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今年の「かわいい」
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ブログ終了においては理由とか気になってしまいがちだけれども、世の中なんでも理由が明らかにされるわけじゃないのです。 それに更新が終わってしまっても、ばら撒かれたミームは回収不能なほどに拡散してしまっているので終了ということにいかほどの意味があるのかはわかりません。でも終わるのです。そういうもんです。 いずれにせよ、ここでリファりリファられコメりコメられスタりスタられた方々にはとても感謝しています。ありがとうございました。 そして、はてなダイアリーを作ったid:jkondoさん。いろいろ遊ばせてもらいましたありがとう。いい感じに成功してください。 あとid:みんな。もうちょっと仲良くしろ。 あとあとid:非モテ。モテろ。 あとあとあとid:長期休筆のやつら。書け。 ではね。さよなら。 2007年創作リスト(創作じゃないのも混じってるね。みなさん読んでくれてありがとう) ごはんの擬人化に意義を
おれがアニメやイラストのパンチラに敬意を払えない理由といえばこれはもう一つしかなくて、そのパンチラが用意されたパンチラ、約束されたパンチラ*1だからだと思う。 アニメでどんな激しいアクションをしても、あるいはイラストがどんなにきわどい構図だとしても今現在パンツが見えないのであればそれは作者が意地悪か、商業主義に屈しなかったか、放送時間が深夜じゃないかのいずれかにすぎない。 見えてしかるべきシチュエーションにも関わらず偶然に偶然が重なってパンツが見えなかったなどということでなく、ただ単に描かれなかったから見えなかったということなわけだ。 翻ってもし当該パンツが見えたのだとすれば、状況がそれを許し作者が明示的にパンツを描いたからパンツが見えるのであって、それは見られるために描かれたパンツということでもある。ひらたく言えば見せパンである。見られてもかまわないパンツ。そんなもの女子高生がスカートの
ラナルータをダイの大冒険式に天候系魔法に分類すると、そりゃあ地球まるごと半回転させるだなんて最強魔法だわとなるのだけれど、ただあの消費MPからして天候系ってのはウソだろというのが大半のドラクエファンの意見だった。 ラナルータは単純に時間跳躍魔法、もっと言うとパーティをとりまく周辺数メートル程度の原子の流れを遅くする魔法という解釈だったかと思う。時間跳躍というよりも時間凍結。原子の運動エネルギーを魔力の補填に当てられるから消費MP少なくてもいいという説を唱える人もいたはず。 ただラナルータが時間跳躍系に分類されるとしても、ラナルータ最強魔法説は揺るがないと思う。なんとなればラナルータの連続詠唱により宇宙の終焉まで時間跳躍すれば魔王も死ぬだろうし。
会議室でおっさんたちが口角泡飛ばしながら丁々発止のやりとりをしてるのを見てふと思ったのだけれど、この丁々発止てのは、こう……仔猫が花畑の間を飛び交うちょうちょをあちこちと追いかけながら、狙い定めて手をのばし、はしっとつかもうとするんだけれども、でも逃げられちゃうようなサマを表した言葉なのじゃないかなぁと思った。 そう考えたらなんだかおっさんたちの顔もやさしくみえてきたのだった。
みんな読んだほうがよいよ。 光とか時間とか http://mapping.jp/archi/2007/10/post_46.html メタバースの形状http://mapping.jp/archi/2007/10/post_40.html はじめまして http://mapping.jp/archi/2007/10/post_37.html (円城塔さんが建築デモに参加 http://mapping.jp/archi/2007/10/post_34.html)
ここ10年くらいネットで見かける言い回しに「時代の曲がり角にいる」云々というのがあるのだけれど、この「時代の曲がり角」ってなんだか調子に乗っていると思う。そろそろ痛烈にDISっといたほうがいい。 確かに「時代の曲がり角」はすごいと思う。「過去」にいたときは曲がり角の向こうにある「未来」は見えなかったけどそれが見えるわけだし、逆に「未来」に到達すると曲がってしまったあとの「過去」を正しく見ることができなくなる。曲がり角にいるときだけ「過去」も「未来」も同時に見据えることができる。ちょっとばかし「過去」や「未来」に優越感感じてしまう気持ちもわからないでもない。 だが問題は本当にそこが「時代の曲がり角」かどうかなのだ。おまえただ「過去」「未来」に優越感感じたいためだけに曲がり角のふりしてるんじゃないのか? むしろ見通しのいいゆるーいカーブなんじゃないの? 曲がり角自慢するなら曲がり角らしくせめて
海鮮丼の名前に海神ポセイドンの名をつけるなんてかなりのこだわりだなと思った。 これに対抗できるのは世界樹の名を冠しあらゆる山の幸を投入した「ユグドラ汁」くらいだろう。 アンティパストには猿肉を贅沢につかった饅頭「ハヌまん」、デザートには焼き菓子「アスタルト*1」などどうか。 あるいは貪欲の象徴でもあり、かつ名前からしてスイーツの王様っぽい「アマイモン(別名マモン)」でコースの締めとするのもよいかもしれない。 *1:ウガリット神話の
(いやホントは一つってことはなくたくさんあるんだけど)おれがプログラマって人種を尊敬するただ一つの理由といえば、これはもう「にわとりたまご問題」てきな現象を不可解だなんだと文句いわずに、それが効率的ならばそれを使って結果に結びつけるところと言える。 たとえばman manである。manコマンドの使い方を知るのにmanコマンドを使うなんていうことが本質的に間違っているだとかなんだとか言うのは効率的じゃない。それが必要であればそうする。 あるいは再帰関数。自分で自分を呼ぶという考えを思いついたプログラマ、そしてその効率を理解し利用しつづけるプログラマはすごい。 またあるいは(昔懐かしいけど)COREWARS。プログラム同士が、メモリ上で戦うゲーム。そこではデータもプログラムも等価*1であり、そのことはやはりにわとりたまご的な構図を思い起こさせる。 自身を複製して生存率を高める方法や、相手のプロ
初音ミクの人気を説明するつもりはないのだけれど、ただ初音ミクなりああいうソフトなりがすばらしいのは、いままでコントロールが不可能あるいは難しかったものがコントロールできる・チューンできるようになったことだと思う。 同じく、セカンドライフのアバターデザインのコントローラブル感も楽しい。ツマミひとつでTシャツの丈をのばしたりチビTにしたり、筋肉を太くしたり細くしたり、毛髪をもっさもさにしたり中途ハンパにして頭頂部だけハゲあがったり。肉体のどの要素をコントローラブルなパラメータとし、チューン可能な対立軸をどう定めるかっていうのは製作者の職人芸に頼る部分があるかとは思うけれども、そんな苦労は利用者は気にしなくていい。 要は世界がツマミひとつでチューンできること、それがすばらしいのだ。 この「世界をチューンできること」をすばらしいと感じる気持ちが初音ミクへの期待やMAD職人への賞賛にもつながるのだろ
はてな村について言及している人を全員リストアップして その中心を探したら何かわかるんじゃないか説 http://recentmemory.g.hatena.ne.jp/extramegane/20071019/1192757955 半径ワンクリックの世界ではてな村をみると、とても小さいのである。 http://d.hatena.ne.jp/fk_2000/20071016/p1 そーかー、やっぱりidのANDをとるのかーと思った。問題はどこからidリストをとるかなのだけれど、http://d.hatena.ne.jp/REV/20071003/p4に挙げられてるリストのうちとりあえず3つつかってみた。 1.はて☆に見る、はてな村 http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/jt_noSke/20070918/1190103439 2.
なんつか。はてなキーワード「ttp://」がきになる年頃っていうか、でもだって「ttp://」を含むエントリってのは書き手がなんらかの理由でリンクしなかったわけです。 それはリンク先への書き手の思いやりだったり、対象を生ぬるく見守りたいという意思だったり、リンク先とは係わり合いになりたくないという思いだったり、それら様々な意図が「http://」からhをとるその一事に集約されているのですね。 そういった諸々の思いを、はてなのキーワードシステムが根こそぎさらって、ひとくくりにしてしまう、その現象がなんだか怖くもあり楽しくもあり、とにかくきになるわけです。 そして考える。 「ttp://」を含むエントリに存在するそれらの「どこにも向かわないリンク」たちを全部あつめて羅列するサイトを作ったら、書き手のリンクしたくないという思いを踏みにじるサイトができるのだろうか? リンクされる側の意にそぐわない
最近のドラマで、漫画原作付が多い本当の理由がなんとなくわかった気がするのだが、つまり、ドラマ公式サイトのキャストページで男性キャラを黒塗りせずに漫画キャラで置き換えられるからではなかろーか? たとえば有閑倶楽部の公式(http://www.ntv.co.jp/yukan/cast/chart.html)でも、美童や清四郎は(写真が出せない都合上)キャラ絵になっている。これがもし、原作なしのオリジナルドラマだったらキャラ絵のかわりに黒塗りのシルエットを出すしかないわけだ。視聴者もがっくりしちゃう。だからこそ各局こぞって漫画原作付ドラマにとびつくのだ。 その事実に気づきながら、おれの心の中に別の違和感が湧き上がる。キャストページで黒塗りシルエットのかわりにキャラ絵が使われてゆくこの現状は、男性キャストの真の顔を隠すだけでなく何か別のことをも隠蔽しようとしているのではないか? 男性キャストの黒塗
ペリカーノJrがamazonで買えるようになっているの知らんかった、のでリストアップ。 ちなみに私はペリカーノJrよりちょっとだけ対象年齢が上のペリカーノさんを使っています。*1 ペリカーノのスケルトンピンクと無印良品のピンク眼鏡をあわせてるわけです。仕事できなさそうってよく言われます。実際に給料泥棒はなはだしいのですけど。 でも楽しいからいいのです。仕事だって楽しくやらなきゃです。 ペリカン ペリカーノJr - Pelikan Pelikano Junior - 本体:イエロー 万年筆 出版社/メーカー: Pelikanメディア: エレクトロニクス購入: 3人 クリック: 37回この商品を含むブログ (11件) を見るペリカン 万年筆 A レッド ペリカーノJr 正規輸入品 出版社/メーカー: Pelikanメディア: エレクトロニクス購入: 4人 クリック: 24回この商品を含むブログ
昨日の「生命は神のコンテンツを運ぶしょぼいメディア」エントリの補足。 昨日のエントリでは当該メディア(人類)が伝達・通信のために越えるべきものは《時間》ということになる。ではそのメディアが格納している情報は何なのよ、ってことになるとこれはもう「神の存在証明」くらいしかないのですな。宇宙において生命が発生する確率はめっさ少ないにもかかわらず生命がいるっつーことは、「この宇宙には神の介入があった、てことを第三者に証明する」てのが一番ありがちなネタですね。シンジのママがエヴァを使ってやろうとしたこともこれに似てるんじゃありませんでしたか? 人類がいたということを誰かに伝えるために、ヒト(エヴァ)を使いますーてきな。カミヒトの構図をヒトエヴァの構図に置き換えたぜーっていう。 そんでもう一つ。 生命や人類をメディア扱いするときに越えるものを《時間》ではなく、宇宙の終焉→宇宙の開始とするアイディアもあ
まだ国内のネットも不十分だったころ、研究室の高価なWSでエロ画像を集めては光ディスクに焼いてたセンパイがいたのだけれど、ふと思う。あの光ディスクのエロ画像はいま読み出せるのだろうか? おれ自身、当時のHTMLやGIFを2DDに入れたままもう読み出せない。あのコンテンツはもう死んだ。 コンテンツはメディアの死によっても死ぬ。 そうだ。メディアはいつか死ぬ。いまならネットストレージもあるからメディアの寿命はだいぶのびただろうけれど、じゃあその次に問題になるのはフォーマットだ。GIFやJPEGが死んだらどうする。RAWデータならOKか? いやRAWすら理解できないこともあるだろう。最悪、コンテンツ消費者が色を知っているかどうかすらわからない。 となればコンテンツとプレイヤーをセットで保存・伝達すればいいだろうか? 環境が変わっても動作するロバストネス(頑強性)を持ったプレイヤーならOKだろうか?
ガキの使いやあらへんで!! - 山崎あやの500のコト http://www.nicovideo.jp/watch/sm1283426 昨日の山崎の嫁こと山崎あやさんの「500のコト」には5秒に1回想像の斜め上を行かれたわけで、あんだけかわいくてしかもあのクオリティの回答できる女性と結婚できるとなったらそりゃあ小学生の将来の夢ナンバーワンは芸人にもなろうというものである。 なのにおれたちときたら将来は弁護士とか総理大臣とか世界征服とか書いたりなんかして、実現した征服っても結局エロゲーの中だけだし、つか征服ってよりも蹂躙だし、しかもただの肉体蹂躙だし、しょうがないので二次元平面におれの嫁宣言するくらいしかないのであった。 そんでじゃあ××はおれの嫁なんてのは結局はかなわぬ期待や空虚への宣言や現実味のない願望てきな弱い力(weak interaction)でしかなく、だからおれたちはダメなんだ
いわゆるロビンソンのスピッツ問題 http://rikuo.g.hatena.ne.jp/rikuo/20071014/p2007101401 はてなダイアリーTITLEが「日記名 - エントリータイトル」から「エントリータイトル - 日記名」になったことで、書き手よりもエントリの内容そのものを評価する流れに移行する、すなわち世界はよい意味でより断片化するだろうという予測が各方面でなされているわけだけれども*1、では実際に世界はどうなっていくんだろう。 その昔、一部のテキサイ管理者がブログ化を拒み、あるいは火災くんが一日分のダイアリを「一枚の絵」と評してブクマで切り刻まれるのを嫌った*2とき、私は彼らの自作への愛のようなものを感じたし、とはいえ読者がそれを望むなら世界がh3要素で構成されてもかまわないかなとも思っていた。 そして今回のTITLE要素変更により、書き手はさらに一歩引いた位置に
小さなころ「かもめのジョナサン」を読んで当然のごとく感銘を受けた。もちろん例の「瞬間移動かもめ」のくだりである。 老かもめの言う瞬間移動の極意とは「自分はすでにもうそこに到達しているのだ、ということを知ること」 当時瞬間移動にはあまり興味のなかったおれはこの極意をパンチに適用できると思ったのだった。つまり最も早いパンチを実現するには、コブシを構えた状態と相手を殴った状態の2点を同時に存在させるよう訓練することなのだ。 友人たちが一生懸命かめはめ波の訓練に励む中、おれはひとりで見えないパンチのイメージトレーニングに励んだものだった。 互いにそんなのできるわけないとバカにしあいながら、それでも高みに向かって努力する姿には素直に敬意を払っていた。 そして数ヶ月がすぎ数年がたち高校受験を控えたある日、ふと気づいたのだった。もしかしたら見えないパンチは打てないんじゃないか? ジョナサンはウソつきだっ
我こそははてな村民です って、なんで誰も言わないんだろう。 http://fragments.g.hatena.ne.jp/another/20071011/1192120392 確かに。 そんで、結局はてな村はてな村言うひとははてな村を定義しやしないし、定義が難しくてもせめてidをひとつふたつ挙げるくらいやってくれればと思うのですけどそれもしてくれないし、ただただバカみたいにキモいキモいとかおれははてな村じゃありませんしかいってくれなくてすごくつまらないので、じゃあ今日からここがはてな村の中心です。はてな村キモいという発言はすべてここを指しているものとします。そのさげすむようなつめたい視線はすべておれに向けられていると思うことにします。さあさあ、じゃんじゃんキモがれ! あざけるような視線を向けてみろ! ああっ♡ もっと。 補足:エントリに込められた意図をエキサイト翻訳→MML記法により音
「Σじゃないの?」 「本を読むことは総和じゃない。連続した行為だよ」 「そうかな?」 「そうだよ」 「本は人なり。だって体っていう字は人偏に本ってかくからね」 「どんな理屈だよ」 「飯食わなくても、本読めばなんとかなる」 「いやいやいやいや」 「本棚が人格を表すように、積み上げた本の数だけが、自分が自分であることを保障してくれる気がする。積読本こそがおれなんだよ」 「……積み上げた本は……いつか崩壊する運命にある」 「R・田中一郎かっ」 「枕元に積みすぎだよ。地震来たら頭つぶされるよ?」 「……」 「何してんの?」 「いや、どうせつぶされるならお気に入りのハードカバーで」 じゃあ個人的にはコニー・ウィリスのハードカバーを積読山のてっぺんに……
ページの一番下に現れることになった「その場ページ移動機能」さんですけれども、これけいゆで過去記事をたどるとはてなカウンターに反映されないっぽいと思った。 そしたらじゃあじゃあ美少女ダイアラーの日記を「おっぱい」とかで日記検索、過去記事総なめした翌日あたりに 「誰ですか? おっぱいで検索して全記事読んだひとは! うわーん><」 とか書かれずに済むと思った。美少女ダイアラーはおっぱい検索に気づきにくく、みなさんはおっぱい検索で美少女記事を読みまくれる、まさにウィンウィンな新機能。はてなめ、やるなぁ。
週末、通信についていろいろ考えていた。 たとえばここに一つの懐中電灯がある。50m先の誰かに向けてスイッチをつけたり消したりすれば多分何かの情報が送れるのだと思う。プロトコルとやらを決めておけば相手に何かが通じたり、あるいは通じずに誤解したりするのだろう。 ただこの通信やら情報やらはちょっと上等な気がする。 そうではなくもっと前の状態、懐中電灯の明かりが届いた瞬間のことを考える。 明かりが届いたとき、あるいは明かりが届いたことを知ったとき、その明かりがなんらかのシグナル(信号)を持っていなくとも、場合によっては送受信者に伝わることがある。 それはたとえば送受信者が「知らないことがあるのを知らない」状態から「知らないことがあったことを知った」状態に遷移するという類のことだ。 言葉を変えれば《無知》から《未知》に変わるということだと思う。そして無知というのが静止した状態だとすれば、未知というの
「そこが間違いなのだ! ウンコは食物の残滓にすぎぬというその考え方が!」 「なにをっ!」 「では問うが、リンゴを食べたときのウンコとみかんを食べたときのウンコとで何かちがうか? 硬さ、匂い、そういったことではなくウンコの本質として考えろ!」 「……確かにちがわない。ウンコはウンコだ。何を食べても、出てくるのはウンコ……」 「そうだ。であれば、こうもいえるだろう。ウンコとは食物の根源。ウンコというOSの上に味、香り、触感などのアプリがのって彩りを添えてはいても、食物の本質はウンコなのだ」 「……」 「頭の悪いお前でもわかる質問に変えよう。食物の五大栄養素とはなんだ?」 「炭水化物、たんぱく質、脂肪、ビタミン、ミネラル」 「ミネラルを除く4つについての共通点はわかるな?」 「ああ」 「そしてだ。ウンコはな、UNCOと書かれることが多いが、正しくはUNCHOと書く。ここまで言えばお前でもわかろう
ギガギガギガギガジンジン ギガギガギガジンジンジン ギガギガギガギガジンジン ギガギガギガジンジンジン アクセス数が伸び伸びだ ゴルゴが10000件 egoneが6000件 Rin王が6400件 駄文が4000件 朝目が8600件 まなめが3000件 あきばが5400件 トドメがかーずSP 平均2万4000件 残るはエロニューサイ 動画ファイルナビゲーター 毎日90000件 アクセスバブルがとまらない ゴリブー16件 アッー!! アク厨はつらいけれど*1 それなりに楽しいです 他にもアク厨ブロガーは たくさんいるんだよー 例えばね 〜〜〜〜〜〜〜〜〜とか 〜〜とか 〜〜とか 〜〜もそうだよねー Come on everybody blogger & girls Believe in the net, Please hang up me Just wanna love access day
あ…ありのまま先日起こった事を話すぜ! おれは東京で一二を争う美味いもつ鍋屋で美少女と鍋をつついていたと思ったらいつのまにか美少女が二人に増えていた。何を言ってるのかわからねーと思うがおれも何をされたのかわからなかった。 ともかく河岸を変えたあとの彼女らとの会話を改めて思い出すに、これってポジティブに捉えなおしたらリア充気取りじゃね? と思ったので記録しておくだぜ。 B「好きな芸能人って誰ですかぁ?」 俺「えー、こないだ結婚しちゃったけど○○△△△とかー?」 A「……」 そのときはスルーされたけど、Aさんの名前も△△△なのだった。さっき気づいた。天然ですみません。だがもしかしておれの回答を聞いたAさんは何かを誤解したかもだぜー?! ポジティブシンキンやで! A「あ、私、今彼氏いないんですけど」 誰も聞いてないぜ。 B「今は彼氏いないんですけど」 誰も聞いてないぜ。不必要情報ってヤツだぜ。だ
いま目の前で仔猫が死んでいく様子を見て悲しいと思ったり、ディアボロの大冒険をやって楽しいと感じたり、揚げ足取り議論を見てキモいと思ったりすることがすくなからずある。 特にネガティブな感情の「キモい」あたりは、キモいと思うおれがキモいんだキモいとか思っちゃいけないんだこんな感情消さないといけないんだなんてことになりがちで、ただそうやって感情を押し込めて論理やらなにやらで自己解決に走るとたいていあとがつらい。 そうじゃない。キモいという感情は本物でそれは疑っちゃいけないものなのだ。 ただし、そのキモいという感情を生み出した心のルールがどうやって自分に組み込まれたのか、そこは疑ってよいのだと思う。 その「疑うための道具」の一つが創作なのだと思う。とりわけSFはもっとも使い勝手のよい道具だと思う。*1 私がSF(っぽい)創作を書くのが好きな理由はそこです。 *1:SFとか創作とか言わなくても、思考
外部ストレージに保存した記憶が脳内記憶に匹敵する位の検索性を有しちゃったお陰で脳味噌側にはインデックスおいとく位で十分オタ思考が可能になっている気がする。 http://d.hatena.ne.jp/pbh/20071002/1191300012 「確かにそう。脳にはインデックスだけを置くべき。というより……」 「というより?」 「そうしないと安心できないはずなのよ、情報というものの本質を知るオタクさんたちは。情報を脳内にストレージするとき、ストレージした瞬間から情報は陳腐化するんだもの」 「覚えた情報はすでに古くて価値が消失しているかもしれないという不安が、旧来のオタにはつきまとっていた?」 「もちろん、考えないようにしていたとは思うけどね」 「いずれにせよ、インデックスとアクセスキーだけを脳に持ち、情報は外部環境で自動更新させるべきなのか」 「ただあのときを境に、事態は変わった」 「…
今週のワンピ表紙漫画から目が離せない。エネルが月面遺跡にたどり着いたアレだ。 空島篇で残された謎といえば、青海のジャヤ人とスカイピアの住人のどちらにも翼があったことなわけだ。当時のおれたちはジャヤとスカイピアは祖先が同じでそのことを知らずに時を経て出会った彼らが偶然にも争う構図が悲しくもおかしいのだ、などと妄想したものだった。この謎は本編で語られぬままだったのだけれども、今週の表紙漫画でその妄想に近い展開が出てきたのだった。 空島篇は神にまつわる話だった。 伝統に束縛されたジャヤは《妄信すべき神/敬うべき象徴としての神》を殺す。神という呪縛から放たれたジャヤは空の上で再び傲慢な神に出会う。今度の神も殺すべき神。 《憎むべき象徴としての神》。その恨みは数百年引き継がれる。 現代。エネルという神は人々に絶望を与える。もはやなすすべもない人々は、我知らず神に祈る。《神》の再生。人々が再度神に命を
「人肉は飲み物だ」 なぜカニバリズム芸人をはじめたのかというインタビュアーの問いに、彼はそう答えた。 「発端から話すなら、ギャル系大食い芸人の台頭だな」 「はあ」 「デブキャラ・大食いキャラではかぶる芸人が多すぎるんだよ。そこにギャル系ときたもんだ。キャラはかぶらないし、細い体で大食いという意外性もある。テレビ映えもいい。何よりTシャツがグレーじゃない」 「Tシャツ関係あるんですか?」 「関係ないな。で、まあ、わしも他の大食い芸人との差別化を図るために人食に乗り出した、それだけのことさ」 「それだけのこと、というわりには人食のために肉体まで改造なさっていますが?」 「肉体改造など些細なことだよ。このカラダにしたのは、視聴者のためを思ってだ」 そういって、下あごからへそまで一直線に伸びるジッパーを上げ下げした。開いたジッパーの奥でピンク色のひだひだがびくんびくんと波打っている。 「人食という
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