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2021.07.12 Monday『キリスト者として生きる 洗礼、聖書、聖餐、祈り』を読んでみた(24) さて、今日もローワン・ウィリアムズ先輩がお書きになられたものから、考えたことをたらたらと述べてみたい。本日の部分も、また、聖餐に関するエッセンスがギュギュギュっと詰められた感じの部分である。 しるしとしての聖餐を十字架のしるしを示す教会で 第1コリント1章22-25節には、「ユダヤ人はしるしを請い、ギリシヤ人は知恵σοφίανを求める。しかしわたしたちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝える。このキリストは、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものであるが、召された者自身にとっては、ユダヤ人にもギリシヤ人にも、神の力、神の知恵σοφίανたるキリストなのである。神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからである。」という記述がある。 聖餐は洗礼を受けたいのちが受ける
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