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大そうじへの備え
frontback0109.hatenablog.com
言葉が足りない 人間と言うのは 日々生きているだけで 色んな情報を 目から 耳から 肌感から受け取ります 時には匂いで 時には食べて感じて ある時は第六感で それこそ 五感もしくは六感で 受け取ります でも 受け取り続けたら 人間おかしくなります 自分の中での情報量が 溢れかえってしまって どうにもならなくなる どうにかしたいんだけど どうにもならなくなるんです いわゆるパンクというか 不完全燃焼状態に陥る だから吐き出さなければならない 自分にも言い分はある 的な状態になります それがいわゆるうっぷんがたまる 的な事なのかもしれません 人生は長いです 長いけどその一秒一秒は その人にとってとても 貴重とも呼べる時間なんです その一秒がもったいないと 思ってしまうのが この現象になった時です 流動性を保たなければならない そうするためには段階はあるものの ゆっくり速やかに 流動性を保ちなが
必要ないのはいらない 人間というのは 本当にそれが自分の生活で 無くてはならないモノ でなければ捨てるべきです 人生は短い 時間は制限があると述べました 時間に限りがある分 要らないものに携わる時間を 本当に少なくしないと どんどん余計なエネルギーを 取られてしまいます たとえば自分の住んでいる 家の中を想像してみましょう 1年経っても使わないモノって ありませんかね? そうです 1年経ってもまったく 見向きもしないものは いらないのです そのモノに家賃を払う必要は まったくありません 実際のモノとは別に 人間関係も同じなのかもしれません 自分にとって 意味がないとしか思えない他人と 必要以上に関わるのは その他人に エネルギーを余計に 消耗させてしまうので とっても効率が悪くなります 効率効率と僕もあまり言いたくは ありませんが 毎回毎回本当に 不必要なエネルギー消費は 勘弁してくれと言
ピックアップするのは今 こんばんは、ソンチョルです 人生はあっという間に 終わってしまいます そして未来は 誰も予想ができません 確定してる事項は ひとつも存在しないのです 株価予想もそうですが ほぼ無意味です だれも予想できません 未来に対しての 確定事項は存在しないのです ここまで説明しといて 本題の話なんですが 未来が分からないのであれば ピックアップするのは 今しかありません 過去を振り返ることは大切ですが 過去も未来も 今の分岐点に過ぎません そして今は あっという間に過ぎてしまいます そう あっという間 このあっという間に過ぎてしまう今は あっという間に過ぎるけれども その時の感情や状況変化は 感じられるのです 今自分がどう思っているのか 何がしたいのか そんなことは大体 わかるものです 人間というのは 五感以外で感じる力があります 状況把握 第六感 そんな些細な見落としがちな
少しでも良いと思えるものを 人生は短く 無限に時間が存在している訳では ありません 一人の人間の寿命は長く生きても 100年ほどです その中で健康的に 誰の助けも借りず生きられる時間数は そんなに多くはないのかもしれません 産まれて人の手を全く借りず 自立して生きられる時まで せいぜい18年 88歳まで健康で誰の手も借りず 生きられたとしても 差し引いて長くて70年ほどです その70年もの歳月は有限で 出来ることは限られています それでも自由と呼べる時間は 仕事以外だとその半分くらいは 仕事にとられるでしょう そう考えると せいぜいあっても 30年から35年くらいです 自分の人生のなかで 本当に自由に使える時間は 人生の3分の1くらいなものです そこから睡眠時間をとると もっと少なくなります 半分は寝てるとしても 15年から20年くらいでしょう そう考えると 自分が自由に使える時間は せい
人間は才能がすべて というお話をさせて頂こうと思います 人間というのは 人と人との間に生きる生き物です 生まれた時から人間社会で生き 世の中がどんな構造になっているのか 判別もつかず ただ無知で小学生を生きていた僕 中学になってもさほど変わらず 高校になってもとりわけ 良いところがない学生生活を生き 大学に行っても こいつなんで大学きたんだ?と 思われる不思議な人間でした でもそんな僕でも 社会人になると 状況は結構一変します それは 可能性が広がったのです 学生時代には無い 自由を僕は手に入れました 誰かに評価されることもない 目を気にすることもない そんな学校の成績に縛られない 人生を歩むことができたのは 社会人になってとても嬉しかった 出来事の一つです 僕のように 学生時代は脚光を浴びない どこにでもいるようなボンクラな 僕でも 社会人になったらなぜか とても自由を感じられ とても羽
世の中には本当に他人を陥れようと 命を懸けている人もいるんだ と いう事も知ろう 人間というのは 善の感情もあれば 負の感情もまた存在します 大体の実生活においては それがほぼ混ざり合っている状態 ですので どこからが善か悪か なんてことを判別はできません だから人間はその 行動のみを審査基準とするのです たとえどんな事象が起きようとも その時々の出来事において その場合の行動を 行動基準にのっとり 判断しているのです でも人間の感情も行動しながら変化し なおかつ それが自分が思ったことなのか それとも たまたまそんな考えが よぎっただけなのか そんなもの判断が付きません ということは わからないことは多いのです 何か不幸が起こった時 人間は自分を恨む人間を想像します 何故不幸が起こったのか その原因を自分以外の他者に ゆだねようとするのです もちろん自分の行動も省みます しかしそれは自分
手詰まりを抱えてみる こんばんは、ソンチョルです みなさま、深夜のこの時間 いかがお過ごしでしょうか? さて 人生ではよく 手詰まりなんてことはよくあります 勉強していて行き詰まった ゲームしていて行き詰まった 友達と会っても面白くない 何もやる気にならないが 体力だけは有り余っている 何かしたいけど やりたいことが見つからない こんな悩みは誰しも持つと思います でも同時に そう思うという事は 時間がもったいないと思っていると いうこと 時間を惜しんでいる でも何をして良いかわからない 人生には時に残酷で 何もする気にならない時間帯も それなりに存在します この意味がないとしか思えない時間を 有効活用できれば 自分の人生はもっと良いものとなるのに そんな思いを抱くのは何も 僕だけではないかもしれません うまくいくこともある でも同時にそれと同じくらい うまくいかないことだってちゃんとある
人の気持ちを受け止めるのが仕事 こんにちは、ソンチョルです みなさま いかがお過ごしでしょうか? 今回のテーマは 介護の仕事でのお話となります わかりにくいかもしれませんが 伝わりにくいかもしれませんが 読んで頂けると嬉しいです ・・・ 介護の仕事は 人の気持ちを受け止める事から始まります 始まると言っても過言ではありません 何故そう思うのかは 読んでいくと伝わると信じてます ・・・ 介護施設や病院などで ほぼ寝たきりの方は 疾病をお持ちの方 つまり 病気は持っているけど完治できない その病気と一生向き合って 余生を生きなければならない そんな方がたくさんいます そのほか 先天性つまり 生まれた時から病気を持っている方も いらっしゃいます それこそ後天性つまり 交通事故や病気の発覚によって 施設生活を余儀なくされている方もいます 僕たちはそんな 人生においていわゆる 前向きにとらえることの
わたしたちは恵まれている こんにちは、ソンチョルです みなさま、暑い中 いかがお過ごしでしょうか? 夏真っ只中 気温が35℃をまわっております 東海地方 暑いの一言です 水分と塩分を摂取して クーラーのある部屋で しっかりと体調を整えてください さて 今日のテーマは わたしたちは 恵まれているというテーマです 家があってそこに屋根があり お風呂に入れて 着る服があり 毎日食べるものがあって 人間としての営み いわゆる生活ができている時点で 僕たちはとても 裕福なのだという理論です これは実際のデータでも 記されています 自分で調べたわけでもないから 本当なのか実証はできませんが 先進国である日本で住んでいると 感じられない、知らない かもしれませんが 本当に日本で生活しているだけで 僕たちは世界中の多くの人より 裕福な生活をしている ということです 世の中には 自分の家もない 屋根もない
人間は 一人じゃ生きられないことを 実感する こんにちは、ソンチョルです みなさま、 いかがお過ごしでしょうか? さて 最近の僕の動向と言えば 転職活動をして 内定が決まりました 喜ばしいことなのかもしれませんが 数々の職場を転々としている 僕にとって 転職活動は少し 後ろめたい気持ちになったりもします 過去を振り返る作業も必要ですし 転職先に自分の意向も 伝えなければいけないしと ある意味 自分をさらけ出すことを しなければいけません 自分と向き合って ある程度の結論を 導き出さなければいけない 単純そうですが 現時点の自分をしっかりと 映し出さなければいけません 今立っている位置 場所、時間・・・ この時の気持ち などなど 自分と向き合う作業なわけです 転職するという事は 自分と向き合うという事 逆に言えば 普段はあまり 自分と向き合ってはいないという事 になるのです どこかしら ほっ
詐欺としか思えない 電話がかかってきた こんにちは ソンチョルです さて今日は さっきかかってきた NTTファイナンス たる者が 僕の携帯電話に 掛けてきた内容について 載せたいと思います 僕が寝ていたら 身に覚えのない 電話番号から着信がありました 「NTTファイナンスの者ですが・・・」 わたしはNTTの回線などを 使ったことがないし 現在一人暮らしで 自分の携帯電話しかないのに なぜNTTから電話があるのだろうか そんな疑問を胸に 話を聞いていると 「使われているかどうか 確認しますので お名前と生年月日を 教えてください」 ・・・ 馬鹿なのか? ・・・ 「NTT使っていないのに なんで名前など言わないと いけないんですか?」 ・・・ ??? ・・・ 「ですからそれをお調べしますので 教えてください」 「いやだからなんで教えないと いけないんですか? 切ります」 と言って電話を切りまし
自分の気持ちが人によって 駆逐されるほど 強い気持ちを持つ 人間というのは 本来 何気なく生きています そこに特に意味はなくても 自分自身が楽しければいい その場が良い雰囲気ならそれでいい 他愛もない話ができて 気が紛(まぎ)れればそれでいい そんなことを思いながら 何気なく生きています それがいわゆるストレスのない 人生なのかもしれません 気兼ねなくストレスなく 生活できている時は良いですが ある出来事がきっかけで それまであまり感じていなかった 自分の内側にある感情が 吹き出ることがあります 本来は閉じてある そのある感情は時に 人を傷つけるだけではなく 己も同時に 傷つくことも少なくありません そんなアクシデントとも 呼べるようなものは 本来関わりたくない 正しいのかそうでないのかに関わらず 触れたくない そんな気持ちから 人間はおのずとそれを無意識に そこに蓋をするのです ある話し
デジタルの世界から アナログの世界へ 最近わたしは ある違和感を感じていて SNSやらなんやらから 逸脱することを考えています 人間は現代社会において ほんとうにSNSやネットや 流行りなどにかまって生きていないと 生きられないのか テレビを見ないと 人間は死んでしまうのか? SNSをやっていないと 人間は死んでしまうのか? 時代遅れの人間になるのか? そんな疑問が ふつふつと湧いてきました 本来なのであれば 人間はテレビもラジオも デジタルなもの つまりそんな文明も なかったわけで・・・ 若者でSNSをやっていないと時代遅れや パソコンができないと 使えない人間 なんて思われるのも ある意味 無理のない考え方です ですが 誰かと安易につながっていることが すなわち ほんとうの幸せなのかと聞かれると ぼくは 断固反対なのです 煩(わずら)わしいと思えるような 人間関係を築いているのなら そ
根拠のない自信を大切にする 人間というのは 普段何気なく生きているものです その何気ない人生 生活の中で 根拠はないけれども なんとなく 「これ、こうだとおもうんだよね」 なんてことを 思う時があるのかもしれません 根拠はないけれども なんとなく こんな風に思う でも それを実証しようと思っても できないし そもそも 何の科学的な説明をほどこせない なんてことは よくあります でも わたしの母は直感が働くタイプで なんかわからないけど あやしいと思うんだよね っていうと ほんとうにその通りだった経験が あるみたいで いわゆる第六感がはたらく みたいな感じの方なのです その影響もあってか ぼくもよくはわからないけれども もしかしたらこれって こうじゃない?的な事を 考えたり思ったりします それがいわゆる 人生を左右しかねない ターニングポイントになったりする 訳です とても役に立つ いわゆる
言葉も使っていけばいくほど 使えるようになります 物事は大体 そこに携わっていけば なんとなく 使えるようになります できるようになります わかるようになります 覚えるようになります 適応できるようになります 耐性が付きます これは僕だけなのかもしれませんが 人間というのは 嘘でも方便でも その言葉や単語を使っていくと 使えるようになるのではないかと 思うのです というのは 発声することによって その言葉を一番近くで聞いているのは まぎれもなく その発している本人なのです 誰かに怒っている言葉も その人に怒っているのかもしれませんが その言葉を一番近くで 大きな音で耳に入っているのは その人本人なのです だから 本当はこんなことが言えるのかも しれません 怒っているのは 自分に怒っているのだ な~んて・・・ 僕はよくわからない言葉も そんな言葉は知らないから使わない なんて機能が働く時も
細かいことができないと 先に進めない 人生というのは 細かいことの連続です 僕も最近 職場に弁当箱を持って行っていますが 段取りから後始末まで 一人で行っています 一人暮らしの男性の洗濯も いまではそつなくこなしています 毎日 ある程度決まった時間で動き ルーティンの元 事細かく時間配分し 事細かく動いています とはいっても 男性の一人暮らしなので 困ることもないわけではありませんが それでも 自分自身が生活するうえで 困ることは避けたいので 面倒だなと最初の頃は思っていましたが いまではそれが 当たり前になりつつあります 一人暮らしをして 生活して 寂しくないのかと聞かれると 僕は寂しさというものが なんなのか よくわかりません 弟も今は結婚しましたが 当時一人暮らしをしていた時は 何が寂しいかわからない 寂しくないと言っていました というように 人生はとにかく 職場でも 自分のプライベ
投資はとにかく 忍耐がいちばんです いまや投資と言えば 株式投資 不動産投資 仮想通貨 いろいろあります お金と投じて 資産を増やしていく これだけ聞くと ワクワクする代物です ですが 投資は忍耐力が とても必要になってきます それはなぜかと言うと 自分が投じたお金が 必ずしも増えたりはしないからです お金を投じて マイナスになることなく ずっとプラスに転じる なんてことは 本来ありえない話なのです そして 金額がでかくなればなるほど その高低差は大きくなる ばっかりです たしかにプラスに転じてる こともあるでしょう そうすると人間は安心して いられますが マイナスに転じていると ソワソワして いてもたってもいられません 1万円投じて 半値の5000円になるくらいなら まだしも 100万円投じて 50万円になるなどしたら とても平常心ではいられません 自分が投じたタイミングを悔やみ どうし
人のために生きることは 自分のために生きること 人間というのは 人のため 世のため 世界中の何かのために いきることを モットーとすべきです 人間というのは 自分のために生きていると やがて生きることに 行き詰まる と 思うのです それはなぜかと言うと 心理的に 行き止まりになるからなんです ではなぜ 人間という生き物は 自分のために生きていると 行き詰まってしまうのでしょう? それは はっきりとはわかりませんが 僕が思うに よく言う 私利私欲に走ってしまうからです はっきり言って どんなことでもいいんです 私利私欲に走ってしまったら その時点で 人が自分から 離れていくのが分かります もしわからなければ それは 周りが見えていないのかも しれません ちゃんと気づけるという事は まだ 可能性として そういうアンテナが 残っていて そこから微弱な電波を キャッチできている証拠です 人間という
時には 真逆をやってみる 人間というのは 自分の固定観念にのっとって その都度 自分に最良とも呼べる 選択肢を常に考え 選択し決めています それが無意識のレベルでもです しかし 人生いきていて その裁量の中で生活していても うまくいく時ばかりではありません 今までの人生を悔やみ 後悔することも時にはあるでしょう ちゃんと選択してきたはずなのに・・・ ちゃんと考えてきたはずなのに・・・ ちゃんと真面目に・・・ 人間は完璧な存在ではありません よって 自分がいくら最良の選択をしてきても 時には それ故に 悪い結果を産むことも少なくありません ではそんな時は じゃあどうすれば良いか それは 時には真逆な人生を生きてみる です 今までの自分じゃ悪い結果しか 産まれないとしたら 逆を返すと その逆をいけば 成功するという事です こんな単純な事が 人間は時に感情的になり 冷静さをかけ 感情が赴くまま
胸に宿る思い 人間というのは 日々生きていて 色んな衝撃な 色んな干渉や 色んな状況の中で さまざまな思いを抱き また 顕在的にわかっている思いよりも 潜在的にうごめいている 感情的な思い ・・・ このような 毎日違う感覚の中で 日々変化する毎日の中で 突如訪れる さまざまな感情をおぼえます それは自分がその心を 宿したいと思っていても そうでなくても 突然現れる いわば 自分の心の宿に 誰かが住み着く そんなぽっかり空いた 自分の心の中に 生き物でも住んでいるかのような そんな感覚を覚えることがあります 人間というのは その生き物を 自分の心の宿しながら 人知れず こうしなければならない とか こう動くべきだ なんて思い 行動し 発言し 自分を時には奮い立たせ 生きているのかもしれません それは突然やってくる ぽっかり空いた あなたの心のやってくる そして住み着く ・・・ 不思議ですよね
気の持ちよう 人間は思い立った時 それをやってみたいと思った時は 一瞬です 一瞬で思いつき 一瞬で忘れてしまいます よく歌手の方 アーティストの方 作曲家の方 脚本を作成する方 と・・・ モノづくりをされる方 創造力をもって何かに取り組む方は 一瞬のひらめきが 大ヒット商品になることが 少なくありません 僕の人生にも たまーにではありますが これやってみたい とか これがしたい なんてことを思う時があります そんな時はどんな手段でもいい 形にすることが求められます ということより そんな体験は希少なので ちゃんと年を重ねると 機会を待って待って・・・ 準備していつでも動ける 体勢にはしてあります だからこそ ここぞ という時に動こうと思うのです 人間は確かに 何気なく人生は生きているにしても ただ何となく生きているわけではなく ちゃんと 日々の体験から こうしたい あーありたい なんてこと
一人の人間が出会う 人の数は? というテーマでお送りしたいと思います いま世界の人口は 70億人とも80億人とも言われています 仮にむかしのままの 70億人だったとしたら ひとりの人間が出会う 人の数はどれくらいなんでしょう? そのパーセンテージは どれくらいなのでしょう? 70億人の10%って 7億人です いやいやそんな数は出会わないでしょう その十分の一は1%なので 7000万人という事になります もちろん こんなたくさんの数の人とも 出会うなんてことはないと思います と仮定すると その十分の一 700万人 こんな数も出会うなんてことはありません これで0.1% 70万人=0.01% この数も出会っていないでしょう となると まだまだパーセンテージは下がります 0.001% これで7万人です 知り合いをどれくらいの規模に 決めるかにもよりますけど この数も出会ってますでしょうか・・・
人生は 細かいことの連続だ 人間はそれほど 能力は必要ないのかもしれません それはなぜかと言うと 基本的な事だけできていればいいのです たとえば あいさつができる これも誰でもできます 気持ちだけあれば誰でもできます 言葉がしゃべられるのであれば・・・ また 家に帰ってきて お風呂に入ります これも誰でもできます Lineでメールが来れば 返事をする これも誰でもできます お店に行って買い物をして お会計をする これも健常者なのであれば 誰でもできます このように 人間の生活には 基本的な動作 いわゆる 誰でもできることの積み重ねで 人生はできていると言えます でも だけど ・・・ 人間は時に その単純な事を面倒だと思って やらない場合があります それをもし 怠っているとするのであれば その怠った出来事を 積み重ねてしまうと 人間は不幸になるのです 一言でいえば・・・ だから なまけずに
自分にできることを模索していく 人生は自分のやりたいことを 見つける旅でもあると思うのです 自分のやりたいこと つまり それが自分の役割であり 自分にしかできないことであり それが生きがいであり それが・・・ そのものが人生であると思うのです もちろん やりたいことだけ やって過ごすことは 困難かもしれませんが どのみち やりたいことでなければ 続いていかないモノ わたしはこうやってたまーに 自分の気持ちをパソコンに打ち込んで 気持ちの整理をすることが 生きがいになっていますので・・・ このように 自分がやりたいことは 人には理解できないもの 何のためにやっているのか それがいったい誰のためになるのか そんなことが入り込めないくらい 自分のやりたいことは イビツで理解しがたいもの なのではないかと思います 人生 そんなことの連続です 他人にとっては意味がないとしか 思えないことでも 自分に
人間何が一番うれしいか これについて論じてみたいと思います ※このブログは 自分の勝手な偏見でできておりますので なにとぞ寛大なお心でご鑑賞ください さて本題の 何が一番嬉しいのか ですが それは 今まで自分がひたむきに 何かをやってきた甲斐があった と思ってほろっと泣けてしまう時 なのではないかと思います 人生いきていて それぞれの人は何気なく生きています 流れ流れて社会の渦に巻き込まれ 生まれ育った環境も 関わった人たちも さまざまな事故や ふいに訪れた不幸も 全てこのためにあったんだ と思う時 人間は心の底から嬉しい と思うのではないかと存じます 苦心して築いた何か その苦労は人には言えない そんな苦境の中 何とか生きてきて その延長戦の中で 何か評価されたり 気持ちを理解してもらえたり 僕という人間を立ててくれたりと それまで体験したことのない 嬉しい体験つまり そのギャップに人は
最近の僕の動向について 最近は職場が変わって 新しく覚えないといけないことが多くて 自分の時間を作るのが 困難になってきています 仕事はそんな簡単に 覚えられるわけでもないし その場の雰囲気や 内面的に見えにくいことも たくさん存在するので それをひとつひとつ 自分の価値観に当てはめて 合ってる間違ってる みたいな感覚で 自分の物差しに当てはめながら 人の行動パターンを読んだり 職場の仕組みを徐々に受け入れたりと ちょっと忙しい日々に追われています とても初歩的な事なのですが 新しい職場に時間通り行くことさえ 慣れていないと大変です ということで 自分自身がその場の空気感や 雰囲気に飲まれもしているし 一部まだ飲まれていない 部分もあるという事で とにかく今は 自分の時間を作るのが困難です ブログあげるのも 正直ちょっと困難かもしれません 心の余裕がないですね ・・・ということで 自分の身
企業案件 この度 レントラックスという アフィリエイトサイトからの オファーがありました とても嬉しく思うんですが このように 企業側などから お仕事の依頼があるっていうのが 今の時代を感じられる システムとなっています 今、企業さんは 人気がある個人・・・すなわち いわゆるインフルエンサーと呼ばれる SNS上で人気の人に対して 仕事の依頼をすることが あるということです もちろん僕は このことを見越して やっていたわけではありませんが・・・。 というか厳密に言えば 最初SNSで発信をしていく 駆け出しのころは もちろんそうなればいいと思って やっていたのは事実ですけど その気持ちが萎えるくらい おびただしいとも呼べる時間が 体感的に過ぎ去っていたのも事実で 最初にSNS発信を始めてから いうに2年半は過ぎていました このはてなブログに落ち着いて 投稿しているだけで幸せで そんな投稿をずっ
ブログを始めてどれくらいになったかわからないけど、結論から言うと僕は副業をして稼いでなどいません。せいぜいやってることと言ったら株式投資をして配当金をもらっていることくらいです。でもその配当金も再投資しているので特に受け取って生活資金にしているわけではありません。 たしかに当初つまりブログを始めたときはインターネットビジネスをしてそれを生活資金にと励んでいたのは確かです。その時結構な値段を払ってついた勉強会のメンバーから「毎月これだけ稼いでます」てことをブログに載せてくれとの要望があり言われた通りにしました。意に介さないの一言でしたが理由を聞くと「今はそうじゃなくても追いつけばいい」という内容でした。僕の性格上あまり嘘はつきたくない性格でして、とても苦に感じました。しかし言われた通りにやってみて無収入のまま現在に至ります。その勉強会も脱退という形になったのである意味もう一人立ちみたいな形に
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