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3/29の『朝日新聞』夕刊に、歴史学者の成田龍一先生との対談記事が掲載されました。紙面に入りきらなかった部分も補足して、より充実させたWeb版(有料)も出ています。 訂正(3月31日 22:00) リンク先を、増補された版に差し替えました。 「コロナ禍でもウクライナでも、安易な答えを求めて歴史を消費する人々が増えた。それを止めなかったのは学界の怠慢だ」 外出が制限されたコロナ禍と20世紀初めのスペイン風邪に共通項を探したり、ロシアのウクライナ侵略に対する妥協を懸念してミュンヘン会談(38年)の対ナチス宥和政策に言及したり……。 そんな議論に與那覇さんは「にわかに歴史談義を始めるのは、問題を単純化し、解決できるふりをしたい人。すぐに解決しない難問だと分かると黙る」。複雑な文脈のつまみ食いやお手軽な歴史の道具化を戒める。 Web版より、強調は引用者これ、これ。もっと早くに、この主張が大きく報じ
現地時間の2/28、ホワイトハウスの執務室でトランプ、ヴァンスとゼレンスキーが言い争う様子は、世界に衝撃を与えた。日本でもここまで多くの人が一斉に話題にする海外の映像は、9.11のツインタワー以来、記憶にない。 なぜそんな事態が世界に配信されたか、見立てはおおむね3つに分かれる。 ① トランプとヴァンスが無知で粗暴だから。 ② しかし彼らを怒らせたゼレンスキーも拙劣。 ③ 最初からこの様子を流すことを狙っていた。 現時点で「断定」するのは陰謀論になるが、私は③が正しいと思う。実際に匿名ながらBBCでは、「外交専門家」もこう言っている。 ある外交専門家に言わせると、公の場でのこの口論は計画的なものだったのではないかと一部で疑われている。仕組まれた、政治的なひったくりのようなものだったのではないかと。つまり、ゼレンスキー氏をアメリカの言いなりにさせるか、あるいは次に何が起きても彼のせいにできる
今週末に発売の『表現者クライテリオン』3月号に、フェミニストの柴田英里さんとの対談「「議論しないフェミニズム」はどこへ向かうのか?」の後編が載っています! 前編の紹介はこちらから。 今回も盛り沢山ですが、特に注目なのは、柴田さんに美術家としての哲学を伺うなかで―― 柴田 アイデンティティを構築する上では排除の段階が必要不可欠だと思っていて、「自分は男ではないから女だ」というように、何かを排除しなければカテゴリー化はできないですよね。 そうすると必然的に、自分のアイデンティティを獲得する際に何かを排除することは差別なのかという疑問……が出てきます。 (中 略) 與那覇 ……そう捉えるセンスがあれば、ダークサイドの一切ない「クリーンな社会や人間」を作ろうとする思考からは、本能的に距離が取れる。炎上を招く「問題芸術」は展示を禁じろといったキャンセルカルチャーに、抵抗する基盤にもなりえます。 『平
学問的な歴史に興味を持ったことがあれば、「史料批判」という用語を一度は耳にしているだろう。しかしその意味を正しく知っている人は、実は(日本の)歴史学者も含めてほとんどいない。 史料批判とは、ざっくり言えば「書かれた文言を正確に把握する一方で、その内容を信じてよいのかを、『書かれていないこと』も含めて検証する」営みだ。結果として、文字面には表れていないとんでもない意味が、当該の史料(資料)には秘められていたと判明することもある。 簡略な例を出すと、AがBに宛てて出した書簡に「Cは悪人だ」と書いてあったとしよう。書簡自体は捏造ではなく、文字の翻刻も正確だとする。それでは「Cは悪人だった」とベタに歴史書に書いて、OKだろうか。 そんなことはない。まずA・B・Cの相互の関係を、当該の書簡以外も含めて確認する必要がある。「BはAの上役にあたり、CはAとポストを争っていた」といった史実があった場合、書
よく知られるように、今回の問題を詳報してきた『週刊文春』が第一報(昨年12/26発売)を訂正したため、守秘義務により伏せられてきた事件の内実は一層、不透明になっている。ざっくりまとめると、以下のようになる。 訂正前 フジテレビのプロデューサーが中居宅での会食を被害者に提案し、ドタキャンして二人きりの状況を作ったことが、「上納」にあたる。 訂正後 プロデューサーは(おそらく「上納」の狙い込みで)BBQに被害者を帯同し、中居氏に紹介した。後日に中居氏が被害者を「フジのみんなも来るから」と偽って誘い、事件に発展したことが、「上納」にあたる。 ともに文春の「見立て」なことに注意第一報が「誤報だ」と非難を集めるのは一理あるが、もともと同誌も含めて、業務命令のような上意下達で「性的な行為を強要した」と報じたメディアはない。むしろ日本では「仕事のつき合い上、断りにくい雰囲気を醸す」形でハラスメントが起こ
先日ぼくも無自覚に使ってしまったが、「精神論」という語を目にして、よい意味にとる人は令和にはいないだろう。 なぜうまくいかないのか? という問いに「気合いが足りないからだ!」としか答えない、根性一辺倒みたいな指導法は、スポーツの現場でも退けられて久しい。いまだに唱える人は昭和の遺物として笑いものになり、パワハラで訴えられる。 個人的には、すごくいい変化だと思ってきた。ところが近年判明したのは、体育会系より「知的」だと自称する学者たちの世界でこそ、まだまだそうしたロジックが健在だという事実である。 国民「どうしてコロナは収まらないんですか?」 専門家「自粛が足りないからです!(キリッ」 国民「どうしてウクライナは勝てないんですか?」 専門家「支援が足りないからです!(キリッ」 2020年からの数年間、ぼくらのメディアを席巻したのはこうした言説ばかりだった。しかも喋るセンモンカも、問答を垂れ流
共同通信に依頼されて、昨年11月刊のエマニュエル・トッド『西洋の敗北』を書評しました。1月8日に配信されたので、そろそろ提携する各紙に載り始めるのではと思います。 ずばり1行目が、 ウクライナはロシアに敗れると、薄々みんなが気づき出している。 で始まる私らしい書評ですが、センモンカ批判は今年から自分の書物にまとめていきますので、今日はトッド氏の著書に則した話を。 専門書と一般書にまたがって、膨大な著作を持つトッドですが、本書ではこれまでのキャリアに照らしてかなり異色の境地に至っています。その点については、先日ご紹介した浜崎洋介さんとの対談でも、こう触れました。 『西洋の敗北』を読んで、現状への悲観ぶりに驚きました。トッドは従来、家族構造や伝統宗教など、容易には覆らない社会の土台を分析の軸に据えてきたのに、同書によれば今日の西洋のどの国を見ても、もはやそうした確たる基盤は「ない」と。個人がア
前回の記事と同じく『文藝春秋』2月号の、第二特集は豪華な識者が世界各国の危機を論じる「崩れゆく国のかたち」。私と浜崎洋介さんの対談「SNS選挙は民主主義なのか」も載っています! 昨年12月12日に配信された文春ウェビナーで、世界中が選挙に揺れた2024年を振り返った内容を、ぎゅっと圧縮しての活字化。歳末の突貫工事を厭わずお骨折りくださった編集部のみなさまに、改めて御礼申し上げます。 それで、以下の冒頭無料動画でも話していますが、自分がいちばん大事と思うのがこちらで―― 與那覇 ……驚くのはその後、ダメだとわかっているはずのハリスをリベラル派が持ち上げたことですよ。しかも、勝負の懸かった米国の民主党員ならともかく、日本の識者がそれをやる。 他にいないので「嘘でもいいからハリスに期待しよう」といった〝希望の切り下げ〟を続ければ、最後は「トランプでなければ誰でもいい」となってしまう。これでは民主
12月25日発売の『正論』2025年2月号に、「斎藤知事再選と「推し選挙」 その必然と危険」を寄稿しています。以下のnoteが好評で、ぜひ年内に出しておきたいと急遽お声がけいただきました。御礼申します。 「推し」の文化ってホントは、民主主義と相性悪いよね、とは、一見すると『正論』と真逆の朝日新聞で2021年の夏、延期された「コロナ禍での東京五輪」を控えた時期から言ってたんですよね(有料記事)。なので、今年の石丸・斎藤ブームを見て思いついたのではありません。 むしろ、私の関心は一貫しています。芸能をはじめとした「プライベートな趣味」の世界なら、推しの言うことが絶対! で生きていく人がいても自由で、それを他人が悪いとまでは言えない。 しかし政治家や、その意思決定に助言する「専門家」といったパブリックな、つまり趣味が違う人にも影響を与えちゃう存在を「推し」てはならない。そうした行為は、明確な悪で
ReHacQ(リハック)というネット世代に人気があるらしいYouTubeのチャンネルに、国際政治学者の東野篤子氏が出演し、話題になっている。 ヘッダーは、彼女が「自分はネットで叩かれる」旨を繰り返す箇所の一部だが、カタカナでセンモンカと書く人は私の知るかぎり私しかいないので、「ウクライナ論壇」に批判的な拙noteもお読みいただいているのだろう。メディア上での第一人者に批判が届いているなら、光栄なことである。 このReHacQの番組(11月26日配信)に対して、東野氏からネットリンチの被害に遭った羽藤由美氏は、当然ながら怒っている。 11月27日私も通して見てみたが、前半は文春がすでに報じた「茨城県警の元警部がTwitterで中傷」の後追いで、新味はなかった。さすがに東野氏が「中傷の当時はオーストラリアにいた」(=その時点で安全面の不安はなかった)点を認めていたのと、相手の職業を知った手法に
日本文藝家協会に入っているのだが、会報(文藝家協会ニュース)の10月号に、小説家の笙野頼子さんがコラムを寄せていた。タイトルは「続・女性文学は発禁文学なのか?」。 「続」とあるのは、2021年の11月にも、笙野氏は同じテーマで寄稿しているからだ。「発禁文学」とは、同氏がトランスジェンダリズムに反対した結果、文壇でキャンセルされかけたことを指す。 笙野さんの最初の寄稿は、私の入会に前後する時期だったので、目にしたかの記憶が曖昧だ。しかし同じコラム欄がその後、トランスジェンダー問題ばかり議論する場になっていたのは、驚いたので鮮明に覚えている。 小説家の李琴峰・藤野可織、評論家の小谷野敦の各氏が、それぞれ異なる立場から寄稿されたはずだ。明白にTRA(Trans Rights Activists)、つまり「トランスジェンダー女性は100%の女性であり、当然に女性スペースの利用や女子スポーツへの参加
すでに報じられているとおり、年齢が若い層ほど、今回の選挙では斎藤前知事に投票した割合が高い。で、以下の報道(ヘッダー写真も)が典型だけど、その理由は「TVでなくネットで情報を得る世代」として説明される。だいたいは、軽薄だとする批判のニュアンスを伴なって。 ほんとうにそうだろうか。正確には、「それだけ」だろうか。 2020年代の前半は、大手メディアがこぞって「これが正解!」と打ち出した風潮が、実際には誤っていた時代として歴史に刻まれる。日本に関するかぎり、自粛政策はウイルスに対してムダだった。世界的に見ても、ワクチンには副作用があり、ウクライナは戦争に勝てそうにない。 ウイルスとワクチンに関して、(とりわけ日本の)若年層は、全メディアが総がかりしての「大コケ」から最大の犠牲を蒙った世代である。さして怖くない病気のために外出を規制され、「思いやり」と称してワクチン接種も強いられた。 「みんなが
想定を超えるトランプの圧勝以来、例によってネットでは「予想を外した」マスコミへの冷笑が盛り上がっている。 嗤われても仕方ない面はあって、そもそも対立候補が弱々しいバイデンだった時期、日本のメディアは「ほぼトラ」「確トラ」などと言って遊んでいた。ところが7月に候補が替わるや「ハリス推し」が始まり、彼女が次第に勢いを失っても「ほぼトラ」表記は復活させず、せいぜいが接戦だとしてお茶を濁す報道に終始した。 とはいえ、結果が出てから「マスゴミガー!」と勝ち誇るだけでは、ただの後出しだ。なにも、改善する役には立たない。 ぼく自身、いわゆる「隠れ支持者」の議論に接して以来(たとえば以下の記事は8月)、トランプだろうと思ってはきたけど、それでもメディアの「開票が長期化」という予想は信じちゃったので、自慢できた口ではない。 世論調査で「トランプへの支持を隠す人」に振り回されるのは、米国のデータを参照する以上
報道を受けて翌6日に、東野氏がnoteで背景を説明した。一方で、彼女からX上でネットリンチの被害に遭った羽藤由美氏は、大変怒っている。 本年11月6日東野氏が更新したnoteは、以下のもので、こう綴られている。 また〔自分を中傷した〕元警部は、私の職場である筑波大学に極めて近い場所に居住しています。このため現在も、私は元警部と勤務地近辺で遭遇するリスクを抱えています。 (中 略) このため私は現在も、元警部の顔を知らないまま、彼の生活圏内で勤務を続けざるを得ない状況です。このため、私の公的・私的生活は大きく制限を受け続けています。自分自身の身の安全を守るため、つくば駅から勤務先まで、自己負担でタクシー通勤を余儀なくされました。 東野氏の上記noteよりネットで自分を中傷してきた人物が、居住地の警察官だったというのは、少なからず不気味な事態である。もちろんこの件で、東野氏が被害者であることは
フランスの現代思想家だったボードリヤールに、『湾岸戦争は起こらなかった』という有名な本がある。原著も訳書も1991年に出ているが、お得意のシミュラークル(いま風に言えばバーチャル・リアリティ)の概念を使って、同年に起きたばかりの戦争を論じたものだ。 ボードリヤールは当初、「戦争になるかもよ?」というブラフの応酬に留まって本当の戦争にはなるまいと予想して、外した。しかし、その後に生じたのも「本来こうあるべきだった戦争」とはだいぶ違う、別物ではなかったか? その意味で、(彼が定義するところの)戦争はやっぱり起きてはいない、と主張して、一冊にまとめたわけである。 筋を通したと呼ぶか、厚かましいと見るかは、人それぞれだろう。しかしこの挿話、今なお続くウクライナ戦争を見る上でも、示唆が深い。 多くの人が忘れているが、2022年の2月に露宇国境で緊張が高まった際には、ロシアを研究する専門家ほど「プーチ
ぼくも隔月で載せていただいている『文藝春秋』の書評欄で、平山周吉さんが、その月でイチ推しの新書を紹介するコラムを持っている。 もうすぐ次の号が出ちゃうのだが、11月号では「大げさに言えば、「国民必携の新書」」として、佐藤卓己先生の『あいまいさに耐える ネガティブ・リテラシーのすすめ』を挙げていた。民主党への政権交代が起きた2009年以降、震災からコロナまで激動だった15年間の時評を集めつつ、専門のメディア史の観点から位置づけた本だ。 で、読書家の人ほど、サブタイトルを見て「ネガティブ・ケイパビリティをもじったんだな。さすが佐藤さんセンスいいな」みたく感じたと思う。なにを隠そう、ぼく自身がそうで、かつ間違っているわけでもない。 ネガティブ・ケイパビリティ(消極的な能力)とは、ものごとを安易に断定せず、不確実かつ多義的で「正解はないかもしれない」状況を、そのままに受けとめようとする姿勢を指す。
昨日の記事に対しては、おそらく見えないところで(いや、公然とかな?)揶揄する人が出てくると思うので、あらかじめ釘を刺しておく。 2021年の3月に、鍵をかけたアカウント(フォロワーは4000人前後で、9万3000人の東野篤子氏よりだいぶ少ない)の内側での発言がきっかけで、大炎上を起こした学者がいる。私まで巻き込まれて、ずいぶんな迷惑を被ったことは、このnoteを読む方はほぼご存じだろう。 実は、その呉座勇一氏はもともと、とくに鍵はかけずにTwitterを使っていた。当時すでに『一揆の原理』『戦争の日本中世史』の二著があり、それなりに知られていたが、後ほどの有名人ではまだなかった。私も何度か、(やはり鍵なしの)Twitterで彼と議論したことがある。 私自身は2014年の夏に、病気のため使うのをやめたので記憶がないのだが、そのあたりから同氏はTwitterでの言動が粗暴になったらしく、世代の
Twitterでネットリンチの被害にあった羽藤由美氏が、その中心にいた東野篤子氏のnoteの記事に、怒っている。 本年10月15日入試の実施にあたり誰が責任者を務めているかは、試験問題を誰が作ったかと同様に、大学で最高レベルの秘匿事項である。私も准教授時代に何度も担当したが、辞めるまでは一切、その体験については文字にしなかった。 勤務先の機密を平気で公開する教員が、近日まで国防やインテリジェンスを論じていたのも不安になるが、東野氏の当該のnoteについて、私は別の点がいっそう気にかかる。 私がTwitterアカウントに鍵をかけたあと、今まで私を攻撃していたアカウントの一部は、私というターゲットを失ったせいか、ソフィヤさんにまで執拗な攻撃を加えるようになりました。 私は鍵をかけたあとはTwitterから離れる時間も多く、ソフィヤさんが受けた被害を後になって知り、彼女が私のせいもあって辛い思い
私と綿野恵太さんの対談も、「シラス」で早速配信されている。運営メンバーが始めたチャンネルごと契約すると、開催に至る舞台裏や、前泊した東浩紀さんを囲んで飲み明かす前夜祭の様子も見れるそうだ。ぜひ、こちらもご検討ください。 それで、綿野さんが議論のたたき台として準備して下さった、グラムシの話が勉強になったので、忘れないうちにちょっとメモ。 イタリア共産党を創設したグラムシは、ムッソリーニ政権下で逮捕され、膨大な「獄中ノート」の形でその思索を残した。口だけで「なにより行動!」とかテキトーなこと言ってらんない状況に追い込まれたからこそ、なぜ知識人は世の中を変えられないのかを、真剣に考えたわけだ。 で、そのグラムシは「伝統的知識人」と「有機的知識人」の2つの類型を置くことで、その問いに答えようとしていたらしい。 伝統的知識人とは、端的には聖職者や、大学教授である。言い換えると、純粋に「真理」を知るた
9月27日、実質的には次の首相を決める自民党総裁選が行われる。 本命だった小泉進次郎氏が失速し、石破茂・高市早苗の両氏と三つ巴だと言われる。「どの2人」が決選投票に残るかで、最後の勝者も動く。先日も論じる配信をしたけど、私は政局は趣味でないから、予想はしない。 むしろ今回の総裁選では、あまり注目されないが将来、重大事となり得る争点が出ていた。例によって、それを取り巻く「専門家」の問題行動も見られたので、そちらを記録に残しておこう。 「ヨーロッパのことばかり考えているオタク」(原文ママ)を自称する東野篤子氏が、9月10日に河野太郎候補をめぐる記事を書いている。この方は確か、以前は「ロシアの対外政策に詳しい専門家」としてウクライナ戦争を解説していたので、実は欧州オタクだと知り大いに驚いたが、その話は今回は別にいい。 記事の内容は、産経新聞が行った「河野報道」への批判だ。要約すると、 ・河野氏の
はてなブックマーク(はてブ)というサービスをご存じだろうか。利用者はどこのサイトに載った記事でもクリップして、コメントをつけることができる。他のユーザーが同じ記事につけたコメントも、一覧形式で読める。 コメント欄のない(か、利用者が限られる)記事に対しても、感想を寄せることができる便利な機能だが、実際には気に入らない著者の記事を晒して、罵声を浴びせる目的でも悪用される。2018年には、逆恨みによる殺人事件のきっかけにもなって、社会を騒然とさせた。 で、先日このnoteに書いた記事にも、はてブでコメントを寄せる人たちがいて―― 思わず笑ってしまった。まず私はミソジニー(女性憎悪)ではないし、そもそもSNSをやっていないのだから、「キャッキャ」もなにも「ファンネル」を集めようがない。 「モノ言う女」云々も意味不明だ。もし私にそんなアレルギーがあるなら、自分の著書では『過剰可視化社会』で磯野真穂
8月27日付で、筑波大学は所属する東野篤子教授のTwitter利用に関し、「コンプライアンス違反に該当するような事項は確認することができませんでした」(原文ママ)との回答を、ネットリンチによる被害を訴えていた羽藤由美氏に送付した。 違反は確認されないと大学が判定したのだから、「職場に迷惑がかかる事態はどうしても防ぎたく」てTwitterに鍵をかけた東野氏(原文ママ)が、鍵を開けての投稿再開をためらう理由はない。また周囲の研究者も、いまこそ「東野先生への批判は不当だった!」と声を上げる時であろう。 しかしながら目下、そうしたことは起きていない。むしろ筑波大学の回答文の方が呆れられ、公然とバカにされる日々が続いている。 以前から予告してきたが、これもまた既視感のある光景である。2021年に問題となった「オープンレター」は後日、民事裁判を経て当事者との和解に達したのだから、その主唱者はいまこそ胸
前回の記事の続き。このところも松竹信幸氏や紙屋高雪(神谷貴行)氏の除名騒動があって、『日本共産党の研究』(1978年刊)の頃に似た空気が生まれているが、著者の立花隆氏はなぜそうなるのかの理由をあっけらかんと、ズバリ書いている。 反対派追い出しが象徴する党内言論の自由の圧殺に関して、共産党中央がその説明に必ず用いる詭弁は、 「彼らが追い出されたのは反対意見を述べたからではない。反対意見を述べる自由は党内で保障されている。彼らが除名されたのは、すべて反党行為、分派活動などの規律違反を犯したからだ」 というものである。この説明は、形式的にはいかにも正しい。そして、この形式的にはいかにも正しい説明が、スターリンの権力確立過程にもそっくりあてはまる。 実権を握った官僚主義者が非従順な知性を追い出していく一般的な手法が、これなのである。官僚主義的な行政手段や手続きを駆使して、相手が屈服し非従順な知性た
東野篤子氏とその周囲によるネットリンチの被害者だった羽藤由美氏が、経緯を克明にブログで公表された。1回目から通読してほしいが、東野氏の出た番組に批判的な感想を呟いただけで、同氏に煽られた無数の面々から事実をねじ曲げて誹謗される様子(3回目)は、私自身も同じ動画を批判したことがあるだけに、血の凍る思いがする。 研究者どうしのSNS利用が、どうしてこうした事態に至ってしまったのか。手がかりは、今年2月19日に東野氏が行った以下のツイートにある。 東野氏は現在鍵アカウントのため、 羽藤氏のブログより重引(一部)これは、ネット用語で「犬笛を吹く」と呼ばれる行為である。実質的には「羽藤氏に『人格攻撃』された私を応援して、みんなが代わりに『反論』してね!」とフォロワーを焚きつけており、事実そうなったわけだ。 もちろん、「戦争を軽いノリで語ってきた」「ゲーム感覚」という趣旨の羽藤氏の感想が、まったく根拠
8月15日の終戦記念日にあわせて、前回の記事を書いた。実際には兵站が破綻しているのに「あるふり」で自国の戦争を続けさせたかつての軍人たちと、本当は(信頼に足る)情報なんて入ってないのに「あるふり」で他国の戦争を煽り続ける専門家たちは、同類だというのが論旨である。 とはいえまさか、ここまで即座に「そのもの」の事例が飛び込んでくるとは思わなかった。元の報道は14日付の米国紙WSJだが、以下の読売新聞の記事が概略を押さえている。 ポイントは、 ・2022年9月のノルドストリーム爆破に関して、ドイツ当局がウクライナ人容疑者(帰国済み)の逮捕状を取った。 ・当初はゼレンスキー大統領も作戦を了承したが、米国CIAに再考を促されて中止を指示した。 ・しかしザルジニー総司令官(当時)が、既に部隊が着手したことを理由に強行した(取材に対して本人は否定)。 ということである。むろん逮捕状が出たからといって、即
北朝鮮が韓国に侵攻して朝鮮戦争が始まった1950年6月、日本はまだGHQの統治下にあった。当時は警察予備隊(同年8月に急設)すらなかったので、そのまま放置したら、文字どおり丸腰の状態である。 吉田茂が結んだ旧日米安保条約(1951年9月)が、簡素な駐兵協定に留まったのは、緊急避難的に「米軍に居てもらう」ほか選択肢がなかったからだ。結果として朝鮮戦争が53年7月に休戦になっても(つまり終戦はしていない)、米軍の側には「なるべくフリーハンドを得ながら、日本に駐留したい」とするニーズが残り続けた。 1月に出た川名晋史氏の『在日米軍基地』(中公新書)によると、1954年2月に結ばれた「国連軍地位協定」が、その目的を実現する上で重要だったという。国連軍とはもちろん、朝鮮戦争に際して編成された変則的なそれ(米国を中心とする有志連合軍)のことで、豪州など英連邦の諸国のほか、後に仏・伊・タイ・トルコも署名
もっとも疎外されたものというけれど、現実にはさまざまな位相で存在するので、最底辺ということが言えないわけです。今までは労働者とか植民地下の人間とかいっておけばよかった。現在突出してきているのは、女性、先住民、障害者といった存在ですが、しかも、それらが互いに矛盾する形で出てくるわけです。 それを無理に疎外論で押し切ろうとすると、三重苦は二重苦に勝ち、四重苦は三重苦に勝つというような奇妙なことになる。アメリカのアカデミーやアート・シーンで、ハイチ移民でレズビアンでHIVポジティヴなんていったら、ほとんど無敵でしょう(笑)。 この印籠が目に入らぬかという感じですね(笑)。 172-3頁(強調は引用者)本能寺の変(1582年)に際して信長の傍にいたことで知られる「弥助」という黒人の、海外での描かれ方が話題沸騰となっている。炎上のあらましは「アゴラ」のまとめ記事が、残存する史料から「弥助についてどこ
ご報告が遅れましたが、6月26~28日に3回に分けて、経営学者の舟津昌平さんとの対談が「東洋経済オンライン」に掲載になりました!(リンク先は1回目) こちらのnoteをご覧になった、舟津さんと編集者さんが企画して下さったもので、ありがたい限りです。 例によってPRの記事をと思ったのですが、困ったことにいま、国境で軍事的な緊張が高まっているんですよね(比喩)。なので今回は、そちらの事情にも照らし合わせつつ、読みどころをチラ見せしていきましょう。 3回もあると「全部読むのは疲れそう…」と思われがちですが、最終回の冒頭にある以下の部分だけは、ぜひ目を通してくだされば幸いです。 與那覇:私も以前は学者だったので、「専門性」が持つ価値を否定する気はまったくないんです。ただ、近年の日本では「専門家」という存在が、悪い意味でのアウトソーシングの道具になっている。ずっとそれを批判しているんですよ。 多くの
問題を最初に報じたのは、6月20日発売の『週刊文春』同月27日号だった(有料記事の形で購入できる)。同誌は「チラ見せ」の前文でも、現職の警官である容疑者が「Qアノン」を自称していたと報じ、波紋を呼んだ。 双方に取材した文春の記事からは、①2024年1月に東野氏の弁護士から、損害賠償を求める通知が加害者に届いたが、②同警部は2月にも中傷ツイートを繰り返し、③現在は警部の謝罪文が東野氏の手許にあるが、彼女は内容を信じていない――ことがわかる。しかし、刑事告訴に踏み切った理由は不明のままだ。 「刑事罰を科すべき」とする告訴は、国家として犯罪だと認定しろという要求だから、単なる民事の賠償請求とは意味が違う。 加害者が警察官という、国家権力を構成する一員であることを重く見て、刑事で告訴したという理由はあり得るかもしれない。その場合、東野氏が加害者の現職を知った時期と手段が問われる。 一方、6月22日
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