日刊イオ

月刊イオがおくる日刊編集後記

デモ行進

2010-03-31 10:54:13 | ï¼ˆæ„›ï¼‰ã®ãƒ–ログ
先週土曜に日本の方が主催した、高校無償化から朝鮮学校除外反対のデモに参加してきました。
当事者である朝高生たち、賛同者の日本の方たち、そして同胞たちなどが集まり、
渋谷区役所から渋谷公園通りまで、約700人のデモ行進が、渋谷のど真ん中を練り歩き、
「差別なき無償化を!」とシュプレヒコールを叫びました。

若者の街である渋谷でこれ程の規模のデモ行進が行われたのは近年稀だと思います。
道行く人たちも携帯片手に写真を撮ったりしていました。
それなのに、日本のメディアには大々的に報じられてません。
その前日に歌舞伎町で「キャバクラ労働組合」100人がデモ行進をしたというニュースをみたばっかりだったので、
その何倍の約700人単位のデモ行進はなぜ?という素直な違和感を感じました。
(※このデモの詳しい記事はイオ5月号に掲載予定です)

明日から4月です。4月から高校無償化は実施されるのに朝鮮高校は省かれたままです。
この問題は明らかにおかしいことであり、その証拠に力になってくれる日本の方も大勢います。
デモ行進でもその事が証明された気がします。
この問題は風化させないように声をあげなければいつまでも解決しません。
渋谷の中心で差別なき高校無償化を叫んだように、叫び続けなければ、子どもたちの明るい未来のためにも。(愛)

紀州鉱山に強制連行された朝鮮人

2010-03-30 09:15:02 | ï¼ˆé‡Œï¼‰ã®ãƒ–ログ
土日にかけて、三重県熊野市紀和町というところに行ってきました。
名古屋から車で4時間半(帰りは渋滞に巻き込まれ6時間!)という長丁場を越えて、
たどり着きました。

ここにはかつて、日本で有数の金・銀・銅の産地である、
紀州鉱山があって、1300人以上もの朝鮮人が強制連行されてきたという事実があります。
しかし、多くの地域でも同じですが、ここでもそんな強制連行の事実は隠ぺいされてきました。

現地に実際に行ってみると、よりそのことを感じました。

紀州鉱山の選鉱場のそばにある資料館に足を運ぶと、
同じ外国人労働者であるにも関わらず、
マレー半島から連れてこられた英国人捕虜のことしか史実として残っていないんです。
朝鮮人のことに対しては一言も言及がないのに、英国人墓地は地元の町民たちの手によって作られたとのこと。
また、1930年台から鉱山を経営してきた石原産業に対する強制連行の責任追及の雰囲気はなく、
むしろ町おこしの英雄として讃えられていました。

こんな現実に声をあげたのが、「紀州鉱山の真実を明らかにする会」です。
地道に集めたカンパ(広く知ってもらうことを目的としたので、大口のカンパは断ったそうです)をもとに、
日曜、ようやく朝鮮人犠牲者たちの追悼碑が完成しました(写真は碑の除幕式のもの)。

場所は資料館の斜め手前、選鉱場も見える場所。
これから多くの人たちに知ってもらえることになると思います。

追悼碑の前には、亡くなったことが判明した35人の名前が書かれた石が並べられました。
でも故郷がわからない人がほとんどで、苗字がわからない、
さらには名前の一文字しかわからない人もいました。
植民地下の創氏改名によって、朝鮮人であった事実さえかき消されたことを浮き彫りにするかのようでした。
故郷を離れ、無念に亡くなっていった方たちの生きざまを記憶することが、
少なくとも私たちにできることと思います。


でもその日の朝日新聞の朝刊におどり出た、
「中国や朝鮮半島の植民地化、歴史の必然」という枝野行政刷新相の発言。
また、現実とのギャップに引き戻されたような気になりました。(里)


祖国と母国とフットボール

2010-03-29 11:46:03 | ï¼ˆç‘›ï¼‰ã®ãƒ–ログ
本誌で韓国サッカーのコラムを担当している慎武宏さんが「祖国と母国とフットボール」という本を送ってくれました。ページを繰ると本書の登場人物19人のプロフィールが載っていますが、朝鮮解放後、異郷に追いやられた悲しみや、数々の差別から来る貧しさの中でも、축구(チュック:蹴球)に在日朝鮮人が沸き、集い、この地で生きる望みをかけた歴史を振り返ることができます。

「朝鮮学校」「在日朝鮮蹴球団」というフィールドで数多くの名選手が育ち、朝鮮の国家代表をも輩出した歴史はコリアン社会ではよく知られていますが、今や12人の朝高出身選手が日本のJリーグで活躍する時代になりました。しかし、ここまでの道のりは、国籍や出自から日本のサッカー界から締め出され、その悔しさをバネに道なき道を切り開いてきた歴史でもありました。

本書に登場するどの在日サッカーマンも、歴史の大きな波の中に自分が立っていることを自覚しています。丹念なインタビューを読み進めながら、選手たちが新しいフィールドを前に不安に押し潰されそうになったこと、そして、道なき道を切り開く決心を固める様子が伝わってきます。その姿は本当にかっこよく、潔い。

南アフリカワールドカップでの活躍が期待される朝鮮代表の鄭大世や安英学、朝高初のJリーガー・申在範も登場します。申さんは同じ東京朝鮮高級学校で3年間を過ごした同級生でもあるせいか、彼がJに挑戦した当時にタイムスリップするかのように、その発言に引き込まれました。日本代表になった李忠成さんの苦悩も想像以上のものでした。

今回の高校無償化で朝鮮高校は排除されたものの、朝鮮学校でボールを蹴ったサッカーマンたちは誰もなしえなかった挑戦をしている。そして、慎さんも朝鮮学校出身のサッカーマンのの軌跡を「通史」として初めてまとめたパイオニアです。ぜひ読んで見てください。(瑛)

若干のネタバラし

2010-03-27 09:46:04 | ï¼ˆéº—)のブログ
若干のネタバラし(たいしたことではない)ですが、
来月号の特集では、私がデザインを担当します。



まだ特集を組めるほどの心の準備が出来てなかったので、
担当を任されたときは心臓が縮まってしまいました…。
ちゃんとすべて出来るだろうか…(おどおど)


とまあ、いつか私も特集を組む日が来るのかなと思っていましたが
早くもその日が来るとは!
もう2年目に突入するので、私にとっては重大な仕事でもあります。
ある意味、ここからスタートなのかな?とも思います。

あれこれと足りないアイデアを絞り出して頑張りたいと思います。


話は変わりまして、ついに新報社に新入社員がやってまいりました。
心なしか新報の人たちは若干そわそわしているような?(笑)


来週は会社の花見だそうで
そういえば去年は新入社員は私一人だったので、余興のときは「故郷の春」を独唱しました…。
今年もなにかやってくれることを期待しつつその日を待ちます。(麗)

ビッグ3のふたり

2010-03-26 09:00:00 | ï¼ˆK)のブログ

 以前、このブログで「ビッグ3」という文章を書きました。
 在日朝鮮人演劇界で活躍する3人の「金さん」を紹介したものですが、そのうちのふたり、金哲義氏と金民樹氏は、それぞれMay、タルオルムという劇団を主宰しながら、「航路―ハンロ―」という演劇ユニットを組んでいます。

 「航路―ハンロ―」のブログ=http://blog.goo.ne.jp/sowon615/

 「航路―ハンロ―」は昨年結成され、第1回目の公演としてマダン劇「空泳ぐ魚 海羽ばたく鳥」を上演しました。大阪まで観にいきましたが、すばらしい作品でした。

 その「航路―ハンロ―」による第2回目の公演・マダン劇「雷を走る龍」(いかずちをはしるりゅう)が4月15日、16日の両日、上演されます。関西にお住まいの方はぜひ足を運んでください。
 以下、公演の案内です。詳しくは上記のブログをご覧ください(もうひとりの金さんが主宰するアランサムセの公演予定もかならずこのブログで紹介したいと思っています)。(k)

 

 èˆªè·¯â€•ãƒãƒ³ãƒ­â€•ã€€ç¬¬ï¼’回公演 マダン劇「雷を走る龍」(いかずちをはしるりゅう)作・演出/金哲義

■出演/金哲義 金民樹
 楽士/姜愛淑 洪京枝 田中志保 斉藤友恵 柴崎辰治 倉畑和之 高嶺羽
■あらすじ
 1960年代の大阪。自分の「血」も「故郷」も知らずに育った香子は、結婚を期に「祖国」を知ることとなった。ある日、香子の元に「故郷」から柄根という男が現れる。「祖国」を想う香子と「故郷」を生きた柄根の間には、時代には拭いきれない孤独があった。
■日時
  2010.4.15(木)朝鮮韓国語公演  19:00
 16(金)日本語公演 13:00/17:00
 ※受付開始・開場は開演の1時間前
■会場
 ドーンセンター 1階 パフォーマンススペース
 大阪市中央区大手前1丁目3-49 TEL:06-6910-8500
 京阪・地下鉄谷町線「天満橋」駅1番出口より、東へ徒歩約5分。JR東西線「大阪城北詰」駅2番出口より、西へ徒歩約8分。
■料金
 前売/2300円(シニア割引 ※65歳以上・障害者割引/1500円) 当日/2500円 中高生/1500円(要学生証) 小学生/500円
 ワンドリンク制(チケット料金に含まれます)
 ※6歳未満は無料。シニア割引・障害者割引は、前売券のみ。

 


気楽な父親

2010-03-25 10:23:45 | ï¼ˆK)のブログ
 うちの息子は、自分の父親が世界で一番気楽な人間だと思っているようだ。実際にそういうことを言っていた。酒を飲んで酔っ払っている姿ばかり見ているからだろう。宿題もしなくていいし、好きなテレビを見られるし、何をやっても怒られないし、夜遅くまで起きてもいいし、本当にいいなあ、とも思っている。まあ、一般的に子どもというのはそんなものであろう。


 2年前に月刊イオで、健康問題について連載していただいた同胞のお医者さんは、「自然にいる動物はガンにはならないが、人間に飼われている動物はガンにかかる」と教えてくれた。猿回しのサルは普通のサルより寿命が短いのだそうだ。その原因は、やはりストレスなのだと言っていた。
 ストレスはガンをはじめ様々な病気を引き起こすのだという。ストレスには精神的なものもあるし、昔はなかった化学物質が体内に入ることで起こる物理的なものもあるようだ。「現代社会に住む人間はストレスからは逃げられない」と、そのお医者さんは言うのであった。

 一般的に、新聞や雑誌の記者、編集者というのはストレスを溜めやすい職業のようである。締め切りに追われるし、活字になって広くいきわたるだけに気を使うことが多いし、不特定多数の人と接触しなければならないし…。月刊誌の場合はまだ余裕があるが、新聞や週刊誌を作っている人は本当に大変だと思う。以前、大手新聞社の元記者の方も、定年退職したあと年金をほとんど受け取らずに亡くなるOBが本当に多いのだと語っていた。

 日本は年間の自殺者が10年以上も3万人を超えている。自殺するというのはいろんな意味で労苦があったということであろう。格差が拡大した、閉塞感が充満しているという言葉をよくきく。在日朝鮮人にとっては、なおさらストレスの溜まる社会になってきている。


 同胞のお医者さんは、「ストレスとうまく付き合うしかない」と言っていた。確かにそうだと思う。そういう意味では、息子に「気楽な父親」だと思われているほうが良いのかもしれない。
 長生きして、いろんな人のいろんなストレスをすこしでも少なくするように、がんばらなければと思っている。(k)

情報

2010-03-24 10:55:53 | ï¼ˆæ„›ï¼‰ã®ãƒ–ログ
ここのところ、高校無償化問題で思ったことがひとつあります。
それは「情報」の大切さということ。
欲しい情報が日本のメディアの中にはやはり少ないということです。
(麗)さんもブログで書いていましたが、朝鮮新報を読むと私も勇気づけられます。
やはりそれは欲しい情報であふれているからです。
高校無償化除外反対のためにどういった活動が各地で行われているのか、
どういう視点をもつのが必要なのか、わかるからです。

学生の時、韓国系のお寺に一泊したことがありました。
その朝食の席でお坊さんがテレビを見ながら、
「このチャンネルは我々と反対の立場のチャンネルで、見るとムカムカしてくるが、
こういった人たちの言い分を聞くのもまた勉強だ」と言っていたのを思い出します。
子供の頃はただテレビで流れてくる情報を受け止めるだけでした。
なので私は悪い報道を流すチャンネルを、何も朝から、ムカムカするのに、
見なきゃいいじゃないかと思っていました。
でもいまならあのお坊さんの言っていた意味がわかります。

この歳になってみると、多角的な情報が本当に必要だと思えます。
私自身も「情報」の精度を高めるためにもっと勉強しなくてはと、
いろんな情報の波にもまれながら思う日々です。(愛)

桜とともに…

2010-03-23 09:00:00 | ï¼ˆç‘›ï¼‰ã®ãƒ–ログ
突然の別れでした。病に倒れた上司はサクラ開花のニュースが流れるなか、1ヵ月前に亡くなった伴侶のもとへと旅立っていきました。

20代の頃に南で起きた大統領暗殺事件。その情報を掴めなかったことを悔い、朝鮮半島をめぐる情報を誰よりも早く察知し、その背景、展望を伝えることを決意した話は今もよく覚えています。在日朝鮮人に生まれた者として、同じ境遇に置かれた同胞たちに、そして同胞が暮らすこの社会に何を訴えればいいのか。日本と朝鮮との間に存在するさまざまな問題解決のためにはどのような道筋を立てていけばいいのか―。あなたに添削された原稿、突きつけられた問い、渡された本、つなげてくれた人たちを通じて、書くことの意味を考えつづけてきました。
「お前は感情を持った人間か―」。キツイことも結構言われましたが、その言葉は常に胸に突き刺ささり、自分の能力を見つめさせ、新たな課題を与えてくれました。

誰かの心に灯をともしてきたんだと、あなたが書き残した膨大な記事を思い返しながら、私自身もその一人だったことに気付きます。「彦」のコラムを同僚に配っていた人を出張先の広島で見かけたことがあります。私たちの仕事は、言葉にならない人たちの思いを汲みとることから始まると感じています。記者である前に、人間としての姿勢を問うていましたね。

数年前に「南北(朝鮮)の交流をまとめている」とライフワークへの思いを伝えてくれたことがありました。その本も読んでみたかった。そしてもっともっと一緒に新聞を作り、雑誌を作りつづけたかった。

一緒に働いた同僚に「泣いている場合じゃない」と叱られました。
悲しみに暮れている場合じゃないですね。託された思いを胸に書くことを続けていきます。あなたの分まで。(瑛)

ハルモ二の涙

2010-03-22 11:05:54 | ï¼ˆé‡Œï¼‰ã®ãƒ–ログ
先週の土曜、新大久保にある高麗博物館というところに初めて行ってきました。
連続講座「在日の今を語る」を聞くためにです。
この日は「ハルモニたちは語る」と銘打って、在日1世のハルモニたち(お一人『ハラボジ』もいらっしゃいましたが)が昔の体験を証言してくれました。

少し遅れて参加したのですが、行って本当に良かったというか、
気づかされることがとても多かったような気がします。

講師は3人。
その中の一人のハルモニは14歳の時に日本に来て、結婚して一時朝鮮に戻り、朝鮮戦争が勃発。
家を追われ、とにかく逃げて逃げて畑や山道に泊まったこともあったそうです。
「日本での戦争より、もっと怖かった」と言っていました。
そして、再び日本へ密航したというハルモニ。
そんな話をしているうちに、ハルモニはいつの間にか肩をすぼめて号泣しだしたんです。
密航で日本に渡る際、とても複雑な事情があったみたいです。
私はハルモニが泣き出したことにとても驚いたし、ショックを受けました。
50年以上経っているはずなのに、その記憶の断片を思い出して昨日のことのように泣いてる。
とにかく、「ハルモニ…泣かないで」と悲しくなって、私も泣きました。
日本の人も泣いてました。


今まで私が話を聞いた1世の方たちは、割と淡々と自分の体験を語っていたからでしょうか、
目の前でハルモニが昔のことを思い出して辛そうに泣いているのを見ながら、はっとさせられました。
「生活のために父親が日本に渡り、親子離れ離れに暮らした」、
「空襲で住んでる家が焼かれてしまった」、
「故郷のことをずっと懐かしく思ってた」、
これまでの何回かの取材で、
同じような体験を1世の方たちは皆していることを知りました。
ただ言葉の奥にある、当時の本人の心境だったりとかいうものについて、
想像が足りなかったな、と思ったんです。
私たちが簡単には知りえない苦しみがあったはずです。
それは、想像しようとしないと見えてこないもの。
いきなり「話してください」といっても、1世のハラボジ、ハルモニは躊躇してしまうし、
むしろ「話したくない」という方だっている(講座の講師を務めたハルモニたちも、『言葉にはしつくせないこともある。そこは話したくない』って言ってました)。

ハラボジ、ハルモニたちの歴史を学ぶ立場である私にとって、
いつどこで何があったのかという情報以上に、
実際にハラボジ、ハルモニの表情を見た方が、わかることが多いです。
この日のハルモニの涙は、忘れられないと思います。

もう一人の講師である91歳のハラボジは、
「昔のこと(日本人にされたこと)、許すことはできても忘れることはできない」
とおっしゃってました。
私も、1世のハラボジ、ハルモニが背負ってきたものを、
忘れたくない、もっとちゃんと知りたいと思いました。(里)





ビラ配り

2010-03-21 09:00:00 | ï¼ˆK)のブログ
 先日、何年かぶりかで、ビラ配りをしました。
 高校無償化から朝鮮高校を外さないでほしいと訴えるビラです。朝高生、同胞青年たちのなかに混じって、中年がひとり配ってきました。



 学生時代は、よくビラを配りました。その当時は、日本の人たちに韓国の民主化運動に対する支持を訴えるものが多かったですね。在日朝鮮人の権利問題のものはあまりなかったように記憶します。

 ビラ自体も自分たちでよく作っていました。今のようにパソコンがあるわけでもなく、コピーも高くて使えないので(当時でも1枚10円くらいした)、文章を考えるところから始まり、手書きして原紙に写し小さな印刷機で印刷するところまでやってました。さすがに鉄筆や謄写版の時代はもう終わっていましたが。
 印刷機はインクが慣れるまで何枚も紙がムダになります。そのムダをいかに少なくするか。インクを補充するタイミングなどけっこう技術がいります。何回もやっていると上達しました。ちなみに、映画上映会も何度もやったので16ミリフィルムの映写機の扱いも上手かったし、立て看板の作り方も上手かったです。これらの技術は現在、まったく役に立っていません。


 ビラは学内で配ることが多かったのですが、大きな問題になると、各大学が一緒になって、繁華街で道行く人に配りました。今回の高校無償化のような感じです。

 何度もビラを配っていると、どんな人がよく受け取ってくれて、どんな人が受け取ってくれないのか、だいたいわかってくるんですね。
 よく受け取ってくれたのが、おばちゃんたち。逆に受け取ってくれないのが、管理職風の男性サラリーマン。職責の高そうな人ほどその傾向が強かったですね。当時、その年代の人間は軍隊に行っていた人も多かったはずで、こちらが若かったこともあり、ビラを受け取ってもらえないことにムッとしていました。いちゃいちゃと歩いているカップルも当然のことながら受け取ってくれるはずはなく、それは仕方がないなと思っていましたが、別の意味でムカッとしてました。

 配るときに、ブスッとした顔で配るよりも、当然、「お願いしま~す」など、笑顔で一言声をかけると、受け取ってもらえる可能性が高くなります。身体を動かさず手だけのばしてビラを配ってもダメで、フットワーク良く近づいて渡すのも重要です。
 書いているうちにどんどん昔のことを思い出して、長くなってしまいました。



 何年ぶりかのビラ配りでしたが、学生時代と比べると、ビラを受け取ってもらえる割合がやはり悪かったと思います。20~25人に差し出して1人が受け取ってくれるという感じでしょうか。その原因が地方都市と東京との違いからくるのかどうかはわかりません。おばちゃんが比較的よく受け取ってくれて、サラリーマンが受け取ってくれないというのは昔と変りませんでした。

 一つあらためて気がついたのは、歩きながら携帯電話で話していたりメールをしている人が本当に多いということです。道行く人の4分の1ほどが携帯を操作していて、手がふさがっているためにビラを受け取ってもらえませんでした。携帯電話の弊害を具体的に感じたしだいです。歩きながら携帯で電話をしている姿がちょっとバカっぽく見えたので、これからはやめようと思いました。


 今回、ビラ配りの間に、1000回以上「お願いします」と言いました。
 私の「お願いします」はいま、どこを彷徨っているのでしょうか。(k)

新報社のマンネ

2010-03-20 10:39:35 | ï¼ˆéº—)のブログ
慌ただしかった3月も残りあとわずか。
新報社に入社してもうすぐ1年が経とうとしています。

思えば1年前、スーツを着てたった一人で新報社に初出勤し、
社員の前で挨拶をしたのがなつかしいです。
緊張しすぎてなにを言ったのかは覚えてませんが^^:

そんな1年間なんとかど根性で乗り切った私にも、
来週、ついに新しい後輩が入ってきます!
入社してからは、「新報社のマンネ(末っ子)」と呼ばれ続けました。
そう紹介されてちょっと満更でもない感じで「そうなんですよねー」と思っていました。

それもついに卒業です…。



実際、私は末っ子です。
「オンニ」「ヌナ」と言われるのが実は好きだったりします。
年下のきょうだいがいない私にとっては、後輩というのはやたらと可愛く、大切な存在です。
新人さんに「オンニ」と呼ばれるのが恥ずかしいやら待ち遠しいやら…。(麗) 

                                     

                         

高校無償化―「朝鮮人は煮ても焼いても…」

2010-03-19 09:00:00 | ï¼ˆK)のブログ
 高校無償化法案が衆議院文部科学委員会で採決された3月12日の夜だったと思う。テレビ朝日の報道ステーションを見ていると、このニュースの関連映像が流れた後、キャスターの古館伊知郎が、朝鮮学校を除外するのはおかしい、というようなこと言っていた。そして、「どうでしょうか?」と、横に座っていたゲストコメンテーターに意見を求めると、そのゲスト(名前は忘れた)は、「北朝鮮に対し制裁を加えるのはいいことだけど、それとこれは別で朝鮮学校を除外してはだめだ」というようなことを語った。そのコメントを当然のことのように、古館も何もツッコまない。

 そのコメントを聞いて、驚きはしなかったものの、「は~」とため息が出てきた。「北朝鮮と朝鮮学校は別」「朝鮮学校には朝鮮籍以外にも韓国籍、日本籍の子どもも通っている」というのが、朝鮮学校排除に反対する人たちの、ひとつの典型的な「論理」である。「朝鮮学校を差別すると朝鮮学校の子どもたちが日本に悪い感情をもってしまう」という論理を立てているものもある。


 一部の政治家が、高校無償化を「北朝鮮への圧力」に利用しようとしたり、朝鮮学校で行っている民族教育の内容を骨抜きにしようとする動きは、結局、彼らが「朝鮮人は煮ても焼いても、好きなようにしてもかまわない存在」だと思っているからにほかならない。

 これまで、多くの日本の政治家が、日本の過去の国家犯罪―アジア各国への侵略・大量虐殺や朝鮮の植民地支配―について肯定する発言を行ってきた。なかには問題になり、大臣職などを更迭されるということもあった。若かった頃は、政治家のそういう発言を聞くにつれ、「何か政治的な目的があってわざと言っているだけで、ナチスの犯罪をみなが否定するように彼らも心の中では肯定していないのだろう」と思っていた。しかし、だんだん、彼らが本気で侵略や植民地支配を悪かったと思っていないのだということがわかってきた。
 口では「悪かった」と言っていても、靖国神社に参拝に行くなど、心の底ではそう思っていない政治家も多い。
 政治家と同じように、過去の国家犯罪を別に悪いことではなかったと思っている人たちが(またはそんな歴史について何も知らない人たちが)、一般の日本人の中にもある一定の割合で存在するのである。


 いまの日本の状況を作った根本は、日本が過去の国家犯罪をまったく清算してこなかったことにある。しようと思っていたが時期を逸した、というのではなく、最初からするつもりがなかったというか、支配体制が「戦前」と変わらず(アメリカの子分になったこと以外は)、現在まで引き継がれてきた。

 当然のことながら、日本が明治初期以来せっせと日本人に植え込んできた、アジア、特に朝鮮民族に対する蔑視感情も、植民地支配の中で「われわれが植民地にした劣った民族」として確固としたものとして染み付き、「戦後」もそのまま残され、歳月を経る中でさらに定着していったと言えよう。

 「在特会」の連中らが、朝鮮人らを執拗に攻撃するのは、政治家の暴言と同じで何か政治的な目的がありやっているというよりも、本当に憎しみをもっての行動なのだと思う。「朝鮮人のくせに」という朝鮮人蔑視が根底にある。
 その蔑視感情の上に、彼らが強烈な被害者意識を持っているのだと、私は思っている。「朝鮮人のくせに、生意気に日本に対して文句を言う」「朝鮮人がいるから治安が悪くなる」「朝鮮人がいるから職が奪われる」「朝鮮人のために税金が無駄に使われる」…。さらに「朝鮮人は税金を払っていない」などの誤った知識が入り、被害者意識(=憎しみ、怒り)が増幅される。

 だから、何かことが起これば、チマ・チョゴリを着た女の子たちが暴行や暴言を受けるという事件が繰り返されてきたのだ。

 ただ、10年前と今が違うのは、朝鮮人への攻撃を大手を振ってできる社会になったということだ。拉致問題を境に、日本人の「被害者」として意識が「実証」されたかたちとなった。ブッシュが朝鮮を「悪の枢軸」にし、「北朝鮮はミサイルを撃ち核を開発して世界平和を乱す国」という世論ができあがった。
 一番初めに書いたコメンテーターのように、テレビで堂々と「北朝鮮に対し制裁を加えるのはいいことだ」というようなことを言っても、本人はまったく恥ずかしさを感じない。


 高校無償化は、結局、朝鮮学校を排除し4月からスタートすることになった。当事者の朝高生、保護者をはじめ朝鮮人は、この問題が持ち上がった当初から怒りを感じてきたわけだが、こちらの怒りと日本人の怒り(被害者意識)をぶつけ合っても何も解決しないということがわかっているので、冷静に要請してきたわけだし、どこかの知事を学校に招き笑顔で迎えるということもやってきたのだ。


 過去の清算という根本の部分の解決がどんどん遠ざかっているように思える。
 100年前と同じ道を日本は歩むのであろうか。(k)

人種差別撤廃委員会が日本の人権状況について懸念・勧告

2010-03-18 09:46:29 | ï¼ˆK)のブログ

 連日、このブログでも取り上げている高校無償化問題ですが、朝鮮学校を排除 しようという日本政府に対し、国際的にも非難の声が上がっています。国連人種 差別撤廃委員会が16日に日本の人権状況について最終所見(勧告)を発表しまし た。

 ã€€ãã®å¤§ã¾ã‹ãªå†…容について、昨年、月刊イオで「ま~るい地球の悩み事」を 連載していただいた前田朗さんがブログで報告されています。
 http://www.maeda-akira.net/

 また、最終所見の関連する部分を日本語に翻訳したものが「ニートのあした」 というブログで掲載されています。どちらのブログもぜひ目を通してください。
 http://d.hatena.ne.jp/asita211/20100317/1268849300

 「ニートのあした」で掲載されている最終所見を日本語に翻訳された方の原稿 が、いま絶賛発売中の月刊イオ4月号に掲載されています。

 

 ã€€ã¨ã„うわけで、月刊イオ4月号が昨日できあがりました。表紙は、朝鮮の文字 をクッキーで作ってみました。今年の元旦の日刊イオに掲載した写真、クッキー で作った朝鮮語「이어(イオ)」を覚えているでしょうか。今月の表紙のクッキ ーは同じときに作ったものです。
 特集は「伝説の在日スポーツマン」。先週、(愛)さんが特集の内容について 「きっと老若男女楽しめるものだと思います」と書いていましたが、どちらかと いうとマニアックな内容だと思います。でも、ご愛読を。(k)


オモニたちの緊急集会

2010-03-17 10:01:36 | ï¼ˆæ„›ï¼‰ã®ãƒ–ログ
昨日、水道橋の在日本韓国YMCAアジア青少年センターで開かれた
〈朝鮮学校「無償化」要求!オモニたちの緊急集会〉に参加してきました。
この集会には北海道から九州まで全国各地のオモニたちが集まり、通路にまでイスを置く超満員の入りで催されました。

私はまだ独り身なので、オモニ会の集会に参加したのは初めてでした。
初めは圧倒されまくりでしだが、参加してみると、とても胸に響く内容の集会でした。
その集会はオモニたちの愛で溢れていました。

子どもを日本学校から編入してウリハッキョに通わせているというオモニの討論は
胸に迫るものがあり、知らずに涙がでていました。
子どもの頃から「日本人」として生きていながら、20歳の時に父親が朝鮮人だったと知って自分が「誰」なのか問い続け数年、
偶然めぐりあったウリハッキョの学生たちと出逢い、
子どもの代にしてようやく自分を取り戻すことができたと言う傳崎千登世さん。
三年前のイオ2007年5月号に、家族で誇らしげにチョゴリ姿で並んでいる入学式の写真と共に
「手記 私が探し求めたもの」というエッセイとして掲載された方でした。
その後あった出来事やウリハッキョに入れて本当によかったというエピソードがありました。
朝鮮学校には家族愛が息づいている、
どんどん変わっていく子どもを見ながら朝鮮人が朝鮮人として生きて行くには
朝鮮学校が絶対に必要不可欠だということを心から訴える姿は、
朝鮮学校は決して色眼鏡で見ている人達の思うような学校ではないということ、
他のどんな日本学校にも負けない、とても大切な教育がなされている学校だという事を新たに強く確信できました。
そして、今回の「高校無償化」から朝鮮学校を除外するという問題が、
子どもたちにより良い教育をさせたいという親の愛情と、
より良い環境で学びたいという子どもたちのひたむきで純粋な思いを踏みにじる、
決して許してはいけない問題なのだということを深く感じました。

集会の間にもオモニたちは高校無償化のための活動に奔走していました。
いまの、そして未来の子どもたちのためにも、私も声を張り上げて、
ひとつずつでもできることを、問題が解決するまで、していかなくてはと思います。(愛)

無償化排除で見えてきたこと

2010-03-16 08:42:35 | ï¼ˆç‘›ï¼‰ã®ãƒ–ログ
高校無償化制度は、朝鮮学校を含ませるかどうかについては、結論を出さないまま、法案が採決されました(12日)。鳩山首相は、朝鮮学校については4月の制度開始時には含めず、第三者機関に委ねるとしていますが、ただの時間稼ぎでしょう。大学受験資格問題、寄付金税制の朝鮮学校外しの政策がそのまま踏襲されたまでです。最終的にどんな外国人学校に適用するのかは、文部科学省が作成する省令で決めるとされています。今日16日、東京都内でもオモニたちの集会が開かれますが、あきらめずに声をあげていくしかありません。

現在、日本政府が朝鮮民主主義人民共和国に制裁を科しているなか、両国の関係は敵対していると言っても過言ではありません。今回の朝鮮学校排除は朝鮮への制裁を子どもの教育問題まで持ち込んだものとして、大きな禍根を残すでしょう。

朝鮮学校排除に耳目が集まるなか、テレビや新聞で生徒や保護者の様子が伝えられています。教室に掲げられた肖像画をセンセーショナルに取り上げる媒体もあります。
すべての番組を見たわけではないのですが、在日朝鮮人として生まれた私たちにとって、「日本の公教育では満たせないものがある」という「民族教育のニーズ」がどれほど伝わっているのかは疑問です。なぜなら多くの媒体は在日朝鮮人の多くが日本に暮らすことになった経緯を伝えていないからです。

私たちのルーツである1世が、なぜ日本に暮らすようになり、日本の植民地支配がなければ二つに引き裂かれなかったであろう、祖国をどう見つめてきたのか…。

私たちは、1世の姿や言葉から、日本における在日朝鮮人の歴史を学び、異国で家族を守り、生活を切り開いてきた生きざまを掴み取ってきました。それこそが、民族教育の歩みでもありました。

1世たちが自分の生活を後回しにして、子どもたちのための学校を建てたのは、植民地期に母国の言葉、人間性をも奪われたその「歴史」を二度と繰り返すまい、という教訓であったと思います。そして、この教訓は決して「朝鮮」だけのものではなく、「日本」のものでもあったと思います。だからこそ、日本に朝鮮学校が存在することは、日本にとっても誇れることだと私自身は感じています。卒業生たちは日本社会で本当にたくさんの活躍をしています。そして、いつかは国交を回復するであろう、朝鮮と日本の架け橋になることを願い、働きかけを続けています。

だからこそ、この機会に朝鮮学校の姿を一人でも多くの人たちに見ていただきたい。多くの卒業生たちに民族教育への率直な感想を聞いていただきたいと思います。(瑛)