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硫黄島の戦い(昭和20(1945)年2月16日~同年3月26日)は、大東亜戦争末期に小笠原諸島の硫黄島において日本軍とアメリカ軍との間に生じた戦闘です。 日本軍は、20,933名の守備兵力のうち20,129名までが戦死されました。 硫黄島の戦いは、大東亜戦争後期の島嶼での戦闘において、アメリカ軍地上部隊の損害(戦死・戦傷者数等の合計)実数が、日本軍を上回った壮絶な戦いでもあります。 第二次世界大戦中にアメリカ海兵隊に与えられた名誉勲章の、実に4分の1以上が、硫黄島侵攻部隊のために与えられています。 さらに米海軍は、いくつかの艦船に「イオー・ジマ」と命名しています。 大戦後に制定されたアメリカ海兵隊記念日は、硫黄島の戦いにおいて、同島の擂鉢山に星条旗を立てた日でもあります。 戦没者を弔う米国立アーリントン墓地のアメリカ海兵隊戦争記念碑は、硫黄島の戦いで掲げられた星条旗をかたどったものです。
■第三期日本史検定講座申込受付中 http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-2003.html ■ねずさんのひとりごとメールマガジン有料版 http://www.mag2.com/m/0001335031.htm ↑ ↑ 応援クリックありがとうございます。 最近、一部の左翼系議員や論壇などから、戸籍不要論などというとんでもない声が聞こえてきます。 何をもって廃止と言いたいのか、まったく理解不能ですが、そんな矢先、9月19日に以下のような報道がなされました。 ======== 【誰が戸籍変えた…7人と縁組され、名字変更5回】 http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20130919-OYT1T01000.htm 知らない間に、面識がない7人と養子・養親の縁組を繰り返したように戸籍が変更されていたとして、東京都内の建設
朝鮮戦争といえば、北朝鮮と韓国の戦争であることは、誰もが知っていることです。 実は、この戦争に、ある政党が日本の「軍」として参戦していた、と申上げたら、みなさんは驚かれるでしょうか。 朝鮮戦争では、南朝鮮側の軍は、「韓国軍、米軍、国連軍」によって構成されていました。 一方、北朝鮮側の軍は、「北朝鮮人民軍、中共人民義勇軍(のべ300万人)、ソ連軍」そして、日本共産党軍が、これに参戦していたのです。 はじめに簡単に朝鮮戦争を振り返ると、昭和25年6月25日に、北朝鮮人民軍が、突然38度線を超えて、韓国側に侵攻しました。 当初、ソ連製のT型戦車を中核とする北朝鮮人民軍は、まさに無敵で、破竹の勢いで朝鮮半島を征圧していきました。 なにせ機関銃も迫撃砲もバズーカ砲も、頑丈なT型戦車の前には、まるで歯がたたない。 ソウルの南にある水原に逃げ落ちた韓国軍のもとに、当時GHQの総司令官として東京にいたマッ
最近の韓国で、もっとも嫌われている日本の人物の代表といえば、豊臣秀吉があげられます。 理由は、文禄、慶長の役(ぶんろく、けいちょうのえき)で朝鮮半島に攻め込んだからなのだそうです。 一方、この出兵に際し、日本と朝鮮半島の海峡で戦った李舜臣は、まさにヒーローとされているそうです。 彼らの言い分によると、李舜臣の戦いによって、日本は海上を封鎖され、朝鮮半島への補給路を断たれた日本は、半島からの敗退を余儀なくされたからなのだそうです。 まあ、韓国人にとっては歴史はファンタジーですから、そう「思い込みたい」気持ちもわからないでもありません。 けれど、事実関係はまるで異なります。 また、慶長3(1598)年)年11月18日の露梁海戦(ろりょうかいせん)では、明国と朝鮮の連合軍の指揮を執りながら、日本軍の圧倒的な戦力の前に、戦死しています。 李舜臣によって、日本が海上補給路を断たれたという事実は、どこ
戦前に日本のスローガンとして掲げられた「八紘一宇」について書きます。 「八紘一宇」というと多くの人は「第二次大戦中、日本の海外侵略を正当化するスローガンとして用いられた」程度の認識しかないようです。 ほんとうにそうなのでしょうか。 世界大百科事典では、「八紘一宇」を、 「自民族至上主義、優越主義を他民族抑圧・併合とそのための国家的・軍事的侵略にまで拡大して国民を動員・統合・正統化する思想・運動である超国家主義の典型」と説明しています。 昭和32年9月、衆議院文教委員会で、松永文部大臣は、 「戦前は八紘一宇といって、日本さえよければよい、よその国はどうなってもよい、よその国はつぶれた方がよいというくらいな考え方から出発していた」と説明しました。 昭和58年1月衆議院本会議で、中曽根康弘総理大臣は 「戦争前は八紘一宇ということで、日本は日本独自の地位を占めようという独善性を持ち、日本だけが例外
先日、日心会メルマガに、以下のお話を書きました。 インカ帝国のお話です。 ~~~~~~~~~~~~~~ 最盛期には、80の民族と1600万人の人口をかかえていた。 巨大な石の建築物、 カミソリの刃も通さないほど精巧に重ねられた石の加工技術、 黄金の仮面 水晶のドクロ、 土器や織物 謎の高原都市 インカの遺跡は、ものすごく高度な統治システムと、進化した技術に彩られています。 ところが、それだけの巨大文明でありながら、いまでは、その歴史、伝統、文化の一切は失われ、遺跡もただ「謎」です。 このインカ文明のおおもとにあたるアンデス文明は、紀元前7500年ころまでに始まったとされています。 紀元前7500年といえば、日本では鹿児島沖でカルデラ大爆発が起こり、遠洋漁業が始まった頃です。 アンデス文明を形成したインカの民は、男性の身長が平均1m57cm、女性が1m45cmくらいのモンゴロイドです。 遺伝
シルベスター・スタローンの「ランボー」といえば、2008年にも「ランボー最後の戦場」が公開された、いわずと知れた大ヒットシリーズです。 ところが映画の主役のジョン・ランボー顔負けの大活躍をした日本兵がいます。 お名前は、舩坂弘軍曹。大正9年のお生まれの方です。 昭和19年3月、23歳で除隊を目前にした舩坂氏は、宇都宮歩兵第59連隊軍曹として、パラオ・ペリュリュー島南西のアンガウル島に着任しました。 アンガウル島は、東西2.5km、南北3kmほどの小さな島です。 米軍はここを占領し、飛行場を作ろうとした。同年9月11日、米軍が来襲します。 開戦から5日間にわたり米軍は、まず空母ワスプから発進した爆撃機で島の絨毯爆撃を行った。次いで戦艦テネシーから、島の形が変わるくらいの激しい艦砲射撃をした。そして9月17日、米陸軍第81歩兵師団2万1千名が島の北東と南西の二面から海岸に上陸します。 このとき
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