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今年の「#文学」
job-change.hatenadiary.org
Twittter で継続的につぶやいていた再就職についてのアレコレですが、ひとまとまりになったので、ここにまとめて掲載しておきます。再就職を体験された方、あるいは体験中のかた、果てはなるかもしれないそこののアナタ。それぞれにとって少しでも何かしら会得するところがあれば幸いです。暇つぶしにでもどうぞ。 追記:内容が幾分生々しいので、読んでいて嫌な気分になるかもしれません。ご留意下さい。 なお、再就職の簡単なあらましは再就職活動、簡単振り返りを御覧下さい。
Webの就活サイトを利用した応募って簡単にできるんだけれど、サイト毎にいちいち個人情報を入力しないといけないのがスンゲー面倒くさくて死にそうだった。今後自分も含め、他の再就職者のためにちょっと便利になるサイト作ろうかなと今考え中なんですけれども、それぐらいなんつーかすんげー面倒だったなー。 で、Web応募の結果ですけれど、サイトの質によっていろいろだった。有名サイトなら会社もソコソコだからきちんと日程に合わせて返事をくれたりするけれど、中途半端なWebサイトだと、集まっている会社もアレなのか、返事をくれなかったり応募して2秒後に「残念ですが」メールが届いたりした。 9月からなにげなく始めた再就職活動。10月は再就職支援会社の面談、ハロワ通い、転職サイトからの応募、と3方向から攻めてみた。最初に偶然、某Web関連会社から面接してあげるメールが来たので有頂天になったが、実際会ってみると一言づつ
今思えば2007年のサブプライムローン問題が2008年9月15日のリーマン・ショックを引き起こしアメリカ経済に対する不安が決定的となった結果、海を隔てて東の島国の経済までもおかしなことなったわけで、よくもまあ酷いことしてくれやがったな、という思いが募ります。 2008年の9月、私は中部地方のある半導体メーカへ単身赴任していた。嫁の妊娠が発覚したGW明けからかれこれ5ヶ月、一緒に赴任していた後輩は3ヶ月の約束だったので福岡からのメンバは私1人なっていた。業務も切迫していたこともありリーマン・ショックのニュースを見ても気を止めなかった。 そもそも半導体業界は浮き沈みが激しく、周期的な需給変動を繰り返す特徴がある。2008年は比較的需要が高く、中規模の回路設計会社に所属して私もその恩恵を受けていたといえよう。残業代を考えると、結構な額を貰っていたと思う。世の中の動向を気にするより終わらない仕事の
いろいろ振り返っていたら書きたいことが超多くなったので、ここで一度簡単な振り返りをしておこうと思います。 数値で振り返る 就活期間半年+2week(196日) 履歴書応募100件超(Web応募含む) 最終面接5件 内定3件 再就職活動中にやったこと 1歳の娘を抱えながらの就活は大変辛く、嫁の不安定な精神状況、親の気まぐれ発言に翻弄されながら、Javaアソシエイト試験(一番簡単な奴)で合格できたり、就職応援センターで社会人スキル、再就職の心得を学習するため2週間通ったり、Webの仕事をするために教育訓練を3ヶ月受講したり、その間転職サイトでまめに応募して、ハローワークで週1回必ず2件は紹介してもらい、フリーペーパーや求人雑誌にも目を通してたりしていたんだけれど、結局履歴書が通り始めたのでは3月上旬になってからだった。10月から2月までは一体なんだったんだ?というぐらい反応が違っていたよ。 履
ご無沙汰しております。再々就職して半年以上経ち生活リズムも安定してきたのでブログを再公開します。 壮絶だった前回の再就職後、さらに再就職をしました。そのときの体験を現在ツイート中です。つぶやき終わったらまたここに転載する予定です。 http://twitter.com/35_de_kubi もう転職活動は懲り懲りでござるよ…。 1st シーズンは再就職までのよくあるお話、始めますを御覧下さい。 ツイートを見直していたら嫁のゴタク宣を大量に発掘したので、マニアの方はご笑覧下さいますよう宜しくお願いします。 続きを読む B社を辞めるとき引継ぎに3ヶ月かけろ、とか意味不明の一悶着があったりしましたがなんとか退職し、C社へ入社したのが2011年6月。仕事もやり甲斐がありすぎる素晴らしい職場でね。何より開発元締めであったりするので派遣を使う側の立場になりました。これがもの凄く不思議なんですよ。今まで
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