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今年の「#文学」
hiroki-hayashi.hatenablog.com
「日本の税金 第3版」三木義一 岩波新書 2018 なぜ、「減税」が正義の主張なのだろう。おそらく、税を支払ったことによる恩恵を実感できない政治が行われているからであろう。 キャプションに記したあとがきの言葉に尽きる。政治がひどすぎるのだ。過去最高の税収を記録してもわれわれはまったくその恩恵を感じることが出来てゐない。これだけ税金を取られて、なぜ病院の救急車や藝大のピアノや博物館の光熱費やらをクラウドファンディングせねばならない状況になるのか。政治の劣化以外に理由はない。 消費税に関する議論が盛んだ。インボイス制度の開始によって消費税そのものへの関心が高まったこともある。けれど一番は物価高騰による生活苦、30年の経済低迷による貧困層の増大だ。消費税はみんなから徴収するから形式的には公平である。しかし所得が低いほど負担が大きくなるから実質的には不公平である。すなわち逆進性が高い。 著者の三木
黄金週間でもとくに予定がないのでふだんの休日と同じような過ごしかたをしてゐる。 映画「閃光のハサウェイ」を見た。ガンダム映画である。ガンダムシリーズはいわゆるファーストガンダム全話と映画「逆襲のシャア」を見てゐる。それではガンダム作品のほんの一部でしかないのだが、「閃光のハサウェイ」はアムロとシャアの戦いを描いた「ファースト」及び「逆襲のシャア」の線上にある作品だから大丈夫だろうと踏んだ。 www.youtube.com 富野監督のガンダムとはまったく異なる魅力をもつガンダムで、ああこんなことが出来るのかと感動した。アニメーションの質が凄く高い。登場人物の表情とか視線の演出が素晴らしい。聲の演技もいい。ガンダムのデザインもかっこいい。これは真剣に言うのだが、ひょっとしたらガンダムをまったく見たことがないひとが見ても面白いのではないか。三部作らしいから次は劇場で見たい。最高でした。 ラブラッ
ビックリ 1日(水)から新しい職場で働きはじめた。3日間だけの印象だけれど、すごくよい環境でおどろいてゐる。みなさんやさしく、ゆっくり慣れていけるように余裕をもったスケジュールを組んでくださってゐる。デジタル化が進んでゐて紙に印刷した文書が少ない。だから個人のデスクというものがなく毎日パソコンをもって好きな席に座る。 昨年末に期間限定で働いた出版社と比べると、生産性はひょっとしたら3倍くらいになるかも。そこは経理ソフトで管理して、エクセルで管理して、紙で管理して、というようにアナログのうえにデジタルを上乗せするせいで無暗に複雑なことになってゐた。 すごく開放的。入社から数年目以内の若い女性が大活躍してゐる。管理職のひとが開明的なのだと思う。年齢や性別や雇用形態による差別はあってはならないという意志を感じる。あるんですね、こういう職場が。 むしろぼくのほうが属性を意識しすぎてゐたらしく、帰り
「MERU/メルー」2015 アメリカ、インド 監督:ジミー・チン、エリザベス・チャイ・ヴァサルヘリィ www.youtube.com 登山家のコンラッド・アンカー、ジミー・チン、レナン・オズタークの3人がヒマラヤ山脈にあるメルー峰の「シャークスフィン」登頂に挑戦する姿を追ったドキュメンタリー映画。 「シャークスフィン」はサメのひれという意味で、サメのひれみたいにツルツルで直覚にそそり立ってゐることからそう名付けられたらしい。 メルー峰もシャークスフィンもまったく知らずに見たら、心底衝撃を受けた。「シャークスフィン」はぼくのようなド素人が見てもエベルストよりかなりむづかしそうだ。 だってほとんどずっと崖ぢゃないですか。テントなんかあれどうやって吊るしてゐたのか。あの崖で、氷点下30度で、雪が降ってるわけで。。。 こんなことに挑戦して成功させる人間がゐるとは。人類が地球上のほとんどあらゆる場
「神々の明治維新ー神仏分離と廃仏毀釈ー」安丸良夫 岩波書店 1979 日本人の宗教生活。難問。 いま存在してゐる宗教的習俗や制度の多くが維新時に急ごしらえされた「つくられた伝統」であるにしても、これを全否定するわけにはいかない。いかにそこから国家神道的要素や大日本帝国的価値観を取り除く、あるいは薄めることができるか。 ここも結局のところ敗戦処理の失敗が放置されていまにいたるという話だ。端的にぼくたちは天皇に頼りすぎてゐる。右も左も、保守もリベラルも、天皇を利用できるなら利用したいと思ってゐる状況は不健全だ。 皇后雅子さんが心の病気に苦しんだことも、小室圭さん眞子さん夫妻が国粋主義者たちに粘着攻撃されてゐることも、気の毒でならない。 皇統を維持し、神事に則って国民の安寧を祈るにしても、もっと政治権力から離れたしづかな環境で為すというような制度をつくることはできないものか。 ノートをば。 国体
芥川龍之介全集 昭和2年 岩波書店 春に読み始める。 昔かなりの安値で見つけて購入して積読になってゐたのをわけもなくちょっと読んでみるかと思ったらしい。人間暇だと妙なことを考える。 全集は全七巻と別巻一冊。小説作品を収めた一巻から四巻まで頭から順番に読んでいった。五、六巻は小品、論文、紀行文、翻訳、詩、俳句など。七巻は未定稿と書簡を収め、別巻は日記が中心。 五巻以降は通読する必要もないと思うし、年末にちょうど四巻を読み終えたので、ノートはとりあえずここで終了とする。 ただ五巻から先も遺稿「西方の人」とか紀行文「支那游記」とか読んでみたいものがいくらかあるので、来年ぜひ読みたい。 芥川龍之介 1892年(明治25年) 東京市京橋区入船町に生まれる。 1913年(大正2年) 東京帝国大学文科大学英文学科へ入学。 1915年(大正4年) 代表作「羅生門」を「帝国文学」に発表。 1916年(大
送り仮名いろいろ 送り仮名は価値中立的・非政治的 【漢字(意味)+仮名(読みを示唆)】=語 「示唆」ということ 手書きとワープロ書き 村上春樹の送り仮名 自然な感覚 送り仮名いろいろ 新海誠監督の最新作「すずめの戸締まり」が大ヒット公開中である。ぼくはまだ見てゐないのだけれど評価が気になるので批評文を読んだりしてゐる。 そこで面白いことに気がついた。映画にも批評にもまったく関係ないことだが、「戸締まり」の送り仮名の送り方がけっこうばらけてゐるのだ。 公式の送り方は「戸締まり」と「まり」の二字を送ってゐる(こちら)。だからもちろん感想を投稿する人達の文章も圧倒的に「まり」送りが多いのだけれど、「戸締り」と「り」だけ送ってゐる例もまれにある。 いや、まれ、というには多すぎるようだ。 note で「すずめの戸締り」を検索した結果(2022.12.13) これはどういうことだろう。わざわざ not
「マッキー」2012 インド 監督:S・S・ラージャマウリ 出演:スディープ、サマンサ・ルス・プラブ、ナーニ 他 www.youtube.com こんど大ヒット上映中の「RRR」を見に行くつもりなので S・S・ラージャマウリ監督の2012年の作品「マッキー」をアマプラで鑑賞。驚きと爆笑の連続。素晴らしい作品だった。大好きです。 ハンサムボーイがイケイケの成金オヤジに殺されてハエに生まれ変わり(輪廻転生!)復讐する話。という一行で書けてしまう超単純なバカ映画であるが、このバカ設定のなかでどれだけ愉快で楽しいアクションを盛り込めるかを追求してゐる。この楽しさはチャウ・シンチー監督の喜劇映画に近いと感じた。最高です。 この驚くべきアイディア力と演出力で壮大な歴史物語を描くとあの「バーフバリ」になるのだなあと深く納得。「RRR」は絶対に劇場で見たい。 若い男が殺されたのはどんな女でもイチコロで落と
はじめに 背景 国語改革 歴史、アイデンティティ、言語表記 正統ということ 漢字 漢字全廃のための字数制限 表内/表外という構図 仮名遣い 仮名で語を書く 変わりゆく音、変わらない文字 つづりと時間 「日出づる国」か「日出ずる国」か まとめ 言葉や文字などどうでもいい 本ブログの仮名遣いについて 参考文献 はじめに 本記事は現在の日本語表記のありかたを決定した国語改革について論じたものです。 第一章「背景」では、改革の具体的な内容を理解するために必要な前提を確認します。第二章「漢字」では、漢字廃止運動と簡略化政策について、第三章「仮名遣い」では、仮名遣いの歴史と表音化政策について、それぞれ解説してゐます。その後に簡単なまとめを置き、最後に参考文献を示します。 本記事を読めばなぜ「ひっ迫」「急きょ」「漏えい」といった交ぜ書きが生まれたのかが分かります。また、なぜ「ずつ」と「づつ」の両方がつか
「新版 吉本隆明1968」鹿島茂 平凡社ライブラリー 2017 若い世代に「吉本隆明の偉さ」を伝えるために書いたとのこと。吉本の本は「真贋」とか「夏目漱石を読む」とか晩年に書かれた軽いものをいくつか読んだことがある。本格的な理論書では「共同幻想論」だけ。本書で取り上げられてゐる初期の論文はひとつも読んだことがない。 鹿島茂さんのガイドが見事なためだ、とても面白く読んだ、吉本隆明は偉い、と感嘆した。「芥川龍之介の死」には衝撃、すごいです。ここで取り上げられた論文がみんな入ってるような論文集とかアンソロジーみたいなものはないだろうか。「芸術的抵抗と挫折」や「自立の思想的拠点」などの初期の単行本は手に入りづらいから。 以下、ノートをば。 より正確にいえば、吉本隆明が問題にしたのは、左翼的な思考法それ自体よりも、それを誕生せしめる日本の近代社会の構造そのものなのです。吉本は、たんに現象面であれこれ
内面 チャコがうちに来たのは去年の8月末だからちょうど1年が経ったことになる。犬との暮らしはほんとうにいい。毎日かわいい。はじめの頃はペロペロなめられるのに少し抵抗があったけれど、いまではペロペロしてくれないと物足りない。オシッコもウンチもまったく汚いと思わない。きれいなウンチをすると、なんていいウンチなんだと嬉しく思う。なるほどペットが家族だというのはこういうことなのか。 View this post on Instagram A post shared by Chaco and her friend (@chaco_papillon) www.instagram.com 犬とは言語コミュニケーションができないので、顔とか声とか接触によってメッセージを遣り取りすることなる。こっちは人間であちらは犬であるので、きっと互いのメッセージの解釈は誤解ばかりだろう。相互に勝手に解釈してゐるだけのは
民主主義の危機 安倍政権の完成(は御免だ) 別の道もある 民主主義の危機 7月8日、安倍晋三・元首相が参院選の街頭演説中に銃撃されて死亡した。この10年の政治は安倍VS反安倍という図式で展開された。ぼくは明確に反安倍であり、政権交代が必要と考えてずっと野党共闘を応援してきた。安倍氏のことを政治家としてはまったく評価しないが、このような死に方をしていいはずがない。 去年の10月に岸田文雄政権が発足したとき、岸田首相は「民主主義の危機だ」と言った。これは安倍(&菅)政権の国会軽視、政治の私物化、文書主義の破壊などを指してそう言ったのである。 安倍政権は反対者の意見を聞かなかった、たくさんの不支持者を含めて全体を代表するという態度を示さなかった。とにかくもう、勝てば官軍というやりかた。どんな失政も、疑惑も、説明をせず、責任をとらず、選挙に勝てば「国民の信を得た」で押し通した。このような政権運営は
7月9日、土曜日。 アマゾンPrimeに小津安二郎の「晩春」(1949)が入ってゐるのを発見し、鑑賞。笠智衆演じる周吉と原節子演じる娘・紀子の物語。周吉は早くに妻を亡くし、娘との二人暮らし、いろいろ家のことをしてくれるので嬉しく思ってゐる。娘のほうも父のことが好きで嫁になど行かずそのままで楽しいと考えてゐる。 周吉には妻が、紀子には母がゐないために、この親子には異性のあいだにだけ生れるような独特の親和があるようだ。しかしいつまでもこの心地よい関係を続けることはできない。娘は夫を得るべきである。とうぜんこの親和は失われなければならない。映画の見どころは、父娘間の親和と緊張、それを体現する主演二人の名演。 新しい妻をもらうことにしたと娘にウソをつくシーンや、一人で林檎の皮をむくラストなど、笠智衆の迫力は凄まじいものがあった。老年にいたり娘を手放して孤独になる。男が孤独を引き受けて成熟する物語だ
「論語物語」下村湖人 興陽館 2021(初刊は1938年) 簿記2級の受験をひかえて勉強ばかりしてゐる。連結会計では非支配株主持分に注意が必要で、子会社の利益に変化がある取引、すなわちアップストリーム取引においては非支配株主持分の変化を反映させる仕訳が必要となる、とか、直接原価計算では製造固定費は製造原価ではなく費用として処理するので、仕掛品には入れないんだ、とか、そんなアレコレで頭がパンパンだ。 学校のほうはワード・エクセル・パワーポイントの授業が始まり、便利なショートカットキーをたくさん覚えてゐるところだ。資格やスキルアップのための努力は多くの場合報われるし、結果が出ると自分がレベルアップした気分になる。きっと就職にも役立つから経済状況の改善につながるはずだ。だからけっこう楽しく奮闘してゐる。 けれども、必ず正解があってやったことがすぐに結果に結びつくような、実際的で即物的なことばかり
「ちょっと思い出しただけ」2022 日本 監督:松居大悟 出演:池松壮亮、伊藤沙莉、國村隼、永瀬正敏、尾崎世界観 ほか www.youtube.com 大好きです。すごい傑作だと思いました。 池松壮亮さんてホントにいい男だなあ。可愛らしさと、カッコよさと、セクシーさがみんなあって素敵(くだらないことですが、大竹しのぶさんに似てますよね。本作での、特に泣きが入ったところの発声の仕方などそっくりだった)。伊藤沙莉さんは始めて見たのだけれど、あまりに可愛くて一瞬でファンになってしまった。特にリズム感が見事で、相手が誰であれ掛け合いが無類に楽しかった。 主演の二人のアンサンブルにはミラクルが起ってゐた。いや、この映画を見ると日常のすべてがミラクルで出来上がってゐるんだと感じる。でも多くの場合そのことに気が付かないし、そう感じてもすぐに忘れてしまう。でも、忘れてゐても、ちいさなきっかけで思い出すこと
朝、犬の散歩をしてゐるときに、小学生の女の子二人組に出会った。聞けば、社会科見学で国会議事堂へ行くのだという。ということはたぶん5年生か6年生だろう。最近ぼくは「マスクいつまでつけるのか問題」に関心をもってゐるので、小学生はどう感じてゐるのだろうと話をふってみた。 小学校では基本的にずっとマスクをつけてゐる、体育のときだけ外していいことなってゐる、とのことだ。続いて一人の子がこう言った。「わたしたちも実はマスクに慣れてしまって、もう外したくないと思ってます。口元が隠れて見えないのが安心感があるんです。」 この言葉をどう受け取ったらよいだろう。小学生も高学年になると、「個人としての輪郭を消して匿名でゐたい」という日本的(非)社会性が確立してゐるということだろうか。あるいは容姿についてのコンプレックスを自覚し始めてゐるということか。 そういう面もありそうだ。が、「口元が隠れて見えないのが安心感
芥川龍之介全集を読んでゐる。 芥川は「幸せ」を「仕合せ」と書く。いまでは見られない表記だ。用法もまた現在とは異なる。ぼくたちがふつう「幸せ」といったら、良いこと、幸福、ハピネス、つまり誰もがそうなりたいと思うような肯定的な価値を認められた状態を指す。しかし芥川は必ずしもそうではなく、しばしばただ「めぐりあわせ」や「運」を意味することばとしてつかってゐる。 大辞林で「しあわせ」を引くと、最初に「めぐりあわせがよいこと、幸運、幸福」とあり、次に「めぐりあわせ、運命」とある。岩波古語辞典で「しあはせ」を引くと、まづ「物事の取りはからい」とあり、次に「めぐりあわせること。運。善悪いづれについてもいう」とあり、三番目に「特に、幸運」が置かれ、あわせて「仕合せ次第(運の向くままになること)」や「仕合せ吉し(運のよいこと)」という複合語が示されてゐる。 古語において「しあはせ」は主として善も悪も含めため
近所にチョビという名のオスのパピヨンがゐる。ハンサムで体格がよくてとってもかわいい。「写真撮っていいですか」「インスタにあげてもいいですか」と聞くのが面倒だからチャコ以外の犬の写真を撮ることは少ないけれど、チョビは特別すてきなので撮らせてもらった。 チョビはパピヨンなのにふさふさの毛ではなくちょっとゴワゴワした硬質な毛をもつ。筋肉が立派でまんまるとしたフォルムが実にかわいい。柴犬的な魅了がある。そして目鼻立ちがしっかりしたイケメンだ。ロバート・ダウニー・Jr.に似てゐると思う。ワンチャン・アベンジャーズがあるとしたらアイアンマンはチョビだ✨ アイアンスーツも似合いそうだぞ。 View this post on Instagram A post shared by Chaco and her friend (@chaco_papillon) www.instagram.com チャコは細身の
今年の花粉はしんどかった。引越したのであたらしい耳鼻科を見つけて薬をもらった。有名なアレグラ(フェキソフェナジン)を処方されたのだが、一錠では効かず、倍量の一回二錠を飲むことになった。アレグラは身体にやさしい薬なので倍量でもなにも問題ないとのことだ。二錠飲むとぜんぜんちがった。近代医学に感謝である。ところで、小池百合子東京都知事の公約に「花粉症ゼロ」というのがあったと記憶してゐるが、なにかしたんですかね。 コロナパンデミックの行方が気になる。上海では感染が拡大し、ロックダウンが行われ、住民の不満がたかまってゐるそうだ。多くの国がウィズコロナにシフトするなかで、発生当初にはその権威主義と管理システムによって最もうまく対応してゐた中国が方向転換の機会をつかみそこねてゐるということか。日本はどんなビジョンをもってゐるのだろう。どのような状況認識で、なにを目標に、どういう対策をとるのか、最初から曖
先週から Gat Nikas を習いはじめた。Gat Nikas はカタックの主要レパートリーのひとつであり、ヌリッタ(Pure Dane=抽象的な動き、リズム重視)/ヌリティヤ(Expressive Dance=具体的な動き、感情重視)の区分においてはヌリティヤに属する。 もちろん、ヌリッタ/ヌリティヤはダンスの性質を抽象化してつくられた概念であるから、実際の表現がどちらかに截然と分類されるわけではない。交じり具合、重点の度合いが異なるだけ。漢字仮名交じり文と似てゐるかもしれない。漢語ばかりの文章もあれば、仮名ばかりの文章もある。違うか。 Gat はサンスクリットの Gati に由来し、足取り/足並み/勢い/速度、などを意味する。Nikas はペルシア語で、なにかの具現化/誰かが通るための扉、などを意味する。Gat Nikas はムガル帝国時代に発達したものらしい。ムガル宮廷の公用語はペ
「キッパリ! たった5分間で自分を変える方法」上大岡トメ 幻冬舎 2004 「いろんな細胞がどうやってできてくるのだろうか」学の仲野徹さんが最終講義で「人生を変えた一冊」として紹介されてゐたので読んでみた。 www.youtube.com 「めんどくさい⇒だらだらしちゃう⇒自分がイヤになる」のループから抜け出すためのちいさな工夫、ちいさな行動を60個紹介してゐる。絵がかわいい✨ 実践してみようと思ったものをいくつかメモしておく。やるぞ✊ 水の流れる場所を、キレイにする。 そうですよね。これ大事。ぼくの場合は、ちょっと違うかもしれないけれど、コンロ周りの油汚れを放置してしまうことが多いので、これを週に一度はちゃんと掃除するようにしたい。キッパリ! おひさまとともに起きる。 これね。朝寝坊をやめたいですよ。一日が短くなりますから。後悔するとわかってゐるのに布団でダラダラしてしまうんですね。春、
近所で美容室を経営してゐるマダムが犬を飼ってゐる。マダム、と書いたのはその年長の女性を表すふさわしい和語がみあたらないからだ。高齢に見えるけれど老け込んでゐない。お洒落で華やかだ。おばさん、という感じではない。老婆、なんてとてもとても。 犬の名をソラという。チャコと同じく保護犬だ。聞けば、チャコよりよほど辛い過去をもつ。それだけに、人間を信用してをらず、苦労も多い。マダムはソラの前にも保護犬を飼ってゐた。こちらもまた飼育にはたいへんな困難があったそうだ。 ☟ソラとチャコ。 View this post on Instagram A post shared by Chaco and her friend (@chaco_papillon) www.instagram.com 土手を散歩中、マダムとソラに会った。挨拶をして、犬の話をした。犬にもそれぞれ個性があってみんな違ってゐる。言葉は通じな
「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」2014 アメリカ 監督:アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ 出演:マイケル・キートン、エドワード・ノートン、エマ・ストーン、ナオミ・ワッツ www.youtube.com 2014年に劇場で鑑賞したときには、なんだこれは、ちっとも面白くない、これがアカデミー作品賞なのか? なんて感じたものだったけれど、見返してみたらベラボーに面白かった。これは最高だ。いやスゴイ。8年前のぼくはいったい何を見てゐたのだろう。そういうことってあるよね。 マイケル・キートンさん凄い迫力。エマ・ストーンさんかわいい。8年前はエマ・ストーンさんのことを知らなかった。この時から素晴らしいですね。エドワード・ノートンさん、クソ野郎が似合いますね、楽しそうでした。ナオミ・ワッツさん、「マルホランド・ドライブ」でも「キング・コング」でも売れない女優さんを演じてまし
2月13日、ダンスの試験があった。一年に一度あるらしい。ぼくは去年の9月からヌータン先生の授業に参加してゐる。最初はビギナークラスだったが、10月からは並行してひとつ上のクラスにも参加するようになった。いくつの層に分かれてゐるのかよくわからない。入門、初級、中級、上級みたいなのが一般的と思うが、たぶん厳密に固定されてをらず、流動的にやってゐるんぢゃないかしら。 そう書くのは、試験参加の区分は1年目、2年目、3年目といったかたちで年数に応じて分かれてゐて、レジュメによれば7年目まであるのだけれど、クラスの階級が7段階あるようには思えないからだ。そこらへん含めておおらかにやってゐるのだろう。日本的厳密さからするといろんなことがはっきり決ってゐないように感じる。それは融通が利くということでもある。 ぼくは1年目の試験を受けた。次のお題を出された。 ・これまでに学んだ Tihai のうち任意の一つ
立春を迎えていよいよ春の兆しを感じる。風はまだ冷たいけれど、昼過ぎの日差しに春の匂いがする。花粉も飛び始めてゐる。目がかゆくなってきたら、あ、春だな、と思う。あ、春だな、と思ったら、大田垣蓮月の歌を思い出す。 死ぬもよし死なぬもよろし又ひとつどうでもよしの春は来にけり どうでもよしといってはゐるが、題詞は「七十七の春」であるから、古稀の春を迎えられたのがうれしくて詠んだ歌なのだろう。生き死になどもはやどうでもいいと冗談がいえる境地は楽しそうだ。いまの七十七歳はあんまり「稀(まれ)」でもないのでまだ早いかもしれない。 いわんや三十五歳のワタクシをやだ。あれもしたいこれもしたいと思ってゐるので、まだまだ生きたいのだけれど、他方で、チャコがあまりにかわいいので、江戸川沿いをちんたら散歩などしてゐると、ああ、ほんとうに、この世のすべてがどうでもいいぜ、と感じることがある。 チャコは散歩以外では寝て
「太平洋戦争への道 1931-1941」 半藤一利、加藤陽子、保阪正康 NHK出版 2021 第一章 関東軍の暴走 第二章 国際協調の放棄 第三章 言論・思想の統制 第四章 中国侵攻の拡大 第五章 三国同盟の締結 第六章 日米交渉の失敗 第一章 関東軍の暴走 1929年 世界恐慌:経済が低迷、農村は困窮。「生命線」である満州の確保へ。 1931年 満州事変:関東軍が柳条湖で鉄道を爆破、これを中国軍によるものとして攻撃開始、満州全域を制圧、傀儡国家樹立。 加藤 では、次に「なぜ関東軍による独走、独断」が許されてしまったのか」について。 当時、大日本帝国の出先軍、現地軍というと、朝鮮軍二個師団がいて、中国には関東軍がいました。外地ですので、中央からの制御ができにくい。天皇の命令を現地軍に伝える奉勅命令というものがありますが、これで現地軍をとめるというのも、なかなか政党内閣ではやりにくかったと思
「NHK100分de名著 西田幾多郎『善の研究』」若松英輔 NHK出版 2019 「善の研究」は図書館や古本屋でパラパラめくったことがあるだけで、まだ挑戦したことはない。本書を読んで、きっといつか読もうと思った。「絶対矛盾的自己同一」なんていう鍵語だけ頭にあって、こういうことが書いてある本だとはまったく知らなかった。若松さんの著書はたぶん4,5冊読んでゐる。いつも感動する。 以下は、西田がモーツァルトを論じたくだりを引用した直後の文章。大切。 美しいものにふれることと、大いなるものを信じることとは同質の経験である。美の経験とは、美を通じて人間を超えるものにふれようとすることであるというのです。また西田は、「かかる直感は独り高尚なる芸術の場合のみではなく、すべて我々の熟練せる行動においても見る所の極めて普通の現象である」(同前)とも述べています。 (・・・) 西田の言葉が本当であれば、たとえ
仕事をお休みしてゐるのでのんびりした時間を過してゐる。長い正月を味わうことができた。散歩したり、本を読んだり、映画を見たり、家事をしたり、そういう生活のあれこれを、意識してゆっくり行ってゐる。いいものだ。 チャコはリードを外しても勝手に逃げたりしないことを発見したので、江戸川沿いの広場でボール遊びをするようになった。家の中や、あるいは外でもリードにつながれてゐてはこんなに思い切り駆けることはできない。見てゐて爽快な気持になる🐶 View this post on Instagram A post shared by Chaco and her friend (@chaco_papillon) www.instagram.com リードを外して大丈夫と思っても、やはり油断してはいけないので、「待て」や「伏せ」といった基礎的なコマンドをきちんと教え込まないといけないよね。かわいいのと散歩する
これでよい 今年もあと一日半となった。よくがんばったなあという充実感に浸ってゐる。このように後悔のない、前向きな、充実した気持で一年を終えるのは人生で初めてかもしれない。よくやったと思う。カントの最後の言葉は「これでよい」だそうだ。いいよね。ぼくはこの一年を「これでよい」という気持で終える。やるべきことを、全力でやった。 今年は環境を変えた一年だった。その経緯は「環境を変える。」と「環境を変えた。」に書いた。これらの記事の中には書かなかったが、環境を変えようと考えたきっかけは、3月に失業したことだった。これはけっこうこたえた。けっこうこたえて、失業給付の手続きが済み、よし、しばらくゆっくりして、せっかくだから職業訓練でも受けてみようか、と踏ん切りがついた頃に、同じ職場から呼び戻された。 ま、仕事はあったほうがええわな、と復帰した。しかしあからさまに調整弁として使われるのは屈辱的なことであり
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