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今年の「#文学」
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金曜日は会社帰りに、居酒屋でひとり飲んだ。 1軒目は馴染みの店で、新年の挨拶を兼ねて1時間半。2軒目は馴染みではない店で1時間半。 どちらも1時間ぐらいかと思ったら、家に着いたら22時半を過ぎていた。 「1人飲み、1時間で、お会計」という目標は達成できず、どちらも30分くらいはオーバーしたようだ。 この日も食べたいものを独り占めでつまんだ。 1軒目では、マグロの中トロ、そして車海老のフライ。酒はビールと日本酒。 2軒目ではタラ豆腐。酒は酎ハイと日本酒。 いつも注文するメニューだけど飽きる事がない。 ずっと中トロだし、海老フライがあれば注文し、タラ豆腐があれば注文する。 変化を求めず、ずっと変わらないものを求める。同じ店で同じ料理を頂く。 週末金曜日の一人飲みは、1週間の仕事に対する自分自身へのねぎらいと、土曜・日曜への入り口として、まさに至福の時。 とは言っても、一人飲みは孤独である。知り
毎日晩酌している。 酒を飲まない日はなく、缶ビール350mlと焼酎かウィスキーのハードリカーを炭酸割で2~3杯飲んでいる。 多いと言えば多いかもしれないし、適量と言えば適量かもしれない。 普通に眠れて、普通に朝起きることができて、毎日はかる血圧や体重にもあまり異常値は感じられない。 コロナ禍で酒の量が減ったとか、酒自体飲まなくなったという声をよく聞くのは、あくまでも外で飲むことが無くなり、家でも飲まない人が多いのかもしれない。 確かにあの「飲み会」というものが無くなったのは酒飲みからしてもとても嬉しく思っている。特によくわからない謎の飲み屋で開かれる2時間飲み放題、1時間半でラストオーダーの飲み会が無いのであればホッとする。 酒飲みが飲み会好きかというとそうではないと思う。飲み会が苦手な酒飲みもいるのだ。 だから一人飲みが気楽でよかった。馴染みの店の暖簾をくぐって、一人カウンターに座って、
何年にも渡って間違って認識していた、ということがある。 最近では、柚月裕子(ゆづき ゆうこ)さんと柚木麻子(ゆずき あさこ)さんをたいへん失礼ながらも同じ作家さんだと思っていた。 それもつい最近までずっとである。お二人の著作をそれぞれ読んでいるのにである。 いま第161回直木賞候補作である「マジカルグランマ」を読み進めている。これがとにかく面白い。これがあの「佐方貞人シリーズ」や「孤狼の血シリーズ」も書いている作家さんだと思いこんでいて、どれほど様々なジャンルで書かれているのかと思っていた。 また「盤上の向日葵」を読んだ時も、「ナイルパーチの女子会」や「BUTTER」と同じ作家さんだと疑いもせず、ただただ面白く読ませていただいた。 いや「マジカルグランマ」「ナイルパーチの女子会」は柚木麻子さんであり、「盤上の向日葵」「検事の本懐」「孤狼の血」が柚月裕子さんである。 柚月さんは「ゆづき」であ
「いい文章を読んでいい音楽を聴く」 この村上春樹の言葉がとても印象的だった。 ユニクロの無料マガジンの中で村上春樹が26の質問に答えている。その中のひとつに いい文章を読んでいい音楽を聴くってことは、人生にとってものすごく大事なことなんです。 ユニクロ | LifeWear magazine | 村上春樹に26の質問 という回答がある。 おそらく今までの経験からそう感じているのだろう。その想いがダイレクトに伝わってくる。 70歳を過ぎた村上春樹だからこそ言えることかもしれない。そして70歳を超えた今だから断言できることなのだろう。 30代や40代だとまだまだ先の人生は長いと感じる。実際そう感じてきた。だからさまざまな文章を読み、いろいろな音楽を聴いてきた。 でも歳を重ねた今、重ねてしまった今、いい文章を読んでいい音楽を聴き続けていきたい。そう思う。 いい文章とはなんだろうか。そしていい音楽
先月読了した小説は3冊。 少ないなと思う。でも小説を速く読むことが、いつの間にかできなくなった。 平野啓一郎「本の読み方 スロー・リーディングの実践」を読んでからは、もうスローリーディングが当たり前になってしまった感じがする。 読書を楽しむ秘訣は、何よりも、「速読コンプレックス」から解放されることである! 本を速く読まなければならない理由は何もない。 平野啓一郎「本の読み方 スロー・リーディングの実践」より でも本に関しては、月に何冊読んだ、年間何百冊読んだという物差しで語られることが多い。読書の質ではなく量。読んだ冊数が読書における成果の指標となっている。 但し今は小説をじっくりと読む事が心地よい。歳をとった今、速読とは真逆の遅読、スローリーディングによって読書が面白くなった。 「スロー・リーディング」とは、差がつく読書術だ。その「差」とは、速さや量ではなく、質である。 平野啓一郎「本の
メイヴィルの「白鯨」を読み始める。 もちろん読み終えてはいない。読み始めて悶絶しているだけである。 白鯨(モウビー・ディック)という小説 「白鯨」とはアメリカの小説家、ハーマン・メルヴィルの長編小説である。初出は1851年、つまり170年前の小説である。 森鴎外の「舞姫」は1890年、島崎藤村「破戒」は1906年、夏目漱石の「吾輩は猫である」は1905年、つまり「白鯨」とは、とてつもなく昔の小説なのだ。1851年の日本は江戸時代。つまり嘉永年間の小説である。 「白鯨」は世界の十大小説に入ると言われている。サマセット・モームが10の古典小説を選び、言いたい放題・好き勝手まくしたてるというハードコアなエッセイがあり、「白鯨」は7番目に紹介されている。モームが選んでいるならまぁ間違いないだろうという、気持ちになるから不思議である。 十篇の小説とその著者たち ただこの「世界の十大小説」というエッセ
すべての原因は自分にある。 今回ある仕事がとても厳しく困難な状況に陥った。ここまで難しくしてしまった原因は誰のせいなのか。担当者、そしてPMだった部下のせいなのか。ただやはり上司である自分の責任である。原因は自分にある。 もっと早い段階で進捗遅れや課題に気づくことで早期のリカバリーを図れたはずである。その判断が遅れ、有効な対策を実行することが後手に回った。 これはプライベートにおいても同じである。 妻とけんかをして、どう考えても妻の行動や考え方のほうが間違っていると思う時がある。でもそこに至るまでの間、自分になにか出来ることはなかったのか、前もって解決する手段はなかったのか。 結局人のせいにしても何も解決しない。環境変化のせいにしても何も解決しない。仕事であってもプライベートであっても、まずは自分の非力さを認め、反省し、次に活かしていくしかない。 たとえば部下に、たとえば妻に、たとえば親に
紙の本はどこかで処分しなければならない。 本を処分する時 買った本をずっと手元においておける家があればいいのだけど、本棚という物理的なスペースに収納するとなると、どうしても限界がある。よって最終的に紙の本は売ることになってしまう。 特に小説を手放す時はいろいろな思いが交錯する。新刊を買って読むことが多いので、まず買ったら積読はせずに早めに読み始める。読み終わったら、本棚やリビングに置いておく。そうすると読了本がどんどんたまっていく。そして時間の経過とともに本の市場価格も徐々に下がっていく。 どこかのタイミングで本を売るか、誰かにあげるか、処分するかしない。そうしないと家の本棚、家のスペースが崩壊していく。本で家が埋め尽くされる事態となる。危険である。家に置いておく本は最小限でいいのだと自分に言い聞かせるが、油断するとたまっていく。 ブックオフで本を売る よって意を決してブックオフに行く。売
Taylor Swift / folklore 4連休はテイラー・スウィフトの folklore を聴きながら過ごしていた。本当にずっと聴いていた。そして今でも聴き続けている。 日本時間7月24日(金)13時から配信が開始された。特に予告もなく突然のサプライズリリースだった。 Surprise 🤗 Tonight at midnight I’ll be releasing my 8th studio album, folklore; an entire brand new album of songs I’ve poured all of my whims, dreams, fears, and musings into. Pre-order at https://t.co/zSHpnhUlLb pic.twitter.com/4ZVGy4l23b— Taylor Swift (@tay
休みの日は朝起きたらスーパーに行く。 朝のうちにApple WatchのアクティビティAPPの、ムーブとエクササイズのリングをある程度進めておきたい。よって朝、すなわち涼しいときにウォーキングをスタートして、その途中でスーパーに寄る。 週末であれば、SpotifyでNew Music Fridayというプレイリストを聴く。様々な国ごとのNew Music Fridayがあるので、US、UK、Japan、AU&NZあたりを聴いていく。かなりの曲数なので時間はかかるが、各国で今何が注目されているかを知ることができる。 サブスクは新曲を聴くことがとにかく楽しい。昔聴いた懐かしいアルバムを聴くことも楽しいのだけど、それ以上に毎週リリースされる日本を含めた各国で注目されている新曲を聴くことが楽しみだ。 朝の7時ぐらいから歩き始める。でもこの時期はほとんど雨である。よって傘をさして、マスクをつけて、イ
珍しく土用の丑の日にうなぎを食べた。 家でうなぎを食べる よく行く魚屋さんで蒲焼を予約して、半分は酒のつまみとして、半分はご飯と共にうな丼にして食べた。 浜名湖のうなぎであり、蒲焼はとても美味しかった。さすがにそれなりのお値段なので年に1〜2回ぐらいしか食べられないけど、こんなにも美味しいものを毎月とか食べていたらバチが当たりそうだ。それほど旨い。 うなぎは大好物なのに頻繁に食べることをちゅうちょする食べ物だ。基本的に高価であるため、いつもは穴子の白焼きか蒲焼をつまみに酒を飲むぐらいで満足できる。うなぎはやはり特別なものだなと思う。 翌日昼食を食べに行くとメニューにうな重という文字があった。1600円だったので注文できなくはないが、昨日食べたからという抑止力が働いてくる。 絶滅の危機が危惧されているうなぎを何度も食べていいのか、という倫理的な思いというよりは、こんなにも高価なものを頻繁に食
ラーメンはどれくらいの間隔で食べる食事メニューなのだろうか。 週に数回食べるのか、週1ぐらいは食べるのか、月2ぐらいなのか、年数回なのか。それは人によって異なるのは分かる。でもそこまで食べていないんじゃないかという感じもしている。 ただ不思議なのは、みんなしっかりと、美味しい、今一つ、まずい、という評価をしていることである。さすがに最近はまずいラーメンに出会うことはあまりないと思うのだけど、美味しいラーメンかどうか、期待通りか、期待外れか、その評価をしっかりとしているのである。 ラーメンを食べる回数は年数回ぐらいだと思う。一人で食事する時にメニューから自分の意志でラーメンを選ぶことはほぼない。ということはあまり好きではないのかもしれない。でも決して嫌いではなく食べれば美味しいといつも思う。 この「食べれば美味しいと思う」いう言葉からして怪しい感じがするが、ラーメンは美味しいのだ。でもどこか
人生で初めて起きること その日は遅い昼食を近くの中華料理屋でとった。普通は少し歩いて居酒屋ランチの刺身定食や唐揚げ定食を注文するのだけど、急にチャーハンと餃子が食べたくなったので中華屋に入った。 ランチメニューの餃子は、焼き餃子とライスのセットかチャーハンと水餃子のセットだったので、チャーハンはあきらめ、焼き餃子とライスのセットにした。どうも水餃子は避けてしまう傾向にある。 でも昼に餃子を食べてもいいのだろうかと少し考えた。今はマスクをしているから大丈夫だろう、というあまり根拠のない理屈で注文することにした。 しばらくして餃子、ライス、スープ、杏仁豆腐のセットが運ばれてきた。おーきたきた、餃子うまそうだなー、と思いながらまずiPhoneで45度ぐらいの角度から写真を一枚撮った。ちょっと真上から俯瞰の写真も撮っておくかとiPhoneをお盆の真上から構えた。その瞬間ガチャーンとiPhoneが落
家で飲む。もうそれしかない時代である。 空きっ腹で飲む しかしずっと晩酌をすることになるとは思わなかった。自粛当初は戸惑いもあったが、普通に夕飯を食べながら酒を飲むと考えれば、特に珍しいことでは無いのかもしれない。そう考えるようになってきた。 酒を飲むのであれば、何か食べてから飲む方がカラダにいいのかもしれないが、やっぱり空腹で帰ってきて、シャワーを浴びて、ビール(いつもは麦とホップ)を飲む。すきっ腹にビールを流し込むのがいいのだ。 確かに若い頃はまず食べてから飲む、なんて事もやってきたが、そのプロセスを踏むことはもう難しい。何かを食べた後に飲む酒は、なんとなくキレがなくなり、ぼんやりとした印象になる。やっぱり空腹状態の時に飲むから酒は旨いのだ。 地元の居酒屋で飲んでいた頃 最近は居酒屋に行くことが絶たれている。よって会社帰りは家に直行する。世の中のお父さん達のほとんどはこれが普通なのだと
旅行に行くとき、持っていく本を選ぶ。 日帰りと1泊とでは持っていく本の冊数がまず違うし、どこに行くかによって本のジャンルも変わってくる。でも必ず紀行文や旅行記のような旅に関連する本は持っていく傾向にある。 村上春樹や沢木耕太郎の本を選ぶ時もあるし、下川裕治、宮脇俊三を持っていくときもある。あくまでもその日の気分であって、そこには特に規則性はない。 ただ残念ながら今の時期は旅行に行くことが出来ない。大好きな沖縄にも行くことができない。いや飛行機も電車も動いているのだから、無理してでも行こうと思えば行けるのだけど、それはまだ早いような気がしている。 Go To キャンペーンの開始日も決まったようだ。ただ、今旅行をしても歓迎されることないのだろうな、と思っている。観光地の方々からしたら、東京、そして神奈川、埼玉、千葉「以外」の人たちに来て欲しい、東京と近県の人たちには感覚的に今は来ないでほしいと
オギワラかハギワラか、たまにわからなくなる。 オギかハギか 「荻」はオギであり、「萩」はハギである。いや、普通は読むことが出来る。平常心であれば問題ない。ただ突然「荻原」という漢字を目の前に出され、一瞬で、それも0.0001秒くらいで「オギワラ」と言える自信がない。 まず「くさかんむり」は一緒なので、漢字が構成されている「けものへん」みたいなものと、「のぎへん」みたいなもので、見分けるしかない。 オギとハギの判断基準 でも心のどこかで、まずこの漢字は「ハギ」なのかどうか、と考えている節がある。ハギの方が芸能人の苗字として、馴染みのある漢字である。まずはハギかどうかである。 萩原健一さん、萩原流行さん、萩原聖人さんが有名な「ハギ」さんである。荻か萩かを示された場合、これはショーケンの萩原という漢字なのかどうか、ここが重要なポイントだと頭の中で考えている可能性が高い。 一方「オギ」さんと言えば
しっかり寝ると翌日の体調が確実に違う。 あたり前のような感じもするが、最近特に実感する。本当は8時間寝るのがいいのかもしれないが、出勤時間の都合上、朝の5:30に起きる必要がある。これがつらい。よって平日8時間睡眠はなかなか難しい。 睡眠時間7時間の確保 よって平日の睡眠時間は7時間を目標にしている。ただ、朝5:30に起きる必要があるため、逆算して22:30に寝る必要がある。寝てすぐにぐっすり、という訳にもいかないので、22時には横になりたい。 毎日21:50から日記帳に日記をつけることが日課であるため、日記をつけたあと22時に寝るのが理想である。しかし22時に寝るというのは早い。テレビもまだまだこれからという感じだし、24時まであと2時間もある。 22時までに寝る 若い頃は26時だけは絶対に過ぎないようにしよう、と思っていたが、今は22時には寝なくちゃ、という具合である。たまに21時に寝
週刊文春を定期購読している。紙の雑誌で。 定期購読する現実 そもそも本や雑誌は電子書籍で読む時代である。いや、紙の本で小説を読むときもある。ブックオフに行って100円の文庫本を買う時もある。 ただ雑誌はもうデジタルで読むことが多い。dマガジンや楽天マガジンであれば450誌ぐらいの雑誌が読み放題なので、基本的にはその範囲内で充分なはずである。 人が自由に過ごす事のできる時間は限られている。雑誌を読めば、小説を読む時間が減る。そこで小説を読む時間を減らさないのであれば、映画を観る時間が減ったり、音楽を聴く時間、文章を書く時間が減る。よって雑誌を読む時間にそこまでさくことはできないのが現実である。 それでも週刊文春に限っては紙の雑誌で定期購読しており、定期購読とはつまり、毎週木曜日に家のポストに届くのである。定期購読とはそういうものだ。 定期購読といっても前日の水曜日に届くわけではなく、発売日の
居酒屋に行っていない。 こんなにも外で酒を飲まない日が続くとは思っていなかった。やはり感染リスクを考えてしまうと、なかなか飲みには行けないというのが実情である。 ウイルス対策の根幹は距離 新型コロナウイルスの対策で何よりも重要なのは人と人との「距離」だと言われている。ウイルスの感染は飛沫感染がメインの感染経路であり、飛沫感染対策の根幹は何をおいても距離とのことだ。 その距離が保てるのであれば、マスクはあまり必要ないのかもしれない。夏の外出においては熱中症対策としても、その距離の確保という考え方が重要になる。 ただ居酒屋では人と人との距離を保つことはなかなか難しい。2mはもちろん、1mの距離も困難だと思われる。そしてマスクを取って食事をしながら酒を飲む。会話もする。もう完全に感染リスクがぐっと上がっていく環境である。 カウンターでの一人飲みであれば、話す、会話をするという頻度は減り、飲んでい
毎日唐揚げが食べたい。 唐揚げと言えば鶏の唐揚げである。その鶏の唐揚げを毎日食べたくなるのだ。 きっかけは唐揚げ専門店が出来たことだった。 開店当初は少し安かったこともあり、毎日もの凄い行列だった。そして開店セールが終わっても、店の前には常に行列が出来ていた。 唐揚げ専門店である。つまり鶏の唐揚げしか売っていない。でも毎日行列なのである。その行列がスッと無くなった雨の日のタイミングを見はからって突入してみた。 もちろん唐揚げしかなかった。醤油の唐揚げか塩の唐揚げである。それをそれぞれ何個づつ注文するか、それだけである。そういう世界があるのかと感動した。 どちらかと言うと圧倒的に醤油味の唐揚げの方が好みである。ローソンで売っているパック入り200円の唐揚げも大好きで、ほぼ「鶏からしょうゆ 4個入り 200円」を買っていた。晩酌にも丁度良く今までの定番だった。 そこに唐揚げ専門店が登場した。2
文章は誰か特定の人物に向けて書くものである。 誰に向かって文章を書いているのか。それがとても大切だと感じている。この「誰に」が明確であればあるほど文章、つまりブログは走り出していく。 「誰に」向かって書いているのかが明確でないと、なんとなく書いている文章になってしまう。そうなってしまうと誰にも届かない。 堀井憲一郎氏の「いますぐ書け、の文章法」の影響を強く受けているので、まず誰に向かって書くのかを意識するよう常に心掛けている。 いますぐ書け、の文章法 (ちくま新書) たとえばそれはリアルな仲のいい友人をイメージする。 お酒が好きで、でも外で飲むのは苦手で、よく食べて、ケラケラと笑う友人を思い浮かべる。その友人(本の中では異性の友人)に向けて書いていく。 それはリアルな友人Aさんである。Aさんがうんうんとうなずいてくれる文章、Aさんが笑ってくれるような文章、Aさんがえっそうなんだと少し驚いて
暑い。でも熱いコーヒーを飲む。 暑い夏にホットコーヒー コーヒーを毎日3~4杯飲む。5~6杯の時もある。まず朝出勤する前に家で飲み、そして会社に着いてからもコーヒー飲む。昼休みにも飲む。基本的に一年中ホットコーヒーを飲んでいる。 会社にドリップコーヒーを持参して自分で作っている人も見かけるが、セブンのコーヒーで満足している。もっと美味しいコーヒーがあるのは分かるのだけど、毎日数杯飲むものだし、今はキリマンジャロ風もあるので、セブンのコーヒーを飲む日々となっている。 アイスコーヒーもたまに飲む。会社にいる時はホットを数杯飲んだあと、夕方ぐらいにアイスコーヒーを飲む時がある。理由はなくなんとなくアイスな気分であって他意はない。 一方コメダ珈琲で作業をする時は、たっぷりサイズのアイスコーヒー、これがデフォである。これもなんとなくである。 ホット以外あり得ない時代 90年代の初め頃、ニューヨークに
「No.50 懐中日記」を使っている。 特に毎年同じ日記帳にするというこだわりもないのだけど、なんとなく懐中日記を使っている。懐中というくらいなので、ポケットに入るくらい小さい手帳みたいな日記帳である。 大きいハードカバーの日記帳も魅力なのだけど、やっぱり日記はかしこまってつけるものでもないし、気軽に扱える日記帳がいい。 日記をつける時間は夜。寝る前。そこからハードカバーの大きめの日記帳を出し、書斎で精神を統一して日記をつける.....でもいいのだけど、書斎はないし、実際はまったく異なる。 夜はほぼ晩酌をするので、だんだん眠くなってくる。すると「あ、寝る前に日記つけなきゃ」と思う。そこからこの「懐中日記」を取り出して、万年筆を用意して、今日の日付のページを開く。 懐中日記は、1ページに2日分のスペースがあり無罫なので、自由に書くことができる。でも色鉛筆や派手な装飾とは無縁である。ただ普通に
読みやすい文章を書くことはとても難しい。 書いた文章を何度も何度も読み直し、余計な言葉を削っていく。回りくどい言い回しかどうかを確認し、接続詞や副詞が重ならないよう、自分なりに文章の形を整えていく。それでも、テンポよく読むことができる文章になっていかない。 漢字を減らす 堀井憲一郎氏の「いますぐ書け、の文章法」の影響を強く受けているので、まずは漢字を減らすことを心掛けている。 いますぐ書け、の文章法 (ちくま新書) たとえば、あく(空く)、すく(空く)はもう絶対ひらがなで書く。読む人に複数の読み方で迷わせることはしない、ということが上記本にも書かれている。 副詞に関しても、ほぼひらがなで書く。まったく(全く)、ほとんど(殆ど)、しばらく(暫く)、はなはだ(甚だ)と、できる限り漢字では書かないよう心がけている。 いまなんとなく「ひらがな」と漢字で書かなかったけれど、これはもう自分の感覚でしか
万年筆のインクを交換した。 万年筆の魅力 万年筆と言っても安い千円で買うことのできるパイロットのカクノと三千円ぐらいのラミーのサファリなのだけど、結構気に入っていて満足度も高い。 万年筆というのは毎日使った方がいいとよく言われる。ただちょっと使わなくなったりするとインクが固着したり、ペン芯のインク溝にゴミが入ったり乾燥したりするので、あー洗わなきゃ、インクカートリッジあったかなーとなる。 インクは交換が簡単なカートリッジインクとボトルインクがあって、万年筆の醍醐味はやっぱりボトルインクなのだろうと思う。ただボトルはボトルで3年で使い切るのが基本と言われており、なかなかその領域にまで踏み出せていない。 インクの洗浄と交換 ただ書けなくなった万年筆をずっとそのままという訳にもいかず、よし、洗うか、と意を決すると洗浄も結構楽しかったりする。万年筆には洗浄するという、面倒だけど楽しいメンテナンスが
もう宴会とか飲み会は無くなっていくのだろうか。 宴会・飲み会があった日常 コロナ危機以前は、歓迎会、送別会、忘年会、新年会、暑気払い等、会社において、いろいろな名前の付いた宴会や飲み会が行われていた。 その中でも歓迎会や送別会を開催しない、欠席するということはなく、自分に対してもやって頂いたのだから、年数回参加することはある意味当たり前だと思っていた。 忘年会も暑気払いも年一回だし、初めての店だったりすると興味もある。元々お酒は好きな方なので、実はコースメニューや飲み放題メニューに一喜一憂していた感じである。 楽しい飲み会と憂鬱な宴会 自分はどちらかというと一番上になる世代であり、歓迎会、送別会、忘年会を企画する立場でもあった。 せっかくやるのであれば、来てよかった、楽しかったと思ってもらえるような店を選んでアテンドをしたり、出欠も自由にして、会費もなんとかする立場だった。 そんな中でも、
散歩の魅力 休みの日の朝は散歩をする。散歩なのかウォーキングなのか、自分でもよく分からないのだけど、とにかく朝のうちに歩くことにしている。 せっかく休みなのだからもう少し寝たい、という気持ちもあるのだけど、いつものように早起きをして歩く。 Apple Watchのワークアウトをスタートさせ、早歩きを交えて歩く。早歩きをしないとアクティビティというアプリがエクササイズとして認識しないので、早歩きをせざるを得ない。 歩き始めるとすぐに音楽を聴こうか、しばらくはこのまま朝の自然音を聞きながら歩こうかを考える。朝は朝ならではの自然音が聞こえてくるので、なんとなくそのまま歩き始める。 ただ実際外を歩いているときに、イヤホンをつけて歩く事に少し抵抗がある。外の音を遮断してしまうことが、ちょっとした事故につながりそうで少し怖い。 朝の自然音といっても朝チュンが聞こえるわけもなく、普通の住宅街なので、そこ
平日出勤した時、帰りは家に直帰する。 これはコロナ危機が始まってからのことである。毎日、それも一週間ずっと家に直帰するなんて事は今までなかったなぁと改めて思う。 コロナ以前は会社帰りに居酒屋で一人飲んだり、会社の同僚と飲んだり、飲み会があったりと、そんな感じが普通だった。それが今は夜の街を完全スルーして帰宅するのである。なんという新しい日常なのだろうか。 湯船に浸かる 近頃かなり暑くなってきたが、家に帰るとシャワーだけでなく、なんとなく湯船に浸かりたくなる。暑いんだけど何故か肩まで浸かりたくなる。 沖縄では湯船に浸かることは一年を通してまったく無いらしいが、何故か寒くても暑くても浸かりたくなる。たった数分間、おそらくほんの一瞬なのだけど、そこで風呂専用の文庫本を読むことが好きなのだ。 風呂専用文庫本 なぜ敢えて風呂に浸かりながら風呂専用の文庫本を読むのかに対して明確な答えはないのだけど、風
県などをまたぐ観光が徐々に緩和される。 6月19日以降のステップ2以降においては「県をまたぐものも含めて徐々に」観光振興を図ってもいいとされており、いよいよ観光業の再興が始まっていく。 そして7月下旬には「Go To キャンペーン」による支援が開始され、8月からは国内旅行が全面的に解禁されるようだ。 第36回新型コロナウイルス感染症対策本部(配布資料)より 国内旅行の全面解禁に向けて もちろん手指消毒やマスクの着用といった新しい日常に基づいた行動様式は求められるが「国内旅行が全面的に解禁」というインパクトはなかなか大きいと感じている。 東京都の感染者数は1日あたり10人から40人ぐらいで推移しており、夕方のニュースとして毎日報道されている。 今後もこの感染者数で推移していくのであっても、政府はおそらく後戻りせずに、7月下旬から「Go To キャンペーン」の実施、8月からの国内旅行の全面解禁
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