なく。。。
 朝鮮を訪れたのは9年前のことですが、その時も本屋めぐりを楽しんだものです。中々朝鮮を訪れることができないのなら、せめて本でも読んで、朝鮮における「世の流れ」を知りたいと思っているのですが、なんせ国交がないうえにモノまでもカット…。日本政府の対朝鮮制裁、いちはやくどうにかしてほしいものです。

 仕事柄、日本語と朝鮮語に触れる毎日ですが、時々、朝鮮語の世界にどっぷり漬かりたくて本棚からウリマルの本を取り出します。現在時々開いて読むのは「조선말단어의 유래」。何かお勧めの本があれば読者の皆さん、ご紹介ください!(瑛)
 

実家の焼肉屋のこと

2012-01-25 09:02:12 | ï¼ˆK)のブログ
 このブログで(淑)さん、(麗)さんが焼肉のことを取り上げていて、「イオの3月号の特集は焼肉」というようなことを書いていた。最初にそれを読んだときに、「おいおい、3月号の特集の内容をばらしていいのか」と思ったが、よく考えてみると、イオのホームページ(http://www.io-web.net/)に「次号予告」という欄があり、そこに「アイラブ焼肉~イオが愛を込めて送る同胞の名店(仮)」と明記されているではないか。

 と言うことで、私も焼肉について書きたいと思う。イオ編集部で現在、「実家が焼肉屋」というのは私ひとりなので、焼肉についてはうるさいのだ。
 月刊イオには毎月、同胞のお店を紹介する「おみせnavi」という連載があるが、そこで自分の実家の焼肉屋を紹介するわけにはいかないので、まず、ちょっとだけ実家の焼肉屋について書きたいと思う。

 屋号は「大福」という。まったく焼肉屋らしくない名前だ。場所は京都市右京区にある。創業45年ほどで、地域ではもっともふるい焼肉屋のひとつだ。
 長方形の分厚い鉄板、ガスコンロで焼く本当に昔ながらの焼肉屋で、座敷とカウンターだけの20人も入れば満員になる小さい店だ。実家の店をほめるのもなんだが、焼肉も美味しいけれど、ホルモン鍋が有名だし、個人的には刺身類が抜群に美味しいと思っている。京都の同胞社会のある組織関係の中では、知らない人間はいないという店だ。
 しかし、私の実家の焼肉屋も、昨今の焼肉業界に吹く逆風のために、やはり経営は厳しいようだ。


 実家で生活していた時は、それなりに焼肉を食べていたし、実家から離れて東京で暮らすようになった後、まとまったお金があって「今日は贅沢しよう」と思ったときは、やはり焼肉を食べにいった。行く店も、やはり実家と同じような昔ながらの店が多い。私くらいのツウになると、店の前に立てば、だいたい美味しい店かどうかがわかるのだ。
 今は炭火の店や無煙ロースターの店が増えたが、昔ながらの四角いガスコンロで焼いている店は、結構な確率で美味しい。炭火の店でダクトが天井から垂れ下がっている店があるが、個人的に非常に邪魔でうっとうしくてイヤだ。ある程度、煙が溢れているのも焼肉の美味しさの内ではないだろうか。

 焼肉という食文化が大きく変化を遂げる大きなきっかけとなったのが無煙ロースターの出現だったと思っている。30年ほど前だろうか。業界としては若い女性客など客層を広げ大きな発展を遂げるうえにおいて多大な貢献を果たしたのだろうが、焼肉が同胞たちの手から少しずつ離れていくきっかけともなったのではないだろうか。
 もう一つは「塩」。いま焼肉屋に行ってタンを頼んでも、タン塩しか置いていない。絶対にタレで食べるタンのほうが美味しいのに。今はタン塩だけでなくカルビやハラミ、ホルモン系も塩で食べさせる店が増えた。タンとは違ってタレか塩か選べるのでまだいいが、邪道だと思う。タレで食べてこそ焼肉だろう。


 実家の周りにも、大手チェーンの焼肉店が何軒かできた。ここ10年くらいのことだと思う。それが「客入りの悪さ」の大きな原因の一つであることは間違いない。焼肉は、貧しかった在日同胞一人ひとりが育て上げた貴重な食文化である。それだけに、大資本により小さな個人店が駆逐されるというのは、個人的に許せない。
 というわけで、3月号では、個人の焼肉屋さんにエールを送るものになれればと思っている。

 このブログの読者の皆さんも、一度、私の実家の焼肉屋に足を運んでください。「日刊イオを見た」と言っても、まったく割引はないと思いますが。(k)

I LOVE 焼肉!

2012-01-24 09:30:09 | ï¼ˆéº—)のブログ
東京は久しぶりの積雪でしたね。
あまり雪に馴染みがないので駅まで苦労しました…。
雪国の人にしたら、こんなの雪じゃねー!といった感じですが…^^
しかし、路面凍結であわや転倒、車もスリップなどが多発しているというニュースを今朝見ましたが、都心は何かと大変です…。
通勤途中、近所の役所では職員が総出で雪かきを行っていました。「ありがとうございます!」…心の中でお礼をしながら駅に向かいました。


さて、(淑)さんが書いていたように、3月号は焼肉特集!
私も大好きな食べ物のひとつです。
焼肉は、たこ焼きに並ぶくらい物心ついた時からかなりの回数で食べています(笑)

それくらい私にとって身近で親しみのある食べ物です。
そして、焼肉にまつわるエピソードもたくさんあります。


まず、私が東京に戻る前には必ず焼肉を食べに行くのが定番となっています。
これは両親が東京に戻る前になにか美味しいものを食べて帰りなさい、という意味も込めて。
勿論、オモニの手料理もガッツリ食べますよ。

大阪といえば、焼肉店が数多く密集している鶴橋駅周辺が有名ですね。
なんと、鶴橋駅はホームからすでに焼肉の美味しそうな匂いが充満しているのです。
高校生の頃、その匂いでどれだけお腹の虫が鳴ったか(笑)。
ちなみに私の家族は近所の小さな焼肉店が行きつけです。いまは少ない四角い鉄板、ガスで焼く昔ながらのお店です。


そして大学生の頃は焼肉店でアルバイトもしていました。一度目は国分寺、二度目のバイトは東村山で。
特に東村山で働いていたときの店長、ママさんには本当によくしていただいて、いつも美味しいまかないをご馳走になっていました。
毎週、服と髪に焼肉の匂いを漂わせて帰ったものです。


ちょっと話が逸れますが、私がキムチを初めて食べられるようになったのも、とある焼肉店で出されたキムチを食べてからです。
恥ずかしながら私がキムチを食べられるようになったのは、大学生からなのです。(豚キムチなど加工したものは食べられました。)
それまでは単に食わず嫌いなだけでしたが、そこで出されたキムチを恐る恐る食べたとき「こんなにうまいものだったのか」と感激してしまったのです。それが私の“キムチデビュー”でした…。


とまあ特に大したエピソードはないですが…、何はともあれ、「焼肉はうまい!」 これに尽きます。
(ここだけの話、最近カルビが少しキツくなってきました(笑)。昔はあれだけガッツリ食べていたのに…)

在日同胞にとって切っても切れない関係、愛すべき存在、それが焼肉です♪
I LOVE 焼肉!(麗)

止まらないのか?原発

2012-01-23 09:00:00 | ï¼ˆé‡Œï¼‰ã®ãƒ–ログ
先週の21日は暦でいう「大寒」でした。
ちょうど雨が降っていて、ものすごく底冷えして大変でした。
今週は、冬一番の寒さになるらしいので、風邪ひかないように注意しなくてはですね!
私も引き続き防寒をしっかりとしたいと思います(今シーズン、まだ一回も風邪をひいてません)。

1月も、もう終盤にさしかかりましたが、相変わらず世の中のニュースは良くないものばっかり、って感じです。
消費税増税を推し進めようとするのもそうですが、とくに原発の問題に関して、日本政府はとんでもなく不誠実だな、と改めて感じています。
正月早々、政府は「原発、40年で廃炉」という方針を出しましたが、
そのわずか10日後に、「最長60年」と政策をすり替えました。
やっぱり、「脱原発」政策ではなく、原発温存のためのからくりなのか?
止まらないのか?原発…と、ため息が出ました。


その一方で昨日、「野田首相が福島県の子どもの医療費無料化を断念する」というニュースが。
そして同時に、原発の安全神話を学校の教育によって植え付けてきた「原子力・エネルギー教育支援事業交付金」が、
福島第一原発の事故後の現在も、各自治体に交付されているというニュース。
お金の使われ方が明らかにおかしすぎまやしませんか。
(「原子力に関する教育」は、旧文部省と旧科学技術庁が文部科学省へ統合されたことにより、強められていると言われています。今後、数十年かかる福島第一原発事故の収束のため、原子力研究者の育成は必要ですが、政府が行おうとしている「原発教育」は、脱原子力ではなく原子力推進のためのものであると考えられます。 ※旧科学技術庁は原子力を推進してきました)


とにかく、列島の下には巨大なプレートが複数あります。
東日本大震災で生じたプレートの「ひずみ」が、またいつ巨大地震を起こしてもおかしくない状況です。
お金の問題と天秤にかけられない危険が変わらずあるということを忘れたら、大変なことになると思います。(里)



「20年間の水曜日―日本軍「慰安婦」ハルモニが叫ぶゆるぎない希望」という本

2012-01-22 09:00:00 | ï¼ˆæ„›ï¼‰ã®ãƒ–ログ
今日は本の紹介をしたいと思います。
イオ2月号の書評の欄でも大きく紹介されている「20年間の水曜日―日本軍「慰安婦」ハルモニが叫ぶゆるぎない希望」という本です。
2月号で編集長が詳しく書評をしているので、そちらも合わせて読んでいただければと思います。

この本の著者は<「韓国挺身隊問題対策協議会」(挺対協)の常任代表であり、
日本軍「慰安婦」ハルモニたちとともに毎週水曜日、ソウルの日本大使館前で水曜デモを開催している>方だそうです。

(淑)さんからこの本は日本軍「慰安婦」について、
詳しくそしてわかりやすく経緯もわかる良書ですよということで薦めてもらい、読んでみました。
内容は涙なしでは読めないものでしたが、ジュニア用単行本の日本語版ということもあり、
経緯などもとてもわかりやすく書かれていて、むずかしい文章もさほどなく、すらすら読めました。
日本政府が慰安婦問題は解決済みだという根拠としてだしている
「女性のためのアジア平和国民基金」のことについてもわかりやすく書かれています。
なぜ「国民の募金を集めて見舞い金」とするカタチが賠償になるのか。
なぜハルモニたちが反対したのか。
お金というものが欲しいのではく、ハルモニたちが求めるものはなんなのか。

この本を読んで、より詳しくハルモニたちの状況や心情、そして苦しみをわかることができました。
そしてこの本の素晴らしい所は、日本軍「慰安婦」にされたハルモニたちの写真はもちろん、
ハルモニたち自身が描いた絵も掲載されていることです(オールフルカラーで)。
私は4年間美術科に行き、絵を習ってきましたが、絵画というものは決して嘘をつくことができません。
ハルモニたちの絵画からは胸に静かに迫ってくるその時の状況や苦痛などが伝わってきて、
なんとも言えない気持ちになり、気づけば涙がでていました。

この本は日本軍「慰安婦」問題にとどまらず、広い視野で世界の問題についても書かれています。
著者は自国の歴史についても反省の文を書いています。

そして、日本軍「慰安婦」被害女性たちの水曜デモが単に補償や賠償,
「お金」を求めている問題ではないということも気づかせてくれる良書です。

最後に綴られるハルモニの遺言、
「戦争を止めなければなりません。私たちのような犠牲者が再び出ないように、平和な国を必ずつくらなければなりません。
そのためには博物館が早く建てられて、次の世代が私たちの歴史を見て学んで、私たちのようにだまされたり、私たちのような目にあったりすることがないように、
あんな厳しい歳月をおくることがないようにしてもらいたいと思います」



本当に、気づかされることの多い本です。(愛)


焼肉食べ放題

2012-01-21 08:58:14 | (淑)のブログ


焼き肉バイキングで食べ放題 食べ放題ヨロレイヒ♪
タン・ミノ・タン・ミノ・タン・ミノ・ロースも食べ放題♪
タレ・タレ・タレ・タレ・タレ・タレ・タレ・タレ漬け放題♪
割り箸も割り放題♪

 書き出しからふざけてすみません。こんな歌、昔ありましたね。
 ほんの数日前にイオ2月号が発刊されたばかりですが、編集部は次号の編集作業を進めています。
 3月号は焼肉特集。戦後、在日朝鮮人が生活のために始めた焼肉事業ですが、今や焼肉は同胞のみならず日本人からも広く愛され市場は拡大、その食文化は日本社会に根付いています。ですが昨年、BSE騒動やユッケによる死亡事故、放射能問題などが立て続けに起こり、また大手チェーン店の資本力に押されて、特に個人の経営店は厳しい経営を迫られているのが現状です。特集では、そんな逆境の中でも、同胞や日本の方から愛されている地域の名店を多数紹介します。

 というわけで、特集の焼肉店や、その他諸々の取材のため、木曜日から関西へ出張に来ています。
 今日まで3店舗取材に当たりましたが、やはり焼肉、単にお店の紹介といえども、グルメの枠にとどまらない。
 「自慢の肉やおすすめ料理は?」など、メニューについて聞いても、店主の答えからは在日同胞の歴史が見えてきます。戦後、場の仕事に携わったハルモニ、一家を養うために小さな店舗から焼肉店をはじめたアボジ、トンム(友だち)たちが遊びに来ると決まってテールスープを振舞ってくれたオモニ…。
 私が、(あれ、今なんの質問したんだっけ?)と思ってしまうほど、話し込んでしまった方もいらっしゃいました。
 焼肉が常に在日同胞と苦楽をともにしてきた食文化であり、1世や2世の並々ならぬバイタリティあってこそ異国の地で築けた、稀有な文化財産であることを、当事者たちの声から改めて感じています。

 そしてほとんどのお店で「せっかく遠くから来たんやから、食べていきー!」とおっしゃってくれて、冒頭の歌詞のような、焼肉三昧のなんとも贅沢な食生活を送っています。
 残り5日、関西の同胞たちの焼肉への情熱と同胞愛を胸いっぱい腹いっぱい受けとめて、しっかり脂肪を蓄えて(笑)東京へ戻りたいと思います。焼肉バンザイ!(淑)

平壌での思い出

2012-01-20 09:46:26 | (相)のブログ
 火曜日のブログで(K)さんが書いていた作家・柳美里さんの新著「ピョンヤンの夏休み」。私も手に取って読んでみました。書店でですが。発売直後の同書を書店で見つけ、しばし立ち読み。

 ご存知の通り、本書は著者の柳美里さんが自身の3回にわたる訪朝経験をまとめたものです。実を言うと、2年前まで朝鮮新報の記者をやっていた私はそのうちの2回、平壌で柳さんとお会いしたことがあります。
 本書で描かれているエピソードのうちのいくつかは、私もその場にいて実際に目撃したもの。なので、読みながら当時の思い出の数々もよみがえってきました。
 酒席に招いてくださったこと、一緒に犬料理を食べに行ったこと。宿泊先が同じホテルだった時は朝晩と同じテーブルで食事をとったりもしました。(飲み食いの話ばかりですみません)
 私が朝鮮新報平壌支局のオフィスで、かなりくだけた姿でリラックスしている時に訪ねてこられたのが柳さんとの初めての出会い。当時の印象が強かったのか、その場にいた人びとからいまだにその時の私の姿をネタに冷やかされることがあります。

 日本ではめったに会わないのに、平壌ではしょっちゅう見かける人。数十年ぶりに偶然再会した人、その時の出会いが縁で親密な付き合いが続いている人など。思わぬ出会いだったり、予期せぬアクシデントだったり、こういうものが旅先での経験をより豊かにしてくれるのかな、とも思います。

 「ピョンヤンの夏休み」。近々、(K)さんに借りて、ちゃんと読みたいと思います。(相)

17年ぶりのウリハッキョ⑧3学期がはじまりました

2012-01-19 09:00:00 | ï¼ˆç‘›ï¼‰ã®ãƒ–ログ
 早いもので、1年生も3学期に突入。今、子どもたちは2月初めに行われる学芸会の練習に励んでいます。20日近い冬休みの間は、普段より一緒に過ごす時間が多かったのですが、そのなかで、嬉しかったことがあります。

 それは、脱いだ服を丁寧にたたむ姿!
 これは、担任の先生の躾の賜物です。

 外から帰ってきたら手を洗う、歯を磨く、食べるときには口を閉じる…。生活習慣、というものは中々身につかないし、私なんぞは大人になった今も、実母に未だに指摘を受けていることがあります。わが子に関しても、ダメだ、カッコわるいと思っていても、まぁいっか、で過ごしていることも多々あり…。

 4月からの日々を振り返ってみると、2学期に入って子どもたちの生活は大分落ち着いたように思います。友人関係も安定したのでしょう。

 落ち着くまでには、いくつかの問題を乗り越えなければなりませんでした。その問題とは、わが子が友人を傷つけたり、「いさかいごと」だったりするのですが、何かしらの「サイン」は、学校から毎日届く「連絡帳」や、子どもの表情やちょっとした発言を通じてわかりました。そして、「親としてどう対処するのか」はその都度、試行錯誤だったのです。

 男子ばかりの元気なクラスなので、担任の先生は色々と大変だったと思います。ある時は、電話をよこしてくれたり、働いている私の帰宅時間に合わせて家を訪ねてくれたこともありました。他にも、先生に間に入ってもらい、保護者同士で話しあったこともあります。他のオンマたちと話すことで、気づかされることも多かった。

 学校に上がったといっても、また「七つの子ども」なので、母親に理解を求めたいという意識が働き、事実を自分に有利なように解釈したり、記憶が定かでないこともあります。つまり何が起きたのか、という「事実」を思い描くことも簡単ではない。それゆえにわが子を一方的に叱ったり、詰問することもも多かった、つまり、感情的になることも多く、それが子どもの心象に影を残したんだろうな、と反省しています。

 どんな小さな、また大きなトラブルでも、最終的には友人との関係の中で解決していくしかない。これもあるオンマとの話の中で気づかされたことです。このことは、これからずーっと付いてまわるでしょう。そこで大人は、まだ未熟な子どもに、物事の良し悪しや、人の気持ちを想像し重ね合わせることを教え、最終的には当人同士や、クラスメートの力で関係を築いていけるような力を授けていくしかない、と思うようになりました。
 
 子どもの成長を見ながら、子どもは社会で育てていくんだな、という実感がますますわいています。社会、というのは自分以外のオンマ、アッパ、先生であったり、子どもが毎日通る通学路のおじさん、おばさん、空手の先生であったり…。

 ハッキョから毎日届く連絡帳には、その日の宿題や、一日をどう過ごしたか、ということが記されています。例えば友だちに心ないことを言って傷つけたことをクラス全員で話し合った、ということも書かれています。連絡帳は先生との「通路」のような存在です。

 小さなことも一緒に喜び、ときに悲しみ、励ましあい、グチもいえる。そんな仲間をこれからも少しずつ、増やしていきたいものです。(瑛)

柳美里さんの新刊「ピョンヤンの夏休み」

2012-01-18 09:09:31 | ï¼ˆK)のブログ


 月刊イオに2010年から、作家の柳美里さんによるエッセイ「ポドゥナムの里から」を連載しています。月刊イオの数多い連載のなかでも特に読者から好評をいただいている読み物です。
 その、柳さんが昨年12月に「ピョンヤンの夏休み」(講談社)という、祖国・朝鮮民主主義人民共和国を3度訪問した日々を綴った旅行記を出版されました。月刊イオに掲載した原稿も加筆され掲載されており、私もさっそく読みましたが、素晴らしい内容で、途中でやめることができず一気に読んでしまいました。

 柳美里さんは毎月、「ポドゥナムの里から」で、日常生活で起こったことを書いていますが、読んでいると、作家という職業が精神的にも肉体的にも非常にハードであることがうかがい知れます。一つの単語、一つのセンテンスを書くのにも、常に生みの苦しみがある。体調が思わしくないということも何度か書かれていたりもします。
 しかし本を読むと、祖国訪問中、柳さんの体調はすこぶる良いようです。そして、次のように書いています。
 「こころが祖国に根を生やしている――、からだがこころと離れて、鎌倉に在ることが不自然な気がした。帰宅した安堵感よりも、ここに存在しているわたしは、あそこには存在していないのだという欠落感のほうが大きかった。」

 引用した文章は、柳さんが1回目の訪問を終えたあと、月刊イオの2009年2月号に書いてもらった訪朝記にも出てくる文章で、これをはじめて読んだときに、わたしの心の中でいろんな思いが渦巻きました。
 「北朝鮮」に対する悪宣伝が充満し最悪のイメージがある中で、柳さんはなぜ朝鮮民主主義人民共和国を「祖国」と呼ぶのだろうか? 「こころが祖国に根を生やしている」という柳さんの思いはどこから来るのだろうか?
 そして、日本の週刊誌やイオに書いた柳さんの文章を読んでいるうちに、無性に朝鮮に行きたくなり、わたしも2009年6月に祖国を訪問したのでした。

 今回、「ピョンヤンの夏休み」を読み、柳さんの思いがなんとなくわかったような気がしました。
 「ピョンヤンの夏休み」には、柳さんが朝鮮で出会った人々のことが、極めて自然に普通に優しいまなざしで描かれています。同時に、柳さんの家族やこれまでの人生で深くかかわりのあった人たちも描かれるのですが、祖国の人々が「特別なもの」としてではなく、同じように描かれる。
 3回目、家族とともに訪朝した時に通訳をした金さんと、柳さんの息子の丈陽くんとのやりとりの部分は、特に印象に残りました。
 1度目の訪問の部分で、柳さんは次のように書いています。
 「けれど、一度だけの祖国訪問で、この国と、この国のひとびとに別れを告げるつもりはない。わたしは、この国で働いてもいないし、学んでもいないし、暮らしてもいない。だから、ほんとうの意味では、この国を知ることはできないのだと思う。けれど、知らない、では済まされない。わたしは、この国を、この国のひとびとを、知りたい、と思う。何故なら、わたしにとって、この国は祖国なのだから――。」

 「ピョンヤンの夏休み」を読んで、また祖国に行きたくなりました。近々、必ず訪問したいと思います。皆さんもぜひ手にとって読んでいただきたい。必読の一冊です。



 さて、月刊イオの2月号が完成しました。先週のブログにも書いたように、金正日総書記逝去についての特別号です。朝鮮民主主義人民共和国で行われた追悼行事や在日同胞たちの追悼の模様を伝え、金正日総書記の業績を振り返っています。
 特別企画は「1000回目の水曜デモ」。昨年12月、日本軍「慰安婦」制度の被害者であるハルモニたちと支援者らによる水曜デモが1000回を迎えました。ソウル、東京で行われた1000回目の水曜デモの様子を伝え、日本軍「慰安婦」問題とは何かを解説する内容となっています。
 その他、残念ながら1回戦で負けてしまいましたが、3年連続全国大会出場を果たした大阪朝高ラグビー部の試合について、留学同大祝祭・総合文化公演「私たちの“ウリハッキョ”」の模様を掲載しています。
 金正日総書記逝去に関する内容に多くのページを割いたため、通常の連載を何本か休みました。申し訳ありません。
 月刊イオ2月号をご愛読ください。(k)


子どもたちの作文を絵にかえて…

2012-01-17 09:00:00 | ï¼ˆéº—)のブログ
今年も第34回「コッソンイ」作文コンクールの季節がやってきました。
入社してから同コンクールのイラストを担当しています。昨年は5枚、今年も5枚イラストを描くことになりました。
※イラストは昨年のものです。


毎年、朝鮮新報に掲載されるさまざまな作文、詩が手元に届きます。
少しずつではありますが、児童・生徒たちの作文、詩を読んでイメージを膨らませています。


テーマや表現も多様で、学校生活、家族、友情、自身の夢、そして今年は震災関連の作文などもあります。
私が担当する作品の中にも、震災のことを書いた作文がありました。
まだちゃんと目を通せていませんが、彼・彼女らが感じた「3.11」をどう捉え伝えるか―。

文章を通して、彼・彼女らが一所懸命なにかを伝えようとしていることを汲み取り、
読者がイメージしやすいようイラストを描くのが私の仕事なので、手抜きはできません。


今年はちょっと画風を変えてみようかな…と考えています。(未定ですが…)

全作品を描き終えるのは2月中旬。
一つひとつ、丁寧に描いていきたいと思います。


みなさん、今年の「コッソンイ」是非お楽しみにください!(麗)