サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
トップへ戻る
大そうじへの備え
www.cscd.osaka-u.ac.jp
On two Principles of the Jusitice by John Rawles' "A Theory Of Justice" 池田光穂 「ロールズは価値(善の構想)の多元化を現代社会の恒久的特徴と捉えた。そのような状況にあっては、ある特定の善を正義と構想することはできない。ロールズは正義と善を切り離し、様々な善の構想に対して中立的に制約する規範を正義とした。このように、正義が善の追求を制約しうる立場(正の善に対する優先権)を義務論的リベラリズム[Natural-rights libertarianism] と言う。正義は制度によって具現化し、公権力のみならず社会の基本構造を規制する性格を持つが、それが各人の基本的な自由を侵害するものであってはならな いと考える。/ロールズはジョン・ロックやジャン=ジャック・ルソーの政治思想で展開されている社会契約の学説を参照にしながら、社
文化人類学と民俗学を中心とした研究倫理について考察します。研究倫理を考える前にフールドワーク研究とはなんぞや?という疑問を持たれる方は、まず「解説編」 をご参照ください。ここでは、これから具体的にフィールドワークをするために、すでに倫理申請を前提に、先生(指導教員、メンター、研究代表者(PI)) と、フィールドワークの際の最終的な倫理項目を完全にチェック(✓)しているかを検証するためのルーブリックをお示します(雛形はProgram for Ethnographic Research and Community Studies (PERCS) ,Elon University のものを利用させていただきました[原文]with password /オリジナルサイトのものは現在されて存在しません)[原図:fieldwork_ethics_Elon_PERCS.png]。
Explanations of the John Langshaw Austin' terms, illocutionary act and performative utterance 広 義のスピーチアクト理論=言語行為理論(speech act theory/-ies)に属する議論である。ここでは、ジョン・ラングスロー・オースティン(John Langshaw Austin, 上掲写真)の議論を紹介します。 行為遂行的発話=パフォーマティ ブな発話(performative utterance) 「必ず明日借金を君に返す」という発話は、君を前にして私が話す時、ある種の社会性を帯びている。つまり私は君にどうも借金をしているよう であるし、君は私にどうも督促しているようである。そして、私は明日という未来において、君に借金を返すという約束をすることにより、明日までに何らかの 金策をするよう
ブリコラージュとは、寄せ集めでなにかを造ったり (間に合わせの)修繕といういみで、繕(つくろ)う、誤魔化すというフランス語のブリコルール(bricoler)に由来する。レヴィ=ストロースは『野 生の思考』( La Pensée sauvage, 1962)において、「未開人」でも我々(=非未開人の意味だろう)でも、日常生活のなかで、さまざまな間に合わせ細工をもって実践にをもって世界に対応 しているさまを指摘し、そこに着目することの重要性を指摘した。 「実際に彼は自然/文化という対立の価値に異議を唱 え続ける。『基本構造』から十三経過したのち、『野生の思考』は、いま私が引用したテクストに忠実れわれがこだわった自然と文化の対立が今日においてわれ われに対してもつ価値とは、とりわけなものであるように思える」。そして、この方法論的価値は、その「存在論的」な——と、ここではこうした概念に疑念を 表明
●ロバート・キング・マートン(1910-2003)のノルム(規範)について ロバート・キング・マートン(Robert King Merton, 1910-2003)は科学者集団のエートスを歴史的資料からまと めてクードスの原理(the CUDOS principles)という形で表現しました。なおちなみに、彼の息子ロバート・カーハート・マートン(Robert Carhart Merton, 1944- )は1997年にノーベル経済学賞を受賞しています。 さて、父のキング・マートンの言う、CUDOSとは、英語の5つの頭文字からとった次の4つの原理です。すなわち、1.科学的真理の共有性 することの優先(共同占有性:Communalism)、2.科学的真理は、人種、ジェンダー(性別)、民族性、国籍や特定の文化など影響を受けないのだ という普遍性(Universalism )への信念、3.科学の利
Écoutant, en effet, les cris d'allégresse qui montaient de la ville, Rieux se souvenait que cette allégresse était toujours menacée. Car il savait ce que cette foule en joie ignorait, et qu'on peut lire dans les livres, que le bacille de la peste ne meurt ni ne disparaît jamais, qu'il peut rester pendant des dizaines d'années endormi dans les meubles et le linge, qu'il attend patiemment dans les c
池田光穂 再帰的近代化(さいきてききんだいか、reflexive modernization)あるいは内省的近代/再帰的近代 (reflexive modernity)とは、外部から強制力をもって近代という新しいモードを獲得していくプロセス(=連辞符のつかない唯の近代化 [modernization]のこと)とは異なり、近代を生きる個人や組織あるい は社会が、近代化(=以前にあったものを放棄して新たな生活や思考を始めること)のプロセスを内面化していく現象(再帰的近代化)。あるい は、再帰的近代化が進行中の時間や歴史のことを、再帰的近代という。 ヨーロッパの社会学者、とりわけアンソニー・ギデンズ(Anthony Giddens, 1938- )、ウルリッヒ・ベック(Ulrich Beck, 1944-2015)、あるいはスコット・ラッシュ(Scott Lash, 1945- )らによって、提
ソマティック・マーカー仮説とは、神経学者アントニオ・ダマシオ(1994, 2005)が主張する説で、外部からある情報を得ることで呼び起こされる身体的 感情(心臓がドキドキしたり、口が渇いたりする)が、前頭葉の腹内側部に影響を与えて「よい/わるい」という ふるいをかけて、意思決定を効率的にするのではないかという仮説。この仮説にしたがうと、理性的判断には感情 を排して取り組むべきだという従来の「常識」に反して、理性的判断に感情的要素はむしろ効率的に働くことにな る。 ダマシオ(2005:x-xi)の簡潔で要を得た説明によると「感情(=情緒=情動, emotion)は理性=知性あるいは理[ことわり](reason)のループの中にあり、一般に考えられているように感情は推論のプロセス (reasoning process)を有無を言わさず邪魔するというよりも、むしろ助けているかも知れない」という仮説
On definition of "Anti-social forces" that Japanese government cognizes 池田光穂 日本政府の「犯罪対策閣僚会議幹事会」は、その申し 合わせにより、平成19(2007)年6月19日付け文書において、「企業が反社会的勢力による被害を防止するための指針」を公開した。 それによると、反社会的勢力(反社会的な(準)軍事 的諸組織;Anti-social forces)とは、次のように、さまざまな箇所で記されており、実質的に日本政府は「反社会的勢力」を定義している。 端的に「暴力団」。 暴力団が、「組織実態を隠蔽」したもの。 「暴力団を始めとする反社会的勢力」で定義されるもの、すなわち、 「暴力団、暴力団関係企業、総会屋、社会運動標ぼうゴロ、政治活動標ぼうゴロ、 特殊知能暴力集団等といった属性要件」をもつ集団。 「団」という集団の
犠牲者非難とはvictim blaming の訳語で「その人の不幸を自業自得であると非難する」という言語行為をさします。 「肺ガンになったのは、おまえがタバコを吸っていたからだ」 、「性病になったのは、遊びすぎたんじゃない?」 、「いじめは、いじめられる側にも原因がある」という構図をもつ責任追及の論理で、病気になった「犠牲者」を結果的に非難することです。これらは、原因と 結果を客観的に関連づけるという検証思考を停止して、《自分がそう思う偏見を自己正 当化する完全な誤った判断》です。 ドメスティクバイオレンス(DV)、デートレイプやデートハラスメントなどの犠牲者に対して、あ なたがしっかりしてなくてはいけないという慰めの主張の根拠にもこの犠牲者非難があるものがあります。 心理学における共依存という仮説も、しばしば犠牲者非難として誤用される可能性があります。 病気になるのは本人が養生しないから
イ ンタビュー技法には、大きく次の4つがある、1)構造化インタビュー、2)半構造化イン タビュー、3)非構造化インタビュー、そして4)フォーカス・グループ・インタビュー(フォーカスを取り「グループ・インタビュー」と言うこともある)で ある。非構造化インタビューには、3)-1:デプスインタビュー(深層インタビュー)と、3)- 2:民族誌的インタビュー、の2つに下位として、これまた大きく2つにわけられる。簡単に解説すると、次のようになる。 1) 構造化インタビュー: 予 め決められた質問紙やアンケートなどをもとに、対話をつづけていき、その質問(=調査者 の側で構造化されており、質問されたほうも思考のラインで答えることができる)の間におこった質的な情報を記載してゆく方法である。ただし、アンケートを 口頭でとり、質問者が記載するだけの方法は、構造化インタビューとは正確には言えない。質問に自由記載や
私のウェブページの構造はとても複雑でわかりにくく作ってあります——書物を手に入れる最善の方法は自ら書物を著すことだ(ヴァルター・ベンヤミン)。 これらは、これまでの私の研究業績等の紹介のほかに、私が現在おこなっているインターネット上に おけるさまざまな実験に供するもので、すべて公的な業務に関連したものです。また、ここで表明されている意見は筆者による独自ものであり、所属先の見解を述べたものではない(すべてのhttps://cscd.osaka-u.ac.jp/user/rosaldo/の ディレクトリー上のページが対象です)。 インターネット上におけるさまざまな実験に供するために、https://cscd.osaka-u.ac.jp/user/rosaldo/の ディレクトリー上にある、ある種のページは、場合によっては読み手にとって不快な言葉や挑発的な表現、意味不明の叫びと解される類のものも
Society does not exist, as we imagine not in Margaret Thatcher's sense but in historical entities 池田光穂 ■社会の定義(→「社会」) オックスフォード英語辞典(OED)の「社会 (Society)」の最初の定義はこのように書いてある。 Association with one's fellow men, esp. in a friendly or intimate manner; companionship or fellowship. Also rarely of animals (quot. 1774). 【翻訳】ある人の仲間と共にある、とりわけ友好的な いしは親密な流儀での、連合(アソシーエション)のこと。仲間付き合い、親睦的結社。時には(人間以外の)動物にもみられる。[以上の用例は
憑在論(ひょうざいろん:ハウントロジー:hauntology, L'hantologie)とは、ジャッ ク・デリダの『マルクスの亡霊』(原著, 1993/2007a:37)に登場する用語で、「存在でもないが、かといって不在でもない、死んでいるのでもないが、かといって生きているでも ない」ような亡霊の姿をとってあらわれる、延期されたオリジナル(res extensa)ではないものよっ て表現される、置き換えられた、時間的・歴史的・存在論的脱節(temporal, historical, and ontological disjunction)の状態のことをさす。我々が常態的であると信じ込んでいる、オリジナルとアイデンティティ(同一性)、オリジナルものの存在的な ゆるぎのなさ、を解体するデリダ流の脱構築の方法のレパートリーとしてみることができる。 これは、ただ単に人を驚かすのみならず、存在する
【つかいかた】 -文化人類学とは、 人間について、「文化」という概念を中心に、経験的な調査法(=おもにインタビューと参与観察)を動員して、考察する学問分野です。わたくし流に文化人類 学にニックネームをつけるとすると、その学問と実践はまさに「動く哲学!」です。どうか楽しんでくださいねっ! - お子さまはこちらにリンクしますぶんかじんるいがく(きっず・あ んそろぽろじすと) - 文化人類学で使われる言葉と概念を説明しています。●[赤いまる]は学問の定義にかんすること。◆[頂点が上になった緑のしかく]は重要な専門用語。▼[逆になった黄色のさんかく]は研究の方法や学習資源 に関する事柄。そして■[普通 の青色のしかく]はその他の情報です。 - サーフィン中に迷子になったら時には、上にあるロゴマーク(看板)の[文化人類学 Cultural Anthropology ]のをクリックすると、このペー ジ
ポストコロニアルとは、ポスト(後の、という時間的 概念)、コロニアル (植民地的、という空間的ならびに精神的概念)という造語法によるできた言葉で、植民地主義以降の、あるいは脱植民地状態(コロニアルな状況の後に/終焉 後の)という意味がある。 このポストの本来的意味は、時間的経過の概念として の、「植民地後の〜」というものに他ならない。しかし、植民地後には、さまざまな意味が含まれており、「植民地後の独立」「主権/主体の確立」「植民地状況が終 わった」「植民地状況を脱却した/しようとする」などの意味の派生が生じており、ポストコロニアルという用語を意識的に使う人たちは、そのようなポストコ ロニアルという用語が、多義的に使われることを承知で、あるいは確信犯的に、この用語を使っている。 そこから転じて、ポストコロニアリズム(postcolonialism) とは、コロニアリズム(植民地主義,colo
質的研究と量的研究のちがい On Qualitative Approach and Quantitative Approach 池田光穂 質的研究と量的研究の違いは、すぐに、前者がエスノ グラフィやフィールドワークで、後者が、アンケートや統計調査だということぐらいで、それほど深く私たちは考えないと思います。また、理系の先生でとても 頭が悪くセンスのない人は、量的アプローチこそが本物の客観的で科学的なアプローチだと、質的アプローチのなんたるかについて満足に教室において説明でき ずに、質的アプローチに興味をもつ学生たちに「誤った知識」(=誤解と偏見)を吹聴する始末です。このような人は、量的な研究と質的な研究のバトルロイヤルという「神話」を信じる人です(→「量的研究と質的研究のバトルロイヤルの神話」) 世界の多くの優秀な研究者は、心理調査や社会調査、 あるいは経済行動の分析においても、質的アプロ
言語学者のアルジルダス・ジュリアン・グ レマス(1917-1992)は、意味 論研究(1992)において、特定のテクストのある項目に注目すれば、そのテクストに明示されていない項目が 何であるかを予測発見することを可能にする「意味の四角形」(semiotic rectangle)という論理的図式を考案した[図1.]。まずある意味体系Sにおいて、 s1とその反対の意味をもつs2を反対の関係にとれば、すなわちグレマスによれば「相反する意味素に分節」すれば、それぞれに対応して矛盾する意味である ~s1(s1ではない)と~s2(s2ではない)[→図中ではこれをSの上部に-が引かれた表記形で示している]が、同じく反対の関係として存在すること を示唆することができる。否定の否定は肯定であるから、s1と~s2、s2と~s1の間には含意関係がなりたつ。大文字で書かれたSは相反するs1とs2 を分離と接合とい
ブリコラージュとは、寄せ集めでなにかを造ったり (間に合わせの)修繕といういみで、繕(つくろ)う、誤魔化すというフランス語のブリコルール(bricoler)に由来する。レヴィ=ストロースは『野 生の思考』( La Pensée sauvage, 1962)において、「未開人」でも我々(=非未開人の意味だろう)でも、日常生活のなかで、さまざまな間に合わせ細工をもって実践にをもって世界に対応 しているさまを指摘し、そこに着目することの重要性を指摘した。 「実際に彼は自然/文化という対立の価値に異議を唱 え続ける。『基本構造』から十三年以上が経過したのち、『野生の思考』は、いま私が引用したテクストに忠実な反響を返すことになる。「かつてわれわれがこだわった自然と文化の対立が今日においてわれ われに対してもつ価値とは、とりわけ方法論的なものであるように思える」。そして、この方法論的価値は、その「存在
解説:池田光穂 ——「アメリカのプラグマティズムは、プラ トンによって開始された西洋哲学における対話でくりかえし議論された諸問題への解決を提起しようとする哲学的伝統に属するというよりも、むしろ、ある特定 の歴史的瞬間におけるアメリカの自己弁明を試みるための、たえまのない文化的批評ないし解釈群なのである」——コーネル・ウェスト『哲学を回避するアメリ カ知識人』(2014:15) ——「ある解釈にしたがって何かをみている からといって、解釈を体験しているわけではない」(MS137-138, 89節)——ウィトゲンシュタイン クリフォード・ギアーツ:意味のパターン:Clifford Geertz' concept of culture クリフォード・ギアツ(ギアーツ; Geertz;1926- 2006)による「文化の定義」は、次のようなものである。 「文化は象徴に表現される意味のパターンで、歴
Can we develop to design for liberal arts education for adults or super-liberal arts curriculum for university graduate students? 連続講義 池田光穂 高度教養教育のデザインは可能か?ということについ て考える。 およそ5つのウェブページを通して、この問題を探究 する。しかしながら、イラチ=せっかちな人は、このページの最後の文章を読んで欲しい。「高 度教養教育のデザインは可能か?」について暫定的な解答を記述している。私にとって大切なのは、問う事を通して、その探究の過程の中で、自学自習すること (=「問題にもとづく学習」を実践すること)である。 さて、ここでは、大学の学部高学年(3年次以上)と 大学院 生(一般社会人を含む)の人たち(=大人)を対象とした「教養」をつ
Notes on Arendt's "The Decline of the Nation-State and the End of the Rights of Man" of the Origins of the Totalitarianism, 1958. ハンナ・アーレント「国民国家の没落と人権の終焉」ノート(→日本語とドイツ語の 註釈ノートはこちら) Notes on Arendt's "The Decline of the Nation-State and the End of the Rights of Man" of the Origins of the Totalitarianism, 1958. 英語版(OCRより現在解読中のもの)The Decline of the Nation- State and the End of the Rights of Man ■無国籍とい
池田光穂 アクティブラーニングへの期待が高まっている。中央 教育 審議会(2012年8月28日)の報告書は次のようにいう。 「生涯にわたって学び続ける力、主体的に考える力を持った人材は、学生からみて受動的な教育の場では育成するこ とができない。従来のような知識の伝達・注入を中心とした授業から、教員と学生が意思疎通を図りつつ、一緒になって切磋琢磨し、相互に刺激を与えながら知 的に成長する場を創り、学生が主体的に問題を発見し解を見いだしていく能動 的学修(アクティブ・ラーニング)への転換が必要である。すなわち個々の学 生の認知的、倫理的、社会的能力を引き出し、それを鍛えるディスカッションやディベー トといった双方向の講義、演習、実験、実習や実技等を中心とした授業への転換によって、学生の主体的な学修を促す質の高い学士課程教育を進 めることが求められる。学生は主体的な学修の体験を重ねてこそ、生涯学
今年で設立10周年を迎えるコミュニケーションデザイン・センター(CSCD)。CSCDの外部評価委員(第2期)でもあった内田樹氏は、どのようなメッセージを寄せるのでしょうか。 内田 樹 凱風館館長、神戸女学院大学名誉教授。1950年東京生まれ。専門はフランス現代思想、武道論、教育論、映画論など。『私家版・ユダヤ文化論』で第六回小林秀雄賞、『日本辺境論』で2010年新書大賞。執筆活動に対して第三回伊丹十三賞を受賞。近著に『憲法の空語を充たすために』『街場の共同体論』など。CSCD外部評価報告書はこちら。 専門家同士の協働を支える「言語」が育つ場所 どんな学生も自分の専門領域に独特の用語やロジックはすぐに習得します。でも、その言葉づかいはそのままでは他の領域の専門家には通じません。専門家というのは他の領域の専門家とコラボレーションをしないと仕事にならない。他の専門領域の人と協働するためには、領域
Three core functions of Western Tradition of Ethics and Ethical Studies 池田光穂 西洋倫理学には大きく分け て3つの伝統がある。まず、(i)その人が持っている徳という属性で判断して、どのようなタイプのものが、徳があるつまり人の道(=倫理)に叶っていると 判断する「徳の倫理学」(アリストテレス)。(ii)自分の考えが普遍法則であると考え、かつそのように意欲することを自分の行為原則としなさいという 「義務論」(カント)。(iii)ある行為が正しく望ましいと言えるのは、その行為の結果が生み出す効用(=有用性)によって決まるのだという「功利主義 の倫理学」(ベンサム)である。 (1) 徳の倫理学(Virtue ethics) (2)功利主義の倫理学 (Utilitarian Ethics) (3)カントの義務論(Kantian
プロネーシスあるいはフローニシス(Phronesis, φρονησιζ)とも言う。思慮あるいは実践知(practical wisdom, prudentia)と訳されるアリストテレスの知識や知恵のあり方のひとつのことである。彼の『ニコマコス倫理学』には真理に到達する際の5つの状態のひとつ がこのフロネーシスとなっている。他の四つは、それぞれ技術(テクネー、真理には与らない知識)、学問的知識(エピステーメー)、知恵(ソピアー、技術の 卓越性)、知性(ヌース、直感的なもの)である。そのうち、とりわけ、エピステーメ、テクネー、およびフロネーシス(プロネーシス)が、人間の経験知の3 つの要素として強調されている。フローニシスを兼ね備えた人は、フローニモスとよばれる。つまり、フローニモスは、自分にとっての善なることがらや、利益あることがらを巧みに思慮できる人のことである。 まさに、日本語の語感の思
次のページ
このページを最初にブックマークしてみませんか?
『大阪大学COデザインセンター|CENTER FOR THE STUDY OF CO* DESIGN』の新着エントリーを見る
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く