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1 The Review of Life Studies Vol.8 (February 2017):1-14 「恋愛工学」はなぜ危険なのか 女性蔑視と愛の砂漠 森岡正博* 1 はじめに 2016年5月、東京大学の学生と大学院生らが、女子学生への強制わいせ つ事件を起こし、逮捕された。2016年9月、慶應義塾大学の学生らが女子 学生に強い酒を飲ませ集団性的暴行を行なったと週刊誌が報道した。大学は学 生らに無期停学などの処分を行なった。2016年9月、千葉大学の学生らが 女性に酒を飲ませて集団で性的暴行を行なったとして、集団強姦致傷容疑で逮 捕された。立て続けに起きたこれらの事件は、大学関係者に大きな衝撃を与え ている。 『週刊文春』2016年12月22日号は、千葉大学の学生である増田峰登 被告についての記事を掲載している( 「千葉大集団強姦主犯が私淑した外資系ナ ンパ師」 (131~132
電子出版 kinokopress.com ホーム > 森岡正博全集 > 中編作品集 > このページ 森岡正博全集第一巻 一四~一八頁 kinokopress.com (一九八六年頃) 現代日本の哲学をつまらなくしている三つの症候群について 森岡正博 縦書きで読みやすい画面閲覧用PDFファイルはこちら 全集版の頁数付き印刷用PDFはこちら 1 現代この場所で私たちが直面している問題を、根本にかえって、深く考えるのが、哲学である。ところが、大学や書店で出会う「哲学」は、決してそのようなものではない。現代日本では、哲学は、非常につまらないものへと縮減しているのである。 哲学者に向かって、あなたの哲学は何ですかと決して質問してはならない、というジョークがあるが、この話が意味するものをここでもう一度考え直してみよう。 哲学的問題に自分の頭と自分のことばで取り組み、「哲学」する人、これが本来の哲学者で
『生命倫理のフロンティア』(粟屋剛・金森修編 シリーズ生命倫理学第20巻 第6章)、2013年、95~114頁 まるごと成長しまるごと死んでいく自然の権利 :脳死の子どもから見えてくる「生命の哲学」 森岡正博 * PDFダウンロード *【数字】の箇所で、印刷頁が変わります。数字はその箇所までの頁数です。 はじめに 本章では、脳死臓器移植を素材としながら、人間にはまるごと成長しまるごと死んでいく自然の権利があるということを述べていきたい。私がこの考え方をはじめて公にしたのは、臓器移植法改正についての国会審議が大詰めを迎えていた2009年7月7日の参議院厚生労働委員会の参考人発言においてであった。いまから振り返ってみれば、この考え方は、20年以上脳死臓器移植に関わってきた哲学者としての私の思索が凝縮されたものだった。以下の考察で、このテーマを掘り下げて考えてみたい。なお、本章で焦点となるのは、
The Review of Life Studies Vol.3 (March 2013):1-9 「生まれてくること」は望ましいのか デイヴィッド・ベネターの『生まれてこなければよかった』について 森岡正博 *印刷バージョンと同一のものをPDFでダウンロードできます。引用するときにはかならずPDF版をご参照ください。 → PDFダウンロード 1 はじめに 筆者は、吉本陵と共同執筆した2009年の論文「将来世代を産出する義務はあるか?:生命の哲学の構築に向けて(2)」において、人類には将来世代を産出する義務があるかという問題、すなわち、人類は本当に次世代を産出し続けなければならないのか、次世代産出をやめて静かに滅びていくことは許されないのかという問題を哲学的に検討した。その問題意識は、ハンス・ヨーナスの「将来世代への責任」論に触発されて浮上したものであった。ヨーナスは、人類には将来世代への
表1 ところで、これらの議論の背後には、そもそも「××でなければよかった」「××しなければよかった」とはいったいどういうことか、という問題が潜んでいるように思われる。その点について少しだけ考えてみたい。 たとえば、私があるときに子どもと一緒に外出したのだが、その子が道で車にはねられて死んでしまった、という出来事があったとする。そのときに、私は「あのときに子どもと一緒に外出しなければよかった」と思い、後悔するであろう。そしてその後悔は一生続くかもしれない。では、「あのとき子どもと一緒に外出しなければよかった」とは、どういう意味なのだろうか。それは、外出の直前の時点にまで時間を巻き戻して、その時点から自分の人生を新たにやり直し、子どもと外出をしないという選択をしたあとに引き続いて起きるであろう人生でもって、その後の現実の人生をすっかり置き換えてしまいたい、という意味であるように思われる。 自分
大阪府立大学人間社会学部人間科学科森岡研究室学生レポート (2008年度) ベースの持つ魅力 :どうしてベーシストはベースを弾くのか? 和田恵理子 はじめに 自分の周りの音楽をやっていない人などと話をする時、「ベースをやっている。」と言うと、「どうしてあえて地味なベースなの?」と聞かれることが多い。このことより、“ベースは地味な存在”という印象が一般的に強いということを感じた。バンドの中で、ボーカルやギターやキーボードやホーンがフロントで目立ち、バックではドラムが目立って、ベースはあまり目立たなく、地味だと思われている。低音楽器なので、確かに音はあまり目立たない。その人が出す音、ジャンルにおいては、ほとんど前面に出ることのないベース音もある。ステージ上において、大体は端にいて、照明も半分かかるくらいだけであったり、またほとんど影になったりすることもある。スポットもほとんどない。こういった面
『人間科学:大阪府立大学紀要』6 2011年2月 173~212頁 誕生肯定とは何か 生命の哲学の構築に向けて(3) 森岡正博 *印刷バージョンと同一のものをPDFでダウンロードできます。引用するときにはかならずPDF版をご参照ください。 → PDFダウンロード 1 はじめに 本論文は、「誕生肯定」の概念について哲学的に考察するものである。「誕生肯定」とは、私が2007年の論文「生命学とは何か」において導入した概念である。発表から4年が経過したが、その間の思索において、この概念が「生命の哲学」の根幹をなし得ることが明瞭になってきたので、ここでその全体像を記しておくことにする。全体の見取り図を与えることを優先するので、細部においては未消化の議論が多くあるが、それらの点については次回の課題にしたいと考えている。私はいま、「誕生肯定」の概念を土台として、その上に「生命の哲学」を構築することを目指
『人間科学:大阪府立大学紀要』7 2012年2月 93~108頁 幸福感の操作と人間の尊厳 生命の哲学の構築に向けて(4) 森岡正博 *印刷バージョンと同一のものをPDFでダウンロードできます。引用するときにはかならずPDF版をご参照ください。 → PDFダウンロード 1 はじめに 幸福は人生の最大の目標のひとつであると考えられてきた。しかし近年の科学技術の発達によって、幸福が人間の脳のはたらきと密接に関連している可能性が見えてきた。もし脳操作によって幸福を巧妙にコントロールすることができるようになったらどうだろうか(1)。私たちは脳操作によって得られた幸福を、真の幸福だとみなすことができるだろうか。本論文では、幸福感の操作について考察を行ない、「幸福」と「人間の尊厳」の関係を明らかにしていきたい。 先に進む前に、幸福の概念について簡単に整理しておこう。哲学者たちは幸福を「主観的幸福」と「
The Review of Life Studies Vol.1 (October 2011):13-28 「草食系男子」の現象学的考察 森岡正博* *印刷バージョンと同一のものをPDFでダウンロードできます。引用するときにはかならずPDF版をご参照ください。 → PDFダウンロード 1 「草食系男子」という言葉の誕生 「草食系男子(草食男子)」という言葉は、2008年から2009年にかけて流行語となった。新聞、テレビ、雑誌、インターネットなどでさかんに取り上げられ、人々の日常会話にもたびたび登場した。流行語になるにつれ、当初の意味合いは多様化していき、人々は様々に異なった意味を付与しはじめた。2009年12月に、「新語流行語大賞」(ユーキャン主催)のトップ10のひとつとして「草食男子」が選ばれた。2010年になるとこの言葉は普通名詞化し、2011年現在、人々はこの言葉にさほど興味を示して
大阪府立大学人間社会学部人間科学科森岡研究室学生レポート (2010年度) 岡崎京子『pink』の作品研究 :私はなぜ『pink』に魅力を感じるのか 梁 知美 はじめに 私が岡崎京子という漫画家を初めて知ったのは、一昨年のことだったと思う。大学1回生の時に受けていた授業の中で、岡崎京子の『ヘルタースケルター』という漫画が取り上げられたことが始まりだった。全身整形をして美しくなった主人公が、自分の美貌が崩れていくことによって破滅に追い込まれていくというストーリーだと紹介された。今となっては、なぜこの漫画がその授業で取り上げられていたのか思い出せないのだけれど、私はこのときに紹介されたストーリーが気になって、本屋に行った時はその漫画がないかいつも気にするようになった。しかし、岡崎京子の漫画はどこの本屋にでもあるわけではなく、私自身、作家の名前もあやふやにしか覚えていなかったので、なかなかこの漫
『人間科学:大阪府立大学紀要』5 2010年3月 91~121頁 パーソンとペルソナ パーソン論再考 森岡正博 *印刷バージョンと同一のものをPDFでダウンロードできます。引用するときにはかならずPDF版をご参照ください。 → PDFダウンロード 1 はじめに 私はこれまでに何度か「パーソン論」についての批判的検討を行なってきた。最初にパーソン論の言説に触れたのは、マイケル・トゥーリーの1972年論文「中絶と新生児殺し」(Abortion and Infanticide 邦訳:嬰児は人格を持つか [1] )を翻訳したときであった。その後、『生命学への招待』(1988年)の第9章において、トゥーリーの「パーソン論」を批判し、生存する権利がない存在者をなぜ殺してよいことになるのかと疑問を呈した。さらに『生命学に何ができるか』(2001年)の第2章において、ピーター・シンガーとトリストラム・エン
・ホモソーシャルとは? ここまで、フロムの考えを下に愛について述べてきたが、更にホモソーシャルというものについて考察していきたい。ホモソーシャルとは、イヴ・セジウィックによって提唱され、同性間における社会的絆のことを指している。その特徴として、女性嫌悪や、同性愛に対する恐怖や、嫌悪が挙げられる。それは体育会系などでよく見られ、例えば野球漫画を見ると、ホモソーシャルな関係を描いているものが多い。野球部は一般的に男性だけの世界で、女性はマネージャーとしてしかその世界に入ることができない。野球漫画の多くが、主人公の野球部のエースとそのライバル、女性マネージャーとが三角関係に陥って、その女性をめぐる戦いをくりひろげながら男2人の友情を描いているが、まさにそれはホモソーシャルである。一見すると男2人が1人の女性を取り合っているように見えるが、あくまでも男同士の絆を描くために女性を利用しているだけで、
|生命学ホームページ|掲示板|プロフィール|著書|エッセイ・論文|リンク|kinokopress.com|English | 『女たちの21世紀』No.9 1996年12月 47-48頁 レイプと買春について 森岡正博 最近、二冊の本をたてつづけに読んだ。松井やより『女たちがつくるアジア』(岩波新書)とザンダー、ヨール『一九四五年・ベルリン解放の真実』(現代書館)の二つである。 正直言って、めいっぱい気が滅入った。松井のレポートのなかには、日本やアジアの男たちが、アジアの女たちを人身売買し、買春し、レイプするケースがこれでもかとばかりに報告されている。ザンダーらのレポートでは、ベルリンに侵攻してナチの悪夢から人々を救ったロシア兵たちが、実は次々とベルリンの女たちをレイプしていて、その数はベルリンで一一万人、ドイツ全体で二〇〇万人となるということである。瓦礫のなかに女を連れ出して、銃で
エッセイ まるごと成長し、まるごと死んでいく「自然の権利」 :参議院スピーチandNHK教育テレビ「視点論点」スピーチ 森岡正博 【解説】 以下の文章は、臓器移植法改正に際して、参議院厚生労働委員会にて参考人発言したときの発言議事録と、改正成立後にNHK教育テレビにて発言したときの手元原稿の全文である。ともに様々な反響があった。資料としてここに公開しておきたい。参議院では改正前ということもあり、全体にわたって発言している。NHKでは改正後ということもあり、子どもの脳死に絞って詳述している。 【追記】 このテーマを2013年に論文にして発表した。 > 森岡正博「まるごと成長しまるごと死んでいく自然の権利 :脳死の子どもから見えてくる「生命の哲学」」 (1) 2009年7月7日・第171回国会・参議院厚生労働委員会にて (参議院議事録より) 森岡と申します。よろしくお願いします。 私は、二十年
エッセイ 『朝日新聞』(全国版)2009年6月27日朝刊 臓器移植法A案可決 先進米国にみる荒涼 森岡正博 6月18日の衆議院本会議で臓器移植法改正A案が可決された。だがこの改正A案は大きな問題をはらんでいる。 現行の臓器移植法は、書面による本人の意思表示と家族の承諾があったときにのみ、脳死判定と移植を行うとしている。昨年の内閣府の世論調査でも、約52%の国民がこの考え方に賛同している。しかしながら、A案は、たとえ本人の事前の意思表示がなくても、家族の承諾だけで脳死移植ができるとする。これは過半数の国民の意見をないがしろにするものだ。 さらに深刻なのは、幼い脳死の子どもからの移植を可能としている点である。最近の調査研究によって、子どもの場合、脳死になっても身長が伸び続け、歯が生え替わり、顔つきも変わり、うんちをするときにいきむ、「長期脳死」の例があることが分かってきた。A案は、成長する潜在
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論文 『人間科学:大阪府立大学紀要』4 2009年2月 57~106頁 将来世代を産出する義務はあるか? 生命の哲学の構築に向けて(2) 森岡 正博* 吉本 陵** *印刷バージョンと同一のものをPDFでダウンロードできます。いま見ているこのページでは、傍点や特殊文字が出ていませんので、引用するときにはかならずPDF版をご参照ください。 → PDFダウンロード 全体目次: はじめに 森岡正博 第1章 ハンス・ヨーナスの将来世代論について 吉本陵 第2章 将来世代を産出する義務はあるか? 森岡正博 はじめに 執筆:森岡正博 本論文は、ハンス・ヨーナスの「将来世代への責任論」が内包しているところの、「われわれに将来世代を産出する義務はあるのか?」という問いに対して、哲学的な考察を行なうものである。もしわれわれが将来世代に対して責任を負う
論文 『人間科学:大阪府立大学紀要』3 2008年3月 3~68頁 生命の哲学の構築に向けて(1) : 基本概念、ベルクソン、ヨーナス 森岡正博 居永正宏 吉本陵 *印刷バージョンと同一のものをPDFでダウンロードできます。いま見ているこのページでは、傍点や特殊文字が出ていませんので、引用するときにはかならずPDF版をご参照ください。 → PDFダウンロード 全体目次: 第1章 生命の哲学とは何か 森岡正博*a 第2章 アンリ・ベルクソンの生命の哲学 居永正宏*b 第3章 ハンス・ヨーナスの生命の哲学 吉本陵*c *a 大阪府立大学人間社会学部人間科学科教授 *b 大阪府立大学大学院人間社会学研究科人間科学専攻博士後期課程 *c 大阪府立大学大学院人間文化学研究科比較文化専攻博士後期課程 第1章 生命の哲学とは何か 執筆:森岡正博 目次: 1 なぜ「生命の哲学」な
論文 『倫理学研究』第38号 関西倫理学会 2008年4月 24~33頁 膣内射精性暴力論の射程:男性学から見たセクシュアリティと倫理 森岡正博 *【数字】の箇所で、印刷頁が変わります。数字はその箇所までの頁数です。 はじめに 沼崎一郎は一九九七年に独自の「膣内射精性暴力論」を発表した。これは日本の男性学に新領域を開く画期的な論考であった。沼崎の問題提起を受けて、宮地尚子は一九九八年にその論点をさらに展開する論文を発表した。本論文で私は、沼崎と宮地によって考察された論点を検討し、そのうえで、もしこの路線で思考を進めていくならばそこからどのような帰結が導かれることになるのかを考えてみたい。この種の議論は海外においても本格的には議論されていないのではないかと推察される。関心ある読者はぜひこの議論に参加してみてほしい。 1 沼崎一郎と宮地尚子による問題提起 沼崎一郎は、一九九七年に「〈孕ませる性
|生命学ホームページ|掲示板|プロフィール|著書|エッセイ・論文|リンク|kinokopress.com|English | 池上哲司・永井均ほか編 叢書エチカ3『自己と他者』昭和堂 1994年2月 110-132頁 この宇宙の中にひとりだけ特殊な形で存在することの意味 -「独在性」哲学批判序説 森岡正博 (中編作品集・第4章:29~39頁)にて、縦書きで読みやすい画面閲覧用PDFファイルと、全集版の頁数付き印刷用PDFを入手することができます。 1 永井均の<私>の独在論 この世界には、たくさんの人々がいる。しかし、それらの人々のうち、ただひとりだけ、特別な存在の仕方をしている者がある。それは「私」である。「私」のあり方と、私以外の「他者」たちのあり方は、根本的に異なる。「私」とは、私の身体をとおして世界が開けている独特の「世界の原点」であるが、「他者」とは常にその外部から把握された対象
『中央公論』2001年2月号 318-327頁 日本の「脳死」法は世界の最先端 森岡正博 *若干修正して、『生命学に何ができるか』に採録しました(2001年11月)。 *【数字】の箇所で、印刷頁が変わります。数字はその箇所までの頁数です。 臓器移植法改正を前に 二〇〇〇年十月に、臓器移植法は施行後三年目を迎えた。早ければ、二〇〇一年の国会に、臓器移植法改正案が提出される可能性がある。現行法の枠組みを守るのか、それとも制限をゆるめてもっと臓器を摘出できるようにするのかという議論がすでに起きていることは、周知の通りである(『論座』二〇〇〇年三・四月合併号、八月号、『世界』一〇月号参照)。われわれ全員の生と死の定義にかかわる大問題であるから、もう一度、幅広い国民的論議を行なう必要がある。日本の臓器移植法改正の動きは、海外からも熱い注目を集めている。なぜなら、いま、海外の専門家のあいだから、脳死見
大阪府立大学総合科学部人間科学科森岡研究室学生レポート 現代男性の困難―モテるということとマターナリズム 尾儀祐介 はじめに 昨今、ジェンダー、セクシュアリティに関する議論は非常に活発である。しかし、その多くは、女性からの視点でなされている。社会及び男性によって、女性性が抑圧され、歪められているから、社会を変えていこうというものが主流となっている。確かに、それは重要なことである。だが、実際には我々男性も、社会に求められている男性性によって、苦しい立場に追いやられていることがあるのではないだろうか。 私自身、そのようなことをどのような点で感じてきただろうか。小さい頃から、「男は泣いてはいけない」という感覚を持ち続けている。また、恋人などの異性と遊べば、交際費は男がおごる、あるいは女性よりも多く払うべきであるといった感覚も持っている。 以上のような感覚は、何か特別な出来事、事件と呼べるような体
大阪府立大学人間社会学部人間科学科森岡研究室学生レポート (2007年度) 『おしゃれ』とは何か :ストリートスナップからみる『おしゃれ』の判断基準 村尾真由 はじめに 私自身はずっと「おしゃれ」になりたい願望がある。それは自分という個性をもっとアピールしたい、同性に好印象を与えたいという願望が背景にあるからだ。「おしゃれ」になるためにはまず何をするべきなのか。私の考えたことはまず「ファッション雑誌を読む」ことだった。中学2年生のときに「着まわし術」や「今年絶対買いの流行服」などの見出しが書かれたファッション雑誌を買い、ボロボロになるまで読んだ。当時の私にとってはそれが「おしゃれ」の手本であり、そこに書いてあることを実行することが「おしゃれ」への近道であると信じていたのだ。 20歳になった今でもその「おしゃれ」になるための努力をやめることはない。「おしゃれ」になるためにはまず流行を知ること
|生命学ホームページ|掲示板|プロフィール|著書|エッセイ・論文|リンク|kinokopress.com|English | 『生命学への招待』勁草書房(1988年3月) 239-254頁 姥捨山問題 森岡正博 *【000】は書籍のページの変わり目です 最近、この国で静かに進行しつつあるいくつかの社会的な出来事の裏には、それらを互いに結び付ける、何か共通の糸があるような気がしてならない。 朝日新聞の天声人語(昭和六二年一月二四日)はマザー・テレサの次のようなことばを紹介している。「東京で道端に倒れている人を見ました。通行人がだれも救おうとしないのには、ショックを受けました。助けてもまた戻ってくるからといって手をさしのべないのは、その人の尊厳を奪うことになります。」天声人語はこのことばをうけて次のように続ける。「多くの人は、この「正論」に頭を下げる。下げながらも、内心では公園や地下街に野宿す
エッセイ 中島義道『ひとを愛することができない』角川文庫2007年2月 209~215頁 中島義道『ひとを愛することができない』解説 森岡正博 この本をはじめて読んだときに、私はいささか暗い気分になった。愛について書かれた、ここまでひねくれた本があるのだろうか、ここまで自虐的で暴力的な本があるのだろうか。しかし、この奇書は、やはり名作にちがいないのだろうとも思った。なぜなら、これはたしかに真の哲学者によって書かれた本だからである。 哲学者とは何かとソクラテスは問われて、うとうとと眠りにつこうとしている馬にまとわりついて、その目を覚めさせようとするアブのようなものだと答えた。常識や慣習のうえに安住して惰眠をむさぼっている馬のまわりをぶんぶんと飛び回って、そのうるさい羽音でもって馬を眠らせまいとするアブのような存在、それが哲学者だというわけだ。常識的に考えて、そんなにうるさいアブは、徹底的に嫌
|生命学ホームページ|掲示板|プロフィール|著書|エッセイ・論文|リンク|kinokopress.com|English | 竹田純郎ほか編『生命論への視座』大明堂 (1998年1月) 115-133頁 生命と優生思想 森岡正博 *大幅に加筆して『生命学に何ができるか』に収録しました。 1 優生思想をどう考えればよいのか 生命を考えるときに、優生思想を避けて通ることはできない。 優生思想というのは、文字通りに解釈すれば、「すぐれた生命が望ましい」とか、「生命をよりすぐれたものにしていこう」というふうに考える思想のことである。この点だけ取り出してみれば、それはとくに問題をはらんでいないようにも見える。というのも、我々は、自分自身の生命や人生をよりよいものにしていきたいと思っているし、それをめざすことで今日の文明が築かれたという側面もあるからである。 しかしながら、実
エッセイ 『myb』第12号 みやび出版 2006年11月15日 16~21頁 無痛文明という病 森岡正博 私たちは、物質的に豊かになることによって、ほんとうに幸せになったのだろうか。いまの社会を見渡してみよう。飢えて死ぬ人はいなくなり、キラキラした商品が至るところに飾られ、私たちの多くは、もう物質的に困窮することはなくなった。しかしそのかわりに、私たちの心の中には、なんとも言えない空洞が広がっており、そうした物質的な富によってはけっして埋められなくなっているのではないのか。 これまでも、このような問いかけはしきりになされてきた。だが、いまや私たちの文明は、新たな次元へと突入し始めているのではないかと私は思うのである。文明が進歩することによって、何か大切なものを置き忘れてきてしまった、というような牧歌的な次元はもう終わったのではないか。文明は、私たちに「快楽」と「快適さ」を惜しみなく与え、
エッセイ 『朝日新聞』2005年7月16日朝刊・生活欄 考え続ける―自分に決着をつけるために 森岡正博 あなたは中学校に入ったばかりの男の子だ。最近、とてもいらいらする。身体の内側から、なま暖かい溶岩のようなものが、こみ上げてくる。自分の身体が、自分のものではないように感じる。なにかに見知らぬものに操られているような、いやな感覚。 朝起きると、下着がねばねばしている。なにか得体の知れないものが始まったのだ。ティッシュで拭いてみても、きれいにならない。そっとトイレに行って、家族に知られないように、下着をこっそりと洗うときの、鉛のような気持ち。 誰にも言えない。染みついたものは完全には取れないから、母親は洗濯のときに気づくだろう。でも、話題には出てこない。みんなで気づかないふりをしている、この鬱屈した雰囲気。 僕の身体は汚れている、とあなたは思う。そうじゃないよ、と言ってくれる大人はどこにもい
脳死の人 森岡正博 『脳死の人-生命学の視点から』 東京書籍 1989年3月 全237頁 →福武文庫 1991年6月 全259頁 本体612円 →法藏館 2000年7月 全271頁 本体2400円 (タイトル:増補決定版・脳死の人-生命学の視点から) 「脳死」を「人と人との関わり合い」としてとらえた、生命倫理の古典。現代の生と死の姿を、分かりやすいことばで理解したい人のための、必読書です。 これが事実上の出発作だと思っております。1989年当時は、立花隆の『脳死』が注目を集めていたが、なんか違うような気がして、『生命学への招待』を出してからすぐに書き始め、夏休みから秋にかけて一気に書き上げた。脳死を、人と人との関わり合いとして捉えなおしたもの。新聞などで見られる「脳死の人」という言い方は、この本から定着したみたいです。私が書いた本のなかで、いちばん「いい本」だと思う。現在でも、まだ内容は生
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