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今年の「#文学」
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「ファストパス」と聞いて何を思い浮かべるだろうか。「ディズニーのアレだよね!」と思う人、「そんな昔の話をいまさら」と思う人、いろんな人がいるだろう。 私にとっては「ディズニーでの青春」が詰まった場所だった。そんな場所が消えようとしている。いや、すでに消え始めている。完全に消えてなくなるまで秒読みだ。今のうちにインターネットに残さなければ。 ファストパスとは ディズニー公式サイトより:https://www.tokyodisneyresort.jp/tdl/guide/fastpass.html 「まずそもそもファストパスとは」と説明しようにも、ご覧の通り公式サイトの記載も跡形なく消えているため、引用のしようがない。こまった。 かんたんに言うと、ファストパスとはディズニーリゾート園内における優先案内のチケットだ。人気アトラクションの近くに発券機が十数台並んでいる。入場券をかざすことで、時間指
荻窪を去ることになった。 2年半ほど前、中央線沿いに住みたいという一心で、間取りなんか度外視した物件選びを無理やり敢行した結果、荻窪・天沼2丁目のワンルームアパートが見つかり、俺のような昆虫でも審査を通してくれるとあって、晴れて念願の杉並区民となった。 最初の半年くらいは、最寄りの駅にルミネがあるという嬉しさ、歩いて阿佐ヶ谷にも高円寺にも行けるという嬉しさ、何より杉並区民を名乗れる嬉しさで、部屋のことなど気にならなかった。中央線沿いの街で”東京をする”、その事で精いっぱいだったのだ。 しかし、東京を始めてから1年近くの月日が経ったあたりから、徐々に部屋への不満が募っていった。狭すぎる。でもそれは俺が整理整頓ができないことが主な原因だ。5畳のワンルームだって、工夫次第で快適な暮らしを送れる。 ただ、ユニットバスの狭さだけはどうにもならなかった。風呂とトイレが近すぎる。冗談ではなく、2センチほ
どうも一流です。 最近バス停に置いてある椅子が気になって仕方ありません。 こういう椅子です。 バス停の椅子って実は個性豊かであることに気がつきました。 バス会社が用意している椅子にも様々な種類があることに加え、明らかに誰かが勝手に置いた私物のようなケースも多く見られます。 どんな椅子がバス停に置かれているか。 もしかしてここには「地域性」を見出すことができるのではないでしょうか。 そこで今回 「下町からセレブ街までバス停を巡ってみたら椅子はどう変化するのか!?」 という検証を行いたいと思います。 我ながら地味な、しかし意義のある企画だと信じています。 出発点の下町として選んだのは大田区は蒲田です。 蒲田は私の生まれ故郷でして土地勘があります。 バス路線もそれなりに通っており適任な街ではないでしょうか。 そして目的地として設定するセレブ街は六本木とさせていただきました。 これまた私が以前通っ
集合住宅とは他の建築と比べて他人事ではない気持ちにさせる、そんな建築である。 『都市住宅』の元編集長である植田実さんの本『集合住宅30講』の裏表紙に書かれていた言葉で、とても印象に残っている。 由緒ある西洋建築や歴史ある茶室とか見ても「古い」「すごい」みたいな薄い感想しか持たない人も、古いアパートなんかにはなぜかグッときて「えっあの窓どうなってんの?」とか「庇かわいい!」とか楽しくなってしまう。 あっ、僕のことです。 ▼佇まいが好きな都営小豆沢三丁目アパート29号棟 殆どの人が人生のどこかで集合住宅を吟味したり実際に住んだ経験があって、生活の延長で想像できる。 それが集合住宅への眼差しなんだと思う。 新しいのはもちろんわくわくするし、古いのもなんだか愛おしい。 散歩の横好きの僕が「いいなー」と思う集合住宅が世界にいっぱいあるのだから、研究者はもちろん、ファンが多いのも頷けます。 ▼旧中川の
馬喰町に降りて笑ってしまったのは、駅の看板がセブンイレブン並のさりげなさだったからでした。 天下のJRの駅で、この看板。 もっともこのあたりは馬喰横山駅、東日本橋駅、小伝馬町駅も徒歩圏内で、コンビニ感覚で駅がある。 それの、体現なのかもしれません。 さて、馬喰町(ばくろちょう)とは何か。 古くは街道が通っていたため博労(ばくろう・馬の仲買人)が多く住んでいたから馬喰町。 今では、衣料品問屋街のある街として有名です。 ただ問屋街としての多様性が見られるのは隣接する日本橋横山町のほうで、馬喰町に降りた感想を一言で言えば、ここは「エトワール海渡」で出来ていると思いました。 エトワール海渡は布製品の卸問屋さんで創業は1902年。 問屋なので小売りは基本やってない。 馬喰町で生きていくために必要なもの、それはエトワール海渡の会員証です。 えっ持ってない? お話にならないですね…… じゃあ他へ寄るかと
「ごめん、同窓会には行けません。今、秋葉原にいます」 年末だからかいつもなのか。秋葉原は混雑している。 いつも東京に来て驚かされるのは街中のステッカーの多さ。地方の比じゃない量で、良くも悪くも視界を刺激してくる。 私はサンポー散歩者の端くれ。どうしても街中のステッカーが気になってしまう。 以前もステッカーを調査した記事を書いていたりする。 このステッカーをご存知だろうか? そんな中、とても気になるステッカーがあった。『犯罪を見逃さない!』と記された女性の眼がアップされたステッカーだ。アニメ絵が他の雑多なステッカーと一線を画している。どこかで見たことあるデザインだな…… 既視感はこれだ。元ネタはこれで間違いない。 ちなみにこの隈取のステッカー、類似もいっぱい出回っているが、元は東京都の「動く防犯の眼」というものらしい。 ところで「動く」とは何だろうと思って調べたら、地域に密着して走る車に貼っ
2019年11月23日、神田は雨でした。 神田駅徒歩0分の貸会議室、ここに十二首の短歌があります。 これは、TANKANESSのメンバーが2時間前に神田駅周辺を歩いて詠んだ、できたての短歌です。 我々サンポーメンバーは、この短歌をまだ知りません。 ちらっと見ると、ああそういうものがあったのかな? というような歌から、なんのこっちゃ分からないものまで。 ただ一つ言えるのは、この付近に、この歌のネタ元が全部ある。ご近所短歌オンリーです。 そこで今日は、これらの短歌を観賞したあとネタ元に案内してもらい「へえ~ここが歌に詠まれた場所かあ~」とやいのやいのするツアー、題して「インスタント聖地巡礼」をやってみたいと思います。 もともと聖地巡礼とは宗教上重要な場所へ時に命を賭して赴くことですが、今回の意味は、小説やアニメのモデルとなった場所へ赴くほうです。 しかし、なんという簡単な巡礼だろうか。ぜーんぶ
ぼくらが東京に行く理由はぼくらが東京を目指す理由はなんだろう? 新しい流行、そんな街をゆく人びと、高いビル、色んな街。 あったかもしれない青春、違ったかもしれない人生。 そんなものを探すために? いや、変化朝顔を見るために! 決まってるだろう! 変化朝顔を見る 土曜の朝早く、有楽町。 なぜ朝早いのか。朝顔が、枯れるからだろう! まったく、有楽町だ。 ちなみにおれは長く神奈川県民をやっているので、有楽町という街の顔を知らない。 日の墓かと思う。 朝早くから立ち飲みをしている人たちがいて、「さすがは東京」などと思うも、店が開いているわけでもなく、自動販売機のあるところにたむろっているだけだった。しかし、「やはり東京」か。 唐突のタイ。 (それだけ) で、話はこの記事の頭に戻る。どこに戻る。日比谷公園に戻る。ぼくら、というかおれ、というか、おれでもなく、女の目的がこの変化朝顔展示会なのである。東
東京都町田市に成瀬という駅があって、常々降りてみたいと思っていたけれど20年くらい過ぎて、その間にタピオカが3回流行って、つい先日、成瀬へ降りました。 成瀬というのは高台があり、そこを縫うように恩田川が流れています。 起伏がわりと激しく、そこまで積極的に住む場所ではないのでは……? と思うのですが、町田市初の団地であるところの「高ヶ坂住宅」が1961年に出来てから風向きが変わっていったのだそう。駅前にURが出来たり、町田の隣、住むエリアとしての成瀬が作られていきました。 駅を降りた景色。住まえ、というメッセージしか感じません。 住んでないけど降りました。 駅前ビルのプラザナルセ。きめたハウジングだって。 「きめる」というのはこちらサイドの動作であって、それを名前に入れるの初めて見たな。 牛乳で例えるとおいしい牛乳じゃなくて「買う牛乳」みたいな感じだろうか。 「買う牛乳」っていう名前の牛乳が
おれと町田、町田とおれ 「町田のじいじ」、「町田のばあば」。おれが小さいころ、母方の祖父母をそう呼んでいた。なぜか。町田に住んでいたからだ。べつに祖父母はずっと町田に住んでいたわけではない。ただ、終の棲家として選んだ場所が町田だった。町田駅から少し離れた団地に住んでいた。おれの一家が町田に行くときは、いつも車だった。鎌倉から北上して、団地に着く。おれのなかで町田という街は、どちらかというとのどかな郊外、のどかな住宅地であった。 おれの一家というものがなくなり、おれは一人で町田を訪れるようになった。おれは車を持っていない。おれは京浜東北線の沿線で一人暮らしをしている。必然的におれは京浜東北線から横浜線というルートを使って町田を訪れるようになった。たまには直通電車もある。そのうちの何度かは祖父母の葬式だった。いや、人はだいたい一回しか葬式をしないので、二度は祖父母の葬式だった。祖父母は町田の葬
みなさまこんにちは。今日はハイランドを散歩します。 ハイランド? 関東在住のかたからすると、真っ先に思い浮かぶのは遊園地の「富士急ハイランド」じゃないでしょうか。 西のナガシマ、東の富士急。 そう並び称されるほど、絶叫マシンの種類が豊富なことでも知られています。FUJIYAMAとかドドンパとか。あとお化け屋敷も有名です。絶叫したいひとは行ってみたらいいとおもいます。 そんな富士急ハイランド。神奈川県央民からするといちばん身近な遊園地なのですが、じつは神奈川県の横須賀市にもハイランドがあるのですよ。ほほう、それはさぞかしすばらしい遊園地かと思いきや。 横須賀のハイランドは、住所がハイランドです。 「ここは地獄の一丁目」って言葉があるけど、ハイランドの一丁目なら現実にある。字面のおかしさがすごい。 約50年前に横須賀の山の上に造成された高級住宅街・湘南ハイランド。じつは、日本で初めてのカタカナ
総武線の平井駅に来ています。 来たぜ江戸川区平井、荒川のほとり。 かつて南口のほうに花街があって賑わっていたこともあり、そういう歴史散歩のお話はネットでもたくさん読むことができます。 今回はそのあたりは触れないです。 いまの平井の駅前は賑やか、個人店舗が多そう。のんびりやっている良い街に見えます。 ところで、平井地区には旧中川が蛇行して流れています。 この間何気なく地図で旧中川を眺めていたのですが、荒川に合流する前の最後のカーブがとても良かったので見てください。 ©OpenStreetMap contributors / CC BY-SA まずこのカーブがすごい。 もうちょっとで円じゃん。円になったらどうなるんだろう。永遠に流れ続けて永久機関にならないかな。 それはいいんだけど、ぐるっとした流路、そしてこの中は、川に囲まれた要塞だ。 奇しくもこのあたりの旧町名が中平井でした。「ナカ」の感じ
今日はこの写真から始めたい。 壁の下、横長の穴が見えます。 穴は奥までずっと続いています。 これ、何かお分かりになりますでしょうか。 簡単ですかね。 じゃあせーので答えましょ、せーの、 「古代の有害図書ポスト!」 「『地下鉄はどこから入れたのか漫才』の回答!」 「扁平虫(へんぺいむし)の巣!」 全然揃いませんでした。 正解は「水窪川の水路」です。 場所は文京区音羽。 ここは長いこと民家だったのですが、最近更地になりました。 そのとき、水路の石組みの上部のようなものが確認できるようになったのだそう。 かつて水窪川は、このように奥の壁に沿って流れていたと思われます。 今日はこの穴の見物に誘われて、のこのこやってきたわけです。 これを見つけた人です。 生まれも育ちも、それから今もこのあたりで暮らしている大塚さん。 「ソトノミスト」というペンネームで、その名のとおり、最後に外呑みをする散歩の読み物
散歩してるとかわいいなと思う建物があって、商業ビルでもアパートでもいいんだけども、例えばこういうのはかわいいなと思う。 かわいい。 こういうかわいさはもちろんすでに観察の対象になっていて、かわいいビルを集めている大山さんがまさに「かわいいビルはなぜかわいいのか」という文を書いていて、おなかいっぱいになれる。インスタではたとえば#かわいいビルのタグで楽しむことができる。 なので、今更かわいいビルについて僕みたいなもんが言うことはあまりないんだけど、ただまあ、かわいさとは主観なので、僕なりに。 そもそも僕は何をかわいいと思っているんだろう、と思ったのですが、特徴的なパーツがかわいい。 そのパーツとは角丸であることが多いので、角丸を使うとかわいい、という結論になりがちで、まあそれはそれであってる気がするけど、#かわいいビルを見るとわかるとおり、角丸じゃなくてもかわいいものはある。 例えばこんなの
あの塔を目指して おれは突如として新幹線に乗って大阪に行くことがある。札幌生まれ鎌倉育ち横浜在住のおれにとって、関西は遠い。そして、この素敵なビルがどこの駅だか、もう忘れてしまった。 おれは長いこと湘南モノレール沿線の人間であった。だから、モノレールという言葉に弱い。とはいえ、おれが認めるのは懸垂式モノレールだけだからな。とはいえ、なかなか味のある駅名が並んでいるように思える。そして、「山田」という駅があるということを初めて知る。 モノレールは来る。 万博記念公園駅を降りる。ほんの少し歩いて、それは見えた。 太陽の塔・イン・ザ・プレイス・トゥー・ビー。 まさしく、太陽の塔。本物。おれは川崎の山の方にある岡本太郎美術館にも行ったことはあるし、展覧会も見てきた。だが、太陽の塔を見ていない。生きていて見る機会があるかどうかわからないが、見ることができるなら見たいと思っていた。それが、眼前にある。
日本国内どの地方にも、その土地のみに伝わる「昔ばなし」的なものが存在しています。そうした昔ばなしというものは、今の視点で考えるとどこか倫理観がズレていたり、いささか不条理に感じられたりするものです。 今回訪れる南海電気鉄道南海本線「蛸地蔵」駅にも、ちょっぴりシュールな昔ばなしが伝えられています。なんとこの地には、タコがこの地の人間を救ったという伝説が残っているのだとか。 なんじゃそりゃ。 そんな不条理かつユーモラスな言い伝えが残る蛸地蔵とはいったいどんな場所なのか、散歩によってタコのようにユルく体感していきます。 後、そんな蛸地蔵にタコ焼きがあるのかも気になるところ。 蛸地蔵駅に到着。 普通電車のみ停車という規模の割にベンチの数がやたら多いのは、おそらく近くに有名校「大阪府立岸和田高等学校」があるため。 実際この日も同校の生徒と思われる乗客がたくさん乗り降りしていました。 ちなみに季節は1
聖蹟(せいせき)という言葉をご存知でしょうか。 聖蹟とは天皇陛下が行幸、すなわち度々訪れた場所の事で、全国各地にその名が付けられた名所があります。 僕が常日頃から最も住みやすい最強の街として紹介している多摩市にもあります。 いや、”ある”どころか、鉄道の駅名にまで聖蹟が付くのは多摩市の聖蹟桜ヶ丘駅以外には無いので、聖蹟界のトップエリートと言っても過言では無いのです。 地元では聖蹟桜ヶ丘駅の事は「せいせき」と呼んでますから。 もはや代名詞。 ちなみに明治天皇がうさぎ狩りに多摩丘陵、鮎釣りに多摩川にいらしていたとの事で、この聖蹟の名が付きました。 丘の上には旧多摩聖蹟記念館というとにかくカッコイイ建造物があります。 多摩市指定文化財であり、東京都の景観上重要な歴史的建造物というのにも指定されています。 まぁこれがとにかくカッコイイんですけど、今回行ったかどうかは敢えて伏せておきますね。 行った
2018年、秋。おれは9月末ころより体調を崩していた。10月、11月、やや快方に向かった。 秋は散歩を誘う。安アパートのドア向かいに生えている花の写真ばかり撮っているわけにはいかなくなった。 いかなくなった、というわけではないけれど。 さあ、旅立とう。どこへ? 大船へ! ……大船は旅立つ先ではないのである。おれは鎌倉にずっと住んでいた。ゆえに、大船は行き先ではない。帰るところである。京浜東北線でいえば、現住所の山手から「帰る」場所に大船はある。 大船。子供心には「鎌倉市」や「藤沢市」のように「大船市」があるのではないかと思っていた。大船は、少し大きな街であった。ただ、少し大きい街であると気づいたのはしばらく経ってからであった。 大船駅を西と東に分けよう。分けたら、東口の方が開発されている街、ということになろう。が、それは藤沢のような開け方ではない。大きなビルもない。大船仲通り商店街というス
トンネルの風景、という写真集がある。 写真集団「岬」というグループが3年にわたり横須賀のトンネルを淡々と撮影したもので、もともとは神奈川新聞横須賀版の連載であったそう。 横須賀にある100近くのトンネルの写真と、短い説明が収められています。 横須賀というのはトンネルの街で、私設のトンネルを合わせると数はどうやら日本一らしい。なぜこんなにも数が多いのかというと、三浦海岸のすぐ後ろに三浦丘陵がせり出していて、谷戸に点々と街があるからだと。 本をめくると、いろんなトンネルがあることに気づきます。明治時代の手掘りから、軍事要塞のために作られたもの(そういえば横須賀は海軍の街でした)。 技術革新により扁平な形で成立しているもの。装飾が凝っているもの。 ところで、僕はその本をざっと読んで満足してしまい、リビングに置いていたのですが、それを小1の息子が見つけたんですね。 気がつくと、名前とか、長さとかを
20年ぶりの再訪 知らないあいだにその駅は地下にあった。あるいは20年前からそうだったのかもしれない。電車は和光市に向かって走っていった。20年前も和光市に向かって走っていたのかどうか、やはりおれにはわからない。 日吉駅。おれにとってこの駅は用済みになった。あるいは、用済みにされたのはおれの方かもしれない。 地上に出てみれば妙な構造物。使徒か? いや、見覚えがある……ような、ないような。 改札から向かって右、へ。イチョウの並木、坂。 見覚えのない建物。 大学生、いるべきところ、いくべきところへ(夏休みは?) ペンにペン、慶應大学。そこの若いの、信じられないかもしれないが、おれはかつて慶大生であった。ペンに剣に桜つきの学校から、ペンにペンの学校に行ったのである。桜つきのペン剣からペンにペンの学校へ進むことは、珍しいことであった。今はどうか知らないが。 その桜つきの学校の卒業式の日だったか、お
陸の孤島へ、本牧へ 灼熱の太陽に溶かされて、物や事や人から意味が剥離して地面に落ちた。 アスファルトの上で一匹のミミズが死んだ、死んだミミズにアリたちが這い寄った、その上に意味が落ちた。 「本牧に牛はいるのだろうか」。 天の声がささやいた。 牧だからといって牛がいていいわけないだろう。だったら印西牧の原にも牛がいるってことになる。おれは印西牧の原がどこにあるのかもしらないが。 そして、若い怒りに狂ったおれは部屋を飛び出した。 飛び出して後悔した。暑いのである。 暑さは人間性を奪う。怒りを奪う。人を人たらしめているものを奪う。 失望が欠落している。 だからおれは本牧に行かねばならんのだ。 しかし、本牧とはどこにあるのだろうか? ラヂオの声がささやいた。 「おまえが思う本牧を行け」と。 生粋の横浜人間ではないおれが。しかし、山手駅と石川町駅のはざまに漂着して20年。あるていどの土地鑑はある。
今日は世田谷区、奥沢に来ておりますけども。 大田区の奇跡であるところの「自由が丘」の近くなんですけど、電車で接続してないんですよね、だからあまり自由が丘の隣のイメージが浸透していない。 Googleで「自由が丘から奥沢」を検索すると、徒歩11分と言われます。歩けってことです。東京駅周辺の駅が密集しているエリアだと、たまに乗り換え検索アプリに歩けって言われることあるんですけど、このあたりで歩けって言われるのなかなかないですよ。 あとは田園調布のお隣でもあり、この奥沢も田園都市株式会社によって開発された宅地です。ですので、まあ、そういうところです。 立地からしてもう約束されたようなエリアで、なんとなく想像つくんですけど、もしかすると田園調布と自由が丘の結界に弾かれた者達が集う無法地帯の可能性もあるので、一応降りてみます。 奥沢駅前 降りましたけどね。 平和が過ぎるな。疑ってすみませんでした。
皆さんが「神戸」と聞いて思い浮かべるのはおそらくこういう、ザ・中華街であったり、神戸港や旧居留地などの海風香る洒落た街並みなのだろう。 つまり三ノ宮の中心部、元町エリアや、海側港町、または山手の異国情緒あふれる洋館などが、ほとんどの人が「神戸」でイメージする場所であると思う。 先に言っておくと、この記事には、老祥記、ケーニヒスクローネカフェ、西村珈琲……一切出てこない。 メリケンパーク、ハーバーランド、異人館、ルミナス神戸クルージング……誰もが知っているおしゃれスポット記事なら、よそをあたってほしい。 だいたいきみ、『あそこ』の豚まんがいくら美味いといったって、それを食うために2時間待つのは、限られた時間を有効に使いたい旅行プランとしてどうなんだ?と、地元民の私は思うのだ。 確かにおいしいよ、例の豚まん。551じゃないほうの例の店のね。 でもさ、その行列に並ぶ2時間があれば、もっと神戸の面
横浜市営地下鉄ブルーラインの駅で、新横浜のちょっと北なんですけどね。知らないですよね。そうですよ。知らないと思います。でも、全く知らない土地の知識を無駄に仕入れるのもいいもんですよ? 明日バーで横に座った老翁が新羽出身で新羽話で盛り上がって100億円の相続をあなたに決める可能性はゼロではないです。宝くじと同じくらいの確率でこういうことあると思います。従いまして、宝くじを買うことと、新羽について知ることは同じです。 さて、新羽。もう一度地図を見直すと、新羽で鶴見川がグッと折れているのが分かります。 鶴見川は昔から溢れることで有名で、東隣の大倉山(当時は太尾)では昭和の頃まで水害の記録があります。 で、新羽は何かというと、川沿いの平野です。 低地には、昔は田んぼが広がっていましたが、今は端正な区画の住宅街になっています。 川が削った平野あるあるで、突然崖があります。この崖のあたりには鎌倉時代の
今日は世田谷線、宮の坂です。 「宮の坂」だって。宮あるんでしょうね? 宮は…… あるのか…… それとも、ないのか…… ダダダダダダダダダダ……(ドラムロール音) ………… …… … あります! 世田谷八幡宮のことです。タッタラ~! でけー。世田谷村の総鎮守っすから。由緒に源義家出てくるっすから。君のとこの鎮守の云われなんてどうせ不詳でしょ? ここは義家出てくるっすから。 んで、ここの脇にある坂が「宮の坂」と呼ばれていて、そのまま地名になっている。 あと、実は豪徳寺の最寄り駅だったりする。 招き猫発祥の地と言われている豪徳寺。まあ、招き猫発祥の地を主張しているのはほかに2箇所あるのですが……。 小田急に豪徳寺駅ってのがあるんだけど、世田谷線宮の坂駅からのほうが断然近い。まあ、そうはいっても、世田谷線ってそんなに乗らないから、みんな小田急の豪徳寺駅から行く。多分。 そんな感じの宮の坂駅、実は初
今日は豊島区、庚申塚駅に来ておりますけども。 都電荒川線の駅です。荒川線は言わずと知れた、都内で2つ残る路面電車の一つです。あと一つの東急世田谷線は専用軌道なので路面電車っぽくないのですが、荒川線は併用軌道(道路と併走)の区間があるので、完全なる路面電車です。 ただこのへんは専用軌道で踏切もあるので電車にしか見えないですけどね。 さて、庚申塚駅ですよ。ここはですねえ、その名の通り中山道の庚申塚がありましてな。 場所としては巣鴨と板橋宿の間。賑わってたそうですよ。ただねえ、ちょっと思うのは、江戸時代、中山道を旅するとしてね、賑わってる巣鴨・延命地蔵を後にして、板橋宿ってわりと歩いてすぐなんですよ。その間の庚申塚って、なんか、もう、おなかいっぱいだと思うんですけど、どうなんだろう。 延命地蔵か庚申さんかどっちかにしようかな、みたいな人は居たんじゃないかしら。両方行くのは旅の初心者~みたいな川柳
渋谷から見るとちょうど西。道玄坂を上って、円山町を抜ける方面。 だから「ラブホ街の駅でしょ?」みたいなこと言われるんですよね。たまに。 違うんですよ。今日はそこをはっきりさせたい。 ラブホ街は円山町。神泉駅は神泉町。 円山町は英語の観光ガイドに「Love Hotel Hill」と掲載されている、世界的に人気のあるいかがわしい丘を有しています。 一方で神泉駅は、渋谷から見てLove Hotel Hillを越えてすぐの谷底に位置します。住所はギリギリ神泉町、ここは静かで住みやすい住宅街なんです。 ほら。ラブもホテルもない。いやラブはある。ホテルはない。 でも円山町と隣接してるんでしょ、って? ご安心ください。円山町のホテル街は高台、神泉町は低地で断絶があり、ホテル街と神泉町を結ぶ道路や階段は高々数本しかない。 しかもそこには、大体こんな看板が立ってます。 これは神泉町が張った結界だと思います。
A4で作られた横断幕。 A4用紙に1文字ずつ印刷して、横もしくは縦(縦だと垂れ幕だけど)に並べたやつ、ありますでしょう? 街を歩いていれば、必ずといっていいほど目に入ってきます。 結論から申し上げますと、僕はこれが好きで、みんなにも好きになってもらいたいと思っています。 そこで今日は、A4横断幕の魅力について、広く浅く紹介させてください。 なぜ街にA4横断幕は多いのか2018年現在、街中はデジタルサイネージでもARでもなく、A4横断幕のカンブリア紀を迎えています。 この現象の理由として様々な要因が重なっていると考えられますが、お店の視点から解説を試みます。 週替わりの店舗スペース。これは、僕がA4横断幕のすべてを表していると考える象徴的な一枚です。 見てください。メイン看板、サイドを固めるディスプレイ、目立つ文字はすべてA4横断幕で構成されています。週替わりであれば、看板にお金をかけるわけ
今日は西巣鴨です。 西巣鴨は豊島区なんですけど、首都高より北は北区、ちょっと西へ行くと板橋区で、うろうろしているとどの区にいるのかよく分からなくなります。 三国時代の中国みたいな感じになってます。こうやって見ると板橋の旗色が悪いですね。板橋駅は三つ巴の紛争エリアですし、下板橋駅は既に豊島区の手に落ちています。 まあ、板橋の中枢は板橋区役所前で実質的な首都は大山だと思うので良いのですが…… 一方で、北区の王子はなかなか攻略できなさそう。さらに北には魔都・赤羽がありますし、北区は安泰ですね。コーエーのゲームなら北区選びますね。 何の話でしたっけ。今日は西巣鴨です。 ここは何があるかっつーと、 北は北区、滝野川八幡へ続く古い商店街など。 西は旧中山道、巣鴨の地蔵通りから様々な商店街がバトンタッチしながら板橋へ続く。 みたいな感じで、商店街のお化けゾーンでございます。なんですけど、賑やかなとこもあ
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