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1954年3月1日の水爆実験によって、風下のロンゲラップ島は激しく汚染されてしまった。アメリカは強く帰島を希望した住民の願いに応え、3年後の1957年6月に住民を帰郷させた。しかし、島の残留放射能は人間が住めるレベルではなかった事をアメリカ原子力委員会(AEC)は知っていたにも関わらず帰島を許可したのだ。 当時、アメリカ国内で湧き起こっていた「核実験反対の声」を押えるため、「残留放射能は何年も残らない」事を証明する必要があった。そのため残留放射能で危険な事は知らせず島に帰島させたのだ。 もう一つはプロジェクト4.1と呼ばれている極秘研究だ。核実験によって得る必要のあるデータは単に爆発による威力だけでなく包括的なデータを研究する必要があった。そして研究テーマごとにプロジェクト1,1、1,2・・・などという番号がつけられていた。その4.1にあたるのが「放射線被曝した人間に関する研究」だった。
マーシャル諸島(ビキニ水爆実験) 目次 ビキニ水爆実験 被曝者はいま 被曝2世のジョカネ・マタヨシさん 誕生日プレゼントは水爆実験だった プロジェクト4,1 ― 人体実験の疑惑 温暖化 3,誕生日プレゼントは水爆実験だった 3月1日生まれのロンゲラップ島民リジョン・エクニランさん "太平洋の首飾り"と呼ばれる美しい島々からなるマーシャル諸島共和国は29の環礁と5つの島が点在し6万人が住んでいる。 アメリカはここで1946年から1958年までに67回原水爆実験を行った。その総破壊力はTNT火薬に換算して100メガトン以上と言われている。これは19年間にわたって毎日、広島に落とされた原爆と同じものが爆発したことになる。 特に1954年3月1日の水爆・ブラボーショットは最大の破壊力だった。広島原爆の1千倍ものエネルギーを一瞬にして放出したブラボーはビキニ環礁の3つの島をこの地上から消滅させた。そ
1954年3月1日村長をしていた、ジョン・アンジャインさん(28才=被曝当時)早朝、西の空を見ていた。突然、西の方から赤や黄色、真っ白い光が水平線の彼方から立ち上ってきた。その後大きな爆発音と島全体が揺れ、爆風で木が倒れ家や机が倒れた。10時ごろになると死の灰が降ってきた。飲んでいたコーヒーの中にも死の灰が入ってきた」と当時をふりかえる。 ジョンさんが見たのはアメリカ最大の15メガトン水爆「ブラボー」の実験だったのだ。 アメリカは1946年7月、4番目の原爆を中部太平洋マ-シャル諸島のビキニ環礁で爆発させた。以後13年間にビキニ、エニウェトクの2つの環礁で66回の核実験を行なった。 このビキニ水爆実験によって第五福龍丸など日本のまぐろ漁船2000隻余りが被曝した。 実験の行われたビキニ島からロンゲラップ島までは180キロも離れていたが、「死の灰」が2~3センチも降り積もった。やがて発熱、嘔
旧ソ連は核兵器開発のため、1945年ウラルの森の中にプルトニウム生産工場を造ることを決めた。テチャ川水系の豊富な水と秘密を守れる深い森は核兵器生産に最も適した土地だった。計画から2年半で暗号名チェリャビンスク40(現在はオジョールスク)という秘密都市が建設された。ここは最近まで地図にも載せられていなかった。 現在も、ロシア人すら入ることができない秘密都市だ。 1948年からプルトニウムの生産が始まった。プルトニウム生産コンビナートは「マヤーク」(灯台)と呼ばれた。ここから出た大量の放射性廃棄物はテチャ川に垂れ流された。垂れ流しは1949年から50年代半ばまで続き、放射能は曲がりくねったテチャ川のよどみに滞留し沈殿し周辺の村々を汚染した。放出された放射性廃棄物は275万キューリーに及ぶ。 テチャ川流域には39の村があり、29万人が暮らしていた。周辺住民12万4千人が被曝し、白血病、ガン、先天
新刊のお知らせ 沖縄・高江 やんばるで生きる 森住 卓 写真・文 解説 三上智恵(映画「標的の村」監督) ●A5判横・144ページ ●2014年4月4日発行 ●本体価格2000円 ●ISBN978-4-87498-542-7 やんばる(山原)は、沖縄(本)島北部の丘陵地帯をさす。そこはスダジイ(イタジイ)を主木とする深い森におおわれている。 この亜熱帯の森に抱かれて、多種多様な生き物たちが生き続けてきた。世界自然遺産の候補地だ。 この森にある米海兵隊北部訓練場の過半の返還が1996年12月に決まった。 ヘリパッドの新設を条件に。東村高江集落を取り囲むようなヘリパッド建設計画だ。 「静かに暮らしたい」と願う住民は国の工事強行に反対している。 高江は、人口160名ほどの小さな集落。映画「標的の村」の舞台でもある。 2012年10月に沖縄に配備されたオスプレイが、低空飛行やタッチ・アンド・ゴーを
旧ソ連は核兵器開発のため、1945年、このウラルの森の中にプルトニウム生産工場を造ることを決めた。 テチャ川水系の豊富な水と秘密を守れるウラルの深い森は核兵器生産に最も適した土地だった。計画から2年半で暗号名チェリャビンスク40(現在はオジョールスク)という秘密都市が建設された。ここは最近まで地図にも載せられていなかった。 現在も、ロシア人すら入ることができない秘密都市だ。 元トラクター運転手のグスマノフ・ワフィル(68)は原因不明の骨折で苦しんでいる。1956年から61年まで汚染除去作業にかり出された、と言う。 (モスリューモバ村) 1948年最初の原子炉が動き出し、プルトニウムの生産が始まった。プルトニウム生産コンビナートは「マヤーク」(灯台)と呼ばれた。マヤークは3つの機能を持っていた。1,ウランを燃やす原子炉 2,使用済み燃料からプルトニウムを取り出す再処理工場 3,プルトニウム金
どこまでも蒼く澄みわたったサンゴ礁の海、ヤシの木陰でおしゃべりをする島民、鶏や豚が放し飼いにされている。子ども達は珊瑚礁の海に潜って貝や魚捕りに興じている。島の名前はメジャット島。 周囲2キロほどの島には、300人ほどがトタンや板で囲った簡単なバラック住んでいる。3年前に来た時と何も変わっていないようだ。 浜に乗り上げたボートから、降りると子ども達が、駆け寄ってきた。私は久しぶりの訪問客らしい。 このメジャット島は1985年まで無人島だった。ここに移住した人々は、180kmほど離れたロンゲラップ島からやって来た人々だ。
English guide イラク レポート 総合Index 写真展開催のお申し込みはこちらへ →→ E-mail(福間) 劣化ウラン弾と経済制裁(イラク) 5分に1人の子どもが死んでゆく 劣化ウラン弾 非武装地帯 子ども専用の墓場‥‥バスラ イラク レポート 2001 イラク レポート 2002~2003(被占領まで) イラク到着 鎌仲レポート1 鎌仲レポート2 ムスタファの村 イラクの休日 イラクのクリスマス 国連査察団とのカーチェイス 正月の温泉 町工場の職人と手作りのトランス サード家の紹介 灯油売りの兄弟 朝礼 バグダッドスケッチ 3/20~4/1までの経緯 空爆下の市民 1 空爆下の市民 2 バグダッドの今 戦闘が終わって イラク レポート 2003/6 イラク レポート 2003/11~12 第1報 サマワで使われた劣化ウラン弾 (2003/12/12発売のフライデー掲載の写
30年前、インド東部の先住民族の住むジャドゴダはウラン採掘の村として、核開発の最先端を行く村になった。 しかし、その陰で、野放しの放射性廃棄物投棄によって、環境は汚染され、 住民に、ガン、白血病、流産や奇形が発生している。 何の知識も持たない先住民の村はいまも汚染され続け村人はみな病気だ。核秘密を守るため、 この村は外国メディアが近づけない地域になっていた。 「前世に悪人だったからいま苦しんでいるのよ」と言う住民たちはようやく、 その苦しみが前世から引き継がれたものでなく、ウラン鉱山から出された核のゴミが原因で あることを知るようになってきた。 インド東部ビハール州・ジャドゴダはカルカッタから列車で西に5時間、周囲を小高い山に囲まれた、山岳地帯にある。 ここに30年前からインドでただ一つ操業を続けているインド国営ウラニウム会社(UCIL=Uranium Corporation of Ind
実験場に隣接したカイナール村から東に2時間ほど草原を走った所で実験場に入る。 しかし「このあたりが実験場の入口だ」と言われても、境を示すものは何もない。 はるか向こうにデゲレン山が見えている。めざす目標がはっきりしているので、迷うことはない。 未舗装ながらもりっぱな道がつけられている。さすが軍事目的の道路だ。 標高900メートル近いデゲレン山の裾野は、幅24キロ、長さ50キロある。 ここで1963年以降、地下核実験が343回にわたって行なわれた。 「昔はアカマツやシラカバの生えた緑豊かな山だった」と案内してくれたアキンバイさんは 子ども時代を思い出しているようだった。それが今では、岩石が地中から押し流され、 山容がまったく変わってしまった。木は1本も生えていない。標高も低くなってしまった。 セミパラチンスク放射能医学・環境研究所のボリス・グシェフ博士によれば、 343回の地下核実験のうち、
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