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今年の「#文学」
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前夜は北関東道の壬生PAで車中泊したのですが、夜中からの雨も朝方には上がり、出発する頃には晴れ間が見えて来ました。雨のせいで却って冷え込みは強くなかったですが、それでも気温は一桁まで下がりましたので、今季初めて電気毛布の出番となりました。それが日が差してくると、真っ黒ボディーで遮音・遮熱など一切していない私のハイエースは、一転して汗ばむほどに車内温度が上がって来ます。寒い時期最初は気持ち良いのですが、冬でもすぐに耐えられない程暑くなります。 朝飯を買おうと思ってショップが開くのを待っていたのですが、余りの暑さに車内で食べるのは断念し、ベンチでそそくさと食べてすぐに出発することにしました。日陰に置かれたベンチでは逆に肌寒い位でしたが、、、。 この日まず向かった桜山公園は群馬県の藤岡市にあって、北関東道、東北道、北関東道、上信越道と経由して藤岡ICで高速を下り、そこからは群馬県道13号線を南下
11月最終の日曜日、横浜で行われたLOVEBITESのライブに行って来ました。 前日から少し熱っぽく寒気もしていましたので、念のため薬を飲み早めに寝たおかげか、当日はすっきり体調も戻っていました。 前日は娘が彼を連れて来ていたのですが、ちょっと挨拶だけして私は部屋に籠っていました。もうそんな感じでも大丈夫な関係になって来ましたね。 今回の会場は「KT Zepp Yokohama」というライブ会場で、スタンディングで2,000名強、椅子席で1,200名強収容の小ぶりな施設です。隣には「ぴあアリーナMM」という1万人収容のアリーナもあるのですが、LOVEBITESはまだアリーナツアーをやる程の集客力は無いようで、しかも今回はファンクラブ限定イベントですから尚更です。 昨年私のもう一つのご贔屓BABYMETALはぴあアリーナで2DAYライブをやりましたので、LOVEBITESにも頑張って欲しいも
昔の仲間に誘われてのバイクツーリング、昨年11月に強風で流れて以来、3度4度と悪天候による中止が続いていたのですが、今回ようやく実現しました。 参加車両は、カワサキの旧車2台、最新のNinja1台、ホンダのレブル大小2台、ドカ2台、ハーレー2台、そして私のBMWの計10台です。 カワサキの旧車2台は金も時間もかけたバイクで、どちらも雑誌に取材されたりしているそうです。 前日まではっきりしない予報が続いていて、今回もダメかもと半ば諦め気味だったのですが、目的地である房総半島南部は前日になって降水確率0%と変わりましたので、決行が決まりました。 誘われてのツーリングとは言え、目的地が私の地元千葉県ですから、私がツーリングコースを考えることになり、房総半島最南端の野島崎灯台をひとまずの目的地として、バイクで走って気持ちが良いコースを設定してみました。 集合地点は舘山道の君津PA下りで、房総半島を
阿蘇・高千穂から帰って来た翌々日、天気も良さそうでしたから、本当に久しぶりに愛機R1200Rに跨ることにしました。 思い起こせば(かなり大げさですが)、ほぼ1年前の2023年11月下旬、仲間とのマスツーリングが、アクアライン強風通行止めで都内方面からのメンバーが軒並み参加出来なくなり中止となったことがありました。私は風もそう強くない房総半島内陸部を南下し、集合地点の君津PA近くまで来てそれを知りましたので、そのままソロツーリングに切り替えて房総半島を走って帰ったのですが、それ以来のことになります。 1年も放置していて良く動いたなと思う方もいらっしゃるでしょうが、R1200Rは今年5月が4回目の車検でしたから、メンテナンスは出来ており、その時ディーラーまでの片道10kmは運転もしているのですが、これをツーリングとは呼べないでしょう。 www.boon-senior.com www.boon-
熊本への出発当日朝、妻は4時起き、私も4時半には起きて5時に自宅を出ました。まだ辺りは真っ暗ですが、既に成田方面へ向かう国道464号線は結構なクルマが走っていて、速度も速めです。日曜日ですから成田を越えて外房方面へ遊びに行く人たちなのかも知れません。 今回我々はLCCのジェットスターで成田空港第3ターミナルからの出発となります。予約したP2南駐車場は第2ターミナルにあり、そこから徒歩で10~15分はかかりますが、7時10分のフライトでチェックイン締切が6時50分、駐車場には5時50分頃到着できましたので、第3ターミナルにあるローソンでパンとヨーグルトを買って朝食とする時間もありました。オンラインチェックインしていましたので、殆んど航空会社スタッフや空港スタッフと接する機会もなく手荷物検査まで進みましたが、そこで働くスタッフの外国人比率の高さには驚きました。空港職員は日本人という先入観があっ
屋久島から帰って来て2週間も経っていませんが、今度は熊本県の阿蘇と宮崎県の高千穂に行って来ました。 屋久島ツアーは10月の最終週で、10月は私の育ての親でもある祖母が亡くなった月でもあります。命日には叔父叔母たちと阿蘇にある祖父・祖母の墓参をするのが恒例行事なのですが、今年は叔父の体調が思わしくなく、来年以降も元気で集まれるように今年は無理せず中止しようということになったのです。 屋久島に出発する前に妻とそんな話をしていて、熊本の隣まで来るのに私の墓参りには来ないのかいと祖母から言われているような気がしてきました。 妻もそれならもう命日は過ぎてしまったけれど我々夫婦だけでも墓参りに行こうかと言いますので、急遽阿蘇行きを決めたのですが、この時期私にも妻にもそれなりに予定が入っていましたから、1泊2日の墓参りプラス周辺観光として、阿蘇から妻がまだ行ったことがない高千穂まで足を延ばしてみることに
家族4人+娘の彼の5人で銀座コリドー街の筋肉食堂に行って来ました。私と彼との初顔合わせもこの店でしたが、まだ彼と会っていない息子との対面の場もやはりここになりました。我々家族もここのメニューが好きなのですが、娘の彼も気に入ってくれたようですから、再度ここで集まることにしたのです。 まずは息子と待ち合わせて新橋に向かい、新橋からコリドー街を歩いて筋肉食堂に向かいます。土曜日の18時前ですからまだ人通りも少なく歩きやすかったですが、筋肉食堂の隣にある「美登利寿司」だけは既に長蛇の列でした。いつもの事ですが、外国人観光客が大半を占めています。何故外国人にこんなに人気なのでしょう?そして店頭には「美登利総本店」「すしの美登利」「梅丘寿司の美登利」と3種類の看板が掲げられているのですが、どれが正式名称なんですかね? クルマで来たという彼と娘とは店前で落ち合って、息子と彼とはそこで初めましての挨拶です
屋久島ツアーの3日目最終日は、7時45分チェックアウトを済ませてホテルを出発、年配者が多くゆったり日程のこのツアーとしては早めです。 昨日屋久島を時計回りに一周して、時計盤の6時位置にあるホテルに戻ってきたのですが、この日は反時計回りに4時位置まで戻ったところにある安房から、山道を標高1,000m地点まで登って「ヤクスギランド」というところでミニハイキングです。 この日も雨模様だったのですが、この日案内してくれたバスガイドさんも前日のネイチャーガイドさんと同じく、傘片手に制服のまま気楽に散策道を進んで行きます。 この日は前日より雨も弱そうでしたから我々もハイキングウェアのまま傘をさしてついていったのですが、やはりレインウエアの方が楽でした。ただこの日は最終日で、この後そのまま空港から飛行機に乗りますから、濡れたレインウェアを荷物として持ちたくなかったというのも本音です。 それに最近のアウト
10月の最終週、クラブツーリズム主催の屋久島2泊3日ツアーに行ってきました。奥入瀬渓流ツアーに続いてクラブツーリズムのツアーは2回目ですが、プレミアムステージというゆったりツアーが我々夫婦の嗜好にぴったりでしたから、今回もそのシリーズから選びました。屋久島には以前から行って見たいと思っていたのです。 出発日はあいにくの雨、自宅を出た時から羽田空港までずっと強い雨が降り続いていました。朝7時10分羽田空港集合というのは千葉県北西部の我が家からはかなり厳しくて、4時半頃起き出して5時過ぎの電車に乗りましたが、何かと身支度に時間がかかる妻は4時前には起きていたみたいです。 雨に煙る羽田空港では、JAL・ANA・スターフライヤー・タイ航空(多分)の4エアラインを1枚の写真に収めることができて、ちょっとうれしかったです。 離陸時も強い雨でしたが、雲を抜けた後は見事な雲海の上を順調に飛行し、鹿児島空港
我が家の子供2人も家を出て、子育ての記憶も遠くなりつつありますが、彼らが小さい頃には何かとドキドキする経験をさせてくれたものでした。 まず息子は、当時妻の実家があった関西に里帰りしていた2歳になるかならないかの頃、義母・妻・息子の3人でスーパーに買い物に行った帰りに、近くにいたご婦人に大きな声で「バカッ!!」と叫んだことがあるんだそうです。そのご婦人の顔色がさっと変わり、妻があっマズイ!と思った瞬間お義母さんが、関西マダムらしく「まあまあ、すみませんねえ!最近悪い言葉ばかり憶えてそれを使いたい盛りなんです~。子供の事ですから勘弁して下さいねぇ~」みたいな感じで手早く謝ってその場を離れ、事なきを得たのだそうです。お義母さんの話では、妻も幼い頃同じようなことをちょっと強面の若者に対してやらかした経験があるらしく、親子よく似てると笑っていました。母は強し! 娘にも幾つか逸話があって、最初は五反田
実家近くで一人暮らししている息子は、9月末から毎週末勤勉に我が家に帰って来て運転練習に励んでいました。 数年前に家を出る際の荷物運搬で対物事故を起こして以来一度も運転していない、完全なペーパードライバーだったのですが、転職先で社有車の運転が必要になるからというのが第一の理由です。 ただ真面目に毎週通ってくるのには業務上の必要以外にも理由があって、それは奥多摩で今レンタルされている電動トゥクトゥクに乗ることを彼女と相談しているからなのです。彼女は運転免許を持っておらず、必然的に息子が運転となるのですが、上記のような状態で運転に全く自信の無かった息子は、趣味と実益を兼ねて運転練習を始めたという訳です。 「トゥクトゥク」と言えば東南アジアでよく見かける三輪自動車を思い浮かべますが、多くは営業用のタクシーで、トゥクトゥクはタイでの呼称、インドやパキスタンでは「オート・リクシャー」「リクシャー」、バ
転職したばかりの息子が、業務上でクルマの運転が求められる可能性が出て来るとの事で毎週末我が家のPOLOを使って始めた運転練習ですが、早いもので今回が5回目となりました。 最初は近所の道をソロリと運転することから始めたのですが、徐々に距離を延ばし、シチュエーションも田舎道・主要幹線道・繁華街の狭い道などと考えている内に、段々今度はどこへ行こうかと楽しみにするようになってきました。 これまでも地場の歴史ある酒蔵へ行って見たり、コスモス見物に立ち寄って見たり、成田空港に行って見たりして来たのですが、今回は外房まで行って焼き蛤を食べる事にしました。完全に観光ですね。 昼前に外房に向かって出発。前回成田空港に行った時と同じコースで、松戸市・鎌ケ谷市・白井市などを抜けて成田方面に東進する国道464号線を走り、成田空港の真ん中を通り過ぎて、山武市で太平洋岸に出ました。ここ蓮沼海岸には南浜海水浴場があって
柏での仕事が昼過ぎに終わりましたので、市内にある「ボンベイ」でカレーを食べて帰ることにしました。柏では昔から有名なカレー店でしたが、一度は営業を終了し、その店のファンだった方がその味を再現して再開したという店です。 ここはスパイシーなカレーで有名ですが、中でも看板の「カシミールカレー」は超辛口です。辛いもの好きの私もこれに挑戦したことはなく、いつもその次に位置する「インドカレー」を頼んでいます。この日もインドカレーだったのですが、食べ進めるにつれてどんどん辛さが堪えてきて、頼めば貰えるピクルスを合間で齧ったり、水を何杯も飲んだりしながらやっと完食しました。 これまではそんなことも無かったのですが、この調子では次からは一番甘口の「チキンカレー」にしなくてはいけないかも知れません。見た目はサラサラのルーで全然辛そうじゃないんですが、あなどれません。 手前の看板は隣の店のものです。 若い頃韓国駐
宇都宮で朝イチからの仕事がありましたので、ハイエースで前乗りして、いつもの壬生PAで車中泊しました。高速を使えば、ひどい渋滞さえなければ2時間半で到着しますので、朝少し早く出れば十分間に合うのですが、ハイエースを買ってからは現地近くで車中泊し、朝のんびり仕事に向かうということが多くなってきました。前日の夜、夕食も入浴も済ませてあとは寝るだけという状態で出発です。 私がいつも使っているGoogleマップのナビ機能は、到達の速さを優先する設定らしく、幹線道の渋滞は巧みに回避して私の好きなクネクネ田舎道を指示してくれますから、普段はとても気に入っています。ただ殆どクルマも行き交わない細い道もヘッチャラで案内して来ますから、日が暮れて暗くなってからのそんな道は完全な暗闇となって、ルームミラーやドアミラーで後ろを見るのも怖い、という状況となります。 秋が深まってきて、夕方5時ともなるともう真っ暗です
10月も下旬となって、このままで地球は大丈夫なのか?と思ってしまうような猛暑の感覚も忘れかけて来ました。朝晩の空気がひんやりと肌に感じるようになり、空の雲も夏とは明らかに違います。「空高く、、」というのを実感しますね。 秋は実りの季節でもあり、リンゴや柿、ブドウが多く出回って来ますが、ここ千葉県の北西部は梨の産地で、「幸水」という品種は真夏に出回り始めますので、千葉に越して来てから、梨は秋というより夏の果物のイメージに変わりました。 またこの時期道端を歩いていると、遠くから漂ってくる金木犀の甘い香りに気づくことも多くなりますが、この香りは、私にとって秋の訪れを感じるサインです。小さな黄色い花が咲き、風に乗って香りを運んで来ます。 ところが今年は今になってもこの香りを感じた覚えがなく、知らない内に季節が過ぎてしまったのかと残念に思っていました。調べてみるとやはり関東地方で金木犀が香り始めるの
今日は本来なら2024年のSSTR(サンライズ・サンセット・ツーリング・ラリー)の発走日でした。当初は、前日から御前崎まで前乗りして、今朝の日の出と共に長野方面に向けて北上、そこから西に進路を取って石川県の千里浜を目指すコースを考えており、既に宿も確保していました。しかし9月初めに車中泊旅で訪問した能登半島で、未だ大きく傷跡が残る地震被害の惨状を目の当たりにしたことと、その後の豪雨で更に傷跡が拡がった事を知り、今年のSSTRは止めることにしたのです。 SSTRのゴール千里浜がある羽咋市は石川県の中央部で能登半島の付け根部分ですから、地震被害・豪雨被害の中心地では無かったようですし、9月にハイエースで走った時も輪島付近の被害状況とは全く違う印象でしたから、SSTRの開催を決めた運営の判断が間違いだとは思いませんし、地元への経済効果が大きいのもその通りですから、全く開催を否定する積りもありませ
コスモスは桜に次いで私が好きな花なのですが、私が住んでいる千葉県の北西部にはコスモスが多く植えられていて、その気になれば各所で鑑賞することができますので、これまでコスモス鑑賞にそう苦労したことはありません。 そして今年も、9月初めに信州・北陸をハイエースで車中泊旅した時、長野県のコスモス街道で咲き始めていたコスモスを幸先良く見ることができたのですが、千葉に帰って来てからは仕事や家の用事などで日が過ぎてしまい、気が付けば9月も末になっていました。 千葉でももう見頃になったのじゃないかと思って、印西市にある牧の原公園のコスモス畑に行って見たのですが、雨の中わざわざ傘をさしてまで行って見ると、既に殆ど花は残っていませんでした。うかうかしている内に時期を逃してしまったようです。 終わってしまったものを悔やんでも仕方ありませんから、今年はもう諦めていたのですが、10月の中旬になった頃、ネット記事で千
息子の希望で始まった運転練習への付き合いもこの日で3回目となりました。といっても初回私はまだハイエース旅から帰って来ておらず妻だけの同乗でしたから、私は2回目となります。 30歳過ぎた息子の運転練習に毎度付き合うのも過保護な気はしますが、娘も家を出て寂しくなっている我々夫婦には格好の暇つぶしでもあり、単に週末のドライブ気分でもあります。また息子にとっても運転練習という本来の目的に加えて、昼食は親持ちで食べられますし、ついでに買い物をしたらそれも親に払ってもらえる等実益ばかりです。 この日もまた行きつけのラーメン屋で昼ごはんを食べた後、今度は千葉ニュータウンから印旛沼の周辺を走ってみることにしました。昔は一つの大きな沼だった印旛沼は、戦後の干拓で北印旛沼と西印旛沼の二つに分かれていて、この日向かったのは佐倉市側にある西印旛沼の方、前回の手賀沼に続いての沼シリーズです。 ただ千葉ニュータウンへ
息子の運転練習に付き合って自宅周辺を走ることにしたのですが、その途中で手賀沼の南側にさしかかった時、「旧手賀教会堂」の看板が目に付きました。 ここは以前バイクツーリングで何度か立ち寄ったことがある古いキリスト教の教会堂なのですが、妻や息子も興味を持ちそうでしたから寄って見ることにしました。 旧手賀教会堂は明治12年(1879年)に設立されたギリシャ正教の教会堂で、茅葺屋根の民家を転用して作られた、一見教会堂とは見えない農家風の建物です。手賀沼周辺には明治期にギリシャ正教が積極的な布教を行っていて、他にも教会が幾つもあったようです。そしてその布教の中心人物がニコライ大司教と呼ばれる人物で、神田のニコライ堂で良く知られています。 裏から見ると完全に農家なのですが、表に回ると独特の窓の形で少し教会の雰囲気が感じられます。 以前来た時は外から眺めるだけだったのですが、この日は内部も解放され案内員の
9月最終の日曜日、我が家の愛猫だったクー・ロクの合同法要に行って来ました。毎年春と秋の2回ペット霊園の主催で行われているもので、2023年の正月2日に亡くなったロクでももう4回目、2012年の11月に亡くなったクーに至っては24回目の法要となります。月日の経つのは本当に早いものですが、彼らの記憶は薄まらないですね。 いつもは雨が多い印象のこの日ですが、今年は雨が降ることも無く多くの参拝者が訪れていました。僧侶の読経に手を合わせる姿を見ていると、まだまだ別れの痛手が癒えていないんだなあと感じる方たちも多く、こちらも胸が痛くなります。 この日娘は引越し作業で忙しく不参加でしたが、息子は帰って来て妻と三人でお参りしました。 その後近くのラーメン屋さんに昼食を食べに行ったのですが、ここは我が家行きつけの店で、そこの餃子が全員大のお気に入りです。息子はここで餃子が食べたいがために帰って来ると言っても
先日娘が付き合っている彼との初顔合わせを銀座コリドー街の筋肉食堂で行ったばかりですが、その翌週娘は彼との同棲を始めるために家を出て行きました。 何だか急転直下の展開で、当初は年末位にと言っていたのですが、私との顔合わせが無事終わって、二人とも一刻も早く一緒に住みたい気持ちになったみたいです。 まあこれまでも週末は独り暮らしの彼のところで過ごすことが多く、まるで週末婚だなと妻と話していましたし、その為に徐々に荷物も持ち出していたようですから、こちらの心積もりもできていると言えばできていました。 ですから、よくお話の世界であるようなドラマチックでセンチメンタルな父娘の別れの場面はなく、荷物の搬出を手伝いに来た彼と出て行くのを、じゃあなと見送っただけですが、出て行ってしまえば寂しいのは勿論です。 娘は今27歳、兄である息子が家を出たのもやはり27歳、そして妻が家を出て私と結婚したのも27歳の時の
東銀座にある歌舞伎座で上演されていた、「秀山祭(しゅうざんさい)九月大歌舞伎」を観て来ました。 歌舞伎座には妻は何度か来ているのですが、私は初めてです。もしかしたら建て替え前の古い歌舞伎座には来たことがあったかもしれませんが、記憶はあいまいです。歌舞伎座は都営地下鉄浅草線の東銀座駅と直結で、電車を降りるとホームには既に和装の男女が目立ちます。 「秀山」とは初代中村吉右衛門の俳号で、彼の生誕120年を記念して2006年9月から始まり、今回は3年ぶりの「秀山祭九月大歌舞伎」なのだそうです。二世中村吉右衛門の一周忌追善ともなるためか、実兄である松本白鴎も出演していました。 私たちは、9月1日から始まった公演の千秋楽となる25日の昼の部を鑑賞したのですが、平日にもかかわらず多くの観客で席は埋まっており、外国人客の姿も見られました。彼らにとって英語版のイヤホンガイドは心強い助けになるでしょうが、日本
サザンオールスターズ(SAS、サザン)が、今年のRock In Japan FESTIVAL(通称ロッキン)で夏の野外フェス出演を最後とするとの発表をして、9月23日、彼らが大トリを務める日のチケットは大変な争奪戦になったようです。 私も彼らがデビューしたころからのファンではあるのですが、レベルで言えば2軍の補欠といった程度で、アルバムなどはほぼ全て買っていましたが、ライブに足を運んだことはありません。そもそも人混みが嫌いですから、オールスタンディングのロック系のイベントは敬遠していて、野外フェスは、30年以上前びわこバレイのオールナイトジャズフェスティバルに行ったっきりです。 妻もサザンファンですが、彼女の方は私よりややランクが高くて2軍レギュラークラス、独身時代はライブに足を運んだこともあるようです。ただ彼女も人混み嫌いは私と同じですので、茅ヶ崎ライブや年越しライブのようなものは敬遠し
銀座コリドー街にある「筋肉食堂」という店で続けて会食の機会がありました。1回目は、大きな病気から復帰した元部下の転職祝いを兼ねた慰労会、2回目は娘の彼との初顔合わせです。 「筋肉食堂」は、その名の通り筋肉を意識した健康志向のメニューが豊富なレストランで、高たんぱくで低カロリーの料理が揃っていますから、結構有名なアスリートも通っているお店です。アスリート以外でも健康に気を遣う人々には人気で、いつも繁盛していますが、大量のサラダ、チキン・赤身ステーキなどを黙々と平らげてさっと帰って行く人も多いのが通常の酒場と違うこの店の特徴です。私はこの店の創業メンバーが知り合いということもあってちょくちょく使っています。 最初の会食は、元部下の病気からの復帰と新しい職場が決まった事を祝うためのものでした。彼女は苦しい闘病生活を経て、新たなスタートを切ることができたのですが、何より、再び働くことができるまでの
※先日、書きかけのものを下書きに保存した積りが、そのまま公開されてしまっていました。加筆修正した上で再度公開します。 7~9月に我が家では3人が誕生日を迎えます。今回は私と妻が夏風邪をひいてしまい、予定していた会食が中止となりましたので、3名分まとめて誕生祝いをすることにしました。 我が家でのちょっとした催事・イベントの時には、日本橋人形町に本店のある人形町今半という店で会食することが多く、今回も私の誕生祝いで8月初旬に予約していたのが上記の理由で流れていたのです。8月と9月の妻と娘の誕生日はあまり離れていないこともあって毎年一回で済ませることが多いので、今回は私も合流して3人分となった訳です。 人形町今半は牛鍋屋としてスタートした今半から別れた企業の一つですから、すき焼きが看板なのですが、すき焼きよりも断然ステーキ派の娘の希望もあり、我が家ではいつも1階の鉄板焼きステーキの「喜扇亭」です
車中泊旅+妻との福井観光、8日目の朝は富山県氷見市の道の駅で迎えました。 妻と行動を共にした福井では、安楽な布団・ベッドで眠り、風呂・トイレも備わっている環境でしたから、それに比べると車中泊は何かと大変です。ただ一つ、車中泊用に買った低反発マットだけは、サイズも自宅のベッドと同じ200×100cmですし、クッション性もむしろ自宅ベッドより私には合っている感じですので、自宅のベッドマットと交換しようかと真剣に考えています。 エアコンを撤収し、洗顔を済ませたら、富山から新潟方面へ向けて出発です。翌日午前には宇都宮市内で仕事があり、そのメンバーと夜は暑気払いをしようということになっていますので、この日の内にできるだけ栃木県に近付いておきたいところなのです。とは言え業務開始は10時ですから、6時頃には行動開始している車中泊のパターンなら、長野県あたりからでも高速を使えば十分間に合いますが。 この日
この日、福井駅前のビジネスホテルで10時過ぎの新幹線に乗る妻と別れて、私は能登半島へ向かいました。 当初はこの日新潟まで移動して、翌日佐渡島をレンタルバイクで回る積りだったのですが、天候が怪しくなってきたので急遽変更したのです。今回は準備万端で、ヘルメット・ジャケット・グローブも抜かりなく積んで来ていたのですが。 京都から新潟までつなぐ大動脈国道8号線に出て、しばらくは能登を目指して走っていましたが、こういう幹線道路を走り続けるのがあまり好きでは無いものですから、途中から初日に泊まったあわら温泉方面にそれて、日本海沿いの幹線とは言えない地方道を使って石川県羽咋市の千里浜なぎさドライブウェイまで走る事にしました。 浄土宗の蓮如が当時北陸布教の拠点としていたところで、蓮如の里と呼ばれているあわら市の吉崎や、北前船の博物館に立ち寄ったりしながら、千里浜に到着しました。 ここは今やライダーの一大イ
休日の朝、美ヶ原の道の駅は、早朝4時頃から周辺ハイキングのためにクルマを置いて出掛ける人たちでザワザワし始めます。どこかに出かける前の人ってハイテンションで声が大きくなりがちですが、それよりもクルマのドアの開け閉め音がかなり耳につきます。私のハイエースはドアクローザーが付いていませんからやはり開け閉め音は大きくなりますので、注意しなくてはいけないと改めて思いました。 また前夜は車中泊組がかなり遅くまで盛り上がっていて寝不足だったのですが、このハイエースは疲れたらどこでも仮眠ができるのが取り柄ですので、5時過ぎに洗顔を済ませたら、もう出発してしまう事にしました。 前夜の車内温度は17℃台まで下がり暑苦しいどころかシュラフを一枚追加しなくては寒い位でしたから、安眠条件は整っていたのですが、、。 以前バイクで来た時は、美ヶ原公園西内線という道を松本まで下って行ったのですが、この日指示されたのはビ
初秋の車中泊旅2日目は茨城県の「道の駅ごか」から出発しました。実質的にはこの日が旅のスタートとも言えます。 前夜は大型トラックの集団に囲まれるようにして眠ったのですが、私が大型車スペースに停めていたわけではなく、大型車スペースから溢れたトラックが普通車スペースも埋め尽くしていたということなのです。しかし2024年問題で長距離トラックのドライバーさんたちは休憩場所の確保に四苦八苦しているようですから、まあ仕方がないかなと諦めています。ただ大型トラックのアイドリングの合唱は正直安眠の妨げではあります。 初秋と書きましたが、実感としてはまだ完全に真夏で、車中泊もエアコンなしでは無理です。寝る前のエアコン設置と起きてからの撤去はなかなか手間がかかり、こんな時は冷暖房完備の本格キャンピングカーが羨ましいですね。 朝早く、まだトラック群が出発しない内に出ましたから、途中国道17号線沿いの「道の駅おかべ
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