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日本をよくする提言から多様性を高める主張、ギャップイヤー文化構築提案まで、 多種才々なイノベーター達のエッセイ集 「大学生の君へ~ソマリアと向き合ってきて今思う3つのこと」 永井 陽右 (早稲田大学教育学部4年、日本ソマリア青年機構全体代表) 私がなぜソマリアに対してアクションし始めたのか?という問いに対する答えは、以前取材された際の記事にまとまっているのでこちら(http://tsunagalien.com/no.354.html)を参照していただきたい。簡潔にまとめるならば、私が大学に入学した2011年当時、世界で最も悲惨な場所がソマリアであり、私はその惨状を無視することができなかったという理由である。そしてその状態は今もそれほど変わってはいない。だから変わらずソマリアにフォーカスし続けている。 破綻国家として名高い世界屈指の紛争地であるソマリアと全力で向き合ってきて、今思うことが3つ
日本をよくする提言から多様性を高める主張、ギャップイヤー文化構築提案まで、 多種才々なイノベーター達のエッセイ集 「私がアフリカで裸になった理由」 nagi yoshida フォトグラファー 「 なぜ裸になったの? 」と、質問される。 「 なぜ裸にならないの? 」と、思う。 だって私は小さい頃からアフリカ人になりたかったんだもん。 私のアフリカ人への憧れは幼少期から。 初めてアフリカの少数民族をTVで見た時「私も大きくなったらあの人たち(アフリカ人)と同じ姿になって、あーいう生活するんだ!」って、ずっと思っていた。そして、いくら待っても自分の肌の色が黒くならないことを疑問に思い始めていた矢先、自分が日本人であるということを親から聞かされ、物凄いショックを受けたのを覚えている。ただ自分がアフリカ人にはなれないと気づいてからも、私にとって彼らはどんなスターよりもカッコイイ憧れの存在だった。 し
日本をよくする提言から多様性を高める主張、ギャップイヤー文化構築提案まで、 多種才々なイノベーター達のエッセイ集 「人生よ、ドラマチックであれ。」 小谷篤信 米国・ブラウン大学2年 ※JGAPからのお知らせ 留学や進路、生き方やキャリアを一緒に議論しましょう! 1/15(水)18時~ JGAPエッセイ"フロンティア・フォーラム欄"オフ会 「米国・ブラウン大学 小谷篤信さんを囲む会」 http://japangap.jp/info/2014/01/11518jgap-1.html 「俺の人生は俺が決めるんだ。他の誰かに決められてたまるか。」 喉が切れるほど叫んだあの日の想いは今も胸の中を渦巻いている。2010年4月2日、もう3年半以上も前のことだ。 親に何も言わず、勝手に願書を書いて経団連の留学奨学金制度に応募した。一人で大手町の経団連会館に行き、一人で面接に臨んだ。そして4月2日深夜、塾帰
404 not found ページが見つかりません。 誠に申し訳ございませんが、お客様がアクセスしようとしたページが見つかりませんでした。 URLが変更になったか、削除された可能性があります。 ブラウザの再読込みを行ってもこのページが表示される場合は、 お手数ですが下記のいずれかの方法で再度お試しください。 「japangap.jp」トップページから再度アクセスをお願い致します。 URLアドレスをタイプミスされている場合がございますのでご確認の上、ご要望のページをお探し下さい。
日本をよくする提言から多様性を高める主張、ギャップイヤー文化構築提案まで、 多種才々なイノベーター達のエッセイ集 「やりたいことは全部やれ!~"休学"せずに1年の大半を海外で過ごせるワケ」 宮川 裕司 BBT大学経営学部3年 普通の高校生活 高校は都立西高校で、卒業生の半分以上は、いわゆる人気の大学に進学する高校である。そのような環境の中にいたこともあり、何の疑いもなく受験勉強をしていた。結果的に第一志望の大学には合格できなかったが、慶應大学や横浜国立大学などに合格。ここまでは、世間的に見れば割と良い道を歩いていたかもしれない・・・この後方向転換をすることになる。 短かった横浜国立大学時代 横浜国立大学経営学部に入学。特別大きな目的があって経営学部に入ったわけではなかったが、漠然と経営というものに興味を持っていた。入学時は大学の授業に大きな期待を寄せていたのだが、入学後わずか1か月で失望し
日本をよくする提言から多様性を高める主張、ギャップイヤー文化構築提案まで、 多種才々なイノベーター達のエッセイ集 「 慶應辞めて、オイルマネー沸き立つアブダビにある設立3年目の大学に入学します」 橋本 晋太郎 (19歳) 慶應義塾大学法学部退学後、2012年8月New York University Abu Dhabi校入学。Computer Science専攻予定。 まず、ニューヨーク大学アブダビ校とは? 脱石油依存経済を掲げるアブダビ政府が、知識基盤経済への移行のための戦略の一環として 全面的な資金援助をし、ニューヨーク大学が2010年に設立した総合大学です。アラブ首長国連邦の首都アブダビ(ドバイの隣の都市)に位置しています。 莫大なオイルマネーをバックに、世界中から優秀な学生や研究者、教員をリクルートし、現在2学年320名ほどで60ヶ国以上の国籍の学生が在籍しています。今年1月の最終
石角友愛(いしずみ ともえ)。お茶の水女子大学附属小学校から、16歳で同高校1年で中退、渡米した。シアトル郊外の全寮制の女子校アニーライトに入学、卒業。その後、オバマ大統領も入学したリベラルアーツカレッジであるオキシデンタル・カレッジを卒業(心理学士)。在学中に思いついた起業アイデアを実行すべく、帰国して東京・丸の内で起業家を支援するインキュベーションビジネスを立ち上げ、3年間運営する。2008年、再びアメリカに渡り、ハーバード・ビジネススクールに入学。戦略コンサルティング会社やベンチャーキャピタルで経験を積みながら、2010年に長女出産と同時にMBA(経営学修士)取得。11年から子育てをしながらシリコンバレーのグーグル本社で働く。 Blog: http://tomoehbs.exblog.jp/ 著書は「私が"白熱教室"学んだこと(阪急コミュニケーションズ) 」。 (聞き手:砂田 薫 J
「なぜ、僕はICU退学してアフリカにいたのか?」 ※Japanese followed by English 石川 純(西アフリカ10ヶ月) 経済と自殺 日本はGDPが世界第二位の国だった。しかし毎日誰かが首を吊っていた。誰かが海に飛び込んだりした。誰かが樹海へと消えていった。自殺者は増え、有名人も自殺していた。中学生も、高校生も働き過ぎたサラリーマンも自殺していた。僕の生まれた秋田県は自殺率No.1だった。そして今も記録を伸ばしている。そんな日本、秋田の環境にいて不登校になった僕も自殺について考えた。「死にたい」と考えることが多かった。 旅に出てtwitterを始めた19歳までの間、僕の日本社会に対する印象はかたよったものだった。サラリーマンがデスクにて"カチカチ"とパソコンの音を鳴らせ、奴隷のようにみにくく働いていると思っていた。その頃はそんなサラリーマンにだけはなりたくないと強く思っ
日本をよくする提言から多様性を高める主張、ギャップイヤー文化構築提案まで、 多種才々なイノベーター達のエッセイ集 「僕が休学して留学したワケ~日本の"空気"ではなく、世界の"風"を感じよう!」 黒住 宗芳 オックスフォード・ブルックス大学 (立教大学経営学部3年=休学中) はじめに 数多くのメディアで海外に関する情報を簡単に手に入れられる時代になって、多くの人が、その一部だけを見て他国や人種に対して一方的なイメージを創り、世界をわかった感じになっているような気がしている。まさに以前の僕自身がそうだった。 僕が休学して「留学」を決意したワケ 昨年春、震災後ではあったが、初めて台湾へ行く機会があった。その時の体験により僕の海外への目の向け方は一変した。 "親日的"と言われる台湾だからこそかもしれないが、地図を広げているだけで「ようこそ来てくれた、何でも聞いてくれ。それより日本は大丈夫か?」と実
「商社辞めて、教育系NPO立ち上げのなぜ」 今井 紀明 特定非営利活動法人D×P(今年6月法人格認可予定) 共同代表 商社マンから教育系NPO立ち上げへの挑戦 「なんで食肉原料トレーダーから教育に携わるNPOの立ち上げなの?」 今月退職する会社で仕事の引き継ぎのための挨拶のときに驚いた表情で言葉を発した御客様。「いや、僕も自分で驚きなんですけど、信念持ってやっているんですよ」と僕は語っていた。 確かに変わった経歴なのかもしれない。高校時代までは北海道で過ごし、九州で大学時代を過ごした。海外もよく回ったが、なぜか大阪の食肉専門商社へ就職。そして今度は教育関係のNPO法人の立ち上げ。 04年のイラク人質事件を契機に対人恐怖症に 振り返ってみると僕は18歳のある時期を境に約4年近い期間、対人恐怖症に陥っていた。2004年4月にイラクで人質になった経験をしたのが原因だった。故郷である札幌の街など歩
1977年 東京都生まれ。1998年成城大学文芸学部マスコミュニケーション学科中退、2001年米国ベルビューコミュニティーカレッジ卒。2004年5月、ひきこもり、ニート、フリーター等の就労支援団体であるNPO法人「育て上げ」を設立。事業内容は、1.若年者就労支援事業、2.企業連携事業、3.保護者支援事業、4.キャリア教育事業、5.官公庁ソリューション事業など。従業員数60名強で、年間売上高2億円。内閣総理大臣「再チャレンジ支援功労者表彰」受賞。2011年4月から明治大学経営学部 特別招聘教授。著書に「NPOで働く」(東洋経済新報社、2011年7月)などがある。 (聞き手:砂田 薫 JGAP代表理事) 「30歳までに自立、それまで好きなことをやれ」と明言した父 Q:中学から高校にかけてどんなことを考えておられましたか? 中学校の時は総理大臣になりたかったんです(笑)。政治を知った上での総理大
「起業・退職し、"5年後の描いた自分"に近づくための旅」 ※Japanese followed by English Translation 太田英基 (サムライバックパッカープロジェクト=世界一周中) 起業・退職そして世界へ 現在、約2年かけて世界一周中の旅人です。 旅に出る前は広告系ベンチャーを起業し、仲間と本気で仕事に取り組む日々を過ごしていました。 ですが、僕は会社を辞めました。 『5年後、自分がどう在りたいのか』を考えた時に、 日本の外に出るという選択肢を取ることに決めたからでした。 決断するに至ったキッカケは色々と重なりました。 ・自分が国外のことについて、驚くほど無知であったことを痛感したこと ・初めて出逢ったグローバルな起業家(韓国人)と自分との間に、大きな差を感じたこと ・渋谷駅前で迷子になっていた白人カップルの英語が理解できず、手助けできなかったこと等々... 自分が5
1976年石川県生まれ。1995年慶応義塾高校卒。1998年10月、大学4年時に司法試験に合格。1999年慶応義塾大学法学部政治学科卒業。2000年4月に最高裁判所司法研修所に入所、2001年10月、司法修習修了(54期)と同時に弁護士登録(第一東京弁護士会)。太陽法律事務所(現ポール・ヘイスティングス法律事務所・外国法共同事業)勤務を経て、2004年、米国Duke University School of Lawに留学。2005年同校を優等の成績で卒業し、日本人として初めて留学生の総代を務め卒業式でのスピーチを行う。同年、カリフォルニア州司法試験に合格し、現在の勤務先である外国法共同事業オメルベニー・アンド・マイヤーズ法律事務所(弁護士を1000人弱抱える米国の大手法律事務所)に移籍。ニューヨークオフィスで勤務後、2006年から東京に戻り現在に至る。2008年3月、オメルベニー・アンド・
「なぜ、私は大企業を辞めて、世界一周旅行なのか?!」 もりぞお(無職 アジア就活中) 大学を卒業後、アメリカの大手IT企業の日本法人に7年勤めました。 その後、日本の東証一部上場企業に2年勤めました。 そこには様々なエキサイティングな体験があり、魅力的な仲間がおり、理不尽なルールがあり、安定した(それなりに多額の)収入がありました。 「勉強して、いい大学に入って、大企業の正社員になって働く」 そんな人生のレールにがっつり乗っかった9年間。 そこでは、レールに乗れなかった人への理不尽なルールとか、レールの上の人がレールから墜ちないように心や身体を壊してまで必死にしがみついている姿をいくつも見てきました。 そんな様子を見るたびに「日本の働き方、やばくね?」と思う日々。 ふと、一度レールを下りてみて、日本の外から日本を見たり、外国人の働き方を見たくなってきました。 そこで、ひとりギャップイヤーを
1972年東京生まれ。1988年高校1年修了後に中退し渡米し、同年9月に米国カンザス州ローレンス高校2年生に転入。1年でワシントン州 レイクワシントン高校に転校し、90年に卒業後、帰国。その後、旧ソ連や東欧をバックパッカーとして、見聞を広める。92年9月にニューヨーク州立大学入学、94年に国際基督教大学へ編入。96年6月に大学卒業後、97年にNHKに入局、「クローズアップ現代」などを担当。04年 NHKを退職し、NPO法人「ライフリンク」を設立。10年間で32万人と、中堅都市が忽然と消えるような自殺者数の現状は個人の問題と捉えるのではなく、社会の問題と位置づけ、国や自治体、民間団体や専門家が一体となって社会全体で自殺対策に取組む連携の仕組みづくりを始めた。以来、代表を務め、「自殺対策基本法」成立の原動力にもなった。著書に『「自殺社会」から「生き心地の良い社会」へ』(共著、10年3月 講談社
神奈川県出身。事業戦略や競争力が専門の経営学者。上智大学外国語学部英語学科卒業。7年のフリーランスでの通訳を経て、1980年にバージニア大学大学院でMBAを取得。85年に、日本人女性として初めて、ハーバード大学大学院にてDBA(経営学博士号)を取得。同年よりコンサルティング会社にて、企業戦略等のコンサルテーションに従事。92年に青山学院大学国際政治経済学部教授。2000年より一橋大学大学院国際企業戦略研究科教授。11年4月より現職。著書に『世界級キャリアのつくり方』(共著、東洋経済新報社)、『グローバルキャリア ユニークな自分の見つけ方』(単著、東洋経済新報社)『日本の産業クラスター戦略』(共著、有斐閣)などがある。 最初の留学は大学3年時。米国で1年間暮らしたが、貧困層居住密集地域「ゲットー」での福祉ボランティアを経験した。帰国後上智大学を卒業し、7年間自宅で通訳"フリーター"も経験して
5/19(金)21〜22時 Clubhouse「誹謗中傷を根絶しよう」共和国#16 事前資料 【ルームの考え方と在り方】 理念; グローバル共和国が悪口、暴言
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