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堀越謙三著 高崎俊夫構成 『インディペンデントの栄光 ユーロスペースから世界へ』 ユーロスペースを立ち上げた堀越謙三には心に決めたことがあった。それはプロモーションで監督や俳優を招聘した際、「監督たちを自分の車で、自分で運転して空港への送迎をすることでした」。 古い車をだましだまし乗り続けていたが、「パリ在住でユーロスペースの代理人をしていた吉武美知子」から、「あんな小さな車は役立たないから、『ポーラX』完成記念に買い替えなよ」と言われた。こうして、『ポンヌフの恋人』の制作過程での莫大な予算超過など もあってフランスでは嫌われ映画を撮るのもままならなくなっていたレオス・カラックスの新作に出資していた堀越は、『ポーラX』を引っ提げて来日したカラックスと吉武を新しい車で迎えに行った。「以来、その車で多くの監督たちを空港に出迎えることになります」。 「成田空港と都内を結ぶ高速道路。スピード違反
家永三郎著 『一歴史学者の歩み』 東京教育大学の筑波移転が強行され、自身が退職するまでを語った家永三郎の自伝。家永といえばなんといっても教科書裁判であり、本書成立の契機もそれにあった。 現在ではそのような裁判を起こす家永という人物は左翼なのだろうという先入観を持つ人が多いだろうが、本書で繰り返されるように家永はマルクス主義には一貫して距離を置いており、あえてカテゴライズをするなら自由主義者、より細かく分ければ自由主義左派とすべきだろう。貧困とまではいかないが経済的に恵まれない家庭で育ったこともあり無産階級へのシンパシーを抱いてもいたが、マルクス主義にはどうしてもなじめなかった。それどころか、人生の節目節目で幾度かファシズム的なものに吸い寄せられそうになったことさえあった。そんな自分が自由主義左派的なスタンスを取ることになったのかを語ったものでもある。 家永の父は軍人であった。職業軍人の家庭
田野大輔・小野寺拓也編 『<悪の凡庸さ>を問いなおす』 「悪の凡庸さ」。ホロコーストや哲学・思想史などにそれほど関心を持っていなくても多くの人はどこかで見聞きしたことがあるだろう。また少なからぬ人が、「悪の凡庸さ」という言葉が問題含みであるという扱いをされているというのに触れたことがあるかもしれない。 編者の一人である田野大輔はあとがきでこう書いている。「アーレントの<悪の凡庸さ>概念は、職務に忠実なだけの<凡庸な役人>、上からの命令を伝達する「歯車」というイメージで広く受容されている。だがナチズム・ホロコースト研究に従事する歴史学者からすると、それはアイヒマンという人物を形容するにはおよそ的外れなものに思われる。この男がユダヤ人絶滅政策の中核を担うキーパーソンとして、官僚機構のなかで卓越した組織力と創造性を発揮したことは疑いえないからである」。 では、「アーレントはこの親衛隊中佐の実像を
ブルース・ホフマン、ジェイコブ・ウェア著 『神と銃のアメリカ極右テロリズム』 こちらの続き。 アメリカの極右を活性化させたのが公民権運動をはじめとするリベラルな価値観の浸透とともに、ヴェトナム戦争であった。肥大化した連邦政府が大義のない戦争に兵士を送り込んでいるという連邦政府への批判と、勝てるはずの戦争だったのに反戦活動家のような左翼やリベラルのせいで汚辱にまみれたものになってしまったというのは両立しない立場であるはずだが、極右がこれを気にするはずはない。 日本においても「大東亜戦争」はアジア解放のための「聖戦」であったという主張と日本はコミンテルンの陰謀によって戦争に引き込まれたという主張が同じ右翼誌の中で共存しているように、このような傾向は世界各地の極右差別主義者に共通してみられるものであるが、やはりアメリカの極右はアメリカ独特の文脈もある。 トランプ的なるものはアメリカ合衆国が曲がり
ブルース・ホフマン、ジェイコブ・ウェア著 『神と銃のアメリカ極右テロリズム』 ある人物は、「深刻な経済的状況によって、自分たちの苦境についての単純で還元主義的な説明」を受け入れやすくなっている人たちに向けて、このようなメッセージを発した。「自分たちが苦しみを背負わされているのはすべて、ユダヤ人、移民、ウォール街、福祉の不正利用、そして政府のせいだ」。 この人物は「断固たる反ユダヤ主義、反共産主義、白人至上主義を、人民の究極の主権という魅力的な概念と結びつけて、複雑でアメリカ的な響きを持つイデオロギーを生みだした」。 この人物は「人種差別、反ユダヤ主義、排外主義を、税への抵抗と地方の権威の優越という過激な反政府イデオロギーと完璧に織り交ぜ、「生まれながらの「合法的な」権利は、(人種的に)腐敗した国の権利に勝る」という彼のビジョンに従って、白人種の優位を確立する手段にした」。 ドナルド・トラン
「私は「韓国の成人男性」に対する恐怖心があるんですよ。仕方なくついていった高級バーで、もじもじして女性従業員たちに敬語で話している私の姿を見ると、軽蔑するような人たちです。私も成人男性ですが、そのような「旧態依然とした成人男性」と同席したり、会話をしたりしなければならない状況が非常に怖いです」。 こう語るのはポン・ジュノである。引用は『ポン・ジュノ映画術 『ほえる犬は噛まない』から『パラサイト 半地下の家族』まで』(イ・ドンジン著)から。 ポン・ジュノ映画術: 『ほえる犬は噛まない』から『パラサイト半地下の家族』まで この本はサブタイトルにあるようにイ・ドンジンによるポン・ジュノの全長編の評論に加え、ポン・ジュノへのロングインタビューと『スノーピアサー』の原作者を交えた座談会も収録されている。 『映画術』というとどうしても『映画術 ヒッチコック・トリュフォー』が浮かんでしまうが、本書は『パ
南彰著 『絶望からの新聞論』 朝日新聞を辞めた記者が朝日批判の本を出すというのは伝統芸のようなものとなっている。理由は簡単で、需要があるからだ。 右から見れば朝日は「アカヒ」であり、右派論壇ではどんなにお粗末で支離滅裂な内容でも朝日叩きというだけで歓迎される。左からすれば朝日のどこが左翼なのだ、あんなものは体制べったりの権威主義に他ならないではないかとなる。SNSで毎日新聞に、読売新聞にこんなひどい記事があると投稿しても大して注目を浴びることはないが、朝日がやらかしたとなると左右双方が食いつくために大いにバズることになる。 では「元朝日新聞のエース記者」による本書もそのようなものなのだろうか。巻末の青木理との対談で、南は退社にあたって社長や記者に宛てて送った一斉メールが『週刊文春』などでセンセーショナルに取り上げられたのが不本意であったとしている。朝日叩きで一稼ぎしようとするならむしろこれ
黒川みどり著 『評伝 丸山眞男 その思想と生涯』 その1の続き。 丸山眞男は自らを「政治的プラグマティスト」だと宣言した。「現実的な真理存在の多元性」を重視する自由主義者としては当然といえばそうだが、このような立場はしばしば現状追認に陥る。しかし、丸山が厳しく批判したのが、まさにこの現状追認であった。 一九五〇年前後の丸山を駆り立てたのには二つの要因があった。 当時、「東京工業大学の学生と奈良県下の「紡績女工」の二〇%前後が戦争を欲している」という調査があった。 「いかなる形でもあれ、日本が軍隊を持つというのはまっぴらだという、全人間的な感情があるのが、当然じゃないかと思うのです」という丸山からすれば、敗戦からわずか五年ほどでこのような状況となったのは悪夢的に思えたであろう。 「紡績女工」が戦争を望むのは戦争景気を期待してであろうし、東京工大の学生は戦時となれば理系の研究に潤沢な予算がつ
酒井隆史著 『賢人と奴隷とバカ』 「本書は、いくつかの書きおろしをのぞき、二〇一二年から二〇二二年までに書かれた、時事的おもむきの強いエッセイをまとめたものである」。 「本書のあちらこちらで示唆しているように、総じていえば、この時代にこの社会で起きたのは、ネオリベラルな世界秩序への遅ればせながらの全面的な順応の過程であった。単一のゲームの勝敗、取り分の大小の競い合いにほとんどが収斂し、それをはみだしていく動きは、全方向から取り締まられてしまう」。 あとがきのこような箇所を引用すると、「ああ、よくあるネオリベ批判ね」というだけで片づけようとしてしまう人がいるかもしれない。しかしこの文章はさらにこう続く。 「この世界のありようをひらいてみせるよりは、「政権」やそれを「支持する人びと」に与えるダメージを狙ったようなフレーズが知的にも好んで流布されたのは、そのような態度のあらわれにおもわれた。内向
マーティン・エイミス著 『ナボコフ夫人を訪ねて 現代英米文化の旅』 マーティン・エイミスが二〇二三年五月に亡くなったが、イギリスメディアの反応を見てここまでの存在であったのかと日本では驚いた人も少なくなかっただろう。代表作としていいだろうMoneyやLondon Fieldsですら邦訳がないように日本の読者の好みとはズレるのだろうが、主要作品は日本語で読めるようになってほしい。 Money ペーパーバック ちなみにLondon Fieldsは二〇一八年に映画化されているが、ウィキペディアによると散々な出来であったようだ。もともとはデヴィッド・クローネンバーグが監督をする予定であったが頓挫したとのことで、これが実現していれば邦訳も出ていたのかもしれない。 本書は一九七〇年代後半から九〇年代前半にかけて書かれたエッセイ集。知的な皮肉屋であるのはいかにもイギリス的だ、としてしまうのは安易なステ
大江健三郎は追悼文をよく書く人でもあった。しかしここ数年は当然書くべき人について書かないばかりか、コメントすらないという状況であったので、体調については想像がついた。年齢を考えても遠からぬうちにこの日が訪れることになるだろうと覚悟はできていたのだが、実際にその訃報に接すると、これからは大江健三郎のいない世界を生きていかねばならないのだという気分にさせられる。 作家に対する何よりの追悼はその作品を読むことであろう。まだ大江の作品に触れたことがないという人に一冊勧めるとしたら、ベタではあるがやはり『万延元年のフットボール』を挙げたい。 万延元年のフットボール (講談社文芸文庫) 一方で、いたずらにハードルを上げるのはよくないのだが、二、三作読んだくらいで大江という小説家をわかったつもりになられては困ると言いたくなる衝動もある。大江は若き日の作品から最後の作品となった『晩年様式集 イン・レイト・
坂本邦夫著 『紀元2600年の満州リーグ 帝国日本とプロ野球』 その1の続き。 1929年、日本初のプロ野球の試みであった「日本運動協会」は挫折に終わった。といっても野球人気が下火になったのではなかった。それどころか「協会の解散当時は六大学野球の絶頂期だった」。 各地に様々な目的を持って企業チームが作られていた。また六大学人気は映画を食ってしまうほどで、「不入りに喘ぐ映画館では、観客へのサービスで早慶戦の試合経過を伝えていたという」。ならばということなのか、牧野省三が創設したマキノ・プロダクションは孫孝俊に、「俳優をしながらマキノの野球チームでプレーしないか」と声をかけた。 孫孝俊は李吉用に宛てて「突然マキノ・プロに入社してすでに二つの映画を撮影中です」と手紙を書いた。この「李吉用は、一九三六年、ベルリン五輪のマラソン競技で優勝した孫基禎の表彰式の写真から胸の日の丸を消した東亜日報の「日
ジョン・ロールズは1921年生まれなので今年は生誕100年にあたる(また2002年に死去しているので来年は没後20年でもある)。ロールズの『正義論』は現在でも政治哲学の最重要本の一つであるだけに手軽に手に取れる新書の入門書あたりが出て欲しいのだが、企画はあるのだろうか。 これを講談社学術文庫に入れてくれるのでもいいのだけど(というか「現代思想の冒険者たち」全部入れちゃってほしい)。 ということでというのではないが、数年前に購入したまま本棚の肥しになっていたThomas PoggeのJohn Rawls His life and theory of justiceを手にしてみた。この本は「ロールズの理論が非専門家にも理解される一助になれば」としてあるように、ロールズ小伝と『正義論』及びその後の議論についての入門書であり、平易でわかりやすいものであった……としたいところだが、僕の英語力を差し
寺沢拓敬著 『「なんで英語やるの?」の戦後史 <国民教育>としての英語、その伝統の成立過程』 この文章を読んでいるあなたは何歳だろうか。日本の公立学校で教育を受けたとしたら、ほとんどの人が中学時代に英語を学んだはずだ。あるいはすでに、小学校で英語の授業があったという人もいるだろう。 僕は1970年代後半生まれだが、同世代で中学に上って英語の授業が始まることに不安や不満を覚えた人はいるかもしれないが、なぜ中学生になったら英語を学ばなければならないのかについて根本的な疑問を抱いたことがあったという人はごく少数だったのではないだろうか。それほど当たり前のこととして、英語というのは(強制的に)学ばねばならないのだという考えが内面化していたし、僕より若い世代にとってはなおさらそうだろう。 「まえがき」にこうある。「そもそもいつから、全員が英語をやるルールになったかご存知でしょうか」。これを「英語が
「私がこんな正論ばかり述べているというのは、どこか世の中がおかしくなっているんじゃないか(笑)」 これは東大総長退任後の蓮實重彦に2001年5月から2002年4月にかけて行われたインタビューをまとめた『「知」的放蕩論序説』にある蓮實の言葉であるが、つまりは、蓮實は本来なら「正論ばかり」を述べるような人ではない、もっといえば挑発的な放言さえ好んで行うような人物である。しかし「世の中がおかしくなっ」たために、このような蓮實でさえ「正論ばかり」を述べねばならなくなったのであろう。 東大総長という地位がそうさせたということもあろうが、人文系の教授としては異例の、しかもあの蓮實が、東大総長になろうとしたというところにすでに危機感が表れていたとすることもできるであろうし、約二十年後に当時の蓮實の言葉を読むと、その危機感が日本社会に、とりわけ東大出身の「エリート」とされる人々に共有されておらず、それが現
1970年のフランスのドキュメンタリーが先日公式にアップされたが、登場するのはご覧の通り、当時34歳の蓮實重彦、その妻のシャンタル、そして1967年生まれなので当時3歳くらいの重臣である。 血眼になって探すという以前にこの存在自体を知らなかったが、有名なものだったのだろうか。動くシャンタルさんなんて初めて見たぞ。 3分くらいからの、 「ジャン・リュックといえば?」 「ごだーる」 「ギュスターヴといえば?」 「ふろべーる」 「マルセルといえば?」 「ぷるーすと」(ちょっとあやしい) なんてやりとりは微笑まずにいられないが(フランスの三歳児だって答えられまい)、この母語の異なる両親のもとで育つ重臣の存在が蓮實重彦に『反=日本語論』を書かせることになる。 親にとって子どもを先に送り出すほど辛いことはないだろうが、重臣が2017年に早世したのを知って『反=日本語論』を読む、あるいはこのドキュメンタ
レーガン、ブッシュ(父)と12年間続いた共和党政権に終止符が打たれた時、民主党支持者は「ディン・ドン、魔女は死んだ!」と『オズの魔法使い』の有名な歌を用いて喜びを表したそうだ。 安倍晋三の総理辞任表明を知って「鐘を鳴らせ!」と狂喜乱舞しているのかといえばそうではなく、この政権がこれほど長く続いたのだという事実を改めて突きつけられ、暗澹たる思いにさせられている。 ドナルド・トランプについてしばしば言われるのが、トランプは結果であって原因ではないということだ。トランプが大統領になったことでアメリカ社会のタガが外れたのではなく、トランプのような人物を大統領に就けてしまうような状態にアメリカ社会はすでになっていたのである。これはそっくりそのまま日本についても言えるというより、アメリカが「日本化」してしまったとした方がいいのかもしれないが、第二次安倍政権によって日本社会の底が抜けてしまったのではなく
礒崎純一著 『龍彦親王航海記 澁澤龍彦伝』 本書は「澁澤龍彦の生涯と作品について書かれ、語られた、膨大な文章(もちろんそこには澁澤本人のものがもっとも多い)に、あたうかぎり目を通し、それらを選択して、編集配列することにより成った「伝記」である」。 著者が「伝記」を括弧に入れているのは、編集者として晩年の澁澤の謦咳に接しているが個人的回想は控えめであり、また新事実の発掘を目指したというよりは引用の通り多くがすでに発表されている文章を渉猟し編集したということによるのだろう。 平出隆と巌谷國士の対談、「胡桃の中と外」にこんな箇所があるそうだ。 平出 いつだったか、ちょうどなにか差別問題が起こっていて、内藤君[河出の編集者の内藤憲吾]と二人で澁澤さんの前で差別問題について話したことがあったんですが、僕は北九州で被差別部落がかなりあって、小さいころに忘れられない経験があるんですね。内藤君の出身地が
4月11日現在、日本で確認されている新型コロナウィルスの感染者はあくまで氷山の一角にすぎないのは確実だが、一方ですでに数十万人規模で感染が広がっているとすればごまかしようもないのであろうから、現時点ではそこまでは感染は拡大していないといったあたりなのだろう。 深刻なのは、では日本でいったいどれほど感染が広がっているのかを、科学的根拠をもって推計することさえできないことだ。一万に近い数万なのか、十万に近い数万なのか、それ以下なのか以上なのか、ただ勘に頼るほかないのである。 日本政府の対応はOECD諸国の中では最低レベルと言い切って構わないであろうが、にも関わらず謎の理由によって日本での感染拡大のスピードは遅いのも間違いないだろう。そして日本政府は、この状況を活かすどころか、わざわざドブに捨て続けている。 布マスクを1世帯に2枚配布するという愚策に顕著なように、安倍政権の対応は単に動きが鈍いと
『グラウンド・ゼロを書く 日本文学と原爆』(ジョン・W・トリート著)の原著の刊行は1995年のことなので、むろん著者にその意図があったわけではないが、いわゆる「ネトウヨ」的なものの源流などについて考えさせられる部分があった。 グラウンド・ゼロを書く-日本文学と原爆 1966年発表の井伏鱒二の『黒い雨』は高く評価され広く読み継がれることになるがその刊行後、、意外にも山本健吉や江藤淳といった保守派からも絶賛された。 黒い雨 (新潮文庫) 現在では『黒い雨』は原爆の悲惨を語り継ぐ「戦後民主主義」的な作品として受けとめている人が多いであろう。それをなぜ保守派が絶賛したのだろうか。その理由は山本の「地についた平常人」の次の箇所を読むとよくわかる。 「[他の原爆文学の作品は]あまりにハードボイルドに書かれ過ぎた。あまりに政治の手に汚され過ぎた。あまりに安易な符牒で呼ばれ過ぎた。井伏さんがこれを書いて
『柄谷行人浅田彰全対話』 一九八七年から九八年にかけて行われた柄谷行人と浅田彰の六つの対話が収録されている。なおこの二人は座談会などを含めるとこれ以外にも膨大な「対話」を残しているので「全」とつけてしまうのは誤解を招くタイトルであろう(多分『柄谷行人蓮實重彦全対話』に合わせたのだろうけど)。 例によって挑発的というか放言めいているところも多数あるので、そのあたりは割り引いてというか慎重に受け止めねばならないのであるが、時事的な要素を多く含んだ対談というのは時間がある程度経過すると読めたものではなくなるのがほとんどだが、今読んでもというだけでなく今読むことで、新たに見えてくるところがあるというのはさすがとすべきだ。 本書収録のなかで一番有名なのが、一九八九年に行われた「昭和精神史を検証する」を改題した「昭和の終焉に」の冒頭の浅田のこの言葉だろう。 「実をいうと、僕は昭和について語りたいとはま
一九七三年八月、ハンナ・アーレントはメアリー・マッカーシーに宛ててこんな手紙を書いた。 「私の印象では、ニクソンはこのウォーターゲートから本当に国家の救済者を装った勝利者として現れそうな気がします。悪いのは彼ではなく、ホワイトハウスでもなく、議会だというわけです。今彼のスピーチの抜粋と反応に対するコメントのいくつかを読んだら、私は自信を深めました。ニクソンは再び防戦にまわり、具体的にはなにも答えず――もちろん答えられるわけがありません――全体として恐れているかのように思われます。ただここでも、彼を支持するのはわずか三一パーセント(?)にすぎないのに、彼を弾劾したいと思っている人は一人もいないという主要な事実は残ります。言いかえると、政治の過程にこれほど大規模な犯罪が侵入してもだれも気にとめないということです。あるいはこちらのほうがもっとありそうなことですが、人々はこれに対して本当に何かをし
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