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今年の「#文学」
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アメリカの経済支配者たち (集英社新書) 作者: 広瀬隆出版社/メーカー: 集英社発売日: 1999/12/01メディア: 新書購入: 3人 クリック: 20回この商品を含むブログ (12件) を見る 新聞に書いてあるような「客観的」な事実と、確たる証拠がないような「妄想」に依拠した「理論」には、どちらにより価値があるだろうか?昔なら、もちろん前者だと言ったかもしれないが、今では......というのは、ほんのわずかの間だがプロの研究者をやってきて感じるのは、新聞に書けるような「事実」なんてのは、現実のほんの一部の一部に過ぎないという感触があるからだ。海面上に見える氷山の一部がほんとうにほんの一部であるように、現実のほとんどの部分は目に見えてこない。 そこで、どのような現象でもその全体像を捕らえるには、その目に見えない大部分を想像力で補わなくてはいけない。そこでは、ニュースに出てこない部分で
ついにきましたね。予想してから7年か。その間にデヴィッド・ゲールは亡くなってしまいましたが。 受賞理由はマーケットデザインの理論。ゲール&シャプレーが60年代に打ち立てた理論をロスが発展させていろいろと応用したというところですね。最近では臓器移植や学校選択制などへの応用が有名です。ニューヨークやボストンの学区では実際にゲール・シャプレーアルゴリズムが使われています。あと昔から有名なのは研修医と病院のマッチング。日本でもゲール・シャプレーアルゴリズムが使われています。 臓器移植のはなしは前に書きました。 臓器移植の経済学 その1 臓器移植の経済学 その2 臓器移植の経済学 その3 シャプレーはこれ以外にもいろいろなことをやりました。シャプレー値だとか確率ゲームの理論とか。本当にもらうべき人がもらったという感じでよかったな。
経済学でよく使われる「善意」には二種類ある。ひとつは他人の幸せ自体をうれしいと感じる真の「善意」、もうひとつは善行をしている俺/私って素敵と感じることから効用を得るような自己中な「偽善」である。*1後者の善意はしばしば「不純な利他主義」と呼ばれるが、それは後者では自分が「善い」ことをすることが重要であって、他人が幸せになっているかどうかは二の次だからである。 この2つの善意の区別自体には何も非凡なものはない。こんなことは心理学者や哲学者でなくても誰でも一度は考えてみたことがあるはずだ。しかしアンドレオー二*2 *3が天才的だったのは、この二つの善意を区別したことではなく、それらを数量化してそこに限界分析を持ち込んだところにある。コロンブスの卵のようなもので、一度この発想の転換をしてしまえば、恐ろしいほどシンプルな論理だけでいろいろと意外な結論を導きだすことができるのだ。 そしてその中の一つ
東大蹴ってYaleに行くのはぜんぜんありでしょう。ある程度能力があれば、これはそれほどリスキーな選択ですらないはずです。昔は海外で勉強するのは日本で就職するのにマイナスだったのですが、最近はアメリカで大学を卒業した日本人の学生の就職状況が格段によくなっているのをひしひしと実感しています。こういう人がどんどん出てきて「高学歴」にもいろいろバラエティーがある世界になるのは、なかなか刺激的でよいことだと思います。 ただ、「東大ブランドは世界に通用しない」かどうかというと、それは(違う意味で)YesでもありNoでもあるかと。 もちろん東大よりYaleの学歴のほうが日本の外ではへーって感じになるのですが、でももしもアメリカの大学や大学院に行こうとすると、そのときに一番重要なのは結局(英語と)学歴なんですよ。そういう意味では学歴=ブランドはより大事ともいえるわけです。ちょっと考えれば想像がつくと思いま
「昔々、人々は地球は平らだと考えていた。もちろん彼らは間違っていた。そしてその後人々は地球は球体であると考えるようになったが、その人々もまた間違っていた。しかし、もしあなたが地球が球体であるという考えが地球が平らであると考えと同じように間違っていると考えるなら、あなたの考え方はその二つの考えよりもはるかに間違っているのだ。」 原文: "...when people thought the earth was flat, they were wrong. When people thought the earth was spherical, they were wrong. But if you think that thinking the earth is spherical is just as wrong as thinking the earth is flat, then yo
一部の計算機科学者に言わせると経済学の市場の理論は使えないということらしい。なぜかというと、そもそも消費者の効用最大化問題さえNP困難ということ。コンピュータにも大変な計算が何で人間に出来るだろうかというわけだ。 しかし経済学者からすると、そのような見方はモデルを文字通りに解釈しすぎているように感じる。計算機科学者がNP困難というとき、それはもちろん最悪のケース*1を考えているわけだが、実際に消費者が解いている問題は結構簡単な問題かもしれないではないか。 もっと経済学っぽく計算複雑性にアプローチすることはできないだろうか?一つのやり方はいわゆる顕示選好理論と計算の複雑性を組みあわせることだ。 経済学者はしばしば次のような問いの立てかたをする。 さまざまな価格が与えられたときにある消費者がどのように消費するかという有限のデータが与えられたとしよう。このデータが消費者の効用最大化問題の結果にな
統計学とは何か ―偶然を生かす (ちくま学芸文庫) 作者: C.R.ラオ,柳井晴夫,田栗正章,藤越康祝出版社/メーカー: 筑摩書房発売日: 2010/02/09メディア: 文庫購入: 10人 クリック: 174回この商品を含むブログ (25件) を見る こことかここによると、独身の人は10年早く死ぬという話らしい。大統領になると5年早く死ぬということなので、独身は大統領になることよりリスキーなわけだ。統計学者ラオの「統計学とは何か」に出てくるこの話はよく聞く話なのでそれほど驚くこともないのだが、驚いたのは独身の次に寿命を縮める要因だ。ラオの同じ表によると、左利きの人は平均して9年(3250日)も早く死ぬということらしい。だから、左利きであることは大統領になることよりもリスキーということになる。 この表を見たときの第一印象は「これは統計の解釈以前の間違いに違いない」だった。最初に疑ったのは翻
"...a good model in game theory has to be realistic in the sense that it provivdes a perception of real life social phenomena...These (relevant factors) need not necessarily represent the physical rule of the world." A. Rubinstein 1991 最近目にした論文にだいたいこんな感じのことが書いてあった:経済学者はしばしば数学的に便利だから無限の数の消費者の存在するモデルを考えるが、より現実的なモデルは有限の数の消費者が存在するモデルである。前者のようなモデルは、消費者の人数が十分大きいときに後者のモデルの近似として考えられる限りにおいて有用である、と。 世界には有限の
以下はあのAngrist and PischkeのJEP論文の超おおざっぱなまとめ。読みやすさを重視するため本文に足したり引いたりしているところが多々あるとお断りしておきます。 (追記:Regression discontinuity designの例を足しておきます。) リーマー批判 80年代にAERに掲載されたエド・リーマーによる有名な実証経済学批判がある。彼の批判は、多くの実証的な結論がちょっと仮定を変えるだけでひっくり返ることに向けられていた。*1もっと下世話な言いかたをすれば、実証する学者が自分のほしい結論が出るまで仮定やモデルをいじくり続けるので得られた結果は当然不安定になるということだろう。 この問題は、経済学における実証が純粋な実験によるものではないということに端を発している。たとえば、最低賃金を上げたときの雇用への効果を測定したいとしてみよう。通常の科学的手続きからすれば
そのクジラの声が、アメリカ海軍の水中聴音機にはじめて捉えられたのは、もう12年も前のことだ。それらの水中聴音機は、潜水艦を探知するために設置してあったのだが、海洋生物学者Mary Ann Daherがそこから聞き取ったものは、さみしいクジラの歌声だった。 クジラは深い海の中で、とても遠くまで届く声で自由に交信することができる。その声はそれぞれのクジラによって微妙に違う。だから、クジラは会話を通して誰がどこにいるかを知り、必要ならばデートの相手も探すことができる。彼らは、普段は独りでいても、決して孤独じゃない。 ところが、このクジラの声は独特すぎて、他のクジラには聞き取ることができない。周波数が高すぎるからだ。仲間のクジラは15−Hzから20−Hzの間の周波数を使うのだが、このクジラはいつも52−Hzで歌っている。恐らく体の構造が違うのだろう。異種のクジラの間に生まれたのだろうか?それとも突
この前話したオークションのルールを次のように変えてみよう:(1)負けた場合は何も払わない、(2)買った場合は相手の入札額を支払う。このルールと元のルールを比べると、元のルールに比べて支払う金額が勝ち負けに関わらずbだけ下がっていることになる。するとインセンティブは全く同じなので、新しいルールの元でもやっぱり自分の評価額を入札額にするのが最適になっていることが分かる。 このオークションは、専門用語でセカンドプライスオークションと呼ばれる。勝者が二番目に高い入札額を支払うからだ。*1前のルールは胴元がうはうはの変なルールだったが、このルールは、少なくともそれよりはまともだ。少なくとも、参加を強制する必要はない。ただ、支払額が自分の入札額じゃないというとこは、ちょっと変なルールに見えるかもしれない。 しかし、このタイプのオークションは、実は一般的に行われているのだ。そのようには見えないかもしれな
アメリカで当事者になっている人には何も新しい情報はないかもとは思いつつ、選ぶ側選ばれる側両方の立場を経験したものとして、アメリカの大学でのテニュア(終身在職権)審査について少し書いておこうと思う。理由は二つ。一つは、日本にもテニュア制度のようなものが最近導入されているので、それとの比較対照としての価値はあるかもということ。もう一つは、大学によっては助教授がシニアレベルの引き抜きの意思決定にほとんど関わらないので、実際のテニュアケースから直接学ぶ機会がほとんどないらしいこと。*1 一つ最初に断っておくが、以下の話は経済学の中の話なので*2、他の学部には当てはまらないことが多々ある。例えば人文科学一般では本(単著)を出版することが重要だし、ハードサイエンス一般ではどれだけ外部からファンドをとってこれるかが決定的に重要だが、これらの要因のウェイトは経済学では比較的小さい。 さて、まずはプロセスが
授業でこの前「ボランティアのジレンマ」という実験をやってみた。例えば次のような状況を考えてみる。 夜中に誰かの「助けて」という叫び声で目が覚めた。あなたには二つの選択肢がある:(1)警察に電話をかける、(2)ベッドから出るのが面倒なのでまた寝る。さて、近所の誰か1人でも警察に電話をすれば、この助けを求めている人は無事に保護されることになる。しかし、誰も警察に電話をしなければこの人は殺され、あなたは次の日の新聞を見て後悔することになる。 あるいは、こんな状況。 道端に誰か初老の男性が倒れている。あなたは(1)彼に声をかけて必要なら救急車を呼ぶことができるし、あるいは(2)無視して通り過ぎることもできる。あなたに限らず誰か1人でも(1)を選べばこの男性は助かるが、だれもそうしなかった場合は、あなたはやはり次の日の新聞を見て後悔することになる。 最初の例を使って考えてみよう。じつはこの「ゲーム」
AEAの新しいジャーナルがぼこぼこ届きだしたんだけど、マクロのをのぞいてみると、上のようなお題についてのウッドフォードの短い論文が載っていた。門外漢にはちょうどいいまとめになるかもしれないので、ものすごく大雑把だけど、簡単にまとめてみる。 1: 60年代から70年代 ネオケインジアン vs. マネタリスト ネオケインジアン − IS-LM, 構造方程式推定で短期予想、データへのフィット重視、ミクロ基礎無し。 マネタリスト − 構造方程式推定で短期予想は無理、長期で成立するロバストな性質を強調、経済的直観とデータのラフな解釈、ミクロ基礎無し。 2: 70年代から80年代 現代マクロ経済学の方法論の確立 新古典派&リアルビジネスサイクル: 構造モデル。動学的一般均衡。昔の対立は同じモデルの使い方の差として消化されることで発展的に解消。 . 3: 現時点での共通了解事項 (1) 動学一般均衡モ
http://d.hatena.ne.jp/tazuma/20081219 1.人間が合理的に行動しないのはその通り。では、どのタイプの非合理性が行動を規定すると考えればいいのか?ある特定の場合にはデータからおおよその傾向は分かるだろう(401(k)はいい例)。ではそうでない場合は? 2.現実の市場では、競争の激しさに応じて行動バイアスはある程度矯正されることが考えられる。すると市場か(彼らの意味の)介入かの選択を考える場合、市場での行動バイアスを過大評価、あるいはパターナリズムでのもとでの行動バイアスを過小評価する可能性がある。 3.私的部門での「パターナリズム」が何を意味するのかよく分かりにくい。例えばカフェテリアのデザインを担当しているものは、別に使用者の厚生を最大化しようと思っているのではなくて、企業の利益の最大化に貢献しているだけとも考えられる。より使いやすく快適なデザインのカフ
Nudge: Improving Decisions About Health, Wealth, and Happiness 作者: Richard H. Thaler,Cass R. Sunstein出版社/メーカー: Yale University Press発売日: 2008/04/08メディア: ハードカバー購入: 3人 クリック: 35回この商品を含むブログ (19件) を見る 「Nudge」を注文したのだが、本が届くまで著者達(セイラー&サンスタイン)のAER論文「リバタリアン・パターナリズム」でも読んでおくことにする。 以下は彼らの議論のラフな要約。 経済学者の発想はリバタリアンの発想と親和性が高く、「パターナリズム」という言葉は通常ネガティブな意味で使われることが多い。しかし、これは一つの間違った仮定と、二つの間違った認識に基づいている。 まず間違った仮定とは、人々は合理的
ヘックマンの一般向けの講演にいく。こんな話をしていた。 1.収入や最終学歴とIQ(認知的能力)には正の相関がある。 2.しかし「非認知的能力」(動機付け、パーソナリティ、モラル意識、忍耐力、計画性などなど)とも正の相関がある。解釈としては、「やれば出来る」の部分が結構あるということ。 3. 能力の差は早いうち(幼稚園に入る前)に開く。 4. 教育投資は早いほうがより効果的。幼児を対象とした政府のプログラムがIQに余り影響を与えなかった(一時的に上昇するが後で効果が消えた)ので失敗とみなされたことがあったが、そのようなプログラムは実は「非認知的能力」を上昇させる効果がある。 5.「非認知的能力」は、家族構成と密接な関係がある。例えばシングルマザーの子供の「非認知的能力」は、両親のいる家庭の子供の能力より統計的に低い。(とすると例えば、幼い子供がいるシングルマザーの家庭を重点的に補助すべきとい
ミネアポリス美術館(Minneapolis Institute of Arts)はダウンタウンの南にあるこじんまりとした美術館。 ここは入館料が無料。週末はそれに加えて、なんとオーディオガイドも無料(日本語ガイドがあったかは覚えてない)。無料だけあって、質はそれほどよくないけれどね。 ここで一番面白かったのは、四川で見つかった後漢(東漢)時代の青銅製「金のなる木」(Money Tree)。とても精巧な装飾がなされている。木の枝には様々な動物とともにたくさんの貨幣がぶら下がっていて、枝の上には西母王の姿があり、そして木の頂上には不死鳥が鎮座している。 何かと東アジア系(特に中国)の展示が充実してるようだが、次の写真はチベットの砂曼荼羅。作ったすぐ後に樹脂を吹き付けて定着させたらしいのだけど、これって出来た後は崩して川に流さなきゃいけないんじゃなかったっけ? とても綺麗に見えるが、拡大してみる
をid:svnseeds氏のリンクから読む。ざっと最初の方の記事だけ目を通したけど、これは結構シンプルな話なんじゃないかな。 つまり、 1.GDPは分配の問題を捨象している。だから、GDPのみを見ることは特定の価値観(社会厚生関数)を前提していることに限りなく近い。*1要するに元記事はGDPを強調しすぎることへの、イデオロギー批判。 これでまとめとしては大体終わってると思うけど、続けてコメントすると 2.だから社会の厚生を量る仕方には複数ある。例えば大雑把な話だが、一方には全員の富を足してそれを見てればいいという立場があって、一方には最貧の個人の富の絶対的水準のみを見るべきだとする立場があると考えることが出来る。もちろん現実には、それぞれの個人の価値観は、その極端な立場のグラデーションのどこかに位置する。*2 3.もしもすでに経済がフロンティアの上にあって、成長と平等がトレードオフの関係に
“It is possible to consider the handicap as a kind of test imposed on the individual. An individual with a well developed sexually selected character, is an individual which has survived a test. A female… can discriminate between a male which has passed a test and one which has not been tested.” - Zahavi “It is not difficult to see that a signal will not distinguish one applicant from another, unl
つい先日、よく名前の知られている某殺人犯の死刑が執行された。それに最近死刑が頻繁に行われることもあって、死刑に関する話題がよくメディアに取り上げられている。来年から裁判員制度が導入されることもあり、一人一人が死刑制度について考える機会が多くなってきたのかもしれない。どう考えればいいか途方にくれる人もいるだろう。いろいろと話すべきことはあるが、ここでは死刑の抑止力とそれをめぐるある論争についてちょっとメモしておこうと思う。 応報論者ならば死刑に賛成するのは自然だろうが、僕は応報論者ではない。しかしもしも死刑が十分に殺人を抑止する力があるならば、僕は死刑を肯定するかもしれない。1人の殺人犯が殺されることで10人の殺人犯でない人間の命が確実に救われるとすれば、これは死刑を支持するかなり強力な議論になるだろう。逆に死刑に殺人の抑止力が認められない場合は、死刑制度の様々な問題点を考えれば、死刑を肯定
オバマついでに、経済学における差別の取り扱いについて一言触れておこう。経済学の中では、次のような2種類の差別を考える。 (1)選好による差別(taste-based discrimination) (2)統計的差別(statistical discrimination) (1)はベッカー(1971)に始まる、嗜好による差別に関する理論。白人と黒人は一緒に働くのを嫌がるとか、受付のサービスは同じ人種の方がおちつくとか、そういう話。もちろんこれは人種だけの問題だけではなくて、年齢やジェンダーに関する差別にも当てはまる。自分と違うタイプでそりが合わないだとかね。*1 この手の議論でよく言われるのは、差別的嗜好のある経営者は企業の利潤を最大化しないから、差別的嗜好のない経営者に負けて、市場から淘汰されていくというもの。この議論が現実的にどれだけ説明力があるのかは、実証的にまだけりのついていない問題
つらつらとはてなを徘徊し、ブックマークの集まっているところをみると、よく活発な議論が興っていることがあるが、そういう議論はわけが分からないことが多い。例えばこういう記事を見たわけだが、書かれていることは別に「あたりまえ」のことなのに、(ポジティブネガティブ含め)コメントとブックマークの嵐に襲われている。 ある議論に異議申し立てをする理由には、3つある。 (1)議論の進め方、あるいは議論の前提が間違っている。 (2)価値観が異なる。 (3)話し方が気に入らない。 今回はほとんど(3)だろう。で、(3)関連の議論から何かを得ることはほとんどないのに、なぜわざわざコメントして盛り上がるのかな、と思うのだ。効率的に議論するには、(3)の問題は出来るだけスルーしておいて、(1)と(2)に集中したほうが良い。そもそも内容と表現の問題は分けるべき、と言って終わりにしてもいいとは思うのだが、しかし不思議な
ゆとり教育の結果、学生の基礎学力が落ちているといわれるけど、なんでそのような議論の枠組みで話が進むのか不思議でしょうがない。 まず第一に、ゆとり教育のもとでテストの点が下がるのは別に不思議でもなんでもない。それが問題なら、ゆとり教育など最初からやるべきではなかったし、そもそも可能であったはずもない。戦争を始めておいて人が死んでいることに驚いている感じで、はなはだ不可解だ。もちろんもともとそれが理由で反対していたのなら、それは一貫した立場だが、賛成しておいて点数が下がったから文句を言い出すというのは考えにくい。 とすると、ゆとり教育の目的とは他にあると考えるほうが自然だろう。賛成している人たちは、テストの点が下がるというコストをかけても成し遂げたい何かがあるわけだ(と考えないと理解できない。)すると「テストの点が下がっている」というのはその人たちへの批判にならないのでますますわけが分からなく
Perfumeは僕らのあたりの世代にもかなり(熱狂的に?)支持されているようだけど、これはアイドルとしては珍しいことで、いったい何故なんだろうかと考えてしまう。一つにはPerfumeの楽曲にいろいろと懐かしい要素が入っているということが確かにあって、だから巷ではYMOとかテクノとかの言葉があふれているけど、そしてそれは必ずしも間違ってはいないけど、実際の流れはもっと大きい。 僕らの世代(20代後半から40代前半ぐらいかな)にとってPerfume現象が持つ意味を一言でまとめるとすると、これは「サブカル」の逆襲であり、そしてそれがついに「表」の日本の音楽業界を初めて制覇しつつある、ということになると思う。 ここでの(懐かしい)キーワードは、洋楽、渋谷系、クラブミュージック、ワールド・ミュージックetc. 僕らの世代でPerfumeを支持しているのは、こういうのが好き(だった)で、現状のJ-Po
またゴキブリみたいな話だけど、今度は人間。だいぶ前の伝聞(ただし本人からの)なので詳細は保障できない。 それが起こったのは、彼が株式市場を模した実験をしたときのことだ。彼は、某有名工科大学の学部生を相手に、翌日行われる市場模擬実験の説明をしていた。少数精鋭で有名で、日本の某T大の学生も霞んでしまうような学生が集まっている大学だ。説明の途中で、彼はランダムに生成したある株式のリターン(配当)の変動を、参考として学生に見せた。「アセットの各期ごとのリターンは、このような感じに時間を追って変化していきます....」 ここで、一日間を置いたのが悲劇(?)の始まりだった。結果的には、この実験は大失敗に終わることになる。彼のミスは、次の日乱数を発生させるときに同じシードを使ったことだ。この一日の間に、ある学生が、例として生成されたリターンから元のシードを割り出していたのである。 次の日、この学生は将来
と、ちょっと考えてみた。 まず、当たり前だが、基本スペックとしての (1)地頭のよさ は大事。CPUは高速の方がいいし、メモリーの容量も多いほうがいい。しかし、こればっかりは努力してもなかなか変わるもんでもないし、年をとるにつれて性能は落ちていく。だから、生産的な仕事を「やり続ける」ためには、ほかにもいろんなものが必要だ。 そこで、落ちていく(1)の能力を補うために、 (2)物事の本質をおさえる能力 が、大事になってくる。研究を続けていると膨大な情報がインプットとして入ってくるが、本質をつかんで理解しておけば、メモリーの浪費も少なくてすむし、バラバラの知識を有機的に結合させることも簡単になる。だから時には、一部の細かいディテールをあえて忘れていたほうが結果的に良かったりすることもある。 さて、いくらスペックが良くても、リサーチは簡単じゃないから、どこかでスタックしてしまうことがある。そこで
Grizzly Man [DVD] [Import] 出版社/メーカー: Lions Gate発売日: 2006メディア: DVD購入: 2人 クリック: 126回この商品を含むブログ (3件) を見る, The Grizzly Maze: Timothy Treadwell's Fatal Obsession with Alaskan Bears 作者: Nick Jans出版社/メーカー: Plume発売日: 2006/02/16メディア: ペーパーバック クリック: 66回この商品を含むブログ (1件) を見る "I will die for these animals, I will die for these animals, I will die for these animals" 2005年に話題を呼んだ、ティモシー・トレッドウェル(Timothy Treadwell)の悲
エミリー・オスターのことはもう記事にしたけど、残りの12人を下のリストにそって順に一般向きの記事にしていったら、結構読んでくれる人がいるんじゃないか?、ということを思いついた。ただ一人でやるのはめんどくさいので、バトンみたいにして誰か一人づつやってくれたらいいな〜と思ったんだけど、やってくれそうな経済学のブログはそんなにないか...... まあ、とにかくまずはロラン・フライヤー(とレーヴィットの共著)の「Understanding the Black-White Test Score Gap .......」から。後は暇になったら考えよう。 で、まず前提としては、黒人の生徒は白人の生徒より圧倒的にテストの点数が低いっていうのがあったわけだ。もちろん、黒人がより恵まれてない環境にいるからそうなっているということもある。ただ不思議なのは、そのような変数をできるだけ含めた後でも、テストの差を説明
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