「現代の経営においてデータの重要性が高まっている」といった言い方をよく耳にするようになった。たいていは、ビッグデータ分析とかデータ駆動経営といったバズワードの文脈なのだが、いつも残念な気持ちになる。それらが効果を上げるには「所与のデータ様式がまともであれば」という前提がありながら、それが語られることがまずないからだ。じっさいのところ、まともなデータ様式で運用されている業務システムなど稀で、それらのバズワードの有効性も「嘘ではないが、役立つ状況がほぼない」のが実情である。 当たり前の話だ。データの矛盾を認める、つまり正規化されていないデータがどんなに大量に存在しても、そこから導かれる分析結果はゴミでしかない。「ゴミからはゴミしか生み出されない(Garbage in, garbage out)」である。最新のデータ分析技術を用いても同じことで、とくにAIにそこらへんを期待するのは無理筋というも