サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
トップへ戻る
2024年ランキング
essay-miznashi.hatenablog.com
読み終わった後はぜひブックマークボタンを押して応援お願いします(‘∀‘) お恥ずかしいことに、私は子どもの頃とんでもない暴君だった。それも学校に一人や二人はいるような“暴れん坊”ではなく、ちょっとやそっとのレベルじゃない大魔王のような暴れっぷりだった。 魔王の片鱗が見え隠れし始めたのは幼稚園の頃だった。私は当時仲の良かった友人が一人遊びしていた遊具を「オラ~これよこせ~」と奪い取り、そのショックで翌日彼を休ませてしまった。 彼の親から欠席の理由を受けた幼稚園の先生は連絡ノートで私の親に詳細を伝え、私はどうしてそんな事をしたのかと問い詰められた。だが私は「へへ~僕が使いたかったから!」と笑顔で答え、何を怒られているのかよく分かっていなかった。 小学校に入ると可愛らしさが抜けて魔力だけが伸び、私は魔王になりつつあった。気に入らなければぶん殴り、教師には盾突きまくった。おかげで私はクラスの一部か
読み終わった後はぜひブックマークボタンを押して応援お願いします(‘∀‘) インスタグラムやネットの広告で、怪しい中国系のファッションサイトを見たことはないだろうか。 去年の秋にインスタグラムを見ていると服の通販サイトの広告が出てきたので覗いてみた。するとかなり好みに合った服がたくさんあったので、買ってみようかなと思ってサイトを色々見ていると、何やら色々怪しいではないか。 まず商品名が怪しい。“ファッション花柄青春好感度急上昇高級感シャツ”や“アバンギャルド爆発中長袖のカッコいいシャツ”といった物ばかりで、とてもじゃないがまともな人間が書いたものとは思えない。 「なんだこの怪しいサイトは……」 私は疑念を抱きながらサイトの名前をよく見てみると“MKAKKOII”と書いてある。 「なんだ? エムカ……エムカッコイイ!?」 大爆笑である。商品名がおかしかったのも合点がいく。なるほどこれは中国のサ
読み終わった後はぜひブックマークボタンを押して応援お願いします(‘∀‘) 私がCOACHという高級ハンドバッグの店で働いていた時、ミリタリーおじさんに出会った。 売り上げが凄まじいアウトレットだったので店にはいつも大量の商品が納品されてきた。在庫管理担当の私はいつもバッグやら小物やらにめちゃくちゃ丁寧に取り付けられた緩衝材やらビニールを恐ろしい速度で取り外し、納品処理をしていた。 多い時には満タンの段ボールが四十箱は届いたりしていたので、とてもじゃないが内製では捌ききれない。なので派遣会社から人を呼んで手伝ってもらうこともしばしばあったため、私のあの店で様々な人と出会った。その中でも特に印象的だったのが、ミリタリーおじさんだ。 手を動かしながらなら多少話していてもよかったので、私は派遣の人達と仲良くなろうといつも話し掛けていたのだが、秋口にやって来た四十五歳くらいのミリタリーおじさんはなか
読み終わった後はぜひブックマークボタンを押して応援お願いします(‘∀‘) 突然かもしれないが、私はサザエさんガチ勢だ。ハチャメチャな生き方をしていて周りから“サザエさん”と呼ばれていたうちのおばばが親近感からか漫画を全巻持っていたので、物心ついた頃からずっとサザエさんの漫画と共に過ごしてきた。 放送だって毎週録画して妻と一緒に見ている。妻の部屋にはサザエさんのグッズが大量にあり、彼女の実家も全員サザエさんが好きだ。義父も放送を見ているし、義母はその昔妻を連れて東京の桜新町にある長谷川町子美術館に何度か行っていたと言った具合に一家総出で好きな様子だ。ひょっとすると我々夫婦最大の共通趣味はサザエさんかもしれない。サザエさんのお導きがあって結婚した可能性すら出てくる。 私が初めて長谷川町子美術館を訪れたのは、妻と交際中のことだ。私が連れて行けとせがんだところ「私も久しぶりに行きたかった」と言った
写真に興味を持ったのは高校生の頃だった。 アルバイトを始めた私は、写真を撮っておくと後で見返した時に面白いのではないかと思い、近所のコジマ電気で一万五千円ほどの安いコンパクトデジタルカメラを買った。値段からも分かるように全然高機能なモデルではなかったが、それでも使い捨てカメラと比べると断然高画質だし、光学ズームが付いているのは革命的だった。そして何より感動したのは撮った写真をその場ですぐに見られるという点だった。 カメラを購入した私は早速学校に持って行き、様々な写真を撮った。授業中の写真、昼休みの写真、自分達のバレー部の練習風景。女バレも勝手に撮った。 さらに休日もアメ村に行っては三角公園で撮り、川で遊んでは水着で撮りと、私は完全に記録係と化していた。当時はパソコンに撮影データを移して保存という概念がまったくなかったので、カメラのキタムラ阪南店で印刷しては学校に持って行き、みんなで写真を見
読み終わった後はぜひブックマークボタンを押して応援お願いします(‘∀‘) みなさんはどういう手段で居酒屋の予約をするだろうか。おそらくネットか電話での予約が飛びぬけて多く、直接行くかメールで予約する人も少数ではあるがきっといるだろう。では、ファックスで予約をする人はいったいどれほどいるだろうか。 あれは私が二十三歳だった二〇一一年、松竹芸能で俳優業をしていた時のことだ。年の暮れに同期のみんなで忘年会をしようということになり、最年長の“リーダー”というあだ名の彼が店を決めて予約まで取ってくれると言い出したので、みんな彼に感謝を述べ、予算の上限額を三千円でお願いした後は任せっきりにしていた。 だが彼は普段まったく遊びに出かけず、友人もまったくいないと公言しているうえ、真面目一辺倒でかなりの変人だったので、私は一抹の不安を覚えて「リーダー、お店大丈夫? 一緒に探そうか?」と聞いてみたが、彼は「大
読み終わった後はぜひブックマークボタンを押して応援お願いします(‘∀‘) 私がボーカルを務めるバンド“ザ・ミリタリーズ”はカナダに住んでいる時に結成した。 語学学校で知り合った日本人二名と組み、ジャケット写真やアーティスト写真の撮影に全ての力を注ぐという変なバンドなのだが、我々三人の写真を撮るにはカメラマンが必要だということになり、マネージャー兼カメラマンとして同じ語学学校の日本人である“チャリンコおじさん”を招き入れた。 彼がなぜそんな名前で呼ばれているかというと、おじさんとは言うものの歳は私より一つ下なのだがいかんせん髭のせいで年上に見え、さらに我々留学生はみんなメトロの乗り放題定期券を毎月買っていたのだが、彼は「勿体ない。チャリンコを買えばもっと安い」と言い、どこに行くのも一人だけチャリンコで移動してあとから合流するという若干付き合うのが面倒なスタンスを貫いていたのでそう呼ばれるよう
読み終わった後はぜひブックマークボタンを押して応援お願いします(‘∀‘) 苦痛だった習い事の中でもトップクラスの嫌さを誇っていたのがそろばんなのだが、同時に大人になった今やっていて良かったと思う習い事トップクラスもまたこのそろばんなのだ。 小学三年から五年の間通っていたそろばん塾は、家から徒歩二分の場所にあった。書道教室の時もそうだが、どうして我が家の周りにはこうも面白くない習い事の教室ばかり充実しちゃっているのだろう。 書道の優しい先生と違って、そろばんの先生は七十代の背が高くてちょっと怖いおじいさんだった。 最近ではそろばんとはいったい具体的に何をするための物なのか知らない人だっている時代になっているかもしれないので一応書いておくが、足し引き算や掛け割り算を暗算よりも早く正確に行なうための物だ。仕事で計算する場合はもちろん電卓を使った方が効率がいいわけだが、このそろばん、後で書くのだが
読み終わった後はぜひブックマークボタンを押して応援お願いします(‘∀‘) 字が綺麗な人の方が成績がいいとか関係ないとかいろいろ言われているが、私の字は古代遺跡から発掘された石板文字のような難読文字だったので、授業中に取ったメモを読み返す気がまったく起きず、結果通信簿は“他人に見られては絶対にいけない代物”と化してしまっていた。 小学二年の秋、見かねた親はスイミングスクールと並行して、私を家から徒歩三十秒という好立地の書道教室に通わせた。 教室は生徒が最大七名程度座れるお座敷で、奥に先生用の机が置かれており、毎回行くと課題の続きをやっては先生に添削をしてもらうというスタイルだった。 初日におかんと共に挨拶に行くと「では先生、硬筆と毛筆よろしくお願いします」と彼女は言った。私は何のこっちゃ分からぬまま道具を渡され、席に着かされた。 先生は五十代の優しい女性で、丁寧に書道教室について説明してくれ
読み終わった後はぜひブックマークボタンを押して応援お願いします(‘∀‘) 「私はこれまでずっと女性に囲まれて生きてきた」 こう言うとどこのスケコマシかと思われるかもしれないが、べつにそういう意味ではない。 我が家は両親と姉二人、おばば、そして私という男二人、女四人の六人家族だった。姉二人は八歳上、十歳上とけっこう離れており、私は小さい頃から彼女達の木偶――もとい彼女達に非常に可愛がられて育った。 加えて隣近所の幼馴染も四人ともみんな女の子で、外で遊ぶことはもちろん、お互いの家でままごとやゲームをすることもよくあった。小さい頃に何度か「うちら、将来結婚するんやんね?」と言われてドキッとしたこともあったが、チキンな私は何も言えずにモジモジして顔を真っ赤にするだけだった。 そんなふうに、私は何一つ女に不自由しない幼少期を過ごしていた。なので幼稚園に入ってもクラスの女の子と遊んでいる方が気が楽で、
読み終わった後はぜひブックマークボタンを押して応援お願いします(‘∀‘) マリファナにはじつにアウトローなイメージが付きまとう。外人さんがマリファナパーティーでラリっていたり、日本ではヒッピーやレゲエのお兄さん方が夜な夜なキメているといったような危ない姿を想像する人がほとんどではないだろうか。 二〇一八年にカナダがマリファナを合法化したが、私がカナダで英語の勉強をしていた二〇一四年はまだ合法ではなかった。 だがそんな解禁前のカナダ・トロントでもマリファナなんて日常茶飯事だった。電車に乗ってりゃ隣の男はマリファナ臭いし、スーパーですれ違った男がマリファナ臭いなんてこともよくあった。形容しがたい匂いなのだが、しいて言うなら『青葉を燃やしている焚火の中でおならをしたような匂い』ではないかと私は思う。一度嗅げばおそらく二度と忘れないような、嗅覚と記憶に刻み込まれる匂いだ。決していい匂いではない。
読み終わった後はぜひブックマークボタンを押して応援お願いします(‘∀‘) 『人生最大の痛みは何だったか』という話を友人などとしたことがあるだろうか。 私は今までいくつか痛い思いはしてきた。幼稚園の時に崖から転げ落ちて頭から血を吹き出し、小学校の時に幼馴染と家の前でボール遊びをしている時に溝の角で頭を打って血を吹き出し、中学の時にヤンキーをぶん殴って手首の骨を折ったりとわりと痛い目にあってきた私だが、私の歴代圧倒的一位は親知らずだ。 忘れもしないあれは二十二歳の時、一人暮らしをはじめてまだ数カ月しか経っていなかったある日のこと。 口内に虫歯の予兆のような違和感があり「最近歯医者に行ってないな。そろそろ行かないとまずいかな」などと悠長なことを思っていた。だがまだこの時点では痛みはまったくなかったので、仕方がないといえば仕方がない。 私は幼少期の不摂生が祟ったのか歯がとても悪く、やたらと虫歯にな
読み終わった後はぜひブックマークボタンを押して応援お願いします(‘∀‘) 娘が生まれ、姉達や近所の人からたくさんおさがりや便利グッズを貰った。硬い物で言うと食事用のテーブルやお風呂用のイス、ベビーカー、ベッドに取り付けるメリーなど。布製品で言うと肌着やよだれかけから始まって大量の衣類全般、ガーゼ、タオルケットなどだ。私は子ども服の趣味が姉達と非常に似ているため、貰った服はどれもこれも可愛いものばかりだった。 最初は『肌着やガーゼがこんなにも要るのか?』と疑問に思っていたのだが、娘はよく汗をかき、歯磨きの代わりにガーゼで歯を拭いたりするので、これが意外と大量に使うのだ。 おそらくそれらを貰わずに全て買っていたら五万円はしていたのではないだろうか。非常に物入りな出産直後の家計においては大きな額である。 また、ベビーベッドやバウンサーといった必要な物もジモティーやメルカリで恐ろしく安く仕入れるこ
読み終わった後はぜひブックマークボタンを押して応援お願いします(‘∀‘) 先日マツコの知らない世界で、ポイントを集める活動をする“ポイ活”なる特集をしていたが、私も重度ではないにせよ多少ポイ活人間の傾向にある。 昔からポイントカードが大好きで、小学3年の頃にクリスマスプレゼントで近所のスーパー“オークワわくわくシティ”で使えるオーカードをサンタから貰ったという逸話があるほどだ。 他にも私は中学生ながらに近所の中古ゲーム販売店ギャングスタ―でゲームを売る時なんかも買取ポイント2倍キャンペーンのチラシが入るまで待っていたり、値切りの神と呼ばれていた十代後半はアメ村で仲良くなった店の人にポイントをめちゃくちゃ押してもらったりして、およそ考えられないペースで強力にポイントを収集していた。 そんなポイントカード絶頂期から時代は移ろいで令和の現在、キャッシュレス決済をするとポイントが貯まり、アプリのく
読み終わった後はぜひブックマークボタンを押して応援お願いします(‘∀‘) 日本における三大長期休暇、盆暮れ正月。今年はコロナ禍のなか帰省するか否かで大きな波紋を呼んでいるが、我が家は帰りたい思いを我慢して今日も自宅で引き籠っている。コロナの後遺症には味覚障害がある。美味しんぼを全巻読破している私にとって味覚が狂うことだけは何としてでも避けたい。 盆暮れ正月とは言うものの、大阪府にある水無家の実家ではあまりお盆に一家全員集まるという風習があまりない。おかんはクリスチャンだし、とっつぁんは無神論なので、坊さんと密接な関わりのあるお盆には疎いのだ。 だが私は仕事があろうが東京にいようが、暮れには必ず大阪に帰る。このために生きていると言っても過言ではない。家族に会い、友人に会う。私の友人は結婚していない者も多いため何年経っても全然変わらないのだが、家族の集まりに関してはここ数年ですっかり様変わりし
読み終わった後はぜひブックマークボタンを押して応援お願いします(‘∀‘) 熱中症対策で私が使って良かった物シリーズで、昨日は帽子を紹介したが、今回はスプレーについて書きたいと思う。 百聞は一見にしかず。私が言いたいのはこれである。 熱中対策 シャツクール フローラルソープ(280ml) posted with カエレバ 楽天市場で見る Amazonで見る Yahooショッピングで見る これは何かと言うと、出掛ける前に服にシュッとひと吹きすると、ひんやりクールで汗をかいてもジトっとせずにむしろ冷たくて気持ちいいまである革命児なのだ。 私は出掛ける前にこのスプレーをTシャツの裏表と脇の下、ズボンの裏表、さらには帽子の内部にシュッシュと吹きかける。そして忘れがちだが決して忘れてはいけないのが靴下だ。地面の温度は六十度を超えることもあるため、我々の顔面よりも靴さんはもっと熱いのだ。なので蒸れて気持
読み終わった後はぜひブックマークボタンを押して応援お願いします(‘∀‘) 今年の夏は“災害級の猛暑”と言われており、この夏だけで三桁の方が熱中症で亡くなっていると聞く。そこで今日、明日と、熱中症対策で私が使っている素敵グッズを二つお勧めしたい。まず今日は帽子についてだ。 昔はまったく帽子をかぶる人ではなかったのだが、ある期を境に私は帽子が好きになった。ちなみにそのある期というのは私がリーブ21の全国CMに出演した頃だったので、後から聞いた話だが知り合いは「あいつリアルにハゲてるからCMに出られて帽子までかぶりだしたらしいぜ。こーりゃ触れちゃいかんやつだ」と噂していたらしい。たしかに紛らわしいがそうではない。 わたしはそれまで服は古着やアメカジが好きだったのだが、その頃から“ちょい悪バンドマンが好きそうな服”を好むようになり、ちょい悪なキャップが必要になったのだ。 私はブランドロゴだけが描か
読み終わった後はぜひブックマークボタンを押して応援お願いします(‘∀‘) 私は非常にケチだ。無駄金を払うことを何より嫌う。多少の移動なら電車でなく歩きか自転車で行くし、小学生の頃に知り合いのお兄さんからアイスを奢ってもらうとなった時、スーパーカップと爽の内容量を見て多い方を選んでお兄さんをドン引きさせた。とにかくケチなのだ。 だが私は人に迷惑をかけない系のケチなのだ。人に何かをたかったりしないし、車に乗せてもらうとガソリン代くらいは出す。要は自分にシビアなのだ。 そんな私がもっとも苦戦を強いられるのが夏と冬のエアコンである。最近災害級の猛暑とニュースになっているが、私は金食い虫のエアコンが大嫌いだ。なんたって扇風機の十倍以上電気代がかかるのだ。恐ろしいったらありゃしない。 実家にいた時はおかんから「熱中症対策のためにエアコンを付けてもいい」と許可が下りていたので快適なエアコンライフを送って
読み終わった後はぜひブックマークボタンを押して応援お願いします(‘∀‘) 私の地元、大阪の南海電車という私鉄は色々と有名である。日本最古の私鉄であること、料金がバカ高いこと、そしてこれは私の周りでよく言われているのだが、変な人が多いことだ。 夜、ガラガラの車内で酔っ払いのおっちゃんが突然座席から崩れ落ちて地面に倒れたかと思うと大量のゲロを吐き、おもむろに起き上がってゾンビみたいにふらふらと周囲を彷徨い始めた時は「ああ、バイオハザードってこうやって始まるんだな」と思った。話のネタが出来たとほくそ笑みつつも、汚いものが大嫌いな私は隣の車両へと逃げ移った。 汚い話ばかりで申し訳ないが、私は人が脱糞する瞬間を見たことがある。これもまた夜のガラガラの車両で、これまた酔っ払いのおっちゃんが無意識でつり革に掴まって身体を前後にガコンガコンさせていると、突然ブリブリブリ! と豪快にズボンを真っ茶色に染めた
読み終わった後はぜひブックマークボタンを押して応援お願いします(‘∀‘) みなさんは血便という一見恥ずかしい、人様には絶対言えない名前の症状を体験したことがあるだろうか。 あれは私が今の会社に入ってようやくひと月が経ち、二十七歳になったばかりのある日のことだった。 気付けばトイレの血が真っ赤になっていたのだ。特に痛みや違和感はなく、私は「まさか隠れ痔なんじゃ……」と嫌な予感を覚えながらもあまり気にせず過ごしていた。それからおよそ二週間後、またしても便器が血に染まった。相変わらず身体に違和感はない。私は実家のライングループで「誰か痔になったことのある人はいないか」と相談したが誰もおらず、そのことで「あんた痔なん?笑」と言われたので全力で否定し、ただ血が出ただけだと伝えたところすぐにおかんから電話がかかってきて「あんた! 血便は大病の予兆かもしれんから今すぐ病院行き!」と言われた。だが時刻は二
読み終わった後はぜひブックマークボタンを押して応援お願いします(‘∀‘) 私はおそらくフリマアプリのメルカリでかれこれ三十万円は物を売っている。最初のうちは『もう絶対に着ない服を見つけたら出品する』という程度でしか使っていなかったのだが、これが意外とお金になることが分かり、そのスタンスは徐々に『不用品を探し回っては出品する』というものへとシフトしていった。 だが不用品の出品という稼ぎ方には限界がある。売る物が無くなるのだ。小銭欲しさに必要な物を売るようになってしまっては本末転倒なので、私はやがて売るに値しないゴミを出品してみてはどうかと思うに至った。 私は元来かなりのコレクター気質があるので、昔使っていた財布やキーケースはご丁寧に全て取ってあった。だが改めて見るとレザーはズタボロ、手垢や金属の擦れで真っ黒になっているものばかりで「これは商品じゃなくゴミだな……」と諦めかけたのだが、ものは試
読み終わった後はぜひブックマークボタンを押して応援お願いします(‘∀‘) バンドを結成するには学生時代に軽音部や趣味の合う友人を見つけるか、知り合いのバンドマン界隈で見つけるか、ライブやスタジオでメンバー募集情報を見るか、ネットで探すかの四つが最たるものではないだろうか。 私は学生時代に音楽の趣味が合う友人を見つけられなかったので、ネットでメンバーを探すことにした。 二〇〇〇年代後期にはOURSOUNDSをはじめとしたメンバー募集のサイトも充実し始めており、近くに住む同じ趣味を持ったバンドマンを探すのはさほど難しいことではなかったのだ。 あれは私が三度目のバンドを組もうと募集サイトを見ていた時のこと。私はボーカルで、“エモ・スクリーモ”という、“バンドサウンドはゴリゴリだがピアノや綺麗な音の楽器が入ったりしてボーカルラインは切なく儚いジャンル”でメンバーを探していた。すると掲示板の中で『ス
読み終わった後はぜひブックマークボタンを押して応援お願いします(‘∀‘) 私のお尻のペチャンコ加減は世界トップクラスで、デカケツ至上主義のブラジル人が私のお尻を見れば「ハンッ何この貧弱なお尻? あんたよくそれで町を歩けるわね」「貧弱貧弱ー!」とでも言うに違いない。 違和感を持ち始めたのは小学校の頃だった。学校の椅子に付ける座布団を敷いてもお尻がすぐに痛くなって、授業に集中できなかったのだ。書いている今思ったのだが、私の成績が壊滅的だったのはお尻が薄かったからではないだろうか。 電車に乗ると座席が痛くて、映画館に行くと開始三十分もすれば床ずれのように気持ち悪くなりはじめ、深夜バスに乗ろうもんならどれほど眠くてもお尻が痛すぎていてもたってもいられなくなり、それならこれはどうだと奮発して買った一万八千円ほどの“ベッドと同じコイルスプリングがめちゃくちゃ入っている座椅子”も、安物とはだいぶ違うとは
読み終わった後はぜひブックマークボタンを押して応援お願いします(‘∀‘) カナダでの留学を経た私は、大した英語力もないくせにかなり調子に乗っていた。一年前と違って今なら外国人とだって話せるんだという自己過大評価が、この後自分を苦しめることになるとは夢にも思っていなかった。 大阪から神奈川に引っ越した私は、とりあえずの食い扶持として派遣会社に登録し、元々やっていたこともあって映像制作の会社に派遣された。そこは誰もが知る大企業で、応募条件が『英語がちょっと話せて映像制作や画像編集をある程度一人で出来る方』というもので、派遣会社はこの募集要項を見て「こんな鉄人いるかよ」と諦めようとしたが、私が登録していることを思い出して「シメシメちょうどいい鴨が舞い込んできやがった」と私に目を付けた。 ちなみにこの派遣会社の事で少し書くと、私がその大企業に派遣されたのは登録して一カ月後のことで、登録後すぐは派遣
読み終わった後はぜひブックマークボタンを押して応援お願いします(‘∀‘) 私の人生初海外旅行は、小学六年の春休みに連れて行ってもらった五家族合同サイパン旅行だった。 我が家は隣近所と非常に仲がよく、子ども達の歳も近かったことから、同行した幼馴染四人は家族同様だった。 我々の住む阪南市は海に隣接しており、車で十分も行けば海水浴場もあるため海自体はなんら珍しくなかったのだが、サイパンの海の透明度はそんな海の町に住む我々ですら虜にされてしまうほど素晴らしかった。我々は見たことのない綺麗な海と初めての外国に降り立った興奮とで連日海に潜り、魚にエサをやったりシュノーケリングをしたりと、サイパンの海を満喫した。英語が堪能なおばちゃんが全てやってくれたので、我々がへんてこりんな英語を操る必要などなかった。 そんな楽しい旅行も日程の半分が過ぎ、とうとう私は最大級のトラウマを二つも同時に植えつけられる日を迎
読み終わった後はぜひブックマークボタンを押して応援お願いします(‘∀‘) ハンドバッグの老舗ブランドCOACHで働いていた二十一歳の時のこと。 私の店には店長のマダムとキツネ目の怖い副店長、そして今回の話の中心人物であるもう一人の副店長がいた。彼女は四十歳前後で、普段から「アララ~」と謎の動きをしたり困ったらフラダンスを踊りだしたりとかなりクレイジーなお姉さんで、真面目な人が多い店内では異彩を放っており、私は秘かに注目していた。 そんなある日、マダムもキツネ目のお姉さんもおらず、店長クラスがアララさんだけの日があった。 COACHではタイムカードを切ってフロアに出る前にミーティングを行なうのだが、その際たまに“コーディネート練習”という、全員共通のテーマを決めてバッグをベースにプラス財布やスカーフ、チャームなど、複数購入してもらえるための練習を行なっていた。 だいたいいつものテーマは『暖か
読み終わった後はぜひブックマークボタンを押して応援お願いします(‘∀‘) カナダでの生活が始まって三カ月目のある日、日本の友人達と急に「サーモン丼が食べたい!」となったので、近所のスーパーでサーモンを買った。 『海外のスーパーで生魚を買って食べるな』と言われているのは重々知っていたが、我々は鮮魚コーナーのおっちゃんに「サーモンを生で食べたい」と相談したところ「ワオさすがジャパニーズ! 任せろ奥からとびきり鮮度のいいやつを持って来てやるぜ!」と言ってくれたので安心してサーモンアボカド丼を作って食べたのだが、見事に私だけが食中毒になった。 私は激痛の腹を抱えてようやくの思いで病院に行き、海外保険を使うので領収証をくれと伝えて受診した。だが病院というのはまた難しいもので、普段使わない言葉が飛び交いまくるのだ。私は医者が何を言っているのかよく分からなかったので「とにかくサーモンを生で食べてから腹が
読み終わった後はぜひブックマークボタンを押して応援お願いします(‘∀‘) 心霊現象など気の迷いであり、弱気な心が作り出す幻にすぎないと、私はそう思って生きてきた。そう、あの日までは……。 もういくらかすれば陽が沈んで町が暗くなり始めるだろうという時間に、私は台湾人の友人宅を訪れるため、ロイヤルヨークの駅で電車を降りるとバス停へと向かった。 たいていのバスはこの時間になると帰宅する人々がチラホラといるのだが、この日はバス停には誰もおらず、ほどなくしてやって来たバスも私だけを乗せて走り出した。 バスを独占している今ならと、一番後ろの席に座った私はカナダ人がたまにやっているように、ケータイから音楽を流して楽しんでいた。運転手に聞こえない程度のボリュームに絞っていたのは私が陽気な外国人ではなく、根っからの日本人だからだ。 彼の家を訊ねるのは初めてで、私は“ミミコストリート”という変わった名前の停留
読み終わった後はぜひブックマークボタンを押して応援お願いします(‘∀‘) 絶景と言えばオーロラ、カナダと言えばオーロラである。幸運なことに二〇一四年は十一年に一度のオーロラの当たり年と言われており、私はブラッドの過酷な授業を一週間休み、オーロラを見に行くことにした。日本人と台湾人に声を掛け、八人の大所帯となった。 トロント発の候補地としてはアイスランドやカナダのホワイトホースなどもあったのだが、多少の金額をケチって「観れませんでした」ではシャレにならないので、我々は多少遠いもののオーロラベルト(オーロラを観測しやすいエリア)直下という最高条件のカナダ・イエローナイフを選んだ。三泊四日であればよほど運が悪くない限り見られるとのことだったので、ぜひ極光とも呼ばれる絶景を目に焼き付けようと我々の鼻息はかなり荒かった。 一番安い旅行会社を選んで予約しようとしたのだが、そこはクレジットカードしか使え
次のページ
このページを最初にブックマークしてみませんか?
『essay-miznashi.hatenablog.com』の新着エントリーを見る
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く