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kiku9.hatenablog.com
「ある程度PV数が増えてくるとアンチが飛んできます」 一年前に私がブログを始めた時、知り合いのライターさんに言われた言葉だった。 その時、私は書くということを始めたばかりで、そのアンチが飛んでくるという言葉にピンとこなかった。 正直、アンチが飛んできてもいいじゃんとも思っていたのかもしれない。 自分が好き勝手に書いている文章だ。 否定的な言葉が飛んでくるのは当たり前じゃんと思っていたのだ。 去年の今頃はフリーターのプー太郎をしていたので、ただひたすら書く時間だけはあった。 その頃は家とアルバイトを往復した生活を送っており、家に帰っても家族から白い目が飛んできていた。 はじめに就いたテレビ局の仕事があまりにもハードすぎて、精神的に壊れてしまい、 気が付いた時にはアルバイトですら怖くて仕事が出来ない有様だった。 大学生の頃は飲食店などの割とハードな仕事も何度か経験していたが、スーパーのレジ打ち
「人に発したものは自分に返ってくる」 PCの画面に打ち込まれている文字を読み、私はしばらく考え込んでしまった。 私が読んだのは、とある写真家が書いた文章だった。 「言葉であれ、態度であれ、人から発せられたあらゆる要素は壁に投げたボールのようにして、いつか必ず自分に返ってくる」 その方は26歳の写真家の方で、ポカリスエットなどの広告写真で有名な方だ。 写真家、奥山由之さん。 私は彼の写真展に行った際、あまりにも写真から湧き出てくる「生」のエネルギーに圧倒され、感化されすぎて体調が悪くなるくらい、いろんなものを吸収してしまった。 とにかく生きていくエネルギーが写真から滲み出てきているのだ。 写真に圧倒され、帰りの電車の中でも奥山さんのホームページに掲載されている写真を眺めていると、写真展の紹介の部分にこんな言葉が書かれてあった。 「人に発したものは自分に返ってくる」 私は呆然としながら彼が書い
「とにかく全部捨てよう」 そう決心してすぐ私は東南アジア行きのチケットを買っていた。 もう何もかも捨ててしまえ。 無理やり自分を押し殺して生きていくことに疲れ果て、私の心は限界に来ていた。 他人の目が気になる。 仕事を辞めてしまった自分に居場所なんてない。 当時の私は相当、精神的に滅入っていたと思う。 新卒で入った会社を数ヶ月で辞め、劣等感で人とも全く会えなくなった。 ツイッターやフェイスブックに流れてくる同級生たちの投稿をみつけては、家に閉じこもりニート生活をしていた私は劣等感に苛まれ、身動きが取れなくなっていた。 やりたいことなんてない。 人とも話したくない。 今思えば、人生どん底の日々である。 ずっと家に閉じこもり、死んだ目をしたまま天井を見上げていると、ふと思い立った。 「いったん、全て捨ててしまおう」 私が唯一選択したことは、日本をいったん離れ、海外に行くことだった。 とにかく今
私はとにかく昔から不器用な方の人間だった。 何をやるにしても人一倍時間がかかるのだ。 大学受験も一年間浪人してやっと入れたし、テスト勉強もいつも人の倍はしないとダメだった。 「真面目だな」 大学のテスト前になると、いつもノートの書き込みをチェックしている私を見て、友人はそうつぶやいていた。 真面目なのではない…… こうでもしないと確実に単位を落とすからやっているのだ。 何をやるにしても人の倍は時間がかかる私は、とにかくテスト前になると必死だった。 不器用すぎて、効率がいい勉強法がわからなかったのだ。 アルバイトも悪戦苦闘した記憶しかない。 とある飲食店でアルバイトをした時、とにかくレジ打ちができず、私はいつも怒られていた。 「何でこんなこともできないの!」 そう怒鳴られては、私は自分の不器用さを痛感していた。 1万円を打とうとしても、0を何個打てばいいかわからず、いつもパニックになっていた
「え? こんな機械的に裁かれていくの」 私は初めて裁判というものを見て、妙な居心地の悪さを感じていた。 大学時代に私は一度、裁判を傍聴したことがある。 特に傍聴席に行った理由などなかった。 一度は裁判を見てみたいという好奇心があったのかもしれない。 裁判と言ったら海外ドラマのようにスリリングな展開があって、ハラハラドキドキするんじゃないか? そんな淡い期待を抱きながら、東京の都心にある地方裁判所に向かったのを覚えている。 重いゲートを通り過ぎると、警備の人に荷物をチェックされた。 さすがに裁判の傍聴でも、荷物検査には厳しいようだ。 一回のロビーで本日の裁判のスケジュールを確認していると、後ろから次々とおじさんたちがスケジュール帳を開き、自分のノートにメモを取っていく。 こんなに傍聴マニアな人って多いんだな…… 平日の昼間でも傍聴席に来る人は案外多かった。 目の前で人が裁かれるということに妙
「ピンポーン」 貧しいボロボロの服装を着たフランク青年は、とある大ベストセラー作家の家の前に立っていた。 彼は子供の頃から、その作家の大ファンで、何度もなんども読み直していた。 一字一句全て覚えているくらいだ。 その作家の影響でホラー好きになったと言って過言ではなかった。 もうすぐであの人に会える。 そう思って、フランクは胸を躍らせていた。 ガタンとドアが開き、子供の頃から憧れていた作家が目の前に現れた。 フランク青年が会いに行った作家…… それはホラーの帝王と言われているスティーブン・キングだった。 「やあ、こんにちは」 スティーブン・キングはボロボロの服装を身にまとったこの貧しい青年を暖かく迎い入れてくれた。 暖炉の前に座り、緊張を隠しながらフランクは本題を言う。 「あなたの小説の映画化権を買いたいんです」 スティーブン・キングはこの若い青年の目の眼差しを眺めていた。 ただ純粋な眼差し
「人と違うことをしなきゃ」 大学生の頃の私はそう雁字搦めになっていた。 個性的な自分でありたい。 人と違うことがしたい。 そんな思いが私を突き動かしていたのだ。 小学校からずっと、クラスでは馴染めなく、常に落ちこぼれだった私は、大学に入ってからずっと個性というものを追い求めていたと思う。 個性的をもっと探さなきゃ。 人と違ってクリエイティブな人間でありたい。 そう思っていたのだ。 とあるライティングゼミに通い始め、こうして毎日何かしら書くという習慣をつけてきたのだが、どうしてもライティングにおいても、その個性で悩んでいる自分がいた。 やはりものすごい面白い記事を書く人は、個性の塊みたいな人だ。 個性的でなおかつ生き方がものすごく面白い。 そんな人を見ていると、個性もなく、会った人から顔すら覚えられない私は、強烈な劣等感を感じるようになってしまった。 何も持っていない自分が書く意味なんてある
「仕事をやっていく上でのやりがいは何ですか?」 就活生が企業説明会で必ずと言っていいくらいする質問だ。 そんな質問をされた時、人事担当者はいつも困惑しながら 「お客様と一対一で相談に乗れることですかね」 など、マニュアル的なことを言って話題をそらしていた。 私が就活をしている時、企業説明会で嫌という程「仕事のやりがいは何ですか?」 という質問をする人を見てきた。 大学が発行する就活手帳にも、企業説明会で質問すべきリストで、堂々一位に 「仕事のやりがいを聞く」というものがあった。 仕事のやりがいって何なんだろう? 私は妙な違和感を覚えながらも、なぜだか企業説明会では誰かが人事に 「仕事のやりがいは何ですか?」と聞かなきゃいけない風潮があったため、 積極的に私も「やりがい」を聞いていたと思う。 私は就活時、やりがいや生きがいを求めていた。 それは他の就活生のほとんどに当てはまることだと思う。
「何で世界はこんなにも汚いんだ」 私は常にそんなことを思っていた。 小学生の頃から大のネガティブ思考で、クラスの隅っこにいるような暗い生徒だったと思う。ネガティブである方が生きるのが楽だと思っていた節もあった。 ものごとポジティブに考えていると、現実にうまくいかなかった時に、相当へこむ。 ならば、最初からネガティブに考えていた方が、うまくいかなかった時の精神的ダメージも減らすことができる。 常にネガティブに世界を捉えることで、自分が傷つくのを拒んでいたのだと思う。 高校受験の時もそうだった。 最初からこんな学校に受かるわけないと思い、受験して、もし万が一落ちていた時も自分が傷つくのを拒んでいたのだ。 マイナス思考であればあるほど、自分が傷つかない。 そんな風に自分を傷つけない防衛手段の一環として、ものごとをマイナスで捉える癖がついてしまったのだ。 そのせいか、普通に暮らしていてもマイナスな
「読めない」 自分が書いたノートを見直してはいつもそう思っていた。 私はとにかく字が汚い。 その上、ノートに板書をまとめるのが下手くそだった。 高校受験や大学受験で予備校に通っている頃は、ノートで苦労した。 いくら頑張って先生の講義を聞いても、ノートにまとめきれなかったのだ。 黒板の板書がうまい先生ならまだしも、話は面白いけど、板書をほとんどしない先生に当たると私の脳みそはパニックを起こしていた。 授業内容をノートにまとめきれないからだ。 黒板に板書をしていく先生の授業は、板書をノートに書き写すだけでいい。 しかし、書き写すだけで自分の頭に入っているわけではない。 ノートはその人自身の思考回路を表すといわれている。 頭がいい人はとにかくノートを書くのがうまいのだ。 ノート作りは大人になってからも度々、私が抱える問題に浮上していた。 私が最初に入った会社も、上司の言うことをノートにまとめきれ
「沈黙だけは絶対に観に行きたい」 とある映画好きの集まりに参加した際、多くの人がこう言っていた。 「今年最初の映画は沈黙がいい」 「絶対に観に行きたい」 映画通の人ほどマーティン・スコセッシ監督の「沈黙」に期待しているようだった。 「あの予告編みたらすぐ観に行きたくなったんだよ」 と多くの人が予告編の出来の良さを褒めただえていたのだ。 私は正直いうと「沈黙」にそこまで期待しているわけではなかった。 マーティン・スコセッシ監督の映画はほとんど見ていた。 「タクシードライバー」や「ウルフ・オブ・ウォールストリート」までほぼ全作品見ていたのだ。 個人的には「レイジングブル」が一番好きだ。 大好きな監督であるのは間違いないのだが、どこか自分の価値観と合わない気がしているのも事実だった。 自分はスティーブン・スピルバーグの「ジュラシックパーク」のように、 王道の映画が好きなところがある。大衆向きの映
「この望遠鏡、どれくらいの重さがあると思いますか?」 私は目の前にある巨大な天体望遠鏡を見つめていると、係員にこう尋ねられた。 当時、中学生だった私は答えられるずにいたと思う。 直径10メートル以上ある巨大な天体望遠鏡のスケールに圧倒されていたのだ。 「500キロくらいですかね……」 すると係員はちょっと笑ってこう答えた。 「10トンあります」 え? と私は驚いてしまった。 そんなに重いのか…… 500キロと私が答えたことに明らか係員は笑っていたと思う。 私が生まれ育った家の近所には東京大学が管理する国立天文台があり、 平日などは無料開放していた。 近所に天文台があるので、宇宙好きであった私は子供の頃はよくそこに遊びに行っていた。 昔は天体観測が盛んだったが、度重なる都市開発の影響で、夜の観測に適さなくなり、観測自体はもうやっていないそうだ。 観測はしていなくても、昭和の時代から観測に使っ
「何がしたいかわからない」 妹の知り合いである、とある就活生に相談された時のことだった。 彼は大学3年生で、就活の準備をしているが企業のリクルーターから 「君はこの企業に向いていない。自分の価値観を変えなきゃだめだ」 と言われたことを気にしているようだ。 「自分はこういうことをしたいという明確な目標がない。 だけど、会社に入ってなんとかやっていける自信もない」 彼は早稲田に通うわりと成績優秀な大学生だ。 大手企業に入りたいという意思があるという。 「だけど、自分の思い描く会社がなかなか見つからなくて、正直このまま就職していいかわからない」 そう彼は嘆いていた。 彼を見ていると昔の自分を見ているように思えて仕方がなかった。 正直言うと、彼のように社会に対する理想が高く、やりたいことがうやむやな就活生は 就活で絶対に苦労する。 面接官もうやむやな気持ちをきちんと見抜くし、本人自身も「就職したく
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