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今年の「#文学」
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みなさんお元気ですかぁ〜。古いですね。私がまだ青い果実の時代に井上陽水が日産セフィーロのCMでウィンドウを開けながら我々一般人に挨拶をしていました。いつ頃のCMなのか調べてみると1988年、30年以上前のようです。恐ろしいですね。計算すると私が14歳の頃。友人にブルーハーツを聴かされて衝撃を受け「俺はこんなままで…良いのか…!」と自問自答していた頃です。中2ですね。 考えてみると私の中身などは未だに中2です。ご愁傷様です。こんなオッサンになっても「今に見てろよこのクソ野郎」的な事を腹の中に秘めながら仕事をしているわけですから、中身なんてそうそう変わるものではありませんね。顔は笑いながら怒る竹中直人を見ると「私のようだな」といつも思いますわね。相変わらず滑稽なオッサンだ。 そんなこんなで毎日を仕事で消費し疲れて家に帰るとそこに猫がいる。自身の手をクロスさせた可愛い脚を枕にしてそこに顎を置き、
私サラリーマンというのをあまりした事ないんですよね。20代はイベント系のパネル設営のバイト、後半は家具屋さんでバイト、30歳でサラリーマンになるも2年弱くらいで倒産、次にその倒産した社員で新しく立ち上げた会社の社長が一年弱で「社長やめたい。」とか言い出して社員全員で「はぁあ???」みたいな感じで「んじゃ誰やんのよ」と話し合った結果全員が私を見て「わべ一択ね」といきなり社長やらされてですね。と言ってもオーナーがいたから雇われ社長というやつです。まぁこれが地獄でですね。これもサラリーマンみたいなもんですが借金やら未払い保険料を私に被せて来ようとする輩オーナーと喧嘩して独立、今に至るという感じですね。サラリーマンを体験したのは3〜4年というところでしょうか。なので何事もなく与えられた仕事をこなせば来月定額の給料が入る、みたいなのは今までほとんどなかったわけですね。バイト時代は頑張って管理まで上り
www.youtube.com www.youtube.com www.youtube.com 新聞や本なんてものを手に取らないバカを絵に描いたような私の10代の頃の「情報」はテレビしか無くて、それも好んで見ていたテレビは、夜中に放送している大人達が好きな事を好きに喋る番組をよく見ていた。いつしか私の中の「大人」のイメージや色はこれらの色で彩られ、そして私もこれらに近づくものだと勝手に思っていた。 あの頃から数十年経った今YouTubeなる便利なものが当たり前となり、そこで私の好きなものを検索する。最近流行っているもの、皆が喜んで見ているものにはやはり興味が薄く、その私の「神経の波」みたいなものに沿う、というかその波長にピタリと合わずともそれに近いものでないとストレスになるらしい。となると上記のような動画をどうしても選んで、好んで見ているということになる。 別に今を否定しているわけでも昔を
私が東京でゴソゴソと活動するようになって何年くらいになるだろうか。考えてみると新宿のボロいマンスリーマンションで約1年、秋葉原で1年と、併せて2年経つか経たないかくらいではないだろうか。東京をウロウロするようになった当初は建物の高さと人の多さに戸惑い、会社の規模や活動的な層が大阪とは3ステージほど違うな、と思ったものである。毎日新しい人と名刺を交わし、私が何者であるかを表情豊かに、手振り身振りで説明をし、私がそばに居る事であなたの力がより強力なものになる、あなたの会社でより利益を出すことが出来ると、誰も触らないごく僅かな隙間に私のアイデアを流し込む。おかげさまでここ東京でも私の名前が少しだけ浸透するようになってきた。情報が集中する東京で名前が上がると地方からの依頼が増える。東北や中部地方からも声を掛けてもらえて有難い限りである。自分でも思う私の長所は「調子に乗らないこと」だ。初心を忘れずと
mari12.hatenablog.com さて、私のような薄気味悪いブログにもバトンなるものを渡してくださる優しい方がいらっしゃるので答えておきたいと思う。私の情報など知りたい人がいるのかと甚だ疑問ではあるが、世の中というものは見てはいけないと言われるもの、仄暗い洞穴の奥を覗きたいという好奇心や、自らは別に見る必要のない残虐なホラー、そして、こら!あの子と遊んじゃダメって言ってるでしょ!とお母さんに怒られても薄気味悪くて不気味で根暗なアイツが少しだけ気になる、といった事が1/8192くらいの確率ではあると思うので書いてみたい。私のことが嫌いな奴は遠慮なく引き返してくれ。何やらシートのようなものがあるようだが私にその手の画像処理能力はない。悪しからずご了承頂きたい。 ★ アイコン マリさんの親友 id:elve 氏が描いてくれたものである。私はブログの題名や名前に執着が無いため飽きたら名前
30歳で就職した会社では営業資料を渡されて「んじゃ行ってこい」というような会社であった。誰も、何も教えてくれない。「お前営業やろ?グダグダ言うてんととりあえず売ってこんかいな。売れへんのはお前の営業能力が低いんや。」という無言の圧力がこれでもかと事務所中に封入されていた。私のような頭の悪い人間は何も疑わずに「売れないのは私が悪いのだ」と必死で売り歩いた。朝は朝礼で社訓を叫び、3分間スピーチを強要され、何も分かっていない私に社内プレゼンをさせては失笑されるという毎日であった。 これが普通なんだ 数年もすると「何かがおかしいな」と私のような頭の悪い人間でも分かる。そこから切り替えた(開き直った)のだ。何を言われようとも、売れ上げが無くとも、製品の知識を付けるのが先だ。私はここで給料を貰いながら勉強をするんだと。それが嫌ならクビにしろよと。出来るのか?出来ねえだろ。出来るわけないよな。他の営業も
私はお腹が弱い。弱いと言っても普段は便秘症で、酷い時はピンクの小粒を荒ぶって飲む程度には緩い感じではないと自分では思っている。私のお腹が緩くなるのは決まって「辛いものを食べた翌日」と限定される。その当日になると、いつもにこやかな私の表情は一変し、終始ピリピリとした緊張感・少し影のある哀愁漂う中年の表情と化す。 朝から腹の調子が悪い。昨日食べた激辛ガパオライスが原因である。私は辛いものがあまり好きではない。では何故食べるのか。私が聞きたい。自分に問いたいのだ。何故食べるんだと。お前は辛いものが好きではない、そして次の日お腹痛くなるのが分かっているんだろう。あの辛味に美味しさなど感じていないだろう。何故食べるんだと。心に問いただしたが答えは分からない。あれば食う。ただそれだけである。 そんなこんなを考えているうちに、色んな業務をこなしながら腹の痛みが少し変わった気がした。危険な痛みである。危険
常々思っていることがありましてですね、ウチの奥さんも含めなんですが、女性とのLINEのやり取りをしていると不思議でしょうがない事が一つあるんですよね。一般的にはですね、いや、一般的と言いましてもあくまで私の感覚と言いましょうか、相手からピコンとLINEが来ましたらですね、まぁ私はLINEの通知を切ってるからすぐ気付かないんですけども、会議やら打ち合わせをしてない限り10〜20分に一度はLINEを開いて確認するんですね。仕事での取引先との連絡でも最近はLINEを使いますから。で、誰かから来てたら返信しますわね。相手もまぁずっとスマホ見てるわけではないですからね、30分から一時間、半日くらい返事がなくてもまぁ気にならないんですよ。これは全く問題ない。私が不思議でしょうがないのはですね、私がLINEにすぐ気付いた時の話なんです。全ての女性が、というわけではなく女性相手の時に多いなぁと思うんですけ
「わべさん別にハゲてないじゃん」 人に会うといつも言われるわけだが、バンドマンというクズの極みであった私の若い頃というのは、ご自慢のサラサラヘアーを腰まで伸ばし、洗髪はいつもティモテ洗い、トリートメンツなどをしてふんわり良い香りを髪からさせていた頃もあるし、ドレッドにしたこともあるし白に近い金髪だった頃もあった。その髪をかき上げる為に触れればコシのある髪がふんだんに、鬱蒼と茂っていた。今はどうだろうか。風呂に入った後の自身の髪を見れば一目瞭然。奥さんには「あれ?ハゲてない?」などと言われ、眠りにつけば夢に石立鉄男が登場し「お前はどこのワカメじゃ!」とわかめラーメンを両手に追いかけられる夢でうなされて起きるほどである。要するに若い頃に髪を虐めすぎていた。いつまでもあると思うな親と髪。 幸い私には「別に少ないってほどではないよね?」と人に思わせる程度の髪を盛る技術があるため、ワックスやジェル、
何やっとんねん!クソったれが!指をクルクルと画面に沿わせながら私は悪態をついた。クソ暑い現場で毎日作業着をドロドロにし、現場が終わればコンビニで安いカロリーオフのビールとつまみを買う。そしていつもの、狭く色気も何もない、私の目には部屋の中その全てがモノトーンに映る殺風景なビジネスホテルに帰るのである。ベッドに腰を掛け、ガサガサとレジ袋の中からつまみを出して口に放り込み、安いビールで流し込む。私は酒に弱い。ベッドの正面にある大きな鏡には、いつこんなに年を取ったんだろうかと思うほどの老け込んだ顔が映っている。ほどなく酒が血液と一緒に全身を巡る。顔がどんどん赤くなる。そのままバタンとベッドに倒れ、天井を見上げる。頭の中のいくつものタスクの閉じるボタンを押し、スマホを開ける。Twitter、はてなブログ、インスタグラムと、そこにはいくつもの、それらのアプリのアイコンは私であって私ではない世界への入
一時のあの荒れ果てたひとつの時代が終わったとはいえここはあの地獄「はてな」である。殴られたら殴り返すといったソウルはアカウントを残す皆もまだ持っているのではないだろうか。プーさんのように丸くなった私も「し(ry 」とまで言われれば黙っているわけにもいくまい。言及記事については前のブログで少し褒められた事のある私が久しぶりにパソコンで文字を打とうと思う。私を殴りつけた記事はこちらである。 おい、人の心をプラスに評価できないのは仕方ないにしてもマイナスに評価しなくてもいいだろ - スナックelve 本店 とはいえ別に嫌っているわけではないエルベ氏をタコ殴りにしようとは思わないし、一つ一つを取り上げて説明するのも面倒だ。私の思ったことのみ書いてみたい。 人の心に価値なんてつけられないものだとは思いますが、なんせ男は「人の心配」の価値を「軽く見る」「バカにする」のであります。 これはもう、ただの反
ブルーハーツが歌ってた。「苦労すれば報われる そんな言葉は空っぽだ」「手にしたものをよく見てみれば 望んだものと全然違う」若い頃の私はこの歌を聴きながら、その通りだ、若者には何も無い、何も手にすることなんて無い、クソみたいな顔して笑ってんじゃねえぞサラリーマン、とギターを肩にかけホームレスのようなボロボロの格好で不貞腐れていた。 嫌な事なんてやりたくない。今日飯が食えれば良い。明日楽しい顔をして死ねるなら、今日を面白く過ごす為ならと、日雇労働をしながら毎日数千円を握りしめ、毎月の家賃支払日に絶望しながら大家につく嘘すら諦めたものであった。縋りつもの、真剣に向き合うものは音楽しかないが別にプロを目指しているわけでもない。ただただ、惜しまれながら死んでゆく英雄に憧れていただけの中途半端な若者であった。 そんな若者は30歳で音楽すら泣きながら辞めた。辞めたくないという思いと辞めなくてはいけないと
初老に片足を突っ込んだ私がふと周りを見渡すと、インターネッツがあたり前田のクラッカーになって少し時間が経ったようだ。私もこのビッグウェーブに何とか追いつこうと、SNSやらブログやらに手を出し今は少しの「慣れ」というぬるま湯に浸かっているのだと思われる。現実の仕事以外に金を手にする方法がインターネッツに溢れ、注目されるのか否かは別にして世界中にイキり勃った自分のチンコをアッピールするのにも不自由が無いように見える。現実社会であまり見る機会のない「変な人たち」が「変なこと」をし、そしてそれらはまるで細胞分裂するかのように、その変な人たちは増えてゆく。我々はその「変なもの」に慣れ、インターネッツを開いた瞬間、また新しい「変なもの」は強制的に我々の中に飛び込んでくる。技術も何も必要としないこの世界では、手ぶらで、いとも簡単に「普通」を逆方向に飛び越えた人たちが、我々の目の前にしたり顔で仁王立ちする
こんにちは。わべ太郎です。今回は好きな人の携帯電話を覗く行為についてお話したいと思います。人は何故好きな人の携帯電話を覗くのか。これは永遠のテーマとなるわけですが、IT革命後のこの世の中、セキュリティやらプライバシーやらと携帯電話にこれでもかと侵入を防ぐための所謂ロックが備えられておるわけでございますが、こんなものは好きな人の「え?やましい事が無いのなら何故にこんな厳重なロック掛けてんの?は?」というロック解除の呪文が唱えられればすぐさま解けるようになっている次第であります。IT革命・認証・指紋などは全く意味をなしません。「正の威嚇」に我々は膝を折るしかないのです。しかしながらどうでしょう。逆に?なんで?なんで見せないといけないの?え?悪いことなんてしてませんけど?どこまでがセーフで?どこまでがアウトなんすか?は?男の我々は?何にもしてなくても?あなたの?その疑いの眼差しと?その強い語尾に
先日、歌手志望の子と酒を飲みながら音楽の話をした。細かい部分の音楽への感じ方が似てるなと思ったので、音や歌に「心を込める」や「思い」などの所謂「わべオカルト」の話をしてみたのである。私は感情や思いは出すその人間のその音や歌に乗る、という宗教法人も真っ青な考え方を持っている。相手の感想は「めっちゃわかる」「オッサン見た目ゴリラなのに繊細なんだな」という失礼千万な有難いお言葉を頂いた。シバくぞ。あ、分かってくれる人がいるんだな、なんて嬉しく思ったのと同時に、この人の歌の良さは私が音楽から拾おうとする「その何か」がちゃんと出ていて私はそれをちゃんと感じているのだろうと思った。音楽事務所やレーベルといった所謂「売れ方」について色々と話している中で、その先にある「なれる」のか「なれない」のか、は「今は」関係ないよねという話も意見が合致した。音楽だろうが仕事だろうが絵だろうが、我々が「やる」のは「なる
どうですか皆さん、幸せですか?最高ですか?良かったです。私も幸せです。何が幸せなのか、と問われても具体例は何もありませんが「不幸ではないこと」が幸せなんだと自分に言い聞かせながら日々イバラの道を痛みに耐えながら歩いているところであります。 私が生きているこの世界はこれまでも、今も、これからもキラキラと輝いている。思い起こせば14歳の時、学校の授業で使用する竹刀をギターに見立ててブルーハーツを聴きながらエアギターみたいに掻き鳴らしているところを親父に見られ、不憫に思った親父は私に週刊誌の裏表紙に広告を出してるような安エレキを買い与えた。届いたその日から、ギターケースを開封したその時から私の世界はキラキラと輝きだした。毎日ギターを練習して毎日磨いて毎日大事に抱いて寝た。 私には自慢できるような学歴も大きな会社に勤めた実績も何も無い。好きに生きてきた。10代の頃にはすでに「頭の良い仕事は頭の良い
こんにちは。コスプレイヤーわべの部屋へようこそ(ニッコリ) アホな私も「主語の大きさ」なるインターネッツのルールを覚え、はてなでのIDコールで呼び出し喰らうことも少なくなって来ましたが久しぶりに呼ばれたのでご紹介しながらお話してみましょうか。主張という程の話ではないので私の考えなどをつらつらと。 snack.elve.club 最初にお会いした時から可愛い人でしたが最近また女に磨きをかけておられるエルベ様です。未だに「友達だろ?」と聞くと「違う」と返ってきます。あと何年かかるのでしょうか?この記事の中では格好をどう捉えるのか、的なお話が書かれております。私が小綺麗にしてるのは「格好をつけたい」は勿論含まれてますがもう一つ理由があります。 その理由とは「相手に警戒させる」というもの。普通、営業マンなら親しみやすく警戒を解く手法を選ぶものですが、私は真逆、裏の裏は裏である的なよく分からない深読
死んでくれよ。と、さすがにそこまでは思わない。死ななくても良い。しかしながら世の中色んな奴がいる。顔見知りの奴から知らない奴まで色んな人間が我先にと自身の欲望を隠しもせずにあらゆる屍の上で「得」を貪り食っているのだ。 自分の利益のためなら誰かの不利益など気にしない、息をするように嘘を吐き、他人の痛みには無頓着なのに自分のかすり傷は大声で痛いと叫ぶ。私はそういう自分勝手な人間をいつも頭の中の「嫌いフォルダ」に放り込む。 身近な人間からニュースなどで報道される頭のおかしな人間全て。人の怒りの感情に油を注ぎ、負の感情はその他大勢に伝染する。私はこの手の迷惑を撒き散らす人間にどうして欲しいのだろうか。 別に死んで欲しいわけではない。謝って欲しいわけではない。泣いて欲しいわけではない。せめてやって貰えないだろうかと思うのは一つだけ「悪びれて」欲しい。自身が恥ずかしい事をした、悪い事をした、迷惑をかけ
どこ行ったんでしょうか。ハウスマヌカン。知ってますかあなた達。知らないでしょう?ハウスマヌカン。私が若い頃(というか子供の頃)は居たんですよ。洋服屋さんがブティックと呼ばれていたその頃、母親がたまに入るブティックにそのハウスマヌカンはいた。先程からハウスマヌカンを何度も連呼しているが、ハウスマヌカンは洋菓子でも妖怪でもない。ただの販売員である。しかしながらただの販売員と言っても、私のハウスマヌカンに対するイメージは妖怪のそれと変わらない。ちょいと伸ばせば、ちょいと伸ばせばしだれ柳に早変わり〜と歌いながら伸びる南京玉すだれのようなピンと張った前髪、幼心にジャミラか、はたまたアメフトかと母親のお尻に隠れながら観察したあの肩パット、蕎麦?え?蕎麦なの?的な髪型のソバージュ、挙げればキリがないのでこの辺でやめておくが、私が住んでいた大阪の外れのその町にも確かにブティックはあったしハウスマヌカンはい
さて、今回は世の中でどこに行っても無視され虐げられ忌み嫌われるオジサン・オッサンについて書いてみたい。我々男は必ずこの「オジサン」「オッサン」にさならが出世魚のように「少年」→「青年」→「オジサン」→「オジイサン」と変化して行くわけであるが、出世魚であればブリに相当する脂の乗った最高の時期であると自負しているのにも関わらず世間はそう見ていないようである。オジサン・オッサンの世間の評価は「独特の臭みとクセが強い」と敬遠される時期であるようだ。たまに「そのクセが好き♡」なる変わった趣向の人を見かけるが、私の私見では全体の0.1%程度だろうか。多分変態である。では我々はいつから、「青年」→「オジサン」になるのだろうか。30代〜で自分はもうオッサンだと肩を落としている青年をよく見かけるが、私から見ればオッサンでも何でもなくまだまだ若い青年だ。しかしながら、デップリと太りハゲ散らかした身なりの汚い男
私はいつも息子に対して心の中で申し訳ないという思いを抱いている。直近でその思いを抱いたのは2ヶ月ほど前に行ったディズニーランドで、である。いつも仕事仕事仕事仕事仕事仕事仕事仕事休み仕事仕事仕事仕事仕事仕事仕事仕事仕事仕事仕事ライブ仕事仕事仕事仕事仕事休み仕事仕事仕事仕事仕事仕事みたいな生活をしているので、年に数回、遠方に連れて行く約束を家族にしている。その中の約束で企画したディズニーランドでの出来事、とは言っても何かがそこで起きたわけでは無い。ショーを観ながらの昼食で、やたら身体のデカい外国人とウッディーが踊って歌っているのを観ているその途中、観客みんなも立ち上がって一緒に踊ろう!と見知らぬ家族と手を繋ぎ、そして一緒に踊るそのイベントを我々家族も参加した。対面を見ると私ぐらいの年齢のお父さんがそれはもう楽しそうな顔で、それはもう大きな動きで、それはもう大きな笑い声で子供たちと笑いながら踊っ
営業という職業は偏見にまみれていると私はいつも思う。リア充的な何かであったりよく喋るであったり目立ちたがり屋やら率先して何かをやる人物。そんな人物を目の前にするとよく「営業向きだよね」なんて言葉を聞くが果たしてそうだろうか。何を隠そう私も営業マンである。と同時に私は「喋るのがあまり好きではない営業マン」なのだ。営業マンなのに喋るのが好きではない。何なんだお前は。バカなの?何の話してんの?とお思いだろうがこれは紛れもない事実。基本的に人前で喋るのは好きではないし明るいか暗いかで言うと根暗・むっつりスケベゾーンに属する気持ち悪いオッサンである。そんなむっつりしたオッサンでも無名の零細企業にて年間数千万の売上を上げているのでここで少し話してみたい。営業職はキラキラしているように見えるが実はそうではない。毎日数字に追われ、その数字を達成する事だけを評価とされる営業職。地獄である。よくドラマなどでは
今更文句を言っても仕方あるまい。今まで、あの時やってこなかった俺達が悪いのだ。後悔などしても時間の無駄だ。他人を羨み嫉妬し絶望してる暇があるなら足を前に出すのだ。何の取り柄も無い俺達が出来るのは何か。地べたにいた私がまずやってきたのは誰かの使いっぱしり、所謂「パシリ」を完璧にこなす事である。プライドだと?そんなものは我々のような頭の悪い人間に必要ない。それは何のプライドなんだ。自尊心か?それがあったら何か得をするのか?何も出来ない癖に一丁前の事を言うのが自身を守るのか?目の前の人間一人にすら認められないのに自分自身を肯定することなど出来んだろう。私は心を二つに分割し演技し、そして笑った。アイツらはいつでも自分の駒を欲しがってるんだ。使える駒を。俺は歯車なんかじゃない、駒なんかじゃないと叫んでいる意識の高い連中をよく見かけるが、私の考え方は逆だ。アイツらにとっての使える歯車、使える駒になるに
こんばんは。44歳ハゲみとデブみが捗っているオッサンです。バンドをやっています。音楽は私の何であるか、という話をしてみましょうか。その前に「何だこれ」という内容のツイートやらブログがあるので言及してみましょう。私の発言に対してかんどーさん率いる外野がやいのやいのとよく分からない事をヒステリックに叫んでおりましたのでアンサーソングを歌います。では聴いてください。 punkrockers.hatenadiary.com 記事中にあるツイートでまず私はこの人失礼だなぁと思ったので記事を書きましたが、当該ツイートが削除された(まぁ消すの分かってたからスクショにしたんだけど)ので私も記事を下書きに戻しました。本人が消すというのは思うことがあって消したのか逃げたのかは知りませんが、まぁどちらにしても一人でやいのやいの言ってても仕方ないので取り下げた次第であります。お時間のある時にどうぞ。まぁこの時点で
お久しブリーフ。スピリチュアル伝道師わべでございます。今回は心について私なりの解釈を述べていきたいと思います。 言わずと知れたはてなの女帝かんどーさんがTwitterでこんな発言をされていました。 お、おう…。基本的に人の事なんてどうでもいいので好きにすりゃ良いじゃんと思うのですが、優しくない発言や主張が私はあまり好きではないので思う事をつらつらと書いていきましょう。 実は私もバンドなるものをやっておりまして、パートはギター、ジャンルはヘヴィメタルとパンクが合わさったようなもの。まぁ知らない人が聴くとただの雑音ですね。うるさいだけです。ええ。 それでも私は心を込めてギターを弾いているわけです。愛とか恋とか希望とかいうような曲を演奏している訳では無いので心を込めるなんてナンセンスだと思われがちですが、私はギターやベース、ドラムやその他楽器にも「思いは音に乗る」と本気で思っているわけです。頭お
私には友人と呼べる人が数える程しかいない。お前みたいな嫌な奴に友人など出来るわけなかろうという声が聞こえるが無視する。バーカバーカ。性格の問題がかなりの割合を占めるのは百も承知である。しかしながら私は友人など要らぬと思いながらこの15年仕事をしてきたのだ。 周りを見渡すと「そんなに面倒くさそうな感じなのにそれって友人なの?」「希薄すぎない?」「行きたくないと言いながら行く飲み会って意味あんの?」みたいなのばかり目にしてきた。そして30歳手前までバンドしかしてなかった私がバンドを辞めると友人など1人もいなくなった。そこからは年配のお偉い様にしか近付かないしその年代の人達としか付き合いが無くなったのである。 友人とは何か。私は「普段全く連絡せずともふと連絡がしたくなる人」「普段全く連絡せずともふと連絡がある人」と定義している。そんなに何人もいない。しかしその友人だと呼べる人が確かに私には数人で
モラルってあるじゃないですか。私はこんなものは完全な主観であると思っていて、ぼんやりとは線が引いてあるけど、ミクロでその線を見た時、それぞれの環境であったりそれまでの教育であったり、わざと穿って見る人もいるしそういう細かい所にあまり興味がないんですよね。 「へぇ〜」「自分と違うなぁ」と思うだけで。私が怒る時と言うのは私もしくは私に関係のある人に害がある時なのですね。あとはある程度の影響力のある人間が優しくない発言をした時かな?イラッとしますけど。その境界線も私の中でかなり曖昧ですけどね。まぁ、我儘ですよね私。そうです。我儘なんです。すみません。 先日和洋中予約の人のあるツイートが炎上しましたね。あれを見た瞬間は「変わった人だなぁ」と思いましたが別に腹が立つ事は無かったです。例えば私の店で当日キャンセルされて本人のあんなツイート見つけたらそりゃ怒りますよ。何だ貴様と。いい加減にしろよクソ野郎
どこかの誰かに「わべは○○らしいぜ」と吹聴されたとする。そこでその話が本当か嘘かはさて置き、周りの人間がその話を信じた、私よりその人間の話を信じた時点ですでに私の負けなのだ。私がやるべき事は第一声で「私はそんな事はしていない」と否定するだけで、それ以上誤解を解く何かをして回るという事を私はしない。しても意味が無い、と思っている。「アイツはやった」と「私はしてない」この二つの話を聞いた人間がどちらに着くかが自身の「信用」であると思っているのだ。我々はこの「信用」を毎日少しづつ貯金する。貯まっていれば貯まっているほど誰かの訳の分からない攻撃にも狼狽えること無く耐える事が出来る。逆も然りである。この「信用」を上手く利用する為の裁量が私の能力となる。 と堅い話はここまでにして結局の話「おいわべはアナルファッカーらしいぞ」と噂されて「違う!俺はアナルファッカーなんかじゃない!」と言ったところで「あー
部屋のキーを貰いに待ち合わせ、ということで、借りる部屋の近くにあるルノアールで珈琲を飲んでいた。現れたのは女性で、私は珈琲を飲んでいる途中だからせっかくだしあなたもどうぞ、と珈琲を勧めた。部屋の説明やら注意事項をふんふんと聞きながらふと気になったので「何故不動産屋に勤めてるの?」と質問したら学校を卒業してから何をして今に至ったかをポツポツと話し始めた。それを話す様子にあまり元気を感じないので今度飯でも食いましょうと誘うとニッコリと笑って連絡先を教えてくれた。 という話ではない。これは数年前に事務所を借りる時にあった思い出話であって今回の話に全く関係ない。今回はToLOVEったのではなくトラブったのである。昨日の話から始めると「鍵が壊れてるので直るまで違う部屋に入ってください」とメールが来ていた。何の話だこりゃと電話してみると、マンスリーマンションは電子キーだからその鍵の調子が悪いと。別の部
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