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twitter.com/naoya_fujita
RT 「からかい」をしている人たちが、自分たちを「ユーモア」があり「冷静」だと自認している、という話に衝撃を受けた。全くその正反対にしか見えなかったから、そういう自己認識である可能性に微塵も思い至らなかった。
大衆文化で「推し」概念が流行るのは、いわゆる履修をして教養?をつけなくても、共感一発で参加できるというイージーさにあると分析されているけど、政治でも同じことが起きてるんだろうな。
ぼくは署名しなかったけど、「オープンレター」でツイッター検索して出てくる内容が、オープンレターの主張である、ネット上でのお遊びのような女性差別的な文化の存在と、その悪質さと攻撃性の証明のように見えるね https://t.co/exHrl6vjwf
キャンセルカルチャーの行き過ぎという問題は確かにあると思うし、攻撃的な言動の全てに賛同はしないが、「オープンレター」「さえぼう」で検索してみて、行われている攻撃の量と執拗さが尋常ではなく、こういう環境で生きなきゃならないのは本当にしんどいだろうなと感じたね。
ラーメン評論家の文章はひどいもので、迷惑な行動をしたのだろうことは良くよく分かるが、「昭和軽薄体」的な文体それ自体が批難の対象になることには複雑な思いもする。80~90年代にはああいう文体は溢れまくってた気がするんだよな。文学でも、特に大衆誌にはいっぱいあったような。
自分自身が勉強し学歴をつけ研究者として勝つことはできるが、稚内生まれの自分が育った環境では高学歴非正規の高度な専門性のある女性というのが存在すると思えなかったので、「東京という豊かな地域の文化資本に」勉強や努力では追いつけない敗北… https://t.co/yhTHFNFHO0
生物学的知見を強調し、ジェンダー論の社会構築性を批判する議論(ぼく個人は、社会構築的なところと生物学的な物質的基盤のあるところが複雑に相互作用してるでしょ、という立場)。あれ、細部じゃなくて、言わんとしていることの核心を捉えた方がいいよ。
これはダメだと思う。すべてがおかしいわけではないが、カズオ・イシグロ氏と御田寺氏は決定的に違うと思う。 カズオ・イシグロの警告が理解できない、リベラルの限界 @gendai_biz https://t.co/1HRC8Oimxl #現代ビジネス
陰謀論やインセルやリベラル叩きなどをする人たちを扱ったドキュメンタリーや色々を見てきて、究極の問題は、能力や資本主義や恋愛などの正当な競争による「敗者」の人生の屈辱感、負け犬感、生の意味の感じられなさのようなものにあるという気がしている。
いわゆる「男性学」的な話だけれども、確かに男性の苦しみや葛藤って共有されていない。『だまされ屋さん』の中にもあるけど、それを話して共有してケアするという文化が基本的にないんだ。男性同士だと、それは弱点になるから、基本的には隠す。女性に話しても性的魅力を損なうから。
なんか最近、『攻殻機動隊sac』の「世の中に不満があるなら自分を変えろ。それが嫌なら、耳と目を閉じ、口を噤んで孤独に暮らせ」という草薙素子の台詞を「批判するな、自分が変われ」の文脈で引用する人を多く見るけど、根本的に作品を観る能力ないのだとしか思われない。
先日からタコ部屋労働に興味をもって、小池喜孝の『常紋トンネル』『鎖塚』読んでいるんだけど、えげつなすぎてダメージがしんどい。戦時中ではなく大正時代だけれども、トンネル作りの最中に100人近くが死んでいて、労働者がぶん殴られて殺されて、トンネルの中に人柱で埋められたという話がある
北海道みたいな広大な地域の場合は、ある程度はオフグリッドで生き延びるための備えをしていくというのが現実的ではなかろうか。アイヌとかは冬でも電気なしで生きていたんだから、知恵はあるはず。備えを置いておくスペースも各家庭に大量にあるしね。
科学・技術に関わる人間の中には、事実(科学)と価値(イデオロギー)の峻別できず、自分のイデオロギーに無自覚(ないと思っている、科学的真理と思ってる)な人結構いるから。大問題だと思うよ。国家的なデカいプロジェクトが好きだから思想は特定の方向に偏りがちだし。
「表現の自由」「反表現規制」クラスタが、他の人権を侵害するものまで認めようとするから、フェミニストや反差別団体と利害相反して対立するのは分かるが、そこを票田として利用している政治家と悪しきフィードバックループ作ってんのはちょっとなー。
性愛やら家庭やら感情に関わる秘められた領域である「親密圏」が貧しいがゆえに、「公共圏」に一部重なるようにして「擬似親密圏」を構築せざるを得なく、ネットのフロンティアにそれを見出したが、そこが時代の流れと共に「公共圏」扱いに変わる、ということが生み出す軋みの問題でもあるのかな。
言い過ぎかもしれないが、発達障害や人格障害は、「個が大事、個人が大事、自由が大事、幸福を追求するのは大事」というイデオロギーの矛盾が露呈するのを糊塗するために発生した障害みたいな部分あるのかもな。
この柳美里さんの件について、小谷野敦さんの「『命』などの印税は1億近くあったはずで、それはサラリーマンの平均生涯賃金の半分」(大意)という指摘と、「昔、豪華な生活をアップしていたブログがあったのに消えている」という指摘をした某アーティストの発言がクリティカルだと個人的には思ってる
「お前らアーティストは己の全存在を賭けて、死ぬ気で戦って、時には死んじゃってもしょうがないから、いい作品作ってね! 俺たち消費するから!」みたいなことにならんかな、これ。
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