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お客さまへ 店舗により入荷状況や品揃えが異なります。 台風の影響で一部商品の入荷に遅れが生じています。 ご迷惑をおかけしてしまい申し訳ありません。 2023年8月25日 ダイソーから手塚キャラクターたちのグッズが登場! (ほぼ)ぜーんぶ110円!! 鉄腕アトム マスキングテープ 幅15mm×長さ4m 鉄腕アトム メッセージが書けるマスキングテープ 幅35mm×長さ2.5m 鉄腕アトム メッセージが書けるマスキングテープ 幅35mm×長さ2.5m ブラック・ジャックの手術料 マスキングテープ 幅35mm×長さ2.5m ピノコ 抜き型マスキングテープ 幅15mm×長さ2.5m 各110円(税込み) 手塚治虫ワールド オールスター缶バッジ 110円(税込み) ※12種類のキャラクターのうちランダムに1種類が袋に入っています クリアの表紙からアトムのメカが透けて見える仕様。 鉄腕アトムB6ノート
★トピックス★ イーブックジャパンにて、手塚治虫・週刊少年マンガ特集 7作品セット割30%オフ開催中! NTTドコモ「スゴ得コンテンツ(R)」向けサービス『手塚治虫 forスゴ得』提供開始! ミッドナイトを電子書籍で! Kindle版 ミッドナイト イーブックジャパン ミッドナイト イーブックジャパン ミッドナイト(少年チャンピオン・コミックス) Google play ミッドナイト Google play ミッドナイト(少年チャンピオン・コミックス) 楽天ブックス ミッドナイト Reader Store ミッドナイト auブックパス ミッドナイト BOOK☆WALKER ミッドナイト BOOK☆WALKER ミッドナイト(少年チャンピオン・コミックス) ヨドバシ.com 電子書籍 ミッドナイト ヨドバシ.com 電子書籍 ミッドナイト(少年チャンピオン・コミックス) 手塚治虫のマンガ作品
安楽死を医療の一環と見做し、ブラック・ジャックと対立しつつも安楽死に対する確固たる信条を貫く姿が印象的なドクター・キリコ。 ブラック・ジャックの最大のライバルであり、根強いファンの多いキャラクターの一人です。 手塚治虫デビュー70周年記念企画として、キリコを主人公としたトリビュート作品『Dr.キリコ〜白い死神〜』が始動し、現在別冊ヤングチャンピオンで好評連載中です。 10月20日には、満を持して1巻が発売されます! 今月の虫ん坊では1巻発売を記念し、キリコをフィーチャーするとともに、『Dr.キリコ〜白い死神〜』をご紹介します! ブラック・ジャックの対となる存在として登場したドクター・キリコ。医師でありながら非合法な世界で医療活動を行いますが、ふたりには決定的な違いがあり、作中ではライバルとして度々物語に登場します。 ブラック・ジャックがメスをふるい、どんなに深刻な病であろうとなんとしても患
手塚マンガあの日あの時+(プラス) 不思議生物"ママー"の世界!! 第2回:大発見! 「日本の国土ッ」は"ママー語"だった!! 不思議生物"ママー"の世界!! 第2回:大発見! 「日本の国土ッ」は"ママー語"だった!! 手塚治虫のマンガには、物語の流れを無視してちょこちょことコマの片隅に顔を出す謎生物たちがいる。ヒョウタンツギや「おむかえでゴンス」のセリフで知られるスパイダーなど。そしてその中でもひときわ異彩を放っている謎生物が"ママー"である。目は1つで足はなく空中に浮かんでいて時に毒舌を吐く。この謎生物ママーの正体に迫るシリーズ2回目の今回は、手塚プロ資料室からもたらされたある重大情報から話を始めよう。これを読めばあなたもきっとママーが大好きになりますよ!! ◎手塚プロ資料室から届いた1通のメール......!! 手塚治虫のマンガ『七色いんこ』の中には、会話の流れと関係なく、登場人物た
過去と未来とが複雑に絡み合いながら展開する大長編マンガ『火の鳥』。この巧みな物語構成は、長編作品を得意とした手塚治虫の真骨頂ともいえる代表作だ。ではこの壮大な物語を手塚はいつどこで発想し、どのように構想をふくらませていったのだろうか。じつはそこには連載の中断が大きく関わっていた。連載中断があったからこそ『火の鳥』は超大作となり永遠の名作となったのだ。今回はそんな『火の鳥』誕生秘話に迫ります!! 過去と未来とが交互に描かれながら、人類の誕生から滅亡までの壮大な歴史をたどる。それを俯瞰する超生命体・火の鳥。その火の鳥の視点を通して生とは何か、死とは何かを問う野心作、それが手塚治虫の『火の鳥』である。 前回のコラムで紹介した通りこの『火の鳥』という作品は様々な理由で連載がたびたび中断しては掲載誌を変え、構想も新たに連載を再開するということを幾度となく繰り返した。 『火の鳥』の載った雑誌がその後休
明治末期の北海道を舞台に、一癖も二癖もある登場人物たちが「アイヌの埋蔵金」を巡って繰り広げるサバイバルバトル! 北海道開拓史、アイヌ文化など、北海道の魅力を満載した漫画『ゴールデンカムイ』が朝日新聞社主催の第22回手塚治虫文化賞・マンガ大賞を受賞しました。 綿密な考証と緻密な描写はもちろん、ダイナミックなストーリー、ときに過酷にもなる展開を和ませて余りあるギャグやグルメ描写、まさに「和風闇鍋ウエスタン」のキャッチフレーズの通りのエンターテイメント全部盛りの本作の魅力については、とにかく作品を読むのが一番手っ取り早い! とはいえ、いろいろ知りたいことも……。作者の野田サトルさんに、書面にて質問に答えていただきました。 北海道北広島市出身。2003年に「別冊ヤングマガジン」(講談社)掲載の読み切り「恭子さんの凶という今日」でデビュー。 11~12年にかけて「週刊ヤングジャンプ」(集英社)で『ス
手塚治虫のマンガは“萌えマンガ”の元祖だと言われることがよくある。ジッサイ手塚作品には初期作品のころから、今でいう“萌え〜”的な要素が満載だった。だけど一方で「ソレって後から言われてるだけで手塚自身はそんなこと、当時はまったく意識してなかったんじゃないの?」とも言われる。そりゃそうだ。しかしそんな中で、手塚が意図的に“萌え〜”を狙って描いた異色の作品があったのをご存知だろうか。その作品が登場したのは1980年代初め、時代はラブコメとロリコンマンガが少年雑誌を席巻していたころのことだ。今回は、そんな手塚の幻の(でもないが)“萌え〜”マンガ誕生の時代を振り返ろう! 高橋留美子の『うる星やつら』は、雑誌『週刊少年サンデー』に1978年から87年まで連載。当初は不定期連載だったが、やがてレギュラーになった。81年にはテレビアニメ化され、さらに人気が爆発した。女性作家ながら男性の“萌え”るツボを的確
もともとはハリウッド映画で使われていた言葉です。チャップリンが役者仲間たちと新しい映画会社を起こした時に、スター俳優を企画の中心に据えた映画作りを目指し、そのことを称して「スター・システム」と呼んだのです。それ以来、トップ・スターを中心とした映画製作システムのことをこう呼び習わすようになりました。 さて、手塚マンガにおける「スター・システム」はと言うと、ハリウッド映画の場合とはちょっと違って、マンガの登場人物をさながら映画俳優のように扱う、ということです。つまりひとりの役者がいろいろな役を演じるように、ひとつのキャラクターがいろいろな役に扮してマンガを演じている、ということです。 手塚マンガ以外ではこういう発想で描かれたマンガはありませんでした。ひとつのマンガの主人公が別の作品の中では脇役の、しかも悪役を演じる、なんてことは有り得なかったのです。 ところが手塚マンガはマンガの登場人物を本物
いよいよ8回目となる手塚治虫90周年企画スペシャルインタビュー、今回のゲストは鋭い視点で日常からマンガ・音楽までを斬るブロガーの上田啓太さんです。 後半の今回は、漫画批評や手塚治虫作品についてのお話を伺いました。上田さんがどう手塚治虫を読むか? 気になります。 ◆再々々々々々読! ――上田さんの文章を初めて読んだのは、「マンバ通信」の「マンガ再々々々々々読!」だったのですが、あの連載をすることになったきっかけを教えてください。 上田 連載が始まったのが、マンバ通信の開設と同時なんですよね。その前に自分のブログ「真顔日記」に書いた「スラムダンクの深津をほめるおじさんについて(http://diary.uedakeita.net/entry/2016/07/28/001904)」がネットで話題になって。それを担当の方が見て、「やりませんか?」って依頼をしてくれたみたいです。 「深津をほめるおじ
いよいよ8回目となる手塚治虫90周年企画スペシャルインタビュー、今回のゲストは鋭い視点で日常からマンガ・音楽までを斬るブロガー・ライターの上田啓太さんです。 「マンバ通信」の「マンガ再々々々々々読!」で書かれている漫画についてのエッセイは、いずれも主にネット上で多大な人気を博しています。「ドラゴンボールのヤムチャが、ザコとしての地位を確立できた理由」「わずか13ページの心理劇 さくらももこ『永沢君』」など、タイトルを見ただけでも、いったいどんな記事なのか、気になるのではないでしょうか。 前編の今回は、上田さんの主なお仕事や、バズる文章を生み出す秘密について伺いました。 ◆選んだつもりはないけれど ――上田さんの主な活躍の場はネットメディアでのコラムが中心ですが、『GINZA』などのファッション誌などにも文章をよせていらっしゃいます。ライターになったきっかけは何だったのでしょうか。 上田啓太
年表 作品年表 1946年のデビュー作から1989年の絶筆まで、漫画誌、雑誌などに連載された作品を中心に、手塚治虫の主なマンガ作品を年表にしました。 その雑誌の読者層に合わせて、それぞれの作品の色分けもしています。 ぜひ、広大で、幅広い手塚治虫の作品世界をご覧ください。 これでも、まだまだ全部ではないんですけどね。 1946年~ 1950年代 1960年代 1970年代 1980年代 宝塚の実家(兵庫県 宝塚) 青果店2階の下宿(東京都新宿区 四谷) トキワ荘(東京都豊島区 南長崎) 並木ハウス(東京都豊島区 雑司ヶ谷) 初台の仕事場(東京都渋谷区 初台) 虫プロ漫画部(東京都練馬区 富士見台) 富士見台駅前ビル(東京都練馬区 富士見台) 越後屋ビル(東京都練馬区 富士見台) 高田馬場の仕事場(東京都新宿区 高田馬場) 新座スタジオ(埼玉県 新座市) マアチャンの日記帳 AチャンB子チャン
作品紹介 一人の少年がスキップしながら通りを歩いているうちにどんどんジャンプが大きくなって町を越え、森を飛び越え、海を越えて、どんどん、高く高く、遠くへ遠くへジャンプして行くことになり、ついには戦争中の国へ--。 ひとりの少年のジャンプがそのまま人類の行く末を見直す神のジャンプとなって行くところが面白い作品です。 全編ワンカット、動画枚数4000枚という驚きに世界が目を丸くして数々の賞に輝きました。 クレジット (C)手塚プロダクション 第6回ザグレブ国際アニメーション映画祭に出品/6分20秒/カラー 手塚プロダクション/1984年6月 1984年第6回ザグレブ国際アニメーション映画祭グランプリとユネスコ賞 1985年バリャドリド国際映画祭銀穂賞
主なニュースやイチオシコラムのご紹介などをまとめたメールマガジン「メルマガ虫ん坊」が届きます。 ご入力いただいたメールアドレス宛てに登録用メールをお送りいたします。 メールの中のURLをクリックすれば、登録完了です。
紙の砦 1974年 マンガ「紙の砦」より 【解説】 1974年9月、手塚治虫のマンガ家生活30周年を記念して雑誌『週刊少年キング』に掲載された読み切り作品。太平洋戦争末期、手塚自身をモデルとした主人公・大寒鉄郎が、戦争が日増しに激しくなっていく中、マンガに情熱を燃やし必死に生きていく姿を描いた半自伝的マンガである。戦後30年が過ぎ、手塚は次第に戦争の記憶が風化していくことに危機感を覚えたのか。あるいは節目を迎えて自分自身の半生を振り返る気持ちになったのか、この数年前から手塚は、自分自身の分身を登場させた半自伝的マンガをポツポツと描くようになった。 講談社版手塚治虫漫画全集のあとがきで手塚は「かなりフィクションがはいっています」と断り書きをしているが、ここに描かれた出来事の多くは手塚がエッセイなどにも書いている実体験が元となっている。 (マンガ) 1974年 ブラック・ジャック「とざされた記
かつて、マンガは子どもに悪影響を与えるものとされ、排斥(はいせき)されようとした時代があった。そしてその悪書を生み出す代表として矢面に立たされたのが手塚治虫だった。マンガへの激しい逆風の中で、手塚はいったいどんなマンガの未来を思い描きながら、作品を描き続けていたのだろうか。今回はそんなマンガ批判の時代を振り返ります。 今年3月、マンガの表現の規制をめぐって激しい論争が起こった。 その具体的な内容についてはネットや新聞でお読みいただくとして、この騒動の最中、不謹慎な言い方をすると、ぼくはある「懐かしさ」を感じていた。 というのは、昭和30〜40年代に子ども時代を過ごしたぼくらにとって“マンガは悪書だ!”という批判や、マンガを追放しようとする運動は、もう過去にウンザリするほど経験してきたコトだったからである。 だからぼくにとっては、昨今の大人たちの気持ち悪いほどのマンガ歓迎ムードの方がむしろい
手塚治虫について 手塚治虫は、1928年11月3日、大阪府豊中市に3人兄弟の長男として生まれ、5歳の時に兵庫県川辺郡小浜村(1954年に宝塚市となる)へ引っ越した。その後、上京するまでそのまま宝塚で過ごした。 開放的な家庭に育ち、漫画とアニメーションに親しみ、機智に富んだ想像力豊かな少年であった。 また昆虫をこよなく愛し、ファーブルを思わせる少年でもあった。自身のペンネームに「虫」という字を当てたことでも、その興味の程がわかる。 戦争体験から生命の尊さを深く知り、医学の道を志して後年医学博士になるが結局彼自身が一番望んだ職業を選んだ。 すなわち漫画家、アニメーション作家である。手塚治虫が創作した漫画とアニメーションが、第2次世界大戦後の日本の漫画・アニメ界、また青少年の精神形成の過程で果たした役割は計り知れない。 ...MORE プロフィール 年譜 アルバム 手塚治虫のメッセージ アニメ「
思わずバンザイをし涙をこぼした 1945年8月15日 マンガ「紙の砦」原画より 『手塚治虫講演集』「未来人へのメッセージ」カットより 私は、暗い時代といわれた昭和初期のなかでも、実に恵まれた環境で子ども時代をすごせたと思っています。しかしそれも、青春期には、空襲と窮乏生活によってほとんど失ってしまいました。父は戦争にとられるし、勉強はできず、腹をすかせ、大勢の友人を失いました。空襲に襲われて周囲が火と死体の山となったとき、絶望して、もう世界は終末だと思ったものです。 だから戦争の終わった日、空襲の心配がなくなって、いっせいに町の灯(ひ)がパッとついたとき、私は思わずバンザイをし、涙をこぼしました。これは事実です。心の底からうれしかった。平和の幸福を満喫し、生きていてよかったと思いました。これは、当時の日本人のほとんどの感慨だと思います。 もう二度と、戦争なんか起こすまい、もう二度と、武器な
1937年7月7日に起きた盧溝橋(ろこうきょう)事件(日本軍の演習中に発生した中国国民党軍との衝突事件)を引き金として、45年の太平洋戦争終戦まで8年間に渡って続いた日本と中国の戦争。
手塚治虫生誕90周年企画のひとつとして2018年2月に小学館クリエイティブから発行予定の『カラー完全版 ふしぎな少年』。今回はこの本が企画されて本になるまでの全過程をご紹介! 古い雑誌からページを取り込んで復元する複刻作業とは? 消えた天才子役はどこへ? 幻のシナリオを追って北海道へ飛んだ!? じつはこの本、企画・編集を私・黒沢が担当している。ということで普段はあまり見られない手塚マンガの複刻版制作現場を行程順に編集者本人が大公開いたします!! 手塚治虫の『ふしぎな少年』という作品をご存知だろうか。昭和36年にNHKの同題のテレビドラマと一緒に企画され、手塚マンガの雑誌連載(講談社『少年クラブ』)とテレビドラマの放送が同時に始まるという、メディアミックスの走りのような作品だ。 四次元世界へ落ち込んだことがきっかけで時間を止める能力を持った主人公の少年サブタン。彼はその力を使って、身の周りで
2017年9月6日にリリースされた『初音ミク Sings “手塚治虫と冨田勲の音楽を生演奏で”』は、手塚治虫生誕90周年、冨田勲生誕85周年、さらにボーカロイド「初音ミク」の発売から10周年を迎えることを記念して企画され、発売前から話題となっていた作品です。 「初音ミク」が手塚作品でラップ?! 更に「リボンの騎士」や「どろろのうた」をカバー?! しかも、生演奏でジャズベース! い、いったいどういうことだ……。 居ても立ってもいられなくなった虫ん坊スタッフは、「初音ミク」の開発者、佐々木渉さんを直撃! いままでにない時空を超えたコラボに迫ります! 初音ミク 開発プロデューサー/音声チーム・マネージャー 1979年、北海道・札幌生まれ。2005年にクリプトン・フューチャー・メディア株式会社に入社し、2007年に歌声合成ソフトウエア「VOCALOID2 初音ミク」の企画・開発を手掛ける。その他「
昭和29年、トキワ荘を出た手塚治虫先生が次に移り住んだのが、豊島区雑司が谷の鬼子母神堂(きしぼじんどう)にほど近いアパート・並木ハウスだった。今回は、当時のままの建物で今もアパートとして使われているここを、元講談社『少女クラブ』編集者だった丸山昭(まるやまあきら)さんに案内していただきます。また実はこの町には、手塚先生だけでなく鉄腕アトムも住んでいた!? それはいったいどういうことなのかっ! さっそく行ってみよう!! 今回の散歩の出発点は池袋駅である。池袋駅はJR(山手線、埼京線、湘南新宿ライン)を中心に、西武池袋線、東武東上線、東京メトロ(丸ノ内線、有楽町線、副都心線)が乗り入れていて、一日の乗降客数はおよそ270万人。新宿駅に次ぐ全国第2位の巨大ターミナル駅だ。 また80〜90年代以前の映画青年にとっては、池袋は映画の街という印象が強いのではないだろうか。それは単に映画館の数が多かった
手塚治虫そっくりの絵柄で『ブラック・ジャック』のパロディ漫画を描きSNSを中心に話題となり、手塚プロダクション公認の“パロディ漫画家”として活動するつのがい氏。 1月26日、自身のパロディ漫画をまとめた書籍「#こんなブラック・ジャックはイヤだ」が発売されるということで、今回の虫ん坊につのがい氏が登場!! “つのがいさん”って一体何者? と疑問に思っていたみなさん、今初めてこの名前を目にしたそこのアナタに向けて、インタビューを通してご紹介したいと思います。 インタビューの舞台は、手塚治虫が愛した浅草の喫茶店、アンヂェラス。先生がいつも頼んでいたというチョコケーキをいただきながら、お話を伺います。
2011年に劇場版のアニメーション映画として、初めて映画化された『ブッダ』。その続編『BUDDHA2 手塚治虫のブッダ —終わりなき旅—』が満を持して2014年2月8日、劇場公開予定です! 今月より、虫ん坊では映画『BUDDHA2』を大プッシュ! 11月号では東映アニメーションで『BUDDHA2』のプロデューサーを務める、ギャルマト ボグダンさんにインタビュー、見どころや意気込みを伺いました。 来月以降も、映画『BUDDHA2』情報を随時ご紹介していきますので、お楽しみに! 関連情報: 来年2月公開予定の「ブッダ2」カンヌ映画祭用に作られた特別映像を公式サイトで公開 映画「BUDDHA2」のボイスキャストが決定! 映画「BUDDHA2」 ボイスキャスト追加情報!笑い飯 哲夫 声優初挑戦! ——前作『手塚治虫のブッダ 赤い砂漠よ! 美しく』の続編として作られる今回の『BUDDHA2』なのです
3月7日、表参道Antenna<>WIRED CAFEにて、ユニコ生誕40周年記念トークイベント、「傷つき愛する『ユニコ』のはなし〜ユニコってだれ?本当の優しさってなに?」が開催されました。 ユニコのイベントは、なんと40年の歴史の中で初めての試み! 雨宮まみさん、少年アヤさんをゲストに迎え、トミヤマユキコさんが司会のもと、たっぷりユニコトークを繰り広げていただきました。 かわいいだけではない!?ユニコの魅力を独自の切り口で読み解いてゆくようすをお届けします。 登壇者プロフィール(右より) ★少年アヤさん 作家・エッセイスト。1989年生まれ。 自らの性自認や、それにまつわる葛藤を書いた「尼のような子」(祥伝社)「少年アヤちゃん焦心日記」(河出書房新社)、春には平凡社より新刊を上梓予定。 新潮社yomyomにて小説「あれの・花園」連載中。 ★雨宮まみさん ライター。女性性とうまく向き合えな
宝塚に伝単が降る 1945年8月 マンガ「やまなし」原画より 宝塚の近辺はすでに爆撃の洗礼をうけ、尼崎(あまがさき)、伊丹(いたみ)、仁川(にがわ)あたりは軒なみに焼け野原となった。夜になると焼夷弾の雨が、まるでクス玉から出る紙吹雪か、銀紙のテープのように、はるかかなたに降っているのが見えた。そのうちに宝塚にもB29が飛んできて、ビラを撒(ま)いていった。町会は、驚いて、ビラを拾った者は絶対に読まずに提出すべしと言ってきたが、絶対に読まずにというのは無理だ。そこには、「八月十五日に、歌劇の町に、花を咲かせます」と警告してあったそうだ。「歌劇の町に花を咲かせる」とはしゃれた文句である。ぼくはもうこれでダメだと思った。 ぼくは、自分の部屋にうずたかく積まれた原稿の山を見た。三千枚近くもある。色が変わって黄色くなったものや、埃(ほこり)をかぶったもの……。——よくもこれだけ、頼まれもしないで描い
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