三品隆以『我観石原完爾』より。若杉参謀こと三笠宮崇仁親王殿下*1が昭和19年、支那派遣軍離任の際、司令部将校団に対して行われた講演の骨子。 (一)支那派遣軍の戦争目的は分明でない。即ち、その名分が、明確にされていない。 (二)軍、政、経各般にわたる現地施策は、総じて、事変処理に関する国家目的に合せず、また、中国側民衆社会に苛酷で、非情な圧迫と収奪となって、全中国民衆の離反と抵抗を、一層深刻にし、徹底的なものに追いやっている。 (三)日本人は、中国の歴史を知らず、社会を理解せず、異民族に対する寛容と融和の道を知らない。 日本人は、すべてに対して自己の主観と独善で事を処理する。指導者意識、権力、権威主義が先に立ち、相手の立場と、それに対応する、合理的、合意的な方法を考えようとしない。(ここで、一例をあげるといわれ、自ら撮影された路上風景のスナップを示された)これは、諸君が、路上でよく見られる風