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moffril.hatenablog.com
さらば2023! *** 4つのコンロ理論。それぞれのコンロに点る火は、家族、友人、健康、仕事。成功するためには1つの火を、もっと成功するためには2つの火を消す必要があるという。 今年新しく始めた仕事は、ほんとうにおもしろい。性に合っているし、これまであまり表に出してこなかった自分の一面が受け容れられ、歓迎され、成果にもつながっている。同僚や先輩たちにもいい人が多く、端的に居心地がいい。 すると自然と仕事に時間を振るようになって、友人関係や趣味の活動(「コンロ」にはないけれど、映画を観たり、本を読んだり、展示に行ったり)が知らず知らずのうちに後回しになった。夜は疲れ果ててすぐに寝て、朝は早起きして走りに出るので、夫とゆっくり過ごす時間も減った。ここ最近はご飯もあまり作れなくなって、冷蔵庫にあるものをパソコンの前でかじるような生活をしている。休日は回復と家事で手いっぱいだから、山にもあまり登
大きな飴玉を口の中でゆっくりころがすように、何度も思い出したい旅。 旅程は 1日目:熊本空港in→阿蘇→くじゅう連山の麓 2日目:くじゅう連山→熊本市内 3日目:熊本市内→宇城 4日目:宇城→上天草→熊本空港out 今回の旅は前半登山、後半観光。天気によく恵まれた4日間だった。 阿蘇で登山、くじゅうで登山 GOGO阿蘇 初日は空港から車で阿蘇へ。「阿蘇山」という名は有名だが、阿蘇山という山がひとつあるのではなく、阿蘇連山という5つの山々を総称して阿蘇山と呼ぶ。 登ったのは、阿蘇連山の中心にある中岳から東側の烏帽子岳と杵島岳。 うつくしきかな烏帽子岳 杵島岳をゆく 烏帽子岳の麓は草千里が広がっていて、馬が放牧されている。運が良ければそばまで寄れる。柵などは一切ない。近くで見るとけっこうな迫力。 てんてんと馬たち 凹 阿蘇連山をおりて、その日のうちに大分のくじゅう連山へ。初日の夜は久住山の麓に
夏のことを振り返りたいななんて思っていたのに、気がつけばしっかり秋。なんなら今朝は早朝の風に冬が混ざっていた。 お元気ですか? わたしはまあまあ元気です。春過ぎに仕事を変えて、9月10月で初めて大きなプロジェクトをメインで担当させてもらい、それがようやくひと段落つきそうなところ。と言いつつ、11月から新しいプロジェクトが始まるので、また忙しくはなるのだけど。 新しい職場はいいところです。何だかなァと思うことや納得できないことのひとつやふたつはありましたが、まあそういうこともあるよねくらいであんまり気に病まず済ませられるくらいには気に入っています。一緒に働く人たちが概ね善良であることは大変ありがたい。 年齢を重ねていろいろ経験するうちに、悲しいことや怒りたくなることがあっても、「でも、世界がわたしの敵というわけではないのだ」ということが頭でも心でもわかるようになって、事態を穏やかに受け入れら
自己肯定感ブチ上げ、がトレンドっぽい。 「自分(たち)は最高にクールでブリリアントでグレイト!」みたいなのが流行っている気がする。なぜかはわからないけれど。kemioさんとか叶姉妹のお二方とかの影響だろうか。 ノリノリでブチ上げの自己肯定は、楽しい。「うち(ら)ってサイコー」の心意気は事実、支えになることもある。やばすぎて一周まわってハイになったら馬鹿力が出て結果サイコー、みたいな経験も、すっごく気持ちいい。 けれどもわたしはどうしても、この心意気ににじむカラ元気感に、一歩引いてしまう。 これは、「ハレ」の心意気である。自己肯定感をブチ上げると世界がキラキラして見えてくるのは、たぶんそのせい。ある種のドラッグ的な。短期的には効くかもしれないが、長くやっていくのはむずかしい。 「最高にクールでブリリアントでグレイト」。それは、理不尽や不条理を跳ね返す魔法の鎧。しかし外圧はいつだって、思わぬと
登山と写真、踊ることが趣味。日課は軽い筋トレとランニング。朝型。夜は0時より遅く起きていられない。三食きちんと食べないとダメ。人と活発に議論をしたり、一人で突発的に旅行をしたりするのが好き。そんな人間が「自傷行為に13年間依存していました」と言って、信じてもらえるだろうか。 自傷行為は、いわゆる「メンヘラ」のものだと思われている。だから、わたしのような人間の腕の内側に無数の傷痕が残っていることは、誰も想像できまい。けれども事実、わたしは13年間、自傷行為なしでは生きていかれなかった。 余談だが、この「メンヘラ」という言葉、すごくきらい。 初めて自分の体を傷つけたときことを、なんとなく覚えている。爪で皮膚を強くひっかいたら、少しだけ血が出た。生傷に触れると、熱っぽさと細胞の裂け目のやわらかさが指先に伝わり、犬のお腹を触ったときの感覚に少し似ていると思った。あれは、12歳の頃のことだった。 な
東京を生きていくために必要な技術はいくつかある。他人と肩が触れ合うかどうかの電車に乗ったらすぐにポジションを確保しミニマルな動作でリュックサックを背中から前に抱え直す技術。スーパーのタイムセールの時間が近くなったらそれとなく店員さんの動きを追う技術。エスカレーターの右側を同じテンポで上り続ける技術。向こうから歩いてくる明らかに挙動が不審な人をさりげなく避ける技術。大きな本屋で欲しい本の棚を見つける技術。エレベーターで知らない男の人と乗り合わせたら意識をそらしつつこっそり最低限の臨戦対戦に入る技術。狭い土地のなかの緻密に編まれた街は、生きていくためにたくさんの振る舞いをわたしに要求する。不便かと問われれば、たしかに窮屈さを感じる瞬間はある。けれどわたしは生まれたときから東京の中で東京と一緒に東京として育ってきた。彼が要求する振る舞いはわたしの振る舞いそのものとして無意識へと定着したので、不便
24歳、初の一人暮らし。自立がだいぶ遅れてやってきましたね。実は半年以上前から物件自体は探していて、去年のうちから内見もしていたのですが、年始にちょっと本気を出した結果ほぼ数日で決まりました。めでた〜い。 内見した物件数、28。まわった不動産屋の数、およそ10。物件探し、めちゃくちゃ楽しかった。やれるところまでやった感がある。 以下、東京で初めて物件を探すにあたって、やって良かったことやわかったことなどを備忘録的にレポートします。これから物件探しをする人のお役に立てればうれしいです。 条件はなるべく細かく絞り込んでおこう 希望条件と詳細を物件ごとにリストアップせよ とにかく行け 帰ってきたくなる家かどうかを確かめる 条件はマジでトレードオフ 直感はほんとうに超大事。街の歩き心地を確かめよ 信頼できる不動産屋を探そう 自分探しをしたければ家を探すと良い ◆ 事前準備編 ◆ かなめは「条件の絞
その日、昼食を食べそこねたわたしは、狂ったようにローソンの海藻ミックスサラダが食べたかった。16時。もう、狂おしいほどに。 昔から、お腹が減ると人はイライラするのが世の常とされていますが、加えてわたしは大変厄介なカルマを背負っている。お腹が減っているときに「これが食べたい」と思った以外のものをぜったいに口にしたくないのだ。もう、ぜったい。何が何でも。何が何でもそれが食べたい。それしか食べたくない。それを食べなくてはならない、という強迫観念に苛まれすらする。いや、決して冗談ではなく。 「それ」は空腹のたびにくるくる変わるけれども、蓋をあければなんてことはない、ファミマのアメリカンドッグとか、成城石井のエビ生春巻きとか、サーティーワンアイスクリームのロッキーロードとか、ミスドのオールドファッションとか、そんなもんだ。それがその日はローソンの海藻ミックスサラダだった。 皆さんはコンビニサラダにど
「無理しないで」と、今月何回他人に言ったっけ。秋だからか、体調を崩したり精神状態を崩したりする人の多いことこの上ない。みんなやんごとない事情のひとつやふたつを抱えている。 人間やたら無理をしがちだ。それもけっこうな頻度でけっこうな強度の無理をしがちなのだ。ハイパー忙しいモードから脱しているときは「どうしてそんなに頑張るわけ?」と無理をしている人を見て首を傾げたくなるが、ハイパー忙しいモードの渦中にいるときは自分の体調を感じている暇があったら手と頭を動かせという感じなので、無理をしてしまう気持ちも分かりはするのだけど。しかも、そんなときに「無理しないで」なんて言われると、優しさと分かっていながら「じゃあどうしろというのか」「わたしだって好きでこうなってるわけじゃない」という反発心が生まれることすらある。こういう状態は完全に赤信号だ。いますぐ野菜たっぷりのあたたかいスープを食べさせて、空調が完
予備校で小論文の講師を2年ほど続けているなかで、必ず生徒に投げかける質問がある。 「”風が吹けば桶屋が儲かる”っていうことわざ、あれさ、どうして風が吹くと桶屋が儲かるか、知ってる?」 ほとんどの受験生はこのことわざを知っているし、これを読んでくださっている皆さまもきっと耳にしたことがあるでしょう。 2年間で15名以上の生徒をみてきたが、「風が吹くとなぜ桶屋が儲かるのか」を知っている生徒は、今までひとりもいなかった。 この質問をしてしばらく回答が出てこないとき、「分からなかったら想像でいいよ」と言うと、生徒たちは大真面目に大変おもしろい回答をしてくれる。今までの答えで一番のお気に入りは、「ねこが…どこかに…出てきた気がする…」と言う高校3年生の女の子に「そう!ねこ!ねこ出てくるよ!」とヒントを出したところ、「風が吹くと、ねこが寒がって家中の桶に隠れてしまい、桶が全部埋まってしまうので、みんな
「院に進学?それとも就職するの?」 今年度、何度もいろいろな人たちからこう尋ねられた。そりゃあそうかもしれない。わざわざ大学4年生を1回休学して、日々何かをしているようだが、何をしているのかはよくわからない。進路の話をするとなれば、その具体的な方向性を問いたくもなる。 けれどわたしは、大学院に進もうと、就職をしようと、今やりたいことをやっていった結果、どこかに辿り着いているものだと思っている(思っている、なんて偉そうに言っているけれど、一年前はまったくそんなこと思えなくて、何がしたいのか、どこに行きたいのかに気を取られてばかりで、時間の濃い霧の中にへたりこんでいた)。どこか、とは、社会的身分としてという意味でも、場所という意味でも。だからこそ、そのときしていることには本気でぶつかってきたはずだし(そのせいで分野に脈絡はまったくなくなってしまったけれど)、自分のしたいことに不誠実であったり、
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