「負い目ある存在」の「重荷」としての性格について議論を重ねてきたことで、私たちはようやく「決意性」の概念について論じる準備が整いつつある。もう一つだけ事例を取り上げた後に、ハイデッガーの『存在と時間』に戻ることとしたい。今回扱う事例は1956年1月27日の夜、アメリカのモンゴメリーで祈っていた一人の男性に関するものである。 「そこで私はコーヒーカップの上にうつぶせになった。私はそのことを決して忘れない。私は祈りに祈った。[…]主よ、私は告白しなければなりません。私は今弱いのです。くじけそうです。勇気を失いつつあります。」 祈っている男性は公民権運動の指導者として知られる、マーティン=L=キング牧師その人に他ならない。上の言葉に見られるように、その日の夜のキング牧師は、非常な弱気に取り憑かれていた。 それというのも、彼がリーダーシップを執っていた黒人の抗議運動は、反対勢力からの妨害によって、