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今年の「かわいい」
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エイミー・ワインハウス(Amy Winehouse)の伝記映画『Back to Black エイミーのすべて』が日本でも2024年11月22日に公開されることになった。これを記念して、映画の字幕監修を担当したライター/翻訳家の池城美菜子さんによる3回にわたる短期連載を掲載。 第2回は、今作の字幕監修、そして彼女が歌った中でリアルな歌詞を持つ3曲を紹介。 <関連記事> ・連載第1回:エイミー・ワインハウスとその時代:USで発売されなかった1st ・エイミー・ワインハウス:レトロと形容されながら、時代の先を行くアーティストの功績 ・エイミー・ワインハウス「Back To Black」:マーク・ロンソンとの出会いで生まれた名曲 ・エイミー・ワインハウスの心に響く言葉ベスト10 【特報】映画『Back to Black エイミーのすべて』:エイミー・ワインハウスを半生を描いた作品【11/22(金)
ギターはロックにおける大黒柱だ。ブルースやカントリー・ミュージックに関しては言うまでもないだろう。6本の弦を操る天才たちのおかげで、世界はより生きやすい場所になっているのである。歴史に残る名ギタリストたちの中には、ハードな音を鳴らすロック・ギタリストたちだけでなく、それらのミュージシャンたちに道を開いた先駆者たちも含まれる。それでは、私たちの考える史上最高のギタリストたちを紹介しよう。 リストから漏れているギタリストがいると思ったら、下のコメント欄でぜひ教えてほしい。 <関連記事> ・平和を歌った名曲ベスト25:最も重要なことを思い出させてくれる楽曲たち ・最高の女性ドラマー・ベスト25:様々なジャンルのミュージシャンたち ・最高の男性ロック・シンガー・ベスト100:伝説のヴォーカリストたち ・ロック界のベスト・サイドマン10人:正当に評価されるべきミュージシャン達 75位: ガボール・ザ
ニール・ヤングは「My My, Hey Hey」にて「It’s better to burn out than to fade away / ゆっくり消えていくよりも、燃え尽きた方がいい」と歌った。だが時として、そのどちらにも当てはまらないバンドが現れる。 音楽界の古参バンドに焦点を当てたこの記事を通して、私たちはいまや文化の一部となっているグループの数々を称えたい。彼らは力を合わせて、難局や時代の流行の変化を乗り越えてきた。そうして彼らは、熱心なファンを何十年も繋ぎ止めることに成功してきたのである。 この記事にないグループがあれば末尾のコメント欄(Click to Comments)から是非書き込んで頂きたい。 <関連記事> ・ザ・フォー・トップスの傑作「Reach Out I’ll Be There」 ・ザ・ローリング・ストーンズはどのようにロックンロールを変えたか? メタリカ(結成年
今から30年以上前、アメリカでは、15の曲が公序良俗を乱す曲として名指しされた。政治家の妻たちによる過激になっていった歌詞への反動的な運動の中で、これら15曲が「汚らわしい15曲 / Filthy 15」として槍玉に挙げられ、その結果、彼らの圧力によって「露骨な歌詞」が含まれていることを警告するステッカー「Parental Advisory」がレコードやCDのジャケットに貼られるようになったのだ。 それからかなり年月は過ぎたが、槍玉に挙げられた曲に関する議論は今でも語り草となっている。2018年には、作曲家のニコール・リジーがこの問題をテーマとした作品「汚らわしい15曲」を発表し、有名なバービカン・シアターを含む各地の演劇会場で上演されている。 「初めのころ、私は驚いて呆然としていた。けれど、じきに怒りが爆発した」 作品で発表する表現がどこまで許容されるのか……それをめぐる議論は昔からあっ
LL・クール・J(LL Cool J)の11年振り、14作目のスタジオ・アルバム『THE FORCE』が2024年9月6日にリリースされた。 Nas、エミネム、リック・ロス、ファット・ジョー、バスタ・ライムス、スウィーティー、スヌープ・ドッグ、ドン・パブリト、J-S.A.N.D.、マッド・スクイブルズ、ソナ・ジョバルテらが参加した全14曲のニュー・アルバムについて、LL・クール・J本人が語る日本独占インタビューを掲載。インタビュアーは渡辺志保さん。 *9/17 update: 一部表記を修正しました <関連記事> ・LL COOL Jが発売30周年を迎えた「Mama Said Knock You Out」の制作秘話を公開 ・Def Jam創設40周年を祝うプレイリストが公開 Q・ティップがプロデュースした新作 ―― 新アルバム『THE FORCE』の発売、おめでとうございます。いよいよです
ブラジルが誇るボサノヴァのヒットメイカー、セルジオ・メンデス(Sergio Mendes)が、現地時間2024年9月5日、米ロサンゼルスで逝去した。彼の遺族が発表した声明には、「長期にわたる新型コロナウィルスの影響により、健康が損なわれていた」と記されている。 「Mas Que Nada」や「The Look of Love」など、数々のクロスオーバー・ヒットを生んだシンガー、作曲家、バンドリーダーと知られる彼は83歳だった。 <関連記事> ・ブラジルのリズム:モダン・ジャズとボサ・ノヴァの出会い ・セルジオ・メンデス『Fool On The Hill』:ビートルズがブラジリアンに その生涯 セルジオ・メンデスは1940年代初頭、ブラジルの都市ニテロイに生まれた。当初はクラシック・ピアノを学んでいたが、ジャズに出会って方向転換を決意し、すぐにリオ周辺でグループを率い、当時急成長していたボサ
スウェーデンのロックバンド、カーディガンズ(The Cardigans)自身によって編集され、スターリング・サウンドのライアン・スミスによってリマスタリングされたアルバム『The Rest Of The Best – Vol. 1 & 2』が2024年9月6日に発売となった。 このアルバムの発売を記念して、日本でバンドを大成功させた初代A&RのJidoriさんに寄稿いただきました。 <関連記事> ・カーディガンズ、アルバム本編未収録曲集の発売を記念してTikTokアカウントを開設 ・クランベリーズ「Linger」解説:初の全米ヒットを記録したドリーミーなポップ・アンセム ・ラナ・デル・レイ「Summertime Sadness」: 自身最大のヒット曲にまつわる物語 “スウェディッシュ・ポップ”の直前 「ザ・カーディガンズとはどんなバンドだったのか?」 というタイトルで、カタログ担当の方から
2025年1月4日、5日に幕張メッセ国際展示場で初めて行われる洋楽フェス「rockin’on sonic」にヘッドライナーで出演することが決定したパルプ(PULP)。1998年以来となる来日公演を行う彼らの歴史を改めてご紹介。 また、この公演を記念した予習プレイリストが公開となっている(Apple Music / Spotify / YouTube)。 <関連記事> ・90年代大特集:グランジからブリット・ポップ、R&Bやヒップホップの台頭まで ・忘れられた90年代バンド10組:再評価すべき忘れられたアーティストたち ・1994年に発売されたアルバム・ベスト69 パルプについては、艶やかな魅力やパンク的な感性を備えたオルタナティヴ・ロック・バンドだとか、個性的なアート集団だといった評価がなされてきた。だが実際のところ、多ジャンルの要素を取り込んだ素晴らしいポップ・グループだということを前提
2024年4月19日に発売されたパール・ジャム(Pearl Jam)による12作目の新作スタジオ・アルバム『Dark Matter』。 各所で絶賛の声が高いこのアルバムの発売を記念して、芸人・永野さんのYouTubeチャンネルにて音楽ライターの新谷洋子さんがゲスト出演したパール・ジャム特集が配信。この動画を抜粋した文字起こしを掲載します。 <関連記事> ・パール・ジャム、新作アルバム試聴会レポとプロデューサーの功績 ・ストーンズの新作をプロデュースしたアンドリュー・ワットの経歴 デビューから今までずっと凄い!パール・ジャムを熱く語る!(ゲスト:新谷洋子)/エディ・ヴェダーが「これが俺達の最高傑作」と話した最新アルバム「ダーク・マター」 「パール・ジャム好きって言ったらダメなんだ」という当時の風潮 永野:今回はパール・ジャムが4年ぶりのニューアルバム『Dark Matter』をリリースしたこ
1970年代後半は、プログレ・ミュージシャンにとって厳しい時代だった。1970年代前半から中盤にかけては彼らの全盛期であり、手の込んだ変拍子、壮大でコンセプチュアルな組曲、指の関節が折れそうな複雑なリフといったいかにもプログレっぽい要素が人気を集めていた。しかし1970年代の終わりになると、そうしたものは客受けが悪くなっていく。その代わりに流行したのはニュー・ウェイヴであり、「短くてシンプルでスッキリ」が当時の合言葉となった。 ただし「パンクがプログレと敵対関係にある」というイメージは、ほとんどの場合、マスメディアが作り出したものだった。たとえばラモーンズのジョーイ・ラモーンのレコード・コレクションには、イエス、ジェネシス、ELPも入っていた。またセックス・ピストルズのジョニー・ロットンはあからさまにヴァン・ダー・グラフ・ジェネレーターのピーター・ハミルの影響を受けていた。そしてザ・ストラ
急遽出演キャンセルとなったSZAの代わりに、2024年のフジロックフェスティバル初日のヘッドライナーとして出演したザ・キラーズ(The Killers)。 2018年の単独公演以来の来日公演、そして20年振りのフジロックでのステージについてのライブ・レポートを掲載。音楽ライターの粉川しのさんによる寄稿です。 また、フジロックのセットリストがプレイリストとして公開されている(Apple Music / Spotify / Amazon Music / LINE MUSIC / YouTube) <関連記事> ・【2020年の記事】なぜ、ザ・キラーズは日本でブレイクできないのか? ・The Killersはようやく日本でブレイクするのか? ・ザ・キラーズのベスト・ソング20:アメリカが誇る最高の“ブリットポップ・バンド” 日本との関係が大きく変わった夜 ザ・キラーズのデビュー・アルバム『Hot
“ブリティッシュ・ブルースのゴッドファーザー”、ジョン・メイオール(John Mayall)が90歳で逝去した。シンガーソングライターであり、マルチ・インストゥルメンタリストでもあった彼は、ザ・ローリング・ストーンズ、アニマルズ、ヤードバーズといったバンドを生んだ60年代のブリティッシュ・ブルース・シーンの中心人物だった。 イングランド北西部チェシャー州出身の彼は、ロンドンを拠点に長く活動したザ・ブルースブレイカーズを率いて名声を高め、その先駆的なブルース・ロック・サウンドを通して、エリック・クラプトン、ザ・ローリング・ストーンズのミック・テイラー、フリートウッド・マックのミック・フリートウッド、ジョン・マクヴィー、ピーター・グリーンといった英ロック界の多くのスターたちを世界に紹介した。 親しいコラボレーターたちは、彼が情熱的で学術的なブラック・アメリカン・ミュージックの信奉者であり、同時
フランス語の響きは、ラテン語が語源にあるロマンス諸語の中でもっとも耳心地が良いとされる。そう考えると、フランス音楽界から魅惑的なシンガーやクールなサウンドのポップが数多く生まれたのも不思議ではない。 ラヴェル、サティ、ドビュッシーらを輩出したクラシック音楽の系譜が受け継がれていることにも疑問の余地はないが、ジャンルや時代を超えたフランスの音楽の特徴は、ある種の”生きる喜び”が表現されている点にある。 ここでは2024年夏に行われるパリ五輪を祝して、フランスのポピュラー音楽を形作った革命的なミュージシャンやシンガー25組を順不同で紹介しよう。 <関連記事> ・フランスを代表するアーティスト、シャルル・アズナヴールが94歳で逝去 ・ダスティ・スプリングフィールドの隠れた名盤『Dusty…Definitely』 1. セルジュ・ゲンスブール いまなお愛されるフランスのカルト・ヒーローにして、快楽
この5枚目のアルバムをリリースしたころ、ポリス(The Police)はすっかりヒット・チャートの首位を獲得するのが当たり前のバンドになっていた。そして彼らはその新作に、精神科医のカール・ユングが提唱した哲学的な概念に因んだタイトルを付けた。 1983年6月17日に発表されたこの作品『Synchronicity』はリリースからわずか8日後に、グループにとって4作連続となる全英アルバム・チャートの1位を獲得した。しかし、世界中に存在する数百万人のファンは、これが彼らにとって最後のスタジオ・アルバムになるとは想像もしていなかった。 デビュー・アルバムの『Outlandos d’Amour』の最高順位は全英6位だったが、英国出身の三人組バンドである彼らはそれ以降、すべてのアルバムをヒット・チャートの首位に送り込んできた。 1979年の『Reggatta de Blanc (白いレガッタ)』と19
トリビュート・アルバムは、何十年ものあいだにわたってミュージシャンにインスピレーションを与え、ファンを喜ばせてきた。1950年、最初の33回転LPが登場してからわずか2~3年という時期に、オスカー・ピーターソンは偉大なるデューク・エリントンを讃えるため、エリントンの曲だけでアルバムを1枚作り上げた。それ以来、無数のトリビュート・アルバムが発表されてきた。 たとえばビートルズに捧げられたトリビュートだけを見ても、50枚以上ある。最高のトリビュート・アルバムではさまざまなアーティストたちが自分に影響を与えた曲を自らの作品として咀嚼し、敬意に満ちたオマージュを捧げている。 そして、トリビュート・アルバムは今も次々に生まれてきている。たとえばジャズ・ヴォーカリストのグレゴリー・ポーターがレコーディングした『Nat “King” Cole & Me』、アフロ・ビート・ドラマーのトニー・アレンがアート
「キング・タビーは守銭奴じゃない、タビーはダブのオーガナイザー(設立者)だ」 ディリンジャー(リー・‘スクラッチ’・ペリーの『Blackboard Jungle Dub』LPについて) 地面に轟く雷鳴のようなリヴァーブ、宇宙的なエコー、度肝を抜かれるディレイ、ハイパスフィルター、これが世界がダブを愛する理由だ。 21世紀の現在、ダブという言葉はリミックス、特にダンス・ミュージックと関連づけられている。モダン・テクノ、グライム、ハウス、ダブステップの楽曲は‘ダブ’・エディット、つまりはリミックスを擁することが多い。この‘ダブ’の起源、発明、発展、そして進化は、現代におけるダンス・ミュージックの大半と同様に、ジャマイカが大きく貢献している。 <関連記事> ・映画『ボブ・マーリー:ONE LOVE』関連記事まとめ ・ボブ・マーリー:ジャマイカ最大のスターの人生とその功績 ・ボブ・マーリーの歌詞に
実存的な絶望をこれほど激しい苦悩とともに表現した楽曲でありながら、ポップ・チャートのトップ5に入ったものはこの曲のほかに存在しないだろう。そして、それはポリス(The Police)だからできたことなのである。何しろ、彼らは一聴するとロマンティックに聴こえるが実態は究極の”ストーカー・ソング”といえる「Every Breath You Take (見つめていたい)」をチャートの首位に送り込んでもいるのだ。 また、グループ史上初の米国での大ヒット曲である「Don’t Stand So Close To Me (高校教師) 」もキャッチーなサウンドに誤魔化されてはいるが、内容は一歩間違えれば”変態”の域に足を踏み入れかねない学校教師の物語だ。要するに、彼らはかねてから過激なポップ・ヒットを生み出していたのである。 <関連記事> ・ポリスの名盤『Synchronicity』40周年記念盤が7月に
2024年5月31日にリリースされたエミネムの新曲「Houdini」。自身の過去を歌詞や楽曲、MVでサンプリングしたこの楽曲は、2013年に全米1位になった「Monster feat. Rihanna」以来の好成績となる全米2位、客演なしだと2010年の全米1位「Not Afraid」以来となる実績となっている。 この楽曲について、楽曲対訳も担当したライター/翻訳家の池城美菜子さんによる解説を掲載。 <関連記事> ・エミネムの“ロックの殿堂入り”受賞スピーチ全文 ・初のHIPHOPアクト、2022年スーパーボウル ハーフタイムショー解説 切れ味が鋭すぎる新曲 エミネムがまたやってくれた。より正確には、やらかしてくれた。今夏に出す通算12枚目のアルバムの先行シングル、「Houdini」の内容とミュージック・ビデオの切れ味が鋭すぎるのだ。新しいアルバムのタイトル『THE DEATH OF SL
1976年夏、ジャマイカのキングストン、マックスフィールド・アヴェニューの舗装道路は暑さで溶けだしていた。ゲットーは、どこよりも気温が高い。そしてPNP(人民国家党)対JLP(ジャマイカ労働党)の政治的絡みのギャング抗争が激しく続いており、チャンネル・ワンでは、スタジオの扇風機が休む暇なく動いていた。新しいセッションでキングストン屈指の面子が、歴史に残る傑作リディムをレコーディングしようとしていた。しかし彼らはただ、自分の仕事をしていただけだ。 マリファナ煙草に火が点く。ミキシング・デスクにはジョ・ジョ・フーキム、ドラムにはスライ、ベースにはロビー、パーカッションにはスティッキー・トンプソンとノエル・スカリー・シムズ、ギターにはダギーとチャイナ、そして、ホーン・セクションも凄かった。テナーにトミー・マクック、トランペットにボビー・エリス、トロンボーンには‘ドン’・ジュニア、アルトにはハーマ
70年代後半に登場した初期のニュー・ウェーヴ・バンドの多くは、過去数十年のロックの進化を支えてきたのと同じリズムを刻んでいた。だが80年代前半になると、アフリカ、インド、アジアといった地域のサウンドを取り入れることで作品に新鮮味を加えようとするバンドが増え出した。 当時は世界的な成功を目指す大物から知られざる革新的グループまでがこぞって、世界を股にかけた新しいロック・サウンドを鳴らしていたのである。この記事ではその一端を紹介しよう。 <関連記事> ・ポリスの名盤『Synchronicity』40周年記念盤が7月に発売決定 ・デヴィッド・シルヴィアンとジャパンのベスト・ソング20曲 ・ジャパン『Tin Drum』(邦題:錻力の太鼓)の想い出 ジャマイカ、レゲエとUK ジャマイカは、英米両国以外で最初にニュー・ウェーヴの流行、とりわけイングランドにおける流行に影響を与えた国の一つだ。新世代のグ
Photo: Capitol Records Archives, Courtesy of Universal Music 極上のハーモニーを武器にしたカリフォルニアのサーフ・グループとして慎ましいスタートを切ったビーチ・ボーイズ(The Beach Boys)は、やがて実験的・野心的なアルバムを制作してポップ・ミュージックに革命を起こすこととなった。彼らは10代の若者のあいだでの人気バンドからアメリカ音楽界のレジェンドへと飛躍を遂げたが、その道筋は波乱に満ちていた。だがそうした浮き沈みは優れた物語には付き物であり、音楽史上屈指に愛される作品の数々はそうした軌跡の中で誕生していったのである。 5月24日よりディズニープラスで独占配信がスタートした『ビーチ・ボーイズ:ポップ・ミュージック・レボリューション』は、バンドの歴史をこれまで以上に踏み込んで描いた作品だ。2時間近いこのドキュメンタリーで
ドレイク(Drake)とのビーフの応酬の中で生まれた楽曲「Not Like Us」がディス曲ながらストリーミングヒットとなり、全米シングルチャートで1位となるまでの成功となったケンドリック・ラマー(Kendrick Lamar)。 そんな彼が、2024年6月7日にケンドリックの地元であるカリフォルニア州コンプトンのコミュニティ・カレッジ、コンプトン大学(Compton College)の卒業式にサプライズで登場し、卒業式にスピーチを行った。その全文を公開。訳はライター/翻訳者の池城美菜子さん。 <関連記事> ・ケンドリックのコンセプト・アルバムの傑作『good kid, m.A.A.d city』を読み解く ・ケンドリック・ラマーのベスト・ソング30:頂点に上り詰めたラッパーによる名曲 イヤー イヤー イヤー イヤー イヤー イヤー どうもコンプトンのみんな、調子はどうかな、みんな、元気?
2024年5月24日にニュー・アルバム『66』をリリースしたポール・ウェラー(Paul Weller)。ポール・ウェラーの通算28作目、ソロとしては17作目となるソロ・アルバムの発売を記念して、1992年にソロ名義として初のアルバムを発売しようとするも、本国では契約先が見つからないなかで、世界で最初、そして半年以上先行して発売となったアルバム『Paul Weller』の担当A&R、佐藤 淳さんに当時のお話や今年のライブ、そして最新作をお伺いいたしました。 <関連記事> ・ポール・ウェラー、6年ぶり来日公演初日ライブレポート ・ポール・ウェラーの20曲:最もクリエイティブであり続けるシンガー・ソングライター ポール・ウェラーとの運命的な出会い ── まず、佐藤さんがポニーキャニオンでポール・ウェラーを担当される前のキャリアからお話いただけますでしょうか。 1990年に、ワーナーパイオニア(現
2024年5月に日本でも公開された映画『ボブ・マーリー:ONE LOVE』。この作品を見た日本のレゲエ関係者3名が映画やボブ・マーリー、そしてレゲエについて思う存分語る座談会を実施。その模様を3回にわけてお伝えします(第2回、第3回はこちら)。 <座談会参加者> ■石井志津男(プロデューサー) OVERHEATレコーズ主宰、雑誌Riddim誌発行。1985年から多数のジャマイカ人及び日本人レゲエ・イベント開催。ドキュメンタリー映画Ruffn’ Tuff監督。共著/監修本に『Rocksteady Book』、『Ruffn’ Tuff』、『レゲエ・ディスク・ガイド』など。 https://overheat.com/ ■工藤 BigH 晴康(新宿・REGGAE / DUB club OPEN “校長”) 音楽評論や伝説のレゲエ・バンドHARDCORE REGGAEを始めアーティストとしても活躍。
1999年5月11日生まれ、ディズニーチャンネルから人気となり、シンガーソングライターとして活躍しているサブリナ・カーペンター(Sabrina Carpenter)。 そんな彼女が2022年7月に発売した「Nonsense」、そして2023年8月に発売した「Feather」が連続してシングルヒットを記録。さらに、2024年4月に配信した「Espresso」が自身初、そしてキャリアハイとなる全英シングルチャート1位、全米シングルチャートでも4位をヒットを記録している。 彼女やこのヒットについて、様々なメディアに寄稿される辰巳JUNKさんに解説いただきました。 <関連記事> ・サブリナ・カーペンター、今までの来日インタビューを振り返る ・ディズニー卒業生の俳優兼歌手が熱い視線を浴びている7つの理由 新時代ポップスターの座 2024年のサマーアンセム「Espresso」で世界を席巻中のサブリナ・
Apple Musicによる史上最高のアルバムを讃える「100 Best Albums」(史上最高のアルバム100枚)の全リストが公開となった。 Apple Music「100 Best Albums of all time」 100位 ロビン『Body Talk』 99位 イーグルス『Hotel California』 98位トラヴィス・スコット『ASTROWORLD』 97位 レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン『Rage Against the Machine』 96位 ロード『Pure Heroine』 95位 アッシャー『Confessions』 94位 ブリアル『Untrue』 93位 ソランジュ『A Seat at the Table』 92位 タイラー・ザ・クリエイター『Flower Boy』 91位 ジョージ・マイケル『Listen Without Prejudice Vo
80年代後半頃のレッド・ホット・チリ・ペッパーズは、まだ今のような影響力のあるファンク・ロック・バンドでなかったことは、つい忘れがちである。そんな彼らのキャリアを大きく変えていたかもしれないような分岐点1989年にあった。 ところでこの時にはすでに彼らは地元ロサンゼルスで少しばかり人気があって、特に大学生の界隈においては、荒々しいファンクやロックのサウンドと、あの裸に靴下を股間につけたコスチュームに至るような、やり過ぎなライブ・パフォーマンスも相まって、人々の好奇心の的となっていた。 アルバム『Mother Milk』の制作に取り掛かろうとする頃、バンドを悲劇が襲った。1988年、結成メンバーであり、このバンドの生みの親のような存在であったギタリスト、ヒレル・スロヴァクがヘロインのオーバー・ドーズで亡くなり、それが原因でドラマーのジャック・アイアンズもバンドを脱退してしまった。代わりのメン
スティーヴ・アルビニ(Steve Albini)の死後、ブルックリン・ヴィーガンに掲載された寄稿文の中で、ソニック・ユースの元フロントマンであるサーストン・ムーアは、彼に対する心からの賛辞を贈っている。その中でムーアは、この世を去ったばかりのこのミュージシャン/プロデューサーを「真の先見性に満ち、創造への衝動を喜びとして生きた人物」と表現した。 一見大袈裟とも思えるこのような賛辞も、アルビニという男にはまったくもって相応しい。彼は自身の専門分野において、まさに唯一無二の存在だったからである。残念なことに、しかし彼はシカゴの自宅で心臓発作を起こしたあと、まだ61歳という若さでこの世を去ってしまった――。2024年5月7日のことだ。 辛辣なウィットに富んでいた彼は、生前、アルバム制作において無駄のないアプローチを採ることでも有名だった。また、彼は最期まで”プロデューサー”という肩書きを嫌い、携
インディ・ロックの名盤の数々を手掛けたエンジニアで、アンダーグラウンドなロック・グループのフロントマンとしても活動していたスティーヴ・アルビニ(Steve Albini)が2024年5月7日に心臓発作のため61歳で逝去した。 この訃報を受け、1993年に発売された『In Utero』を制作する前に、バンドがプロデュースを依頼した際のスティーヴ・アルビニからの返答の手紙(FAX)をバンドの公式アカウントが公開した。その翻訳を掲載。 <関連記事> ・デイヴ、クリス、スティーヴ・アルビニがニルヴァーナ『In Utero』を語る ・スティーヴ・アルビニ、カートとの出会いや『In Utero』の制作を語る ・『In Utero』: 90年代を代表するバンドのラスト・アルバム カート、デイヴ、クリスへ まずは、この説明書きを纏めるのに数日かかってしまったことを謝らせてほしい。カートと話したときはフガジ
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