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今年の「#文学」
note.com/tamam010yuhei
国際的には全く認められていないものの、ある特定の地域が勝手に独立宣言をする場合があります。ミクロネーションという名前で呼ばれ、日本語では「自称国家」と言われます。 こういう地域は毎年のように新しく出来ていて、2010年以降もかなりの数が生まれています。 この記事では、2010年以降に独立を宣言し比較的メディアに露出し認知度の高いミクロネーションを紹介します。 1. フィレッティーノ公国(2011年独立宣言)2011年9月、イタリア・ラツィオ州フロジノーネ県にあるフィレッティーノという人口600人未満の寒村が独立を宣言しました。 フィレッティーノはかつてはリゾート地として栄えましたが過疎化が進行。住民の数も減り、行政効率化のために近隣のトレヴィと合併が計画されていました。 イタリアでは日本と同様、市町村合併が進行していますが、過疎化が進む村などの行政サービスが行き届かなくなることが懸念も根強
独裁者は、常に多くの人の注目を浴びる存在です。 自分が中心にいることが好きな人だからこそできるんでしょうが、賛辞・称賛だけでなく、憎悪・呪詛・怨恨など負のエネルギーも大量に浴びることになります。そして後継と目される独裁者の子が受ける賛辞・賞賛、そして負のエネルギーも親父に負けず劣らず強いものがあったはずです。 独裁者の子供たちはどのような人生を歩んだのでしょうか。 1. ヤーコフ・ジュガシヴァリ(スターリンの息子)ソ連の独裁者スターリンは女好きで、3人の妻以外に何人も愛人を作りました。しかしまともに面倒を見た人はおらず、多くが自殺に追い込まれたり、暗殺されたり、不審死したりしており、スターリンは家庭的意識のかけらもない男でした。 最初の妻エカテリーナ・スワニーゼとの間に生まれたのが、長男ヤーコフ・ジュガシヴァリです。ヤーコフはカリスマ的な父に愛情と憧れをいだくも、スターリンはことのほかヤー
「黒猫が目の前を横切ると不吉」という迷信は一度は聞いたことがあると思います。 キリスト教圏の国々では、黒猫は長い間魔女伝説の迷信とセットになって考えられたため、不幸と厄災をもたらすとされました。一方で、イギリスの一部では幸運をもたらすシンボルと考えられてきたし、日本でも「夜でも目が見える」ことから商売繁盛や幸運のシンボルとなっていました。 歴史上、人々が黒猫をどのように認識してきたのかのあれこれを見ていきましょう。 1. 古代神話に登場する黒猫古代ヨーロッパでは、黒猫は不吉な存在とは考えられていなかったようです。むしろ神秘的で、崇拝の対象ですらありました。 黒猫は普通の猫とは違っていると考えられていたようで、ケルト神話や北欧神話にも黒猫はたびたび登場し、人間並みの知恵を持っていたり、女神様に仕えていたりします。 代表的なのが、ケルト神話に登場する猫の妖精ケット・シー(Cat sìth)。
現代の世界は、第2次世界大戦の戦勝国主要5カ国・米ソ(露)英仏中を中心とした国際秩序で成り立っています。勝てば官軍の非常に分かりやすい国際秩序ではあります。 これは戦勝国である連合国が築いた国際秩序ですが、では負けた枢軸国が計画していた国際秩序とはどのようなものだったか。 あれだけデカい戦争をおっ始めたのだから、ヒトラーとナチスには戦争後にどのような世界を作り直すと具体的に考えていたのでしょうか。 1. 大ドイツ帝国の構築Work by Hayden120大戦勝利後、ナチスは「本来のゲルマン民族の土地」と考えられる土地を全て統合した「大ドイツ帝国」を建国しようと考えていました。その領域は西はフランス北部から、東はカフカス、北はノルウェー、南はアドリア海にまで至る広大な地域。ゲルマン系民族やゲルマン系言語の現在の居住地&かつての居住地がその対象と考えられました。 ドイツ国内の貧困農民などをポ
日本という国は有史以来、国体の継続性を保っているということに一応なっていますが、現在の日本国政府の発足は1952年のサンフランシスコ平和条約からなので、日本国は72年間続いていることになります(2024年現在)。 たったそれだけか、と思う人もいるでしょうけど立派な方で、歴史上には1年どころか1ヶ月ももたなかった国がいくつもあります。 10位:バイエルン・レーテ共和国(1919年4月6日〜5月3日 27日間)第一次世界大戦中の1918年10月29日、ドイツ艦隊の水兵1,000人の出撃命令拒否から、ドイツ全土で労働者の暴動が発生。ドイツ革命が勃発し、後に皇帝(カイザー)が退位しドイツ帝国が崩壊しヴァイマル共和国が成立するのですが、ミュンヘンを中心とするバイエルン王国では独自の革命が進行していました。 11月8日、独立社会民主党の党首クルト・アイスナーが「バイエルン共和国」の成立を宣言。アイスナ
世界史の教科書の一番初めは、アウストラロピテクスとかクロマニヨン人とかですが、その次は黄河文明、メソポタミア文明、エジプト文明、インダス文明、クレタ文明、アッシリア、ヒッタイト等々、古代世界のメジャーどころが名を連ねます。 ですが、このような古代文明もある時突然起こったわけではなく、彼らの前任者が何千年と文化・技術・言語・宗教・芸術を発展させた上で花開いたものであります。 ということで、今回はメジャーな文明が登場する前に存在した、謎多き古代文明をご紹介します。 1. ハッティ文明(アナトリア半島)紀元前2600年〜紀元前1800年ごろまで、アナトリア半島にはハッティ文明が栄えていました。この地域の最も初期の頃に出来た都市文明であると考えられており、彼らの存在はメソポタミアのアッカド文明のタブレットに記述があります。 この地域は後に鉄器文明を築いたヒッタイト帝国が栄えますが、ハッティ文明はヒ
カール大帝とフランク王国と言えば、高校の世界史でも大きく扱われるし、800年の「カールの戴冠」はセンター試験にも登場します。 メロヴィング朝のカール・マルテルがイスラム軍を打ち破った732年の「トゥール・ポワティエの戦い」や、前王のピピン3世が行った「ピピンの寄進」もめちゃくちゃ有名です。 これだけ後のヨーロッパに大きな影響を与えた事柄をが起こったフランク王国ですが、日本ではあまりこの時代は人気がないというか、あまり知名度がない気がします。 Work by cyberprout後世に与えた影響の大きさもそうですが、西はブルターニュ・東はパンノニアまで制覇した軍事力、東方世界との関係の深さはかなり面白く、歴史好きは是非知っておいたほうが楽しいと思います。 1. カロリング朝の成立カール大帝の系譜で有名な人物は、祖父カール・マルテル、父ピピン3世ですが、記録上最も古く遡れるピピン一族の者は、現
私が世界史で好きな時代は「混乱している時代」です。 経済やテクノロジーの発展、または気候の変動などで為政者がこれまでのやり方で国を統治できなくなり、そこに外から勢力がやってきて国内と結びついたり、逆に国内でうまく時流にのって天下をひっくり返したりする。そんな時代です。 今回は勉強したらきっと興奮するに違いない地域・時代をセレクトしてみます。あくまで個人的な主観に基づいたものなので、ご容赦くださいませ。 10位:英仏蘭西による侵略と受容の時代(17世紀〜19世紀東南アジア) 東南アジアは伝統的に中国とインドの中間にあり海上貿易で栄え、独自のマルチカルチャーを育んできた地域です。 この地域にヨーロッパ勢力がやってきたのは14世紀ごろからですが、ジャワ、アチェ、シャム、ベトナムなどの地場勢力はこれらヨーロッパ勢力と時には敵対、時には味方となり、ある意味「共存」していくことになります。 16世紀に
プロレスの世界では「ベビー(正義)」と「ヒール(悪党)」のキャラ区別があります。 ずっとベビーやヒールをやっているレスラーもいますが、何かのタイミングで善悪入れ替わるのが普通で、「ベビーターン」とか「ヒールターン」とか言います。 アメリカン・プロレス(以下アメプロ)はこのキャラ区別が明確になっており、ベビーのレスラーが入場すると歓声で迎えられますが、ヒールのレスラーは大ブーイングで迎えられます。そしてレスラー自身も、行動や言動で自分の悪党っぷりを表現します。汚いやり方で勝ったり、観客やレスラーを侮辱したり。 そんな中、たまに「ナショナリティ」を前面に押し出したり、「アンチ・アメリカ」を叫んで嫌われるヒールレスラーが登場します。 今回はアメプロのヒールレスラーの言動から、アメリカにおける 「アンチ・アメリカ」のコンテクストを探っていきます。 1. 「アメリカ的」なレスラーとは本題に入る前に、
政府転覆の陰謀を企てるのであれば、大物の支援者の資金援助はいるし、政府関係各所に協力者も必要です。 軍事物資も豊富ですぐに軍隊を投入できるだけの準備が必要だし、VIPとのコネも大事だし、政局や世論の見極めも大切。とにかく成功は難しいものなのです。 今回は準備がお粗末すぎて失敗に終わってしまった5つのクーデター計画を紹介します。クーデターをやろうと思っている人は参考になさってください。 1. ハサン2世暗殺未遂事件 1961年からモロッコの王位に就いたハサン2世は、強力なリーダーシップで多様な地域や部族が割拠するモロッコを強力に率いたのですが、議会の意を無視して解散権を行使したりその強権的なやり方への反発も根強く、治世で2度の暗殺未遂が起きています。 1972年、2回目の暗殺未遂事件を起こしたのは、空軍将校のモハメド・ウフキール。 彼はハサン2世の右腕だった男で、暗殺、拷問、スパイなど国王の
ジェームズ・クック(1728-1779)はイギリスの探検家で、3回の太平洋の航海でタヒチやオーストラリア、ニュージーランドの周辺を航行。さらに、ヨーロッパ人で初めてハワイ諸島を発見したことでも名高い人物です。 クックは3回目の航海でハワイを発見し、地元のハワイ島民といざこざを起こしてその途上で殺されてしまったのですが、一時はクックはハワイ島民に「神様」と呼ばれ崇拝の対象になっていました。 なぜハワイ島民は「神様」であるクックを手のひら返しで殺害したのか。それにはハワイ島民が持っていた「まれびと信仰」と密接な関係がありました。 1. まれびと信仰とはまれびと信仰とは、「海の彼方から神がやってきて、幸せをもたらす」という観念のことです。 主に太平洋の島々に多く、日本だと沖縄や奄美にも伝わっています。 「まれびと」という観念を有名にしたのは、民俗学者の折口信夫。「海の向こうにある死者の国からまれ
近年、同性愛者のツーリストが世界の観光業界で注目を集めています。 同性愛者の休暇取得率は一般人より21%も高く(Guaracino,2007)、レズビアン雑誌Curveの調査によるとレズビアンの約30%が、年間の旅行支出は2000ドルを超えると答えたそうです。 アメリカ、オーストラリア、カナダ、スペインなどの観光先進国はこれら、可処分所得の高い同性愛者のツーリストが落とすお金、通称「ピンク・マネー」を取り込もうと、キャンペーンを展開したり様々な取り組みを始めています。 さて、そんな世界中の同性愛者の観光客に人気が高い都市は、なんといってもサンフランシスコです。サンフランシスコは同性愛者にとっては「カトリック教徒にとってのローマ」のような存在で、世界中の同性愛者がサンフランシスコに「巡礼」に赴くそうです。 なぜサンフランシスコが「ゲイの聖地」となったのかが今回のテーマです。 1. アメリカの
我々の感覚的にはあまりピンときませんが、モンゴル帝国が台頭し周辺各国を怒涛のように飲み込んでいく様を聞き、西欧人の多くは 「異教徒からエルサレルムを解放しに東方のキリスト教大国がついに動いた」 と歓喜の声を上げました。 後にそれは間違いだったと分かるのですが、それでも「実はモンゴル皇帝はキリスト教信者である」という話を教皇や国王を含む多くの人が信じていました。 それは 「絶対にいるはず」の東方のキリスト教大国の存在を多くの人が切望した結果でもありました。 1. プレスター・ジョン伝説12世紀以降、ヨーロッパではペルシアのはるか東に「プレスター・ジョンというネストリウス派キリスト教徒が治める巨大なキリスト教国がある」と信じられていました。 十字軍の頃に「プレスター・ジョンの軍勢が十字軍を救援すべくペルシアを破ったが、チグリス川を渡れず引き返した」という情報が報告されたのがヨーロッパに謎の東方
小さいころ、母親がまったく別人の顔になっている夢を見たことがあります。家族や周りの人は普通の対応をしてるけど、明らかに顔が違う。誰だこいつは!子ども心には本当に恐ろしくて、朝起きて母親の顔を確認してホッとしたものです。 これは夢だったからよかったけど、自分の肉親や王様だと名乗る全然違うヤツが現れたら、いったいどうなっちゃうでしょう。 今回は歴史上に実在した 「別人物になりすました詐欺師・ペテン師」を紹介します。 1. 偽マルタン・ゲール事件(フランス領バスク)1548年、フランス領バスク・アンダイエに住むマルタン・ゲールはささいなことで父親と喧嘩してしまい、妻ベルトランドと子供をおいて出奔してしまいました。母親と妻は心配でしょうがなく、あちこち行方を捜しますが一向に音沙汰がない。 あきらめかけた8年後、なんと自分のことをマルタンと名乗る男がひょっこり現れました。 なんか顔が変わってるけど
ごく普通の日本人が持つ「イスラム」や「イスラム教」についてのイメージは 戒律とか教えが厳しそう なんか良く分かんないけど、いっつも戦争やってる くらいの極めて曖昧なものではなかろうかと思います。 ただどっちも半分は合っていて、イスラムの歴史は外敵との戦いは勿論、コーランの教えの解釈を巡って同じイスラム教徒同士で戦い続けた歴史でもあります。 日本では大規模な宗教戦争や国を二分するような論争が起こったことがないため、なぜ解釈の違いだけで殺し合うのかイマイチ想像ができないのですが、当のイスラム教徒にとっては本当に生きるか死ぬかの大問題だったりします。 ということで、今回は「正しいイスラム国家」とは何かを巡る争いの歴史です。 1. ムハンマドの社会改革イスラム教の聖典「コーラン」では、人間は神に絶対的な服従を要求されています。服従しない場合は、地獄で罰を与えられ永久に苦しみを受けることになります。
アメリカ大統領選挙は、アメリカのリーダーを決める大事な戦いであると同時に一種のお祭りのようなもので、毎回とんでもない泡沫候補が現れては、アメリカ人にネタを提供しているようです。 自由と民主主義の牙城、アメリカのとんでもない泡沫候補を見てきましょう。 1. すべてのアメリカ国民にポニーを!Image from Political clowns: Candidates whose campaigns made politics laughable, DAILY NEWS2016年度の大統領戦に無所属で立候補予定のバーミン・シュープリームは、自分のことを「フレンドリーなファシスト主義者」と呼んでいます。確かに彼が抱げる政策は違う意味でやばいものです。 例えば「すべてのアメリカ人がポニー(小型の馬)を持てばアメリカ経済は好転する」というポニー経済論や、「エネルギー資源としてゾンビを活用する」という
我々が想像するキリストの顔と言えば、 肩まで垂れた長髪 面長な輪郭 二重でぱっちりした目 こけた頬 口元とあごに生えたヒゲ のような感じです。 絵が下手な人に「キリスト描いてみて」って無茶ぶりしても、だいたいこのイメージに従って書いているような気がします。それにしてもいつの時代からこのイメージが出来上がっているのでしょうか? 初期キリスト教時代のイエス像キリストがゴルコダの丘で十字架に磔にされて死亡してから、イエスの弟子たちはローマ帝国各地にイエスの教えを伝えるべく伝道の旅に出ます。 徐々に信者数は増えていったのですが、どうも最初の頃はキリスト像など特に存在しなかったようです。ヨハネによる黙示録には、イエスの姿についてこのように記述がなされています。 そこでわたしは、わたしと、七つの金の燭台が目についた。それらの燭台の間に、足までたれた上着を着、胸に金の帯をしめている人の子のような者がいた
世界史ブロガー・ライター。古代から現代まで世界史全般について書いたり話したりしてます。 著作 『驚きの世界史』(KADOKAWA) 『「働き方改革」の人類史』(イースト・プレス) YouTubeチャンネル http://youtube.com/@rekilog
タイでは日本と同じかそれ以上に麺をよく食べる。 有名なタイの麺料理と言えばパッタイだが、パッタイとはタイ風炒めという意味で、麺が違えば別料理になる。平べったい麺で作ったらクイティオ・パッタイ。中華麺を使ったらバミー・パッタイである。同じソース味だけど焼きそばと焼うどんと名前が変わるようなものだ。 麺の種類も豊富で、コメの麺だとクイティオ、センヤイ、センミー、カノムジン、クイチャップ、キアムイーなどがある。小麦の麺だとバミー。春雨のウンセン。料理によって使い分ける。少なくともコメの麺のバリエーションの豊富さは日本を遥かにしのいでいる。 嫁はコメよりも麺のほうが好きで、少なくとも一日一回は麺を食べないと気が済まないようだ。日本でもタイの輸入品やベトナムの類似品が簡単に手に入るので、新宿や池袋に定期的に買い出しに行くのだが、新型コロナの影響で外に出られず、タイの麺を切らしてしまったことがあった。
アメリカの女性史・LGBT史にとって重要な人物 アメリカでは長年、同性愛は「自然法に反する」として同性愛者は取締りの対象でした。 同性愛カルチャーは地下に潜って活動していたものの、連邦では1970年代まで同性愛者を逮捕できる法律が存在し、女性は同性愛だと分かると親権を奪われるという厳しい状況でした。 男性のLGBTだと映画「ミルク」で有名なハーヴェイ・ミルクが有名ですが、女性のLGBTを進歩させた人物をピックアップしていきます。 1. シャーロット・クッシュマン (1816-1876) シャーロット・クシュマンは18世紀に活躍したアメリカのステージ女優。 アメリカのみならずイギリスの舞台でも活躍した稀有な人物です。 クッシュマンは非常に男性的で、ハムレットやウォルシー枢機卿などの男性役を演じましたが、中でも「ロミオとジュリエット」のロミオ役は大変なハマり役で、これで彼女はトムボーイ(to
今はグローバル・ヒストリー論の全盛期です。 話題のグローバル・ヒストリーの本は、本屋に目立つところに平積みされているし、雑誌・新聞の批評にもいつも載っています。 グローバル・ヒストリーとは何かという定義はまだはっきり定まってないのですが、ざっくり説明すると、これまでの狭所的・局所的な歴史研究を批判し、時間と空間を大きく広げ、政治・経済・文化・疫病・環境・人口など広範囲なテーマをマクロ的な視点で眺めることを目指す歴史分野です。場合によっては歴史の始まりを宇宙のビッグバンにまで求め、宇宙的観点から歴史を見ることで、現在の地球環境問題を歴史的に定義づけ新たな価値を生み出すことを目指します。 また、これまでの歴史が西洋近代を中心に考えていたのを批判し、アジア、イスラム、アフリカ、南米、太平洋など各地域を相対化し、それぞれの関係や連携に注目して世界的規模の物語を描こうとする試みもグローバル・ヒストリ
1947年5月12日に発刊された「LIFE」誌を飾った一枚の写真に、アメリカ中が騒然となりました。 その写真とは、24歳で簿記家のイブリン・マクヘイルがニューヨークのエンパイア・ステート・ビルから投身自殺をした時のもの。 死後の彼女の姿のあまりの美しさに「史上最も美しい自殺」と称される前代未聞の事件になりました。 イブリン・マクヘイルの投身自殺 1947年4月30日午前10時40分ごろ、24歳で簿記家のイブリン・マクヘイルがエンパイア・ステート・ビルの屋上から飛び降り、下に駐車していた国連のクルマに激突して死亡しました。 たまたま近くを歩いていた写真家志望の学生ロバート・C・ワイルズは、彼女の体がクルマに衝突する大きな音を聞き、おもわず現場に走っていきました。 偶然カメラを持っていた彼は、事件によって渋滞したクルマの屋根によじ登りその姿をフィルムに収めました。彼女が地面に衝突して、わずか4
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