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「日本の国内向け産業は労働生産性が低い」とかいう話が語られるときって(例:アゴラ)、その労働生産性という言葉の定義が 付加価値生産量 = 労働生産性×労働時間 であることから、労働生産性ないしは労働時間を増やせば付加価値を増や すことができる、っつう前提が含意されてるよね。でも、本当にそうなんだろか? 日本の国内産業の現状を見るに、労働時間とか生産性とかとは無関係なところで付加価値生産量が最初から決まってしまっていて、それは諸々の事情でもう増やすことができなくて、あとはその固定額の付加価値を給料として労働者に配分するに当たって「労働時間に応じて配分する」てなルールが適用されてる、ってことのように思えるんだけど、どうぢゃろ。 なんで付加価値生産量が最初から決まってるかって言うと、国内市場がゼロサムで基本的に成長の余地が無く、それを皆から大きな不満が出ないように企業間で配分する静的なメカニズム
ジョンソン・エンド・ジョンソンって医療・薬品メーカーの会社ありますよね。バンドエイドとか作ってる。その社名に隠された謎について小一時間ほど妻と盛り上がったので、その話について。 もともと、欧米の会社って創業者二人の名前をとって「○○&○○」みたいな社名にするとこが多いよね、て話を妻としてたところ、じゃあジョンソン・エンド・ジョンソンってジョンソンさんとジョンソンさんが創業したの? っつうもっともな疑問が出てきました。そこで Wikipedia のエントリ を見たら、ジョンソン三兄弟が創業、と書いてある。ああ兄弟だったらジョンソンさんとジョンソンさんだからそうだよね、と一旦は納得したんですが、待てよ、三兄弟だったらジョンソン・エンド・ジョンソン・エンド・ジョンソンになるべきでは? なぜ二人だけ? そこでさらに Wikipedia 英語版 を見てみます。Robert Wood Johnson,
id:michikaifu さんの言ってることは全く正しいと思う。しかしその前に「日本語は何のために存在しているのか」という根源的な問いを考え直してみた方がいい。実際のところ、 日本語は、意思や情報を伝達するコミュニケーションのために存在しているわけではない。日本人が日本語に期待している役割はそれ以外の部分にある、と考えた方が日本語の現状を機能主義的立場からよく説明できる。 国家生き残り戦略としての日本語リストラ (id:michikaifu) そこでつらつら考えるに、ニッポンの「国語なんたら審議会」には刺客を送り込まれ、全国の国語の先生たちからはカミソリを送られてきそうなことなのだが、「国家百年の計」を考えると、ここでおもいっきり、日本語の言語体系を大幅リストラして簡素化することが、国家戦略として正しいんじゃないかと思えてきた。 たとえば duke が昔書いた 日本人の国語力 って話があ
結婚指輪をゼクシィネットで探してたら、種別が「プラチナ」「ゴールド」「その他」の三種類に分かれてた。当然「その他」が気になるので見てみたら、チタンとかあるんですなー。かっこええ。ていうか丈夫そう。Twitter でもつぶやいたけど、花婿が生身で大気圏突入して体が燃え尽きても指輪だけ残ってそうなイメージ。 しかし丈夫で、金・白金とセットと言ったら、やっぱイリジウムでしょー。元素番号77のこの希少金属には、次のような特性があります。 周期表上は金・白金・イリジウムの三つで白金族を構成する 全元素単体の中で最も重いとされ、金やウランよりも重い 酸にも王水にも溶けない 熱にも強く、2000度以上まで熱さないと融けない 硬度では鉄よりも硬く、弾性率も極めて高い 金や白金よりも希少で、世界中合わせて年間3トンしか生産されない こういう材質で指輪を作るのって、なんつうか男の子的ロマンがあるよな。 とか思
妻によると、クワイ河マーチのメロディに「猿、ゴリラ、チンパンジー」というふざけた歌詞をつけて歌うのが小学生なら誰でも知ってるとのことなんだが、本当なのか? Twitter: raurublock 私はこの替え歌を全く知らなかったんですが、妻が「常識だ」と言うので、そんな馬鹿なことはあるまいと Twitter で聞いてみたところ、「私も知ってる」で reply 画面が二画面近く埋まってしまい、しかもやたら Retweet される有様に。私の期待した「知らない」の回答は僅か4件に過ぎなかった… しかし折角多数の回答が集まったので、年代別・地域別に集計してみました。 鹿児島 佐賀 福岡 大阪 岐阜 名古屋 静岡 東京 埼玉 群馬 茨城 北海道 不明 1960 -1 -1 -1 3 1970 2 -1 1 1 3 1980 1 2 1 1 1 4 不明 3 1 1 1 2 11 表中「知らない」の
池田信夫氏の言う「戦略的行動」つう言葉の使い方がおかしい気がする。 [中級経済学事典] 長期的関係と戦略的行動 日本人は戦略的行動が苦手だとよくいわれるが、その原因はゲーム理論でよく知られるフォーク定理で説明できる。 (中略) 今の日本では、このようにゲームの規則が長期的関係から戦略的行動に切り替えられる根本的な変化が起こっているのだが、それに気づいている人は少ない。 たぶん池田信夫氏は「何が得かを自分で考えずに昔からの長期的関係に従って漫然と行動するような人」が嫌いで、それと反対の人たち、つまり「損得を自分で考えて行動する」ことを戦略的行動と呼んでるんだと思う。 しかし私は根がウォーゲーマーで、ウォーゲーマーてのは戦術級/作戦級/戦略級という3レベルで思考するのを当然と考える人間なので、 戦術的行動 == 短期的損得を最適化するような行動 戦略的行動 == 長期的損得を最適化するような行
今回の id:Chikirin エントリにはかなり異論があるなあ。 コンテンツとパッケージング (id:Chikirin) 要は、問題は「パッケージング」側にあるのだ、というお話。 まずパッケージングが重要だと言う点には同意。この辺は昔 duke が コンテンツ・パッケージングの台頭 つう話を書いてたことがあった。 次に、最近メディアの世界においては「パッケージング」で価値を出す(儲ける)というのはとても難しくなってきている てところには半分同意するのだけど、その理由について 個々人の趣味思考がものすごく多様化してきたために、お仕着せの一般的なパッケージングに満足する人がとても少なくなってきているから とするのは同意できない。私の考えはむしろ逆で、 コンテンツ・パッケージングの台頭 (Rauru Blog) コンテンツが再現無く増えてくるとユーザはその選択に迷うことになるので、パッケージン
こんな昔話を考えてみたんだがどうぢゃろう。 むかしむかし、あるところに、いろんな生き物が住んでいました。生き物たちは、乏しい食料を分け合って、慎ましく暮らしておりました。ところがあるとき、一匹がこういうことに気付きました。「○○と××を組み合わせれば、食料を作れるんじゃね?」 何と言う素晴らしいアイデアでしょう。しかし、うまい話には落とし穴があるものです。その方法で食料を作ると、副産物として恐ろしい猛毒がバラ撒かれてしまうのです。 なのですが、その思いついた一匹は、たまたま毒にそこそこの抵抗力がありました。毒で死ぬこともあるけど、食料製造によるメリットの方が大きかったのです。なのでその一匹は、迷わず食料製造に踏み切り、子孫を増やし、猛毒を撒き散らし始めました。 大変なのは他の生き物たちです。毒に耐性のない生き物たちは、たちまち大量絶滅していきます。生き物たちにとって悪夢のような時代が続きま
バカにするもなにも、実際そうじゃんか。「感情にアピールする形でプロパガンダを撒く」のが一番日本人にアピールするってのは動かしがたい事実で、規制派は全く正しく事実を把握してるじゃん。敵ながら天晴。それを「バカにされている」と捉える方こそ寝言としか思えん。「日本人の弱点を見事に突かれたのでムカつく」てのが実際のところぢゃろ。 エロゲー規制派・児童ポルノ規制派の考え方の恐ろしさ 俺が一番ムカつくのは、規制派が理性を信じていない、つまりは日本国民をバカだと思っているところだ。自分の主張を、客観的な証拠と論理を用いて広げるのではなく、感情にアピールする形でプロパガンダを撒けば世論の支持が得られると思っているところだ。我々を、論理的にモノの考えられないアホと考えているからこそ取り得る手法だ。要するに、バカにされているわけだ。 日本人が論理的にモノを考えられるのは、論理的に考えることで自分の感情と合致し
いわゆる梅田望夫論争だけど、下の図で言うところの A と B が戦ってる印象を受けるんだが、ここで C の立場の人が出てきたりすると面白いように思うんだがどうぢゃろう。つまりこー、「日本のネットは残念な状態だし何とかしなきゃいけないんだが、それを梅田望夫が言うと逆にそれも嘘だと思われてしまう(オープンソースの話とかあるし)。とりあえず梅田望夫には引っ込んでもらって、改めて話をしよう」とかそういう。
やー、梅田望夫が目指したのは、「最初から優秀な人が集まって Web 2.0 によって愚衆を導く」ではなく、「みんなが Web 2.0 を通じて優秀な人に成長する」の方だと私は思うんですよ。たぶんあの人は「集合知によってどう世の中を良くするか」みたいなことにはあんま興味が無い。 Web 2.0 を「自分が成長するツール」として捉えてたフシがある。ハイブロウってのもそういう風に「自分で自分を成長させられる人」って意味と見るのが正しいと思うな。でも日本人は自分を成長させるより他人の足を引っ張ることの方に熱心になった。それで残念がってるんだと思う。 もちおさんと集合知の奇妙な冒険 (id:sivad) もちおさんがもし本当にWeb2.0において集合知を実現させたいのであれば、これらの条件を整備する仕事をすべきでした。でも彼の発言を見るに、実際は集合知なんて嫌いなんでしょう。 んで、後知恵で考えるに
押下と筐体は知らないけど、輻輳は電電用語じゃないですよー。「一点に集まること」っつう意味で、古くは史記にも登場する歴とした漢語です(叔孫通が胡亥に答えて言う台詞とか)。電電公社が多用したせいで通信分野で広く知られるようになったけど、例えば医学分野でも両目の眼球が寄り目になることを輻輳(戦後は輻湊とも表記)と呼んでるし、そっからの発展で輻輳角なんて言葉も立体画像研究では使われてる。 押下、筐体、輻輳って、昭和のIBMとNTTの技術用語だよ (id:finalvent) 押下、筐体、輻輳って、昭和のIBMとNTTの技術用語だよ。というか、自動車産業とかさらに戦前も使っていた。今では使う必要はないよ。 まあ昭和どころでない古い言葉なので「そんな2000年以上昔の言葉なんぞ読めんでもええわ」てことならまあそうかもしれないけど、十三代続いた土佐藩お抱え漢学者の家系の末席に連なる私としては「技術用語じ
前に duke から聞いたんですが、日本人ビジネスマンとアメリカ人ビジネスマンにおける仕事と目標についての考え方の違い、って話があるんだそうな。アメリカ人はいつまでに目的地に到達するかを決めて、そのための計画を立てる。日本人は「どこまで行けるかわからないけど、とりあえず歩いてみよう」と考えて歩き始める。まあ日米全ての人に当てはまるというわけでも無いとは思いますが、感覚的には結構納得できます。 広義のビジネスには自然科学とかの研究も含まれるわけですが、そこでも似たような話があります。日本人研究者はとりあえず実験してみて結果が出てからどう論文書くか考える。アメリカ人研究者はまず綿密な研究計画書を立てて(それが無いと研究費を取ってこれない)、後は実験の結果が出さえすれば自動的に論文になるぐらいのとこまで計画して、そっから実験に入る。 なぜこういう差が出るのかについての duke 的解説はこんな感
私のブックマークについて時刻が表示されることについて私自身は別にどうでもいい。今のままの表示される仕様でも構わんです。もともと私は プライバシーは幻想だ 主義だかんね。 ただ今回のはてなアイデアの経緯について第三者的に眺めた場合、手続き論的に疑問が残る。仕様変更はスタッフの判断で予告無く行われたよね。つまりユーザから見ると「とりあえず仕様変更した」と見えるわけだ。それに対して再変更してくれと言う話が出た際に「とりあえずの実装だと手戻りが出るから議論して仕様を確定させて欲しい」とスタッフが言うのは、それはユーザから見て「ちょっと待て」と思われるのも仕方ないと思う。だったら最初の仕様変更の際にもユーザの議論で仕様を確定させるべきだったんじゃない? 特に、最初の仕様変更によって不利益を蒙った(と考えている)人にとっては、結構頭に来る話だったんじゃないかと思う。私は別に頭に来てないけど、第三者の目
もっともな話だとは思う。だけど、日本における法律ってやつは、社会の現実を変えるためのものと言うより、幻想としての建前を守るためのものっつう側面が強い。実態として形骸化している法律(例:憲法第九条)の改正が強い抵抗を受けるとか。夫婦別姓がなかなか立法として実現しないのも同じ理由。「実態が悲しいことになっているからこそ、せめて建前だけでも守らないと」てな感じで却って頑なになる人が日本には多い。 青少年とか健全って何? (id:mkusunok) 例えば僕が20歳のころ干支で一回り年上のお姉さまと付き合っていたのとか、17歳で初体験とか、15歳で初○○○とか、眉を顰める向きもあるんだろうけれど余計なお世話だし、生殖能力があって色気づいているお年頃で何もしない方がずーっと不健全という気がする。娘を持っていたらまた違う意見を持ったかも知れないが、自分の息子どもが10代半ばでデートの相手ひとりいなかっ
こういう境地、冷ややかだが愛情のある、怒るでもなく言うような心持ち。困ったときにもそういうものを持っていたい。 よしもとばなな公式サイト|日記|2009.03.24 仕事をしていたらチビが階下で大泣きしながら「死んじゃう〜、チビちゃん死んじゃうよ〜、ママ降りてきて〜!これ以上このままだと死ぬ〜!」とほんとうにつらいときの声を絞り出してのたうちまわっている。 なにか刺さったのか、腹でも痛いのかと思ってあわてて降りていったら、 「おなかがへった、これ以上細くなったら死んじゃう」だそうだ。 晩ご飯の時間に自分が工作に熱中していてなにも食べなかったのが原因である。 ものすごく距離をおいた気持ちで静かに餅を焼いて食べさせたら喜んでいた。 私の日記の中でもいちばん反響が大きいパートであるが、もう一度ヒントを書く。 もしも、この餅を焼いているときくらいの冷ややかな気持ち(もちろん根底には愛情がある)を持
根本的な疑問なんだが、「サービスの良い社会」は果たして「幸福な社会」なのかね? サービスを受ける側には都合の良い社会だろうが、サービスを提供する側にとってはどうだろう。 日本が高水準のサービスを維持するためのコストって、モンスター消費者に対応して胃潰瘍や欝になって使い捨てられる接客担当がしわ寄せとして一手にかぶってる、とかそういうことってないのかね。 チップがない日本の方がサービスが良いっつーのはどういう事だ!? 498 :おさかなくわえた名無しさん :sage :2007/04/16(月) 21:47:56 ID: gOYqLsvX そういや、「チップがない日本の方がサービスが良いっつーのはどういう事だ!?」 とプンスカ(自国に)してたアメ人がいた。 頑張った人にはチップ→お金欲しくて頑張る→サービス良い、 皆一 律チップなし→やる気なくなる→サービス適当、となる筈なのに・・・、とブツブ
3月28日の披露宴で使った BGM のセットリストです。 迎賓 「くるみ割り人形」 Op71 小序曲 (チャイコフスキー) 「くるみ割り人形」 Op71 行進曲 (チャイコフスキー) 「コジ・ファン・トゥッテ」 K588 序曲 (モーツァルト) 「フィガロの結婚」 K492 序曲 (モーツァルト) 新郎新婦入場 パガニーニの主題による狂詩曲 Op43 第18変奏 (ラフマニノフ) ベルガマスク組曲 第1曲 前奏曲 (ドビュッシー) ウェルカムスピーチ ピアノ協奏曲第21番ハ長調 K467 第二楽章 (モーツァルト) シャンパンオープン 「こうもり」 序曲 (シュトラウス2世) 乾杯 「椿姫」より 乾杯の歌 (ヴェルディ) ケーキ入場 ブランデンブルク協奏曲 第5番 BMV1050 (J.S.バッハ) ケーキ入刀 + ファーストバイト バラード第3番 Op47 (ショパン) 華麗なる大円舞曲
そもそも原理主義とは、「そもそも○○とは…」という態度を取ることを言うのだ。そもそもの原点から外れたものを排斥する思想のこと。 なんかさー正論原理主義とかいう語が一瞬buzzってたみたいだけど、単なる教条主義のことを「原理主義」と言うのはやめよーよ。原理主義ってのは、 Fundamentalism のことだけど、これは宗教上の原典に立ち返って、原典を字句通りに受け取り、「時代に沿った解釈」を否定し、とにかく何が何でも原典に書いてあることが絶対正しい、絶対その通りやらなきゃいけない、っていう思想のことを指す語です。今じゃイスラム教原理主義が有名だけど、もともとはキリスト教原理主義が問題視されて世に知られるようになった語。カトリックなんかは「聖書に書いてあるのはあくまでエッセンスで、それをバチカン教皇庁が解釈して情報を補足して信者に教え聞かせる」的な立場で、例えば「免罪符(贖宥状)を買うと贖罪
もっともな話ではあるけど、ほんの数十年前まで育児で何をすべきかと言う科学的な根拠はほとんど知られておらず、この記事で参照されている姑のような人が大多数だった、てとこも考えてみんか。 マンナンライフ事件は事故なんかじゃない (id:tragedy) そもそも、「赤ん坊に何を与えるのか」というのは、親はじめ保護者が徹底的にケアしなければならない問題である。赤ん坊は自分で食事を選べない。ゆえに、的確なものを与えずに食べれないものを与えるというのは幼児虐待であるし、その挙句死亡してしまったのだからこれは虐待致死だ。 科学の進歩によって乳児死亡率は下がったけど、その分親がしなければならないことは指数関数的に増えているわけで、それについていけない親を「ネグレクト」と言って非難するのは、まあ仕方ないことなのかもしれないけど、しかし実際に能力としてついていけない親が出るのは現実としてどうしようもないんでな
なるほぞー。CRパチンコ機のリーチ演出って、この「僅差感」を与えるための演出なんだな。 惜しい負け 脳は「勝った」と誤解して 「次は次は」と ドツボにはまる 実験の被験者は「完全に負ける」よりも「僅差の負け」の方が不快感を強める一方で、「僅差の負け」の方がギャンブルそのものを続けたいという欲求が高まっていた。ただしこの結果はギャンブルを実施する際に、その人が「状況をコントロールできる場合」に限られていた。 今回の研究結果を受けてClark博士は「ギャンブルをする人は、『僅差の負け』を特殊イベントとして認識する場合が多い。もっともっとギャンブルを続けるよう、うながすためのイベントだと思うわけだ。実際、今回の研究では『僅差の負け』で、人は『本当は負けている』にも関わらず、脳内では『勝っているかのように反応する』ことが分かった。心理的解釈だけでなく、神経生物学的な解釈を関連付けることで、一般社会
異性に対して積極的でない男性が本当にこの三つのリスクを普段から意識しているのかという点については、かなり大きな疑問を感じる。本当の理由は他にあるのに、後付けの合理化として(普段は意識してない)リスクをわざわざ探してきた、と私には見える。例えリスクヘッジの方法が他にできたとしても、本当の理由の方が除去されない限り、彼らの行動は変わらない、と見るが、どうか。 異性に対して積極的でない男性について 男女交際の社会的リスクはまず3点。民事訴訟の対象となるリスク、刑事訴訟の対象となるリスク、社会的信用を失墜させるリスク。これらのリスクが後期近代において可視化されたことにより、「積極的に異性に働きかけない」という形でのリスクヘッジも可能となった。 とは言っても「後付けの合理化のように感じる」のも私の直感に過ぎないので、はっきりしたことを言うには、例えば計量心理学とかそこそこもっともらしい形での検証が必
「プルタブを集めているヒマがあったらアルミ缶そのものを集めましょう」「寄付したかったら、自分のお金を出しましょう」と言うのは正しいけど、そういうことを言う本人がアルミ缶そのものを集めたり自分のお金を寄付したりしてるのかって重要なポイントだと思うなあ。もししてないのだったら、プルタブだけでも集める方が、ゼロよりは社会に貢献するよね。 プルタブは集めるな 「プルタブで車椅子」などということを今どきやっていたのでは、脳内お花畑と言われても仕方ないです。この記事の寄付した人たちも、まともな労働者ならちゃんとお金を寄付すればよいのですけれどね。 その上に美談にして記事にする馬鹿記者までいるというのですから、何とも言いようがありません。 プルタブを集めているヒマがあったら、アルミ缶そのものを集めましょう。それをどこかに持っていくのではなく、お金に変えましょう。寄付したかったら、自分のお金を出しましょう
ココロ社にブックマークをつけたら負けなので必死にブクマしないよう頑張っているのですが、それはそれとして、愛されるプロフィールの書き方 を参考にして profile を書き換えてみました。 ところで、はてな/mixi/kotonohaその他で私が使っているこのアイコン画像がいったいなにものなのか、というのも、良い機会なので紹介しませう。これは Torg と言うアメリカ製ゲームのコミック版に登場する登場人物、実は私と同姓同名なんですが、その人の顔をコミックから取ってきたものです。アメコミです。 Torg は世界中を舞台にする RPG だったんですが、日本もその舞台の一つとして登場しておりました。ところがこのゲーム中に日本人として登場するキャラクタは、どれもこれも名前がおかしい。日本人として微妙におかしい。そこで私が、NTTから英語版電話帳を取り寄せて、この中から人名をとってきて使うと良いよ、と
実際のところ日本人のプライドは「自分がどの集団に属しているか」に最も大きく左右されるので、「他者の支配を受けないこと」にプライドを見出す日本人はかなり限定されるのではないかなあ。 日本の男たちよ、男らしい独立心と矜持を再び持とうではないか だが、プライドを捨ててまで一つの会社にしがみつくことが自分にとって本当にメリットがあるのか、一度でも真剣に検討したことがあるのか、疑問に感じる。そもそも、物乞いのように職を乞う姿に、人間としての威厳があるのか。大企業の中核的な社員の多くは男性だが、男としての独立心や矜持はいったいどこに行ったのか。 19世紀の労働者だって、実際には地縁血縁共同体に属していて、帰属欲求がそこで満たされていたわけで。日本人のサラリーマン化にも、第二次大戦後に地縁血縁共同体の崩壊が進んで、代わりの帰属先としてカイシャが選ばれた(会社のムラ集団化)、って背景があるわけだし。 id
派遣に知恵遅れが結構存在すること とか 障害者の雇用の義務ってやつがあってさ とかを読んでてふと思い出した話。熊本の阿蘇山麓に江戸時代に建てられた水道橋で 通潤橋 てのがあるでそ。当時の石工技術の粋を集めて作られた逆サイホン構造で有名なんだけど、実はその建設工事では近隣の村々の知的障害者が重要な役割を果たしたって話を何かで読んだ記憶がある。 あやふやな記憶に従って書くけど、当時の日本にはゴムパッキンみたいな防水シーリング材料が無かったので、漆喰と藁をまぜて石の接合面に詰めるという方法で橋の逆サイホン管を防水した。ところがこの漆喰を詰める作業というのが気が狂うほど単調な作業で、どんな石工でも根気が続かず途中で根をあげてしまっていた。橋の建設を主導した庄屋の布田保之助は一時諦めかけたんだけど、ある種の知的障害者の人たちはそういう単純作業でも飽きずに繰り返せるということに気づいた。そこで、それま
今日 Tumblr でこういうコピペ文章を見かけたのだけど、道徳って何のために学ぶんぢゃろね。 学校で教わった綺麗事が社会では全く通用しません。 僕は何のために道徳を学んだのでしょうか? これからの道徳の時間にはカイジとウシジマくんを子供たちに読み聞かせてあげてください。 日本人の大半はたぶん「ムラ社会の掟を学んで自分をそれに適応させるため」のものが道徳だと思ってるよね。一方1492年にジェノバ人船乗りが再発見した大陸の一部に住んでる連中はどうも「あるべき理想(自由とか民主主義とか)を学んで世界をそれに押し付けるため」と考えてるんじゃないかっつうフシがある。 まあアメリカ人のおせっかいにも困ったものなんですけど、でも日本流のやり方もどうなんぢゃろう。日本では道徳は「建前としての綺麗事」だけをマントラのように暗誦させ、それとは別に一筋縄ではいかない現実を体験により自力で学ばせる。その二つには
うううむ。ゲーム理論の論理展開としては間違ってないけど、前提がなんとも非現実的。1年後に100%の確率で解雇することが前提になってる。1年後に絶対解雇するという構えで正社員の求人を出す経営者なんて、そりゃいるわけないぢゃろ。もし1年後の解雇確率が100%より下がれば、経営者の損益分岐点も当然変わってくるよね。 解雇規制のゲーム理論 (池田信夫 blog) 図の左端は経営者Aの選択肢で、正社員を雇うかアルバイトを雇うかを判断する。1年間雇えば、正社員は300万円の賃金を得て企業は100万円の利益を得るが、アルバイトは200万円の賃金で50万円の利益しか生まないとしよう。次に1年後、景気が悪くなって企業が正社員に解雇を申し渡したとする。正社員 Bがそれを受け入れれば、利得は右上のように(A、B)それぞれ(100万円、300万円)で確定する。 あと、1年後に100%解雇って前提でスタートしてるか
ゼクシィネット に入会してみました。 いや、舐めてかかってたんだけど、いろいろ見るべきところのあるサービスだなこれ。ゼクシィネットに対する驚きや感想は、思いつくたびに Twitter でつぶやき続けてるんですが、とりあえずのところをまとめると、 パスワードリマインダに登録する情報として「婚約者の好きな食べ物」「二人の思い出の場所」などを選べる 「挙式まであと○○日、準備消化率0%」とか出る。宇宙戦艦ヤマトの「地球滅亡まであと○○日」を思い出させる。ダンドリリストに済んだ項目をチェックすると、消化率が上がる。 新郎へのアドバイスも充実。例: 彼女が何着試着してもイライラは禁物。とにかく褒めるべし。「ほんとうにかわいいね。ハニー」くらい言っておこう。くれぐれも「まだ着るの?」は言わないように 式場選びサービスが結構便利。各式場の紹介ページにクリップボタンがあって、これを押すと自分専用のページに
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