日刊イオ

月刊イオがおくる日刊編集後記

ブログ「日刊イオ」引っ越しのお知らせ

2019-06-15 09:00:00 | ï¼ˆç‘›ï¼‰ã®ãƒ–ログ
イオ編集部からのブログ移転のお知らせです。

6月17日(月)から、日刊イオのアドレスが、以下に変わります。
https://www.io-web.net/ioblog/


今まではイオのホームページとブログ「日刊イオ」が別のサイトに載っていましたが、今後はブログはイオのホームページ上に掲載されます。


新アドレスでは、ブログのバックナンバーも読むことができます。

今後も日刊イオをご愛読ください。

2019年6月15日
イオ編集部

「つながる!かわさきのハルモニ展&出版記念座談会」

2019-06-06 10:00:00 | ï¼ˆç‘›ï¼‰ã®ãƒ–ログ




「わたしもじだいのいちぶです」出版記念イベント「つながる!かわさきのハルモニ展&出版記念座談会」が6月1~2日、JR川崎駅近くのミューザ川崎で行われ、足を運んできた。

会場には、大八木宏武さんの写真展「ハルモニ!」やハルモニたちが識字学級で描いてきた絵、作文、習字などが所せましと展示されていた。川崎南部で暮らしてきた一世たちの生活史を記録した映像も流され、繰り返されるヘイトスピーチや、戦争反対に声をあげるハルモニたちの勇敢な姿も手作りの壁新聞で紹介されていた。









展示された作文や絵の数数に、かつては、学ぶ機会すら与えられなかった多くの一世たちの悔しさを思う。

ハルモニたちの文章を読みながら浮かんだのは、三重県に暮らした亡き祖母の姿。学校にすら通えなかった祖母の家にはいつも朝鮮語の新聞が置いてあり、祖母はいつもその新聞を教材に、朝鮮語を読んだり、書く練習をしていた。



会場には、識字学級「ウリマダン」に集うハルモニたちの一生を時系列で紹介するコーナーもあった。

目を凝らすと一人ひとりに歴史があり、家族との悲しい別れがあったことがわかる。日本と朝鮮半島を行き来しながら、苦労を重ねてきたその人生と思いをもっとたくさんの人たちに知ってほしいと感じる。



7月号、本誌の特集はヘイトスピーチ。

日本の植民地支配によって故郷を奪われ、それでもなお子どもたちのために声をあげ続ける一世のハルモニたち。その一字一句にもっと頑張らねばという思いに駆られた。展示を準備してくれた方々に感謝いたします。(瑛)

「つながる! かわさきのハルモニ展」&出版記念座談会、スタッフ大募集!

2019-05-28 09:39:16 | ï¼ˆç‘›ï¼‰ã®ãƒ–ログ


 今日は、6月1、2日に川崎市で行われるイベントのスタッフ募集のお知らせです。

 川崎桜本のハルモニたちがつづった生活史「わたしもじだいのいちぶです」(日本評論社)の出版記念イベント「つながる! かわさきのハルモニ展」&出版記念座談会が6月1日(土)、2日(日)の両日、ミューザ川崎(JR川崎駅徒歩3分)で行われます。

 イベントでは、川崎のハルモニたちの絵や写真が展示され、ハルモニたちと絵を描くワークショップ、木村友祐(小説家)、姜信子(作家)、康潤伊(編著者)さんらの座談会も開かれます。

 2日間のイベントを成功させるため、スタッフを募集しているので、ご興味のある方、ぜひご参加ください。(連絡先はチラシに明記しています)

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―スタッフ大募集!―

トラヂの会結成から20年が過ぎました。青丘社の在日2世の立ち上がりから始められた地域活動は、ふれあい館識字学級での在日一世と出あい、私たちのコミュニティの中心に、労苦を積み重ねた在日一世がいるべきだという想いを確認し、無年金問題の取り組み、交流事業からトラヂの会結成、ほっとラインの立ち上げと進めてきました。        

 2015年ハルモニの戦争反対デモ以降、ハルモニたちの活躍により、その存在感が、「反差別、人権」のバックグラウンドとして人々の共感の中心に位置するようになってきました。「今、私たちのコミュニティの中心に、ハルモニがいる」と明言できる成果がつくられてきたと思います。

 さらに共生のまち・さくらもとの発信に向けて、このイベントを運営したいと思います。ウリマダン参加ハルモニの活躍をみんなで確認し、他のハルモニに参加と協働を呼びかけ、「チマチョゴリを着て、川崎駅で20年の足跡を祝おう」これが目的です。

ぜひ、展示会やイベントにご参加ください。

また、運営スタッフを募集しています。ご興味のある方にお声がけいただければ幸いです。

◆展示会設営作業 及び 撤去作業のお手伝い(写真や展示物の掲示を中心として作業を行います)

6月1日(土)9時~12時 展示物設置作業

   2日(日)18時~19時 展示物撤去作業 

◆展示会運営のお手伝い(受付業務 映像プログラム ワークショップ手伝い、座談会準備、片づけなどを行います。3時間単位の交代制を考えています)

  6月1日(土)12~15時/15~18時/18~21時

    2日(日)9~12時/12~15時/15~18時

◆ハルモニの送迎、参加時の寄り添い支援

ハルモニの送迎、駅での集合、桜本の集合、ご自宅迎えなどの対応、着替え手伝い、レセプション時の寄り添い支援が必要です。


イオ6月号が完成しました

2019-05-17 10:00:00 | ï¼ˆç‘›ï¼‰ã®ãƒ–ログ


 本日イオ6月号が完成しました。276号になります。

 特集は、スポーツマンを紹介した、「ブレイク宣言! 新天地に臨む若きアスリート」です。

 日本国内には、スポーツの世界で活躍する同胞アスリートが数多くいます。

 今回は、新戦力として勝負の世界に足を踏み入れた、若きアスリートに注目しました。

 J1 横浜F・マリノスの朴一圭選手、大阪朝鮮高校時代に「花園」に出場し、日本代表のキャプテンになった李承信さん(帝京大学)、今年プロデビューを果たした李健太選手ら、期待がかかる選手たちの言葉たちが躍動します。

 新天地に臨むアスリート、実力と伸びしろを兼ね備えた「ミレ・モンスター」など、希望に満ちた選手たちをクローズアップ。また、アスリートを支えるベテランスタッフには、選手たちへのエールを送ってもらいました。

 特別企画は、写真特集。本誌では2017年1月号から、日本各地の朝鮮学校を紹介する「おいでよ! ウリハッキョ」を掲載してきました。今月は番外編。各地で出会った子どもたちの生き生きとした表情をご紹介しています。

 他にも、◇兵庫県青商会が製作したドキュメンタリー映画「ニジノキセキ」や、マンガ「虹の軌跡―漫画で読む4.24教育闘争」の紹介、

 5年目の「4.23アクション」、奈良での「柳本飛行場跡説明板日韓同時設置」について、

 4.27板門店宣言1周年を記念した討論会や新大久保でのアクション、南で「コッソンイ」が出版された情報をお届けしています。

 イオの定期購読は以下からお願いいたします。
 一冊からの注文も承っています。E-mail:[email protected]

 月刊イオは2019年5月号から価格を700円(税込)に改定することになりました。
 なお、19年秋に予定されている消費税引き上げの際には、本体価格の調整を行い定価700円を維持します。(瑛)


 定期購読の際の金額など、改定に関するお問合せは経営局事業部までお願いいたします。
 Tel:03(6820)0110 Fax:03(5615)4096

南で「コッソンイ」が出版

2019-05-08 10:00:40 | ï¼ˆç‘›ï¼‰ã®ãƒ–ログ


 韓国で朝鮮学校の子どもたちが綴った文集「コッソンイ―私たちは朝鮮学校の学生です《꽃송이-우리는 조선학교 학생입니다》」が4月23日に「ノモ(너머)」から出版された。

 朝鮮学校を支援するために活動を続ける「ウリハッキョと子どもたちを守る市民たちの会」(以下、市民の会、孫美姫共同代表)の編集で、朝鮮学校の子どもたちの文集が南で出版されるのは初めてのことだ。

 4.24教育闘争71周年にちなんで出版。朝鮮半島の北と南の首脳が発表した4.27板門店宣言発表から1周年というタイミングでもある。

 2014年に生まれた「市民たちの会」は、文部科学省前での「金曜行動」に参加する朝鮮大学校生や保護者たちに刺激を受け、日本大使館前での「金曜行動」:を続けている。

 本書は1978年から始まった在日朝鮮学生「コッソンイ」作文コンクール(主催:朝鮮新報社)の入選作中、2014年から18年までの作品を中心に、南の同胞たちが朝鮮学校や在日同胞への理解を深められるような作品を選定。初級部3年から高級部3年までの52作品が掲載された。

「『コッソンイ』の出版作業は、朝鮮学校の子どもたちの名前を呼んでみようという小さな試みです。朝鮮学校への関心は、かれらのありのまままの姿をそのまま見る認識から始まります」(まえがきから)
 
 日本学校から朝鮮学校へ転校した喜びと戸惑い、地方の小さな寄宿舎学校で親元を離れて学ぶ姿、高校無償化から弾かれ、街頭で学ぶ権利を訴えるも冷たい視線を感じる高校生の胸のうち…。同胞たちの集まる焼肉屋を切り盛りするアボジの姿、自分の朝鮮名について、ハンディを抱えるきょうだいへの思いなど、どの国や学校にも転がっている日常が綴られている。

 雨の日、学校までの坂道を登る福岡朝鮮初級学校の4人の児童が表紙を飾った。

 全271ページ、6つのテーマ別に52の作文や詩が掲載されている。

テーマは、①誇らしいウリハッキョ、②受難の歴史、差別の歴史、③私たちは朝鮮学校の学生です、④日本政府に言いたい、⑤私たちの願いは統一、⑥私たちの日常に―。


 
 南の小、中学校の朝鮮語教員や編集者が編集チームを組み作品選定や編集を行った。南で使われない言葉や表記法の違いについて説明を加え、朝鮮学校について知識のない人がわかるよう、学校の歴史や教科、生活についてやさしい語句解説も載せた。



 在日朝鮮学生中央美術展覧会に入選した児童生徒たちの美術作品22点と、本誌や朝鮮新報が撮影した各地の子どもたちの写真もふんだんに使われ、誌面に花を添えている。



 また、各章には朝鮮学校で歌われている「バスに乗って電車に乗って」(作詞:金正守、作曲:崔玉姫)はじめ6曲の歌も紹介され、QRコードを利用すると、動画サイトで歌を聞けるような工夫も凝らされた。

孫美姫共同代表は、「祖国が分断されているなか、南の社会は、日本で民族性を守るために努力する在日同胞を知らないままでした。2000年の6・15共同宣言から4・27板門店宣言までの間、金明俊監督の映画『ウリハッキョ』を通じて朝鮮学校の存在が知られ、その後、『60万回のトライ』(朴思柔監督)を見て闘い続けている朝鮮学校や在日同胞を知ることになった。また、3・1独立運動100周年を迎えるなかでテレビなどマスメディアも朝鮮学校を取りあげるようになり、金福童ハルモニが病と闘いながら朝鮮学校のことをたくさん話すなかで一般の人たちが関心を持つようになった。この本を通じて多くの市民たちの目が朝鮮学校に向かうことを願っている」と熱い思いを込める。

 孫さんのインタビュー全文は、朝鮮新報朝鮮語版に掲載されている。http://chosonsinbo.com/2019/04/27-6/


コッソンイ出版記念会が4月24日、約100人が参加のもと、ソウル市内で開かれた。

 会では朝鮮新報社の崔寛益主筆のお祝いメッセージが紹介され、南の小学生たちが朝鮮学校で親しまれている「バスに乗って電車に乗って」を歌い、出版を祝った。

 南の市民たちが作った「コッソンイ」が手元に届き、ページを繰っていると、感動で涙がこぼれた。やっと私たちは出会えたのだ。多くの市民がこの本を手にとって、朝鮮学校の子どもたちの思いに触れてほしい。

「コッソンイ」は南で販売された本だが、朝鮮新報社でも販売する予定だ。詳細は追ってお知らせいたします。(瑛)

71年目の4・24、無名戦士の墓で

2019-04-25 10:00:00 | ï¼ˆç‘›ï¼‰ã®ãƒ–ログ


4、5月号の本誌で1948年の4・24教育闘争について書いたこともあり、闘争から71年目を迎えた4月24日、「朝鮮学校のある風景」の金日宇さんらが呼びかけている、第7回「그날을 그리며 되새기는 마당(今、ふたたびあの日を称え、心に刻む場)」に行ってきた。

地下鉄千代田線「乃木坂」駅から徒歩3,4分、青山墓地へと向かうと、無名戦士の墓には、この闘争で官憲の銃弾に倒れた金太一少年と、当時在日本朝鮮人連盟兵庫県本部委員長だった朴柱範先生の遺影が飾られていた。遺影の周りには、花々の絵。本誌4月号で紹介した魏正さんの作品だ。

兵庫県出身の魏さんは、4・24教育闘争でアボジが逮捕され、母校が闘いの場になった経験をお持ちだ。

今年の新作は闘病生活を送る魏さんの家のベランダに咲く花だった。

誌面で見るのと実物を見るのとではやはり違う。あれほど苦しい病気と闘いながらも、これほど丁寧に、さらに花の色が放つ力のようなものが感じられ、心が震えた。

魏さんには同胞結婚相談中央センターにいらしたときに御世話になったが、「愚直」という文字がぴったりの方だった。同胞同士の出会いを増やすために、尽力されていたことを思い出す。



小雨が降るなか、始められた会。冒頭、金日宇さんは、「4月24日という日にこだわりたい。雨が降っても、風が吹いても思いを馳せる場所にしたい」と語り、当時、兵庫県の朝鮮学校に通っていた呉亨鎮さんは、無名戦士の墓が建てられ、ここに関西で命を落とした金太一、朴柱範さんが合葬された経緯を話してくれた。



「無名戦士の墓」は1935年3月28日に建立されたもので、小説「女工哀史」「奴隷」の作者の細井和喜蔵の死後、友人たちが遺志会を結成し、遺作の印税で建てたという。

戦後は、日本共産党と関わりの深い「日本国民救援会」が、墓石の頭部に「解放運動」の文字を刻み、毎年パリコミュン記念日の3月18日に墓前祭を開催。在日朝鮮人が合葬されるようになったのは48年4月からで、日本国内で日本の官憲などによって犠牲になった朝鮮人をはじめとする外国人も、所属する団体などに推薦書を出し、審査が通れば合葬できるようになった。
(詳細は「朝鮮学校のある風景」54号、151~158ページに掲載」)

墓には、4・24教育闘争時に逮捕され、軍事裁判で重労働15年の刑を受けた、元朝連兵庫県西神戸委員長だった金台三さん、植民地時代から解放後にかけて獄死したり、暗殺、虐殺された同胞や殉職した同胞や愛国者たち100人が合葬されている。

呉さんは、日本政府による朝鮮学校への差別が続くなかでも、保護者のオモニたちが国連で差別を訴えた結果、勧告を獲得、同胞社会で民族教育をめぐる新しい映画、演劇が生まれるなど、「新しい歴史が作られている」と力強く語った。



梁玉出・在日本朝鮮民主女性同盟顧問は、4・24当時、女性たちがどのように闘ったのかについて、過去の出会いを振り返りながら、生き生きと語ってくれた。

「4・24教育闘争は山口から始まりました。下関での『1万人の徹夜闘争』に参加した1世のオモニは、赤ちゃんをおんぶしていったが、替えのおしめがなくてぐっしょりになった。お腹がすいた赤子は泣く、乳は出ない。周りの大人には、『あなたは子どもが小さいから帰りなさい』と言われたけど、『この子のためにがんばる』と闘いつづけました…」。

兵庫県出身の梁さんは、当時兵庫県庁で、同胞たちが占領軍や県知事に民族教育の権利を求めた際、勇敢に闘った女性の話も聞かせてくれた。

「MPがピストルを出したとき、ブラウスをはだき、『撃て!撃てるんやったら撃ってみい!』と闘った女性がいました。この女性が誰なのか、ずっと探しました」

参加者には日本の方もいた。呉さんの体験を冊子にまとめたある女性の「気づいたことを、伝えていきたい」という言葉も染み入った。



4・24から71年。体験者は減っている。

語りつづける場、耳を傾ける場…。貴重な時間だった。場を作ってくれた方々に感謝したい。(瑛)

入学式

2019-04-12 10:00:00 | ï¼ˆç‘›ï¼‰ã®ãƒ–ログ


 4月上旬、各地の朝鮮学校で入学式が行われました。

 下の2人が通う学校の入学式に行くと、新しい校長先生が!

 また、東北地方で教員を3年勤めあげて母校に帰ってきた先生や、朝鮮大学校を卒業したフレッシュな先生方の姿がまぶしく映りました。

 今年は、2歳児の入園が例年より多かったのですが、なんとオーストラリアの親御さんの姿も見えました。幼稚園の間だけでも母親の母語に触れさせたいという思いからでしょうか。よく考えると、最近は海外で働くコリアンが多いので、国際結婚カップルも増えてくるのでしょうか。ダブルのルーツを持つ人たちが、ウリハッキョを選択してくれたことが嬉しくもありました。

 今朝、朝食をとっていると、子どもたちが全校生の児童数を数えていました。今年度は最高学年の6年生が二桁で人数が多いのですが、「来年はどうなるんだ?!」「日本学校へ転校した子もいるし…」と、子どもの数が少しずつ減っていることを、子どもなりに憂慮しているのです。数年前からサッカー部もチームを組むことが難しくなり、都内の他校とチームを組むようになりました。

 最近、読者の方々から送られてくる読者カードには、生徒数が減っていることを憂慮する書き込みが増えています。とくに地方の方々に多く、学校自体が存続できるかどうかを真剣に悩んでおられます。

 一方、各学校のフェイスブックページなどを見ていると、少ない人数のなかでも踏ん張っている様子が見えてきます。どれも現実ですが、子どもや先生、保護者の皆さんが安心して通えるような環境作りが待ったなしの課題だと感じています。これらの課題は短期、中期、長期と計画性を持って進めていくべきでしょう。大きなパワーが必要だと感じます。

 この4月で高校無償化から朝鮮学校が排除されて10年目に突入しました。

 高校無償化制度は、朝鮮高校の授業料だけが「無償化」になるのではなく、日本の公私立学校、専修学校、外国人学校など、「すべての人の学び」を対象にした制度です。日本政府は、高校無償化制度の趣旨を無視し、朝鮮学校生徒たちの学ぶ権利を奪い、在日コリアンが納税の義務を果たしているにも関わらず、教育費の還元をしていません。この状態が改善されないことに怒りがおさまらない春でもあります。

 今日は金曜日。東京・虎ノ門の文部科学省前で金曜行動が行われます。

 子どもたちの未来のため、あきらめず、くさらず、前へ進んでいこうと思います。(瑛)
※写真は東大阪朝鮮初級学校のフェイスブックページから

女性が働くということ

2019-04-04 10:00:00 | ï¼ˆç‘›ï¼‰ã®ãƒ–ログ


 女性が働く―。言葉にすると、たった5文字ですが、一筋縄ではいかないものです。

 常日頃、イオではさまざまな職種の方を紹介していますが、どうしても男性に片寄りがちで、なぜだろうと考え続けてきました。一言で、学ぶ機会が男性に比べて少なかったからだと感じています。

 20代のころ、大手新聞社を退職した日本人記者の退職祝いに誘ってもらったことがあり、その席でかのじょが入社したころには、女性は正社員になれなかったという話に驚きました。女性は結婚したら、家庭に入り、家事労働や子育てを担うのがあたりまえ。この考えは同胞社会でも根強いです。

 声高に叫ぶ元気はなくなりましたが、「なぜ人の可能性を家の中だけに押し込もうとするのかな?」と不思議に思います。

 私自身、子育てをしながら働いてこられたのは、職場や家族の協力はもちろんですが、保育園という預け先があったからです。保育園で目にする保育士さんの姿は、働く女性の手本のようでした。実の親にかわって子どもを見る、ときにスランプに陥る母親の顔色を見ては、優しい言葉をかけてくれる。夕飯の献立や子育ての悩みを聞いてもらったことも一度や二度ではありませんでした。

 保育士や看護師の世界は、女性なくしては成り立たない職場で、日本でも早くから女性が活躍してきた分野です。それだけに、母親を包み込む雰囲気や、仕事におけるプロ意識に触れるたび、静かに感動していました。この世界にも男性がたくさん進出しています。

 同胞社会はどうでしょう。

 朝鮮高校生の大学受験資格が緩和されたのが2003年、同胞社会における女性の大学進学率、進路の幅にも大きな前進があり、さまざまな職種につく女性が増えました。医師、大学教員、看護師長、会社社長から末端の暮らしを支える様々な仕事…。今の30代、20代の女性たちの活躍には目をみはります。

 一方で、2003年以前に朝鮮学校で学業を終えた、40代以上の女性は、若い世代とは事情が違うなと感じます。

 結婚して子育てが落ち着いた後に再就職しようとしても、最終学歴が朝鮮高校、朝鮮大学校の場合は、これらの学校が正規の学校として認められておらず、日本社会で学歴として認められないため、再就職がむずかしいと聞きます。そこで一念奮起して看護師や保育士、助産師の資格を取ったり、大学で学びなおす人たちもいます。ここでも立ちはだかるのが最終学歴の壁。一部の朝鮮高校では高卒認定を受けて卒業させているようですが、本来は外国人学校の学歴も日本社会で広く認知されればと思う場面です。私も朝高を卒業して都立高校の通信制に通い、高卒資格を取得しました。







 6月号のイオは女性起業家の特集です。

 先日、手作りのキムチ屋さんを立ち上げ、7年の間に店舗を増やしたある女性を取材しました。大家族の中で育ち、料理上手な母親を手伝いながら、そして、結婚後は家業の焼肉屋を手伝いながら、身につけた料理の技術。

 かのじょが作る手作りキムチや惣菜を買いに、多くの方が店を訪れます。スーパーに置くなど、大量販売とは一線を画しているようで、人から人へ確実な味を届けようという姿勢に心意気を感じました。

 かのじょは3人の子どもたちを育てる過程で、「自分にはこれしかできない」とキムチ作りで起業した思いを話してくれました。その姿に、かつては学校すら通わせてもらえなかった1世の姿が重なりました。

 1世の女性たちも飲食の仕事で生計を立てました。焼肉、キムチといった食文化がこれほど定着した日本の姿をたくさんの亡き1世たちに見せてあげたかったです。

 在日同胞の職業は、1945年の祖国解放から73年たった今、大きく様変わりしています。

 女性起業家の紹介で、その一歩進んだ姿を紹介できればと思っています。(瑛)

止まらぬヘイトスピーチと、日本の良心

2019-03-27 10:00:21 | ï¼ˆç‘›ï¼‰ã®ãƒ–ログ


 3月9日、京都朝鮮初級学校襲撃事件10周年を祝う、という名目で人種差別主義者によるヘイトデモが白昼堂々と行われ、続く11日には、福岡県の折尾駅前、それも折尾交番前で日本第一党を名乗る10人がヘイトスピーチを行うという暴挙が起きてしまった。ヘイトスピーチ対策法(HS対策法)が16年6月に施行されるも、日本社会でヘイトデモは減ることはない。

 3月20日に東京・永田町の衆議院第2議員会館で行われた「人種差別に終止符を。国際社会からの声」と題した集会で、師岡康子弁護士は、人種差別撤廃基本法およびそれに基づく基本方針、基本計画が必要だとHS対策法の問題点を指摘。警察官、検察官、裁判官を含む法執行機関職員に対し、ヘイトクライム及びヘイトスピーチ解消法に関する犯罪の人種差別的動機の認定、告訴受理及び事件の捜査・起訴のための適切な方策を含む研修を行うことを提案した。

 ヘイトデモを警察が守る、という信じがたいことがこの日本で起きている。

 日本政府は、日本が1995年に国連の人種差別撤廃条約に加入して20数年がたった今も、差別を禁止する基本法や被害者を救済する国内人権機関を設けていない。出自を攻撃する差別行為は、人々の人格を破壊し、ひいてはこの社会をも壊していく。年金事務所の所長、政治家の差別発言は後を絶たない。政府はいつになれば本腰を入れてこの問題に取り組むのだろうか。

…いつまでも「中立」を言い訳に、実態に即してものを見て適切な判断を下す、ということから逃げてはいけない。中立であろうとするのなら、それはその都度、更新され続ける能動的で積極的な態度でなければならない。さもないと、「中立」というのは安全地帯から観客気取りでコメントしているにすぎない。この社会で生を営む以上は好むと好まざるとに関わらず、公共性の高い事柄からは無関係ではありえない。「差別はいけないものである」というかなりの程度まで確立している道徳規範がある中で、あえて自分はこの問題について「中立」であると言うのなら、それはよほど道徳的に鈍感か知的に怠慢かのどちらかであろう。

 Https://subtler.jimdofree.com/on-being-neutral/?fbclid=IwAR3c_tIqXfaiSzttRo8jGGb5B2r0b3tyXrsVHNSjAzrTP3E-0t1diW2iGk4
 上に紹介したブログは、3月9日の京都でのヘイトスピーチの現場にいた日本の方が発信していた文章だ。

 筆者はヘイトスピーチを中立を装って報じるメディアを批判する。中立の立場に固執するあまり、起きていることを正確に説明できないのはジャーナリズムとして失格だと。

 10年前、京都朝鮮第1初級学校の児童や教職員、保護者を深く傷つけた暴挙を「祝う」という神経はどこから来るのか。

 差別行為を行う者への怒り、何よりそれを座視する日本社会に恐怖を覚える。しかし、カウンターの方が書いたこの文章を読んで気持ちが落ち着いていった。シットインしてヘイトデモを阻止しようと踏ん張る市民たちの姿に救われた。

 法務省人権擁護局は3月20日までに、統一地方選の期間中、立候補者やその支援者による選挙運動名目のヘイトスピーチが危惧されている問題で、選挙運動で行われた差別的言動について「直ちに違法性が否定されるものではない」との見解を各地方法務局に通達した。人権侵犯事件の対象として対応を求めるもので、各自治体にも周知し、見解を共有していくとしている。(神奈川新聞から)

 折尾駅では、通達が出される前に事件が起きてしまった。政府、メディアは危機感を持つべきだ(瑛)。

 

卒業式

2019-03-18 10:00:00 | ï¼ˆç‘›ï¼‰ã®ãƒ–ログ


 昨日3月17日は、日本各地の朝鮮初中級学校で卒業式がありました。私も世話になった子どもたちの顔をみに、足を運びました。幼稚班の卒業生は3人、初級部は8人という少ない人数でしたが、9年間、6年間、きょうだいのように育ったかれらの姿は、この小さな学校で培ったそれぞれの「何か」を伝えてくれて、胸が詰まりました。(写真は南大阪朝鮮初級学校のFBページから。本文とは関係ありません)

 オモニ会を卒業する保護者たちの姿にも、ともに悩み、笑いながら歩んできた月日が思い出され、別れが寂しくもありました。

 卒業式には、保護者だけではなくこの学校を卒業した中学生や、教鞭をとっていた元教師たちも集まり、花を添えてくれます。

 卒業する子どもたちの中には、日本の中学校に進学する子もいれば、他地方の民族学校に通う子どももいます。

 少し先の将来を考えたなら、いずれは、日本や世界といった「大海原」に投げ込まれ、自力で泳いでいかねばならない子どもたち。私たち大人もそうだったように、民族教育を受けた意味というものは、その時に「実感」として迫ってくるのでしょう。

 先日、京都では、人種差別主義者たちが京都朝鮮第1初級学校への襲撃から「10年を祝う」という名目でヘイトスピーチが行うという信じがたい出来事がありました。

 あの事件の時、小学生だった子どもたちは、胸に深い傷を負いましたが、すでに朝鮮高校を卒業したお子さんもいます。

 当時、京都第1初級の保護者だったキム・サンギュンさんが、被害を受けた子どもたちが人種差別主義者たちの攻撃を本当の意味で克服できたかどうかがわかるのは、「親になったかれらが、子どもの教育をどうするのかを決める時だろう」と話していたことがあり、ハッとさせられました。

 この春、入学式を迎える朝鮮学校、どの学校も新入生確保のために奮闘していますね。

 一方で保護者たちの意識を見ると、日本の国家から露骨に差別されている朝鮮学校に子どもを通わせることが、子どもを社会の矢面に立たせるのではないかと心配され、日本の公教育を選択するケースが増えています。日本籍者との結婚が多い背景もありますね。朝鮮学校が直面している現実です。

しかし、差別の標的にされているからこそ、朝鮮人にとっては、日本で朝鮮人という生を授かった自分を肯定し、安心できる場が必要なのだ、と改めて思うのです。さらに「学校」という場は、何よりも子ども自身の成長、子どもの幸せのためにあるべきなのだと。そこに大人の事情を決して介入させてはいけない。すべての大人たちは、そのことを肝に銘じ、教育という場に関わっていかなくてはと感じます。

 卒業シーズン、徳山朝鮮初中級学校が10年前の春に統廃合されたときに保護者だった朴陽子さんのエッセイを読み返しました。当時、たくさん悩みながら書いてくださった文章です(「月刊イオ」2009年4月号)。

…少し前の話になりますが、テレビで離島にあるたった1校の日本の学校を特集していました。島には小学生が一人しか住んでないけど、立派な校舎に5~6人の教師、運動会や行事は島をあげてのお祭りで島民がみんな集まるそうです。

 学校を愛する気持ちは、私たちも決して劣ってはいないのですが、ウリハッキョには行政からの支援がないに等しいですよね。ソンセンニムに情熱があり、学びたいという生徒が7人もいて、トンポの愛情や熱意があっても休校するしかない、53年の歴史に幕を下ろすという選択肢しか残らない。現実は厳しいのです。

 一昔前、朝鮮学校ボロ学校と、からかわれました。今は目に見えないいじめや差別も減り、朝鮮学校を卒業した子どもたちの進路も多種多様になりました。娘たちがオンマになった時代、ウリハッキョに通う子どもが何人になっても学びたい子どもがいる限りハッキョを運営できる時代になっていればと心より願います…。

 3月14日の九州の敗訴判決の現場にもいた朴陽子さんは、今、広島朝鮮初中高級学校のオモニ会会長として現場を支えられています。

 よりよい時代を目指し、歩みを止めない朴さんのような方々が日本各地で学校を守っている。そのことに奮い立たされる卒業シーズンです。(瑛)

3・1の歴史を伝える~関東でも100周年刻むイベント

2019-03-08 10:00:00 | ï¼ˆç‘›ï¼‰ã®ãƒ–ログ




 3・1独立運動100周年を記念し、関東地方の在日本朝鮮留学生同盟も、展示、シンポジウム、デモ行進など意欲的な企画で100周年の意義を見つめていた。

 3月1~2日には、3.1人民蜂起100周年記念展示会「日本と朝鮮の150年史―日本の植民地支配と分断に抗して―」が東京・荒川のムーブ町屋で行われた。

 主催は東京、西東京、埼玉、神奈川県の留学同地方本部の4団体。各本部から学生代表が一人ずつ実行委員を務め、まず自身らが歴史を学習することで問題意識を深めてきた。

 「現在の日朝関係を克服する上で、日本による朝鮮植民地支配の歴史を見つめ直すことは避けて通れない課題だ」という観点で企画を立て、メンバーらに広く呼びかけて準備を進めてきたという。










 会場には、3.1人民蜂起、1930年以降の抗日武装闘争、南における民主化闘争や在日朝鮮人の権利運動など朝鮮の近現代史を時期やテーマごとに説明するパネルが展示されていた。来場者たちは会場のあちこちに置かれた参考書籍も手に取りながら理解を深めている。

 また、展示の終わりでは在日朝鮮人に対する昨今の差別・弾圧事件を取り上げ、未だ解決されない日本の歴史認識や過去清算をめぐる問題について知らせた。実行委員の一人、琴向芽さん(首都大学東京3年)は展示会の趣旨文を執筆。琴さんは朝鮮と日本、在日朝鮮人の過去と現在、そしてこれからを見つめ直す場を作り市民たちと共有することができた」と手ごたえを話していた。



 3日には、4団体が主催する、3・1人民蜂起100周年記念シンポジウム「三・一が問いかけるもの」が東京北区の北とぴあペガサスホールで行われ約140人が参加した。



 康成銀・朝鮮大学校朝鮮問題研究センター長が「朝鮮三・一独立運動の記憶―朝鮮と日本における国際法の需要と実践の異なる位相」、康宗憲・韓国問題研究所所長が、「在日朝鮮人にとっての『三・一』100年―日本の過去清算と朝鮮半島の平和統一に向けて」のテーマで中身の濃い講演をし、今日における「3・1運動」の意義を見つめることができた。

 康成銀センター長は、「3・1運動は、朝鮮近代史上未曾有の全民族的な反日独立運動で、現在の祖国統一運動の精神的な寄りどころだ」と指摘。「アリランの歌」著者のキム・サンらの体験記を紹介しながら、「歴史的なこの体験は、血肉と化した民族的記憶として解放後も語り継がれている。解放前の独立の課題と解放後の統一の課題は、現在を生きる私たちすべての同時代史であり、絶え間ない観察を要する生きた歴史だ」と語った。「100周年を機に今後は北南、海外同胞が共通の歴史認識を獲得するために、歴史対話が本格化することを期待する」―。康センター長は最後、長年の夢を観衆に伝えてくれたが、必ず実現しなくてはならない課題だ。

 康宗憲・韓国問題研究所所長はスライドを用いながら朝鮮の近代、現代を振り返りつつ、最後はベトナムハノイでの首脳会談について言及した。会場の強い関心を集めていたので、ここで発言の要旨を紹介したい。

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 2018年6月12日、米国と朝鮮の両首脳はシンガポール共同声明を発表し、朝鮮半島で「恒久的で強固な平和体制を構築するために共に努力する」ことを約束した。トランプ大統領がハノイ会談前、「朝鮮戦争を終わらせる準備ができている」と話していたことからも、今会談で互いの不可侵と朝鮮戦争の終結を表明する「平和宣言」の発表が準備されていたのは間違いないだろう。しかし、米側は大統領弾劾に向けた議会聴聞会という国内事情もあって、合意よりも「決裂の勇姿」を選択した。

 朝鮮戦争の「休戦協定」を「平和協定」に換えることで朝鮮半島の戦争は終結する。

 「平和協定」の入口ともいえる「終戦宣言」は、両国関係改善のステップとして大きな意味がある。1953年の「休戦協定」に署名したのは、米国(国連軍)、中国、朝鮮の3国だが、「平和協定」には実質的な当事国である韓国を加えて南北と米中の4者が署名すべきだろう。ただ現在は多国間協議までは進めていない。

 今会談に際して文在寅大統領は、韓国の参加が無理なら朝米2国による朝鮮戦争の終戦宣言を容認するとトランプ政権に伝えていた。すでに南北は昨年、板門店と平壌で相互不可侵を宣言しているからだ。それ以降、板門店の軍事境界線では韓国軍、朝鮮軍、米軍の3者が会議する機会が増えている。朝鮮戦争の終わりは目の前に来ている。法制度的な文書の作成が残されているだけだ。

 2年前には朝米が互いを罵倒し、米韓の大規模な軍事演習と朝鮮の核・ミサイル実験がなされていた。

 しかし、朝鮮半島があの頃に「後戻りする」と見る人は少ない。今の流れを押し戻すには、私たちはあまりに多くの前進を勝ちとっているからだ。

 米側もシンガポール合意を完全に無視して敵対関係に戻ることを国益とみなさないだろう。

 米国との交渉は時間がかかる至難の技だが、わが民族の歴史、ベトナム戦争など第三世界の歴史から見て悲観する必要はない。誰が相手であっても、朝鮮民族は南北が協力体制を築きスクラムを組んで対処することだ。(了)

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シンポ開催前、留学同の学生たち日本市民ら約50人が、雨が降りしきるなか、王子駅前公園周辺をデモ行進したことも、ぜひ紹介したい。

 「高校無償化から朝鮮学校だけを排除し続ける今の状況は、朝鮮人に対して民族教育を禁止し、同化を強要した植民地時代と変わっていない。朝鮮人として生きる道を妨害する行為に強い怒りを感じる」―――、雨に打たれながらの力強いアピールが街中に響く。

 コリアン学生たちが「3・1独立運動」100周年を意欲的な企画で盛りあげてくれたことに感動しつつ、学生たちのデモが100人以上の警官に囲まれながらやっと実現したことに愕然とした。デモを妨害しようと、差別主義者らが数十人も押し寄せ、100人以上の警官が動員されていたのだ。







 差別主義者たちは警察に押さえつけられながらも、「日本が嫌なら出ていけ」「日本人はお前らみたいな民族が大嫌いなんだ」という暴言を吐いていた。
 
 「事実を知って」「差別をやめて」という大学生たちの素朴な思い、歴史の事実を否定しようという圧力…。

 このせめぎあいの中で、「3・1独立運動」は100周年を迎えた。歴史から目を背けるこの社会の「闇」は深い。しっかりと目を開き、この闇を見続けなくてはと痛感した取材だった。(瑛)

「3・1独立運動」から100年、ブログ「日刊イオ」開設10年

2019-03-01 10:00:00 | ï¼ˆç‘›ï¼‰ã®ãƒ–ログ
 今日2019年3月1日は、一世紀前に朝鮮半島で起きた3・1独立運動から100周年を迎える日、朝鮮人自身が日本の植民地支配下にあった「朝鮮の独立」のために立ちあがった記念すべき日です。

 数年前、本誌の誌面で朝鮮近現代史の連載「朝鮮、その時」を執筆したシン・チャンウ・法政大学准教授は、当時の光景を次のように描いています。

…3月1日、ソウルのパゴダ公園で大極旗が天空高くひるがえり、独立宣言書が朗読されると、「独立万歳」の声は万雷のようにこだまし、いつのまにか足の踏み場もない位、数万にのぼる群衆が集まり、市街地へと示威行動を始めました。

 このときの朝鮮人民の開放感はいかほどのものだったでしょうか。

 キム・サンは「アリランの歌」のなかで、「私は自分の心臓が破裂するのではないかと思われるほど、うれしかった。誰もかれも喜んでいた。私は興奮してしまって一日中食事を忘れていた。この3月1日には何百万人もの朝鮮人がみな食事をすることも忘れたろうと思う」と回想しています。

 3・1運動の先駆けは、東京にいた朝鮮人留学生たちからでした。19年2月8日に東京YMCAで留学生大会が開催され、11人の朝鮮青年独立団代表団による独立宣言を発表。大会は日本の警察に弾圧され、多くの者が逮捕・投獄されるのですが、2・8宣言書は宋継白が警察の監視を潜り抜けて学生服のなかに隠して朝鮮半島に伝えたといわれています。この運動は朝鮮民族の独立への思いを内外に誇示したものの、日本総督府は大弾圧を加え、死亡者7509名、被傷者1万5961名、被因者4万6948名という甚大な被害を生みました。甲午農民戦争、義兵闘争に続く暴虐な弾圧でした。

 昨日、朝米首脳会談が合意文なしに終了しましたが、日本の植民地支配に続く朝鮮半島の分断、朝鮮戦争の勃発と、朝鮮半島の一世紀は、まさに無数の民衆が命を落としながら、独立、統一を希求してきた歴史でした。

今回の会談で合意文が発表されなかったことは想定外で、私自身落胆はしましたが、過去に憎しみ、殺しあった朝米が互いに膝をまじえて両国の将来を話し合う、それだけでも数年前には想像できなかった。ハノイでの両首脳の姿は、朝鮮半島を平和を願う朝鮮民衆の力の産物だと思います。

 歴史の流れの中に今日の自分がいる。3・1の日に、このことを痛感します。

 日本国内では3・1運動の意義をみつめるイベントが各地で開かれるので、皆さん、ぜひ足を運んでください。詳細は巻末に掲載します。

 さて、月刊イオ編集部にとって今日は、もう一つの記念日でして、ブログ「日刊イオ」が開設されて10年を刻む日でもあります。

 この10年間、イオ編集部の12人がアップした原稿は、合計2890件。取材先で見たこと、感じたこと、日々の悲喜こもごもをこのブログで綴ってきました。大阪朝高ラグビー部が花園に出場した際には試合の速報を、無償化裁判の口頭弁論や判決も、速報を意識して報じてきました。

 現在、日刊イオは平日に毎日更新していますが、一般の人たちにもイオを身近に感じてほしい、という思いから始めました。

 10年たった今、さらなるバージョンアップが求められていると感じています。

 例えばイオを読まない人たちは、どんなメディアを見て情報を集めているのでしょう。誰かとつながりたいと思ったときにどんなツールを通じて、人とつながるのでしょうか。

 今、編集部では、イオの誌面はもちろん、ブログ、ホームページを通じても読者の皆さんと双方向の関係を築けるよう、対策を練っています。5月ごろには皆さんに新しいニュースを届けられるよう準備中です。
 読者の皆さん、今まで日刊イオをご愛読くださり、コマプスムニダ。そしてこれからも日刊イオをご愛読ください!(瑛)


●3・1運動100周年記念イベント

◇東京
企画展示「3.1独立運動100年を考える―東アジアの平和と私たち―」

日時:2月6日(水)~6月23日(日)12時~17時 ※月・火曜は休館
入館料:一般400円、中高生200円
場所:高麗博物館(地下鉄「東新宿」駅徒歩4分)
関連講演:3月30日(土)14~16時・「東京2.8宣言と3.1運動」尹素英(韓国独立記念館学術研究チーム長)
※参加費は入館料含む1000円、電話にて要予約
主催・問合せ:高麗博物館/Tel:03-5272-3510

◇東京
3.1朝鮮独立運動100周年 東京集会

日時:3月1日(金)18時半~19時半
会場:新宿東口アルタ前
内容:リレートーク(朝鮮学校差別問題、ヘイトスピーチ、徴用工裁判、在沖米軍基地問題、「慰安婦」問題など)、キャンドルアクション
主催・問合せ:2019 3.1独立運動100周年キャンペーン/Tel:03-3362-6307


◇留学同がシンポ

 日本の大学に通う同胞学生たちは、「3・1」の灯火が日本にいる留学生から始まったとして、100周年の意義を見つめる行事を意欲的に準備している。「日本では今なお侵略・支配の歴史を向き合うことはおろか、近現代の歴史を否定しようとする動きが強まっている」として、東京では3月3日のシンポジウムの前に王子駅前公園に集合し、示威行進を行う。
 歴史家を集めたシンポジウム、関西、東海地方の学生たちが上演する演劇に注目が集まる。



●大阪
『怪物』たちの行進-朝鮮と日本、歴史と現在-

日時:3月2日(土)13時半開場、14時~17時
場所:クレオ大阪東(JR「京橋」駅南口徒歩10分)
入場料:1000円(高校生以下無料)
内容:第1部綜合文化公演「『怪物』たちの行進」/第2部シンポジウム「支配と闘争、その150年~「現在」をどのように認識し、行動(連帯)すべきか~」(康成銀・朝大朝鮮問題研究センター長/吉澤文寿・新潟国際情報大学教授)
主催・問合せ:留学同京都・兵庫・大阪([email protected])



●愛知
留学同東海綜合文化公演2019
《파란 등불(青い灯火)》 ~私たちの3.1独立運動~

日時:3月1日(金) 18時半開場 19時開演/3月2日(土) 18時開場 18時半開演
場所:レンタルスタジオ異空間(名鉄瀬戸線「喜多山」駅徒歩10分)
入場料:1000円(高校生以下無料)
内容:創作舞踊、サムルノリ、演劇、大合唱など
主催:留学同東海(Tel:080-5129-7599/E-mail:[email protected])


●東京
3・1人民蜂起100周年記念展示会
日本と朝鮮の150年史―日本の植民地支配と分断に抗して―

日時:3月1日(金):13~21時/ 3月2日(土):10~18時
場所:ムーブ町屋4Fミニギャラリー(地下鉄千代田線・「町屋」駅徒歩1分)
2日(土)15時
特別映像上映会「あの涙を忘れない!日本が朝鮮を支配した36年間」(日本映像記録センター・テレビ朝日、1989年、ドキュメンタリー/1時間半)、ゲストトーク:洪昌極さん(一橋大学大学院社会学研究科博士課程)「三・一運動の歴史的意義」
主催・問合せ:留学同東京・西東京・埼玉・神奈川県本部/E-mail:[email protected] Tel:03-6272-6607


●東京
シンポジウム「三・一」100年が問いかけるもの

日時:3月3日(日)13時半開場、14時開始
資料代:1000円(※学生500円)
会場:北とぴあペガサスホール(JR「王子」駅徒歩3分)
登壇者:康成銀さん(朝鮮大学校朝鮮問題研究センター長)「いま問い直す日本の植民地支配責任 ―日本の侵略・支配と民族独立運動―」/康宗憲さん(韓国問題研究所所長)「在日朝鮮人にとっての「三・一」100年―日本の過去清算と朝鮮半島の平和統一に向けて―」
主催・問合せ:留学同東京・西東京・埼玉・神奈川県本部/E-mail:[email protected]、Tel:03-6272-6607
※シンポジウムの前に示威行進を行う(12時終了予定)

●九州
『三・一』を記憶する~立ち上がろう、民族を生きる全ての人たちよ~

日時:3月1日(金)17時~20時半
内容:同胞青年学生たちによるディスカッション、3.1人民蜂起に関する映像上映・展示会
参加費:500円
会場:ウェルとばた 83・84会議室(JR「戸畑」駅徒歩1分)
問合せ:Tel:03-6272-6607/E-mail:[email protected]

6年目の2・20と、5回目の国連勧告

2019-02-20 08:00:00 | ï¼ˆç‘›ï¼‰ã®ãƒ–ログ


 国連・子どもの権利委員会は2月7日、スイスのジュネーブで記者会見し、1月16日・17日にかけて行われた対日審査の結果として、総括所見(CRC/C/JPN/CO/4-5)を公表した。このなかで子どもの権利委員会は、日本政府に対し、「39.(c) 『〔高校〕授業料無償化制度』の朝鮮学校への適用を促進するために基準を見直すとともに、大学・短期大学入試へのアクセスに関して差別が行なわれないことを確保すること」を勧告した。

詳しくは現地で対日審査を傍聴した宋恵淑さん(在日本朝鮮人人権協会)の解説を参照されたい。
 http://chosonsinbo.com/jp/2019/02/csg0218/
 「朝鮮学校適用への「基準の見直し」を/子どもの権利委員会、日本政府に対し朝鮮学校への「高校無償化」制度の適用を勧告」

 2010年4月に無償化制度からの朝鮮学校除外が始まって約9年。この間、国連人権条約審査委員会から計5回の勧告が出ているにもかかわらず、日本政府はこれを無視し続けている。

 今日は2月20日。

 6年前の13年2月20日、12年末の総選挙で圧勝した自民党政権下で新たに就任した同党の下村博文文科大臣は、「拉致問題の進展がない」「国民の理解を得られない」と言い、朝鮮高校を就学支援金の対象に指定するために作られた決まり―「規定ハ」を削除するという暴挙に出た。

 国が「規定ハ」をなくし、朝高を不指定にしたことで、朝鮮高校は「規定ハ」が復活しないかぎり、就学支援金の対象から永久的に対象外にされることになった。就学支援金を支給するための法律は「すべての子どもたちを対象に」と定めているのに、国は法律に反し、朝鮮高校生の学ぶ権利を奪ったのだ。

2010年から17年まで支給されなかった朝鮮高校の生徒は日本全国で5000人以上、本来支給されるべきだった支援金は概算で17億8200万円に達する。

 この4月には、就学支援金制度から朝鮮高校が排除されてついに10年目になる。

 当時小学校1年生だった子どもが高校に入学するほど、長い年月がたってしまった。この9年間は、子どもたちにとって「二度と取り戻せない」月日だ。一人ひとりの子どもに降りかかった差別の「傷」…。また、国から狙い撃ちの差別を受けていることにより、朝鮮学校を遠ざける人たちがどれほど増えてしまっただろうかと思うと、権力による差別の酷さを感じざるをえない。


 しかし、民族教育の権利を求める闘いは、いつの日も、立ち止まることなく続けられてきた。前述した5回にわたる国連勧告も、闘って勝ちとったものだ。そして、今年も「2・20全国行動」と題して、日本各地で差別なき高校無償化の実現を求めるアクションが年始の1月から各地で行われている。



 本日2月20日(水)、東京・御茶ノ水の連合会館では、高賛侑さん制作のドキュメンタリー映画「アイの学校」上映会が開かれる(19時から、映画は99分)。関東圏では初の上映だ。



 22日には埼玉県で補助金再支給を求める要請活動と講演会が開かれるなど、その地域が抱える課題にあわせて、子どもたちの学ぶ権利を求める活動が繰り広げられている。寒空のなか、日本市民、保護者、そして生徒たちが、心からの叫びを、街の人たちに届けている。(上記資料参照)

 沖縄の基地問題にデータの改ざん…。この国の政治、行政の有様は散々だ。無償化裁判もしかり。しかし、自らが作った法律の理念をかなぐりすて、時の為政者(政治家ではなく政治屋)が都合よくそれをなくしてしまう(それも、いじめまがいのやり方で)、バカげたことがいつまでも続くとは到底思えない。6年目の「2月20日」を刻みながら、その思いを新たにしている。(瑛)

子どもたちの声にどう応える?/最高裁勝利をめざす「東京集会」

2019-02-12 10:00:35 | ï¼ˆç‘›ï¼‰ã®ãƒ–ログ




 「最高裁勝利をめざして!朝鮮学校の子どもたちに笑顔を!―子どもたちの声にどう応えるか― 東京朝鮮高校生無償化裁判2・2集会」が2月2日、東京都武蔵野市の武蔵野公民館で350余人の参加のもと行われた。

 東京の無償化裁判は2018年10月30日の高裁判決で原告・朝鮮学校側の敗訴となり、舞台は最高裁へ移った。司会に立った千地健太さんは「立ちあがった子どもたちに勇気を得た反面、大人の責任で解決できなかった忸怩たる思いがある。子どもたちの声をどう受けとめて取り組んでいくのかを考えるきっかけにしてほしい」と趣旨を伝えた。

 朝鮮高校生の「金曜行動」での発言を紹介した映像が流された後、発言が続いた。



 今後の裁判について報告した李春熙弁護士は、「高裁判決は朝鮮高校を就学支援金対象とする根拠規定だった『規定ハ削除』の違法性を隠すため国側の主張にのった。国が不指定処分の理由とした二つの理由が矛盾していることに論点を絞った上告理由書、上告受理申立理由書を1月29日に提出した」としながら「法律の理屈では学校が勝っている。みなさんと一緒に雰囲気を変えていく努力をしていきたい」と結んだ。



 田中宏・一橋大学名誉教授は、ポツダム宣言やカイロ宣言に明記された「朝鮮人の奴隷状態に留意する」という文言は、民族の言葉、名前を奪われた朝鮮人の歴史的な体験が奴隷状態に置かれているという国際認識があってこその言葉。戦後日本の原点だ」と指摘。スイス・ジュネーブの国連・子どもの権利条約委員会に参加した金栄愛・東京朝鮮中高級学校オモニ会直前会長は、現地で欧米に暮らす同胞と連帯し差別をアピールした手ごたえを伝えた。オモニたちからも力強い発言が続いた。 



集会を前に「東京朝鮮高校生の裁判を支援する会」の第6回年次総会が開かれ、250万円のスンリ基金が東京中高の慎吉雄校長に贈られた。

長谷川和男「『高校無償化』からの朝鮮学校排除に反対する連絡会」共同代表は、「大変な思いをしている子どもたちの期待に応えるため、総力をあげて朝鮮学校を支援しなければ。国会議員、朝鮮学校を知らない人…一人ひとりがパイプをつなげていこう」と呼びかけた。



 この日の集会の光景はいつもと少し違った。

就学支援金の対象からはじかれている朝高生は参加せず、大半は大人。大人たちの責任として、日本社会の責任として、一人ひとりがこの裁判を闘う意味とこれからなすべきことを、自分の言葉で語っていた。

 中でも印象深かったオモニたちの発言を紹介したい。

◎東京都在住のパク・チジャさん

 足立から来ました。昨年、私の末っ子の息子が高校3年になり最後の高校生活を送りました。サッカーが大好きな息子は、小さい頃からの夢だった全国大会に出場するため、毎日朝早くから休みなく部活動に励んでいます。高校生にとって一時間、一日、一年という時間はかけがえのない貴重な時間。その大事な部活動の時間を割いて、自分たちが受けている差別の怒りをぶつけ、自分たちの存在を認めてもらおうと、文科省の前に立ち、闘っています。金曜行動が終わると、学校に帰り、またボールを蹴ることもあります。

 どうして、私たちの子どもたちだけが、こんな思いを胸に、部活動をしなければならないのでしょうか。一日も早く、日本の高校生と同じように、心置きなく勉強や部活動に励める環境を作ってあげたいという思いでいっぱいです。かわいい子どもたちのために、これからも勝つまでかならず闘い続けようと思います。

◎埼玉県在住のハン・クムスさん

 埼玉朝鮮学校に2人、東京朝高に一人の子どもを通わせています。埼玉では朝鮮学校を支援してくれる日本の方々や弁護士がいます。私もできることから、映画学習会など、無償化実現のために、一つひとつがんばっていきたい。

◎千葉県在住のリ・ジョンエさん

 昨日ある演劇を見ました。朝鮮高校生の一人芝居で実話に基づいた芝居でした。演劇で印象的に残った場面がありました。

 1990年の始まりに日本の学校に通う在日コリアン3世がいじめられて思い悩み、学校にも行かなくなり、その怒りを祖父母やハルモニやハラボジにぶつけます。祖父母に向かって「どうして日本に渡ってきたんだ」、家計のために朝鮮料理屋をしているオモニに、「苦しい。日本人になりたい」と叫ぶのです。とても胸が痛みました。今もそういう思いをしている在日の子どもがいるかも知れません。

朝鮮学校に通う子どもたちは、無償化から除外されても、誇りをもって闘い続けている。民族教育を受けたからこそ、朝鮮学校の生徒たちは、歴史を知り、言葉を知り、誇りを持っていつまでも闘い続けることができる。そういう思いになりました。

 子どもの声にどう応えるか。私はウリハッキョをどんなことがあっても守ります。民族教育はウリハッキョでしかできない。これからもがんばります。

◎西東京在住のチャン・キョンエさん

 私は、高校まで日本の学校へ通っていました。自分が朝鮮人であることがイヤでした。家は朝鮮料理屋という看板を出して商売をしていたので、どうしてもバレてしまい、学校で朝鮮人と、からかわれることもあった。

 なんで朝鮮人として生まれてきたのだろう。そういう思いもしました。高校生のとき、サマースクールに参加し、朝鮮人であることを隠していたことを恥ずかしいと思い、もっと色んなことを学びたい、朝鮮学校で学べなかったことを残念に思いました。だからこそ、自分がどんな苦しく厳しい状況でも、3人の子どもたちは朝鮮学校に通わせようと思いました。

末の娘が来月朝高を卒業します。子どもたちは、幼稚園の頃から朝鮮学校に通っていたので名前を呼び合い、朝鮮の文化と歴史も習う。朝鮮人としてごくごく自然にあたり前なことを羨ましく思います。

 その子どもたちが何年もの間、辛い思いをしています。学業や部活の時間を割き、暑い日も寒い日も自分たちの権利獲得のために文科省前に立ち続け、がんばっている。顔から笑顔が消えるんです。子どもたちの笑顔をにごらせることをしてはいけない。子どもたちはこれからの日本社会でも十分に活躍していける。私たち大人は隣で一日も早く本来の学生の姿に戻れるように一緒に闘っていきたい。勝利する日までがんばり続けましょう。

◎栃木県在住のソ・ジョンミさん

 栃木から東京中高に子どもを通わせています。昨年11月に文科省に要請に訪れた韓国からの訪問団の男性が役人の方々に強く訴えました。「この闘いは必ず勝つしかない。勝つまで闘うからです」と。私たちの思いを代弁するように強く訴えてくれました。ここに集まってくれたアボジ、オモニ、同胞、日本の方々も同じ気持ちではないでしょうか。これからも、ともに闘いましょう。

母・金紅珠に会いにいく―金満里さん、20年ぶりに東京で「ウリ・オモニ」を上演へ

2019-01-31 10:00:00 | ï¼ˆç‘›ï¼‰ã®ãƒ–ログ
2月8~11日・下北沢 ザ・スズナリ


 「劇団態変」主宰の金満里さんが、ソロ作品「ウリ・オモニ」を20年ぶりに東京で上演する(2月8~11日、下北沢 ザ・スズナリ)。

 満里さんは、伝統芸能の名手だった母・金紅珠さんが他界した1998年にこの作品を創作し、「オモニと出会いなおしてきた」という。作品への思いを大阪で聞いた―。(瑛)


金満里さん(大阪市で)

●1911年生まれの母・金紅珠さんは朝鮮古典芸能の大家。家でのオモニは、母というよりも、芸人としての印象が強かったという。

(金満里さん)
 母は、生きていれば108歳。亥年です。母の父親である祖父は芸事が大好きで、芸能一座が村に巡業に来るたびに芸を覚え、しまいには家や妻を残して一座についていってしまった。

 祖父には娘が3人いて、一番上の娘は金緑珠といってカヤグム併唱の名手でした。母は二番目の娘で、上の姉とは年が離れていたものの、姉の芸を見ながら幼い頃から芸に親しみ、6歳でソウルの舞台に立ちます。舞踊・楽器・歌にも秀でていた母は「天才少女の出現」と騒がれたようで、姉の活躍していた一座で活動を始めます。

 巡業のないときは親子で故郷に帰り、祖父は学校にも行かせたようです。当時、女の子が勉強することは珍しいことだったので、男の子の服を着せてね。しかし、姉が当時芸人の中で流行っていたモルヒネに手を出すようになり、心配した祖父は姉から母を引き離し故郷へ戻ります。やがて長姉は命を落とし、妹は幼くして病死したので母は一人っ子に。そして17歳で祖父が決めた人と結婚しました。

 その夫は黄熊度という名の独立運動家でした。朝鮮全土に広がっていた万歳運動(1919年)に呼応し、固城で演説をしたことで懲役刑を受け、投獄されました。住民の嘆願書で減刑となり出獄した後は、生きていくために日本へと渡り、大阪日日新聞の記者になります。しかしこの仕事は長く続かず、35年ごろに故郷から母を呼び寄せ、「黄金座」という一座を結成し日本全国を巡業しました。

 当時、朝鮮の古典芸能を専門にする劇団は珍しかった。母は劇団の看板女優でした。黄さんは手腕の人で、同胞が強制連行された炭鉱労働の現場や日本軍の慰問にも行っていました。当時は植民地時代で、官憲の目を盗んで舞台をやるので、母が踊っていたりカヤグムを弾いているときに幕が降りることもあった。母は、「その時が一番悔しかった。情けなかった」と言っていました。


古典芸能の名手だった金紅珠さん(提供=金満里さん)

●金紅珠の夫・黄熊度は、戦後まもなくして亡くなり、母は一家の主に。2人には9人の子どもがいた。

 夫亡き後に一座は解散し、母は男親の違う子として私を産み落としました。当時母は42歳、私は10人目の子どもでした。おそらく母は初めて、自分の意志で子を生んだのだろうと思います。

 私は母の溺愛を受けます。幼児で踊りに秀でていたので、自分の跡取りにと思っていた。しかしその娘が3歳でポリオに罹り全身が小児マヒの重度障碍児となった。ショックだったでしょうね。

 私は7歳から施設で暮らし始めるのですが、母は会うたびに私の足をさすってね。私の足は血のめぐりが悪いからとにかく冷たいんですよ。病院で「親がもんだるのが一番だ」と言われたらそればっかり。一生懸命もんでいたら、そのうちに動くようになると思っていたようです。

 劇団が解散した後、母は金紅珠古典芸術研究所を立ち上げ、家で芸を教えていました。日本で古典芸能をしている人が少なかったので、今里の朝鮮学校や東京にも教えにいき、弟子も多かった。家では大黒柱ですからデンとしていましたね。たたずまいや価値観は、生粋の芸人。子育てや家の仕事は劇団員やお手伝いさんに任せ、私が生まれる前はオムツも替えたことがなかったそうです。


カヤグムを弾く金紅珠さん(提供=金満里さん)


●10年の施設生活の後、障碍者運動との出会いをきっかけに、満里さんは24時間ボランティア介護の自立生活者になる。21歳で家を出る決心をしたとき、母が言った言葉を忘れることができない。

 「おまえのやろうとしていることは、朝鮮が日本から独立しようとして、独立運動をしたのと同じ意味がある」―。

 「おまえがおまえとして生きるために、親を捨てていこうとするのは、おまえの立場とすれば当然のことだ」―。

 私生児としての私が娘として母と対立し、反対を押し切って母の元から去り、障碍者として家出をする―。母は阻みきれない娘の道理、母娘関係という負の連鎖を断ち切るには、自国の朝鮮半島が日帝支配時代の酷い圧制に抗して起こった朝鮮独立運動と、娘のやろうとする障碍者運動が同質だという理解にいたったのです。

 私が生まれた後、周りの大人は私を「金紅珠の跡取りにできる」と思っていたし、オモニもそれを望んでいた。しかし、障碍者になったことで私はそのレールから外れた。私もオモニの存在が大でありながら、御旗にする気はなかった。親の死に目にもあえないという大きな決断をして家を出ました。


●1983年、金満里さんは全員が身体障碍者の「劇団態変」を立ち上げる。

 母が一度、私の舞台を見に来たことがあります。感想を聞くと、「かわいそうやんか。見てられへん」と。

 重度障碍者がそこで動いていることが、「芸術で前衛なんだ」という所は、ついぞ分かってもらえなかった。

 態変の芸術は、「古典の目」では到底理解できないと思う。オモニが障碍者になっても、「こうはならんかったんやろ」って思いますね(笑)。

 私は母の古典芸能とは別のところで独立独歩で、アバンギャルドな芸術を開拓したことで、女と障碍者が捕えられてきた「二重の軛」を断ち切ることができました。

 それでも、常にオモニは私の中にいたし、私は違う形で母の「魂の継承」を受けていると感じます。

 今回演じる「ウリ・オモニ」は母の死に向き合って作った「葬送の舞」。母の踊りは見たことがなく、自分にとっては「幻の舞」です。

 舞台では、他の追随を許さなかったという母の僧舞を演じる場面があります。

 母があの時代に、民族芸能にこだわり、それを貫いたのは、自分を否定してくるものを、「余計にやらなあかん」と思っていたから。古典芸術家として母の姿を想う時、一番「粋」な所をわかってほしかったんだろうと思います。

 今まで「ウリ・オモニ」を演じるときは「オモニ、これどう思う?」と問うてきましたが、今はオモニと一体になっている。私が金紅珠で、金紅珠が私という感覚です。

 オモニが60代の時に「国に帰りたい」って言ったことがありました。その言葉がものすごくショックでね。不思議なことに、今はその気持ちに私がどんどん近づいてきている。故郷に帰りたい、帰ってみたいって。


1998年に上演された「ウリ・オモニ」(提供=劇団態変)

●金満里ソロ公演「ウリ・オモニ」

 古典の歌、舞、楽器に秀でた芸人・金紅珠は、母国が侵略を受けるなかでも民族の魂である芸能を上演し続けた気骨の人だった。本作によって金満里は母の古典芸能のスピリットを自ら創造してきた身体表現に取り込む。全5場。1場:暗夜の胎児、2場:母と児の絆、3場:宇宙の種、4場:満里の僧舞、5場:愛の会話。監修は世界的な舞踏家の大野一雄(1906-2010)、振付は大野慶人。

◎日時
2月 8日(金) 19:00★/9日(土)14:00/10日(日)14:00/ 11日(月祝) 14:00★
※受付は開演の1時間前から、開場は30分前/★の回にアフタートークあり
8日= 保坂展人氏(世田谷区長)×金滿里
11日=姜信子氏(作家)×金滿里 
※8日公演のみ、劇団扱いの予約は終了。下記のザ・スズナリへ問合せ下さい。
◎場所:ザ・スズナリ(小田急線・京王井の頭線「下北沢駅」徒歩5分)
◎チケット:〔前売〕一般4000円、障碍者・介助者3000円(ザ・スズナリ扱いのみ)、22歳以下・シルバー3000円(劇団扱いのみ)

詳細はhttp://taihen.o.oo7.jp/upcoming.html
金滿里のブログ更新中 https://kimmanri.exblog.jp/
チケット予約:劇団態変office イマージュ(℡06・6320・0344)/下北沢ザ・スズナリ(℡03・3469・0511)