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純粋非二元論である奇跡のコースACIMのワークブック・テキスト・教師の為のマニュアル等の効果的学習の為の日本語訳、名古屋・京都学習会勉強会情報、奇跡のコースブログ、ワークブックをご一緒に menu 第31章31-6 霊(Spirit)を認識する ACIM-Text-chapter-31-6-1 あなたは肉を見るか、それとも霊(Sprit)を認識するか、そのどちらかです。 その二つ間に妥協はありません。 もし一方が実在するなら、もう一方は偽りです。 なぜなら、実在するものはその反対のものを否定するからです。 心眼にはこれ以外の選択はありません。 この点についてあなたが決断することが、あなたが見て、実在すると考え、真実として保持する全ての選択に懸っています。 あなたの世界全体がこの一つの選択に懸っています。 なぜなら、ここにおいて、あなたは自分がいかなるものであるかを、すなわち、肉であるか、霊
第30章30-0 序論 ACIM-Text-chapter-30-0-1 新たな旅の始まりが、今やこのカリキュラムの焦点となります。 ゴールは明確ですが、今あなたは、それを達成するための具体定期な方法を必要としています。 それをどれだけ速やかに達成できるかは、ただ一つのことだけに懸かっています。 すなわち、一つ一つのステップを練習するあなたの意欲です。 取り組む度に、どのステップも少しずつ助けになるでしょう。 そして、こうしたステップがあいまって、裁きの夢から 赦しの夢へと導き、苦痛と恐れの外へと連れ出すでしょう。 こうしたことはあなたにとって目新しいものではありませんが、今のところはまだ、思考する際のルールというよりも、観念に留まっています。 したがって、それらが生きる上でのルールとなるまで、私たちはしばらくの間それを練習する必要があります。 どのような必要に対してでも直ちにそれらを使え
純粋非二元論である奇跡のコースACIMのワークブック・テキスト・教師の為のマニュアル等の効果的学習の為の日本語訳、名古屋・京都学習会勉強会情報、奇跡のコースブログ、ワークブックをご一緒に menu 第29章29-6 赦しと時間の終焉 ACIM-Text-chapter-29-6-1 あなたには兄弟を 赦したいという気持ちがどれくらいあるのでしょうか。 際限ない争いや惨めさと苦痛の代わりに、どれほど平安を望んでいるのでしょうか。 こうした質問は、形は違いますがどちらも同じ質問です。 赦しが、あなたの平安です。 なぜなら、ここに分離の終焉があり、危険や破滅、罪と死、狂気や殺害、悲嘆や喪失といったものもろの悲しみの元や失うということも終わるからです。 こうしたことが 救済の求める「犠牲」であり、このようなものの代わりに喜んで平安を差し伸べてくれるでしょう。 ACIM-Text-chapter-
純粋非二元論である奇跡のコースACIMのワークブック・テキスト・教師の為のマニュアル等の効果的学習の為の日本語訳、名古屋・京都学習会勉強会情報、奇跡のコースブログ、ワークブックをご一緒に menu 第29章29-7 自分の外を探そうとすることはやめなさい ACIM-Text-chapter-29-7-1 自分の外を探すのはやめなさい。 それは失敗し、偶像が崩れるたびにあなたは涙を流すことになるからです。 天国が存在しないところに天国は見つからず、そこ以外に平安はあり得ません。 神が呼んでいる時にあなたが崇拝する偶像はどれも決して神の代わりに答えてはくれません。 あなたが他の答えを代用にして、神の答えがもたらす幸せを見出すことは出来ません。 自分の外を探すのはやめなさい。 あなたの苦痛は全て、単に自分の望みのものがどこで見つかるはずかについての自分の思い込みを曲げず、それを求めて不毛な探索を
純粋非二元論である奇跡のコースACIMのワークブック・テキスト・教師の為のマニュアル等の効果的学習の為の日本語訳、名古屋・京都学習会勉強会情報、奇跡のコースブログ、ワークブックをご一緒に menu 奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編第6章 「愛のレッスン」より6-5-C本文 第6章6-5-C 《神と神の国を守る為だけに警戒していなさい》 ACIM-Text- chapter6-5-C-1 聖霊は評価をするものであり、またそうでなければならない、と前に述べたことがあります。 聖霊はあなたの心の中で、間違ったものから真実であるものを選り分け、あなたが自分の心に入り込ませる思いを一つ残らず、神がそこに置いたものの光に照らし合わせて判断するように教えます。 聖霊はこの光と一致するものは何でも保ちます。 それはあなたの内なる神の国を強化する為です。 部分的に一致するものは、受け入れて清めます。 しか
純粋非二元論である奇跡のコースACIMのワークブック・テキスト・教師の為のマニュアル等の効果的学習の為の日本語訳、名古屋・京都学習会勉強会情報、奇跡のコースブログ、ワークブックをご一緒に menu ACIM-Manual-29-1 このマニュアルは、教師と生徒、その両人が尋ねるかもしれない質問の全てに答えようとするものではありません。 事実、テキストとワークブックの中の主な概念のいくつかの手短に要約という形で、比較的明快なものをいくつか取り上げているだけです。 テキストとワークブックのどちらの代わりになるものではなく、単なる補足に過ぎません。 教師のためのマニュアルと呼ばれてはいますが、教師と生徒を隔てているのはただ時間のみであり、両者の違いはその定義から言っても一時的なものだということを、覚えておく必要があります。 場合によっては、ある生徒にとってはこのマニュアルを最初に読むほうが役に立
ACIM-Manual-28-1 ごく簡単にいえば、復活とは死に打ち勝つこと、あるいは死を克服することです。 それは、再び目覚めること、あるいは再生することであり、世界の意味について心を変えることです。 世界の目的に関して、 聖霊の解釈を受け入れることであり、自分自身に贖罪を受け入れることです。 それは、惨めな夢の終わりであり、 聖霊の最後の夢を喜んで自覚することです。 そして、神からの贈り物を認識することです。 それは、 身体にはコミュニケーションの機能以外なく、その機能を完全に果すという夢です。 また、それは学びが終わるレッスンであり、このレッスンによって学びは完了し、そこを超えて進むことになります。 そして、これは神に最後の一歩を踏み出して欲しいと求める招待です。 それ以外のあらゆる目的や興味や願望や懸念など、その全てを一つ残らず放棄することです。 つまり、それは父を求める神の子のた
ACIM-Manual-26-1 確かに、直に神に到達することができます。 神と神の子の間に何の距離もありません。 神に対する自覚は、全ての人の記憶の中にあるし、神の言葉は全ての人の胸に刻まれています。 しかし、この自覚や記憶が、真理への防壁の全て取り除かれたと所でのみ、認識の敷居を超えて現れることが可能です。 こうした状態に達した人がどれだけいるでしょうか。 だからこそ、ここにこそ、神の教師たちの役割があります。 その人たち自身も、今のところ必要な理解を達成してはいませんが、その人たちは他の人たちとつながりました。 このことが、その人たちを世界から区別しています。 そして、これが、その人たちと共に他の人たちをも世界を後にすることが可能にします。 一人では、その人たちは無です。 しかし、その人たちがつながり合うことの中に、神の力があります。 ACIM-Manual-26-2 直に神に到達し
純粋非二元論である奇跡のコースACIMのワークブック・テキスト・教師の為のマニュアル等の効果的学習の為の日本語訳、名古屋・京都学習会勉強会情報、奇跡のコースブログ、ワークブックをご一緒に menu ACIM-Manual-27-1 死とは、全ての幻想を派生させる中心的な夢です。 産まれてきて年をとって活力を失い最後には死んでいくものが生命だと考えるのは、狂気ではないでしょうか。 私たちは、以前にもこの質問をしたことがありますが、ここでもう少し念を入れて考慮する必要があります。 この世界のあらゆるものは、ただ死ぬだけのために生まれてくるというのが、この世界における一つの不動にして不変である信念です。 これが「自然界の摂理」であって、それは疑問視するべきことではなく、生命あるものの「自然な」法則として受け入れられるべきことだと見なされています。 周期的に巡りめぐるもの、移り変わる不確なもの、頼
純粋非二元論である奇跡のコースACIMのワークブック・テキスト・教師の為のマニュアル等の効果的学習の為の日本語訳、名古屋・京都学習会勉強会情報、奇跡のコースブログ、ワークブックをご一緒に menu 奇跡講座(奇跡のコース)マニュアル編25 本文 25. 「心霊的」能力は望ましいことでしょうか ACIM-Manual-25-1 この質問に対する答えは、すぐ前の質問と非常によく似ています。 もちろん、「不自然な」力といったものはないのであり、存在しない力を作り出そうとすることは明らかに魔術を頼ることです。 しかし、またそれと同じように、誰にでも自分でも気づいていない多くの能力が備わっていることも、同様に明白です。 その人の自覚が増していくにつれて、自分でも驚くような能力を発現させていくこともあります。 しかし、その人に出来ることのどれをとってみても、その人自身が誰であるかを思い出した時の光に満
純粋非二元論である奇跡のコースACIMのワークブック・テキスト・教師の為のマニュアル等の効果的学習の為の日本語訳、名古屋・京都学習会勉強会情報、奇跡のコースブログ、ワークブックをご一緒に menu ACIM-Manual-24-1 究極的な意味では、輪廻転生は不可能です。 過去も未来も存在しないのであり、一度であれ何度も繰り返してであれ、 身体を持って産まれてくるという概念には何の意味もありません。 それならば、真の意味では、輪廻転生は真実では有り得ません。 私たちが一つだけ質問すべきことは、「その概念は役に立つかどうか」ということです。 そして、そのことはもちろん、それが何の目的に使われるのかにかかっています。 もしそれが、生命の永遠であることの認識を強めるために使われるのなら、それは確かに役に立ちます。 輪廻転生に関する他のどんな質問であれ、行く手を照らすのに本当に役立つでしょうか。
ACIM-Manual-23-1 神の贈り物が、直に受け取られることは稀です。 神の教師たちの中で最も進んだ人たちでさえ、この世界では誘惑に屈することがあります。 このために、その人たちの生徒たちに癒しが拒まれるとしたなら、それは公平でしょうか。 聖書には、「イエス キリストの名によって求めなさい」と述べられています。 これは、単に魔術を求める懇願でしょうか。 名前が癒すわけはなく、祈願も何らかの特別な力を生じさせるのでもありません。 イエス キリストに願うとは、どういう意味でしょうか。 その名に呼びかけることで、何が与えられるのでしょうか。 なぜ、イエスへの懇願が癒しの一部なのでしょうか。 ACIM-Manual-23-2 自分自身に贖罪を完全に受け入れた一人が世界を癒すことが出来る、と私達はこれまで何度も繰り返してきました。 まさしく、イエスは既にそのように受け入れたのです。 誘惑は、
純粋非二元論である奇跡のコースACIMのワークブック・テキスト・教師の為のマニュアル等の効果的学習の為の日本語訳、名古屋・京都学習会勉強会情報、奇跡のコースブログ、ワークブックをご一緒に menu 奇跡講座(奇跡のコース)マニュアル編22 本文 22. 癒しと贖罪にはどのような関連があるのでしょうか ACIM-Manual-22-1 癒しと贖罪は、関連しているのはありません。 それらは同じものです。 奇跡に難しさに順序はないという理由は、贖罪には程度の差がないからです。 これは、この世界において可能な唯一の完全な概念です。 なぜなら、それこそ全面的に統合された知覚の源だからです。 部分的な贖罪があるとするのは無意味な概念です。 それはちょうど、天国の中に特別な区域として地獄があるということなど考えられないのと同じことです。 贖罪を受け入れなさい。 そうすれば、あなたは癒されます。 贖罪は神
ACIM-Manual-21-1 厳密に言えば、言葉は癒しにおいて全く何の役割も果たしません。 動因となるものは、祈りであり、すなわち求めるということです。 あなたは、求めるものを自分で受け取ることになります。 しかし、これは心の奥底からの祈りのことで、祈る時にあなたが口に出す言葉のことではありません。 時には、その言葉と祈りが矛盾することもあれば、またある時には一致することもあります。 それは、問題ではありません。 神は、言葉というものを理解しません。 言葉というものは、分離した心によって作られ、自らを分離の幻想の中に留めておくために作り出したものだからです。 言葉が役に立つこともあります。 特に初心者には、集中力を助け、雑念を除き、あるいは少なくとも制御を容易にすることに役に立ちます。 しかし、言葉は象徴の象徴に過ぎないということを忘れてはなりません。 したがって、言葉というものは実在
純粋非二元論である奇跡のコースACIMのワークブック・テキスト・教師の為のマニュアル等の効果的学習の為の日本語訳、名古屋・京都学習会勉強会情報、奇跡のコースブログ、ワークブックをご一緒に menu 奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編第3章 「無垢なる知覚」より3-7本文 第3章 3-7 創造 対 自己イメージ ACIM-Text- chapter3-7-1 全ての思考体系には、必ずその起点となるものがあります。 それは、作り出すか、あるいは創造するかのそのいずれかから始まり、その違いについては既に話し合ったことがあります。 その二つは、いずれも土台としての力があるという点で類似しています。 二つの相違点は、何がそれぞれの土台に基づいて成り立っているかということです。 両方とも、人がそれによって生きる為の信念体系に必要な礎石となるものです。 嘘・偽りに基づいた思考体系は弱いものであると信じる
純粋非二元論である奇跡のコースACIMのワークブック・テキスト・教師の為のマニュアル等の効果的学習の為の日本語訳、名古屋・京都学習会勉強会情報、奇跡のコースブログ、ワークブックをご一緒に menu ACIM-Manual-20-1 この世のものではない平安があると言われてきました。 それは、どのようにして認識されるのでしょうか。 それは、どのようにして見いだせるのでしょうか。 そして、それを見いだした後、どうすればそれを保っておけるのでしょう。 こうした質問は、それぞれこの道での別々の段階を反映しているので、その一つひとつを考えてみましょう。 ACIM-Manual-20-2 まず始めに、どうすれば神の平安を認識できるのでしょうか。 神の平安には、先ず、一つのことによって認識されます。 それはつまり、それがこれまでの全ての体験とはあらゆる側面で全く異質である、ということです。 それは、以前
純粋非二元論である奇跡のコースACIMのワークブック・テキスト・教師の為のマニュアル等の効果的学習の為の日本語訳、名古屋・京都学習会勉強会情報、奇跡のコースブログ、ワークブックをご一緒に menu 奇跡講座(奇跡のコース)マニュアル編19 本文 19. 正義とは何でしょうか ACIM-Manual-19-1 正義とは、不正な行為に対する神の訂正です。 不正義が、世界の全ての裁きの根拠です。 正義は、不正義が引き起こす解釈を訂正し、それを相殺します。 天国には、正義も不正義も存在しません。 誤りは起こり得ず、訂正は無意味です。 しかし、この世界では、 赦しは正義に依拠しています。 なぜなら、あらゆる攻撃はつねに不当でしか有り得ないからです。 正義とは、 聖霊がこの世に下す判決のことです。 聖霊の審判に拠る以外には、正義は不可能となります。 というのも、この世界では公正な解釈だけをして、全ての
ACIM-Manual-18-1 永続性のある訂正、これだけが真の訂正ですが、それは神の教師が解釈と事実を混同したり、幻想と真理を混同したりすることがなくなるまで為されることはありません。 もし、その人が何らかの魔術的な考えについて自分の生徒と論議し、それを攻撃したり、その間違いを立証しようとしたり、その事実に反していることを論証しようとしたりするなら、その人はそうした考えが実在していると証言しているに過ぎません。 そうすると、憂鬱は避けられなくなります。 自分の生徒と自分自身に対して、実在するものから逃げることが自分たちに課せられた事、だと「証明」したことになるからです。 しかし、そのようなことは不可能です。 実在は、不変です。 魔術的な想念は、単に幻想に過ぎません。 そうでなければ、 救済もまた、昔ながらの不可能な夢が、形を変えただけのものに過ぎないということになります。 しかし、その
純粋非二元論である奇跡のコースACIMのワークブック・テキスト・教師の為のマニュアル等の効果的学習の為の日本語訳、名古屋・京都学習会勉強会情報、奇跡のコースブログ、ワークブックをご一緒に menu 奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編第3章 「無垢なる知覚」より3-6本文 第3章3-6 裁きと権威の問題 ACIM-Text- chapter3-6-1 私たちは既に「 最後の審判」について話し合ったことがあります。 けれども、詳細にわたって十分に話したとは言えません。 「 最後の審判」が過ぎれば、もはや裁くものは何もありません。 「審判」とは象徴的なものです。 なぜなら、知覚を越えたところに裁きはないからです。 聖書の「人を裁いてはならない。あなたがたも裁かれないようにするためである」という言葉は、「もし、他者の実在を裁くなら、あなた自身の実在も裁くことになるのを避けられなくなる」ということで
純粋非二元論である奇跡のコースACIMのワークブック・テキスト・教師の為のマニュアル等の効果的学習の為の日本語訳、名古屋・京都学習会勉強会情報、奇跡のコースブログ、ワークブックをご一緒に menu 奇跡講座(奇跡のコース)マニュアル編17 本文 17.神の教師たちは魔術的想念にどう対処するべきでしょうか ACIM-Manual-17-1 これは、教師と生徒の両方にとって、極めて重要な質問です。 もし、この問題点が誤って扱われることになれば、神の教師は自分自身を傷つけ、生徒も攻撃していることになります。 こうしたことは、恐れを強め、両者にとって魔術的なるものを極めて実在性があるかのように見せます。 したがって、魔術にどう対処するかは、神の教師が十分に習得しなければならない主要な学びとなります。 このことに関してのその人の最初の責任は、それを攻撃しないということです。 もし、ある一つの魔術的な
純粋非二元論である奇跡のコースACIMのワークブック・テキスト・教師の為のマニュアル等の効果的学習の為の日本語訳、名古屋・京都学習会勉強会情報、奇跡のコースブログ、ワークブックをご一緒に menu ACIM-Manual 16-1 進んだ神の教師にとっては、このような質問は無意味です。 学びは、その日その日で変化するので、プログラムというようなものはありません。 とはいえ、神の教師は、学びが行き当たりばったりに変化するわけではない、という一つのことだけは確信しています。 このことを見ているし、それが真実だとよく分かっているので、それに満足しています。 その人は、今日も明日も、毎日、自分が果たすべき役割を全て教えられるでしょう。 そして、その役割をその人と共に分かち合う者たちはその人を見つけ出し、それにより、その日学ぶべきことを共に学ぶことができます。 その人に必要な相手が、ひとりでもそこに
ACIM-Manual 15-1 まったくその通りです。 神の 最後の審判から逃れられるものは一人もいません。 一体誰が、真実から永遠に逃げられるでしょう。 しかし、 最後の審判は、それが恐れを連想しなくなるまで訪れることはありません。 いつの日か、誰もがそれを喜んで受けるようになるので、まさにその日こそ、それが与えられます。 自分に対する審判を受け取る時、その人は世界中のあらゆるところで自分の無罪性が宣言されて世界を解放するのを耳にするでしょう。 これが審判であり、この中にこそ救いが内包されています。 これが、その人を自由にする審判です。 この審判こそ、その人と共に全てが解放される審判です。 永遠なるものが近づくと時間は止まり、世界中が静まり返り、誰もがみな神の子に対するこの審判を聞くでしょう。 聖なる者よ、あなたは永遠にして自由であり全一なる者。神の胸の中で永久に安らかなる者。 今や、
純粋非二元論である奇跡のコースACIMのワークブック・テキスト・教師の為のマニュアル等の効果的学習の為の日本語訳、名古屋・京都学習会勉強会情報、奇跡のコースブログ、ワークブックをご一緒に menu 奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編第3章 「無垢なる知覚」より3-5本文 第3章3-5 知覚を越えて ACIM-Text- chapter3-5-1 私が以前述べたように、あなたが今持っている能力の数々はあなたの本当の力が映し出す影のようなものに過ぎず、知覚するとは本来「物事を裁くような見方をすること」であり、それは分離した後で取り込まれたものに過ぎません。 それ以来、誰一人何事にも確信を持てないままになっています。 私はまた、復活とは叡智へと復帰するための手段であるということもはっきりとさせておきました。 そして、それは私の意志と父なる神の意志とが一つに結ばれたことによって成し遂げられたことを
ACIM-Manual 14-1 始まってもいないものに、本当に終わりがあり得るでしょうか。 この世界は、始まったときと同じように、幻想のうちに終わります。 とはいえ、その終わりは慈悲という幻想です。 完全な 赦しという幻想、誰ひとり除外せず限りなく優しい幻想が、この世界を包み、あらゆる悪を見えなくして全ての罪を覆って、罪悪を永遠に終わらせるでしょう。 こうして、罪悪が作り上げた世界は終わりを告げます。 なぜなら、その時にはそれには何の目的もなくなったので、それは消え去っているからです。 幻想を生み出した父とは、幻想には目的があるとの信念です。 すなわち、幻想が何か必要なことに役立つとか、望むことを満たしてくれるとの信念です。 それらが目的のないものだと見てとられたら、もう消えてなくなります。 それらが無用であるものだと認識されたら、消えてなくなります。 全ての幻想を終わらせるには、こうし
純粋非二元論である奇跡のコースACIMのワークブック・テキスト・教師の為のマニュアル等の効果的学習の為の日本語訳、名古屋・京都学習会勉強会情報、奇跡のコースブログ、ワークブックをご一緒に menu ACIM-Manual 13-1 真理においては、犠牲という言葉そのものにはまるで何の意味もありませんが、この世界においては確かにその言葉に意味があります。 世界の全てのものと同じように、それが持つ意味は一時的なもので、それが何の役にも立たなくなった時には、それがもともと生じてきた所である無の中に、いずれは消滅していきます。 今は、それの真の意味は、それがひとつのレッスンだということです。 全てのレッスンと同じく、このレッスンも幻想のひとつであり、実在においては何一つ学ぶことは何もありません。 しかし、この幻想は、ある訂正用の仕組みに取って変わられなければなりません。 つまり、最初の幻想に取って
ACIM-Manual 12-1 この質問に対する答えは、「一人」です。 自分の学びを完了した全一で申し分ない一人の教師がいれば、それだけで十分です。 聖別化され救われたこの一人が、神の子そのものである真の自己となります。 常に全く霊(Spirit)そのものであったその人は、今ではもう自分自身を 身体として見なすことも、 身体の中にいると見なすことさえしません。 したがって、その人は無限です。 そして無限であるからには、その人の想念は神の想念といつまでも永遠に一つに結ばれています。 その人の自分自身に対する知覚は、その人自身の判断に基づいておらず、神の審判に基づいています。 したがって、その人は神の意志を分かち合っており、その神の想念を、未だに惑わされている心へともたらします。 その人が永遠に一なる者なのは、神が創造したままの在りようであるからです。 その人は、 キリストを受け入れたのであ
ACIM-Manual 11-1 この質問は、誰もが聞かずにはいられない質問です。 確かに、ここでは平安は不可能のように思えます。 しかし、神の言葉は、それだけでなく不可能とも思える他のいくつものことも約束しています。 その言葉は平安を約束しています。 他にも、死はないこととか、復活は必ず起こること、再生とは人が受け継いでいる賜物であること、も約束しています。 あなたの見ている世界は、神の愛している世界であるはずがありません。 ところが、その言葉は神がこの世界を愛していると保証しています。 神の言葉は、平安がここで可能だと約束して来ました。 そして、神が約束することは不可能であるはずがありません。 しかし、もしその神の約束を受け入れようとするのなら、この世界を違ったように見る必要があるということも真実です。 この世界のありようは、単なる事実に過ぎません。 あなたは、これが何であるべきかを選
純粋非二元論である奇跡のコースACIMのワークブック・テキスト・教師の為のマニュアル等の効果的学習の為の日本語訳、名古屋・京都学習会勉強会情報、奇跡のコースブログ、ワークブックをご一緒に menu 奇跡講座(奇跡のコース)マニュアル編10本文 10.判断は、どうやって放棄できるでしょうか ACIM-Manual-10-1 判断すること、これは幻想から成る世界を維持している他の仕組みと同じように、この世界によって完全に誤解されています。 実際のところ、それは叡智と混同されていて、真理に取って代わるものと見られています。 この世界によるこの言葉を使い方によると、あるひとりの個人の判断が「良い」判断とか、「悪い」判断をすることが可能で、その人の教育は前者を強化し、後者を最小限度に抑えることを目指しています。 しかし、こうした分類が何を意味するのか、かなりの混乱が見られます。 ある人にとっての「良
ACIM-Manual-9-1 変化を要求されるのは神の教師たちの心においてです。 これには、外的な環境の変化を伴うこともあれば、そうでないこともあります。 思い出して欲しいのは、人は誰一人として今いる場所に偶然そこにいるのではないということ、そして神の計画には偶然の果たす役割は全くないということです。 神の教師になりたての人の訓練において、心構えを変えることがその第一段階ではないということは、ほとんどありません。 しかし、一定の型があるわけではありません。 訓練はいつも、その人その人に即したものだからです。 中には、ほとんどすぐに生活環境を変えるよう促される人もありますが、そうしたことはたいてい特別なケースです。 大半の人には、ゆっくりと展開していく訓練計画が与えられていて、その中で出来るだけ多くかつての間違いが訂正されていきます。 特に人間関係が正しく知覚されねばならず、赦そうとしない
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