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inoko2019.hatenablog.com
今朝の朝焼け。当時はやった岡林信康の『友よ』の歌詞「夜明けは近い」を思い出す。 1974年~75年のビル爆破事件の桐島聡容疑者が名乗り出て、そして亡くなった。 当時から交番や駅、理髪店などいろんな所へ重要指名手配犯の顔写真の一覧表が貼ってあった。 桐島容疑者のぎょろ目と黒縁の眼鏡をかけた顔は一度見たら忘れられない写真だった。 しかし、50年間日本社会の片隅で逃げ延び、臆することなく居酒屋やスナックに出入りして、人気者であったという。 私の大学時代は1967年から始まった。 特別奨学金8000円で暮らす苦学生で、アルバイトで生活費の不足を補った。 当時の地方の大学では学生運動への参加は一般学生にとって普通のことだった。 週末には学生自治会が主催するデモ行進が普通に行われ、いつも50人前後の学生が市内をデモ行進していた。 私はアルバイトの合間に時々参加していた。 クラス討議は政治の問題が中心だ
ヤブランが真っ盛り 自民党総裁選は岸田さんの圧勝で終わった。 9月17日のブログで総裁選を予想した。 河野さんが勝利すると予想した私の予想は外れたが、競馬愛好者の私の予想は外れると書いたブログの最後の言葉は当たった。 いつまでたっても競馬が勝てないわけだ。 ただ、負け惜しみを言うようだが、私の予想は決戦日より10日ほど前の予想で机上の数字の積み上げだった。 決戦当日の状況を入力できたら当たっていただろうといつものタラれば予想に戻った。 ところで、なぜ河野さんは負けたのだろう。 河野一郎、河野洋平、河野太郎と続く河野家三代の悲願である日本国首相の誕生の期待が河野さんを委縮させてしまったのではないかと思った。 小泉進次郎を味方につけ、石破茂を招くなら、総裁選出馬に反対する麻生派など、くそくらえと退路を断って戦わなければならなかったのではないか。小泉元首相と違ってそのような迫力が全く伝わってこな
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