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大そうじへの備え
quix-que.hatenadiary.org
というわけで、もう一つの清朝辮髪ドラマ、宮廷女官若曦です。 日本語だと「きゅうていにょかん じゃくぎ」って読ませてるわけですが、若曦はピンインだとruoxiみたいな発音になるので、ルオシーとかルーシーとかに聞こえるんですよ。 アジア・リパブリックによればこの邦題は「宮廷女官チャングムの誓い」に影響されたそうなのですが、だったら、「若曦」に「じゃくぎ」とルビをふらずにルオシーにすればよかったんじゃないのかなあ。 原題は「歩歩驚心」です。ハラハラドキドキ、みたいな意味の造語?あと、中国のサイトだと歩歩惊心とかになってるところもあるんですがなんかよくわかんない。 でまあ、ストーリーですが、タイムスリップものです。現代女性が彼氏とケンカして事故にあって目がさめたら清朝康熙帝の時代で、第八皇子の側室である姉のところに身を寄せて宮女選びの日を待っている状態。で、一応は元の時代に戻ろうとあれこれやるのだ
えーと、これどこかにかいたような気がするんですけど。 何年か前に「おふくろさん騒動」っていうのがあったんですけど。森進一の代表曲である「おふくろさん」の冒頭部分に、森進一が勝手なバースを付け加えて歌っていて、それが原曲の作詞者である川内康範の逆鱗に触れ、「二度と歌うことは許さん」となった、ってやつ。 あれは、著作権法的に同一性保持権とかいろいろそういうことがメインだったわけですが、それとは別に、私が感じたことは、 「森進一ってこの歌のことなーんもわかんないで歌ってたの?」 でした。もともとの「おふくろさん」の歌詞って、自分の生き方の芯の部分というか志の中にはいつでも母の言葉が生きている、という、力強い歌なわけですよ。そこに付け加えられたのが 「いつも心配かけてばかり いけない息子の僕でした 今ではできないことだけど 叱ってほしいよもう一度」 なわけです。これ、ガッカリというかダイナシという
どこぞのブログで、「ネットに強くない人は段落の頭を字下げする」みたいなハナシがあったので、思い出しついでに書いておきます。 : パソコン通信時代、といっても私はほぼniftyしか知りませんが、でもってniftyでも一部のフォーラムしか知りませんが、そこでは、文章は矩形に書くのが普通でした。 具体的には、一行を全角35文字程度で改行していました。このやり方は、比較的長文が多くpostされるフォーラムでは一般的なものだったと思います。 これは、「一行が長すぎると端末によっては横スクロールしないと表示されない(場合によっては横スクロールができないために途中までしか表示されない)」のを避ける、という意味と、もうひとつは、紙媒体の文章が一般的に矩形になっていることで、その形式を読みなれている、という意味があったのだろう、と思います。 一方、同じniftyでも、今2chなどで行われているのと同じような
twitterではお知らせしましたが、子猫は姉の家を経由して、里親さんのところへ貰われていきました。 で、寂しさも薄れた今週の月曜日(そういえばベトベトを助けたのも月曜日だった)、朝のゴミだしに行った弟が、戻ってくるなり「腰の抜けた子猫がいる」というので、様子をみにいくと、玄関でちょっと毛の長い、白黒鉢われの子猫がぐったりしている。息はあるし冷たくはないんだけど全然動かない。急遽保護して、私は仕事なので弟に獣医さんに連れて行ってもらったのですが。 午前中に弟から入ったメールでは、とりあえず点滴をして様子を見てもらっている、とのことだったのだけど、午後のメールでは、「よくなる見込みがないから、安楽死させる」ということでした。 原因はわからない。非常に重い腎不全だったということで、何かしらの毒物を食べたのではないだろうか、と推測できるとのこと。 ベトベトを助けたときに、庭で別の子猫がやっぱり外
自分がペド被害者(挿入という意味では未遂)であるってことは、以前からうすーく仄めかして書いたことはあるんだけど。ちょっとまとまった形でそれを書いておくべきなのかな、と思った。誰からも頼まれてないけど。 うちは昔自営業やってて、住込みで働いていた人がいたわけなんだけど、そのうちの一人が、仕事で使う暗室に私を連れ込んで、ディープキスとか口淫とか手コキとかをさせたわけですよ。そのとき私はまだ幼稚園の年中(というか二年保育だったので下の組)だったのだけど。前に書いたけどそのころ我が家は、母は入院してる父の付き添いで弟といっしょに信州に行ってることが多くてほとんどいなくて、母のイトコの奥さんとか住込みの人のお母さんとかが私と姉の面倒を見ていたわけなんだけど、そういう中で、そういうことが起きていたわけです。当然、むこうはこう言ったわけですよ。 「誰にも言っちゃだめだからね、お母さんにも、誰にもだよ」
湘南乃風の「純恋歌」、歌詞の最初のほうの部分に 「おいしいパスタ作ったお前」 ってあるわけですが、このおいしいパスタは何であるか、について考えてみようと思います。 まず、パスタの種類ですが、多分ロングパスタですよね。というか、スパゲッティでしょう、まず間違いなく。間違ってもタリオリーニとかタリアテッレとかパッパルデッレとかギタッラとかリングイネとかブカトーニとかじゃないと思いますし、ましてやコンキリエとかファルファッレとかフジッリとかリガトーニとか、当然ですがカネロニやラザニアでもないでしょう。あ、すみません、これは自分がパスタの種類沢山知ってるっていうのを書いてみたかっただけ。 で、さて、ソースのほうですが。 これも、多分ペスカトーレとかプッタネスカとかじゃないでしょうね(関係ありませんが、プッタネスカ、材料そろってるんで明日作ろうと思ってます)。 思いっきり偏見で言うと、DQN(歌詞の
フェルミ推定力養成ドリル、という本を買ったんですよ。でもあんまり読んでない。なんでなんだろう、と考えて、ひとつ思いあたったのが、「問題と答えが離れていること」。問題を解いて、さて答え合わせしてみよう、と思ったときに、その答えがすぐに出てこないのはすごくイライラする。一応この本は、巻末に回答篇がまとまっている、というわけではなくて、章ごとに前半が問題で後半が答えと解説、という風になってはいるのだけど、それでもなかなかイライラするのです。 で、思い出したのだけど、子供のころよく読んだ多湖輝の『頭の体操』。あの本がとても好きだったのですが、あれって、問題があってページめくるとそこに答えがあったんですよね。なのでどんどん読み進めていけた。 と書くと、「問題を見てすぐに答えを見ていたら、自分で考えて問題を解かなくなる」とかいう反論がありそうだけど。 個人的な経験から言えば、それは違うんじゃないかな、
というわけで最近みてるドラマですが、 まず「有翡」、王一博と赵丽颖の武侠ドラマです。うん、なんかさすがに赵丽颖もすこし年齢を重ねたんだなあと(特に相手が王一博だし)思わないことはないんですが、これ結構作りがちゃんと武侠なのがよいですね(宗峰岩さんもいるし)。というか、これも原作がPriest先生なわけですが、いったいどれだけ引き出しがあるんだこの人。 これ、ちゃんと調べてないですけど、時代的には南北朝ですよね多分。王一博の役どころが前朝の皇帝ってやつなんですが、姓が蕭(字あってる?)ということは南朝の梁なのかなと(調べろよ)。 次、「且听凤鸣」、邦題が「鳳舞伝」っていうやつなんですが、これ、陳情令の薛洋役の王皓轩が出てるドラマ。世界観的にはファンタジーものなんですが、これはまあ私的には普通に許容範囲。でもう、なにしろ王皓轩が可愛すぎてそればっかり見ています。 それから、「锦绣南歌」、これは
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