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大そうじへの備え
blog.goo.ne.jp/yamano4455
8月15日は、いわゆる「終戦の日」として、日本全国、様々な行事が行われている。 私自身も、例年のごとく、石川護国神社にて県戦没者追悼平和祈願祭に参列してきた。正午からの、時報にあわせての黙祷では、いつもながら、まさに時間が止まっているかのような厳粛な気分にさせられる。 ただ、私はこれまでも何度か指摘しているが、この8月15日をもって「終戦」とされるのは、いささかの抵抗を感じてもいる。 簡単に述べる。 先の大戦をまさに終結させることになったポツダム宣言。それを日本国政府として正式に受諾を決定し、そのことを連合国側に伝えられたのは、その前日の8月14日である。 翌8月15日の玉音放送により、そのことが国民に知らしめられた。おそらく、このことをもって、この日を「終戦の日」としているのであろう。 9月2日、ミズーリー号上で降伏文書調印。日本の軍隊が交戦国軍隊全体に関する全面的休戦を意味する調印であ
前回(「交ぜ書き-文化としての日本語その6-」)、1850字に使用が制限された当用漢字表なるものが登場したことにより、我が国語に甚大な弊害が与えられた事を述べた。 特に、この当用漢字表の前文にあった、「この表の漢字で書きあらわせないことばは、別のことばにかえる」という指針が示されたことにより、発音が同じということを主たる理由として、当用漢字表に掲載されていない漢字(表外字)は書き換えられ、そのことによって、漢字文化に大きな悪影響を及ぼすようになったということも、いくつか例をあげて、既に述べた。(「濫」を「乱」に、「捐」を「援」になど) 昭和56年に、「目安」としての1945字の常用漢字が制定されても、事態は全く変わることはなかった。 先に述べた、「濫」を「乱」に、「捐」を「援」に書き換えたことによる弊害、それは、それぞれの文字が持つ意味合いについての、いわば文化的齟齬といっても良いものかも
〔交ぜ書きとは〕 今年の1月14日、「これからの時代に求められる日本語力」について審議していた文化審議会国語分科会は、その最終報告をまとめた。その最大の眼目は、小学校の教科書で、「成長」を「せい長」、「骨折」を「こっ折」などと表記する交ぜ書きをやめ、ルビを活用するなどして、早い段階から、漢字表記のまま児童生徒の目に触れさせる大切さを強調したことである。 小学生が学ぶ漢字は1006字で、常用漢字1945字全体の半分程度にとどまっており、小学校卒業までに常用漢字の大半を読めるよう提言もされている。そして、2月の文化審総会で、河村建夫文科相に答申として提出された。 私は、この答申に対して、両手をあげて賛成する。私のこれまでのメルマガ、特に直近の「子供-文化としての日本語その5-」や、「白川文字学への誘い」の中でも述べてきているように、私たち日本の先人は、我が国語の中に、大陸文化の粋を極めた「漢字
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