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Illustration by Kinberry Wood/Getty Images, SNDR/Getty Images (INSET) <「韓国が悪い、文在寅が悪い」だけが理由なのか。単なる韓国批判を超えた「行き過ぎた」言説が広がる背景を、社会心理学とメディア空間の両面から解き明かす> 最近、リベラルを自認する友人から戸惑い気味にこう吐露された。「さすがに自分も、最近の韓国はないなって思うようになっちゃった......」 こう思っているのは、おそらく彼だけではない。 今年5月~6月にかけて日本の非営利組織「言論NPO」が実施した世論調査によれば、韓国に対して「良い印象を持っている」という人は20%、「良くない印象を持っている」は49.9%。日韓関係が「戦後最悪」と言われるなか、回答者の約半数が悪印象を持ち、日本では「韓国が嫌い」、いわゆる「嫌韓(けんかん)」と呼ばれる現象が目に付くよう
<大反響「百田尚樹現象」特集は、どのようにして生まれたのか。百田尚樹氏を取り上げたことへの賛否の声に、編集部の企画趣旨を説明します> ニューズウィーク日本版はなぜ、「百田尚樹現象」を特集したのか。 5月28日に発売された特集「百田尚樹現象」(6月4日号)に、大きな反響をいただいています。有難いことに、読んでくださった方から評価する声がたくさん届いていますが、なかには特集を告知した時点で「天下のNewsweekが特集するテーマですか?」「これ持ち上げてるの?disってるの?」という質問も見受けられたので、なぜこの特集を組むことにしたのか、お話しさせていただこうと思います。 そもそもの出発点は、『日本国紀』(幻冬舎)は一体誰が読んでいるのか、というシンプルな問いでした。65万部のベストセラー本として書店には平積みになっているのに、周りで「読んだ」という人には出会わない......。それでも、百
後藤健二さんの姿がテレビに映し出されるたび、時間と空気が止まったような感覚に陥ります。ご家族のお気持ちを思うと、言葉もありません。 後藤さんとは1度だけお仕事をご一緒したことがあります。 私は311直後、ユニセフの支援チームと一緒に宮城に入ったのですが、そのとき後藤さんはユニセフの活動の記録係を担当されていました。避難所になっている中学校の体育館に入ると、避難している子供たちはみんな元気がなくて、大人しく座ってテレビを見ていました。そこにユニセフが玩具などの支援物資を提供し、元気を取り戻した子供たちに後藤さんは笑顔でカメラを向けていました。各社の記者たちがメモ片手に子供たちからコメントを取ろうと必死になるなか、後藤さんは途中から自分も子供たちと一緒になって遊んだり、被災したお母さん方と取材という風でもなく普通に会話をしていました。今思えばそれが、後藤さんが中東でそれまでも、その後もずっとや
1枚の漫画は、時に長文のコラムより雄弁に政治の本質に光を当てる。そして漫画などのイメージは文字と違い、機械的なネット検閲に引っかかりにくい。言論や表現に対して強圧的な政権にとって意外とやっかいな存在だ。 「変態トウガラシ(変態辣椒)」という奇妙なペンネームの中国人漫画家が最近、日本と中国で注目を浴びている。本名は王立銘、41歳。性的にアブノーマルなわけではなく、いたって普通の常識人だ(「変態」はこの場合、中国語で「激辛」の意味になる)。王氏が最近、頻繁に日本のニュースで取り上げられているのは、中国の習近平政権による言論や表現への締め付けと、改善の兆しがまだ見えない日中関係という2つの政治的な嵐に巻き込まれ、この夏から日本への「亡命」を余儀なくされているからだ。 王氏は文化大革命のさなかの73年、下放政策によって上海から新疆ウイグル自治区に送られた両親の下に生まれた。文革終了後に上海に戻り、
北京市北部の新興住宅街でエステティックサロン兼美容院を経営する高春梅(25)は、1989年に東北部の吉林省長春市にある農村で生まれた。1人っ子政策が始まった後の生まれだが、父が罰金を払ったため2歳年上の姉と4歳年下の弟がいる。実家はトウモロコシとコメを生産し、ブタも育てている。耕地面積が狭いため出稼ぎに行く家庭もあるが、村全体で平均して7~10万元という収入は中国の農村の中では豊かなほうだ。 中学を卒業した後、実家で農業の手伝いをしていた高が2日がかりで遠く離れた南の福建省を訪れたのは、親戚のつてを頼って「兵士募集の宣伝を見て、かっこいいと憧れた」軍隊に入るためだった。ただ装備の現代化を進めるためリストラを進める軍に中学を卒業したばかりの女子が入る余地はなく、彼女は結局採用されなかった。 落ち込んで故郷に戻る気がしなかった高は、北京にいた叔父の元を訪れ仕事を探し始める。最初に紹介されたウエ
中国の人権派弁護士、浦志強(プー・チーチアン)氏が「騒動挑発」容疑で5月初めに公安当局に拘束されてから3週間余り。その後も中国では公安当局による記者や弁護士の拘束が続き、習近平政権はまるで民主派・人権派を根こそぎにしようとしているようでもある。89年の天安門事件から今年の6月4日で25年。政治的に敏感な時期とはいえ、かつてない摘発は共産党がまるで何かに脅えているようにも映る。相次ぐ拘束の背景には何があるのか。中国の民主活動家やリベラルな記者たちと長く交流し、浦弁護士とも家族ぐるみで付き合いのある阿古智子・東大准教授に聞いた。 ――浦弁護士に続いて、記者やほかの弁護士の拘束が続いています。 (浦弁護士の捜査に関連して拘束されていた)日経新聞重慶支局の中国人助手の家族に26日、「騒動挑発」罪での正式な拘留通知書が手渡されました。 浦氏の事件では浦氏のめいの弁護士と元サウスチャイナ・モーニングポ
「服貿」をめぐる台湾の学生運動が過熱している。「服貿」とは服務貿易協定、つまりサービス貿易協定のことだ。大陸と台湾の自由貿易協定(FTA)に当たる経済協力枠組み協定(ECFA)の柱であるこの協定の承認を急ぐ馬英九政権は、3月半ばに立法院(国会)の審議を強引に打ち切った。それに対して学生が怒っているのだが、彼らの怒りは経済問題でなく、むしろ政治問題に向けられている。 経済依存が強まれば強まるほど、台湾が中国にのみ込まれ「第2の香港」になるリスクは高まる。そうなれば少なくとも87年の戒厳令の解除以降、台湾社会が築き上げてきた民主主義や人権重視といった価値観は危うくなる――学生たちはそう懸念している。同じ中国語を話し、同じように漢族が90%以上を占める国だが、台湾と中国は今やかなりカルチャーが違う国になった。民主主義をいつまでたっても認めず、人権を平気で踏みにじる大陸の共産党政権のやり方を見て、
今から6年前の北京五輪直前、本誌2008年8月6日号は『中国を変える47人』という特集を掲載した。経済開放が始まった80年代の中国で子ども時代を過ごし、青少年期に89年の天安門事件を経験。市場経済が大きく広がった90年代に社会に出る、という体験を共有した当時30〜40代前半の中国人を「革命第7世代」と位置づけ、それまでの世代とはまったく違う価値観を持つ彼らの素顔と中国の将来について探る趣旨の企画だった。 北京の弁護士、浦志強(プー・チーチアン、49歳)も「第7世代」として取り上げた47人の1人だ。浦について6年前の記事はこう紹介している。 消費者被害事件や、メディアの言論の自由にかかわる裁判を手がける北京の弁護士浦志強(43)は、今年の天安門事件記念日(6月4日)が近づいたある日、公安警察の車に乗せられ「6月3日と4日は家から出るな」と警告された。 公安が浦をマークするのは、その影響力ゆえ
「ただいま団体の参拝中でして......個人参拝は2時40分ごろのご案内になります」 戦没者250万人の霊がまつられた東京の靖国神社。その最深部である本殿は、当日申し込みでも個人参拝できる。受け付け場所は拝殿横の参集殿。1月のある日の午後2時ごろ、筆者が受付の女性に個人で昇殿参拝したいと申し出ると、女性は申し訳なさそうに答えた。 40分後に再び参集殿を訪れると、男性と女性2人ずつの先客が待合室でビデオを見ながら参拝を待っていた。女性神職に玉串料を入れる申し込み用の封筒を渡されるが、「相場」が分からない。「どれぐらい入れればいいですか?」。ややうろたえながら聞くと、女性神職は手慣れた様子で「2000円から3000円以上が目安になっています」と、教えてくれた。 手水で身を清めた後、男性神職の後ろに続いて回廊を歩く。おはらいを受け、その後階段を上って本殿へ。基本的には、正面に明治天皇が西南戦争後
「ナチスの子供たち」の映画である『さよなら、アドルフ』が日本公開中だ。ナチス・ドイツを題材にした映画はいろいろあるが、『アドルフ』のような視点のものはほとんどなかったと思う。今年のアカデミー賞外国語映画賞のオーストラリア代表にもなった作品だ。 © 2012 Rohfilm GmbH, Lore Holdings Pty Limited, Screen Australia, Creative Scotland and Screen NSW. 主人公はナチス幹部の父を持つ14歳の少女ローレ。第2次大戦の敗戦後、両親は連合国軍によって拘束され、ローレは幼い妹や弟たちを連れて遠く離れた祖母の家を目指すことになる。混乱のただ中にあるドイツを子供たち5人で行く旅は当然ながら過酷だし、悲劇も避けられない。 ローレは旅の途中、ユダヤ人に対するナチスの残虐行為を初めて知る。さらに1人のユダヤ人青年と出会うこ
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「こんな店が『ジャパニーズレストラン』を名乗るなんて!」 1年前、ニューヨーク支局に赴任したての頃の私は店名に「ジャパニーズレストラン」や「スシ」と掲げながら日本ではまずお目にかかれない代物を出す「エセ和食屋」に腹を立ててばかりいた。 ニューヨークの和食ブームは引き続き飛ぶ鳥を落とす勢いで、道を歩けば和食屋に当たる。だがそのうち日本人が経営するなどの日系店となると数は絞られ、通りがかりのジャパニーズレストランに入ると中国人や韓国人が経営するアジア系の「なんちゃって」だったということが少なくない(日系かどうかを見分けるポイントの1つは味噌汁で、「れんげ」が入って運ばれてきたときは大抵アウト。「ミソスープ」という感覚だとれんげが入る)。 日系でなくても、(サービスに関しては百歩譲るとして)味が良ければ文句は言わない。だがこうしたエセ和食屋で出てくる料理は、少なくとも日本で出したら突っ込みどころ
ザ・ポリスのギタリスト、アンディ・サマーズは遅れてきたギタリストだ。生まれは1942年、45年生まれのエリック・クラプトンや43年生まれのキース・リチャーズよりも実は年上なのに、ポリスとして売れたのはアルバム『アウトランドス・ダムール』が出た78年、36歳の年だった。 当時スティングは27歳、ドラムのスチュアート・コープランド25歳。平均年齢29・3歳は決して若くない。ところが当時隆盛を極めたパンク・ムーブメントを利用することで売れようとしたこの異色のバンドは、その後レゲエの要素を取り入れ大ブレイク。最大のヒット曲『見つめていたい』は、BBCによれば1曲で1350万ポンド(約22億円)を稼ぎ出し、「最も稼いだ曲」ランキングの8位に入るほど売れた(ちなみにビートルズの『イエスタデイ』が1950万ポンド〔約32億円〕で4位)。 60年代から70年代にかけて世界を席巻したロックムーブメントに乗り
東京・世田谷に住む犀川弘道(44)は8年前、長男が生まれて半年経った時に6カ月間の育児休暇を取った。当時、育児休暇を取得し長期間子育てに専念する男性はもう珍しくなかった。ただ犀川のケースが異例だったのは、その勤務先だ。 犀川が牧師をサポートする事務主事として勤務していたのは、キリスト教のプロテスタント系教会だった。家族愛を説く教会なら、父親の育児休暇取得にも理解がある、と考えたくなるが、進歩的とされるプロテスタント教会でも、実は「夫は仕事、妻は家庭」という価値観が日本では根強い。犀川の育児休暇も、信者全員から大きな拍手で受け入れられたわけではなかった。 「父親が子供好きで、母親が仕事好きな家庭があってもいいはずだ」と、犀川は言う。「古い教会の価値観に対する反発心から、育児休暇を取った部分もあった」 キリスト教の教会でも男性の育児休暇が認められるほど、日本社会の父親の子育て・家事への参加に対
華麗な経歴を誇り、パワフルに活躍する人の話を聞くと、すごいと思う反面、「特別な才能があるからできたことで、自分とは違う」と感じることも少なくない。その点、産婦人科医の吉田穂波さんは、周囲の人々に「自分にもできるかも。一歩踏み出してみよう」と思わせる不思議なオーラをまとっている。すべてを包み込むような温かさと、穏やかで前向きなエネルギーに満ちているせいだろうか。 都内の女性総合外来で臨床医として働いていた吉田さんが、0歳、1歳、3歳の3人の幼子を連れて渡米したのは08年夏のこと。ハーバード公衆衛生大学院で2年間学び、帰国後は国立保健医療科学院の研究者として、災害時の母子支援体制などの研究に取り組んでいる。この夏には、やりたいことをまとめて叶える時間管理術や、波乱の留学生活を乗り切った交渉ノウハウを記した著書「『時間がない』から、何でもできる!」(サンマーク出版)も出版した。 しかも現在、5人
もうすぐ日本政府が尖閣諸島を国有化し、その後、中国各地でそれに抗議する反日デモが起きてから1年になる。去年は1月の台湾総統選に始まり、中国と世界を揺るがせた2月の重慶スキャンダル、9月の尖閣国有化と反日デモ、11月の共産党大会と、中国関連ニュースがこれでもかと世界を駆け抜けた。予想外の方向に事態がどんどん転がる薄煕来の事件も難儀だったが、何と言っても評価に窮したのが反日デモだった。 山東省青島市のイオンや湖南省長沙市の平和堂という日系スーパーがデモ隊の略奪にあって店がめちゃくちゃに破壊され、北京の日本大使館には石が投げつけられた。その一方で、日本に対する義憤にかられた人々が参加するはずのデモ隊はなぜか警察の誘導におとなしく従い、列の後ろの方は半分ピクニック気分で参加している――。一体どちらがデモの、そして中国の真実の姿なのか。正直かなり混乱した。 8月末、弊社から「在中日本人108人のそれ
英語教育が話題になると必ず、「英語なんてただの道具。何を話すかという中身のほうが大切だ」と反論する声があがる。優劣をつけられる類のものではないと思うが、確かに一理ある。現在発売中の本誌7月23日号の英語特集「TOEFL時代を制する英語術」でも、TOEFL対策予備校の先生が、英語力以前に「そもそも自分が何を訴えたいのか思いつかない日本人が多い。物事を批判的に考え、自分の言葉で発信する経験が非常に少ない」と嘆いている。 物事を批判的にとらえる思考力や、自分の意見を堂々と主張できるディベートの力──。これらは日本の教育システム全体がかかえる課題として昔から問題視され、さまざまな試行錯誤も行われてきた。でも、具体的に何をすればいいのか、明確な指針はいまだに見つかっていないように思える。 そんな日本の教育界にとって1つのロールモデルになるかもしれない学校が生まれようとしている。長野県・軽井沢町の別荘
「欧米系の話ですが、日本人乗務員を募集すると、かなりの男性が応募してきます」 知人のアジア系航空会社職員のメールに、思わず目を疑った。エアラインの客室乗務員(CA)といえば、今も昔も華やかな女性というイメージが筆者の頭に刷り込まれていたからだ。そんな話は聞いたことがないし、現実に世界の航空会社で日本人男性CAが増えているならニュースだ。Newsweek日本版7月9日号の特集『エアライン新常識』のリサーチ段階でこの話が飛び込んで来て、実際に取材を始め、関係者に話を聞けば聞くほど、航空業界のCAをめぐる意外な「真実」が浮かび上がって来た。 まず、男女を問わずかなり多くのCAが各国のエアラインで働いているのに、その総数や彼女ら彼らの国籍、性別に関する統計のたぐいが世界には一切存在しない。最近急速に成長している中東系エアラインでも約3500人のCAがいることを考えれば、おそらく全世界のエアラインに
「海を渡ったオキュパイド・ジャパン」という、ちょっと興味深い展覧会が開かれている(於:六本木ヒルズ森タワー49階/アカデミーヒルズ入口の展示スペース)。 オキュパイド・ジャパン(Occupied Japan)とは、第2次大戦後の「占領下日本」のこと。民間貿易が再開された1947年から、サンフランシスコ講和条約が発効した52年まで、日本からの輸出品には「MADE IN OCCUPIED JAPAN」の刻印を付けるようGHQ(連合国最高司令官総司令部)から命じられていた。 北米を中心に輸出された品々は、陶器やおもちゃ、布製品、カメラなどさまざま。「OCCUPIED JAPAN」の文字が付いた5年間だけの期間限定アイテム(「OJ」と呼ばれる)は希少価値を持ち、コレクターたちによる収集の対象になっている。 今回の展覧会はカリフォルニア州在住のコレクター、田中荘子さんの収集品1万点の中から代表的なも
次の一文を読んでみてほしい。 **************** 「北京の壁」を倒せ また自由にネットできない世界に戻ってしまった――。これが3時間40分のフライトの後、東京から北京に戻った実感だ。3G携帯を開き、フェイスブックとツイッターに返事が必要な連絡が入っていたので、サインインできるか試してみた。駐機場から税関を通って手荷物受取所に着くまで約20分。携帯のサインイン画面は固まったままだ。この時、僕はようやく理解した。ぶ厚くてバカ高い、ただし姿は見えない壁の中に戻ったのだ、と。中国の13億人を取り囲むこの壁、東西ドイツを隔てたベルリンの壁になぞらえて「北京の壁」とでも呼ぶべきこの囲いの中に。 ネットでの「翻墻(壁越え)」は「異なる声」を聞きたいと渇望する普通の中国ネットユーザーにとって、ごく日常的な行為の1つだ。帰国後の2日間、僕はいろいろな方法を試してこのバカ高い「壁」を乗り越えよう
この春は日本と台湾に関するニュースが何かと多い。今月初めにワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で日本代表と台湾代表が東京で大接戦を演じたかと思えば、直後の東日本大震災2周年追悼式典では日本政府が台湾代表をほかの外国大使と同等にして扱ったことに抗議して、中国が参加を事実上ボイコットした。 ハードニュースばかりではない。4月6日から日本の宝塚歌劇団が初めて台湾を訪れ、台北市の国家戯劇院で計12回公演する。1938年のヨーロッパ公演以来、これまで計24回、16カ国で公演してきたタカラヅカが台湾に行ったことがなかったこと自体が意外だが、すでにチケットは売り切れているという。日本人ファンによる追っかけだけで完売するはずもなく、背景に台湾人の間での親日感情の広がりがあるのは間違いない。 日本政府の台湾との窓口機関である交流協会が昨年6月に発表した2011年度の対日世論調査結果によれば、ほかの国
昨年暮れ、ニューヨーク支局に赴任した編集部の小暮さんから最近、メールをもらった。大まかに言うと、「ニューヨークで発行されているフリーペーパーを読んでいたら、現地在住ジャーナリストの武藤芳治氏が書いたコラムが目に留まった。 これを読んで、長岡さんが震災報道でのメディアのスタンスについて何度か書かれていたことを思い出した。この間長岡さんがアルジェリアの実名報道について書いた記事を読んだとき、『実名報道が必ずしもいいわけではない』と書かれているように読めたので、アルジェリアについては実名報道はいらなかったのかな?と少し混乱した。今後の指針として長岡さんがこのコラムについてどう思うか聞きたい」――という内容だった。 「アルジェリアの実名報道についての記事」とは、2月5日号で筆者が書いた「被害者の名前は公表されるべきか」はという短い記事のことを指している。この中で、筆者はアルジェリアの人質事件で問題
また微博(ウェイボー)だ。 11月に中国共産党の新しい総書記に就任した習近平は12月初め、広東省深圳市を電撃的に訪れた。深センは言うまでもなく、いまから20年前の92年に「改革開放の総設計師」鄧小平が訪問し、89年の天安門事件後に停滞していた中国経済が再び開放路線に大きく舵を切るきっかけになった場所である。共産党幹部の行動予定は通常、極秘中の極秘で外に漏れることはない。ところが深圳を含む南方視察中の習の行動は、マイクロブログ新浪微博のあるアカウントによって、逐一フォローされていた。 この謎のアカウント名は「@学習粉絲団(簡体字では学习粉丝团)」。「粉絲」はもともとはるさめの意味で、微博ではフォロワーを指す。「学習」は日本語と同じ「学習」の意味があるが、「習に学ぶ」という意味にかけているのだろう。この「学習粉絲団」は視察期間中、黒塗りの外車でなく小型バスで視察先を訪れ、ノーネクタイ姿で地方幹
「記者証ないの? 入れないよ!」 ......こっちはその記者証を受け取りに来ているのだ。持っているはずがない。 中国共産党第18回大会の最終日。開門時間の午前8時半に記者証交付先である北京市内のメディアセンターを訪れた筆者は、入口で武装警官におもむろに立ち入りを拒否された。「私はよく知らない。中に電話して」。おそらくは20代で、精悍だがどこかあどけなさを残した武装警官は、顔を前方に固定したまま目線だけを動かして質問に答える。言われた通りメディアセンターの番号にかけるが、なぜか「空号(現在使われていない番号)」とアナウンスされる。 「北門に回って。あっちはもっと人がいるから」。言われるままに東門から北門に向かうと、そこには3~4人の武装警官と公安部所属の警察官が1人。やはり「中に電話せよ」と言われるので、「記者のみなさんを歓迎します!」と書かれた案内板にある電話番号にかけるが、なぜかどれも
大きな火種 香港の活動家たちを乗せ、尖閣諸島を目指す漁船 Japan Coast Guard-Handout-Reuters 夏の沖縄の青い海で、さびれた中国漁船と日本の海保の艦艇がぶつかりあう。「同胞」の逮捕に怒った中国人が大陸の都市で反日デモに繰り出し、日本車や日本料理店を襲う――。 まるで2年前の再現映像を見ているようだ。8月中旬、日中が領有権を争う尖閣諸島(中国名・釣魚島)に漁船で接近し、上陸した香港人の活動家を海上保安庁が逮捕・強制送還すると、中国の20都市以上で日本に対する抗議するデモが発生。深圳市では日本製だということで警察車両までがひっくり返され、日本料理店の玄関ホールが破壊された。 横断幕に並んだフレーズも「日本製品ボイコット」「日本は釣魚島から出ていけ」と、2年前と同じお決まりの内容。ただ前回は3日連続した逮捕直後のデモが今回は1日だけで終わった(散発的なデモは先週末も
「お祭り騒ぎ」――これが先月、中2いじめ自殺事件の渦中にある大津市の中学校を訪れたときの印象だ。ただし騒いでいると感じたのは、大津市でも、問題の中学校でもない。現地を訪れて逆に「祭」に見えたのは、ネットやマスコミでの騒動だ。 大津市に取材に行ったのは、ネットで加害者生徒たちや担任教師の個人情報暴きが加速し、マスコミでも連日この問題がトップニュースで取り上げられていた最中のこと。そんな状況にあって、現地は驚くほど静まり返っていた。 朝、問題の中学校を訪れると、生徒たちがマスコミを警戒するような神妙な面持ちで登校してくる。広いグラウンドには部活動の朝練をする生徒の姿もなく、校門には「本校関係者以外の方(報道関係者や一般の方)の校地内への侵入・取材をお断りいたします。 学校長」という張り紙が。生徒たちはこちらを見るとマスコミだとすぐにわかるらしく、一瞥して、たいていは目を合わせない。逆に「おはよ
「俺はジョ--カ--だ」 7月20日、米コロラド州オーロラで銃乱射事件を引き起こしたジェームズ・ホームズ容疑者(24)は逮捕直後、警察に対してこう語ったという。 ジョーカーと言えば『バットマン』シリーズに欠かせない悪役の1人。犯行当日、ホームズは髪の毛をジョーカーさながらに赤く染め、全米公開が始まったばかりのシリーズ最新作『ダークナイト・ライジング』を上映している映画館で狂気の行動に出た。 犯行の動機はいまだ不明だが、外見からは分からない凶悪さを備えていることは確かだ。犯行後に捜査が入ることを見越して、ホームズの自宅アパートには30を超える爆発物などの「罠」が仕掛けられていた。同じ部屋に、バットマンのポスターやマスクも残されていたという。 こうした事件が起きるたび、映画のシーンやキャラクターが現実社会の犯罪の引き金になるかという議論が行われてきたが、いつも不毛な気がするのはなぜだろう。結論
23年たった今もよく覚えているが、1989年6月4日は日曜日だった。4月からずっと北京で続いていた学生の民主化運動は、前日の土曜日深夜からこの日未明にかけて起きた中国当局の武力弾圧という最悪の形で幕引きされた。中国語を学ぶ大学3年生だった筆者は日曜の午後、大学のグラウンドの片隅で一人膝を抱えた。ぼんやりと考えるのは、中国(と自分)の不安な未来。「涙ポロこぼれます」と中国人教師が慣れない日本語で授業中に語っていたと、何日か後に学内の噂で聞いた。 天安門事件当時、北京大学の学生リーダーだった王丹と筆者は同じ69年2月生まれだ。ともに今年43歳。その王丹が先日、初めて来日し日本や海外のメディアとの会見に応じた。王丹自身も出演したドキュメンタリー映画『亡命』のPRと、中国の人権状況を改めて日本人に知らせるのが目的だ。 かつて民主化運動の中心を担った元学生リーダーのいいニュースは最近少ない。現在台湾
読売新聞のスクープで明らかになった中国大使館元一等書記官、李春光(リー・チュンコアン)のスパイ疑惑は、肝心の防衛情報へのアクセスが明らかにならないまま、オウム真理教手配犯逮捕とAKB総選挙に押し流され、あっという間に忘れ去られてしまった。読売は警視庁公安部が李を書類送検した日の紙面で「公安部は李書記官が在任中に接触した関係者から事情聴取を進めており、工作活動の全容解明を目指す」と書いたが、おそらく捜査は朝日新聞が同じ日に書いたように「ほぼ終結」したと見るのが正しい。スパイ事件は「ブツ」のやり取りを現場で抑える現行犯逮捕が原則だからだ。 明らかになっている範囲では、李元書記官は農水省に出入りして、コメの対中輸出事業に関わる農水高官と接触していたようだ。その過程でコメの需給・価格予測という「機密」に接触していた可能性がある――と読売新聞は報じたが、「人民解放軍出身」というおどろおどろしい経歴と
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