サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
トップへ戻る
2024年ランキング
nonomachon2nd.hatenadiary.org
技術英語というのはそれ一つでジャンルである。特徴があって、中学生程度の英語力でもほとんどが訳すことができる。技術英語を嫌がる理由というのは、単に英語耐久力が低いに過ぎない。 国内の技術情報はゴミしかないので、自然に英語の情報を当たることが多くなるはずだが、未だにはてなブックマークに載るのは英語のソースでなくその日本語訳のページが圧倒的である。私は以前から理解できないこととして、中学生にも出来ることをいい大人が得意がって必死に作業して、いちいち英語情報を日本語でお届けるするというのは、どういう心理構造なのだろうか。まったくの無駄で不毛であって、近いうちハゲるぞとしかいえない。 英語技術情報を日本語に訳すのは、二重の意味でアホである。訳す側からすれば、そんなことをしても所詮中学生英語なので英語力の向上には結びつかず、中学生英語を日本語に訳すという作業によって、日本語力まで低下しかねない。そして
慌しい毎日の中で、チームメンバーの一人はリタイアしていった。ある日突然来なくなった。しばらくすると荷物を取りに来て、「すいません。リタイアです。」とだけ残して去っていった。その人が担当していた仕事は荒川智則に回ってきた。月日は流れ、とうとう最初の携帯が発売された。荒川智則は自分が関わったものが製品として市場に並んでいることが信じられず、嬉しく、毎日のように2chの携帯スレッドを見てニヤニヤしていた。製品を使ってくれているユーザの全てがいとおしかった。2chで誰かがバグ報告をすると、自分のところではないかとひやひやしたりした。携帯開発は続いた。次のモデルが発売され、さらにその次もと続いていった。あるときうちのチームの担当箇所で、致命的な問題が起きた。それが発生すると、二度とその携帯は使えなくなるという最強クラスのバグだった。しかも犯人はベテランさんか荒川智則だった。調査の結果、ベテランさんが
茂木氏が述べていることは素朴過ぎて取り上げる価値は無い。 内田氏のはおもしろい。若者に選別の恐怖を与えるな論。 日本の人事システムについて しかし若者は20年何かをやってきたわけである。今更選別がよくないなどと甘ちゃんじゃないか。選別に耐えられないようではお前何してきたんだこの20年という話になる。「ケータイを持ったサル」の正高信男あたりがネオテニー論を持ち出して騒ぐだけだ。 新卒一括採用は悪だから廃止すべしといっても、廃止されて一番困るのは当の若者だ。新卒一括採用がなくなればアメリカやヨーロッパのように若年失業率は跳ね上がる。経験者たちと同じラインで就職活動するわけだから当然の帰結。若者が負うハンデは消えることはない。 新卒一括採用がなくなれば、卒業と同時に就職しなくてもよいということになり、大学三年、四年と学習を積み重ね、卒業後も院に行ってさらに重ねたり、放浪やボランティアやアルバイト
娘よお前が生まれてから 父さんはがんばらなきゃって思ったんだ 他のお父さんに負けないように まじめに働いて 汗を流して かわいい服をたくさん買ってやって いろんな遊園地に連れて行ってやるんだ 授業参観で恥をかかせないように ダイエットだってもうすぐ始めるんだ 母さんとお前を悲しませないように 健康にだって気をつかうんだ ビールだってコーラだって いつだってやめられるんだ いつか自分で会社をつくって 重役出勤してやるんだ でも今日のお父さんはまだ未完成なんだ お前に話しかけるときビール臭くないか気になるんだ お尻をぽりぽり掻いた手でお前を抱きかかえるんだ 空っぽの貯金通帳を穴があくほど眺めるんだ 電車の中で吊革につかまってるとき ワキの汗の匂いが気になるんだ 息を荒くしてハンカチで顔や首をぬぐいながら とてもかっこ悪いと思うんだ 会社で上司に怒られているとき とても情けないと思うんだ 毎日夜
secondlife氏もはてなを去ったようです。並の会社よりは技術者待遇が良さそうに見えるだけにやめた理由はみなさん気になることでしょう。氏の離職記事へのブックマークのコメントを見ても、韓流スターの後追い自殺をする主婦みたいに「俺もうずうずしてきた…」的なコメントも見られます。私も転職したがっていますが技術者たるもの何かしら今の会社に不満があるものなのでしょう。 コード書きには世界を変える力がある、などと昔は思ったこともありました。未だにそう思っている人もいるようです。 IT業界は夢の宝庫。ちょっとしたサービスを1年必死にやるだけで世界中に有名な成功者になれる稀有な業界 こんなコメントがされています。しかし実態はそうやって己を鼓舞しなければ明日も生きてゆかれないような荒地なのですが。つい物言いが非国民通信の人みたいになってしまいます。 先日、とても興味深いことがありました。iphoneでエ
東浩紀氏がカッコいい。 ところで歌野晶午の「密室殺人ゲーム王手飛車取り」を読んだ。期待していたがネタもオチも「六枚のとんかつ」レベルだった。しかしこれは単なる布石だったようで、続く「密室殺人ゲーム2.0」にはぶったまげた。この本はしょっぱなにweb2.0の説明がある。読み進めると、そう来たか!とひざを打った。ありそうでなかったメタトリック。歯噛みしてる作家も多いんでは。この作品は三部作のようで、最終巻が楽しみでならない。少し前に「どうしてラノベ層はミステリになじめないのか。情弱?」みたいな話があった。この密室殺人ゲームを読んでおもしろいと思う心性こそ原因だろう。この本の基本設定では、ビデオチャットを介して互いをハンドルネームで呼び合うミステリ同好会のメンバが毎回交代で、無辜で無関係な人間をバラバラにしたりして殺して、トリックを仕掛けて、残りのメンバに出題して解答を競うという不謹慎なものだが
「他人と暮らす若者たち」という新書を読んだ。友人に一人、もう数年以上もルームシェアというかハウスシェアを男女混合で実践している奴がいるので、また、実際にそこへ泊めてもらったこともあり、一般人よりはルームシェアについてイメージを持っているつもりだ。友人の話を聞いた限りでは、ずいぶんとメリットが多い仕組みのように思う。この本の中でも、基本的にはプラスの面を中心に構成されている。家賃が安く済む。同じ家賃でも広い部屋に住める。寂しさがまぎれる。他人の目を意識することで自らの生活が律せられる。いろいろな価値観に触れられる。デメリットには目をつむってしまえるほど、あまりにも得るものが多い様子。 ルームシェアという問題は、住居問題でもあり、家族問題でもあり、福祉の問題でもあり、実に様々な要因と絡まっているようだ。この本では、最後の方でシェアモにまで言及されていた。また、シェアを一歩進めて、他人同士の助け
ショートショートのススメ・ニコニコ動画のような小説投稿サイトを考える〜前編〜 についてとても興味深い論だと思うけれど、どうしていまだにそういうものがないかがすでに答えを示している。 テキストはシークが出来ない。ニコニコ動画に投稿された動画は、先頭から再生しなくてもよい。どのポジションにも適当にジャンプして、どのポジションをとっても切り出して意味化出来る。それがアニメだろうと歌だろうと。pixivの絵もそう。思い思いにスライドショーを飛ばして、拡縮可能。絵の全体を見てもいいしフトモモの部分のみを見てもいい。 しかしテキストによる物語はそうはいかない。物語はどこか一箇所でも途中が欠けてしまうと物語ではなくなる。必ず先頭から読み始めて、途中で本を閉じるときにはしおりを挟まなければならない。続きはしおりから始めなければならない。それを消費したと判定できるタイミングは最後の文字を読み込んだときしかな
以前友人が所属する変態劇団の舞台を見に行ったとき、まだデビューもしていない小説家志望の男性が原稿用紙にペンを走らせるというシーンがあった。突然携帯が鳴り、シーンが進んでいく。どうして変態かというと、観客の前でフェラの演技をしたので。そういうの大好きだが。 演劇と文明の利器は相性が悪いことが多い。登場人物が作家を目指して今執筆中というシーンを示すのに、パソコンでワードを開いてカタカタやっていても観客には何をやっているのか伝わらない。原稿用紙とペンでないとそれは伝わらない。逆に携帯は舞台のツールとしてはうってつけのようだ。演技でもしきりに携帯を利用していた。ここらへんのツールの差というのはいろいろと興味深いものである。 それを見て、今時、原稿用紙に直書きしている作家なんているのかと思った。しかし、モノを書くというのは完全なるセンスの世界なので、おのおのが独自のスタイルでもってあたるはずだ。自分
twitterが良い例だが、時代は全記録へと向かっている。自動車の事故処理の健全化のためにドライブレコーダが普及の兆しを見せている。もう数十年もすれば、個人がパーソナルレコーダを保持するのが当たり前になって、24時間あらゆるものを個人の視点から記録するようになるだろう。人権だプライバシーだと時代遅れな人は叫ぶかもしれないが、全てを記録することの圧倒的な利便性はあまりにも魅力的だ。 そのような時代になれば、冤罪は消えるだろう。それどころか、人々は生き方の規律さえ変えてしまえるかもしれない。神が遍在するようになるのだから。 もちろんそれはまだ先の話で、現代人は不便ながらも少しずつ記録範囲を広げていくしかない。 普段仕事をしていて、メモを取る必要が生じることは多々ある。その度に、ある人はリアルの付箋紙を使うし、ソフトの付箋紙や「紙」を使うかもしれない。メモだからさっとすませる必要があり、わざわざ
今でもそれほど時間が経ったような気はしないが、気が付けば25歳になってしまった。東京の冬は、別に寒くもないし、毎朝ペプシNEXを買うコンビニのおばちゃんの顔は見飽きないし、鏡に映る自分の顔も変わり映えもしない。時々見下ろすと目に付くキーボードのホコリはパズルのピースを埋めるみたいにピタリと隙間に積もっていくさまに呆けているうちに、ペプシを包むラベルが取り替えられるのと同じくらいのペースで毎日は過ぎていくのだろう。恐らく輝いている人や前に向かって進んでいる人たちと自分との分解能の違いにさえ目をつぶれば、毎日はただ過ぎていくのだろう。みんな、どうしているだろうか?僕にとってあの旅は本当にかけがえのないものだった。あの腐り切った闇から自分が救われるなど思いもしなかった。幾人かについてはブログの記事から想像できる。python使いのcladdvdさんは、関東のコンピュータ会社へ就職して、楽しく、充
すごく楽しい人たちばかりで最高だった。おとといだったか京都で一緒に打ったおっちゃん兄ちゃんええキャラクターしとるおもろいとか言ってくれた。対面からリーチかかってお願い!ツモらないで!!ってお祈りするポーズしてたら似合いすぎだからやめてくれって笑われた。なんだよそれ。マージャンのこととかうまい中華料理のこととか、なんかとりとめもないことを時々ぼそぼそと話した。マージャンときの会話って結構特殊なんだよね。みんな自分の手をみながら次どうするか考えてて、それしながらちょっとした会話をして、みんなでニヤニヤしながら、ときにはでかい手に振り込んで暗い顔しながら、そうやって何時間も一緒の卓を囲んでると、なんか十年来の知り合いのような気分になってくるんだよね。みんなは知らないだろうけど、マージャンやってるおっちゃんたちって、一度席についたら負けようが帰らないからね。5時間くらいは普通はいる。ひどい人だと1
プラス七千円だぜべいべ。 まだまだいくぜ! 最後やめときゃよかった。-千円で終了 さて、出発だ。寝てないけどなんとかなるだろ。 ちなみに風俗はいってない。もう卒業さ。 風俗行けばよかった。さびしい。 タクシーのおんちゃんに国道三十二号線沿いにコンビニがあるか聞いた。結構あるようだ。はあ、がんばるか。 さすがにパソコンの本を4冊はやりすぎだ。重い。超重い。 139キロ しらんできた なんで足が痛いのだ? コメント欄でちらと出てた「孤独日記」というやつを読んでいた。最近のはなくて、ちょっと前の過去ログを。麻雀はやめようと思った。しかし本当に人間というやつは、個々人の能力に差なんてないと思う。ただ置かれている環境が違うだけ。この孤独日記の管理人も、俺も、どこかの会社の部長さんも、忙しそうにてきぱきと作業していくOLも。恐らく能力には誤差くらいの差しかない。それなのに、涙を流す人や流せない人がいる
もうずいぶん以前から、社会はニートや引き篭もりを貶めるために精力的な活動ばかりするようになってしまった。彼らは僕らに向かって、人としての役割を一切負担しないしできない欠陥品であり、就業や恋愛など人間的社会的活動を行う能力を著しく欠いた廃棄物以下の存在であると、常々メディアやブログを通して発信してきた。直接的に知覚できるものばかりでなく、僕らへの蔑視を暗に滲ませる文章もいくらでもあった。中でも噴飯ものだったのは、彼らが僕らよりも知において優先席に座っていると規定している点である。彼らは有能で、僕らは無能なのだと。だが、それは違うのだ。労働による達成感や責任感や疲労感に酔っている、脳に局所麻酔をかけているような頭ではそう思うのも仕方のないことなのかもしれないが、冷静になるまでもなく、無能なのはお前らの方である。この国の真の問題は、ワーキングプアなどではなく、この働く低脳層、つまりワーキングフー
「30歳まで童貞で過ごすと魔法が使えるようになる」この文言は登場するやいなや、全国の非モテや童貞たちの心を鷲掴みにした。科学的な根拠などなきに等しい。実際に魔法が使えるという実証者が現れたわけでもなく、かといって無視しきることもできない強大な魅力を備えていた。残念ながらこの文言は広くネタとして一般解釈され、テレビゲームドラゴンクエストに登場する呪文になぞらえてやれパルプンテが使えるようになっただとか、手を使わずに射精できるようになったとか、そういった文脈ばかりが傑出していた。今ではこの文言自体に新鮮味も刺激もなく、使い古されたAAと同程度に同用途に消費されていくのみである。不肖ながらこの私も、当時は魔法使い見習いとして、やがて訪れるであろう変革の時を心静かに待つ、若き童貞であった。ちなみに今も童貞であるが。頭がどうかしていた私は、冗談でなく本気で信じていた。魔法が使えるようになったらお城作
昨日は午後から高知駅のコインロッカーまで保険証と免許証を回収しに車で行っていた。 て、携帯からはてな更新できねぇぞ。はてな勘弁してくれ。postfixなんか使うからこんなことになるんだ! このトンネルを抜けたあと更新が途絶えた。 お、やっとなおったみたいだ。 さっきのトンネルから少し行ったところにあるコンビニ。カップルが憎かった。カメムシみたいなもんだ。あいつらは夜になると群がってきやがる。 で、コンビニのすぐ目の前にある高架下。ここで、携帯の故障に気付いた。帽子もここで放り捨てた。 このトンネルがひどい登り道だった。こっから先翌朝結局おっちゃんに車乗せてもらうまでコンビニなかった。 俺は病院の待合のイスでプログラミングルビー読みながら微動だにしない老人どもの列を眺めていた。老人どもはあとからあとからどんどん追加される。院内から看護士だか介護士だかが運んでくる。その職員どもはみんな若かった
子供の頃の世界って何であんなに綺麗だったのか。僕は仮面ライダーの変身ベルトとライダーヘルメットを装着して、へんし〜んって毎日ヒーローごっこやってた。ごっこなんて名前はついてるけど、やってる本人たちは超真剣だった。みんなが仮面ライダーをやりたがるから、誰も敵がいなくて、それでもなんとかストーリーを展開させて、ひどいときなんか最初から最後までへんし〜んってみんなで言い合って終わっていた。僕たちはライダーキックが使えたし、悪の秘密組織ショッカーと唯一対等に闘えるこの星のヒーローだった。ライダー仕様の三輪車にみんなで乗り、フェンスに囲まれた狭い公園の敷地を何週もしながら怪人と闘った。ライダースーツなんかなくても、僕らはいつもヒーローだった。どんな猛獣が生息するかわからない竹やぶの中に広告を細く丸めて作った即席の刀剣を片手に飛び込んで行き、虫にたくさん刺されてもびくともせず、中が真っ暗で何も見えない
温泉の隣りにあった屋根の下にイスがあるところで寝袋で寝た。朝起きて準備していると温泉いつ開きますかとメガネのおじさんに尋ねられそっから世間話してたらモーニングおごってくれることになった。おじさんの車で店探した。見てみると車ガソリン空寸前だった。大丈夫かよ。喫茶店で食べながら話した。科学とか国際方面に強い人でアグネスチャンから石炭石油スポーツ人類学まで話が及んだ。難しかったけど勉強になった。印象に残ってるのは、若者は洋式を好み年寄りは和式だといってた。若者はナンパとか恋愛でくっつくけど年寄りはお見合いみたいな。おじさんありがとう。おじさんみたいな大人になりたいな。 蚊に襲われて朝方まで寝付けなかった。てか石像がまじ怖かった。 今日は晴れた。うれしい。温泉にまた入った。また充電させてもらった。マッサージしてたら足が抜けなくなって焦った。さていくか 先は長いな 帰郷した友人がいった。高知は空がき
この記事は妄想ですからね。オフショアだアウトソーシングだなんていう話はアメリカの遠い遠い世界のことであって、日本語という壁に守られたこの国では一時的な話題にはなろうが所詮は煙で終わるよなんていう話は、眉唾もいいとこで、日本国の援助を受け留学してきた中国の学生たちは流暢な日本語操作能力を手に入れ、母国に持ち帰り、その種は近い将来僕らの仕事を根こそぎとはいわないけど大部分をかっぱらっていくことは、必至だと思う。雑誌の編集やデザインという知的と思われる分野にまで中国の侵食は進んでいることが以前話題になったが、プログラミングやシステムの設計・運用といった部分も、すでに他人事ではなく、絶望的な状況である。これは、何も日本人が中国人よりもはるか劣る脳みそであるだとかそういう次元の問題ではない。学習環境の問題である。プログラマであるために別に数学者である必要はない。小難しい理論の創出とかは酔狂な奴らにま
誰だってあるだろう?今自分が必死になって何かにしがみついてるって時が、異邦人によって今にも開け放たれようとするドアをがむしゃに押し止めようとしている時が。 恐い夢を見たときなんてそうだ。ゾンビが後ろから迫ってくる。必死になって逃げて、逃げて、とうとう行き止まりに追い詰められる。でも大丈夫。だってこれは夢だって知ってるから。いつだってそう。ちゃんと都合よく覚めるもんさ。ほらこいよゾンビ。かじりついてごらん?そうやって悠悠自適に構えていたら、あれ噛まれたぞ?痛い、痛い、おい、終わるんじゃないのか?なんで続きがあるんだ。どうしてだ?夢じゃなかったの? スイッチを押さないまま放置し続ければ、いずれ劣化して壊れてしまう。カチカチやっても明かりはつかないままで、壊れたことに気付かないままで。僕は部屋のライトを点灯しようとしたけれど、何度押しても反応はなかった。 僕はずっとスイッチを見ていた。押すのなん
結局二日間丸々雀荘で過ごしてしまった。いや、僕だけでなく同卓していた他の3人のおっちゃんやにいちゃんも僕と幸せなひと時を過ごしてしまった。結局プラス3000円で終わったけど満足だ。みんな30時間以上寝ないで連続で打ってるのにまるで疲れた様子もなく飛んでいく。すごい体力だ。本当に麻雀はいい。男の美学っていうかなんていうかたまらない。僕はこの雀荘の常連なのでいろんなお客さんを見てきたけど、もちろん女なんてまずいない。非モテのみんなにぜひ強調しておきたいのは、雀荘に来る男たちっていうのは、それはもうひどい顔をしている。猫の肛門から生まれたばかりの馬のようなツラをした人たちばかりだ。なんて素晴らしいんだ。みんな不細工だ!僕も客も店員もみんな不細工だ!ああ、素晴らしい。非モテの人で麻雀知らない人がいたら即効で覚えて手近な雀荘へ駆け込んでみるといい。パラダイスだよ。 さて、つまらん寄り道をしてしまった
youtubeでアイドルがエロい服でナンパ待ちをしたらどうなるか、という動画を見た。 確かにエロい服ではあるが、マスクをしているので、ナンパやスカウトの人たちは判断が難しいのではないかと心配になる。顔が見えないからだ。 テレビでも職場でもスーパーでも、マスクから足が生えたような人々が立ち回る。 人々に顔があったことさえ忘れそうになるコロナの季節。 こんなときにナンパ師やスカウトはどうすればいいのだろうか。顔を基準に目標を定めていたのにその顔がもう現れない。駅前で品定めをすることは難しいだろう。 マスクを外す時間を狙うしかない。そうなると必然的に飲食店の内部のみがナンパ場となる。一人フロアの隅の方に座り、マスクを外して咀嚼する女性たちの顔を見定めるようになる。飲食店の中では周囲の目もあり声をかけづらい。 女性が外に出たあとを会計して追いかける。こんなやり方では一人に対して一食分の出費になる。
本来ならとっくに長年癒着していた地元からこの身を引っぺがして颯爽と飛脚のごとく明けの明星目指して自らが二足歩行生命体ネオテニーであることを確認して悦に入っているところだったはずが、今もこうして慣れ親しんだキーボードでタイピングオブザデッドでそこらへんの主婦に負けない好成績を叩き出す自慢の五指たちと共に駄文を書き散らしている己の浅はかさと醜さと尊さにめまいを覚えずにいられないけれどさっきオナニーしそこなった僕ですが、いま一度ふんどしを締めなおして今後の抱負を述べてみたいと思います。 まず、8/31に高知県の片隅をひっそりと出発して東京までひたすら歩いていくというくだらない計画を打ち立てた僕でしたが、いざ出発の日が近づくにつれ、そのあまりのあほらしさにいやけが射し、逃亡を企てました。もともと知性だとか知識の層の厚みなんて持ち合わせていない僕でしたので、エントリの質も日に日にやせ細り、ネタの残弾
このページを最初にブックマークしてみませんか?
『nonomachon2ndの日記』の新着エントリーを見る
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く