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前略 M 様 お元気ですか? 僕は今、投資家をしながら自由に世界中を旅行しています。あなたと最後に会ってから26年が経ち、田舎者で子供だった僕は幾分か大人になって、何億円ものお金と自由な時間を手にしました。 26年前には考えられなかったよね?笑 そして、いつか戻ってこようと誓った街、アメリカ、ウイスコンシン州のMADISONに先日行ってきました。 まだ18歳だった僕たちが出会った街、MADISONには昔と同じ風景が残っていたんだ。 目抜き通り(ステートストリート)からキャピタルに続く道や、ユニオンの湖沿いのカフェや僕たちの通っていた学校も、全部そのままだったよ。ただ、僕たちの住んでいた寮は閉鎖されていて、建物だけがひっそりと残っていて、その建物を眺めていたら26年前が蘇ってきた。 あなたと僕は、同じ時に同じ場所で同じ青春を過ごしたんだよね。 覚えていますか? 朝、二人で一緒に学校へ行った日
前回の記事で、大前研一氏のアベノミクスに関する問題点と高橋洋一氏のアベノミクスに関する疑問への回答を続けて投稿したところ、圧倒的に大前氏の記事へのアクセスが多かった。その際に賛否両論も多かったために新たな投稿について悩んだが、前回の動画の続きがあるので、本日要約と一緒に投稿したい。 【向研会】人口減少の衝撃 ~少子高齢化の現状と将来課題~ - YouTube 人口減少は何を引き起こすのか? 少子高齢化は、日本が抱えている最大の問題で、これだけの人口減少を経験した国は存在しない。 日本人は寿命が長く、2040年には85歳以上の人口が一番多くなる。団塊ジュニア世代が結婚して子供を生まないので、団塊ジュニア世代以降に人口のピークが無い。団塊世代ジュニア世代の1/3は結婚していないか、結婚しても子供が一人以下である。子供が二人でやっと人口を維持できる。その結果、日本の就業人口は、今後大きく減少し、
昨日の大前研一氏のエントリーへの反響が大きかった為、本日はアベノミクス推進派高橋洋一氏を取り上げてみます。VOICEの選挙特番において、アベノミクスへの疑問を高橋洋一氏が回答しており、とても参考になったので抜粋してみました。 大前研一が語るアベノミクスが失敗する理由と対策が秀逸! - 自由を求めて、世界を周る アベノミクスの点数 3月までは100点、それ以降のマイナス要因は消費増税のみ(高橋氏が増税前に予測した数値になっている為、それ以外の外的要因はないと言える) 4月に実施した増税により、景気が2年前の状況に逆戻りしてしまった。現在は、増税前のアベノミクスの貯金(遅行指数)で食っているような状態。 高橋洋一 (経済学者) - Wikipedia 大前提として『アベノミクスは成功だが、増税がその効果を帳消しにした』と言うのが高橋氏の結論である。 以下に、視聴者やパネラーからの質問と高橋氏の
大前研一氏が2014年の世界の経済の総括と今後の見通し、並びに日本での対策を話した動画が非常に参考になったので、ここにまとめてみました。私と考えが違う個所もありますが、特に経済対策については是非国で実施してほしい内容です。 向研会 2014年経済総括 - YouTube アベノミクスは成功するのか? アベノミクスは、安倍総理の経済参与である本田氏、浜田氏とノーベル経済学賞を受賞したポール・クルーグマンらによる発案だが、彼らは日本の経済の実態を理解していない。アベノミクスは、あくまで20世紀型の経済対策である。 20世紀型の経済対策は、3つしかない。1.金融政策 2.財政政策 3.成長戦略である。現在の日本の状況は過去の経済史上初めての現象の為、これらは効果を発揮しない。特に、円安効果は薄く、世界中で自国通貨が安くなって喜ぶのは日本と韓国だけである。現在の1ドル120円はデメリットの方が大き
私は、歴史上の尊敬する人物や好きな人物を聞かれると、ガウディかピカソと答える。理由は分からないが、その回答に驚かれることが多い。日本の偉人か近代のビジネスマンあたりを挙げると想像していたのだろうか。 私の中ではピカソは人類史上稀にみる天才だ。天才は独りで世の中の常識を変えてしまう。本日は、そんなピカソが打ち立てた驚くべき3つの功績を、私の私見で解説したい。 絵画の常識はおろか、美術史の流れを変えてしまった ピカソと言えば、最初に思い出すのが、あのよく分からない抽象的な画法だ。昨今では、絵画の評論家が抽象画だとか何だとか小難しい解説で、その画法を称賛するが、当初は当たり前のように受け入れられなかった。 そもそもピカソは絵が天才的に上手い。一般的に人間は物事をより上手く表現しようとする。絵画であればより忠実に美しく描くのだが、ピカソはその逆を行った。何故、彼がそんなことをしたのかは分からないが
私は、幾つかの事業を起業して、上手くいったことも失敗したこともある。幸いにして直近の事業が成功し、現在はその資金を元に投資家へと転じている。以前にも似たような経緯で投資を行っていたことがあり、今回も投資し始めの頃は事業と同じスタンスで挑んでいた。それが、私より投資が得意な知人数名を参考にして、自分の遣り方を大きく変えたところ信じられないようなパフォーマンスを叩きだし、遂には働かなくて良くなってしまった。 その時に私の頭に、投資家と起業家は何が違うのだろうか?また、何が夫々の違いを生み出しているのだろうか?と言う疑問が浮かんだ。最終的に、投資家には卓越した「見つける能力」があり、起業家には特別な探究心や競争心に起因した「気付く能力」があると考えるようになった。 本日は、それらの2つの能力について書いていこうと思う。 1.投資家の「見つける能力」 見つける能力とは、端的に言うと油田を探すスメラ
私は昔コミュニケーション能力に問題を抱えており、それが原因で会社を閉鎖するなど様々な失敗を繰り返してきた。 ただ生きていくには、何とかしないといけないので、色んなことを試してきた。自分のことを分析して修正するのは簡単ではないと思えば、同じようにコミュニケーションに問題がある人を分析してみるなど、他の人が余りやらないような方法論を取ってきた。本日は、そんな中で気付いたことと、最も簡単に実行に移すことのできる解決法を書いてみたい。 問題点 コミュニケーションに不安がある人は、必ず説明が苦手だと言う。思ったことが伝わらない、伝えられない、と言うのだ。だが、実は思っていることを100%伝えきれる人はいない。伝わらないことが逆に良い結果になることもあるが、多くは期待通りの結果に結びつかない。思った通りに物事が進むとしたら人生はどんなに楽だろうと思う。しかし、そうではない。 まず会話(コミュニケーショ
本日は、IT、医療、金融などの王道以外の分野から、将来性がありそうな業界を選んでみました。 3位)日本型のサービス業(おもてなし産業) ホテル、飲食、販売店などのソフト(マナーなど)を提供する分野。 一昔前にMadeInJapanの製品が世界を制したように、MadeInJapanのサービスが世界を席巻する時が来るように思う。最低でも、発展途上国でのニーズは大きく、これから更なる成長が期待される東南アジアがその後押しとなるのではないだろうか。 アメリカも、日本の輸出力により多額の貿易赤字を計上していた時期があった。しかし、実際はアメリカ型のビジネスモデルやブランドなど形のない物を輸出して外貨を稼いでいたのだ。日本も、今後、同様に形のないものを輸出する時代にシフトしていくことになる。成熟した国家では物が売れにくくなる。その分、サービスなどの付加価値や新たなビジネスの仕組みが求められるようになっ
リクエストにお応えして、「中国の今後について」です。私の個人的見解に基づくものなので、どこまで正確な予測となっているか自信はないですが、思いつくことを書きました。 中国の現状 世界第2位の経済大国とは思えないような状態である。中国全土で発生しているデモや少数民族の暴動に追われながらも、中国政府は南シナ海や日本の沿岸にまで触手を伸ばしている。習近平がどの程度軍部をコントロール出来ているのか不安で仕方ない。 また、中国経済を支えていた不動産バブルも弾けた。その上にシャドーバンキング(高利貸し)の問題を抱えている。そんな状況の中で、100万人以上の官僚が海外へ資産を逃がしており、家族・親戚は既に中国に住んでいない。そして、偽名を使ってまで子供をアメリカの一流大学へ通わせている。最近では、資産1億円以上の中国人が次々と海外へ流出しているようだ。アメリカで子供を産むツアーが大流行しており、カリフォル
まず初めに、アドバイス頂いた皆様、本当に有難うございました。特に似たような症状で悩まれている方からのご意見は、非常に心に響きました。 家族が精神障害、無職になったので、まじめに解決策を考えてみた - 自由を求めて、世界を周る 私が記事を投稿して以来、当該記事へのアクセスが非常に多く、後数日アクセスが続きそうです。そこでこの場を借りて、書き足しておこうと考えました。 私の家族の現状ですが、現在は本人も仕事に就いて、家族も元の状態に戻っております。 精神疾患については、まだ医学的にも解明されていないことが多く、その為に誤解を生みやすいとのことですが、考えられる要因として、性格(考え方含む)、環境、遺伝などが複雑に絡み合っているとのことです。 確かに、私の家族は父親から私、妹まで精神疾患らしき症状があります。私と父は対人関係に一部問題があり、過去にはそれが原因で失敗しています。また、私は毎日同じ
私が小学校から中学校へあがる年に、校内の生徒が集まる葬儀が行われた。 冬の冷たい雨の中、神父が何かを読み上げる。彼女はいじめられていて、その相談のために教会に通っていた。その為、葬儀もご両親の意向で教会で行うことにしたそうだ。彼女は、取り残された小さい妹を助けるために、火事になった実家へ飛び込んで、そのまま亡くなった。引き留める周りの大人達に向かって、自分はどうなってもいい、学校も楽しくないし、生きていても辛いだけだと言い放ったらしい。結果的に彼女の妹は何とか一命を取り留めたようだ。 そのような話だったと思う。私の地元には大きな教会が無かった為、教会の前の野外にて葬儀が進められた。当時のクラスメイトの女性が次々と手紙のようなものを読み上げていた。中には号泣して手紙を読めない生徒もいた。 私達生徒は大人達の後ろからジッとその様子を眺めていた。彼女の両親はいじめていた生徒を非難する様子もなく、
私には妹が二人いる。次女は既に結婚して主婦として生活しているが、長女は実家で母親を悩ませている。少し前に仕事を探していたので、何とか働く気になったようだが、以前はそんな状態ではなかった。母親が辛抱強く対応した成果だと思う。 長女は何故、精神障害になったのか 元々長女は、学生時代は人気があったようだ。何故か地元の新聞で取り上げられたり、卒業後は日産の東京のショウルームで働いたりしていた。20代は、正にバラ色だったのではないだろうか。その調子で、我儘放題の夢のような青春を謳歌しているうちに、気がついたら30半ばになっていた。何のスキルもない長女は、派遣で働いて、次第に出勤できなくなり、そして契約を破棄された。その頃から、精神障害の一種である強迫性障害のような症状が出始めた。聞こえない音が聞こえたり、金縛りにあったりと日常生活に支障が出だしたのだ。 そうなると周りの知り合いがどんどん離れていく。
最小限の労力で最大限の成果を得るにはどうしたらよいだろうか? 以前のエントリー(お金を稼ぐために最も必要なもの - 自由を求めて、世界を周る)で、 成功した人の考え方を分析する(特にそこにロジックがありそうな人) と書いたが、私の中ではこの手法が最も効率的だ。 では、野村監督を例にとって実際にやってみたいと思う。 野村監督は、極貧の生活から、(ドラフトにすらかかっていない)テスト生で入団し、最後には名選手、名監督までのぼりつめた。そこには学ぶべきものがあるはずだ。 野村克也 - Wikipedia 「これが、野球だ」~監督編~■野村克也 1990年制作 【名球会ビデオ野球教室】 - YouTube Youtubeの動画で、野球の監督について語っている。これをもとに分析していきたいと思う。仕事、人生、全てに当てはまる内容だと思う。 身体で覚えるは、嘘 → 頭で覚える 一般的には常識になってい
子供に教えるべき一番大切なことは何だろうか? 性善説なのだろうか?自分が良い人であれば、周りもみんな良い人だとか… それとも、努力は必ず報われる。だから頑張れ、とか… 今後の人生にそれほど高くないハードルとそれを必ず越えられるという希望を持たせないと、親としては不安なのかもしれない。自信がないからだろうか。 人生にとって最も大切なことは 人生は大変なことばかり、楽しいことは1割もない。でも、その1割のために生きていく価値がある、と言うことである。 人生と言うのは兎に角大変で、報われない。でも、努力しないと何も生まれない。 ただし、努力にはやり方があって、正しい努力は成功する確率をグンと上げる。 だから頭を使うのだ。 学校で教科書を暗記するために頭の使うのではなく、何かに気付くために使うのだ。 南米旅行は人生似ているそうだ。とんでもない悪路を長時間かけて目的地に着いたと思ったら、高山病になっ
以前のエントリーで野村監督の動画を分析してみた。 最小限の労力で最大限の成果を得るには【野村監督を分析してみる】 - 自由を求めて、世界を周る この動画を理解して、自分の現状に置き換えることが出来る人は、既に自分の遣りたいことを成し得ている人だと思う。私の知る限りでは、なかなかそういう人はいない。理解しているのに、目標に手が届いていない人は、単に勘違いしているか、または戦うフィールドを間違っているなどやっていること自体がおかしいかだ。 私は、このようにして業界の成功者を相当数分析して、そして自分なりのロジックを作ってきた。それが私の生き方の教科書だ。実際は、すぐに結果が出たわけではない。当初は全てが手探りで、誰もヒントも何もくれなかったので、試行錯誤の連続だった。 丁度、私が軌道に乗り出してきたころに、島田紳助氏が吉本で講義した際の動画を見つけた。当時私も週2-3回ほど就職関連の講和に呼ば
落合監督のキャンプが面白い! 元中日ドラゴンズの落合監督は、選手に沖縄キャンプで球場からホテルまで走って帰るよう指示したそうだ。その距離20KM以上、当時の中日キャンプは誰もが驚くほどの練習量だったので、その後のハーフマラソンは正に地獄だ。 しかし、その際に500円だけ持って行ってもいいよ、しかも何に使ってもいいよ、と言ったらしい。もし自分だったらその金でタクシーを拾うかバスに乗ると考えたかららしいのだが、仮にタクシーだと4人で2千円で約半分の距離まで行けたそうだ。バスなら1時間に1本来るかどうかすら分からないが、相当ホテルの近くまで行けたと思う。 ただし、練習が一段落して疲れている選手は、コンビニで飲料水を買って飲んだり、何か食べたりするそうだ。そうするとホテルへ戻るには走るしかなくなる。 バスの時刻表次第では、タクシーに乗って、ホテルについてからいくらでも飲んだり食ったりすれば良いもの
昨日政治について書いたところ、今までになくアクセスが悪かった為、今日は社会問題について書きたいと思う。日本の社会保障問題について書きたいと思うが、社会保障と一口に言っても範囲が広過ぎるため、その中でも最重要課題である高齢化に伴う社会保障について、その解決策を考えてみたい。 高齢化社会の問題点 最大の問題点は、寿命が延びたことだと思う。国が想定していたよりも寿命が延びたために、年金の財源が追い付かないのだ。加えて少子化による若者へのしわ寄せが限界に達しているため、このままでは悪くなる一方だ。 明らかに財源が足りていないのは確かだが、高齢者を見捨てるわけにもいかない。今と同等か人によってはそれ以上の老後の生活環境を整える必要がある。ただし、それには何かトレードオフが必要だ。全く妥協せずに待遇の改善のみを望むのは、現状では無理があるだろう。 日本は世界で最も成功した社会主義国と言われてきた。人口
もうすぐ選挙だ。政治家の討論番組を見ていて、違和感を感じるのは議論の争点が貧富の格差に終始していることだ。貧富の格差が広がって貧困層が大変だ、それを何とかしろ、と言う一見正論のような不思議な議論だ。 政府は多額の税金を集めて、それを再配分する。中でも割合が大きいのは社会保障だ。それでも予算が足りずに国債を発行する。要するに借金だ。その上で、更に貧富の格差議論となり、より一層の保障を要求している。今のままだと確実に無理があると思うのだが、誰も抜本改正の議論には踏み切らない。 本日は、その理由を考えてみたい。 諸悪の根源は既得権 税制改革を実施しようとすると、必ず議論に上がるのが官僚の問題だ。天下りという巨大な既得権があらゆる改革の前に立ちはだかっており、政治家がどんな法案をあげても、それを実行に移す官僚が、巧みな霞が関文学で自分達の都合の良いように変えてしまう。政治家が権限を行使しようにも、
投資活動をしていると、様々なバックグラウンドを持った人と出会うことになる。資産家の家庭に生まれた人以外は、みんな何かで財を築いている。 最も多いのは一発屋芸人のように、時代のいたずらによって成功した人達だ。ただし、この手の人達の多くは、暫くすると居なくなっている。長続きしないのだ。 一発屋が長続きしない理由は、同じことを続けていたら偶発的に時代の流れに乗ってしまい、それを自分の実力と勘違いしてしまうからだ。自分のやっていることと時代がシンクロすると実力以上の結果が出てしまう。 計画的に利益を得ている人は、逆にそのような状況に身を置かないように調整しながら仕事をしている。 そんな典型的な一発屋(昔のネットワークビジネス、現在の情報商材やシステム金融まがいのビジネス)の中にも上手に生き残っている人も存在する。 今日は、その中の一人を紹介したい。 ネットワーク時代 その人をNと呼ぼう。Nはアメリ
私の人生最初の記憶は、小さな家でカーテンのフックを袋に詰めている様子だ。一つの袋にフックを7つずつ詰めていたと思う。暗い記憶として未だに忘れられない。 当時の私の家は、神社の庭先にある小さな小屋だった。父親はアル中で、働いていた市役所を辞めて、医者からは後数年の命だと宣告されていたようだ。結果的に、酒の量を減らして、現在も生きている。 父は、典型的な昔の父親で、亭主関白で家では何もしなかった。だからと言って、外で稼いでくるわけでもない。 私は夜になると母親に突かれて、カーテンのフック入れの作業を行っていた。私は眠くなるとそのまま寝てしまうが、母は明け方まで内職をし、その後新聞配達をしていた。そして、昼間働いて、夕方は近所の飲食店でバイトしていたそうだ。 元々は呉服屋の7人姉妹の真ん中として育って、父の元へ嫁いできたので、あまりの生活環境の違いに、きっと大変だったと思う。 私には妹が二人いる
彼女にとって、全ての男性、または全ての恋愛は“2番”だった。彼女にとっての“1番”は映画であり、その為に大切なものを簡単に手放してきた。それが彼女にとって幸せだったのかどうかは分からない。 私が、彼女と最後に会話したのは2年ほど前だ。会話と言っても、顔を見て話したわけではない。声も聞いていない。それはテキストによる会話だった。 とても短いやり取りだったが、彼女がサンフランシスコで少ないお金を遣り繰りして、何とか生きていることは容易に想像が出来た。そんな状況にありながらも、まだ映画を作ろうとしていた。 人生は時に諦めることも必要だ。私は彼女に10年以上前からそう言い続けてきた。でも私の言葉は届かなかった。それは私に問題があったのか、彼女の問題なのか、今になっても分からない。 出会い 私が彼女と会ったのは、私が離婚して、何の希望もなく、ただ食う為だけに生きていた時期だ。彼女は映画関係の仕事で日
引き続き(仕事とは何かを考える - 自由を求めて、世界を周る)の回答です。 前回のエントリー(私のお金の稼ぎ方【お金儲けに方程式は存在するのか?】 - 自由を求めて、世界を周る)は、あくまで自営業者などが自分の事業を通して利益を上げることが前提だった(または、事業企画など特殊な部門に属している人向け) そもそもどうやって仕事を選べばよいのか? まず、最も多いのが自分がやりたいことを仕事にするタイプ、または仕事に遣り甲斐や楽しさを求める人だ。 これは、私は同意できない。 たまたま自分の好みと自分の特性があっていて、その上でその分野に競合が少なく、その業界で勝ち残れるケースを除いては、成功する確率が低い気がする。 しかも、そういうタイプは大概同じような仕事を探している。。。 自分のやりたいことと、自分の出来ることは違う 自分に特性があることで、しかも競合が少なく、勝てそうな分野で戦う ただし、
子供の頃は「夢は何?」「将来何になりたいの?」と聞かれることが多い。大人になると「趣味は何?」と聞かれることが多くなる。 私には夢も趣味もない。昔も今も無かったし、特に必要だと感じることもなかった。 TVなどでコメンテーターが若い人を集めて、夢について語っているのを見かける(NHKの番組のように)あのような夢の押し売りか押し付けは、あざとい気がして仕方ない。夢って何だろう??? そんな私も一度だけ夢について書いたことがある。 確か、小学校3年生か4年生の頃だ。 当時の先生が、毎年恒例の「夢」について生徒に書かせる授業があった。大体、その年齢だと、医者だったり、公務員、プロ野球選手、サッカー選手、歌手、お花屋さんなど親に押し付けられたものか、またはテレビや近所で見てイメージが良いものが候補に挙がる。 私には、そういった具体的なイメージはなかったので、お題が出るや否や、最初に原稿用紙を持って先
第二次世界大戦後の世界は、今のように言論の自由がなかった。それは民主主義を謳歌していたアメリカでも同様だ。 そこに、母親のいない貧しい家庭で育ったユダヤ人が、過激なマシンガントークで全米の注目を浴びるようになる。それがレニー・ブルースだ。 ダスティン・ホフマン主演の映画「レニー・ブルース」は彼の半生を綴っており、感動以上の何かを感じる作品である。かのビートたけし氏も、レニー・ブルースに憧れて模倣したと言われている。 レニー・ブルースの凄いところは、偽善が全くないことだ。当時タブーだった過激な放送禁止用語を使い、差別・宗教・政治など何もかもを剥き出しにして社会を強烈に風刺し、笑いのネタにした。そんな彼は警察に睨まれ、ライブの度に警察がステージを取り囲むことになる。 レニー・ブルースは何回も逮捕され、法的な弾圧を受けながらも自分のスタイルを崩さない。そんな彼から周りの知人、友人はどんどん離れて
本日でブログを始めて1ヶ月となりました。いつもご拝読頂き有難うございます。 本日は1ヶ月間でやってきたことと、それにより気付いたことをまとめたいと思います。 これまでの経緯と変化 1週目 私がブログを始めたのは、11月の連休の最終日で、丁度暇だったからです。初日に旅行の写真を次々とアップし、旅行記を記録するのが目的でした。 しかしながら、1日ではてなフォトライフが一杯となり、旅行記も書き切り、翌日から自分の考えをまとめる場所へとシフトしていくことにしました。 2週目 当初は、全く読者がいない状態でしたが、1週間もすると読者数が毎日10名くらいになりました。また、読者登録してくれたり、★をくれる方が出てきました。 この頃から、私は興味本位で他の人のブログを読むことになります。運良く、★をくれたり読者登録頂いた方が人気ブロガーだったために、この読むという行為が私のブログを大きく変化させました。
先週、体験記をアップして以降、大変多くのアクセスを頂けるようになりました。 読んで頂いた皆様、有難うございました! 本日は、そんな体験記を時系列で整理してみたいと思います。 体験記を整理しようと、改めて過去のエントリーを読み返してみると、懐かしい気持ちと一緒に両親への感謝の念がこみ上げてきました。 私が金銭的に困った時に、決して裕福でない両親に度々援助してもらい、そのお蔭で今があります。そのことに改めて気付きました。 アメリカへ渡った時の記憶 今になって両親の気持ちを考えるようになりました。当時は自分のことしか考えてなかったので、ある意味ブログを始めた最大の功績がこれです。 あの時両親は、何を想い、何を考えていたのだろうか? - 自由を求めて、世界を周る アメリカへ渡った当時の記憶 初めての海外に加え、初めての一人暮らしは刺激的で、ホームシックを全く感じてませんでした。それがチャーハンを食
チャンスは幸運と同じでサイクルだ。 ただし、普通には手の届かない距離をぐるぐる周っている。掴むためにはタイミング良く手を伸ばすしかない。 photo by justmakeit 前回のエントリーの続き(最終話)です。 離婚して全てを失った私が資本金1億円の会社をつくるまでの軌跡 - 自由を求めて、世界を周る 会社の終焉 会社にとって株主構成は、生命線だ。 特に社員が居なくなった会社は、単なる金融商品となり、役員と株主の間で様々な駆け引きが繰り返される。 私は会社の役員1名と株主1名に振り回されて、解散まで地獄のような日々を過ごさざるおえなくなった。夜思わず発狂しそうになったり、シャンプーすると大量の髪が抜けていたり、血尿になったりと、そんな状態が会社の清算が完了するまで続いた。 それでも何とか対処できたのは、今までにもっと大変な状況を経験していたからだ。神様は、私の敵なのか味方なのか、理解
photo by LUIS DE GUIMARÃES 今日は、前回のエントリーの続きを書きます。 ロサンゼルスで航空券の販売をして、人生の儚さを知った話 - 自由を求めて、世界を周る 人生で一番大変だったことは何かと聞かれれば、離婚だと答えるだろう。 そのくらい離婚には膨大なエネルギーが必要だった。 結婚生活 私たち夫婦は、投資中心の生活に移行してから、日本に越して来た。 その後、暫くは静かな時間が流れていた、と思っていたのだが、妻が突然アメリカに戻りたいと言い出した。 やはりジャーナリストとしてのキャリアを積みたかったらしい。 彼女は、飛び級で大学に入って、その後奨学金で大学院を卒業した。 アメリカのジャーナリストは過酷で、アメリカの大統領に質問している記者の年齢を見れば分かる通り、上り詰めるまでに長いキャリアが必要だ。 私と出会った当時は、そんな現実に嫌気がさしていた。 人生は、その時
チャップリンの言葉を思い出す。 人生はクローズアップで見れば悲劇、ロングショットで見れば喜劇 もしかすると、私の人生のことかもしれない。 photo by mi..chael 今回は、倒産の後にスペインから帰国した私の人生について書きたい。 実家の倒産、家族の離散から再スタートまでの物語 - 自由を求めて、世界を周る 私がスペインから帰国後、何とか見つけた仕事は、ロサンゼルス空港の近くにある旅行代理店だった。会社が保有している空いた部屋に住み、会社の車で通勤し、朝から晩まで働いて、手取り5万円くらいの契約だったと思う。 今の時代だとブラック企業だ。そういう意味では、私は時代を先取りしていたのかもしれない。 就職先は、ロサンゼルス 当時の日本は大不況で、私を採用してくれる会社はなく、私は二つ返事でLAへ飛んだ。何故そんな私を採用したかと言うと、彼らはクレーム処理要員を探していたのだ。 その旅
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