文字の勉強のため書道をしている昨今。上手く書こうと思わなければストレス解消にもなり、書体の研究も忘れて書いている。 半紙で約1500枚書き終えたあと戦前の図案文字を見ると、書道の文字から創作されていると思われる文字が少なからずあることに気が付く。図案文字はデザインとしてみると個人的にあまり好みではないが、書としてみれば悪くない。当時の人にはなじみがある文字の西欧化と映ったかもしれない。 書家の日下部鳴鶴(天保9年8月18日(1838年) から大正11年(1922年))が書いた千字文を臨書している。鳴鶴は維新後、新政府が成立すると徴用され太政官に勤め、内閣大書記官となる。巌谷一六・中林梧竹と共に明治の三筆と呼ばれていたこともあり、書風の影響力は強かったことだろう。 古い出版物の明朝体の良さが理解できるようにもなった。昔書体を設計していた人は書道もしていたという。一般には、毛筆は明治以降に作業