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今年の「#文学」
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今回は極楽蜻蛉(ごくらくとんぼ)です。 非常にのんびり、気軽に構えている人にあざけりの気持ちを込めていう言葉です。 簡単な言葉だけど「蜻蛉(とんぼ)」は平仮名で覚えてた。 まあ、書けないから恥ってほどでもないでしょ。 でも、何でトンボなの?ちょっと可哀そうじゃないの。 トンビ、というのもあるそうですよ。 へー、なんか、名前の音の感じ? 飛ぶ姿がのんびりしている感じだからとも言われています。 飛んでる時点で結構すごいだろ、って思う。 確かに。
今回は堤耳面命(ていじめんめい)です。 理解できるように、ていねいに教えることです。 へー。 「堤耳(ていじ)」は耳をひっぱって「面命(めんめい)」は、顔を近づけて、ということです。 なんか、かえって判りにくい気がするけど。 だって耳引っ張られたら、説明を聞くどころじゃないでしょ。 顔が近すぎるのも、イヤだよね。 まあ、現実にやったらダメですけど、イメージですから。 出典は「詩経」なのですが、匪面命之、言堤其耳 とあります。 ということで、「耳堤面命」などと書くこともあります。 へー。 出典は「詩経」でした。
今回は枕戈寝甲(ちんかしんこう)です。 いつでも準備を怠らないことです。 え、矛を枕に、鎧を付けたまま寝る、ってこと? まあ、そうです。 よく眠れないんじゃない? まあ、そうかもしれないですけど。 そんなの絶対、戦う時に力が出ないじゃないの。 にわとりさんは枕には結構こだわるの。睡眠は大切だから。 かえるさんは? ぜんぜん、座布団でもクッションでも、無くても気にしません。 じゃあ、矛でも大丈夫かな? 矛はうちに無いですから試したこと無いですけど危ない気はしますね。 あ、そうだよ、危ないよね。やっぱりやめた方がいいね。 出典は「晋書」でした。
今回は白駒空谷(はっくくうこく)です。 賢者が官に出仕せず在野にいること。または賢者がみな官に出仕して在野に居ないこと、を意味します。 ぜんぜん違う意味じゃん。 「白駒(はっく)」は白い馬、賢者が乗る馬、のイメージです。転じて優秀な人物を意味します、それがその「白駒(はっく)」が誰もいない谷にいる、ということです。 出典の「詩経」からは、このイメージが読み取れます。 じゃあ、みんな出資して谷に誰もいない、って意味が足されたのかな。 そういう感じですね。 出典は「詩経」でした。
今回は長幼有序(ちょうようゆうじょ)です。 年長者の方が若年者より重んじられるべきだ、という儒学的な考え方です。 これは人によって分かれるよね。 能力を優先するか、先にいるから偉い、とするか、は難しい所ですね。 お年寄りを敬うのはいいけど、会社などでは、役に立たないし、いるだけなのにお給料が高い、ということが問題にされることもあるよね。 日本はアメリカなどと違って能力はあまり意味が無いですからね、お国柄ですね。 ただ、時代が変化してますからね、今のままでは問題が多いでしょうね。 長幼有序(ちょうようゆうじょ)が無視される世界、っていうと寂しい気もするけどね。 ちなみに出典は「漢書」「荀子」「孟子」など様々な所で見かけます。
今回は見賢思斉(けんけんしせい)です。 賢い人を見たら、自分もそうなろうと努力しましょう、という孔子の言葉です。 かえるさんは、にわとりさんを見習ったりするの? え!ま、まあ、そういうことも確認することは不可能じゃないですよ。 何それ、もうちょっと具体的に、何を見て真似しようとしたの? そうですね、色々ですけれども主に行動に現れないような精神的なことを積極的に取り入れています。哲学的側面が強くて言葉にするのが難しいですけど。 行動も見習いなさいよ、けっこう良いことしてるよ! 何をしてるんですか、どれが推奨ですか? まあ、いろいろ、行動そのものより行動の根底にあるような精神的な部分が主だった気がする。 そんな感じでしょ? そんな感じかな~☆彡~゜ 出典は「論語」でした。
今回は曲肱之楽(きょくこうのたのしみ)です。 例え貧しくても、正しいことをする中に楽しみはある、ということです。 「曲肱(きょくこう)」? 枕が買えないので、肘を曲げて枕にする、ってことです。 えー!シャレにならない貧乏じゃないの。 貧しくても、節約の楽しみや、ちょっとしたことが有難かったり、心がけしだいですよ。 むしろ経済的に豊かでも幸せだと思えない人もたくさんいるでしょう。 でも、枕だよ… まあ、現代の話じゃないですからね、「贅沢できなくても」という意味で考えましょう。 まあ、でも、にわとりさんは枕はこだわるのよ、お気に入りの安眠枕じゃないと眠れないの。かえるさんは? 正直、肘はイヤですけど、座布団でも、クッションでも、無くても平気です。 肘じゃなきゃいいんだ。 出典は「論語」でした。
今回は伯仲叔季(はくちゅうしゅくき)です。 伯は長男、仲は次男、叔は三男、季は末弟のことです。 なんだ、ただ単に兄弟の順番を並べただけか。 並べただけです。 出典もへったくれも無いね。 「論語」や「春秋左氏伝」と言われています。 どっちも孔子がらみだね。 そうですね、しかし「論語」は孔子の言葉を後の人がまとめたものですし、孔子が書いた「春秋」は残っていませんから後の人が注釈をつけて書いたものがいくつかありまして、その一つが「春秋左氏伝」です。 どっちも古いけど、内容が内容だから、どっちでもいいかな。 ですよね。「伯仲」という言葉は似たようなあまり優劣がはっきりしないことも指します。 あー、実力伯仲とか言うね!そういうことなんだ! ちょっぴり勉強になった。 それは良かったです。 出典は「論語」「春秋左氏伝」でした。
今回は叢蘭秋風(そうらんしゅうふう)です。 悪い人が善人をジャマすることです。 秋風とか言ってるのに? 蘭がむらがって咲いて良い香りを出そうととしてるのに秋風がそれを枯らしてしまう、ということです。 「叢」って? くさむら、叢(むら)がる、などと読みます。 草むらって書こうぜ! むらがる、も平仮名で書こうぜ! にわとりさんはこんな漢字使わないよ。 「叢蘭」は群がって咲く蘭のことかな。 そうです、立派な人物の意味もあります。 出典は「帝範」でした。
今回は池魚籠鳥(ちぎょろうちょう)です。 捕らわれの身、自由にならない、不自由な状態、などを意味します。 籠鳥(ろうちょう)は判るよ、カゴの中の鳥じゃん。 池の中の魚は、不自由っていうのかな? 出してもらっても、かえって困るんじゃないかな。 「肺呼吸出来ないから、出さないでください」って感じじゃない? まあ、正直、気持ちは判りますけど、行動範囲を考えれば、池の中だけですからね。海の魚ならそうじゃないでしょ。 じゃあ、鳥から見たら人間もそうじゃないの。 確かに。 出典は「文選」でした。
今回は一丘一壑(いっきゅういちがく)です。 ある時は丘の上に、ある時は谷に、という感じで世間を離れ自然と風流に親しむことです。 そんな所に何の用事があるの? 別にそういう感じではなく、釣りに行ったり風を楽しんだりするような感じですね。 プータローさんかな。 風流人って感じですよ。 プータローさんは風流じゃないの? 響きが風流じゃないですよね。 風流は響きで決まるの? やっぱり、見た人の感想は大切ですよ、雅(みやび)な感じを与えるのが風流ですから。 自称風流はきついのか。 「自分風流ですから!」って言ってたら風流な感じします? 確かにしないわ。 「壑(がく)」は「谷」ってことなの? そうです。 出典は「漢書」でした。
今回は秀外恵中(しゅうがいけいちゅう)です。 見た目も素晴らしく、中身も素晴らしい、ってことです。 外が秀でていて、中身にも恵まれているってことか。 まあ、だからどうってことでもないんだよね。 そうですか。 にわとりさんは「秀外恵中(しゅうがいけいちゅう)」だけど、あまり得してない気がするのよ。 それは残念ですね。 いくら外が優れていても判らない人もいる。 外は判るんじゃないですかね。 いるの!実際にいるの!判らない人もいるの! 中が恵まれているけど、気付かない人もいる。 中も一緒に居れば判るんじゃないですかね。 いるの!実際にいるの!判らない人もいるの! これは仮説なんですけど、外も中も優れてない可能性は無いんですか? それは無いんだよね、にわとりさんがしっかり調べたから。 それは不思議なことですねぇ。まあ「優れている」も人それぞれですからね。
今回は嫗伏孕鬻(うふうよういく)です。 何!この漢字!!にわとりさん使わないし知らなくていいけど! まあ、まあ、おかゆの「鬻」が一瞬難しく見えるだけですから。 一瞬じゃないよ! 意味は「嫗伏(うふう)」は、鳥が卵を温めること。「孕鬻(よういく)」は獣などが子を孕み生むこと、です。 あ、意味は簡単なんだ。 「鬻(かゆ)」ってこんな字だっけ? 異体字で「粥(かゆ)」ってのもあります。 そっちでいいって! 出典は「礼記」でした。
今回は千秋万古(せんしゅうばんこ)です。 ものすごく長い時間のこと、永遠なども意味します。 千の秋で、千年。万古は、遠い昔、永遠の時みたいなイメージだね。 人間にとっては千年も永遠も同じとも言えるけど、考古学的には大違いだね。 そうですね、数千年前、って言うと新しいイメージもあります。 歴史の話をしていると平安時代なども同じように思いますが、最初と最後ではずいぶん違います。 400年位あるもんね。もう最初のころに生まれた人は途中でいなくなってるよね。 結構長いです。 千の秋っていうのも少し大げさだよね。 いや、なかなか風情がある表現だと思いますけど。 中国の歴史書などでよく使われる「春秋(しゅんじゅう)」というのもナカナカ好きな表現です。 春と秋で時の流れを表現しているんだね。 千年前、って言うとちょうど平安時代ですから、理解できない長さではないですよ。 藤原氏が威張ってた時代だ。 藤原氏
今回は尋章摘句(じんしょうてきく)です。 全体を見ないで細かい些細なことにこだわってしまうこと、です。 章を尋ね、句を摘む、ってことかな。 そうです、詩では章は一段落、句は一区切りです。 そういうこともあるかな。 相手の言った言葉の一つの単語をとって腹を立てたりすること、などはそうですよね。 ああ、本質じゃないけど、その言い方がイヤ、みたいな。 ちなみに「三国志」の言葉で「三国演技」にも出てきます。 どんな所に出てくるの? 呉(ご)の王である孫権(そんけん)が魏に使者を送った時に、魏の人が呉の使者に、孫権のことを聞いた時に「呉王(孫権のこと)は口先だけの学者のような尋章摘句(じんしょうてきく)なことは致しません」と言いました。 まあ、そのままだと、悪口だから否定的に使うのか。 まあ、あなたは尋章摘句(じんしょうてきく)だね。って言ってもいいのかな。 あんまりいい使い方じゃないですよね。 出
今回は朋友有信(ほうゆうゆうしん)です。 友人同士は信頼がとても大切ということです。 って言うか、信頼しあってなかったら友人じゃないんじゃない? まあ、「友人」というのも人それぞれですから、信頼っていうのもどの程度求めるのか、って話にもなりますよね。 こんな当たり前のことをわざわざ言うなんて。 孟子(もうし)の言葉です。 人は学ばなければ、獣と変わらないから、親を大切にしたり、上司との礼儀などをしっかり守ったり、友達を大切にしましょうね。って文脈です。 こういう当たり前のことを守りましょう、ってことか。 そうそう、まあ、そういうことです。 それにしても字のまんまじゃないの。 難しけりゃ難しいでイヤでしょ。 確かに! 「ちょうどいい」って言うのは難しいね。 出典は「孟子」でした。
今回は有知高才(うちこうさい)です。 知恵もあり、勉強も良くしている人のことで仏教の言葉です。素晴らしい能力があることを意味します。 知恵と才能ってよく判らないな、同じに聞こえる。 まあ、人それぞれの言葉ですよね。智慧(ちえ)は、筋道を見極める力で、才能は物事を成し遂げる力、何て言ったりしますが、明確には分けにくいですね。 知恵は生まれつきのもの、なんていう人もいますね。 だいたい生まれつきって、どこからが生まれつきなのさ。 にわとりさんはとっても頭が良いけど、努力の末に勝ち取った頭の良さなのよ!そこを「生まれつき」とか簡単に言われたくないよね! まあ、難しい所ですが、生まれたばかりの時から何に注目するか、などでも変化は出ると思うんですよね、そういう微差による積み重ねの結果が脳の使い方のクセになって性格や頭の良さが構成されると考えているのが「占い」なんです。 そういう意味で、現実的には、生
今回は短褐穿結(たんかつせんけつ)です。 貧しい人の粗末、質素な服のことです。 あら!失礼な感じだね。 まあ、服が粗末とか質素とかも人によって考え方が違いますからね。 かえるさんは、明らかにボロくなるまでは着ますね。 にわとりさんは、飽きて新しいのを買ったら捨てるけど、どの位使うの? 10年とかですね、ボロくなったら、掃除に使ったりして捨てます。 使うねぇ。 「短褐(たんかつ)」は麻や木綿で作った短い粗末、質素な服のことで、 「穿結(せんけつ)」は、破れていたり、つくろった服です。 つくろった服ってすごくボロそうだな。要するに粗末な服のことを言っているんだ。 どうやって使うの?「今日は短褐穿結(たんかつせんけつ)な感じにしたの?」って感じ? 日常会話で使っちゃダメですよ! 文学とかに出て来た時意味が判ればいいんです。 使っちゃダメなのか、危なかった。 でも最近はつくろった服をわざと着るファ
今回は薤露蒿里(かいろこうり)です。 人生のはかなさを言った言葉です。 時の流れは早いものだよね。 で「薤露蒿里(かいろこうり)」って、どういうこと? 「薤露(かいろ)」はニラについた朝露のことで、すぐに消えてしまうことを言っています。 「蒿里(こうり)」は、死者を葬る山の名前で、両方とも挽歌(死者を悼む歌)のタイトルです。 なるほど。ニラかー、餃子食べたくなったなー。 かえるさんは、餃子にニラが入ってても判らないんですよね。 なにそれ!そんな訳ないでしょ!!! 判らないんです、料理にゴマとかをかけてもよく判らないんですよね。 まあ、餃子は10年位食べてないですが。 なにそれ!!何で食べないの?!! 機会が無いんですよ。 そういう話じゃないでしょ。 出典は「古今注」でした。
今回は放歌高吟(ほうかこうぎん)です。 声を高らかに上げて歌うことです。 え?どういうこと?近所迷惑な感じもするし、楽しく歌っている気もするし、 まあ、楽しい、嬉しいイメージですね。お祝いがあって高らかに歌うような感じです。 「放歌(ほうか)」も「高吟(こうぎん)」も同じ意味です。 思い切り歌っちゃう感じだ。 ちなみに「放歌(ほうか)」は詩人の杜甫(とほ)の詩にある言葉です。 官軍が賊をやっつけたことを祝おうとする詩に使われています。 じゃあ、うれしい感じだ。
今回は治外法権(ちがいほうけん)です。 普通、外国の人は、その国の法律に従うものですが外交特権の一部である「治外法権(ちがいほうけん)」を持つものは、その国の法律に従わないで良いのです。 何で法律を守らなくていいの?! 守ったら外交官は課税されちゃいますよ。その他、裁判権の免除、警察権からの免除、租税権の免除(消費税などの間接税は一部例外)などがあります。 あ、そうか。 とは言っても、偉い人やその家族、軍隊など特別に治外法権(ちがいほうけん)を与えられている人だけですよ。 じゃ、にわとりさんには関係ないや。
今回は分崩離析(ぶんぽうりせき)です。 組織などが崩壊することです。 人々が偉い人から離れて行って組織がバラバラになる、人心が安定しなければ国は上手く行かない、というお話から出た言葉です。 偉いからと言って好き勝手やってはいけない、ということだね。 そうです。きちんと筋を通しましょう、というお話です。 しっかり筋を通さなければ、人心は離れむしろ国内が不安定になってしまう、そうなれば国を守ることは出来ない、と言っています。 そうね、みんな仲良くした方が良いよね。 まあ、大衆迎合(ポピュリズム)も行き過ぎると国がダメになっちゃいますけどね。 えー、じゃあ、どういうことー? きちんと筋を通すことが大切なんだ、と言っています。 思い付きではなく大義名分をしっかりさせることが政治では大切なのです。しかし、個人にも言えることですよね。 えー、やだーん。そんなの考えないよ。 出典は「論語」でした。
今回は君子不器(くんしふき)です。 優れた人は、器、入れ物などのように使い道が決まっていなくて、柔軟に対応して色々できる人だ、ということです。 でも、決まったことをしっかりやる人だって、とっても大切ななんだよ。 そんな、心無い決めつけをするのは孔子だな!! まあ、孔子ですけど。 そうやって、すぐ人を上下に分けるのはダメよ!みんな一生懸命生きてるの! みんな役目が違うの!それだけ。偉いとか偉くないとか無いの! にわとりさんは孔子嫌いですよね。 だって、マジメなことばっかり言うんだもん。 出典は「論語」でした。
今回は綢繆牖戸(ちゅうゆうびゅうこ)です。 しっかり事前に備えて災いを避けることです。 使いませんから。 何をですか? こんな言葉絶対使わないから、書こうとも思わないし、書いても伝わらないし、 まあ、言いたいことは判りました、画数が多いですよね。 とりあえず、意味は「綢繆(ちゅうゆう)」は、まとわりつくこと、糸などでふさぐこと、この言葉では、鳥が巣を手入れして風雨に備えることを言っています。 「牖戸(びゅうこ)」の「牖(びゅう」は、窓のことです。 そんな簡単なことを、こんな難しい字で! 書いてみれば一文字一文字はそうでもないですよ。 もう、画数が多くて真っ黒じゃないの! 出典は「詩経」でした。
今回は歳寒松柏(さいかんしょうはく)です。 どんな逆境でも志や生き方を曲げないこと、です。 そりゃ、ムリだな。 だって、実際は何にも無くても結構あきらめてるもん。 逆境じゃなくても? だって逆境だったら、それどころじゃないし、 自分で決めたことって、気付くと何となく消えてるんだよね。 歳寒松柏(さいかんしょうはく)って、なんか風景の言葉かと思ったよ。 松や柏はどちらも常緑樹(中国ではヒノキ科を「柏」と呼ぶ)ということで、志を変えない、という例えに使ったのです。 葉っぱと人間を一緒にしちゃだめだよ。 人は変えるもんなの、変えていいの! っていうか、志を立てる時ってちょっと中二病っぽい時じゃん、だから後になったら守れないのよ。 だいたい志は立てる時と誓う時に浸ればもう役目は終わってるんだよ。 …。 いや、守りましょうよ。 ムリだって。 出典は「論語」でした。
今回は飽食終日(ほうしょくしゅうじつ)です。 何もせず、一日中食べる以外はごろごろしているようなことを意味します。 いいじゃん別に。悪いことをするよりいいじゃん。 孔子は、何もしないくらいなら、双六(すごろく)や囲碁でもした方がマシだ、と言っています。 囲碁は結構いい趣味でしょ。ちょっと失礼じゃないの。 まあ、実際はのんびりするのも脳の働きには結構良いんですよね。ぼーっとしている時には脳は結構活動してるそうです。 いわゆる、血流が良くなった=脳が活性化された、という図式は根拠に乏しいらしいですし、第一、脳のことはまだよく判っていないのです。 そうそう、のんびりするのは大切だよね。 …。あれ?何の話だっけ? 食っちゃ寝じゃ、しょうがないでしょ、という「飽食終日(ほうしょくしゅうじつ)」という言葉の話です。 出典は「論語」でした。
今回は余桃之罪(よとうのつみ)です。 君主や人の愛憎の激しさを物語った言葉です。 「余桃(よとう)」? 桃の余りですから、食べ残しです。君主に桃の食べ残しを食べさせた罪です。 ダメじゃない。 でも美しい女性が自分が食べた桃を美味しいので君主にも勧めて食べさせた話です。 あら、そうなんだ。 で、その時に君主は「自分が桃を食べて美味しいと思ったから、私の所に桃を持ってくるとは、可愛いやつじゃ」と喜んだのです。 じゃあ、罪じゃないんじゃない。 でも、その女性が歳をとった後に、あいつは私に食べ残しの桃を食わせた、と罪に問うたそうです。 まー、ひどい! ちょっと、あからさまじゃない! 君主に仕える難しさを言った言葉ですが、人の愛情や憎しみの難しさを言った言葉でもあります。 要するに、可愛いと思う時は何でも良いことに見えるし、疎ましくなれば何でも憎くなる、ということですね。 いやだわねー。 出典は「韓
今回は哭岐泣練(こくききゅうれん)です。 人というものは習慣や心がけで善にも悪にもなってしまう、という意味です。 当たり前じゃん。 まあ、そうなんですけど、 「泣練(きゅうれん)」は、墨子(ぼくし)が、白糸が何色染めることが出来る、のを見て泣いた、ということです。 泣き虫だな。泣くほどのことかね。 「哭岐(こくき)」は楊子(ようし)が道が分かれているのを見て、人が道をいつでも変えることが出来てしまうのを見て泣いた、ということです。 泣き虫だな。泣くほどのことかね。はたから見たら危ない人だよ。 まあ、人は簡単に悪い道に行ってしまう、ということを言っているわけですよ。 言っていることは判るけど、なんか説得力のない例えだな。 出典は「淮南子」でした。
今回は伏寇在側(ふくこうざいそく)です。 危険というものは身の回りにひそんでいるから注意をしましょう、という言葉です。 ひそんでるよねー、色々。 例えば何ですかね。 まあ、色々だね。 それじゃあ、注意を払いにくいんじゃないですか。 まあ、安心しちゃってるよね。 そういうのをダメだ、って言ってるんですよ。 でも、歩きスマホはしないよ。 それは良いことです。 でも、こういうのって手遅れになってから気づくんだよね。 実際、そういうのはありますね。 まあ、とにかく、壁に耳あり、障子に目あり、火の用心、交通安全、みたいな感じの言葉です。 簡単に言うと悪い人に気を付けましょう、という感じですね。 にわとりさんは悪い人嫌いだから大丈夫だよ。 だいたいみんな嫌いですよ。悪い人は悪そうにしてないのが普通ですから。 出典は「管子」でした。
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