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大そうじへの備え
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長文をマルチカラム化したいとき、今まではユーザースタイルシートやスクリプトを使ってサイト単位でやってきたのだが、なんで気づかなかったのだろうか。(毎回ひと手間かかるが)誰にでもできるもっと簡単な方法があった。 <body contenteditable="true" style="-webkit-column-width: 25em; -moz-column-width:25em;" ondblclick="this.contentEditable = false"></body> このようなテキストファイルをmulticol_blank.htmlなどとして保存し、ブックマークする。 マルチカラム化したい文書に遭遇したら、Ctrl + Nなどでこのmulticol_blank.htmlを開き、そこに文章の一部または全部をドロップする。 これだけだ。スクロールが発生しないように長さを調節する
はてなブックマークFirefox拡張をインストールしてみた。 まず「ユーザー」と「はてなブックマーク」との架け橋(UI)はツールバーとステータスバーがこれを担っている。デフォルトの設定ではポインティングデバイス依存で、代替手段が提供されないが、ツール→はてなブックマークから色々設定を変更できる。ここまでは別にいい。しかしキーボードショートカットを変更する手段がまたポインティングデバイス依存なんだよ。こんなUI見たことも聞いたこともないよ。入力欄を「クリック」すると(「アクティブ」じゃあない)、「キーボードを押して、ショートカットを設定します」というモーダルダイアログ系がポップアップされる。これには「キャンセル」ボタンがついていて、押すとこのポップアップ表示が消える。問題はショートカットの入力を受け付けるのは、このダイアログがポップアップされているときだけだという事実。俺はこんなUIをみたこ
取り急ぎ要点だけ述べる。 はてなブックマーク Firefox 拡張のベータテストを開始します - はてなブックマーク日記 - 機能変更、お知らせなど 「はてなブックマーク Firefox 拡張」を開発する上で、「はてブユーザー」の意見を聞くべきではない。理由: はてなブックマークをすでに利用している人間が、より便利に利用できるようにはなるかもしれないが、新しいユーザーを獲得するための直接的な方法ではない ユーザーの「意見」にはバイアスがかかる。ましてやコアな「はてブユーザー」は一般的なユーザーとはまったく違った使い方や習慣、癖をもっている可能性がある。 「バグ報告」だけを聞くべき。 ではどうすればよいか。さっさと公開したい記事なのでとりあえず一言で済ましておく。「ユーザビリティの専門家にご相談ください」。 « 「ナビゲーションとは何か、そしてそれは『分離』すべきなのか」に寄せられたコメント
リンクは参照か - 徒書 及び iframeは参照か - 徒書 の補足を目的とした記事。別名「援護射撃」。 リンクとは何か リンクとは、開始リソースと終了リソースとの間の関係、繋がりのことです。この関係もしくは繋がりをブラウザがどう表現するかは、リンクの本質ではありません(参照:link (Hypertext Terms))。 社会通念上は、クリック等すると画面遷移等が生じる「アンカーとなる文字列」のことをリンクと呼ぶようですが、ウェブページ制作者にとって、このような概念のごちゃまぜは恥です。 参照とは何か 参照とは、「あるリソースを他のリソースと照らし合わせてみること」です。また、「他のリソースを指し示すもの(ポインタ)」を意味することがあります。 あるリソースを他のリソースと照らし合わせてみること 他のリソースを指し示すもの(ポインタ) アンカーとなる文字列などはポインタとしての参照で
Amara XML Toolkitマニュアル(version 1.2) ユーザーマニュアル日本語訳 This version Revision 1.2 原文 Amara/Manual - xml3k Wiki 訳注 Jintrick.netによる意訳+メモです。原文との違いに留意してください。 概要 目次 導入 スタートガイド Amara Binery: XMLをPython風に より複雑な例 DTDによる検証 Binderyの仕事 複雑な子要素 ノードの構造を調べる XMLを書き出す XPath バインダリノードにXSLTを適用する 名前空間 名前に関するあれこれ プッシュバインディング 変更、修正 要素(と属性)の作成 属性の変更、修正 XML断片の追加 完全なdocumentの作成 ノード(子孫含めて)をコピーする PIとコメント 文書型(Document types) pars
DOM入門に仕様書を推奨する記事。 W3Cの勧告原文や和訳をあたってみれば間違いが無かろうと思いはしたものの、どうにも敷居が高くて挫折した。 適宜覚書: DOMツツキ より 私も挫折……というか、最初は仕様書を読んでも今一ピンときませんでした。使用例が載っていないからです。でも、それなら自分で「使用例」を作ってみれば良いのではないでしょうか。interface Documentなんてのが出てきたら、それを実際に参照してみたり作成してみたりするわけです。更にその「attributes」や「methods」も同様に。 何と言っても「勧告原文」をきちんと読めるようになるのが最良だと私は考えます。辛いかも知れませんが、その辛さを超えれば応用の幅が、他のアプローチによる理解に比べて比較になりません。次々新しい勧告が公開されるわけですから。 あるDOMのインターフェイスを理解しようとする際に私が必ずチ
追記の前に、ブックマークコメントに関して少し。 はてなブックマーク - vantguarde - 2009年1月31日より。 何故なら、論理的なリンクはハイパーテキストノードにとってコンテンツと同義といっても過言ではないからだ。 コンテキストから対象リソースへの関係を明記すること/明記したもの、ってことかしら。 ユーザーという人間に対してreasonableなリンクであるということであって、この文脈ではメタデータが付加されているかどうかが本質でなく、そもそもハイパーテキスト記述言語「HTML」が未熟なので、豊富な関係性をソフトウェアに伝えることはできない。 はてなブックマーク - Metalog(メタログ) - 2009年1月31日より。 WWW全体を俯瞰するような視点に基づいた総合的なナビゲーション WWWブラウザがWWWに自律的にアクセスし、その文書のトピックがWWWでどうあるかリンク
ナビゲーションとは何か、そしてそれは「分離」すべきなのか (agenda)が抽象的すぎるので補足。まずは最初の段落から。 しかしながら、製作者側はユーザーの目的を正確に知ることができない。知っているのはユーザーがそのハイパーテキストノードを閲覧しているという事実だけであり、そこから目的地を推測するしかない。この時推測される目的地は、正にそのハイパーテキストノードと深く関係しているはずだ。そして、そのようなリソースへのリンクを提供することは、ハイパーテキストシステムにおける各ノードの主要な役割である。真のナビゲーションに接近する方法として、製作者側が取れる、あるいは取るべき手段は、そのハイパーテキストノードを中心としたリンクを提供してやることだけである。私はこのようなリンクを論理的なリンクと呼んでおり、殊更にナビゲーションと呼んでコンテンツと区別しない。何故なら、論理的なリンクはハイパーテキ
WWWの文脈においてナビゲーションという言葉の意味を考えるとき、浮かんでくるのはやはり一人一人のユーザーの姿である。それぞれのユーザーの目的地(目標)に導いてやるためのインターフェイスというのがナビゲーションのエッセンスだ。 文書製作者側が提供できるナビゲーション しかしながら、製作者側はユーザーの目的を正確に知ることができない。知っているのはユーザーがそのハイパーテキストノードを閲覧しているという事実だけであり、そこから目的地を推測するしかない。この時推測される目的地は、正にそのハイパーテキストノードと深く関係しているはずだ。そして、そのようなリソースへのリンクを提供することは、ハイパーテキストシステムにおける各ノードの主要な役割である。真のナビゲーションに接近する方法として、製作者側が取れる、あるいは取るべき手段は、そのハイパーテキストノードを中心としたリンクを提供してやることだけであ
きちんとしたPNG画像で「作品」を公開したところ、GIF画像しか読めないソフトウェアで閲覧しようとして失敗した事実を突き付けられ、「馬鹿には見えない作品なのですか?」と、とぼけられたり、駄目ソフトウェアがクラッシュした事実を突きつけられ、「観れないどころの騒ぎじゃないですね。もしかして、あなたのいう『作品』というのは『正しいPNG画像フォーマットで書かれたアプリケーションクラッシャー』のことを指しているのですか? そう仮定するなら、なるほど、なんとも素敵な作品です。天才的なセンスを感じます。」とか皮肉られたので、画像ビューワの実装が悪い、とお決まりの反論しておいた。この画像ビューワ、何百、何千と種類があってしかも、その多くはPNG画像を表示できて無料なのに。自分は何か間違っているのでしょうか。云々。例文終わり。 私はこのようなvar要素を「散文的変数」と呼んで愛用している。 というか、ウェ
いつの間にか2009年になってしまった。 IE6に気を使わなくてもいい理由とか「そういう系」 の話を聞くと、なんで非営利個人サイトが自分の嫌いなウェブブラウザなんかに一々気を遣わなきゃならないんだとか思う。もちろん気を遣うのには色々理由があるだろう。だが「気を遣わなくてもいい理由」というのもあっていいんじゃないか。そう思ってだらだらと悪文を書いてみた。本当に悪文だからまとまりはないよ。 相手にしていられないほど膨大な種類の「ウェブブラウザ」 この文脈においてはウェブブラウザではなく、所謂レイアウトエンジンやHTMLパーサの種類を把握すべきだろう。たとえばSleipnirもfubも、同じMSHTML.dllを利用しているなら一つとしてカウントできる。 ウェブページのレイアウトエンジン レイアウトエンジン等の名称主なバージョン(2009年1月現在)応用しているプロダクト他
HTML4.01ではp要素の終了タグ「</p>」は省略することができるようになっている。数ある省略可能なタグの中で、最も気を付けなければならないのがこの「</p>」。 DTDの再確認 まずスキーマを見てみる。p要素の内容モデルを確認するのに必要なのは次の箇所: <!ELEMENT BODY O O (%block;|SCRIPT)+ +(INS|DEL) -- document body --> <!ELEMENT P - O (%inline;)* -- paragraph --> <!ENTITY % inline "#PCDATA | %fontstyle; | %phrase; | %special; | %formctrl;"> <!ENTITY % fontstyle "TT | I | B | BIG | SMALL"> <!ENTITY % phrase "EM | STR
このサイトの生い立ちは、とある掲示板で議論が起こり(というよりも一方的に筆者が起こしたものだが)派生したのが理由だが、その掲示板にとあるサイトからの引用が投稿されたので紹介(引用)並びに筆者のそれ対する意見を記しておく。 Personnel - 2001/7/1~15 - agenda - Personnel 私は、サイト構造を明確に示したナビゲーションの存在は、ウェブサイトの構築に是非とも必要なものだと思っている。各文書が、全体構造を示したファイルと直接結び付くことで、初めてウェブサイトたり得るのではないか。結果としてユーザビリティを高めることになるが、本質的な意味はそこにあるのではないかと思っている。 ところがフレームでは、サイト構造と各文書を論理的に結び付けることはできない。視覚的に結び付いていることができるのでさえ、玄関となるトップページを開いた時だけである。ゆえに私はフレームを用
1.「お気に入り」に入れるのとRSSリーダーで読むのと何が違うの? まず、ブックマークのコメントが読めること 他の人がその記事に対してどういう感想を抱いたのかが読め、自分とは違った視点が得られる 次に他の好みのブックマーカーを見つけることが出来る 上記の記事を書いた人はほぼ一人のブックマーカーしか追っていないみたいなのだが、「お気に入り」などのページから個々の記事のページ(ttp://b.hatena.ne.jp/entry/~)に飛んでコメントを読むということし、そこでよく見かけるブックマーカーを「お気に入り」に入れておけば、自分の好みの記事を効率よく探すことが出来る はてなブックマークが「ソーシャル」ブックマークたる由縁(ameblo.jp/moppara/)より引用 強調Jintrick。自分とは違った視点等が得たかったら、私の場合Firefoxのアドレスバーにcompareと打ち込
私は上記の記事を「a要素などで利用者に目に見える形で表示されるものを、わざわざ(ソースなどで)隠すあるいは二重にリンクする必要はない」と解釈したのですが、私の場合これってblockquote要素のcite属性にも当てはまるんですよね。 これは逆の形っていうか、「cite属性で引用元をきちんと示しているのに、a要素などでわざわざ目に見える形にする必要はない」って思うんですよ。私は引用元の前後の文書も読みたいと思うので、ソースを覗いてでもcite属性を探しますけど、多分少数だと思います。今はJavaScriptを用いて cite属性などを目に見える形に表示していますけど、それらはブラウザがやってくれてもいいんじゃなかろうか、とか思うのは望みすぎなのかな? link要素云々 (simpleism.net)より引用 それは私もHTMLで引用する時には毎度頭をよぎる。しかしリンクの種類を伝えられるの
はてなブックマークの「お気に入り」って何? (agenda)の続き。 はてなブックマーク - はてなブックマークの「お気に入り」って何? (agenda) なんか、言いだしっぺの私が言っていいのか知らんけど、はてなブックマークの「お気に入り」がRSSリーダーより優位な点って、はてなブックマーカー達による「情報の重複」を避けられることじゃないのか?とふと思った。たとえば、RSSに登録しているはてなブックマーカーが10人いて、10人が10人同じ記事をブックマークしたとすると、RSSリーダーでは10もの個別フィードを消化することになる。しかしはてなブックマークのお気に入りに「隔離」しておけば、記事一つにコメントが集められる形で表示されるのですっきりする。 と思ったら、すまん既にいくつかブックマークコメントされてた。恐らく同じような意味。だと思う。ピンと来なくて気付かなかった。 はてぶのお気に入り
なんか自分でも恥ずかしいくらい今更な話なんだけど、はてなブックマークのお気に入り機能って何なんだ? お気に入りページでは、お気に入りに加えたユーザーのブックマークを新着順にまとめて閲覧することができます。 RSSリーダーに登録しておけばまとめて読めるのに、お気に入り機能を使う理由が分からない。 お気に入りユーザーがブックマークにつけたコメントも合わせてみることができるので、あなたにとって価値の高い情報だけを凝縮して閲覧することができます。 強調Jintrick。「都合のいい情報」の間違いでは?そんな薄気味の悪い情報収集をしていると目が腐るぞ。いや腐っているから云々というべきか。 お気に入りゼロの状態でお気に入りページを開くと、こんな誘い文句が踊る。 気になるユーザーの新着ブックマークをまとめて一覧できる「お気に入り機能」を活用すれば、はてなブックマークが自分だけのネットサーフィンガイドブッ
IMGのalt属性・title属性について考える(後編) | HiGash.Net なんとなく面白そうだが、実際無縁な話だなと思った。 装飾のための画像を一切入れないから、「CSSかIMGか」で迷うことがない 代替テキストが空だからといって、それが気持ち悪いとは思わない 私の場合代替テキストを空にすべきか考える事例そのものが少ないような。覚えているのは自分を紹介する文書で、顔写真を使ったときくらいか。このときは久しぶりに代替テキストをどうしようか考えたが、適切なものが頭に浮かばなかったので空にした。別に気持ち悪くもなんともない。 画像を利用できないシチュエーションを想像して、情報の伝達に支障が出るなら、そこをテキストで補う。想像力がないなら、画像を非表示にしてみて、文書を(「眺める」のではなく)きちんと読んでみる。それでちゃんと伝わるならカラでも何でもいいだろう。 良く考えてみると、問題は
jintrick.net → Jintrickの公開書庫 → Webdesign, 2007-09-24 ウェブデザインとは何か(文書指向ウェブデザインの補足記事) 「ウェブデザインは互換性の追及である」。 ウェブデザインとは、様々な媒体で利用可能なハイパーテキスト等の情報資源の閲覧を妨げないデザインのことである。(多くの企業サイトがそうであるように)ある特定の閲覧環境にのみ特化されたものは、それ単体をもってウェブデザインとはいえない。何故ならウェブページは、車の中で聞く用途にも用いられるし、ハンドヘルドPCや携帯電話のような非常に小さな端末の液晶画面から、UXGAのような高解像度モニタまで、様々な媒体を通じて閲覧されるからである。閲覧者の中にはウィンドウの幅を調整して様々な方法で利用し、さらにはユーザースタイルシート等を使ってウェブページの細部を自分好みにカスタマイズする者もいるし、ウェ
ちょっと一休み(謎)。いつだったか「HTML原理主義者」という言葉を笑い飛ばすために、軽く文章を書いたので、推敲して公開しておく。 XMLボキャブラリのアンチ・パターン 第4回:「原理主義」、「奇妙な名前、謎の名前」 - ITアーキテクト [IT Architect] なんだこの気味の悪い二人は。 そもそもそれ、HTMLではないローカルなMSHTMLアプリケーションの類だろう。そのローカルなMSHTMLアプリケーションにHTMLの文法を持ち込もうとしたこの「T君」こそ、正しい意味でHTML原理主義者と言えるわな。過激ではないとあるが、私に言わせればこのT君こそが超過激なHTML原理主義者だよ。何故ウェブページの例ではなく、講義で使うMSHTMLアプリケーションなんかを例に取ったんだろう。絶対わざとだろ。 世にいう「HTML原理主義者」の不思議 しかしふと思ったのだが、世にいう「HTML原理
J-COMめ、またやってくれたのか。members.jcom.home.ne.jp以下のリソースが、Internet Archiveからごっそり消えている。ような気がする。もう問い合わせする気も起きないな。 自分の糞Javascriptの歴史ともいうべきElevating Navigator + 現在地表示付き外部Sitemap とか 読書モードとかをやり玉にあげて自分史の批判を始めようと思っていた矢先のことであった。スクリプト自体は更新する際にいつもバックアップを取っていたから何とかなりそうだが、もう証拠性ゼロ。 他人のドメインを借りていると、こういうぶったまげたことが普通に起こるから怖い。どんな糞歴史だって、歴史は大事なんだよ。J-COMの野郎、こっちがどれだけ大事に思っていたか全く想像もしていまい。何かの手違いで、元に戻ってくれるといいなー。 « ウェブページの要約、そしてRSS、S
ヘルプにも書いて居る通り、640 × 480 を想定して居るうちのサイトではマルチカラムは採用出来ないなあ。 制作者の決断 - Weblogより マルチカラムとウェブ・ユーザビリティ (agenda)を読んだだけだとしたらある意味誤解も仕方ないのだが、私が採用を検討しているのはリキッドマルチカラムであり、解像度に応じて適当にカラム数が変化するものだ。単純化して説明すると、たとえばカラムの幅を40emに指定したとしよう。ryu氏のいうVGA(640 × 480px)という解像度では、40emの幅をもつカラムを二列並べることができない(※)ため、自動的にシングルカラムになる。こういった性質がある。逆に40emの幅を持つカラムを3つ並べることのできる画面解像度であったなら、3カラムになりうる。 ※ 文字サイズにもよる それはさておき、VGA以下のようなマルチカラムに適さない環境でも無理やりマルチ
横スクロールについては何カ月か前に考察した。その一部分を公開しておく。 横書きの文書の場合、十分に小さな量の縦スクロールによって新たな一行が表示される。誰もが「体で」知っていることだろう。この十分に小さな量の縦スクロールがユーザにきちんとフィードバックされる、つまりユーザはスクロールを細かく操作している感覚を持つことができる。 一方横書き文書のマルチカラムの新しいカラムボックスがインライン方向にどんどん追加されていく場合、それを横スクロールで表示しようとすると、十分に小さな量の横スクロールは、意味のあるフィードバックをユーザに返さない。つまり、「新しい行」ではなく、「各行の新しい一文字」が表示されることになる。したがってこの場合、ユーザにとって意味のある最小量の横スクロールは、カラムボックスの幅と同じである(正確にはカラムボックス+カラムギャップ+カラムボーダー幅)。次の画像は、以前横スク
まとめて(答え|応え)てみるテスト。まずはてなブックマーク - マルチカラムとウェブ・ユーザビリティ (agenda)のコメントに対して。 スクロールのコストってそんなに高いと思えない。 テストすべし。 全文が見えていると概要をつかめるという理屈も謎。 それは私の書いた条件節を脳内で消している為。 まー結局好みの問題ですしね。 まあそうだが、程度の問題として、Firefox3のCSS3 multicol先行実装はほんの一部であって十分ではないとか、agendaがビジュアルやUIに全く無頓着である等々、様々なマルチカラムの本質以外のバイアスがかかっている可能性は十分にある。たとえばbookreader.jsははてなブックマーカにも「読みやすい!」と好意的に受け止められている。 マルチカラムが有用ってことを言えるわけではない。 どのようなgoalに対しての「有用」なのか。多くのgoalに対して
どうでもいい雑記その232 : 雑記帳 : der Gegenwartを読んだのだけれども、agendaとあの闇黒日記とを比較している点が気になる。条件は同じなのかとか。仮に「マルチカラムのagenda」と「最適な幅に調整した闇黒日記」という比較だとしたらフェアじゃないというか。 闇黒日記を著者スタイルシートで読むときは、ウィンドウの幅を調整すると思うんだよ普通。そうすることによって自分の最も読みやすい幅にできる柔軟性があのスタイルの最大の長所だもの。でも、ウィンドウの幅調整がOKだっていうなら、agendaだってワンカラムにできるわけで。そういう意味ではマルチカラムを強いてはいないんだが。 agendaは「リキッド」マルチカラムだ。agendaがマルチカラムで表示されるということは、ウィンドウの面積は十分に大きくしているはずなんだよ。一方闇黒日記を同じような条件、つまりウィンドウを十分に
ウェブページの文章を読むときは「上から下へリニアに」というスタイルが一般的というか、恐らく99.9%がそうだと思う。マルチカラムで読んだ人がその慣性から引き剥がされて不快感を覚えたとしても不思議はない。視線を下への移動だけでなく上にも移動させるという、いつもと違うことをしなければならないというのは、それだけでユーザビリティ的に問題を引き起こす要因となり得るだろう。しかし、必要な「技術」は視線を移動させることだけだ。スクロールは必要ないし、マウス操作も必要ない。マルチカラムに関して生じているウェブ・ユーザビリティ的問題は、結局のところ主観的満足度の低下だけだと私は想像している。私が主観的満足度よりも重視しているのは視線の移動を失敗したりせずに「内容をきちんと読めたか」、そして「どのくらいのスピードで読めたか」。この2点。もともとスクロールが発生しないほどの短い文章ではマルチカラムが敗北するが
サイドバーとは左側に位置するウェブサイトのナビゲーションのことである、とここでは定義する。擬似段組などによって主に左側に配置される。何年か前にも一度批判したことがあるが、当時は疑いを述べたにとどまっている(段組の利点 - 3つの情報ブロックがある場合 (agenda))。その5年越しの「続き記事」といってもいいかもしれない。 第一に、サイドバーがナビゲーションバー(サイトロゴの下部に配置され、インライン方向に伸びるナビゲーション)と決定的に違うのは、それがナビゲーションかどうか分からないことである。サイドバーは今流行りの「ブログパーツ」かもしれないし、広告の塊かもしれない。自分のサイト内のコンテンツの宣伝である場合もしばしばだし、コンテンツに密接に関連した他サイトの記事へのリンクかもしれない。仮にナビゲーションであったとしよう。この時、サブカテゴリ内のリンクになっているケースもあればグロー
Jakob Nielsenの考えによると、検索エンジンの検索結果ページ(SERP)に示されるべきは、ページの著者によるそのページの適切な要約であるという(彼の著書「ウェブユーザビリティ」参照)。そして著者がmeta要素を用いて適切なキーワードをつけることでその検索結果に正しく反映される。しかしこれは適切な要約や適切なキーワードを付加することも可能なイントラネットには言えることかもしれないが、WWWにおいては全くの絵空事であった。人々は面倒臭がって要約をつけないか、あるいは不適切で何の役にも立たない「要約」を記述するだけであり、宣伝目的のでたらめなキーワードで検索エンジンを騙そうさえとしたのだ。 私はmeta要素に書かれた質の低いウェブページの要約や嘘っぱちキーワードがちっとも役に立たないことを、ウェブの検索エンジンを使い始めて間もなく知った。だからこそGoogleが使われるようになったし、
なんか今日ドメインからしてユーザビリティの専門「っぽい」サイトを閲覧したのだが、CSSファイルを11、JSファイルを13も使っていて、表示されるまでいちいち時間がかかってイライラしっぱなし。光のように速く表示されるサイトというのは、それだけで様々なリンクを辿ってもらえる可能性が高くなる。主観的満足度も無条件に高くなるし、その他の多くのパラメータにも好影響を与える。だからウェブユーザビリティにおいて速度は最も重視されるべき要素なのに。 で、気を取り直して巡回先をまわってみたら反論できない突っ込みを見つけたので、記事を変更。フォントの話題。 フォントの事に関して言えば「agenda」 の本文フォントもメイリオになってるようで、俺の環境では文字が潰れてしまって実は前々から読みにくいと感じていた。 フォント(TexTsiTe)より 本当は、本文にfont-familyを指定したくない。というかfo
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